復活(4)

 

1.この地球における生命誕生の時期をテーマとする時、微生物を生命として捉えれば、それは30億年程前となる。そして彼らの力により、本格的な形ある生き物(植物)として生命が登場し出したのは、およそ5億数千万年前。動物は、その1億年程後の、47600万年前となる。人間の原型のような存在は、およそ23300万年前に誕生する。

 それらへの形ある根拠は無い。しかし、そうである現実のその原因には、容易に触れることが出来る。この地球に居れば、これまでの、そこでのどの時の原因もここに繋がるという、生命世界のシンプルな真実。自由に時空を透過する原因の世界(次元)では、時の流れは伸縮自在である。かつての出来事(から)ではなく、そこでの原因の変異・変化から、それに反映される出来事は手に取るように把握される。そこには、研究や分析といった、結果からなる思考型の次元は近づけない。

 

2.微生物は、中庸そのもの。その働きが酷く影響される時でも、それに逆らわず、新たな流れで、中庸を生きる。消失を経験しても、決してその元となる原因が無くなることはなく、増大を重ねても、必要となれば一瞬で姿を消す。微生物は、地球と共に、地球感覚の本質をそのまま生きる。

 地球の核からのその生命の意思(エネルギー)が、地表という次元で形となった、微生物。およそ6億年近く前、彼らは、水と光と空気と遊び、数千万年という永い時をかけて、土をつくる。そして、土に住み、土の中で、個性豊かに(土質に合わせて)自らを多種・多様化させていく。

 土の中で生きる微生物たちは、遊び心全開に、自分たちの可能性を楽しみ、地球内部からの生命力のその繋ぎ手となる役(仕事)を次々と拡大させる。太陽の光を活かし、水を利用して、土の外へと、生の活動を発展させていく。

 5億数千万年程前、彼らは、植物の姿を生み出し、その生育と土に還る時のその全ての変化に対処しつつ、それを繰り返し再生し得る流れをつくる。それぞれの環境からなる彼らの個性は、それぞれに形の異なる植物を次々とつくり、それは、どこまでも広がっていく。

 植物が誕生し、地上の風景はそれまでとは変わり、微生物も増える。元気に育ち、元気に枯れる植物のその姿を通して、土の中の世界も変化を見せ、彼らの能力も力を付ける。植物を生み出し、植物になった微生物は、空気中の元気を普通に、自由に交流し、太陽と遊ぶ。彼らの日常は、健康的に更新されていく。

 

3.植物の生のサイクルのその隅々にまで関わり、自らもそれとなって、他との融合を重ねつつ、変化・成長の原因でい続ける微生物。いつしか、その植物の営みの中に、自分たちの何気ない表現の進化(という名の普通)の形として、微小な虫が誕生する。

 虫たちは、微生物の分身のような役を担い、その変化の時を楽しむ。植物の生育の可能性を高め、共に土を活かし、植物の生の環境に自らのそれを重ねて、自然界という次元のその基本の中に居場所を確保する。虫の中でも微生物は普通に生き、それまでの活動の範囲を広げ、それを更なる普通へと馴染ませる。彼らは、見る見るその生の多次元化を実現させていく。

 地球全体の凍結が崩れて、溶け出したことを機に、その生命活動を活発化させた微生物であるが、それを阻もうとする天体規模の負の意思による働きかけは強力で、それにより、その動きは大きく鈍る。そして後に、磁極がズレる程の変動が生まれるその時(52800万年程前)、地上には、それまで地球のどこにも無かった腐敗型の微生物が(その負の影響により)生まれてしまうことになる。

 元気に枯れ、その生命力を次に繋ぐことを普通としていた植物は、要らぬ負荷を覚えながらも、それまでの生のサイクルを保とうとするのだが、腐敗型の微生物の出現により、その自覚もなく衰え、朽ちるという経験をするようになる。そこに在る生命の意思の性質(次元)に合わせようとする微生物は、破壊と停滞の力に付き合わされることになり、無くてもいいはずの腐敗という次元を手にしてしまう。

 

4.元来、この地球には、腐るという世界は存在せず、停滞も衝突も、そこでは全てが無縁となる。どんな生命も(動物も人間も)、元気に生き、元気に枯れ、ただその時々の状態の変化が、そこには在るだけ。衰えとか、老化とかの次元を、生命は知らない。

 それは、地球の意思の形である、全ての生命活動に関わる微生物が、地球のためとなる手と足の役を何十億年も担い続けて来ているから。その意思は、健康・健全でいる、生命力の源泉。不健康とか非生命的とかの世界は、元々この地球のどこにも無い。

 であるはずなのだが、一度も出会したことの無い物質が在れば、微生物は、その影響をそのまま受け、その性質へと姿を変えてしまう。全てを受容する中での必要性として、そこに在る物質のその原因と重なり、その活動の力となる。不健全な生の営みのその姿を放って置くことは出来ず、それまで無かったことでも、そうである事実に、彼らは反応する。

 平和と健康だけの生命の意思の形である微生物は、争いの意思に出会せば、争うことを知らないゆえに、その影響を受け、不健康な原因に触れれば、澄んだ空気に重苦しい粒子が入り込むように、その健康は力が無くなる。それでも基本は、全てを生かす中庸。それは、生命としての変化を普通とする、地球の意思。腐敗型の性質を帯びても、それが本来ではないことは知っている。停滞を余儀なくされても、そのままでいることは良しとはしない。

 それらの全てが一度も経験の無かったことであるゆえに、それが新たな経験となってしまっているだけの、微生物の世界。それを本来へと変えるために、更なる知恵と実践を普通とする。地球の意思をより力強く具現化する原因でいて、彼らから、無くてもいい経験を外す。それが、この無有日記を通る。

 

5.植物本来の生が乱れ出し、土の中での微生物たちの活力にも影響が及び出した時、それをそのままにはしない彼らの本能は、土に縛られずに地上を自由に動き回る新たな生命の存在を生み出そうと動き出す。停滞感を帯びた植物関わりのそれまでの環境が、それによって刺激され、浄化されて、腐敗の原因の入り込んだ生命たちのその空間も次第に自然なものになるという、次なる変化の流れを、地球の意思と重ね合う。

 その試みは非情に厳しく、困難を極めるものであるが、地球の中心が揺さ振られる程の異変が地球の外で生まれたことによる、そこでの磁極の移動によって、幸運にも、その動きは加速する。地球が海中心になったことで、無生命化の負の影響を地上のようには被ってない海の、そこでの生命たちが、その新たな試みに参加する。地球の生命力のその原因の力も、海の中で、それまでになく活動的になる。

 微生物は、どこで、どんな風でも、それぞれは地球の意思の上で呼応し合い、自然界での調和と変化を基本に、その動きを連動させる。海と陸とではその環境が大きく違っても、そのことに、全く支障は無い。新たな必要性が地球規模のその環境の中で生まれたことにより、海の微生物たちは、陸へと向く。そこに、海の生命たちを連れて行く。

 およそ47600万年前、各地で、動物の元祖的存在たちが、次々と陸に姿を見せる。海での生活が固定されても、そうでなくても、皆が一斉に、自分たちの基となる微生物たちの動き(方向性)に合わせ、その変化を楽しむ。そこに不安や大変さは無い。ただそうであり、そうであろうとする経験が、彼らの中に在るだけ。その変化の様は、活発化する地球生命体の意思に支えられ、面白いくらいの種類と数を増やし、成長し、地上の世界を元気にする。

 

6.動物たちの自由意思は、決して地球の望みから外れず、植物を取り込み、生命を繋ぎ、そして土に還るというその生のサイクルは、例外を作らずどこまでも自然に広がり、健康的に伝わっていく。植物たちもそれに応えようと、生きる力を付け、食べてもらうことで果たせる自らの分と、土の中での元気な営みを、皆で楽しむ。動物たちの生命力の安定とその変化は、腐敗・停滞の原因に力を出させず、少しでもそこに在れば、微生物たちの力と共に、それを浄化する。自然界は、動物たちの活動により、その本来を普通としていく。

 それに危機感のようなものを覚えた非生命的な破壊の意思は、それではとばかり悪知恵を働かせ、ある地域のある限定された場所の植物たちばかりを重点的に病ませ、それを食べてしまった(食べざるを得ない)動物の本能に負荷をかけて、その脳を不自由にさせていく。腐敗型の停滞と破壊の原因を染み込まされたそれらの植物を通して、少しずつ、確実にその姿を変えていく動物が現れ、不穏という、自然界には最も相応しくない空気感が生まれていく。

 そして、その影響は広がり、その負の密度も増して、動物たちの世界に、快活に動かず、他と戯れ自由に走り回ることもしないで、ダラダラと停滞を地で行くような、あり得ない生き物が現れる。それらと共に居る微生物も、その性質(原因)に染まり、彼らの生態に付き合う。それは、どこまでもそうであって欲しくはなかった、不健康な現実。

 そこから、恐ろしく信じ難いことが生じる。それは、ケガをして、休息を取りながら静かに回復を待つ動物や、睡眠中の動物を、別な動物が襲い、食べてしまうというもの。脳の働きを不自然にさせる、変異を起こした植物は、動物の本来の動きを鈍らせ、その活動源に凶暴さを組み入れて(備えさせて)、動物食(肉食)へとそれらを変えていく。そのことで、自然界は、どうにもならない負の原因を固めることになる。

 (地球規模の変動により)地球内部からの生命活動の原因の働きが盛んになったことで、恐竜と呼ばれる巨大動物に成長する動物も出てくる(およそ44500万年前)。彼らの中に現れた肉食動物は、微生物たちにとって、最も厄介な経験となる。

 

7.肉食動物が誕生し、その営みが普通となって数も増えていくと、なぜそれが生じたかのその原因となる事実は遠くに消え去り、そうである彼らのその姿がそのまま事実として連ねられることになる。そして、初めからそうであったかのように、その上での生命たちの自然な様がそこには在り、事の本質と自然界本来の望みはその姿を無くす。

 生命世界において生じる全ては、そこでの変化の形であるが、肉食動物の存在は、その質を酷く低下させ、そこに潜む歪な原因は、地球自然界のそれまでの普通を異常なものにしていく。植物を通して地球からの生命力を摂らずに生きること自体、自然界には有ってはならず、そのために土に還らない(還れない)その負の連鎖は、地上の健全さを侵し、地球の意思と繋がる土(地中)を腐敗へと変えていく。微生物の世界も、不自然で、動きの無い不穏な(腐敗型の)原因が力を持たざるを得なくなる。

 地球を完全無生命化させようとした意思は、地球の、他には無いその強力な自浄力を前に、それまでの方向性を変換させ、地球と共に生きる微生物の意思をねじ曲げ、それを操ることで、地表全て(の次元)を力無くさせる動きを取る。滞りと衝突の原因そのものの、他の動物を食べるというそこでの生態は、廻り回って地球の息吹を不自由にし、その姿(活動)を不安定にさせる力へと発展する。支配と破壊を愉しむこと以外何も無いその意思は、そうである(自らの)原因の中の恐怖と狡猾を肉食動物の行動に重ねて、微生物の次元を停滞させ、地上を重苦しく、不健康な性質で蔓延させていく。

 

8.人間は、地球の、その放っては置けない不自然な在り様をどうにかするために誕生する。どんなことがあっても、それをそのままにはしない原因で、その流れを僅かでも変え、どんなに時間がかかっても、その全てを本来にするそのために、人間は地上に姿を見せる。

 微生物の力を借りずに具現化される人間という存在の、そこでの生命の意思は、付き添う微生物が、どんな時でも余裕で本来でい続ける(い続けられる)という次元の原因を備え、その基本能力が表現される中で、それは、腐敗・停滞型の微生物を元の(甦生・再生型の)性質へと変換させてしまう程の力を普通とする。植物でも動物でもない次元のその表現力は、何もせずに何かをし得る原因の自然な形であるゆえ、衝突も争いも(不調も滞りも)一切ない中で、それは時を変える力となる。

 やむ無く力を失くした微生物たちと、厳しい中でも普通を守り続ける生命本来の動植物たちは、人間の誕生にこの上ない喜びを覚える。地球も、生命力の原因を人間たちと重ね、共に、その回転(躍動)を力強くする。

 人間は、およそ23300万年前に、この地球に誕生する。そこには、太陽の光の無限の能力と、全てを生かす生命源からなる意思が加わっているため、その経緯は実に不可思議なもので、現代の人間の(思考の)次元には永遠に触れることはない。そして、それ以降は、その最初の出来事が不要となるため、誰もその次元には入れず、後の人間が(現代人の全てを含め)それを知ることは無い。

 そんな風にして、数千の人間(の原型のような存在)が姿を見せる。本人たちも、その手前の状態を知らず、気づけば人間時間が始まり、人間としての生が動き出す。それは、ある時の、自然界に存在する(存在し得た)ある物を通り抜けるようにして、その空間に、人間という形が生まれる。

 彼ら人間のその本質となる部分と、生命としての身体表現の姿には、「再生」を通して、ある程度触れることが出来る。彼らの存在の意思は、地球の望みそのもの。ただそのままで居て、時を変え、空間を癒す。それは、地球の貴い財産。

 そして、そこに在る、何億年もかけて大きく本来からかけ離れてしまった、地球自然界の生命たちの姿。太陽時間の中での地球という時の流れに乗った、彼らの人間時間は、現在も続行中である。地球にとって要らない原因を処理(浄化)しつつ、新たな原因のその確かさを成長させる彼らは、これまでの経験の原因全てを活かし、地球らしさの道づくりを実践する。何千万年も経っても、これからもずっとその姿は変わらず、地球自然界と、生命たちを、本来の世界へと案内し続ける。by 無有 11/04 2018

 

 

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