LED感染(1)

LEDの映像1

1.太陽の光は、活力を生み出し、月の明かりは、安心を届ける。人間が使う光は、それらの愛情と重なり合うものでありたい。

 自然界の優しさとその力には、個の思惑も、直線的な思考も通用しない。ただそのままでいて生命は生かされ、時は癒される。そこでの人間発の明かりは、その自然界が笑顔になるものでありたい。

 

2.敏感な感覚と繊細な神経を持つ虫や動物がLEDのライトを避けたがるのは、紫外線云々の理由を大きく超えた、生命としての純粋な意思。これからもずっと、これまでのように自分たちの本来の生命活動を大切にしたいから、それを共有できない原因の存在からは離れることになる。

 形ある現象から何かを学ぶ時、学び手本位では、何も学ばないと同じ。動物たちの気持ちになること。自然界の意思を感じること。動物たちは本能的にそれを知るから、LEDの本質にも反応し、そのままでいようとする。

 

3.光は、熱(温かさ)とセットで、その存在でいられるもの。そこには光ならではの活動が為され、様々な生命体も、それにより、共に生きることになる。光は、暗闇の中での安心であり、その温もりは、優しさである。光は、あらゆる生命体にとって、いつの時も喜びである。

 

4.明かりは、元来、温もりと安心を覚えるもの。その役を全く果たしていない、突き刺すような冷たさと要らない不安を抱かせるLEDは、明かりの基本を持ち合わせない異様な世界。夜道で、LEDのライトに出会す時、細胞の緊張と抵抗が思わず目を閉じさせ、危なさを経験する。明かりは、自然な明かりがいい。

 

5.省エネを考えるのなら、良いものを長く使うことを皆で心がけ、消費経済のサイクルをゆったりとしたものにする。求めさせられているものに敏感になるだけでも、廻り回って全体の消費電力は大幅に減り、必要とさせられているものから離れるだけでも、生産のムリ・ムラ(ムダ)が無くなっていく。

 LED化は、良いものに心(細胞)が反応できなくなり、要らないものや経験しなくてもいいもので社会が溢れてしまう原因となるものである。省エネは、健康的な価値観と健全な暮らしの中に普通に在るもので、求めすぎず足ることを知り、体を動かし自然と親しむ、それだけでも、LED化の何百、何千倍もの効果を生むことになる。何でもないあたり前の姿勢である。

 

6.LEDが伝えられてから、こんなところにまで、と今まで無かったところにまでしつこいぐらいLEDが使われ出し、当初の謳い文句がその大量使用で覆され、まるで侵食されているような煩さがある。何のためのLED? 向かうところはどこで、そこへとどんな原因を連ねるのだろう?

 結局、社会全体の電力消費量は増え続け(エコに逆行)、人々は慢性的に疲れを溜め、環境は気味悪くなっている。思考型の負の原因のトリックは、一度かかったら外せなくなる。

 

7.植物の生育に影響を及ぼすLED。送り手は、そうならないよう研究する。目(網膜)への悪影響があるLED。送り手は、そうならないよう工夫を促す。LEDの光に触れ続け、体が疲れやすく、気力が出なくなる人がいる。送り手は、それは(健全な)少数派だから無視する。

 心身や環境が、影響を受けていると分からないくらい影響を受けるLED。その正体は、問題事を作り出す世界とその原因の性質を同じくする、招病上手な悪徳照人のようである。

 

8.生命力が少しずつ力を失くしても、その過程を自覚するのは難しい。気力が湧かない時の理由を、その手前で処理することも難しい。ただ、それぞれのその時において確かなのは、体内の水分が、人間の思考(技術)では触れられない次元でその質を変えてしまっているということ。

 心の性質や感性の柔らかさが計測出来ないように、それらに瞬時に反応し得る水分の変化も、人間の知では分かり得ない。心と感性が健全である人ほど、細胞に負担をかけるものに体内の水分が反応する。

 どんなものにも水分は含まれており、皆人間の思考の域には収まらない反応を、LEDを通して生じさせる。それは、原因不明の問題事や心身の不調を引き起こす力にもなり得るもの。飲料水や食べ物はもちろんのこと、LED照明を生命に触れ(浴び)させてはならない。

 

9.水族館の魚たちのストレスは、まさに異常事態である。敏感な種ほど、体の色が変わったり、泳ぐ力を失くしたりし、その理由を理解しようとしない人たちは、命を終えた魚たちを変死扱いする。

 生き物の生命力を弱化させ、神経をヘンにさせるLED照明。(もちろん人間も、健全な感性を持つ人ほどそれを被るが…)人間の欲のために犠牲となる彼らは、海を忘れさせられ、あり得ない負荷をかけられ、生存本能まで異様な物体(光)に支配される。植物の悲鳴の比ではない、魚たちの苦痛。海の仲間たちもそれに同調し、悲しみの中にいる。

 

10.LEDの照明に敏感に反応し、様々な影響を被ってしまう植物ほど、人間の身体細胞にとってとても重要な仕事をしてくれる貴い生命たちである。それは、この自然界が、いつでもどこでも健康と平和をあたり前とする原因によって成り立っていることの現れであり、そうではない性質のものに覚える感覚は、それを大切にするための意思表示となるものである。

 人間が、不自然なものに反応できなくなってしまう時、すでに多くの動植物もそれに連動し、本来ではなくなっている。敏感さを保ち続けてくれているある種の植物や動物は、言わば、そのことを切に訴え続ける最後の砦である。

 

11.車のLEDライト(ランプ)は、光を大切にする人たちにとって、身が縮むような公害である。どう見てもその光は、攻撃的で威圧感があり、安心・安全とは無縁のように思える。近づくことも、見ることも恐れてしまう車の存在に、気持ちは不安で一杯になる。

 光は、照らした物との間の空間を、自らの性質に見合ったものに変える。遠くからでも多くの物が照らされる車のライト。そのLEDの光は、そこに在る全てに要らない緊張を与え、空間から安心と余裕を奪う。自転車も然り。それらは、不健康と問題事(事故)の原因と繋がるものである。

 

12.さりげなく自然体で心のままに生きている人は、思考による判断の力が弱いので、その責任ある直感が、あたり前にLED照明を遠ざける。自然な感覚を育むこともなく知識世界に住み続ける人は、心による判断が無いに等しいので、その無責任な思考が、好んでLED照明を使用する。

 あまりにさりげなく、自然にオープンになる、その人の原因の風景。もちろん前者は、世を健全にし、人の心を生かそうとする。後者は、世を病ませ、人の心を不自由にさせる。

 

13.市販の物を自由に購入して、簡単に取り付けられ、電球の交換も、業者による修理もムリなく普通に出来る、従来の室内灯。省エネの基本は、自分で簡単に扱えることであり、その後のフォローが自然であることである。そこから大きく離れ、故障したら買い替えなきゃならなくなる、LEDの室内灯。それは、省エネに逆行して心身に負担をかける、重く不健全な材料である。(広がる光の白熱灯には、心が安心する温かさがある。そうではないLEDは、不安の光である)

 

14.植物や動物本来の生命活動を不自然なものにするLEDは、当然人間にも様々に影響を及ぼすものであるが、細胞に取り込まれる食べ物の栄養までがその害を被ると、将来、見た目は普通でも中身は全く異常な状態の体を持つ人や動物が生まれることになる。(科学的根拠(因果関係)の次元を超えるその負の原因は、具体化した時には手遅れである)

 食材を保存する場所(冷蔵庫etc.)にLEDライトが使われているとすれば、それはそのまま、理由の分からない辛さや悲しみの姿の見えない原因となり、心身は少しずつ蝕まれていく。食物を扱う店のショーケースもそう。生命を危ぶませる形無き原因の悪循環は、LEDライトの得意技である。

 

15.電気代が得すると言われても、照明自体に温もりも優しさも無いわけだから、気持ちが損した気になる。少しのお金より、たくさんの健康を大切にしたいから、不自然・不健康な光には触れたくない。健康でいると、自ずと支出が抑えられるので、それだけでも相当な省エネに繋がる。

 

16.要らないはずのものがいつのまにか無くてはならないものになってしまった時、その代償は大きい。それが細胞や生命体に影響するものである時、言いようのない辛さは時代を連ねて続き、未来に大きな負の遺産を残すことになる。

 邪な思惑とその負の原因の働きかけが、IHの時を遥かに上回るLED。どこに居てもLEDのライトを浴びざるを得なくなる時、未来への責任ある想いは力を無くし、人は、本来に戻れなくなる原因を蓄積させることになる。

 

17.白熱灯や蛍光灯で何ら問題が無かったのは、人間の普通感覚に充分にフィットするユニットの耐久性と電球の寿命があったから。そして、子供でも扱える使いやすさ。

 だから、それよりもずっと長く交換しなくてもいいという理由を、人は特に長所とは思わない。電球は、空間を共にする友人のよう。その感覚は、そのまま環境に優しくなれる、人としての普通。何かと負担増になるLED照明は、家庭的な空間には最も相応しくない物である。

 

18.不安を燃料に(不安の裏返しの頑張りで)何かを求め、どこかへ向かおうとする人は、傍から見ても様々な性質の感情が漏れ出しているのを感じるが、不安をしつこく固めてそれを無意識の奥に幾層にも重ねて沈めている人は、身を繕うことも体裁を整えることも上手く、人知れず人を不安にさせて(人の不安を操って)、思い通りに個の欲求を満たそうとする。

 そんな彼らが数字(データ)や理想を前面に事(LED化)を進めようとする時、その心の無さによる不穏な原因により、人は力ある嘘に付き合わされ、そこに在る不都合な真実を知る力を無くす。

 その不安の塊は、澄んだ水の流れる川底でその姿を次第に変える、粘土質の堆積物。「LED感染」は、人の変化・成長を阻むその滞りを砕き、浮き上がらせる仕事をする。知るべき事実と知り得る(知らされる)事実との違いは大きい。

 

19.光に鈍感でいるというのは、人として、通常はあり得ないこと。光に対する普通感覚を持つ人は、夜間、車を運転する時、眩し過ぎるLEDライト(ランプ)の光に運転しにくさを覚え、日々危なさを経験する。目に大きな負担をかけ、注意力を低下させるその光は、経験しなくてもいい問題事(事故)に人を近づかせ、そこから離れようとする緊張と怖れを生み出し続ける。交通環境を悪化させるだけのLEDの光に、夜の街が、不安と恐怖心のそれへと様変わりする。

 

20.人間の感覚器官の中で、目の働きが何より大事なのは、誰もが知るところである。それゆえに、目に優しい色が活躍し、目に負担をかけない光が人々の暮らしを支えて来たこれまでがある。

 人間よりはるかに敏感な感覚を持つ動物たちの目は、光の色や性質によって影響を受ける場所も大きく、彼らの目の安心は、自然界の健康な姿そのものである。

 そんなことへの理解が全く無い中で生まれた、LED照明。目に優しくないその光が存在すること自体、人間の欲の暴走と愚かさの具体化(象徴)である。人間にも動物にも、生命として決して馴れてはならない光がある。

 

21.ビジネスチャンスは、お金。体に良くないものでも、将来に負の影響を及ぼすものでも、売れて、お金になれば、OKとなる。それを、心無い権威と権力が保障する。

 LEDは莫大なお金を生み、作り手や送り手に利益をもたらす。指導者もそれを喜び、未来を忘れる。一気に後退した、人の心と、望むべく社会の変化。未来地球のためにも、ビジネスチャンスの基本要素に、自然界の意思と人間性を組み入れてもらいたい。

 

22.農作物の作り手は、出来るだけ新鮮なうちに消費者に食べてもらいたいと思う。しかし、LED照明のスーパーに並べられた途端、それらは皆、鮮度が落ちるよりも最悪な、全く違った性質の作物に変わる。

 魚も肉も果物も、味はそれなりのものを出していても、(LED照明を浴び続けるうちに)同質の性質を帯び、同質の負の働きかけをする力を持つ。それは、細胞の世界では実に危うい原因となる、収縮と破壊、停滞と侵食。

 人は、微妙な色(表情)の変わり方や味の違いからでもその危うさを理解するのだが、LEDを好む専門職の人たちは、体験的知識の質が常に個の思考の域なので、どこまでもそれを分かり得る普通を持たない。実に不気味で恐ろしい、LED品ばかりのLED照明の店。食べてもらうことで自らの役を果たす農作物たちが、可哀想。

 

23.心無い専門家は、消費電力やCO2排出量を絡めた環境指数のようなものを導き出し、LED化の良さを訴える。しかし、数値化できない無数、無限の世界がこの世の自然を日々支えていることを彼らは知らない。そして、それらがLED化によって力を失くすことも。

 生命力、気力、心、優しさ、感性、細胞の意思…。数値化できない世界に背を向けることで成り立たせる専門職であってはならない。

 

24.要らない頑張りを強いられても、何の疑問も持たずにそれを良しとして(大事な仕事として)従順に努力し続ける人は、未来の風景や自然環境のことを思うより、自分が仕える人が喜ぶことを喜びとし、感謝も好意も、その意識もなく個人的な関わりの中でのそれとなる。

 それは、未来空間に負荷をかける原因を作り出す、不自然で無責任な在り方。その姿は、LED化が美味しい経営者や企業の喜びを具体化させ、未来の風景の悲しみの下地となる。

 

25.大勢の人たちが、毎日移動手段として利用する、電車やバス。その場所がLEDになれば、健全さを普通とする心柔らかな人たちは、病院への予約チケットをムリやり手渡されることになる。それは、あってはならないこと。

 生きる基本形が頭から始まる人を活躍させ、それが心から始まる人を動きにくくさせる、LED絡みの負の原因の世界。その光を浴び続けさせるということの、その許されない悪質さと、嘘のような無感覚振り。純粋な人の心は、友愛と調和の原因になれないことを悲しむ。

 リラックスできる空間でありたい、電車やバスの中。長距離バスや特急電車(新幹線)がLED化されたら、この国全体が、心疾患の病棟になってしまう。

 

26.結果が嘘でも、原因が本当であれば、何ら問題は生じないが、結果が本当で、原因が嘘だと、その悪影響は計り知れない。LEDはまさにそれで、環境や省エネのためという形ある本当の結果に全くそうではない性質の嘘の原因を引き連れて進行しているため、その恐ろしさは、軽く数百年先の人間や動物たちの生活環境にまで影響を及ぼす程の力を持ち得ている。

 人間は本来、嘘を知らない。原因はいつもありのままであるから、そのままで生命の変化に乗り、様々に形を変えながら、それを次の原因へと繋ぐ。原因が嘘である分、結果を大事にしようとする、作られた本当の世界。生命が喜ぶ真実(本当)は、LEDのどこにも無い。

 

27.環境に優しくできない人は、生活習慣も価値観も不自然なため、頭だけで環境に優しくしようとする。その結果、その鈍性が、LEDIHの嘘(環境や身体細胞への悪影響)を支えてしまう。

 環境に優しくしたいのであれば、それが出来る自分になる。肉料理を減らすだけでも、歩く時間を増やすだけでも、廻り回って、地球環境は本来へと変わり出し、その人の心身も、快活になれる機会を得る。病院の世話になる時間が減れば、生活空間も変わり、環境はぐんと健全になっていく。価値観が、人間本来のそれであれば、地球環境が病むことはない。今よりも情報がずっと少なかった時代、人は、その意識もなく、地球環境を大切にしていた。by 無有 12/27 2015

 

 

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