無有日記

 

9/25

今日の出来事も、明日の予想できる出来事も、所詮、太陽系の中では、どうでもいい人間レベルのもの。太陽が安心できる地球の姿をテーマにすれば、そこでのどんなことも、勝手にどうぞ…になる。どこまで行っても地球にはなろうとはしない人間の世界に、地球のために大切なことは無い。

9/25

嘘の人間には、黒い雲を生み出す粒子と同じものが大腸内に在り、それは、体内を巡って、脳内の電気活動を支える。黒い(暗い)服を着たがるのも、その粒子の影響。人間は、停滞感を普通に、その中で(その粒子絡みで)電気を起こしながら、非人間的現実を、人間的として生きる。

せっかくだから、その粒子を無くさせ、この3万年程の歴史の中で、初めて人間を生きてみる。太陽からの磁気も変わりつつある今、あとでそうであろうとしても、その時は無い。

9/25

自分は良い人、と思い続けたかったから、決して知ろうとはしなかった、ずっとそうではなかった自分。やっとそのことを知ることが出来ても、気づかされなければ、どこまでも気づかなかった(気づきたくはなかった)わけだから、それも嘘。それぐらいの自分が見えて来た。そして、嘘の中で本当らしく生きる人たちの世界に、気分わるさを覚えられるぐらいになった。

9/24

無有日記を読んでいれば困ることはないと思って読んでいた人が、困り出した。無有日記の世界こそ私の世界だと思っていた人の本当の世界が、顕になり出した。いつか書いたことのある、その人にとっての‘透明な鏡’という表現。無有日記は、読む人の原因(本心)を、ただ具現化させるだけ。求める対象でも依存できる場所でもない。無有日記を読むと、回転が変わる…それぐらいでいい。あとは、その人次第。

9/24

何も知らなくても全く平気な時間が普通に流れている。大事なことを意識する時間など持ちたくはないから、どこまでも自由な時間の中で、大事なことが勝手に動く。そして、やっと動くものの次元が変わり出したことを、いつもの時間が教えてくれる。植物極(生命本来)を押さえ込むことで存続できていた夜行性の次元が、その元となるところと繋がりにくくなっている。

9/24

分かっているから、いつも分からないでいる。分からない人が何かを分かろうとする時、分からない人には何も伝えられないから、その人が満足する(嬉しい)ことだけを伝え、その場を去る。分からない人は、本人も分からない恐ろしいものを秘めているから、それぐらいでいい。

人間は、分かっているから、人間。分かっている人同士だと、分かろうとすること自体、つまらない時間になる。

9/23

不自由を強いられる植物極にとっては、思い出し作業の時。それだけでも、本来の力は動き出す。それを押さえ込んだ動物極繋がりの世界では、新たな原因に全てを預ける中での、初めての生き直しが(その一部で)行われる。

夜行性(肉食)仕様の身体である以上、動物極は、どこまでも付きまとう。しかし、動物極がそうであり続けられるためのルートが、それとは別の次元では存在し、それは、動物極とは違って、限りを持つ。少しずつ、少しずつ動き出した、新しい時代の原因。ここに居て、頭を使わずに経験できることを、この時代に使ってもらう。

9/23

良いも悪いも無く読めば、これ以上無い経験がそこで生まれるであろう、このページの文章。人は、勘違いの中に居て、安心を覚え、本当を知ることを恐れる余り、他者を思考で判断する。無有日記を読めることを特別だとし、そうではない人を、見下げるように厳しく観察する。それは、嘘そのものの、その原因の姿。

そんなことがそのままでいることは大変なことだから、頭の中のもの全てを白紙に、言葉も文章も無い中から、その人の、姿を見せようとはしない様をあぶり出す。それぐらいでないと動かない、本当の人生。嘘の人生にこれ以上付き合う時間は、無有日記には無いから、ここから、次へと、新たな気持ちで歩み出す。全ては嘘。本当のことにはまだ少しも触れられるところには居ないことを自覚して、本当を生きる。

9/22

この9月は、誰にとっても、今まで一度も経験の無かったような時。それぐらいのうねりが何度も生まれ、その中を通り抜けようと、それぞれは、いつにない真剣さを具体化させる。力を入れず、向かわずに居ることを実践し、求めず、頼らない原因で、そこに在る歪な重たい時間を、ひとつひとつ砕いていく。

そして今、9月ラスト1週間程の時に入り、10月の太陽を感じられるところに来た。9月が過ぎれば大丈夫…という感触を、多くの人が抱く。本当の始まりの時を喜ぶ人たちが、次々とこれまでを切り離して、生まれ変わる。

9/22

変化というのは、どちらでもあって、どちらでもない自分の、その普段の姿のことを言い、そうであるから、その自覚もなく、自然な変化の中で、自然に変化に乗る。それは、自然界に生きる草食哺乳類たちの、そのさりげない健康・健全の原因のよう。

そうではない世界に居ると、変化をテーマに、たくさんの文章を読み、いくらでも時間をかけながら、二者択一的に変化を捉えつつ、変化とは縁遠い自分を(狡賢く、巧みに)延々と生きる。気づきも感動も、変化しないために上手く利用される。

それでは先には行けない、この今に続く、変化そのものの時。トップページから外れたコンテンツの文章は皆、変化を思考で扱えるぐらい、変化を遠ざけられる時間。それらから離れ、危うい自分(思考全開)だったこれまでのそこでの原因も、そこに降ろしていく。経験や記憶が力を持つ、良し悪しや正邪の概念ほど、変化を止める重たいものはないから。

9/21

5.立場上の義務感から、その振りはするが、人の話は、基本的には聞かない。人間の姿をした菌は、自分が得することや他人の問題事など、欲を満たすための話には快く耳を傾ける。

 

脳内の菌は、人間を面白く遊ぶために、知識や情報をいくらでも溜める。覚えたことは全て電気を起こす材料となり、優越や差別といった、菌が嬉しい状態にそれは活かされる。覚えるために覚える(読むために読む)スタイルを繰り返せる脳は、菌による製品の一つである。

 

菌は、感覚が無いので、傷を負うこともない。他人を操る菌とは喜んで争い、それで大変なことになっても、直ぐにそれを忘れる。菌からすれば、人間的な力の差などどうでもよく、ただ他の菌との絡みの処理と住み分けをしつつ、せっかく手にした人間を使って、遊び呆けるだけ。

 

見聞を広めることも、経験を積むことも、自らを増やせば遊び方も豊富に出来る菌の、脳内での電気事業。みんなでそうであるよう、それらへの価値概念を人間に固めさせ、その中で、楽しい時を生きる。何を知っても、誰に会っても、そこへと向かえば何も(質は)変わらず電気だけが動くことを、彼らは活かす。

 

中でも、人と人とが、知っていることや経験していることをただそのために(話すために)話す時、その人の中ではすでにそれらが居着いていた分、電気圧は強い。それで盛り上がりや興奮状態がつくり出されれば、脳内では、色鮮やかな電気が生まれて、菌の満足と共に、目まで輝く。

 

脳内の菌密度が濃い人は、その(理由となる)怯えから、人より上で居ようと、威厳たっぷりに(偉そうに)話す。意欲的で自信あり気な話し振りも、人間を自らの満足に上手く活かせなかった菌の、その記憶から。菌の戯れとしてある形ばかりの話も、要らない怖れと焦りを退けようと、支配された人間は妙に熱くなる。

 

話さなくても分かり合える関係性を決して認めない、話さなければ何も分からない人間しか扱えない菌。言葉が大切にされる世は、彼らが生きやすいようにと、感性の無い人間につくらせる。ネット環境もそう。自然と伝わるもの(人としての原因)の無い菌所有の人間によって、文字や言葉だけが、そこでは仕事をする。

 

話すと、自ずと動き出す、菌に支配された磁気発の電気。過去の記憶がそこで使われれば、菌も忙しくかけ回り、嬉しさも増大する。彼らが嫌なのは、話そうとはしない話。用意されず、どこにも向かわない、電磁気不要の話。その記憶に残りにくい本当の話には、電気は近づけない。

 

誰かの何かの話や、人や世の不自然・不安定の話は、その原因を処理し得る人の、その何気ない姿勢の中でのみ許される。それ以外は全て、菌の趣味によるもの。それは、永遠にNG。菌の欲求のままに話をする人は、話し声も笑い声も、人間のそれではない菌である。

9/18

世の、つくられた嘘や、在ってはならない原因の性質などを形(言葉)にして来たが、それらのひとつひとつを知り、自分なりに消化したつもりになっていても、元々その次元のことは無くてもいいものなので、いつまでもその理解・認識を大事にすることは、意味が無い。

無くてもいい現実のその原因に形を通して触れたら、その形を、自らのこれまでの原因と共に外す。そして、何も無いところへと行く。同じ土俵に居るから分かったことは、そこから離れた時、分かることも変わる。トップから外れたコンテンツは皆、その(それ関わりの)中に居るから、分かったこと。本当に分かるという経験は、そこに居ないことでしか手に出来ない。「生命の磁気」以前の無有日記からは自由になる。世の否定感情の原因に、この先も付き合うことは出来ない。

9/18

植物極という、地球に生きる生命たちの普通。地球そのものとなる生命体の原因から始まるそれは、彼らの自然な在り様のその基本となって、それぞれの時間を地球と繋ぐ。

その植物極への破壊行為から始まった、肉食哺乳類の次元。人間もそう。彼らは、植物極の息吹きを押さえ込み、その回転を止めることで、自ずと右巻きら線の動き(電気)を生み出す。植物極のコピー無しでは生きられず、植物極が元気になっても生きにくさを経験する、実に非生命的な(動物極からの)存在たち。これまでの全てから自由になるこの時の意味を、先へと行く人は感じ取れると思う。

9/17

頭で分かることは、どこまで行っても期間限定。だから、分かろうとする人の頭のために、いつの時も、時代は変化を止められる。それをずっと教え、体験的知識の質を高めて来た、これまで。そして、もういいだろう…の時に居る。

言葉は、自己を偽る道具。言葉による理解は、嘘(偽善、欺瞞)を通すための頭の働き。人間には、人間本来という世界が在る。その人間も、本来も、言葉ではない次元がそれを通るだけ。頭で分かる世界は、全て、変化を止める原因である。

9/17

人間的な二者択一的思考は、完全に外す。でなきゃ、永遠に自分を知ることはない。自分の恐ろしさ、危うさを、簡単に、どこまでも隠し得る、人間的価値観。それがいつまでも大事にされるから、嘘は嘘のまま、平気で本当の顔を演じる。

この時代、無有日記と縁するというのは、できるだけ早いうちに、数万年分の嘘を外して、そこに在る本当の姿を知ること。そのための材料となる時を後方に、ここからは、あたり前に人間的思考の無い道に出る。その時から始まる真のEWの時を、行ける人だけが行く。

9/17

人は、無有日記の中に意味を見つけることなどはしない。彼らは、無有日記の存在に意味を感じているから、言葉より先に、その真剣さが時代を歩く。約束は、無有日記の在るこの時代を活かすこと。無有日記の内容ではなく、無有日記の原因そのものを、ひとりの人間として生きること。そして、その本当の始まりがここからであるということを、彼らは、初めから知っている。

9/17

猫科の動物は、元々は存在せず、ある草食動物がその生命の核(植物極)を完全に支配されたことから、菌漬けの(肛門で生きる)猫科の動物がそこに現れ、数百万年の時を経て、それは現在に至る。人間も同じ。数万年前まで、人間は植物極。その頃まではもちろん、現在の後口動物のような、大腸菌の次元は無かった。(猫との同居は、動物極(大腸菌)同士の融合とも言える。)

猫科(目)の動物を元に戻すには、かなりの時間を要するが、わずか3万年間程の人間の場合、それへの道が動き出せば、それは、肉食とは無縁の本当の人間へと、姿を変えていく(途中は凄まじいが…)。コピーしなきゃ人間ではいられない、動物極の嘘の(猫と同次の)人間。真の人間たちの中での植物極の記憶は、まだ健在である。

9/16

静電気不要の無有日記でホエ〜っとした後は、そこに電気が勢い良く流れるから、嘘の心身は元気になる。変化させられそうになったことで、地磁気への反発・反動(電気)も、そこでは強力に動く。その度合いから、思いがけず体調を崩すこともある。

それは、本質的な重たさの現れ。電気×電気で活力を手にする、夜行性の原因。その重たさを、本気で力無くさせられるか…。重たさを普通とする次元への対処が無くなる今、‘全ては自分’の意味が、その人の中で、然るべき道を決める。

9/16

体の中で、細胞本来の意思が動き出している。ずっと押さえ込まれていた植物極の原因が、胆のうと共に形を手にしようとしている。動物極繋がりの菌に支配されたままの人間が、人間であるはずが無い。

9/16

無有日記を読み続けてないと、気持ちが不安定になったり、心身が重くなったりしてしまう人。それって、無有日記を読むことで変われるぐらいのところが好きで、読んでない時にも変われるところには興味が無いということ。好きな物を食べていれば、身も心も満足、と同じ。そんな脚の無い読み方に、長いこと無有日記は付き合っていた。感動・気づきごっこに無有日記を利用し続けられること自体、まさに蛇脳。

9/15

理由の要らない平和と健康の原因が、無有日記を通る。だから、無有日記で病むことはなく、それを望まない意思が抵抗する余り、その人は、勝手に病む。そして、それを癒してもらおうと、上手く責任転嫁を形に、更なる抵抗をその存在は実践する。

それでも全く構わない、無有日記。全てを知るから、余裕で応える、この時代の望み。ただそれが、この先への必要性から、終わったということ。この今を以て、未来地球への原因を力強く動かし始めたということ。

お遊びは、ここまで。もちろん、何か新しいことをするというわけではない。ただ、これまでが終わった。

9/15

4.目は持たず、感覚も感情も無い、菌。欲を満たせるかどうかの判断のみで動く、菌。そんな菌が身体を支配しているわけだから、感性の無さも責任感覚の未熟さも、当然と言えば当然のこと。菌も、それそのものの人間も、人間にしか分からない無有日記を嫌う(恐れる)。

あることに満足すると、それでそれは終わり、元に戻って次なる欲を具体化しようと、動き出す。大小いろいろな欲がそこでは入れ替わり、人は、不満足と満足の間を行き来する。それが菌の人間版。欲は、人間の本質・本能ではなく、単なる、菌の歪な特性である。

空間も、菌によって支配される。その全ては、自分たち菌仕様。そこに相応しくないもの(人、形、価値観etc.)があれば、共鳴感の違いから瞬時にそれを感じ取り、その全てを攻撃(破壊、押さえ込み)の対象とする。中性子を違える139)が多次元的に無限に在ることで、空間そのものが自分たちの住み処となり、人間は皆、その中で弄ばれる。

 

支配された人間から見れば、何も分からない中で、人間的に決められたそこでの価値基準を基に、正しいとされることを、正しさとして生きる。それを人は、人間の然るべき道と考える。

支配する菌から見れば、その何もかもが自分たちの操作によるものなので、何が有っても無くても、その全ては欲のための材料。生きることの質など、端っからどうでも良い。

人間がどこまで行っても本当の人間を生きることのないよう、菌は、人間を支配する。であるから、その菌から見た人間世界を通して、菌の姿を見る。それは、唯一の、人間の変化への道筋。

 

脳内の菌には、他の部分とは大きく違った性質(次元)を備える場所が在り、それが、神経同士を結び付ける、神経間での伝達の仕事を担う粒子(磁気)である。陽子は、他と同じ13であるが、電子は3で、形あるところでは、脳の中での仕事において、それは活発に活動する。(無数に在る)異なる中性子数のそれによって、内容や関わるところを違え、それは行われる。夜行性人間の脳活動に仕組まれたその粒子(菌)を以て、人間は、同質・同次の時空を過ごし得るよう、それを通して操られる(地磁気で生きる生命体の脳は、それを不要とする)。

9/14

地球目線で伝え(教え)られたくはなかったことに、本心が焦っている。知らなければもっと好き勝手に出来たのに…と、悔しさを募らせる。地球が嬉しい話など聞きたくない存在の操り人形たちは、思わず黒いスニーカーや黒いくつ下を選び、喜んでそれらを履いている自分の姿にドキッとする。実(嘘)が次々と湧き出て来て、止まらなくなる。バーリーケーキ類も、本当は嬉しくない現実。ウィルス事情も、自分たちの本質。何もかもが、がまん出来なくなってくる。

「生命の磁気」と「普通の風景」は、夜行性(肉食)人間が最も嫌な原因の乗った、地球の安心に繋がる文章。無有日記は、本格的に、地磁気を応援する生命たちを元気にする。ゲートをくぐれば、新たな始まりは「生命の磁気」から。

9/14

同じ風景を見ていて、思い思いに歩く。それだけでいい。時々交わす言葉も、内容は要らず、ただ共に居られるそのことを、互いは嬉しい。いつかのように、いつまでもそうでいる。

8月に入った頃から、目にする言葉や文字が気持ちわるくなり出した。聞かされる言葉も、読まされる文字も、獣の吐く息のような感じになって、受け付けなくなっている。ずっとそうであったことに蓋をしていたのであろう、これまで。声も音も仕草も、人間以前の姿を、それは伝える。

多くを語らず、重たさをかき回すこともなく、静かに過ごせたら、と思う。何もせず、何にでもなれる道を、淡々と生きる。変えなきゃならないものは何も無い新たな時を、変化そのものとなって、ゆったりと風に乗る。

9/14

「地磁気」ラストまで5年間働いてくれた思考を、解放している。そして、「普通の風景」からは、やっと無有日記も、太陽と遊べるところに居る。トップから姿を消した文章は、癒しごっこ大好きな人たちによって尽く遠ざけられた、力を失くした変化の原因。個人的な好みとなって自由を奪われた彼らに、これ以上辛い想いをさせたくはないから、休ませた。

自己満足の道具と化した無有日記は、身動きが出来なくなる。個人のハッピー感や分かった風の理解の材料として(ネット上などで)使われたりすると、無有日記は、無くてもいい痛みに耐えるしかなくなる。必要性がそこに在るとはいえ、彼らも、よく耐えた。流れを止められることへのEWをし続けたこれまでの無有日記は、その仕事を終える。

9/13

事ある度に原因を浄化してもらおうとして、MEの世界に頼るのを当然とする人たち。それを正当化する理屈の裏には、想像を超える狡賢さと凶悪さが有るゆえ、他への影響を考えて、付き合ってあげた。何も変わらないことは初めから分かっていても、そこに在る変わらなさが強力な武器でもあったために、フツ〜に事(その原因)を知り、生命力を吸い取られてあげた。

体がボロボロになろうとしていたその手前で、未来の自分と相談する。そして、始まった。そろそろ、自分の体を大事にしようと…。病んだ現実のその原因は、それがどんなであれ、その人(関わり)のもの。同じことを繰り返すのは、その負の原因を、自らが好んで生きているから。よくここまで付き合えたな、と思う。無有日記も、BWも、本当の仕事は、これから。

9/13

変化の無さは、回転の無さ。言葉にすると、それは実に恐いことだと分かる。地球と共に生きる生命体は、非地球のそれ(肉食、夜行性)を除き、全て、その生の原因は回転している。だから、変化も普通。そうではない状態があたり前でいるという、そのあり得なさを地で行く存在たちと、生まれた時からずっと今日まで関わって来ている。

普通に回転する人間のための時が動き出している。彼らの回転を止めていた回転の無い人間(?)は、放って置く。この時期の無有日記(ME)に期待しようとするその思考自体が、人の変化を止める(止めてきた)強力な回転の無さの反映であるゆえ、それへの時間は永遠に無い。そして、これからを、未来のために、共に変える。

9/13

物から、人からと、飛び交う放射線の酷さは昨年の比ではない。それは、抗えない破壊力の中に身を置いているようなものだから、自分のことは、自分で守る。

本心が変化を望まない人の心身は、それを分からないよう(無意識に)押さえ込んでいる分、いつも不安定。見た目がそうじゃないから、何かが有れば、被害者顔がよく似合う。

それぐらいで済めば良いのだが、変化への抵抗・反発は、岩塩・バーリーの流れで一層増大する。それでも良い人を徹底する意思は、良し悪しの良い方へと電気を強力に働かせて、地磁気と融合する(電気の要らない)食を、電気脳全開で食べる。美味しいとセットできた頭は満足でも、内面(無意識の意思)は怒りである。

9/13

3.菌からすれば、人間を使って遊べるだけ遊ぶ…それだけ。情や思考を忙しくさせても、その後何事も無かったように出来るのは、人間ではなく、菌だから。食べていれば満足なのも、暗い服(黒い物)を好むのもそう。脳を操る菌が、人間の姿をして歩いている。

何かを見てステキやキレイだと思う時、そこには、その対象物主導の菌の働きかけが在り、人は目を通して、自らの菌をそれに呼応させているという事実が在る。好印象や強い刺激などを生み出す物を利用した菌によって、簡単にその(磁気の)影響下に収まってしまう、人間。人や物に対する好感の殆どが、脳内で磁気を操る菌の、電気仕掛けの仕業と考えて良い(恋愛の類もそうである)。

 

菌の遊び道具として、彼らの思い通りの人間の世がつくり出される、菌の世界。目や耳は、元々そんなものは無くても全く構わない彼らに、人間を楽しむためのその材料となって使われる。だから、嘘の(電気のみで生きる)人間は、都合よく(身勝手に)見たくないものは見ず、聞きたくないことは聞かない。菌は、磁気を力に、貪欲な電気活動を繰り広げ、狡賢さ(計算高さ)や凶悪さなども、蛇や猫絡みの人間の中で磨きをかける。

自分の欲のために食指が動く時にだけ、身体が活動的になる、菌と同一化した夜行性人間。菌は、欲を満たすためのそのプロセスの中に常に居て、それ以外は平気で無視する。そうである人間は、人としての基本的なことまで、欲のために退ける。

そして、そうであり続けられるようにと、その次元の人間は、菌との連繋を密に、優遇される立場や勝手が通用する場所を手にする。菌の思惑通りに動く人間は、妙な力で欲深さを正当化しつつ、菌を生きる。

9/12

無有日記は変化そのものだから、個人的に頼られてしまうと、その動きの無い原因から、反動は強い。身の周りの出来事ひとつひとつにまでご利益・依存心を絡めて関わられると、変化を拒むその無意識(狡賢さ)の影響力は、増大する。そして、当然のその反映として、蓄積した負の土台は具現化へと向かう。

何度伝えても、簡単に無視される、責任ある原因の選択(自分自身で選び、決めること)。自らが選ばなきゃ、原因は変わらず、どんな原因も動かない。無有日記の次元は、これまでとは全く違うから、事が不自然に大きくならないよう、良いとこ取りだけは控える。無有日記はいつも、その人の(形ある)言動は無視して、その原因の素顔を見る。‘無有日記に縁しているのに、なぜ?’の経験は、単にまだ、中身が、無有日記とは縁してないから。

9/12

今まで書いて来た無有日記の内容全ては、まだまだ読み物レベル。普通に書けて、普通に読めて、変えられるところも、簡単に抵抗されてしまうぐらいのもの。それでも、一人間として、書き続けた。そして思うのは、言葉を使うことから始まる次元を普通に超えていることの、言葉の基本。内容云々の世界を離れて、それが、あたり前に変化に乗る。それだけでいい。

無有日記が無有日記であり続けるためのその基本形は、文字になるその手前の原因の意思が、常に主導権を握っていること。無有日記が真に成長するこの時、文字になろうとはしない原因が、本当の仕事をしたがっている。

9/12

その人が本当にLED照明に辛さを覚える時、地球が嬉しいEWに安心する姿が、普通にそこには在る。きっかけはどんなであれ、LED照明から離れられているというのは、地球と共に守られた人と、地球を切り離して守られたい人の、2つを混合させる。違和感の始点が覚えた知識でしかない人の空間を、かつての嘘の原因が照らし出す。

9/09

目の前に差し出された(今回限りの)生き直しの機会も、それを手にすれば人としての原因の無さが隠し通せなくなるため、近寄らずにその概念を知識に収められるよう、それをただ眺め、思考の道具に繰り返し使う。それは、本来への抵抗という次元ではない、それがまさに本来であるという、その普通からなる自然で当然の姿。

それを放って置くことは未来地球のためには在ってはならないから、莫大な多次元(時間)とエネルギーをそのことに注ぐ。そして、気づけば、未来地球のために、それを止めている今が在る。そんな時が来た。ムーが変わる(ん?)

9/09

どれだけの言葉を使って表現しても、ほんの少しも触れさせられない、凄まじく恐ろしい(不気味な)人間世界の中身。だったら、その中身が勝手に崩れる流れになるようにと、真の人間経験を応援する意味で、無有日記は姿を見せる。人間は、良く言えば、歩く大腸菌(肛門)。その裏側からだと、気味が悪すぎて、言葉が無くなる。この地では、顔を大腸菌パックされて(猫になめられて)喜ぶ人間の数が驚く程だから、‘メンインブラック’を邦画版として作ったら、どんなだろう?

9/09

自らの原因(本質、本性)が刺激されて動かされてしまうために、世の人間は、無有日記を嫌う。しかし、どんなことがあってもそうにはならない自信の有る人は、(形としての)無有日記を大切にしながらもその原因は完全に退けるという、どこにも無いハイレベルな遊びに興じる。本当にも嘘にもなる文字の次元を本当に、どちらでもあってどちらでもない(文字になり得ない)原因を尽く不自由にさせる。外側(思考)だけを回して、内側の嘘を固めようとする生き方に、無有日記は、最高の道具である。

9/09

2.脳の中に、脳は無く、肝臓や腎臓の中にも、それらは無い。在るのは、菌。様々な物質がそこには在っても、その物質自体が菌の個性ある姿であり、それを菌が動かす。脳神経細胞の活動は、脳内の専属のようにしてそこに住み着く菌たちの、その増殖活動のこと。体内のどの器官も組織も、それぞれのその特性が活かされた菌によって支配され、脳と小腸のそれは、その磁気活動を強力に、細胞レベルでの電気を操る。

体内の菌は、体内特有の磁気の仕事をしながら、人間としての生命活動の、その本質となる役を担う。物質の結合の際にも、菌はきめ細かくそれに関わり、それぞれの磁気が、同質・同類の次元を楽しみながらつくり出す。そんな菌でも、彼らは、太陽の光(磁気)を恐れる。それと同次の、無有日記からの光無き光に反応する余り、菌は、人間に、光に仕事をさせない暗い(黒い)装いを持たせる。静磁気状態が安定する黒は、人間を動かす菌(磁気)にとって、安心できる色。操られるまま夜行性化(獣化)を強める人間は、黒の割合を増やしたファッションで、その非人間的本質を顕にする。

 

菌(という粒子の磁気)が脳内で動くと、電気が生まれ、それによって、人間の身体は動くことが出来る。菌の粒子は全て、陽子13(電子9)絡み。中性子を違えた数多くのその原因(意思)が活動的に仕事(脳活動)をすることで、人間は、人間でいられる。それらはまた、それぞれ特有の性質や方向性を生み出す。

記憶や知識が電気を生み出す静磁気の材料であることを考えれば、思考も感情も、菌の好き勝手な働きと言える。人と人との間の問題(特に男女間のこと)も、磁気で遊ぶ菌の、操り人間状態。人間は、菌の所有物として在り、その様を用意してくれた存在のおかげで、彼らは、自分たちの住みやすい世を、人間としてつくり出していく。

9/05

形無き原因と共に歩み続ける中で、これ以上同じ性質(次元)のそこには居られない、という流れが始まったのは、5年前の夏。そのことによる変化が、これまでで、これからの変化は、これまでのそれらからも離れる。そうであってもOKなように育んできた、それぞれの自然な在り様。変化への抵抗を指揮・主導する存在というのは、どこまで行っても人間レベルからでは分からないから(分かった時には全てが手遅れ状態)、頭を使わず、かつ頭を使わされない自分を、日頃から安定させる。

それが尽くおかしくなっているのに、全く分からなくなっている状態になると、無有日記(ME)や私への個人的な感想、感覚、理解が文字として在る(何度も登場する)場所に繰り返し訪れて、喜ぶ自分が居る。それは、無有日記に出会って1年目ぐらいの人が過ごす、個人的に嬉しい(動かなくてもいい)時間。この今のそれは、余りに危険。その次元で身の上が行き交うことも、崩壊の力へとそれは変わる。これまでに無い仕切り直しをする。軌道修正のハンドルは、自分が握っている。

9/05

幼い頃、この季節になると、遊びから帰った後に、なぜか頭が妙な状態になり、おかしな時空に連れて行かれていた(引き込まれて行った)。年に数回、何年もの間続いたそれは、今風に言えば、形無き世界での(生命エネルギーがゼロになるような)拷問。抵抗して帰り方を間違えると、後が大変だった。

その時と同じような状態が、あるタイミングで、60年程振りに現れる。それと一緒になって見えてくる、その次元関わりの(その次元が利用する)人間たち。そしてそこでの、いくつもの確認作業と、それぞれの力の中身の把握。ずっと自分のものではなくなっていた人生に、ほんの少しの少しの少しだけ、光が見えてくる。人間発の敏感さが復活しつつある今、帰り方などどうでも良いところに居る。

9/05

菌についての文章が始まったことで動き出したものが在り、それに付き合っているうちに、更新ペースはスローになる。必然的(?)にPCからも離れ、次の原稿の時までにその処理を終えておくべき場所へと、何度も訪れる。

言葉を通して変われるのは、その言葉が無ければ変われなかったレベルのこと。つまり、そこでは、変わる気持ちを抱く(抱かされる)だけで、人として生きる上での普通(変わる意思)は、どこにも見つからない。だからどうのこうの…という世界に居ては、変わらなさを強めるだけ。変わらなきゃならない時に、変えようとする言葉(変われると思える言葉)は要らない。時代の必要性も、新たな変化に乗る。

9/05

人間を弄ぶ存在たちのその本性(無意識の意思)が嬉しいのは、自分たちの元となる次元で、胚に大腸菌が入れ込まれたこと(原口が一度閉じるその時までに菌の納入が行われる)。そのため、人間は誰も、夜行性の世界からは自由になれず、脳が大腸菌漬けになっても、それを電気の源として活動的に生きる(というおかしな生を生きる)。

15時間もの間、食べた物が居座る、大腸。そこで激増する菌は、臭いの元となって、体全体の電気をつくる。体の痛みは、それを利用されてのこと。人を病ませる無意識の意思のその最高の道具として、大腸菌は日夜活躍する。

(猫を可愛がるのは、肛門をなめる猫の舌に触れることで、大腸菌に包まれるから。人生は、そうとも分からず、大腸菌と融合する。)

9/05

無意識の意思世界には、病みの代表格(権化)のような存在が居て、彼らは、仲良く刺激し合いながら、普通の人の生命力を人知れず吸い取りつつ、思い通りに生きる。その無意識の意思が活動的になると、人は理由も分からず体に熱感(極度の冷え)を覚えたり、妙な頭痛を経験したりして、不調和な状態に陥る。そして、その度数が強まる時、その人数は増える。

この2週間程、体が熱を持ったり、頭が痛かったりする人が増えたのは、兄弟や親子関係で繋がる彼らの中で、その無意識の意思が、あることで強烈になったため。その人の本当の姿である無意識の意思の世界は、つかみどころが無いため、どこまでも分かりにくい。でも、やっと、リアルタイムで、最大級とも言える次元のそれを把握し得るところに来た。ウィルス(ワクチン)事情は、思いがけない現実を連れて来る。

9/01

2021

1.人間の脳を操る存在は、時に粒子であり、磁気であって、無数・無限の能力表現を多次元的に行使しながら、好き勝手に人間を遊ぶ。それぐらいだから、その姿を形容することは、限り無く難しい。

しかし、その存在の意のままに、脳を動かし、言葉や文字を生み出して来た、人間。物や形の性質などによって、それに当てた(それを対象とした)言葉はいくらでも存在するが、その中に、何気にその存在が反応し、そう呼ばれることで、何らかの反発・反動のようなものが生じる言葉が在るのでは、と勝手に想像する。

人間を通して、繰り返し使われ、仕事をして来た、言葉。その間、そこには、ある種の同一の感覚・感触を抱かせたり、明確な描写の材料として活かされたりする言葉が生まれ、それを共通認識の道具に、人は会話や文字による表現の場を設ける。そんな中に、脳の操り手が、図らずも自らの性質を反映させてしまった言葉が在ると、勝手に想像する。

 

すると、他とは大きく異なる感覚とそれへの違和感が、質を違えながらもその次元を高め、次第に脳の中の磁気次元を遡って行ける程の原因が動き出す。そして、それは姿を見せる。その言葉は、菌。菌という言葉を原因に、行ける場所が、どこまでも広がる。

反発は強く、攻撃は凄まじい。ところが、図星状態というのは、当人にとっては、それだけで不充分さをつくり出す。その度に通るべきところを通り、処理すべきところは、確実に処理する。菌という言葉への嫌がり度は、思いの外強烈であるため、そこに居ることで可能となることが、次々と形になる。多次元的世界の至るところに触れ得る道として、菌が、その気も無く、その案内役を担う。

 

 

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