直感(5)

 

1.争いや隔たりの原因を知らず、ただそのままで安心と健康の時を普通に生きる、自然な人たち。その人としての在り様を嫌悪する存在が居ること自体、あり得ないことだが、彼らが、人間が経験してはならない夜行性動物との融合を普通とすることは、実に不可解で、不気味でもある。人間は、太陽の光の力をその生の源とするゆえ、それを不要とする夜行性動物とは、感情も性分も重ね合わせることはしない。

 人間の居る空間に居場所を確保した猫の姿は、生命世界からは、大きな悲しみである。同じ場所に居るだけで、その気もなく脳の中に取り込んでしまう(染み込ませてしまう)、猫の本性。非人間性をその本質とする人は、それにより狡さと嘘を安定させ、心ある普通の人は、訳も無く不自然さを馴染ませてしまう。猫との空間は、不安定を安定させる、非道の原因となる。

 時に目にすることはあっても、基本的に密に関わることの無い、夜行性動物。蛇やコウモリとは一緒に遊ぶことが無いように、それと中身を同じくする猫やねずみとも、人は関わることはしない。狐も、その本性は夜行性動物の代表の域に入る。人間の脳とその生きる原因は、その異常な生態により簡単に鈍らされ、操られる(カラスやトカゲ類も、生態は違えど、質は同じである)。

 地球自然界の自浄力を本来へと戻すためのその基本プロセスとして、何より重要となる、夜行性動物との融合からの回避。摂取する食物や価値観を、その次元から切り離し、地球の大地が安心する全粒穀物食と、生命としての人間本来(の普通)を大切にする。太陽の光に生かされ、地球自然界に支えられるそこでの姿は、夜行性の存在たち(人間、動物)のその非地球の意思を遠ざけ、その存在感を消失させていく。

 

2.太陽の光を避けるようにして生きる生き物は、動物も人間も、腐敗型の原因をその生の原動力にするという、普通では考えられない姿をあたり前とする。それだからそこでは可能となる、回虫の世界との密な連繋。そのあり得なさは、まさに回虫が生の主導権を握るという、限り無く異様な世界。自分たちが存在し得るその非地球の原因に支えられて、それらは、存在そのもので自然界の生命たちの自由を押さえ込む。

 夜行性動物の世界では、それぞれが思い思いに動きの無い重たい空間を生み出し、好き放題そこで破壊活動を行う。そんな彼らにも力関係のようなものがあり、その頂点となる場所に居る動物は、その何でもない普通で、他の動物にとっての異常事態を簡単に作り出す。

 直接関わりを持たなくても、意識するだけで自らの生命力が抑え込まれてしまう程の、そこでの恐怖の感覚。夜行性動物たちは、その存在の行動範囲には極力近づかないよう努め、身を守る。彼らの記憶の中には、ほんのかすかな物音を立てただけで自由を奪われた(捕えられた)経験が在る。

 夜行性動物が備えるその非生命的な原因が違和感として伝わり出すと、自ずとそれとの融合経験でのそれが外れ出し、自浄力も活発化する。それは、その機会が失われたままだと、無自覚のまま、とても危うい本性の世界に巻き込まれてしまうということ。

 彼らが皆苦手感を覚えるその同質の存在の威力から、直接・間接的に自由でいるためにも、身近なところでのそれらとの関わりは無しにする。夜行性動物(蛇、猫、狐etc.)との融合は、心ある普通の人には全くの異次空間のそれである。

 

3.その存在は、フクロウ。人間が抱くそれへの好印象は、見た目の大人しそうな空気感と、素朴さの漂う鳴き声から勝手に出来たもの。その実際の姿は、厚みのある荒々しさと頭脳的攻撃性を備える、酷く獰猛な動物。狩り(襲撃)には桁外れの能力(超音波)を駆使し、他の夜行性動物が怖れる程の特殊機能で、完全なる支配を当然とする。彼らには、それが普通。その普通に触れないように生きるのが、他の動物の普通となる。

 フクロウからは、人間の世界の性質は手に取るように把握でき、それぐらいだから、その質を操ることも難なく行う。多数の人間が蛇と同質・同次の脳であることも幸いし(利用でき)、人間が太陽の光による健全さを安定させることのないよう、彼らの脳の働きのその手前の原因の部分に入り込み、きめ細かくその動向に関わり続ける。カラスやコウモリとその感情を重ねる人間は、フクロウに思考を支配され、彼らもそれを望み、非生命的感情を都合良く強力にする。

 病みの下地は他に任せ、自分はその上での操作の段を握る、フクロウ。猫も蛇も、彼らの能力(の次元)には絡めず、自分たちの働きかけが上手く利用されていることも分からない。カラスもトカゲも、気持ち良く思い通りに生きていて、その姿(結果)を思い通りに活かされている。

 それは、猫が生み出す嘘の世界に生きる人間も同じ。彼らは、猫関わりで蛇ともキレイに融合し、狐やコウモリの本性をも組み入れて、フクロウが扱い易い性質そのものとなる。体裁(見た目)や形式への思い入れを活力源とする、夜行性の本質を備える(形ばかりの)人間は、そのことを何より嬉しい。広がりや繋がりの質への責任も無く、胸を張って、自分らしさ(非人間性)を生きる。

 

4.夜行性動物たちが日々生を営む以外に関心を抱くのは、環境が自分たちにとって厳しいものへと変わり出すその原因の広がりと、その性質を備える存在たちの動向。それが動けば、住みにくさへと繋がり、腐敗空間を維持できなくなる。停滞感と重苦しさが和らいでしまえば、回虫繋がりの方向性にもぶれが生じ、それぞれが備える特性の活発化も望めなくなる。彼らは、互いに争い、いがみ合うことがあっても、その優先事項に関しては、身を以て(命をかけて)協力し合う。

 そんな中でも、彼らが徹底マークし、その動向の全てを不自由にさせて封じようとする、数百万年前にこの地で人間経験を再開した、数千の生命たち。彼ら生命たちは、人としての生を連綿と繋ぎ、蛇絡みの人間が誕生した後も、地球感覚を基本に、形無き原因の世界の観察と、それへの浄化をし続ける。

 そんな彼らを放って置けば、自然界は、地球本来のそれへと変化に乗り、蛇もコウモリも猫も、存在し得る力を無くす。そうにはならないようにと、心を持たない形ばかりの人間たちが生み出されたわけだが、フクロウは、その仕事の最重要箇所を担う。心ある感性を普通とする人たちは、フクロウの、超音波と言うよりは超脳波とでも言うべきその能力に、完全に抑え込まれる。

 夜行性動物の人間への影響は、大小様々にその深くまで及び、それは、心無い人を元気にし、心ある人からは、生きる力を奪う。身近なところでは、そのために猫が居て、人の意識の中には、蛇や狐が居る。フクロウは、それらの人間への影響を活かし、蛇色豊かな環境を応援する。蛇系の人間にとって、それほど心強いものはない。

 それだけの能力を備えるということは、怯えも怖れも最大級であるということ。永い間にフクロウが身に付けたその異常な普通は、大きくその質を変えたテルル130という物質にも支えられ、秘めた恐怖心を極度の凶暴さに変える。その物質の地球本来(104)の仕事を考えただけでも、彼らの威力の程が分かる。

 

5.心ある人間の、その健全な感性を押さえ込むために負の力を発揮する生き物は、他にも居て、その中でも、ムカデの影響力は意外に強力である。彼らは、人間の住む地域に密に関わり、蛇と同じように湿度を強める。空間の風の流れを容易に滞らせ、不健康で不衛生な環境を生み出していく。

 妙にじめじめした空気は、蛇によってその下地が作られるが、蛇の住みにくい場所では、代わって、ムカデがその役を担う。フクロウは、それを喜び、心を持たない人間たちも、それで生きやすさを覚える。湿度が雨季でもないのに40%を軽く超える場所(屋内外)は、その敷地辺りにムカデがしつこく住み着いていると思ってよい。

 そこに猫が居れば、家の中での不健全さは猫が担うが、そうではない時は、濃密な静磁気(場)でもあるムカデがそれを任される。静電気も、夜行性(蛇系)の人間のそれに重ねるようにして増大させ、心ある柔らかな人が理由も分からず不調になるその姿無き理由でい続ける。アスファルトやコンクリートで地面が固められても、それによるそこでの通気性の悪さが、彼らには好都合となる。

 形態の異様さからなるそこでの異常な作用は、最後方の部分に潜める、チタン5248)関わりの負の原因がそれを援護する。地球本来(44)からは程遠いそれは、人間の(思考レベルの)都合には上手く適合するものだが、地球(地殻)にとっては、無くてもいい経験の重石役のようなもの。熱を通しにくい性質もそこに加わり、ムカデによって、その(アルミニウムの孫のような)滞りの原因は活かされる。(地上の)人間の居る空間への地中からの攻撃には、ムカデのその非生命的な性質からなる湿気(の原因)が、病原菌のようにして、人間の次元をすり抜けて利用される。

 

6.仕える人の言うことだけを正しさとして守り、感じるままの正直さを無くして画一的に生きることが普通となっていった、この地の人間社会。その姿が成熟していく流れの中、この現代に至り、夜行性動物による負の影響力が最も人間の心身深くに染み込んだのが、肉食(豚肉)を通してのそれである。

 その背景には、凄まじい限りの破壊の意思があり、強力な支配と抑圧の意思もそこで息づいている。肉食は、人の心を潰し、健全な空気感が生まれることを完全阻止するために、夜行性の次元から人間の脳に入り込む。猫やコウモリが、その姿を笑う。

 人間は、元来、不安も怖れも無くありのままに生き、それがその意識もなく人のためとなって、互いは、あたり前に支え合い、生かし合う。しかし、その普通は、太陽の光を力に、自然体で生命を生きる人間の姿。世の無生命化を望む夜行性の次元に、それは無い。

 夜行性動物を生み出した、非地球の存在の意思は、不安を力に向かう姿勢を強め、怖れを溜め込んだ分、その反動として勢い良く動き、頑張る感情を彼らに植え付ける。それは、凶暴さと恐怖心をひとつにしたような、獣的な本性(性分)。後に姿を見せた、それと質を同じくする人間は、(夜行性を基とする)封建的構造の強弱を上手く操りつつ、恐怖心からなる生を基本とする、心無い人間のための世を生み出していく。

 動物の中では、猪がその性質を際立たせる。そうである荒々しい感情も、その分強烈な怖れを持ち合わせているということ。彼らは、当然それを知らない。そこには、夜行性独特の個性が備わり、腐敗型の方向性を堅固にするためのある物質も、そこで仕事をする。

 

7.「直感」は、違和感となるべく対象の幅を増やし、それらをまとめて面倒見るというその余裕の中での何でもない原因の動きが、それをさらりと形にする。感情も感覚も、人間の次元には留まらずに自由で居て、動植物たちのそれ(意思)がそこに入り込むようにして、その生命としての直感の時は自然に創られる。

 経験枠や期間限定の価値観の中に居ては、永遠に直感は経験できない。その本質が夜行性である人間の世界にも、それは無い。直感には、普通感覚で大切にされる、そのための原因の成長が在り、猫や蛇、カラスと融合する空間には、それとは対極の、停滞と退化の原因が在る。その変化とは無縁の次元で、心無い人間たちは、優しさや思いやりと同じように、直感を、心ある振りの道具に使う。

 彼らが、素朴で柔らかな人たちのその心ある感性を潰すために、狡賢く、巧妙に仕掛けたのが、肉食である。豚は、元々は猪。肉食の風景を安定させるために生み出された豚の、その本質は猪と同じで、凶暴さも怖れも受け継いでいる。その感情を固定させるための物質(ルビジウム73)もそこに在り、普通の人は、それを摂ることで、猪の本性のその原因を(ルビジウム7880)として)体内に溜め込むことになる。そのことによる影響は、恐ろしさの一言である。

 秘めた非人間性を隠すために嘘(の原因)を生きる人間には、肉食は、そのための格好の材料となる。しかし、共に生きる動植物たちと自然に融合しながら、生命本来を生きる普通の人には、それは強烈な痛手となる。

 猪の獰猛さ(凶悪・凶暴さ)と怯えの原因は、体の隅々にまで行き渡り、脳は、不安で一杯になる。その気もなく見た目や体裁ばかりを気にするようになり、それじゃいけないと思考を忙しくさせて、感情の起伏は大きくなる。いつのまにか、傍らからは、攻撃的で恐い人と思われる。

 肉食(豚肉)は、強力な獣的感情を備える猪との(細胞レベルからの)融合が、そこで為されていると思ってよい。それは、太陽の下で生きる人間には、とても辛い現実。本来あるべき実践を普通に、仕組まれた原因(作られた性質)を切り離して、生き直しをする。猪になることはない。

 

8.健康的で平和な原因を普通としていても、何かの拍子に感情が高ぶり(荒くなり)、いつもとは違う自分を経験する、素朴で普通の人たち。時にひょう変とも形容される状態に陥ってしまうその原因には、これまで書いてきている動物たちの影響の他、肉食が深くそれに絡んでいると考えて良い。猪(豚)を操ることなど、フクロウにはた易い。

 同居することで猫化する脳もあれば、肉食を通して猪化する脳もある。もちろんそれらは、無自覚の出来事で、その意識もなく人としての生は放棄される。そこに蛇絡みの価値観が加われば、心ある時空はどこまでも縁遠くなり、ムカデやコウモリにも好かれ、回虫とも仲良しになる。

 感覚的にそれらの原因に反応できれば、「直感」関わりのEWを楽しむ。フクロウやムカデ、猪繋がりで侵された地球本来の物質(テルル104、チタン44、ルビジウム74)を活かし、そこから、歪で非生命(非地球)的な粒子のその原因の影響力を処理する。単純なアプローチでも、いくつかの(無有日記の)フレーズを添えても、それなりに効く。「直感」の時からは、右手にも活躍してもらう。

 食の風景における豚肉のその活用は、とても幅広く、細部に渡る。その理由は、猪(豚)の感情とその執念。それなりの知能を持つ夜行性動物の本性は、想像以上に強烈で、その災いの原因は、体全体に浸透する。そしてそれは、食材には欠かせない味(うま味)へとその姿を変え、蛇系の人間の世界で重宝される。そのことを通して濃度を高める脳の猪化は、不安定な世を安定させる貴重な材料となる。

 岩塩があれば、他は何も要らない程、体が嬉しい素材(食材)は活き、細胞たちも、滑らかに、健康・健全の原因を変化に乗せる。心身に染み込んだままの不要な原因も、彼らは浄化してくれる。そのことを大いに活かす。無有日記の原因との融合をベースに、岩塩との付き合いを活発化させる。

 地球に住む生命たちは皆、太陽の光に生かされ、地球に支えられて生きる。当然、人間もそう。そこでの生命力の源は、地球が安心する、水と空気と、地中(地球)からの植物。その生の基本を、普通に大切にする。そして、「直感」の後に続く風景を、共に楽しむ。by 無有 4/17 2019

 

 

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