時間無き時間

 

1. 身体を持つ前、地球のためにやりたかったこと、そして、非地球に対してやりたかったこと。身体を持つと、そこには、それらの原因の具現を一切許さない、固められた時間が有り、その中で、身体を持つ前の(結果無き)原因のままの時間は、居場所を無くす。それでもやりたかったことは、そのまま。思考で触れられても、思考では永遠に入っては行けない原因をそこに乗せて、無有日記を綴る。時間が、時間無き時間のその真の時間に癒されるその時まで、つくられた時間の世界に付き合い、時間を眺める。

 

2.草食動物たちが、命の危険を覚えることもなく自由に好きなだけ生きられるとしたら、当然彼らの世界での時間は、それまでとは違った性質のものになる。人間の世界においても、病気や争い事を前提とする滞りの現実(原因)がそこから外されれば、結果としての時間感覚は力を失くし、その流れ方も関わる風景も、自ずと変わり出す。

 そのことは、時間には正しさは無く、不安定感を基礎にそれが存在し続けていることを教える。時間を重視することも、時間に刻まれる(追われる)現実も、その始まりから、それは本来のそれではないことが、普通の理解となる。

 

3.今有る時間が出来たのは、およそ270万年前。地殻内での地球の活動が尽く押さえ込まれ、太陽が抱える天体級の負荷と月の異様な力にもよって、それは、地球全体(特に地表世界)を不自由にさせていく。それまでの人間経験の中には無かった、電気による時間。その頃から、電気で動く夜行性動物は活動的になり、後に出現する嘘の人間も、その時間に支えられながら、歪な生態(動物食)を普通に生きる。

 

4.本当の時間は、(電気不要の)地磁気で生きる生命たちを活かす、自由に時間になる時間。それは、地球が嬉しい現実を地球と共に生きることで、その都度時間に姿を変える、多次元的な生命力の原因。そこに在って、どんな風にでも活用できるその時間という名の時間無き時間によって、平和も健康も調和も普通となり、それ以外の(それらに抵抗する)風景は、そこには入り込めない。そのどこにも、結果として扱われる時間は無い。

 

5.その本当の時間を経験するのは、実に難しい。ある次元の物質からなる電気が動かす、その時間という結果の中にこの世は在るため、そうではない原因のままの生を自らとするのは、至極困難である。

 しかし、300万年以上前の経験の記憶を備える生命たちは、唯一それを可能とするところに居る。3万年程前に、生命としての人間時間を尽く潰されても、その原因は消えることはない。彼らは、無有日記の中に在る、身体を持つ前のその時間本来との融合を通して、真の時間に軸足を置くようになる。

 

6.大多数の嘘の人間たちには無い、身体を持つ前の時間。彼らの生は、支配され、操られることでの人間経験であるため、転生や前世といったつくり物の世界を遊び、神や仏まで、思考(電気)で生み出してしまう。そんな人間たちを、生死を以て取り換えつつ、自由に操る、別次の存在(粒子)。その存在によって時間は利用され、その上で、嘘の(つくり物の)人間は、人間のように本当らしく生きる。

 

7.そこに在るだけだった時間になる原因が、電気によってムリやり動かされたことで、いくつもの結果を連ねるという、現在に至る流れる時間が生まれる。嘘でも、多数がそれを基に現実を生きれば、それが本当となってしまうという、結果からなる思考型の世界。時間は、その大元となる重量級の嘘で、それが本当として通用するよう、電気のみで生きる夜行性動物(人間)たちは活躍する。

 人間世界では、決まり事(形式)や宗教、教育などを通して、その嘘は見えなくさせられ、それらを大事に生きるという嘘の上塗りによって、幾重にも、人間の生に電気時間は重ねられる。それが砕かれ、崩れ出さないと、地球はいつまでも元気にはなれず、そこで生きる生命たちも、無くてもいい時間に付き合わされ続けてしまう。その道へと、無有日記は歩み出している。

 

8.無有日記には、時間は無く、それゆえに、時間が有ることで存在できる不調や不安定は、その原因から動かざるを得なくなる。そこに在るのは、地磁気との融合による、時間無き時間。嘘は、そこには近づけず、近寄れないそのことで、嘘も顕になる。

 時間の中に居ては、永遠に経験できない、一生命としての変化。時間は、人間本来への抵抗でもあるので、無有日記の中で、それは自然と力を無くす。そして、姿を見せる、本当の時間。本当の人間だけが、その本当の時間を、自らに染み込ませる。

 

9.本当の時間は、支配されて(電気を動かされて)、生きる自由を失くしたままの人間の中で甦る。支配されることで生きられる電気仕様の人間には永遠に触れられない、その時間。体の中の静電気が減少し、アルミニウムによる非生命力もそこから外れることで、人間は、人間となり、嘘の人間は、人間ではいられなくなる。

 無有日記と共に、そうとも分からず時間は変わり、よく分からない中で、静電気脳は力を失う。ここまで馴染ませて来た、時間を持たない岩塩やバーリーも、その時の訪れに、体内から、本当の時間を演出する。

 

10.物質的な次元からのアプローチも様々に為されて来ているが、それ関わりの描写は省き、ただ、そうであったからこそのここでの原因の変化を、共に楽しむ。姿形は同じでも、伝わるものが以前とは違ったり(電気による不自然さだったり)、見えるもの、感じるものが今までのそれではなかったりといった感覚が、本当の時間との新たな自分を教えてくれる。滞りや重たさを覚えにくくなる何気ない経験の中でも、それまでとは同じ時間の中には居ないことを知らされる。

 「時間無き時間」は、本当の時間を、この今の嘘の時間の中に入り込ませ、そこでのミックス状態を経ながら、本当の人間経験を馴染ませていく機会。始まったら、止まることなくどこまでも行く。

 

11.人間が感じ取りやすい、本当の時間として在るのは、身体を持つ前の時間と、そこでのリズム。それを持たない嘘の人間は、その時間が動き出すのを阻止するために在り、数万年前から、それは何も出来ずに居る。

 それが、無有日記のこれまでによって処理され出し、ここからの無有日記によって、それは新たな展開を経験するところに居る。無有日記を綴るという必要性を手にした、その原因の中での、身体を持つ前の時間。それとの融合を普通に、本当の時間に主導権を握らせる。嘘の時間は、どれだけ本当として固められても、その原因が嘘だから、次第にそれは崩れていく。

 

12.電気で動く物、動かされる物全てが、電気による時間によって支えられる。電気だから、滑らかさや軽やかさというものはそこには無く、ただ向かう場所や手にしようとする物や形に対しての、直線的な動きだけが、そこでは活動する。そして、そのどれもが、本当の時間からは異様さとなり、人間というより、電気で動く人間の姿をした物という感じが普通となって、居る場所の次元の違いを感じさせられる。

 次第に明確になり出す、人間世界の、その存在としての嘘。それが現実であり、それが、この数万年間の、歴史的事実の様である。時間が本当の時間ではないというのは、人間が、本当の人間ではないことを意味する。

 

13.電気不要の本当の人間を支える、(双磁気とは無縁の)地磁気からの本当の時間。現在の在り様は、そこからは切り離されてしまっているが、それでも、必ずや、そうであるその姿へと、人間は変わる。そうでなきゃ、無有日記は無い。身体活動の元から電気は無くなり、心身は、理由の要らない軽さを普通としながら、時間無き時間を活かし、自由に時間をつくる。

 いつしか、消耗や老化の類は外れ、寿命の世界を忘れる。そんな時が、何でもない普通の風景として訪れる。電気による嘘の時間が力を無くすというのは、そういうこと。時間に支えられる(守られる)ことで人間を経験できる(電気で動く)物は、居場所を無くし、時間になる原因と共に、原因のままの時(時間)を生きる人間の世界がつくられていく。

 

14.未来も過去も無く(この今に在り)、どんな世界の原因とも自由に繋がり合う、本当の時間。それを活かす人間の時空は、形無き原因を主とする通り道として在り、どんな現実も、個性ある変化のひとつとして、それらは自己主張することはない。

 その本当の時間では、争いや衝突は無縁であるため、現象世界でのそれらを処理するためには、単にその本当の時間が力を付ければいいだけ、ということになる。不安や怖れ、病気もそう。それらが存在しない本当の時間を、さりげなく生きる。この無有日記とそれを普通とする人たちと共に、体験的に、本当の時間発の要素を学ぶ。

 

15.電気は、終わりを含み、そうにはならないようにと、更なる電気でそれは動かされ、存続する。時間も、いつ終わってもおかしくない原因をそれは含み、そうにはならないようにと、その時間を基に動き続ける電気を増やし、存続させる。

 それが通用していたこれまでに、少しずつ風穴が開く。始まりも終わりも無い、時間の無い本当の時間が意思表示し出すと、電気で動く物や人から動きが止まり、それを支えている時間も流れにくくなる。

 

16.海には、電気による時間が有るが、山には、時間無き時間が在る。海は、非地球。山は、地球発。そのことを活かす力を、本当の時間を生きる人は普通に備え、それによって、人間世界を含む地球自然界は、深くから癒されることになる。

 自然界の鼓動を避けるようにして電気世界(電子時空)に居続ける、電気のみで生きる人間たち。彼らの嘘も、山の原因が本当の時間の一部となることで、繋がる場所を無くす。

 

17.本当の時間の中では、現象世界の多くが、すでに姿を無くしている。有ってはならない負の原因は、当然消えて無くなり、電気仕掛けの脳に支えられる二者択一的な価値観も、使われずに消滅する。見た目はいつもと変わらないようでも、その質の違いに反応する本当の時間に居る人を通して、次第に、見た目も変わっていく。

 本当の時間は、真の普通の時間。人間本来の原因として活かされるそれを外して、人は、人間を生きることは出来ない。いろいろなことが、すでにそこでは終わっている。by 無有 11/25 2021

 

 

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