LED感染(4)

LEDの影響(7)

1.植物の生育が低下したり(途絶えたり)、小動物たちの姿が見えなくなったりするその原因には、LEDが関わっている。LED照明が世に登場する前には無かった現実が今そこかしこに在ることを考えれば、誰だって、その危うさを感じ取る。そして、専門家も、狭い経験枠内から外に出れば、LEDの恐ろしさが、人間の理解を大きく超えるものであることを導き出す。

 動植物たちの異変は、確実に人間生活に影響を及ぼし、何もかもが収拾のつかなくなる状況へと案内される。人間の真価が問われる。

 

2.LED化した水の影響で、土の質も危うくなる、その恐ろしい現実。それによってひびの入った道路の姿は、地盤崩壊の前段階。すでにその動きは進行していて、LED照明の凄まじい負の影響力は、止まることを知らない。それは、この今の社会において、最も重要な、放っては置けない現実。政治家も経済人も、人間本来にならなければならない。

 

3.外灯や車のランプ(ライト)がLEDになったと同時に始まった、自然界に生きる生命たちの悲しみ。電車やスーパーの照明がLEDになったことで始まった、心ある素朴な人たちの更なる生きにくさ。

 LED化は、生命たちの自然な営みを抑え込む、不自然さの意思。省エネの文句にごまかされた人たちも、そのままであれば、その質は同じ。LED照明が室内に設置された時から始まった、危うい精神性の持ち主たちの能面芝居。

 

4.ゆっくりと走る車のLEDランプとLEDに汚染された水の影響で、狭い道路沿いの家の壁や塀が、悲しい程に崩れ出している。穴が開き、ズレ(ひび割れ)が生じ、そして崩壊する、コンクリートの(ブロック)塀。その様は、誰も経験したくない、驚きと悲しみ。LED照明は、送り手の性質を、そのまま形にする。

 

5.LED照明で、なぜこんなに辛さを経験しなければならないのかと、明かりの本来とその本質を知る人は言う。LED照明で、なぜ彼らはそんなにつらくなるのかと、LED照明を太陽の光の代わりにできる人は言う。その違いは、生命と無生命、光と闇。

 

6.高速道の高架橋(線)やそれを支える柱が、LED照明を浴びた水(雨水)によって、劣化している。それが意味するのは、崩落。専門家と呼ばれる人たちがきちんと仕事をしていれば、それは無かったこと。責任ある立場の人たちが責任ある仕事をしていれば、それは経験しなくてもいい事実。水が壊れれば、後は、悲劇の訪れ。LED化をそのままに出来る政治家を、自然界は、生命の歴史を壊す原恥人と呼ぶ。

 

7.LED照明の悪影響に鈍感になっているという、人間離れの傾向。それが進行すれば、身体から、人間の要素が少しずつ離れていく。LED照明の下で気化する、人間の大切な感性と心。LED照明と暮らせば、人間なのに人間ではないという、2種の人生を同時に生きられることになる。そしてその後、地球の異物という、3種目の人生を手にする。

 

8.雨水に打たれる場所のベランダ(テラス)や通路は、それに含まれるLEDの性質により、確実に劣化する。ひびが入った場所から更に進むその劣化は、補修しても、何も変わらない。雨水の当たる場所は、それだけでLEDの影響を大きく受け、始まったら、LED照明が有る限り、辛い現実へとそれは展開する。

 歩道や階段に敷き詰められたレンガ状のブロックの、そのつなぎ目の部分が、溶け出したり、破損したりして、無くなっている。その形状は、雨が降る度に少しずつ変わり、危険な状況へと、それは展開する。人の暮らしが、足元から崩れていく。LED照明は、人の生き方を、簡単に歪にする。

 

9.そんなはずはない、と思われても、そうであるのだから、それは無い。予想すらしなかった、と言われても、最初の時点で、その原因は嘘であったのだから、それは、当然の結果(という名のそれに呼応する原因)である。原因が無ければ、結果は無い。LED化による、広範囲における危うい状況は、そこに在ったその原因の正直な現れである。言い訳は、一切通用しない。

 在ってはならない事実を差し出されても、それを無視できること自体、人間とは思えない。人間は、次なる原因として、関わる状況をさりげなく真剣に観察し得る術を持つ。LED化をそのままに出来ること自体、その人の人生は、非人間的となる。LED化の恐ろしさは、こんなものではない。ずっと前からそこに在る原因の性質が、それを顕にする。

 

10.駅のホームの破損が著しい。LEDに侵された水(雨水)の他に、電車のLED照明の影響もあり、駅のホームは、大小様々に崩れ出している。錆びている個所も多い。

 地下に在る駅のホームも、天井や壁が怪しい。雨水は、どこからか入り込むと、横斜めに流れ、ホームの天井(壁)のコンクリートに伝わり(辿り着き)、それを劣化させる。簡単には修理出来ない場所でも、LED水は、徐々に、確実に崩していく。

 そして、電車のレールと、それを支える角柱(枕木)全体の劣化も進行する。駅のホームもレールも、その不安定さは、考えたくもない恐ろしい現実の、重量級の負の原因。LEDの光は、日夜、その異常な姿を拡大させていく。

 

11.地下に染み込んだ(LED化した)雨水は、土の性質を変え、これまでの普通を壊して、地中での土本来の仕事をさせなくさせる。そして、その負のサイクルは次第に密度を高め、あり得ない現実を生み出す力へと変貌する。

 建物が沈み、傾くことも当然予想される、LEDの負の影響力。その時、人は、為す術も無く、途方に暮れる。責任を取ってくれる人は、どこにも居ない。

 雨水がLED化することで生まれる、想像を大きく超える、いくつもの悲惨な現実。外灯も車も室内も皆、LEDを外す。それが唯一、それを避ける手立てである。

 

12.人としての生きる意味を見出したければ、LED化の原因を知り、LED照明の無い空間を安定させることから始める。それは、人としての(生命の)基本形の一部であるゆえ、それを外して、人としての意味を望むという歪な思考は、人としてあり得ない。LED照明は、生きる意味を狂わせる原因の形。その上での生き方は、それ自体が無意味となる。

 

13.LED照明とLED化した水によって変色した大木や塀(壁)などは、ある腐敗型の菌がそこで次々と増殖するかのように、それまでとは違う状態が保たれ、湿ったまま、元には戻らず、崩壊へのプロセスを経験する。木々は、生命力を無くして腐敗し、朽ちる(山は崩れる)。建物や道路の材質は、その殆どが腐食し、劣化する(街は沈む)。

 コンクリート(セメント)の成分を簡単に破壊するLEDは、水の成分をLED化したことで、あらゆるものを無生命化させる力を備えてしまう。水分を含むものは全て、LEDにより、元のままではいられなくなる。街や地方のどこにも、LEDの負の影響を被った場所が在る。

 

14.トンネルの壁に生じるであろう(すでに生じているかも…)亀裂は、雨水の伝わりを思えば、止まることもなく、いくつもの場所で進行する。そこに、車(電車)のLEDライト(ランプ)と、トンネル内のLED照明が更なる負の作用を及ぼし、そこは、最も危険な車道になる。トンネル内は、他とは異なり、湿気が抜けにくく、水気も乾きにくい。LED化した水は、安全・安心を根こそぎ奪っていく。

 

15.LED化がそのままだと、雨水は、(循環しながら)その破壊力を強めていき、人体(細胞)にも悪影響を及ぼすようになる。いつしか、人は、国内の水を今までのようには飲めなくなり、雨の日の外出も難しくなる。誰も、そうあって欲しくないが、LED化がそのままだと、それへの流れは止められない。

 昨今でも、雨の降る日は、その様子を変える(異様さを伝える)。夜間だと、それはよく分かる。生命力が蝕まれる、LEDに壊された雨の街。雨が降る度に、世の無生命化(腐敗)は進む。

 

16.街中の地面に降り注いだ雨水は、地下へと染み込み、土質の硬い場所で止まった後、そこで、LED特有の負の影響力を及ぼし始める。そこには、頑丈に築かれた建物の基礎の部分があり、その材質のコンクリートと鉄は、LED化した水の力で、劣化する。(コンクリートは溶け出し、鉄は錆びる)

 ビルの周りのアスファルト(タイル)に亀裂が生じたり、地面と接する外壁の部分が腐食(劣化)していたりする時、基礎は、それまでの状態ではなくなっていると考えられる。LEDに汚染された水は、あり得ないスピードで土質を変え、建物の重要な部分を破壊する。

 

17.着地点を探しているうちに、時間ばかりが過ぎ、予想を超える厳しさを自ら作り出してしまうことがある。地球自然界のための非LED化への流れはすでに始まっているが、その人としてのあたり前の選択を前にしても、頼れる大義名分を求め、立場を守るための画策を講じているうちに、(自分たちが招いた)侵食・劣化、そして破壊は進行する。その時、逃げ場所は無い。それでも逃げ切ろうとする算段は、どこにも通用しない。

 

18.雨水の流れる場所は、必ず変色し、そこに在るものはどんなものでも、劣化する。LEDの負の原因の意思を転写された水は、どこまでもその性質のまま、停滞と破壊を形にする。

 地下に通り道を作った雨水(LED水)は、次々と土を異質化させ、地盤沈下の原因を生み出す。道路も宅地も、LEDによって、それまでのままではいられない。ビルもマンションも、その周辺から、沈下し始める。

 

19.LEDの限り無い負の影響力は、これまでの理解が全く通用しない危うい原因がそこには在るため、経験や知識を基にそれを扱おうとすれば、どこまでもその性質(原因の意思)は分からないまま、全てが崩れていく時をただ眺めているだけとなる。専門家(科学者)と呼ばれる人たちも、事の原因に反応するという、人間本来の感性を普通に備えてなければ、思考の域から出られないまま(LEDの恐ろしさに触れられないまま)、無知を生きる。そして、その肩書(立場)が、いつのまにか破壊の道具となる。

 LED化の破壊力は、実に明らかである。動植物の気持ちになれば、それは瞬時に分かり、人として責任ある原因を生きていれば、決してそれ(LED化)を肯定することはない。事実は、事実。LED化を良しとする人生を、人は選択できない。

 

20.道路(宅地)に亀裂が生じ、陥没しても、地盤が弱り、電柱が傾いても、その重要な原因を知ろうとはせず、そのままに出来る、市や町の役員(職員)たち。LED照明による災いは、人としての感性(生き方)が健全であれば、誰もが普通に知り、地方行政に携わる人であれば、真っ先にそれに対処する責任を担う。その責任感覚を持たない人が地方の役人(役員)である時、心ある普通の人たちは、LEDに汚染され続け、生きる力を失くす。

 

21.科学的根拠が無ければ、動こうとはしない人ほど、体験的知識の質は薄く、無自覚の無責任さを、本能的に隠そうとする。それまでには無かった不自然な様が、LED化が始まってからのものであるとすれば、科学的(専門的)見解を待つまでもなく、それを止め、様子を観ることを選択するのが、普通人間の姿。そして、その後、人が手にする、その理由となる科学的根拠は、当然、公的機関や国との利害関係が全くない複数の研究所発の、総合的で、未来への責任ある性質のものとなる(ものでなければならない)。

 まずは、動く。科学的な観察(検証)は、後でもいい。人は、いつの時も、体験的知識を基に、生きる力を付けている。LED照明を外すために動くべく感性そのものが、取るべき生きた理由(根拠)である。

 

22.山崩れも、道路(宅地)の陥没も、雨漏りも皆、その原因には、LED照明が深く絡んでいる。そして、その事実の後ろ盾のような原因には、各自治体の責任ある立場の存在がある。

 LED化が進んだことで、人の心は、その危うさにも反応できない程、停滞している。危機に出会しても(瀕しても)、その原因であるLEDの存在は遠い。それが、LEDの恐さ。「まさか、そんなはずは…」と思っているうちに、街も農村も、山も海も崩れ(壊れ)、住む場所も無くなっていく。この今ほど、自治体が、未来のために機能していない(機能すべき)時は無い。

 

23.LED(雨水、ライト)による道路の亀裂は、陥没へと繋がり、地下に在る水道管やガス管の劣化(破損)を招く。その手前では、電柱や街路灯が傾く。一度事が生じれば、当然修復作業が為されるが、そのことで、一層地盤は脆くなり、悪循環の質は高まる。

 地中に染み込むLED水の負の力(威力)を甘く見てはならない。それは、全てを破壊する恐ろしい生き物のように、人々の生活環境を次々と蝕んでいく。世に生み出された、省エネという名の怪物は、嘘の原因を土台に、人々の財産を潰していく。

 

24.‘省エネ’という言葉を繰り返し口にするのは、人にそう思わせ、自らもそう思い込むことで、決して踏み込まれては欲しくない、そこにある欺瞞を隠すため。計り知れないその悪影響への反応を、思考の力(による洗脳)で、どこまでも鈍くさせる。

 ‘環境にやさしい’という言葉にこだわるのは、そのフレーズに誰もが心を動かされ、自分もそれに参加したい(協力したい)と思うその素朴な気持ちを悪用できるから。人の思考の満足は、そうではない実際の姿から距離が置かれたまま、大きくなる。

 送り手主導の手法の世界に一度入り込んだら(捕まったら)、どこまでも無自覚になる、LEDの危うさへの無感覚。分からないうちに行ってしまう無責任さの責任は大きい。‘省エネ’も‘環境にやさしい’も、自然界の意思(心ある人間社会の望み)や生命世界から観れば、恐ろしく巨大な騙しである。

 

25.LED照明を止めない本当の理由、それは、真実が恐いから。これまでずっと世の嘘を支え、自らも嘘を生きてきたことへの責任を取りたくないから。

 LED化は、その原因が、全て嘘。嘘の上で嘘を生きる人たちは、その数の力で、本当の世界を退ける。

 でも、永い時を経て、その原因の蓄積を浄化し得る時を、彼らは迎える。代償は大きい。好転反応もかなりである。「無有日記」の流れに添って、嘘は、嘘として、時代の異物になっていく。

 心ある自分を生きるのに、理由は要らない。LED照明を外すことに費やす時間も要らない。人間は、嘘の原因を生きられない。by 無有 7/05 2017

 

 

トップページへ