真の普通

 

1.それまで居た大陸が沈み、新たな人間経験の場所として選んだ、この地(およそ270万年前)。生命たちは、時間が流れる(勝手に動く)というそこでのあり得ない現実に、意味不明な負荷を覚え出し、それによって、細胞レベルでの活動を無自覚に弱化させる。自然界で生じる不自然さも、人間が病むという経験も、その時が、その始まりである。

 

2.時間を本来に戻すというのは、その時より以前の自然界をここに招くことでもあり、心身に不調を覚えるという経験も、その原因から、そこでは存在感を手に出来ない。あらゆる価値観は、電気による時間に支えられて作り出されたもの。本当の時間の中では、考えて記憶することも、それを元にどこかへ向かい、何かを手にすることも、あり得ない現実となる。

 

3.時間という電気が流れ出したことで、そこでの人間たちの身に起こった実に厳しい出来事は、人間経験をする上でのその核となるべく生命のプログラムに、微妙な鈍さが生じ出したこと。その役を担っていた体内のある器官は、時間と共に不要な動きを覚えさせられ、そこに、時間を動かす電気のその主要素となる(歪な数十もの電子数を備える)陽子13が侵入する。

 そのことは、存在そのもので時空を癒す彼らの、その基本能力の発動に負の力を及ぼし、自然界は、次第に電磁気の影響を受けるようになる。時間は、時間をかけて、それまで在った時間無き時間の自由を抑え込む。

 

4.人間たちの本来が充分なものではなくなっていく中、それでも、生命としての意思は失わずにありのままに活動していた彼らではあるが、電気で動く夜行性動物のその増大を不可能とする程の表現までには、それは至らなかった。そのために生み出され、拡大していく、夜行性世界の歪な在り様。地球自然界のその原因の調整役を任された生命たちは、地球と繋がる核が侵されたことで、あり得ないはずの不自由さを受容することになる。

 

5.音や文字、絵を通して初めて触れた、世の中や世界のこと。それに反応するようにして、身体を持ったらやりたかったことが、自動的に仕事をし始める。ところが、その余りの多次元的表現力に、天体級の非生命的意思は動き、それは、3年程で尽く潰される。1967年には、100近い陽子数のその強烈な粒子に付き合わされ出し、何より重要なツールであった地球発の生命力の原因が、そのことによって姿を消す。

 その時から、人間時間の調整と生の原因の更新は繰り返され、そこでの必要性から、無有日記を通して、繋ぐべきものを繋ぐ。50年以上の時を経て、この「真の普通」を書ける時を迎える。

 

6.「時間無き時間」を書き終えたその時から、山々が備える本当の時間との融合が普通となる。そこを通って、地球の望みと自らの原因もひとつとなり、直感の次元は、生命世界の根源でもある真の普通の意思を、地球との時間無き時間の中に通す。そして、ずっと失くしたままのかつての原因と、その背景に触れる。

 思いがけず手にしたものは、当時の100分の0.001程。それでも、その時の訪れを実感するには、充分な機会。270万年分の歪な電気時間を、段階を追って浄化し、地表世界を、地球本来の地磁気からなる本当の時間にする。それが、身体を持つ前に、地球のためにやろうとしていたこと。

 

7.生きることがそのまま生命の仕事となるその生の原因のひとつとして、無限の働きをする、時間無き時間。それがこの今の時間の中で活かされることになると、現実は、放って置いても電気仕様のそれからは離れ、未来は変わる。無有日記(の原因)との融合を普通とする人は、すでにそれを体験的知識とし、時間の影響下で滞りや不安定感を抱かされていた、かつての風景を知る人は、無有日記に支えられて、それまでに無い変化を経験する。

 その時間無き時間は、心ある原因によって、そこから自由に引き出され、広く伝わり、流れ出して、その回転を強める。時間が無ければ存在できない否定感情(不安、差別、嫉妬、優越etc.)の類も、その手前から、出番を無くす。

 

8.そんな時が始まった。現実を結果として捉える思考(電気)は力を無くし、自分の性質(原因)に引き寄せられる(見合った)現実をただ次なる原因のそれとして普通に経験するだけの、時間という名の原因の時が、そこでは自然と生み出されていく。記憶を元に形ばかりの知識を活かす電気の流れは止まり、電気をつくり出すためだけの言動に終始するという嘘の人間経験も、姿を無くす。時間を動かす電気が、その力を無くすこれから。人は、これまでの(電気による)経験が一切通用しなくなる時を経験する。

 

9.時間を無くさせ、時空を元に戻すために費やされた、時間。時間の原因がしつこくそこには有ったために、振り返ればそこには永い年月が有るが、それを結果として残さなければ、年月は無くなる。時間無き時間発の仕事は、時間には焦点は置かず、付きまとう時間は、そこでのその(多次元的)原因からの必要性として付き合う。

 数百万年間という年月も、着実に事を進め、その原因を確実に変えていくための、結果という名の、変化し続ける原因の時。そうであるから、どれだけかけさせられても、長いという感覚はそこには無く、そのどの時も、ただ淡々と在るべき姿のその原因へと、それに対応して来ただけ。つくられた時間のその原因(電気)が居場所を確保できなくなる時を、ここでつくり出す。衣食住などを通して、時間の使い方という次元にも付き合って来たこれまでを外し、時間無き時間に、全てを預ける。

 

10.現実として、それはそこに有っても、本当の時間からだとそれは無いという感覚の中で、同じその現実を経験する。そのことは、無くてもいい(有ってはならない)現実が姿を消していく流れの中での、それまでからこれからへの、基本的なプロセス。時間無き時間の中で活かされる時間は、電気で流れる時間を余裕で眺め、そこでの現実(結果)に付き合いつつ、そうではない原因の時を、真の人間とさりげなく生きる。

 電気で動かされる人間が、物や形を電気で動かし、操ることで(結果として)存在することになる、電気の時間に支えられる現実。電気不要の本当の時間を馴染ませる経験は、人に、不思議だけど普通という多次元的な違和感を覚えさせながら、電気で固められた嘘の現実に隙間をつくっていく。

 

11.生命としての人間経験に活かされる本当の時間は、原因のままの変化を普通に、自由にその姿を変え、地球自然界(地磁気)との融合を基とする本当の現実を生み出していく。その本当の現実は、本当の人間が経験する、何でもない普通。問題事(争い、病気、感情etc.)の原因の無いそこでは、真の普通も、人間本来も、基本である。

 嘘の原因がそこに有れば、人間は、それによる現実を生きることは難しい。地球から見れば、電気は、嘘の代名詞であり、時間は、それを支える、非生命的意思の具現と言える。本当の現実には、残された過去も、それを利用する思考も、近寄れない。繋ぐ結果は、嘘の人間のものであり、繋がる原因は、本当の人間に連れ添う。

 

12.自転軸を持たされた地球ではあるが、それでも彼は、時間を持たない。結果、人間の思考世界に利用される自転からなる時間がここには有るが、それも、彼は知らない。地球は、時間という負荷(天体級の電気)を抱え込まされながらも、時間無き時間を普通に、生命としての地球を生きる。

 時間の無い次元では、何が有っても無くても自由な風景が生み出され、何らかのそうであろうとする決まった現実とは、限り無く無縁である。人間世界で繰り返される、同じ時間の中での、同じ風景。それを生み出す決まり事のその背景には地球の自転が有り、彼のそこでの無自覚の厳しさが、この「真の普通」の中で、これからを支援する。

 

13.答も理由も無い世界を生きることで、電気は力を出せなくなる。それが普通になると、時間も、それまでの自分を見失う程になり、地球を癒せるぐらいの原因へと、それは発展する。実践すれば、それは分かること。そうでなければ、永遠に絵空事となる。

 時間は、答に向かい、理由を探す。そうでなければ(それらが無ければ)、時間の要らない時間が生まれ、時間無き時間もそれを応援する。ただこれも、思考で捉えれば、全てが無意味となる程、そこでの電気(思考)に時間はくっ付く。地球のために生きたいのであれば、答も理由も無い世界を生きる。

 地球のためになる生き方というのは実に単純で、ただ地球と同じ、時間の無い時間を生きることで、地球は、その原因に癒される。答も理由も無い生は、人間が直ぐにでも出来る、地球のためのEW。地球が嬉しい人間を生きる。

 

14.時間無き時間には、生命源(真の宇宙)と一体化した多次元的な回転が在り、地球と地球で生きる生命たちは、それを普通に、調和そのものの時を自由に生きる。しかし、その回転は、超天体級の意思によって完全に阻まれ、それをどうにかしようと反発するその力も、別次の活力(電気)に利用されてしまう。

 時間は、その電気が連続して流れ出したところに生まれ、今有る流れる時間として、それは存在感を手にする。生命たちが新たな場所で人間経験を始めようとしたその時から、そこで活かされるはずの時間になる原因は、押し潰され、力を失う。

 

15.その回転を復活させるのが、ここでの仕事であり、そのための原因も、ここに集まる。それもこれも、元々は、電気(双磁気)不要の地球に対しての怖れから始まったこと。限り無く困難のように思えても、在るべき姿のその原因も、限り無い。時間を外し、時間になる原因を活躍させる。地球に生きる人間にとって何より大切なその仕事を、共に楽しむ。

 真の普通は、変化し続ける生命世界の原因と、その具現のこと。時間が外れる中での経験は、その普通のひとつの姿であり、そうであろうとするその原因の働きも、まさにそうである。この数万年間、少しも出番の無かったそれを、この歪な時間の世界に出場させる。そして、ここに繋がるこれまでの全てを次への原因に、未来の風景を、真の普通(本当の時間)のそれにする。by 無有 12/01 2021

 

 

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