ここは地球

 

1. 時間になる原因は、回転し、時間として有る結果は、流れる。回転は、真の人間に活かされ、流れは、つくり物の人間を操る。原因は、変化を知らない変化そのものの、生命としての時間。結果は、変化の無さの中で変化を経験する、物としての時間である。

 変化は、この地球に生きる全ての生命にとっての普通。電気による時間は、それを妨げ、その上での変化の無さが、電気によって動き、動かされる。電気不要の時間になる原因だけが、真の時間となって、変化の時を、生命たちと経験する。

 

2.「時間無き時間」と「真の普通」を通して体験する、その人に読まれる、それぞれの時間。時間を持たない無有日記から生まれたそれらは、どんな風にでもその姿を変える原因のままの時間を普通に、読み手の中のそれまでの時間を本来へと調整する。触れたことで始まる結果無きそこでの時間は、その原因を回転させつつ、無くてもいい現実を外す。

 意識される次元の違いは、結果を求める思考(電気)の、その満足のための道具。次元の違いの中に居て、経験の無いそこでの経験を、何でもない普通の知識とする。次元の違いから始まる時間無き時間のその原因の働きは、使われ、活かされることで、自然と、不自然さを無くさせていく。

 

3.どちらでもあって、どちらでもない原因を限り無く普通にさせて来たのは、直線的で、二者択一的に動かされる現実のその中で、本当の現実を育むため。そうであったから、静電気脳の次元を離れられ、人としての在り様も成長させる。食も価値観も、地球が嬉しいそれとして、その原因から、生命本来を活発化させる。

 そこでの表現力の基礎となる部分を支え、生命力(細胞活動のプログラム)の修復にも関与していた、地球の意思。いつしか、自動制御のレベルにまで(それを)成し得た感を覚えた彼は、太陽に、その後を任せる。本当の現実をこの今の現実の中に参加させるそのための、更なる次元の仕事。地球発の必要性からなる、陽子108以上のいくつかの(原子本来の)粒子から、生命世界(太陽発)の基本粒子へと、次元は変わる。

 

4.地球に住む全ての生き物が、太陽によって、その生存を守られる。しかし、その多くは、地球が力を無くしたことで(本来を抑え込まれたことで)出現し得た、夜行性及び肉食の動物たち。草食の動物たちによる現実と、彼らを物扱いする歪な動物たちの現実。その違いは、時間の違いであり、前者の時間は、地磁気により、後者のそれは、電気による。

 太陽の意思は、地球のためとなる原因の作用へと、その質を変える。そのことを無有日記は活かし、太陽に、「ここは地球」で遊んでもらう。地球が安心するのは、草食動物たちの時間。太陽は、そのための光を増やし、そうであるべく流れへと、磁気を働かせる。そして動き出す、本当の時間。時間無き時間の原因が、この地表世界で、その回転を強める。

 

5.地球は、地球のもの。人間や動物たちのものではない。地球に生命体が生息すること自体、それは無くてもいい現実で、天体級の電気によって地球が不自由さを覚えさせられたそのことから、電気で動く動物たちはそこで生きることになる。

 地球には、宇宙版のやりたかったことが在り、それを尽く難しくさせられたことから、人間という表現体を持つ生命が、地球に来る。そうはさせまいと、その動きを阻むために始まった、地球感覚への非地球の圧。現在に至るこの数百万年間の電気による時間も、その道具として利用される。

 いつかの未来で、地球が地球らしく、動きやすくなった時、その必要性がそこに在れば、真の人間たちは、そこに居る。そうでなければ、彼らは、地球を、外から応援する。その事実も、そこでの変化も、地球が経験するこれからの、その在るべき姿が、さりげなく教える。

 

6.結果を連ね、結果を積み重ねるその作業に使われる、電気で動く時間。時間になる原因が現実を動かすようになると、それらは自然と消えて、思考絡みの問題事も存在できなくなる。そのことで、改めてEWの対象として浮かび上がる、電気で動く物全て(人間、動物、雨雲etc.)を操る、形無き存在(粒子)の意思。すでにその時が始まっていたことを、「時間無き時間」は伝える。

 人間を余裕で操るその粒子は、何を思ってか、一層の楽しみを経験するとばかりに、直接的に形ある身体と同一化するという時を、この数万年の歴史の中で一度だけ(数百年間)手にする。恐ろしく、凄まじい、そこでの風景。地球と繋がる人間たちは、その原因からなる必要性を力に、淡々とその姿を(経験の記憶として)残す。それは、その時の未来の今に活かされ、人間世界を含めた多次元的支配の、その原因への対応を、無有日記に促す。嘘の人間は、自分たちを動かしてくれる操り手を見失う。

 

7.つくり物の時間が力を無くし、その上で存在し得た物がこの地上から姿を消すという、それまでが通用しない流れになることで、地球は、電気(双磁気)繋がりの地殻の次元に、自分なりのペースで対処することになる。その時に、それまでの電気時空を支配していた存在がそのままであってはならず、何も変えられずにそれらが自由なままだと、同じような世界が、再度他で生み出されてしまう。地球は、それを望んではいない。これまでの経験を活かし、確実に次を変える。ここは地球であるから、電気で生きることも、その電気の生を操ることも、在ってはならない。

 繋がる原因の中でのタイミングは、自由に扱える多次元的な道。電気(仕様の人間)を支配する存在が、結果無しでは自由に動くことも出来ないことを考えれば、単に結果のその密度の濃さからなる力関係が、その次元には有ることになる。その中に入ったら、好きなだけ、そこで漂う。それだけで、形無き非地球的次元層は、無限に広がろうとするその原因の中で崩れ出す。

 

8.現在での時間無き時間は、無有日記(及びEW空間)との融合が唯一のそれとなり、静かに、そして力強く、電気の時間の中でそれは安定を維持する。それを基に広がり出す、本当の時間。今有る時間の中では限り無くゼロに近いそれも、この「ここは地球」を機に、その割合を少しでも増やす。そのためのこれまでが、これからへのこの今を、前方へと押す。

 太陽の光を隠すために生み出される雲(雨雲)は、力を失くし、太陽の光を何よりの活力源とする生命たちは、元気になる。それは、何でもないようでも、自然界にとってはとても大きな原因の出来事。電気(電子)時空を支配する次元層が刺激されると、地球と融合するあらゆる世界から、重石が外れ出す。本当の時間も、動きやすくなる。

 

9.無有日記を通して、数百万年前のそこでの原因の風景を甦らせた、地磁気での生を基本とする真の人間たち。電気が無くなると、そこでは、形を持たない生命の意思が主導権を握り、この地上での身体経験を、それは支える。細胞活動を本来のそれに調整しつつ、形無きところからの人間経験を、地球の安心と重ねていく。

 電気による生を基本とする人間は、電気が無くなると、細胞活動のその土台(双磁気)が崩れるため、壊れていく。生命の意思という次元を持たない彼らは、人間の姿をした物状態であるため、形(結果、電気)が無くなると、何も無くなる。もちろん、その操り手も、存在する場所を持たない。

 地球は、活動的になり、人間経験を遊ぶ生命たちと、時を共有する。太陽は、地球の全てを照らし、地磁気仕様の時間無き時間を支える。この地上の世界では、電気が力を無くすその変化に乗って、かつてのように、本当の時間だけの本当の生が始まる。

 

10.地表世界は、きめ細かく何層にも重ねられた電磁気の網のようなものに覆われていて、思考を働かせることで生じる人間発の電磁気が、その接続役となって、それは揺るぎない負の影響を地球に及ぼす。充電のための睡眠(夢)と、電気活動のための思考(日中)。それらを以て思い通りに動く人間を、非地球の意思は片手間に操り、地球の息吹きを押さえ込むための道具に、彼らを使う。

 本当の人間には、思考は無く、在るのは、数百万年分の、健全な違和感。今有る時間が通用しなくなる新たな原因の中に、時間を溶かす。思考は要らなくなり、思考が支える結果(過去)も、時間がくっ付いたままの病みも、見えなくなる。

 

11.途中経過の無い変化があたり前となると、そこに在る事実に、思考は付いては行けない。本当の時間が通りやすくなると、そんな現実が先行し、電気による時間は手を出せなくなる。意味付けも理由付けも無く、ただ体験するだけのその原因が伝える、時間無き次元での変化。一生命としての人間時間を生きるここでの生において、それを本来の基礎とする。

 かつて、奇形だらけの世になろうとしていた時のその様をさらりと終わらせた、地球時間を支える、根源の意思(真の宇宙)。途中経過の無さは、軽く天体級を超える。その時の原因(粒子)をここに通し、それを人間版に活かす。そして、更なる原因の粒子の、その通り道となる役を担い、地球を癒す。本当の時間から、余裕で嘘の時間を見る。

 

12.人間が、そのままその本質としてそこに居るわけではなく、一生命としての意思が、人間という身体時間を経験する。ただそれも、ほんの僅か。大多数は、その手前の原因を持たずに、動く物としての身体を、自由に操られて、人間のように生きる。つまり、人間という生命体は、殆どゼロであるということ。敢えて人間の本質を捉えれば、それは、動き、動かされる物を生命とする、嘘の具現ということになる。

 数百万年間の生命たちの人間経験において、この数万年間は、夢を見ているような状態。中でも、狡さと凶悪さを強める嘘の人間による、この15千年間程の経験は、あり得なさも強烈である。一生命として、どれ程の要らなさの延長上にこの今は有るか…。物は、どこまで行っても、生命体(真の人間)にはなれない。生命本来は、電気で動くことはない。

 

13.存在そのものによる表現力は、限りを知らず、その対象となる次元も、必要に応じて自由に変わる。いつしかそれは、地球の望みの具現へと発展し、気づけば、それを普通に、そのための人間発の原因を進化させる。「ここは地球」は、地球の喜び。約束の時を通る。

 存在そのものによるEWは、そうであることも分からないところで、事の原因を変える。その原因の変化に呼応する次元にも余裕で触れ、多次元的原因の連なりを、生命本来のそれとして変化に乗せる。この場所から行けるところは、限りが無い。体験的知識になろうとする原因の次元も、終わりが無い。地球を変化に乗せ、自らも、地球と一緒に変化に乗る。

 

14.触れる人の中に流れる原因が、そこで融合し、そのままそれが、存在としての、時間無き時間の力となる。それは、時間を操る存在のその影響力を外す程となり、その自覚もなく感得していた本当の時間の中で、真の普通を膨らませる自分が居る。無有日記との時間ではなく、無有日記の時間。そこから見える(自身の)姿のその原因を進化させる。

 ずっと普通だと思っていたいろいろが、良くも悪くもなくその姿を変え、不自由だったこれまでの理解が外れて、経験からは自由になる。自分が知る自分自身のことも、そうであったそれまでの枠(枷)が外れ、知ることが、結果にはなり得ない、変化の原因(知るまでもない自分)となる。そして、新しいけど、どこか懐かしい、どこにも無かった時間感覚の中で、面白さと楽しさを、自由に過ごす。軽やかさも健全さも普通になる。

 「時間無き時間」と「真の普通」と「ここは地球」。これらの3つはひとつになり、時間になる原因のその材料となって回転する。その原因が活かす真に生きる人間経験と、その経験に活かされる時間になる原因。本当の時間の通り道となって、本当の人間時間を生きる。太陽も地球も、その人間の在り様に応える。by 無有 12/07 2021

 

 

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