普通の風景

 

1.人間の脳を操る存在は、時に粒子であり、磁気であって、無数・無限の能力表現を多次元的に行使しながら、好き勝手に人間を遊ぶ。それぐらいだから、その姿を形容することは、限り無く難しい。

 しかし、その存在の意のままに、脳を動かし、言葉や文字を生み出して来た、人間。物や形の性質などによって、それに当てた(それを対象とした)言葉はいくらでも存在するが、その中に、何気にその存在が反応し、そう呼ばれることで、何らかの反発・反動のようなものが生じる言葉が在るのでは、と勝手に想像する。

 人間を通して、繰り返し使われ、仕事をして来た、言葉。その間、そこには、ある種の同一の感覚・感触を抱かせたり、明確な描写の材料として活かされたりする言葉が生まれ、それを共通認識の道具に、人は会話や文字による表現の場を設ける。そんな中に、脳の操り手が、図らずも自らの性質を反映させてしまった言葉が在ると、勝手に想像する。

 

 すると、他とは大きく異なる感覚とそれへの違和感が、質を違えながらもその次元を高め、次第に脳の中の磁気次元を遡って行ける程の原因が動き出す。そして、それは姿を見せる。その言葉は、菌。菌という言葉を原因に、行ける場所が、どこまでも広がる。

 反発は強く、攻撃は凄まじい。ところが、図星状態というのは、当人にとっては、それだけで不充分さをつくり出す。その度に通るべきところを通り、処理すべきところは、確実に処理する。菌という言葉への嫌がり度は、思いの外強烈であるため、そこに居ることで可能となることが、次々と形になる。多次元的世界の至るところに触れ得る道として、菌が、その気も無く、その案内役を担う。

 

 

2.脳の中に、脳は無く、肝臓や腎臓の中にも、それらは無い。在るのは、菌。様々な物質がそこには在っても、その物質自体が菌の個性ある姿であり、それを菌が動かす。脳神経細胞の活動は、脳内の専属のようにしてそこに住み着く菌たちの、その増殖活動のこと。体内のどの器官も組織も、それぞれのその特性が活かされた菌によって支配され、脳と小腸のそれは、その磁気活動を強力に、細胞レベルでの電気を操る。

 体内の菌は、体内特有の磁気の仕事をしながら、人間としての生命活動の、その本質となる役を担う。物質の結合の際にも、菌はきめ細かくそれに関わり、それぞれの磁気が、同質・同類の次元を楽しみながらつくり出す。そんな菌でも、彼らは、太陽の光(磁気)を恐れる。それと同次の、無有日記からの光無き光に反応する余り、菌は、人間に、光に仕事をさせない暗い(黒い)装いを持たせる。静磁気状態が安定する黒は、人間を動かす菌(磁気)にとって、安心できる色。操られるまま夜行性化(獣化)を強める人間は、黒の割合を増やしたファッションで、その非人間的本質を顕にする。

 

 菌(という粒子の磁気)が脳内で動くと、電気が生まれ、それによって、人間の身体は動くことが出来る。菌の粒子は全て、陽子13(電子9)絡み。中性子を違えた数多くのその原因(意思)が活動的に仕事(脳活動)をすることで、人間は、人間でいられる。それらはまた、それぞれ特有の性質や方向性を生み出す。

 記憶や知識が電気を生み出す静磁気の材料であることを考えれば、思考も感情も、菌の好き勝手な働きと言える。人と人との間の問題(特に男女間のこと)も、磁気で遊ぶ菌の、操り人間状態。人間は、菌の所有物として在り、その様を用意してくれた存在のおかげで、彼らは、自分たちの住みやすい世を、人間としてつくり出していく。

 

 

3.菌からすれば、人間を使って遊べるだけ遊ぶ…それだけ。情や思考を忙しくさせても、その後何事も無かったように出来るのは、人間ではなく、菌だから。食べていれば満足なのも、暗い服(黒い物)を好むのもそう。脳を操る菌が、人間の姿をして歩いている。

 何かを見てステキやキレイだと思う時、そこには、その対象物主導の菌の働きかけが在り、人は目を通して、自らの菌をそれに呼応させているという事実が在る。好印象や強い刺激などを生み出す物を利用した菌によって、簡単にその(磁気の)影響下に収まってしまう、人間。人や物に対する好感の殆どが、脳内で磁気を操る菌の、電気仕掛けの仕業と考えて良い(恋愛の類もそうである)。

 

 菌の遊び道具として、彼らの思い通りの人間の世がつくり出される、菌の世界。目や耳は、元々そんなものは無くても全く構わない彼らに、人間を楽しむためのその材料となって使われる。だから、嘘の(電気のみで生きる)人間は、都合よく(身勝手に)見たくないものは見ず、聞きたくないことは聞かない。菌は、磁気を力に、貪欲な電気活動を繰り広げ、狡賢さ(計算高さ)や凶悪さなども、蛇や猫絡みの人間の中で磨きをかける。

 自分の欲のために食指が動く時にだけ、身体が活動的になる、菌と同一化した夜行性人間。菌は、欲を満たすためのそのプロセスの中に常に居て、それ以外は平気で無視する。そうである人間は、人としての基本的なことまで、欲のために退ける。

 そして、そうであり続けられるようにと、その次元の人間は、菌との連繋を密に、優遇される立場や勝手が通用する場所を手にする。菌の思惑通りに動く人間は、妙な力で欲深さを正当化しつつ、菌を生きる。

 

 

4.目は持たず、感覚も感情も無い、菌。欲を満たせるかどうかの判断のみで動く、菌。そんな菌が身体を支配しているわけだから、感性の無さも責任感覚の未熟さも、当然と言えば当然のこと。菌も、それそのものの人間も、人間にしか分からない無有日記を嫌う(恐れる)。

 あることに満足すると、それでそれは終わり、元に戻って次なる欲を具体化しようと、動き出す。大小いろいろな欲がそこでは入れ替わり、人は、不満足と満足の間を行き来する。それが菌の人間版。欲は、人間の本質・本能ではなく、単なる、菌の歪な特性である。

 空間も、菌によって支配される。その全ては、自分たち菌仕様。そこに相応しくないもの(人、形、価値観etc.)があれば、共鳴感の違いから瞬時にそれを感じ取り、その全てを攻撃(破壊、押さえ込み)の対象とする。中性子を違える139)が多次元的に無限に在ることで、空間そのものが自分たちの住み処となり、人間は皆、その中で弄ばれる。

 

 支配された人間から見れば、何も分からない中で、人間的に決められたそこでの価値基準を基に、正しいとされることを、正しさとして生きる。それを人は、人間の然るべき道と考える。

 支配する菌から見れば、その何もかもが自分たちの操作によるものなので、何が有っても無くても、その全ては欲のための材料。生きることの質など、端っからどうでも良い。

 人間がどこまで行っても本当の人間を生きることのないよう、菌は、人間を支配する。であるから、その菌から見た人間世界を通して、菌の姿を見る。それは、唯一の、人間の変化への道筋。

 

 脳内の菌には、他の部分とは大きく違った性質(次元)を備える場所が在り、それが、神経同士を結び付ける、神経間での伝達の仕事を担う粒子(磁気)である。陽子は、他と同じ13であるが、電子は3で、形あるところでは、脳の中での仕事において、それは活発に活動する。(無数に在る)異なる中性子数のそれによって、内容や関わるところを違え、それは行われる。夜行性人間の脳活動に仕組まれたその粒子(菌)を以て、人間は、同質・同次の時空を過ごし得るよう、それを通して操られる(地磁気で生きる生命体の脳は、それを不要とする)。

 

 

5.立場上の義務感から、その振りはするが、人の話は、基本的には聞かない。人間の姿をした菌は、自分が得することや他人の問題事など、欲を満たすための話には快く耳を傾ける。

 

 脳内の菌は、人間を面白く遊ぶために、知識や情報をいくらでも溜める。覚えたことは全て電気を起こす材料となり、優越や差別といった、菌が嬉しい状態にそれは活かされる。覚えるために覚える(読むために読む)スタイルを繰り返せる脳は、菌による製品の一つである。

 

 菌は、感覚が無いので、傷を負うこともない。他人を操る菌とは喜んで争い、それで大変なことになっても、直ぐにそれを忘れる。菌からすれば、人間的な力の差などどうでもよく、ただ他の菌との絡みの処理と住み分けをしつつ、せっかく手にした人間を使って、遊び呆けるだけ。

 

 見聞を広めることも、経験を積むことも、自らを増やせば遊び方も豊富に出来る菌の、脳内での電気事業。みんなでそうであるよう、それらへの価値概念を人間に固めさせ、その中で、楽しい時を生きる。何を知っても、誰に会っても、そこへと向かえば何も(質は)変わらず電気だけが動くことを、彼らは活かす。

 

 中でも、人と人とが、知っていることや経験していることをただそのために(話すために)話す時、その人の中ではすでにそれらが居着いていた分、電気圧は強い。それで盛り上がりや興奮状態がつくり出されれば、脳内では、色鮮やかな電気が生まれて、菌の満足と共に、目まで輝く。

 

 脳内の菌密度が濃い人は、その(理由となる)怯えから、人より上で居ようと、威厳たっぷりに(偉そうに)話す。意欲的で自信あり気な話し振りも、人間を自らの満足に上手く活かせなかった菌の、その記憶から。菌の戯れとしてある形ばかりの話も、要らない怖れと焦りを退けようと、支配された人間は妙に熱くなる。

 

 話さなくても分かり合える関係性を決して認めない、話さなければ何も分からない人間しか扱えない菌。言葉が大切にされる世は、彼らが生きやすいようにと、感性の無い人間につくらせる。ネット環境もそう。自然と伝わるもの(人としての原因)の無い菌所有の人間によって、文字や言葉だけが、そこでは仕事をする。

 

 話すと、自ずと動き出す、菌に支配された磁気発の電気。過去の記憶がそこで使われれば、菌も忙しくかけ回り、嬉しさも増大する。彼らが嫌なのは、話そうとはしない話。用意されず、どこにも向かわない、電磁気不要の話。その記憶に残りにくい本当の話には、電気は近づけない。

 

 誰かの何かの話や、人や世の不自然・不安定の話は、その原因を処理し得る人の、その何気ない姿勢の中でのみ許される。それ以外は全て、菌の趣味によるもの。それは、永遠にNG。菌の欲求のままに話をする人は、話し声も笑い声も、人間のそれではない菌である。

 

 

6.外胚葉による侵食が無ければ、人間の生は、菌の支配からも縁遠かった。外胚葉は、菌の磁気活動を支える、133)。菌は、外胚葉の次元で、すでにその基礎づくりを済ませる。

 菌の自由表現をけん制するには、形無き次元に収まる外胚葉の、その原因への対処が必須となる。「生命の素顔」でも触れた、胚の世界。元来無くてもいい菌による操作を外すために、人間本来が大きく崩された時の、その(理由となる)外胚葉の動きを、多次元的に浄化する。外胚葉時の菌の、その身体経験への影響力を、真の人間経験のために外す。

 外胚葉が無ければ、全く違っていた、人間。細胞膜を不要としていたかつての人間経験は、そのまま地球。外胚葉を通して生み出された細胞内の様(細胞質、ミトコンドリアetc.)は、電気仕様の人間を操るためにそこに用意された、菌の分身。菌は、外胚葉の時から、好き放題である。

 

 外胚葉の菌を処理できれば、時間も空間も、地球と繋がる地磁気のそれとなって、その流れと重なりは、自由になる。つくられた時間の中でしか生きられないつくり物の嘘の人間は、菌の操作が不安定になるそのあり得なさの中で、活動が鈍くなる。脳内における伝達物質のその元となる粒子と同次の(外胚葉の菌の)原因が焦ると、生命世界の自浄力も、地球が嬉しいそれとなる。

 真の人間を都合よくコピーしてつくり上げた、その歪な人間の中で活躍する、生の原因となる外胚葉。それは、全てが嘘であることを意味し、その嘘を基とする人間を通して世を電気漬けにするために、菌は喜んでその仕事をする。生殖も生命誕生も、外胚葉の意のままとなる、夜行性色。そのどこにも無い、地球と共に生きる、生命本来。外胚葉内の菌への働きかけを通して、人間を、人間にする。

 外胚葉という、次元の異なる場所での菌の働き。姿は無くても、それは、人間の原因の中に多次元的に存在し、人間経験の基礎として、在り続ける。それを変えるということ。それは、姿を無くされた生命たち(真の人間)の復活、再生を、現実のものにするということ。内胚葉だけだった時の原因をここに、菌の世界から離れる。

 

 真の人間には、胆のうという、身体の組成全般のその真を記憶する器官が在り、いつか使われることがあるであろうその時のために、それは、繋がる次元を違えずに、かろうじて在るべき姿を維持し続ける。それをAl漬けにして、単なる静電気の材料としてその本当の部分を完全に力無くさせたのが、数万年前からの嘘の人間であり、当然、彼らにとっては、それは無くてもいいものとしか扱われない。外胚葉に侵されながらも、どうにか居場所を保ち得た、胆のう。菌の意思世界に触れ出したことで、彼は、満を持して、準備運動をし始める。

 人間の胆のうは、133)に押さえ込まれ、夜行性人間(肉食哺乳類)は、外胚葉と同次のそれで活力を手にしながら、139)を好きなように利用して遊ぶ。菌に活かされ、菌を支える、振りだけの人間を生きる、形ばかりの人間(物)。胆のう本来1312)が動き出すと、そこを通る地球発の原因によって、生命(人間)世界の再編のような新たな時が、形を生み出す形無き世界で、先に始まる。

 

 

7.肉食哺乳類を生み出すためのその格好の手段として使われた、外胚葉という、133)絡みの菌による仕事。草食哺乳類は、菌の支配下に居ながらも、外胚葉のそれとは融合せず、内胚葉のみの生を生きる。彼らが闘う意思を持たないのは、そのため。友愛と調和を普通とする風景は、内胚葉の動物たちのその生の原因が、そのまま形になったものである。

 肉食哺乳類として生きる現在の人間は皆、外胚葉の動物である。それは、生殖の原因(精子、卵子)からすでに外胚葉のそれとして在り、その菌が、異なる次元から全てを操作する。それは、つくられた人間たちの本質。かつての経験を知る1万数千人の人間だけが、内胚葉の原因を内に秘める。

 

 内胚葉は、地磁気と繋がり、外胚葉は、非地球の双磁極の次元に支えられる。内胚葉だけの動物たちで営まれていた、遥か昔の地上世界。そこに生命体関わりの菌は無く、後に肉食の哺乳類が現れた時に(およそ26千万年前)、外胚葉を操る菌は姿を見せる。菌は、破壊と支配の原因をそのままその生態(の基本)に備えた肉食動物を増やし、地磁気と融合する動物を姿無くさせていく。

 そのことを知れば、普通に理解できること。それは、肉食哺乳類として生きる現在の人間の姿を、そのままには出来ないということ。その姿は、非地球の生態を現しているゆえ、それを大きく修正して、草食哺乳類たちの安心の時を共に生きるぐらいでないと、人間は、その存在自体が地球にとって災いの元になってしまうということ。

 外胚葉の菌は、身体の次元を超えたところに普通に在り、内胚葉の動きを押さえつつ、地磁気の弱化を計る。肉食であり、夜行性であれば、その生の原因全てが外胚葉の菌に活かされ、何をしても、どこに行っても、菌の意思表現として、それはそこに在る。人間は、肉食を普通に無くすことで、人としての生き直しの時を経験する。

 

 

8.外胚葉の元となる、動物極という磁気。生命世界の裏側で、それは変化の原因を非地球的仕様のそれに変え、動物たちの混乱と争いを演出する。地磁気を力無くさせ、地球の自由を封じるそのために、生命体全般を操る動物極。外胚葉は、その支配下に在り、人間も、動物極の言いなりである。

 その動物極にも菌は在り、超強力な磁気の力を普通に、生命世界の質とその動向を、見張るようにしてそれは支え続ける。であるが、元々は、自ら存在し得る術を持たず、全てコピーのようなもの。地磁気と樹木と太陽によって初めて草食の動物(哺乳類)が誕生する時の、その核となる磁気(植物極)を押し潰そうとするその意思の具現として、それは現れる。その時から始まる、永い生命の歴史。動物極の菌は、地上世界の生命体関わりの主として、形無き次元の特等席で在り続ける。

 

 夜行性動物の、その歪な生の原因の後ろ盾のようにして多次元的に存在する、動物極。3万年程前の嘘の人間誕生時から、人間は皆、当然のようにして、動物極との繋がりを密とし、行動や食の基本を夜行性のそれとしながら、その菌と共に、非生命的現実を自分たちらしく生きる。その存在たちには無い、植物極そのものとなる原因を生きていた、かつての人間。その記憶を持つ生命たちのここでの人間経験は、どこにも無い重要なものとして、未来のための仕事をし続ける。

 そうはさせまいとする、動物極の菌。人間経験の形無き土台として在るそれは、外胚葉の次元を通って、脳内の菌を操り、内胚葉(植物極)の原因が動き出すことのないよう、地球にとってはこの上無い悲しみとなる、無生命化の光(LED)を人間につくらせる。樹木の生命力を簡単に奪うそれは、内胚葉にとって、完全消滅へと向かわされる危機的原因となる。

 LED照明の危うさを全く感じないというのは、生命世界を非地球のそれとする動物極の、その材料として存在しているということ。人間の姿をしていても、目、耳、鼻、そして脳全体が、地磁気を嫌う菌の遊び道具として在るということ。この現代、LED照明と肉食が合わされば、それは地球には存在してはならない非生命(非人間)の極みであるゆえ、それを無しに、人間として、人間を生きる。

 

 

9.人間の(脳内の)菌は、居る場所や縁する風景の中に在る菌と呼応しながら、自由に動き回る。それゆえ、そこでは、その同一空間でのそれぞれのその原因が主となる変化が、動物極の次元に支えられて様々に起きることになる。

 動物極の菌がいつも通りの状態ではいられなくなる時、それによる変化は、多次元的となる。外胚葉という生命世界との繋がりの部分が、動物極の次元では不自然となるため、無意識・無自覚での変化が主となって、事は動く。

 真の変化というのは、期間及び地域限定の枠を余裕で超え、同じところに戻ることのないそれとして、普通に時を変え、空間を動かす。それは、動物極の菌が、地磁気と太陽の磁気に浄化されることで生まれる、地球が嬉しい変化。この「普通の風景」で、それはそうとも分からず進行し、内胚葉での生を生きていた人間たちのその原因(生命の意思)も、内側から元気になる。そして、人間世界は変わる。

 動物極は、草食動物たちにとって、無くてもいい負の経験の原因。哺乳類たちは、それ繋がりの肉食動物によって自由を押さえ込まれ、生命を弄ばれる。それがそのままではいつになっても何も変わらない、地球自然界。それが、ふといつのまにか、そうであることは誰も分からないぐらいのその中で、変わり出す。菌の次元への対処は、磁気世界を突き抜けての変化(浄化)を可能とする、地球の望み。生命たちの人間経験は、人間世界を、一生命としての本来のそれへと変えていく。動物極をつくり出す次元の意思(磁気を支配する磁気の無い世界)も、動かざるを得なくなる。by 無有 10/05 2021

 

 

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