直感(3)

 

1.人間が、異物となる物質との関わりなどによって何らかの不調感を覚える時、多くは、そこに人間とは大きく生の形を違える虫や微生物の影響があり、それらを媒介して行われる腐敗・分断型の原因が充分に処理・浄化され得ないために、人は、心身の力を落とし、不要な病みを経験することになる。

 しかし、その殆どは、人間の持つ細胞レベルのその力量の変化・成長により、次第に余裕で対処し得るものとなり、問題の域からは姿を消す。生の基本が、健全さを普通とする地球との融合と一生命としての変化であるため、人間の心身は、留まる不調の次元を知らない。やむ無くそうであったとしても、それが動きの無い原因としていつまでも残ることもない。

 ところが、そんな人間の普通が細胞レベルから確実に破壊されてしまうという、本来はあり得ないことを、そのための要素を全て持ち合わせる奇妙な動物によって、人は長いことどこかで経験していて、それでありながら、そのことが重要な問題として意識されることなく、そのまま現在に至り続いているという、その不思議な現実が、この現代には在る。

 その動物は、元々この地球自然界には無かった夜行性という次元に居場所を確保し、太陽の光を避けるようにして、重苦しさと不健全さを生の基本に、非地球を生きる。蛇が可愛く思えてしまう程の影響力を持つそれは、そのためとなる完全な生態を武器に、人間本来や動物たちの生命本来を力無くさせていく。

 

2.空飛ぶ哺乳類というだけで、奇異な感覚を抱かされる、コウモリ。その誕生は、地球を生きる生命たちのその人間経験を潰し切るために、地球自然界の無生命化を進行させようとする意思によってもたらされ、彼らは、その独特の生態からなる破壊力を成長させつつ、それまでに無い強烈な存在感を示す。およそ430万年前に始まったその試みは、200万年程前に現在のような姿となり、その後、幾つもの種が生まれ、今に至る。

 超音波による破壊力と吸血害虫の宿主役が安定して備わり出したのは、蛇絡みの人間が姿を見せてから(3万数千年前)。彼らの人としての感性の無さとの融合は、コウモリたちの凶暴な内面を刺激し、その非生命力を増大させる。非地球そのものの蛇(の原因)を介して蛇系の人間と繋がったコウモリは、世を暗く、動きの無いものにするために、その嘘の人間たちと協力関係を保つ。

 彼らは、他のどんな動物にも無い脳(能力)を持ち、暗闇の中でも自在に飛び、動き回る。しかも、色は黒。昼行性の動物はもちろんのこと、夜行性の動物であっても、意識を向けられると、何の自覚もなく動きが鈍り、かすかな反応を促されて、襲われ、傷を負う。対象となった体の大きな生き物は、唾液を介して入り込んだ菌によって脳をおかしくされ、その影響を周りに及ぼす。

 コウモリが宿主となる感染症は、狂犬病が有名だが、その他にもいくらでもある。人間も、直接・間接的に害を被れば、普通ではいられなくなり、太陽の下で生きる自然体の動物たちは、コウモリに寄生する吸血性の虫などによって、強い感染症他の経験をする。

 

3.夕暮れの頃からその働きを活発化させる、コウモリの超音波。自然界のあらゆるものへと発信されるそれは、そこに在る自然な様を容易に不自然にし、生き物が安心して生きる姿を決して許さない。自然界に生きる生命たちは、その理由も分からずに要らない負荷を強いられ、それを普通に、生の質を落とす。それは、実に理不尽な現実。

 人の世の重たさにも、同質の人間たちと共にその原因づくりに参加する、コウモリ。反射物からの超音波を時間で計り、距離を定める能力は、人間の思考の次元からすれば、まさに超能力。それをあたり前とする彼らの動向により、世は常に緊張し、自然な流れを忘れさせられる。この地(国)は、彼らの超音波の中に在る。

 その能力にも、当然それ特有の物質(の原因)が在り、それは、カラスと同じ鼻の奥に在る。破壊力の材料でもあるそれは、不安定なヒ素。地球本来のその元素(66)が大きく変質したことでその威力を手にしたヒ素82は、コウモリの本性・本質とキレイに溶け合い、驚異的な負の力を発揮する。限り無く不可解な超音波活動と、それに利用される脅威の物質により、生き物たちの生命活動は、不自然さを馴染ませていく。

 それらの全てを可能とするその原因の供給源として、地殻内に在る不安定なビスマス214202215)もそれに参加する(地球本来はビスマス166)。コウモリは、それとの共振を基に、超音波の負の威力を維持・安定させ、自分たちにだけしか出来ないことのその質を強めていく。人間の知の次元には無いヒ素82とビスマス214それぞれのその破壊・支配型の原因は、蛇系の人間ともムリなく融合する。

 

4.哺乳類動物同士だと、互いは本能のどこかで同胞感のようなものを感じ、それゆえに、不要な衝突を避けて相手の生を尊重しようと、住み分けを普通に、他を生かし、自らも生きる。やむ無くそれが崩される時があったとしても、そのための自浄・調整力が失われることはない。

 その感覚はコウモリには全く無く、相手の種が何であれ、攻撃し、傷つけ、素知らぬ顔で腐敗を呼び込む。その悪影響の及ぶ世界を考えると、彼らは、胎生動物でありながら、哺乳類の本来を備えない、驚異の特殊本能の持ち主であるということが分かる。

 その影響下に在る、この国の自然環境。それを良しとする、蛇絡みの本性を持つ人間との共存は、コウモリに生きやすさを与え、彼らの本能は満足する。人間も、コウモリに支えられ、その暴力的な非人間性は、彼らの超音波に乗るヒ素の原因によって活躍する。

 現在の人口の78%程が、コウモリ型として、その生を彼らの本質と重ねる(残りはカラス型)。人口増加の背景に在る、蛇色豊かなそこでの非生命的原因を把握すれば(「再生」)、それも頷ける。コウモリと同じ夜行性である多くの人間は、昼はロボットのように知識(頭)だけでやり過ごし、夜間に(睡眠時も)本性むき出しの時を生きる。同質の猫は、それを応援し、カラスは、昼間の(人間たちの)過ごしやすさの演出役を担う。

 そのことが体験的知識の域となる時、人の世には、心も感性も、その原因となる要素が全く育まれてないことを知る。蛇系のコウモリ型人間とカラス型人間の次元には、その原因(真)の常識的事実として、心という知識(思考)は有っても、心はどこにも無い。それへの余裕ある把握に、地球の望みは、温かさを覚える。

 

5.夜行性の動物はもちろんそうだが、昼行性であっても、太陽の光を避けるようにして生きる動物は、他の動物が(太陽の下で活動することで)体の中からムリなく外へと出そうとするその腐敗型の物質を、平気で取り込んだまま、それを体の一部として普通に生きる。その典型がカラスとコウモリで、どちらも自然界には珍しい黒色であることも面白い。

 地中(地球)からの植物を主とはせずに、動物食を常とする人間も、中身は彼らと同じで、体内を腐らせ、重たさにも平気で、それなりに元気でいる。生命が摂るべき岩塩や全粒穀物食を遠くに、事の原因を滞らせる海塩と精白された穀物で不思議と健康を保つその姿は、不気味でもある。

 直感は、次に繋がる原因であり、止まったままの結果を動かし、浄化する、未来への形無き力である。それは、変化し続ける原因に支えられた、更なる原因。永遠の今に包まれ、融合の次元を高め、心の風景を癒す。一切の主張も特別も無く、さりげなさと素朴さの中でのみ育まれ、しなやかな活力となって姿を見せる、普通という言葉が、最も適格にそれを形容する。

 非生命食でも元気でいられる人間に、その直感の世界は無い。滞りや隔たり(を元とする価値観)に支えられる彼らの思考の次元には、変化し続ける直感の普通は住むことは出来ない。その普通があるだけで、争いや衝突からはあたり前に無縁でいられる、この地上で生命を生きる、人間。そうではない(その普通を持たない)彼らは、過去を学び続け、知識を増やして、結果の世界を凝り固める。心を持たない蛇系の人間は、その性質をカラスやコウモリ化させて、覚えた(手にした)ことだけを頼りに、頭だけで、形ばかりの嘘の人生を生きる。

 人間が持たなくてもいいはずの、不安や嫉妬。経験しなくてもいい、争いや差別。それらは皆、知識や思考世界に価値を置く人間たちの、その歪な、腐敗菌のような生の原因によるものである。中庸を基とする生命としての必要性がそこに無ければ、知識が担う仕事も、非生命の原因のそれとなる。

 

6.思考の働きとは別次のところでの実践(感覚的理解)を直感の世界だとすれば、否定的要素がそれに色濃く絡むものとしては、コウモリ型の人間の直感が、かなりの危うさを秘めたものであると言える。

 彼らは、(人間本来としては)何もせず、不安定の安定のために必要なことは、何でも完璧にこなす。事の手前から、本来へと流れ出そうとする原因を潰し、それを行おうとする意思を破壊する。思考を一切不要とする形無き次元で、思考のみで済まされる嘘の世界を、巧みに支える。

 コウモリ型人間の直感は、無意識の意思による、恐怖の超音波攻撃と言える。彼らは、地球が安心を覚える人の中に在る、心の粒子のようなものに瞬時に反応し、それへの押さえ込みを、見た目や言動を変えることなく平然と行う。体内を腐敗させても平気な程のその非人間性は、凶悪な意思の多次元的作用を普通とし、思考の外側で、静電気を自由に操り、他者の中に在る生命本来の(細胞)活動を難なく動きの無いものにする。

 直感的と思える発想や思い付きは、そのための偽装の道具として使われ、脳を鈍くさせられた人は、好意的にそのことを感じ取り、思考の満足(気づき)を経験する。その背後で、好きなように人の心を止めて、事を思い通りに動かす、異常の域にも姿を見せない、コウモリと同一化した獣的直感。それは、違和感となる対象のその形無き手前のかすかな原因の動きまで把握し、それを覆い潰す。

 無意識の意思の次元で、ヒ素の原因を動かす、実に恐ろしい存在たちの普通。超音波による働きかけのようなそれにより、心ある人の意思表現は、力を持てずに簡単に止められてしまう。彼らは、原因不明の問題事(病気、争い)のそのきめ細かな原因でいて、その原因が決して動かぬよう、数の力と形式で世を埋め尽くす。しつこく過去に居座る結果優先の思考(価値観)を蔓延させ、それに自らの負の原因を乗せて、世の病みを愉しむ。

 

7.融合の主導権を握るということ。それは、ただそのままの自らの原因が、他(相手)を包み込んで一緒に回転させてしまう程の仕事をし、関わるもの全てを、本来の在るべき世界へと変化に乗せて、変えていくということ。

 そのためには、あらゆる物や形のその原因深くへと入り込み、それらの皆に共通するもの、ある層や集合体の中にだけに有るもの、どこまで行っても見えにくいけど、何らかの意思を感じさせるもの…と、段階的に確実に処理すべき事の、その多次元的原因関わりの感触(体験的知識)とその浄化(融合)の経験が、絶えず積み重ねられていくことが基本となる。

 次なる時の確かさのために、不確かさの中で漂う原因。その時にしか望めない感覚を通して、細かくその原因深くへと入って行く、変化の質の更新。そして、知り得る世界と感じ得る世界を同時進行で広げていく、体験的知識主導の、一生命としての経験。思考レベルの常識枠を余裕で包み込む次元に居て、生命としての何気ない直感を活躍させる。望むべく未来地球への自動修復作用が、その次元から、滑らかに、力強く動く。

 通るべき道を通り、触れるべきことに触れる中で辿り着いた、「直感」。それまでのひとつひとつの原因の積み重ねは、次なる大きな原因となって、これまでを浄化し、新たな次を創り出す。すき間無く、何度も重ね、増やした(密度を高めた)それは、形無き原因の世界を、自由に、くまなく見渡せる程になっている。それが意味するのは、全てを含めた生命世界の、その真の変化の創造。「人間」も「仏陀の心」も、「再生」も「復活」も、そのための土台の中に溶ける。

 

8.「地球の真意」での、生命としての体験的知識は、世の原因の次元を、生命本来のそれで可能な限り埋め尽くす。繋がる回路を分断され、その活力を鈍くさせられた、蛇絡みの非人間性の本質は、より具体化するその凶暴さと共に、図らずも、隠し通せていたはずの嘘の内実をさらけ出す。それが、猫とカラスとコウモリである(うごめいている存在は、他にも居るが…)。

 猫よりもカラスの方が手強く、それよりもコウモリの方が強烈である。心ある普通の人は皆、それらの影響を受けていて、そうであることの自覚も無く、厳しい時を生きる。順を違えずに、処理すべきことを処理しつつ、その原因を浄化する。それぞれの手前には、そのためのEWの基礎が在るゆえ、淡々と、着実に、この「直感」の世界を普通としていく。

 どこからも見た目を普通に、良識ある人としての言動をあたり前としながらも、その実、その中身は全くそうではない存在たち。その元となる姿は「再生」でも記しているが、改めてカラスやコウモリと質を同じくする人間の、その秘めた感情(本性)の影響力を知る。把握されることで動き出すその原因により、隠されたものは表に出やすくなる。蛇絡みの生を持つ存在は皆、始まりが嘘であるゆえ、原因の次元を浄化すること無しに、その形無き負の影響力に対応するのは難しい。

 地球感覚の直感は、この無有日記の中にいくらでも在り、それと融合する人の中に、自由に流れていく。無有日記に触れる人との間で創られるそのタイミングもテーマも、土に水が染み込むようにして、人へと伝わり、次なる原因となって、心に溶ける。「直感」は、直感の質をどこまでも成長・進化させ、そのままで時を癒す、ありのままの原因にそれを乗せる。その面白さを、みんなで楽しむ。by 無有 3/30 2019

 

 

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