復活(5)

 

1.「再生」から「復活」へと、時空超えの列車を乗り継ぐようにして辿り着いた、この「復活(5)」。人としての経験枠の中に在る思考の質の、そのあるべき姿への変化は、「人間」や「仏陀の心」「太陽の音楽」に任せ、ここでは、人間時間を余裕で眺める次元からの発想を楽しむ。そして、そこに在る、地球にとっての再スタートの時に、この地球に生きる一生命として参加する。それは、これまで一度も無かったこと。ここに無有日記が存在することのその意味が、新たな経験創造の時へといざなう。遊び心を普通に、子供心そのものになる。

 10億年以上も厳しさを強いられ(受容させられ)、大変な中に居て、今もそうである地球。そのことを冥王星や火星などの他の惑星の異変と、その影響などを絡めて、EWを重ねつつ書いてきているが、この地球が、他と違ってどうにか持ちこたえて来たことを考えれば、この地球から発信する地球感覚の(地球そのものの)原因によって、天体規模の望むべく変化が生まれるであろうこと(可能性)を感じ取れる。

 地球のために出来ることを考える低次の世界を遠くに、ただ地球が嬉しい自然体の自分を普通に生きる。自分の内なる原因(心の性質)と同じような人がたくさん居れば地球は直ぐにでも変わる、そんな自分を生きる。そして、地球になる。

 

2.地球を大切に思う時、人は、地球の気持ちになる。そして、彼が何より感じて欲しいことを共に感じるそのことの大切さを思う。それは、地球に生きている人間の普通。

 地球は、かつて共に過ごした月が、生きる力を失くし、自ら回り続けることを止めてしまったその姿を記憶に残す。それは、地球にとって、最も辛く、悲しい出来事。そのことを感じてみる。

 出来る、出来ないの次元を離れ、それで何が生まれるのかという思考も外し、ただそれを感じてみる。一度もそんなことを考えることもなかったこれまでの経験全てから、そのことは、これからの経験を自由にする。そして、経験が変わる。

 新たなその経験は、気づけば思考が柔らかになる時を引き寄せ、感情も、思うようにはならないその重石を外す。そして、余裕と安心が主導権を握る。地球の悲しみを思うという、それまでに無いそのあり得なさは、脳の中の記憶(の性質)を解放し、頭を使わず、(地球と繋がる生命本来の意思に)頭を使わせる原因の働きを馴染ませていく。

 そのことで、それまでとは異なる内なる世界を感じる自分が居る時、地球は嬉しい。地球の安心は、植物を中心に生命の原因が循環する、地球に生きる生き物たちと微生物たちとの自然な融合と変化。その自覚もなくそうである彼らの次元に人間が加わることは、地球の望み。地球のことを普通に思えるその姿は、そのまま、人間が生み出したこの地表での負の連鎖を決して次には繋ぐことのない原因となる。

 

3.そして、地球が何より嬉しいことを共に思う。それは、月が回ること。かつてのように月が元気に動き出すこと(かつては11時間10分程で自転していた)。人間がそれを思うというその姿に、地球は、予期せぬ感動を覚え、涙目になる。それ程嬉しい。記憶の中の辛い経験は、そのままで無くてもいいところへと引っ張ろうとする力を感じ、それだけでも充分な、安堵の時をそこで過ごす。

 何億年も、止まったままの月の存在を前提に時を連ねて来た、地球。それを動かそうとする発想自体、それは非常識となり、経験としても、どこのどの思考とも繋がり得ない。それだから良い。そのことで生み出される原因は、どこまでも自由。そのことの意義も影響も、一切無視される次元のものであるゆえ、その中で遊ぶ。どこにも無い性質の思考を時間と重ねる。

 月が回り出すことは、あり得ない現実だけど、月が止まったことも、あり得ない現実。地球も、どうしていいか分からない中に居る。しかし、どんなことも、始まりは、それまではどこにも無かった、あり得ない動きや発想から。現実は、それがどんなであれ、その元となる原因がそこには在る。その原因になってみる。この今の発想を、この地球発の新たな原因として、積み重ねていく。

 原因は、形が無いけど、その原因に見合った現実は、次なる時のその必要性の次元に付き合う。その必要性も、基は原因だから、それが地球(という次元)にとって大切なものであれば、必ずそこへと原因は動き出す。これまでを思えば、何百万、何千万年先でもいい。その始まりが、今、ここで確かな原因となれば、それで充分。形はずっと先でも、その時のための原因になれば、そこまでのこれからが違う。つまり、すでに月が回っている現実の、ずっと手前のその始まりの時を生きるということ。その今が、ここに在る。

 

4.月が自ら回り出すための準備運動が、数百万年先のその時に向けて始まった。どんなことがあっても決して本来を失うことの無かったこの地球からそれが動き出したことを、太陽は誇らしく思う。その無限の働きかけに、他の天体も刺激される。

 木星と土星は、その原因の力添えとなれるよう、自らの中心のその生命力(磁場)を少しでも高め、太陽に余裕を与える。火星は、お荷物にならないよう、余計なことはせず、ただじっとそのままで奇跡の時を待つ。

 かつて、他の天体に大きな負荷をかけてしまう立場をやむ無く引き受けさせられてしまった、火星。それに充分耐えていても、力を落とさざるを得なかった、木星と土星。そして、地球の辛い経験。月が動くためのその後方支援の立場でいる彼らのその真剣な姿に、金星の意識は変わる。その経験から、彼が覚える責任は、他よりもずっと大きい。

 結果的に地球に強大な影響を与えてしまった、金星。どうにもならない状況とはいえ、地球に無くてもいい経験をさせ、月が止まるその原因も、その多くが自らを通して作り出されてしまった。

 何億年も経った今でも止まったままのその姿は(かつては一周163回自転していた)、他に負の影響を及ぼす材料となり、地球が最も負担を覚えさせられる存在として、そこに在る。その不健全な引力(重力)により、太陽の光も少なからずその力を削がれ、地球を困らせる。金星は、そうである事実を受け止める力を持てないまま、厳しさばかりを募らせる。

 

5.そのことに、水星も緊張と責任を抱く。事の手前には、自分の力の無さがあったこと。やむを得ない経験であっても、太陽系全体の調和が元には戻れないままのその原因でい続けてしまっていること。太陽の一番近くで、太陽に最も影響を及ぼし続ける水星は、月が動くという地球発の原因が自分の場所(のかつての原因)を通る時に、それまでのままでいることがないよう、力が入る。

 だからと言って、何かが出来るわけではない。ただ、その意識を強め、その次なる原因に真剣に加わること。太陽からの光を力に、自らの回転を少しでも速くさせる核を取り戻すこと。そうであろうとし続け、その時へと向かう。かつては余裕で15時間程で自転していて(公転時の自転回数は233回)、小さいながらも、滑らかな天体間の動きにおいて担うものは大きかったという記憶を持つから、その再生の時を思う。

 月と水星、金星は、衛星と惑星の違いはあっても、その状態は、それ程変わらない。それぞれの核は、その役を失い、生命体としての天体の力は無い。本来の磁力(磁場)も力無く、自転もゼロ(と思ってよい)。公転は、太陽(地球)が、そこに居続けられるよう、引き連れ、回していると言える。

 その3つは、それぞれが順に、同じような経緯を辿り、停止状態となっている(それを仕向けた存在にとって、地球の姿はあり得ない現実だが…)。そして、地球は、金星の変化を望み、太陽は、水星が元に戻ることを願う。それが月の自転には不可欠で、月にとっても、そのことで、その可能性はより高まることになる。月が自ら回ることへの地球発の意識(原因)は、密に重なり、増幅する中で、水星と金星の、それぞれの太陽と地球との関係性を調整する流れを生み出す。

 と、簡単に文章にしているが、その原因の働きかけは、人間の思考の次元を遥かに超える。それでも、文字にし、その域には無いEWを続け、人間が触れ得ない次元の(人間にとって重要な)その原因の動きを促す。原因のままの原因の世界が言葉になること自体、実のところあり得ないことだから、言葉が伝え、形にしようとする世界を通して、そのことによる何気ない(原因の)変化を楽しむ。それだけでいい。

 原因を普通に生きる生命本来の風景では、知ることは、その時まで知らなくても良かった知っていることのその確認作業のようなものとして在る。全ては原因。どこまでも、どんなところにも多次元的に繋がる、原因の営み。「復活」は、ここでのそれが、太陽系の原因と繋がっただけ。易しい表現で、未来に、その、この時の経験を繋ぎ、地球を本来にする(負荷が外れて楽に公転でき、一周373回転ぐらいになる)。月も、他の天体も、それに参加する。

 

6.この地上に初めて人間が登場した時、彼らの元となる生命の意思は、地球だけでなく、太陽系の他の天体の状態も当然知り、それゆえに、逃してはならないタイミングとして、2億数千万年前のその時の出現を選ぶ。

 望むべく意思を持つこの「復活」の原因は、それがどれだけ昔のことであっても、必要とすべくそこでの原因の風景と融合し、それ以前との違いを見せる新たな原因の出来事に触れる。人間誕生のその時の背景には、すでにそれまでの太陽系の姿が、その原因の中に在る。

 最初に人間としてこの地球に現れた数千の生命たちの中には、ある別の仕事をすでに終えて来ている10人程の存在が居て、その彼らがこの現代に集まったことで、この「復活」がこうしてここに形になる。

 現代におけるそれぞれの姿は、EWの必要性から、ここに至る数千年の負の歴史のその原因を反映させるものとして、変化・変種に富んでいるが、そこには、生命としての類ない真剣さと覚悟がある。自分たちにしか出来ない役を担うために、あらゆる性質(次元)の負荷に抵抗せず、不自然さを普通とする世界からの嫌悪(違和感)やそこでの自分たちの異常さを受容する。

 人間の形を持つ前、彼らは、太陽系の主な天体と、自らの意識体(原因の意思)を重ねるという、地球でのその人間経験の準備要素を備えるべく仕事を、それぞれが担う。地球も、太陽系の一つの天体。その地球が、非生命的な影響を被るきっかけとなった、他の天体のその歪な経験(の中身)を把握することは、地球にとっても、太陽系全体にとっても、とても貴い経験。共に協力し合い、支え合って、それぞれは、各天体とひとつになる。そして、そこでの全てを内なる世界に潜め、他の仲間と、この地球で初めての人間経験を始める。

 

7.人間が居なくても平和で健康的な地球であるはずなのが、そうではなくなってしまったために、その原因を処理し、地球を元の状態へと戻すために地上に姿を見せた、人間。その生命としての人間の基本を知れば、争いも病気も(不安も怖れも)、無くてもいいものであることが分かる。動きの無い結果(過去)や形式にこだわることが、その基本への抵抗であることを理解する。

 人間の仕事は、それらをさらりと無くし、その上で、地球自然界の不自然な原因を浄化すべく、生命としての原因を生きること。何かのために向かうことも、頑張ることも、そのことへの拒否反応。どうにかしなきゃと思考を忙しくさせることも、偽り(欺瞞)の姿。ただ普通に人間を生きればいい。

 地球に生きるというのは、太陽系の営みに、一生命として参加しているということ。その地球に地球らしくない風景があれば、当然その対処に自らを活かし、太陽系の調和と安心に繋がる原因を、共に支えようとする人間(自分)が居る。

 自然界に生きる動植物関わりの地球規模の異変は、地球がその自浄力を低下させてしまう程の危うい事が、地球の外で起きたことの現れ。太陽時間におけるそこでの原因の形が数億年分の一に縮小されて文字になった「復活」は、それへの働きかけを可能とする、そのための原因の知識。遊び感覚で、楽しみながら、それを自らに染み込ませる(組み入れる)。そこからでしか始められないことがある。

 

8.この「復活」が形になり得たその事実は、受け手の中で、力強く、きめ細かな原因の仕事をし続け、事を本来へと変え得る流れを生み出していく。地球が嬉しい原因の始まりがここには在り、太陽系も、そのことに反応する。それを普通とする生命たちは、そのままで、自らの原因を天体規模の変化へと響かせる。

 「復活」の内容は、どの箇所を読んでも、これまでの知識世界には無かったものばかり。知識(結果)から始まる次元を遠くに、原因を動かす、原因だけの知識が、そこには在る。知識世界の重石を外し、好きなように、これまでにない変化の時を経験する。掴みどころの無いはずの次元が、気づけば、自分のものになる。

 「復活」を、生命としての存在のその芯(核)とすれば、その周りには、「再生」が在り、その外側には、「仏陀の心」と「太陽の音楽」「人間」が在る。空間としては、「復活」のテーマ(太陽系)は大きく外側となるが、原因の次元では、内なる世界の、その中の中である。人間時間に地球時間が付き合い、そこに太陽時間が顔を覗かせる。内と外がひとつになる。

 復活は、甦るということ。「復活」は、その原因の仕事を担うということ。この地上で初めて人間となった生命たちの、その時のそれぞれのひとつの意思が、永い時を経て、ここに形になる。そして、復活が始まる。すでに、いくつもの未来が、この今の「復活」の原因(の光)を受け取る。by 無有 11/11 2018

 

 

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