無有日記

 

12/31

その姿を例えて言うならば、という話が全く通用しない、世にも不思議で恐ろしく不可解な本性を持つ存在。かつて、どんな経験をすれば、そこまでになれるのか? どんな記憶を重ねれば、それまでのことができるのか? 何もせずに、心ある人の生命力を奪い、何をしても、柔らかな人の生きる力を失くさせてしまう。それを意識できる時はすでに、終わりの始まり。何もせずに、その破壊力を奪い、何をしても、心ある人の生きる力を本来にする。

では、全く新しい2015年に会いましょう。

12/30

加速して止まない病みの燃料源とその強力な材料となる人生を選ぶ企みが、数百年単位の負の浄化を容易とするそのあり得ない原因の世界との出会いによって頓挫することは、彼らの存在にかけて決して許し難い経験であるが、その全てが、その大いなる手前のところですでに把握されていたことと、彼らの無知ゆえの悪あがきと愚かさが限りない安心と余裕の中で観察されていたことは、只々全心の普通である。

在るべき本来の姿を基礎とするゆえ、その厳しさから、通常枠に収まらない人間時間を費やさざるを得なかったこともあるが、皆のその責任ある意思表現と受容は、まさに生命世界の希望そのものであり、時代の喜びである。 太陽が微笑み、地球が安心する。

12/29

不安も怖れも、元を辿れば、二重、三重と自己を偽る怯えそのものの精神に心を慣れさせた妙な存在の無意識の力。その感情の多面性と欲深さは、世情の域を軽く超えた、心ある人たちの純粋さの操り。歴史的な負の連鎖も、重く苦しい現実も好みの憑泊潜在でしかない彼女(彼)の表情(瞳)の奥に、奈落が見える。

12/25

凝り固めた否定感情の影響に無責任な人。常識ある言動で(世間的に良いとされることで)、精神の危うさを隠す人。そして、無意識の意思に、素朴で健全な感性を持つ存在に対する残忍さを備えている人。彼らが「心の風」を読み続けることは、何より難しい。何よりも怖れる原因(対象)に意識を向けることは何があっても避けたい彼らの中に、人間性は無い。

12/24

ムーセンテンスに触れ続ける意味は大きい。そのことに難しさを覚えても、その経験自体がそれまでとは違う。ひとつひとつを自分のことのように読むことで流れ込む、全体発の力強い原因。心が自由に、元気になって、縁ある風景も変わらざるを得なくなる、生命本来の営み。ふと気づけば、優しさと温もりが普通になる。

12/19

・影響を受けやすい人は、その自覚もなく、他者に影響を与えやすい。しかし、その背景には、自分に対して影響を与えた存在がいるわけだから、話はややこしくなる。他者に対して影響を与えていた無意識の危うさを知るというのは、まさに負の連鎖が砕かれる大切な機会である。「心の風」を自分と重ね、自分(の心の風景)に繋がる病み街道を崩していく。みんなが動きやすく、生きやすい風景を普通にする。

・間違ったことを言わないよう、頭で上手く言葉をコントロールできる人ほど、抱いてはならない感情を抱きやすく、そのことに敏感に反応する素朴な感性を持つ人の正直で率直な(粗削りな)発言に苛立ちを覚え、彼を非難する。問題事の原因の多くが、思考の強い人の内面にあることを容易に理解できる。

12/18

・問題事を処理することで良しとする姿勢を後に、問題視するまでもない問題事の存在意義を無くさせ、問題とされる出来事の原因と縁遠い日常を送る。人の意識を容易に引っ張る問題事が力を持っていては、健康も平和も普通にはなれない。

・距離を置くことで保てていたものが、距離を置きにくくなる流れの中で、それが難しくなる経験は控えたい。距離を置くことで、経験から自由になりやすく、質の異なる原因を生きるという経験を創り得たこと。次に続く展開は、次なる必要性の意思に任せる。距離感の判断材料からも自由になる。

・変われない理由から始まる、変わりたい気持ちを持ち続ける人。変化は、理由の要らない本来の姿。変われない(変わりたくない)時にだけ、作為的な理由が活躍する。

・何をしても変わろうとしない負の影響力がそこにある時、何もしない時間を増やすことでしか経験できない、強制受容的な自己観察が、唯一その変化の機会になる。それを選択することで手にする変化は、時に、想像以上の厳しさと痛みを伴うこともあるが、でもそれは、みんなの安心の確かな材料になる。

・誰も出来ないことをし、誰も行けない場所に行こうとするより、誰もが出来ることの質を高め、誰にも行かせたい場所への道になる。誰もがそうであるべきことが、とても困難になってしまっている時、それをさりげなく普通に実践する意味は大きい。みんながそうであれば、みんなの普通が輝き出す。誰も出来ることの質の向上が、次に続くみんなの大切な原因になる。

12/17

・重たい人(その無意識に動きのない不安を固めた人)がけんめいに何かをしようとすると、柔らかい人はそれと同じことが出来にくくなる、という不思議でも何でもない原因発の(原因の性質の反映でもある)普通の話がある。それは、原因不明の不本意な状態として、多くの人が経験していて、生活全般において観察されることである。それを知れば、「重たい人は、何かを探し求めたり、何かに興じたりしてはならない」という、実に無責任な発想を責任を持って抱くに至る。柔らかな原因を持たないゆえに重たい事実を無視できる存在たち。否定感情を本能の域にまで染み込ませたその姿には、健全な違和感も及ばない。

・生命としての人間を生きる上で基本となるその原因の変化・成長をその意識もなく頑なに拒み続ける人は、人の変化を簡単に止める。止められた人は、その自覚もなく本来が力を失くし、不調にも馴れっこになり、いつしか他の人の変化を止める。そして、変わりにくさが蔓延する。張本人的な存在は、その感性が、生命本来の風景に照らされることで分かり出す。好き嫌いがベースだったり、後付けが巧かったり。特異性や物語を望んだり、情熱く、気づきを趣味としていたり。その多くが、自然体の表現を避け、不自然・不健康な問題事を抱えていることも外せない。その本質は、言わば、病的な否定感情と、脳の極度の冷え性。放っては置けない性質である。(しかし、所詮それらは、皆人間的なもの。その姿が感知されることを何より恐れる、限り無く普通に思われ続ける(形無き原因の性質を殆ど無視する)、負の根源的な存在がその背後にいることを忘れてはならない)

12/16

・かつて、大勢の生命を奪った記憶(エネルギーの遺伝子)を持つ人は、その時とは時代背景の異なる今、大勢の人の生命を守り、支えようとする人の人生を奪う。そうはさせないと、敢えて彼(彼女)と縁することを選んだ、かつて耐え難き苦しみを受容した存在たち。そんな経験(原因)も浄化し、当人の無意識の性質(本性)を変え、全てを喜びにする。そのために今があり、その時を待つ未来がある。材料は皆ここにある。

・自分の中に有るべきものが無いことを認めても、変わるのは、頭だけ。現実を変えていくには、無かった場所に、新たにそれを育て始めること。有るべきものが無いままでいることも、無いことと有ることがかけ離れたままでいることも、生命世界(選択の根源)には無いから。

・有るべきものが無いことの認識を難しくさせているのが、無くてもいいものがずっと有る場合。中でも差別心と支配欲は、どこまでも本来を遠ざけ、自然体の優しさや形無き原因のままの愛情からも無縁となる。必要とさせられているものに敏感になり、自らの感情の性質と価値観を観察する。そして、原因を成長させ、有るべきものを普通とする、生命本来の世界の住人になる。

12/15

・役に立つことよりも、ジャマをしないことでしか役に立つことができない人。近づかなくてもいい場所に近づき、経験しなくてもいい経験を重ね、要らない感情で、要らないことを人に関わらせる。

・言われた内容の厳しさに反応するのは当然だけど、それを言わざるを得なかった人の厳しさの背景を感じることも当然とする。否定感情と無縁の厳しさは、力強い原因の機会である。

・心冷たい人の感情が“寂しさ”という言葉に変換される時、ずっと冷たいままでいられるその理由の中から、陰湿なものが他者へと流れ出す。どんな人も覚える寂しさという感情だけど、どんな人がそう感じるかで、その先は異なる。元来、寂しさは、みんなの普通が侵されようとしている時に生じる、生命としての健全な感覚である。

12/14

・予期せぬ厳しさに遭い、為す術もなく時間だけが過ぎようとする時、自分の中の直感的な創造力だけが頼りになる。求められるのは、自分。自分以外に求めている時間は無い。

・ムダなことは何もないけど、そう思うことで、ムダとなる経験を繰り返す場合がある。

・文章を通して伝わる、心の性質。話し言葉と一緒に流れ出す、本当の姿。何気ない選択が教える、生命としての在り様。

・ズルイ人は、そう思われることを無視できる人だから、面と向かって聞いてみる。「どうしてあなたはそんなにズルイの?」と。

・気づかされただけなのに、気づいたと思っている人。気づきの下地に勘違いがある時、その正体は、多くが、心の無さと無責任である。

12/13

・みんなにとっては良い人でも、自分にとってはそうではなかったり、自分にとっては良い人でも、みんなにとってはそうではなかったり。でも、その人の良いことがみんなにとってのそれであり、そのみんなが、心ある柔らかな想いのみんなであれば、思考の働きは要らない。評価・判断を不要とする自然な関係性が、そのまま本来の普通を押し上げる。

・人は、次への責任ある原因を通して不調の原因が癒される経験をすると、その不調を経験せざるを得なかったその奥の原因(理由)の風景に触れることができる。そして経験する、同じ繰り返しをしてはならないという、新たな原因への責任。ただ癒されればいい、楽になればいいだけの個の域に留まる癒しは、空間や社会までを不調にする、強力な負の意識。癒しは、癒されたい人のためのものではなく、癒されるべき幾重もの原因へのためのものである。

12/11

・鈍感だから感じないのではなく、感じないことに謙虚でいられないから、鈍感のまま。そんな人は、感覚的理解と責任を全て放棄したかのように、頭だけで生きる。分からないことは否定し、感じられないことは外へと追いやり、狭い常識と理屈で、その未熟な感性を隠し通す。謙虚さの無い鈍感は、心無い無意識を内に固めている現れ。人生のムダづかいは甚だしい。

・頭を使わないと、感情の重たい人は不安定になる。考えずに話すと、思考の強い人は不自然になる。そして伝わる、心と精神の危うさ。だから、心の成長のために、頭を使わず、思考を自由にさせる。心ある人は、頭を使わなくても心ある本来を生きているから、当然頭を使っても、心無い人のそれとは次元が違う。考えて話すのが苦手だけど、考えるまでもないあるがままの原因に支えられ、ふとその必要性に思考を付き合わせる。人間には、頭を使って考えること以上に大切にされるべき、その手前の責任ある心(原因)の性質がある。それをあたり前に育む人間が頭を使うのであり、頭を使うから人間なのではない。

・素数の源泉の扉を開ければ、そこにも心の風は吹いていて、全てであるひとつの誕生の源にも触れることができる。意識と存在と空間、あらゆる次元の生命は、永遠の瞬間の中で自由に躍動し、生命本来の原点を知る人間は、細胞たちとその時を喜び合う。限り無い自由創造時間と、多次元的連繋の表現。それを楽しみ、あるがままに原因を生きる。そんな普通を、ここに…。

12/10

・彼(彼女)がこの時代に生きていたら、何を言い、何をするか? 自分が彼だったら、どんな生を生きるか? かつての貴き存在の生き方に学ぶのであれば、そのことを実践する。その貴さが、心のある具現化の原因のそれであることは、言うまでもない。

・未来に繋ぐべく結果(という名の原因)を残した、貴き存在たち。未来に無責任な原因(という名の結果)を残した、寂しき存在たち。前者は、時代を見据えて、平和の原因を未来に放ち、それを形にする。後者は、時代にとらわれ、未来を無視し、形でそれを固める。責任ある受容と確かな原因を今に重ねる。ここに繋いだ貴き存在たちのかつての今のように。

・生命としての人間時間。本当の自分の真の姿。そこには、人生の前日も後日も普通にあり、永遠という言葉も、その中に溶けてしまっている。なんとなくそれを感じてみれば、人間としての人生に、思いがけない原因が参加する。それは、過去にも未来にも届く心の風に乗り、みんなの時を癒す。

12/09

・受容ではなく、感情に蓋をして相手を受け入れる嘘。感謝ではなく、思考を自ら刺激して相手を思う偽り。愛情ではなく、心ある自分を信じていたい、裏返しの意味付け。受容も感謝も愛情も、正直でいる自分の心の何気ない素顔。思考や感情で扱えるものではない。

・争い事を好む無意識を潜在させたままだと、その人は決まって、自己陶酔型の頑張りで平和に貢献しようとする。それは、何年、何十年と行われる。人々も、その姿に感銘する。当然、平和は訪れない。

12/06

・伝えられる言葉にではなく、伝わるその原因に反応する。そして、言葉の真の仕事を知る。どんなことでも、言葉は、その始まりにも、終わりにもなれないから。

・文章表現を仕事とする人が、その原因の性質をないがしろにする時、見過ごせない危うさや不公正に対して無力となり、社会的に影響力を持つ存在の不穏な動きに鈍感になる。そして、何の力にもなれない文章で、困った人(事)をそのままにし、自らも、負の連鎖の材料になる。不健康な社会環境の前段階には、言葉を道具に様々に表現する人の、その原因への無責任がある。事実を結果に、気弱な希望を書かず、力強い希望を生き、その原因を事実として書く。

・弱い人は、力を求めて力のある人(場所)に近づき、力を手にして強くなると、自分と同じ弱い人を自分に頼らせ、嘘を生きる。強い人は、自分の弱さをそのまま受け止め、力を不要とする強さを知る人との間でその強さを成長させつつ、互いを生かし合い、本来を生きる。力の有る無しで、強い弱いと要らぬ感情が動く未成熟な世界では、中身の無い(弱さの裏返しの)個の強さが注目される。他に弱さを必要として隔たりを作る強さは、情けなさである。

・全てを託すのなら、自らが全てになり、要らないものを外す。自らが全てであろうとするのなら、その全てを繋ぐ意思で、要るものを貴ぶ。そして、自力、他力(本願)の価値意識の外側で、水や空気のように、真を生きる。真実(仏教)って、そんなもの。

12/05

・人のために生きる姿勢は、そうであろうとする自分の自己満足に陥りやすい。それよりも、どんな自分が、どんな人のために生きるか? 困った人を助けるためには、その手前の基本形として、困った人を無くす(減らす)姿勢が不可欠であり、その困り事の性質を本来を元に観察する他、その原因となるエリアに働きかけることも重要である。人のために…は、どんな自分が…とセットである。

・世の賢者は、すでにそうである原因が、そのまま学びの質を高め行く日常を創り出すゆえ、個人の都合や欲のために学ぶ世界とは無縁である。そうでない人が賢くあろうと身に付ける能力を知らない彼らは、自然にただそれ(原因)を育み、それを成長・進化させる。社会や環境の必要性からなる、形ある(身に付ける)能力は、それがどんなであれ、その在るべき性質が、賢者の心の風景で保たれていく。

・全くそうではない性質を隠し持つゆえ可能とする、見た目重視の平和活動。目立つ場所でのそれ系の施設建設は、社会の良識を押し潰し、人々の良心を飲み込もうとする、我利我利亡者の悪巧み。それが宗教色を帯びた(備えた)ものである時、それは、平和の原因を持たない存在たちの住み家となり、悲しい程の負の遺産(異物)となる。

・人間本来の在り様から離れて楽になる人は、恐ろしい程密度の濃い否定感情を内に秘めている。歴史的な負の要素を自らに溶かし、時空間や関係性を巧く操りながら、世の常識とされる思考世界でその本性を隠す。「心の風」には、そんな存在も容易に顕になる、沙(淘ぎ)と羅(連繋)の性質が備わっている。

12/04

・不安は、二者択一的思考を普通とする人の心の素顔。怖れは、差別心を隠し持つ人の不安定な感情。そして、幻想は、本心を偽る自分に無感覚な人の、その無意識の投影。そうでない人が、不安、怖れ、幻想を抱くことはない。健全な感性と心ある直感を持つ柔らかな人に、不安は似合わない。それを知り、本来を元気にする。

・逃げて守れることより失うことの方が大きい時に安易に逃げてしまう人の重たい原因によって、時代は、動かしようのない負の遺産を抱え込むことになる。平和で健康で、愛溢れる世界の原因でいて、共にそれを普通とする歴史を創り、次の歴史(時代)へと繋ぐ。否定感情を身にまとい、結果(過去)に生きて、真の普通から逃げてはならない。

・できる子に育てるのではなく、できる子が人を育てる。できる子は、子供心をそのままに幼少期を過ごし、その自覚もなく、柔らかな(健康的な)空間を創り出す。できる子に育てられた子の意識は、差別や不公正な感情で満たされ、子供心も知らず、空間を重くする(病ませる)。できる子は、みんなのために、持っている力を活かし、できる子に育てられた子は、みんなのことを思う自分のために能力を使う。その違いは大きい。健全な感性も、公平な姿勢も、子供心が育むものだから。

12/03

2014

・「体験は知識」と無縁であるゆえ、どこまでも思考の域を出ることのない「魂」という概念。主観や憶測が僅かでも入り込めば、嘘の上塗り作業が施され、宗教心の無い宗教組織(団体)の商売道具になる。それをふまえて語る必要性。知識(思考)からでは、近づいた分遠のき、感じようとして鈍くなる。それを理解の対象とせず、否定感情と無縁であるという、それへの人間唯一の理解を、原点の風景から実践する。

・分かろうとしても分かり得ない時に分からないままでいられる自分を通して、感性の質に変化が訪れる。それによって、必要性の原因は次第に生命本来のそれとなり、それまでの経験も価値観も、期間限定の類のものは崩れ出す。そして経験する、何も残らない経験。次々と創られる経験は、次々と訪れる経験と重なり、主導権の次元も、身体を活用する性質のものへと変化する。それは、魂の意思表現のひとつの形であり、望みでもある。

・永遠の生命を生きる人間の在り様には、どこに触れても、原因と変化がある。その普通世界が容易に導く、魂という名の多次空間(多次元層世界)。人に、過去や結果を意識させる教えの嘘に敏感になる。求めず、探さず、自らがその原因となり、それになる。

・支配・権勢欲と無縁である仏教の本質を知れば、日蓮系が仏教ではないことが容易に分かる。自然体で広がり行く心の性質とその融合の観点から、密教世界もそう。もし、念仏・ご利益(浄土)信仰が仏教であったら、生命を生きる人間の成長において、それほど哀しいものはない。思考を本来にする基本を、避けてはならない。そして、負の連鎖の中身を観る。

 

11/30

・誠心誠意、師と仰ぐ人のために頑張ろうとする姿勢の中に、「どんな自分が…」が脇に置かれてしまった、形ある行為にばかり意識が向けられた状態があると、それだけで、腐敗菌のような新興宗教の原型が出来上がる。責任ある原因を持ち得ない人の、想いの無さ。心ある想いの無い人ほど、頑張る行為が評価される世界を、その隠れ場所にする。

・自らを責め、人に責めさせない手法は、変わり身が早く、責任逃れの巧い人の隠し道具。心は怪しく怯え、精神は奇妙な嘘と遊び、意識は常に、守りと攻めを繰り返す。そんな彼女(彼)は、唱えれば善となる薄っぺらな世界に住みたがる。原因の無い念仏世界は、心の無さを覆い隠す格好の闇になる。

・良識と健全さを持ち合わせていれば普通に感じる疑問や違和感を言葉にすることが許されない有名人は、誰よりも有名になってはならなかった人。真剣に生きようとしない人は、真剣に生きていると思い込める環境で、言うべきことは何も言わず、すべきことも他人任せにする。人に意識を向けられる立場でいる人の生き方は、誰よりも健康的で、心に正直でいることが望まれる。

11/29

・どこにいても使えるものではない、使いたくなる物(電子機器)は、本当は使いたくない物。本心と裏腹の行動へと促されてしまうその空気には、誰も逆らえない死神級の力がある。目が合ったら最後、招病型の袋小路から抜け出せなくなる。

・立場や仕事の印象を盾に常識人を装い、道徳と型通りの正しさで、心ある人を演じる危うい存在。そんな人の性分は、お人好しの威張りたがりや。その常識の内側にも心の奥にも、純粋な想いは無い。とかく常識人のつもりでいる人の価値感情は、性質がわるい。そんな人の性質は、お腹が空くと、感情の制御が簡単に難しくなる程、否定感情のかたまりを内に秘めている。

・道徳好きの病み人は、原因の成長を経験しないまま、他者の原因を潰す。権威を振りかざすようにして話すことにも慣れ、その自覚もなく人を追い詰め、時に強力な感情で、素朴な感性を持つ人の存在価値を否定する。感性も感度もゼロの、重たい感情そのままの愚かな存在。形あるものや見た目で本心をごまかし、心ある原因を放棄する。

・困った度が強烈なため、話を聞かされた人は、同情心を強くする。人の良さと後手続きの姿勢に人は惑わされ、表面的な優しさと無意識の危うさに、人は病まされる。ダメ人間のイメージを隠れ蓑に、心優しい人を巧く操る人がいる。無責任に思われても、無責任でいることが望みだから、動じることはない。困った度を強めつつ、人の心を弄ぶ。

・自らの心の性質の影響に無感覚でいると、思考は強く、意固地さも備わり、独断先行の感情によって、重たい原因が固められていく。当然、事は次第に流れなくなり、人の話に耳を傾けざるを得ない状況に陥る。しかし、焦点はいつも結果のみ。大切な原因は人任せにして、都合の良い結果を欲するから、負の影響は大きくなるばかり。事の手前の原因、心の性質に鈍感でいることの危うさは計り知れない。

11/21

・否定感情が顕になれば、それを手放さざるを得なくなる。全ては原因である、その質の進化の前では、どんな否定感情も居場所を無くす。その経験は、平和な未来の、かけがえのない材料になる。

・人柄と面倒見の良さを基準にすれば、計算高く、自意識の強い人にはかなわない。思いやりも優しさも普通のことだから、言葉よりも想い、結果よりも原因に敏感になる。自分に正直でいて、約束も自分とする。人のための言動が、思惑や結果になってはならない。

・結果にばかり意識が向くと、経験や記憶にこだわる自分が普通となり、思い通りにならない現実の前で、容易に被害者になる。無自覚に磨いた責任転嫁術で身を守り、無意識に心を偽り、他を隔て、偽善たっぷりの善人を生きる。結果に生きるそんな人の感情は、未熟で危うい。原因が少しも動かぬゆえ、縁ある人の素朴な動きを簡単に止めてしまう。

・思うように身体が動かず、何でもないことが普通にできなくなってしまう原因の多くは、重く冷たい感情を操る人の無意識の意思によるものである。部屋の掃除が全くできなくなっている人や、忘れ物ばかりしたり、集中力を著しく欠いた子の近くには、必ずといって、そんな性質の存在がいる。但し、無意識での仕業ゆえ、それは分かりにくい。そんな時、何か事が生じた時の話し方(焦点の置き所)と責任の質を観察してみる。心ある原因が無いから、それは分かり出す。

11/20

・不健康や不平等、不安や差別を生むその原因となる物を作り、事を進める経営は、人間の姿を借りた怪物の食指のよう。

・頑張り続けられる人が無自覚に隠す、本当の自分。その意識もなく人を病ませていく、見せたくない自分。普通にできることを普通に行う本来の風景が壊れていく。

・相手に言いたいことを言う姿は、変化する原因を無視して過去に生きている現れ。何も用意せず、その時々で、相手に必要なこと、互いにとって大切なことを言葉にする。何気ない会話も、広がる原因が柔らかな次を連れてくる。

11/19

・「かわいそう」という言葉を口にする自分に平気でいてはならない。なぜそうであって、何がそこにあるのか? 考えるまでもない健全な直感でそれを感じ、そうである原因を包み込む。そして、新たな原因の時を共にする。空間は優しく、風は、その人らしさの機会を届けてくれる。

・慣れてきたのではなく、不必要に耐え続けていることに鈍感になってしまっているだけということがある。感性が病むと、責任感覚も鈍り、他人事、キレイ事が馴染み出す。重たい空間は、そんな人を重宝する。

・今回のこの血縁(親子、兄弟)関係を選ばざるを得なかった、その理由となるかつての人生。永遠の風に乗った瞬間に気づかされた、人間時間における真の役割。だから、好きなだけ心の風になる。

・打たれやすく、傷つきやすいのは、繊細なのではなく、強いから。大切にすべきことを大切に、感じるままに正直でいようとするから。弱い人(本当は強い人)が弱いままでいられる時を経て、時代は強くなっていく。

11/18

・それらしくあって、全くそうではない、擬い物の形ばかりの仏教。ご都合主義と権威主義、そして名と財を欲しがるそこでの性質は、「どんな自分が…」が無い、幼稚な宗教ごっこ。題目(念仏)好きな、慈悲・救済オタクの世界には、なぜか依存心と差別心の強い、仏心の無い人が集まり出す。

・全体と中庸を基に原因を生きる、変化し続ける永遠の生命。無意識に伝わり、流れる真の自分(意思)の、その性質の成長と進化。それを忘れるから、「どんな人も救われる」が、自己本位の観念になる。彼の中に、未来に繋がる原因は無い。

・本来、葬送の儀は、寿命を全うした人のために行われ、僧は、その時を、永遠の生命とその真実に触れてもらう機会にする。そうではない時、僧は、その原因を見つめさせ、望むべく新たな原因を生きてもらう。そして、心と身体と魂をひとつに、健康で平和そのものでいる暮らしを支え、見守る。真に心と生命(生と死)を扱える人が僧であり、僧という職業がそれをするのではない。

・次に繋がる想いや、無意識の意思による他者への影響に責任を覚えなくてもいいため、念仏や念密の世界には、無自覚に、偽善、欺瞞と遊ぶ心寒い人が集まる。人のため、世のためと思い唱えることだけに専念し、そうであってはならない不自然・不調和な風景の原因を、自らが動かし変えようとはしない。唱えた分、その原因に無頓着でいようとする力も手伝い、人間味の無い怪しい存在になる。

どんな結果(現実)も、結果という名の次への原因であることを知れば、そこに至るそれまでの原因とは質の異なる新たな原因を生きることで、少しずつ、確実にその現実(の質)を変えていけることが分かる。

心ある存在たちに支えられ、経験できた、この時ならではの、その土台となる、抽象世界(形無き原因のエネルギー世界)での力強い変動。過去が癒され、未来が喜ぶ原因を、皆で楽しみながら、普通に生きていく。このあたりで、更なる次へ。もっともっと面白い明日へ!

11/17

・「どうにかしなきゃ」と、どうにもならない現実を引き寄せる愚かな人。自らの原因を変えず、それでも周りには変わって欲しいと願う、浅はかな人。立場を捨て、結果と経験を外せば、何もかもが本来へと動き出す。

・受容と謙虚さを失くした「分からない」は、意固地で狡い「変わりたくない」と同じ。大切な人のために変わる必要性を覚えても、そのために大切なことを分かろうとしないから、時間ばかりが過ぎる。事実とその原因の性質に無頓着な人の「分からない」は、流れるみんなの普通を簡単に破壊する。

11/16

・伝えたいことを伝えようとしても、繋ぎたいことを繋ごうとしても、そう思うことでそうであろうとするのであれば、何も変わらない。変わらない何かに対して変えようとするのではなく、その何かの原因とは異なる原因を、力強く、淡々と生きる。伝わるものが伝われば、何をしてもその原因は次に繋がり、未来は変わる。真の普通と本来の在り様に、さりげなく真剣でいる。

・心ある人も心無い人も、自分に正直でいる人も嘘をつく人も、みんな同じように音楽を楽しみ、同じように感動する。だから、音楽の影響力を誤解してはならない。心ある人を元気にし、正直でいる人を応援する。心無い人に、自分を見つめさせ、厳しさを経験させる。音楽の送り手は、心の性質に正直でいて、その原因の影響に責任を持つ。そして、伝わり行く場所で、確かな原因になる。

・性格の二面性は、軽薄と執念。都合良く生きるために不都合なことは忘れ、思い通りになる人とそうでない人で、感情を使い分ける。不安も怖れも、人の気を惹く道具にもなれば、人を攻撃する武器にもなる。

11/15

・ずっと笑顔でいたい、多くの人に笑顔を届けたい、と作り物の笑顔を思考で維持し、それを良しと思う不自然さを、繕う自然体でごまかす。作り笑いは、寒気と気持ち悪さ。それは、心疾患の一つの形。心の素顔が暗く、曇っている人ほど、それを得意とする。人が安心する笑顔は、自分に正直でいる人の、素朴で優しい自然体の表情。理由の要らない喜びと笑顔が、そのままで伝わってくる。

・人の心は、意識的に作られたものより、自然に育まれたものに笑顔になる。それが難しくても、自然に近いものは、嬉しい。言葉も行為も、食物も芸術も、送り手や作り手の純粋な想いがそのまま形になったものでありたい。笑顔と思惑は、相容れないものだから。

・「あなたに会えて良かった」のなら、ずっとその人を大切にする。自己満足に浸りがちな人ほど、大切なことを過去に置きたがり、相手の気持ちを考えない人ほど、思い出を趣味にする。大切な人は、いつだって現在進行形。

11/14

・どうにも消えない否定感情を自分の中に見つければ、その原因の風景にいる親の、凝り固まった感情のかたまりを砕く。感情の主導権を握っていれば、やり方はどんなでもいい。相手の感情深くを刺激して揺さ振り、粉々にして解放させる。それによって、思いがけない変化が互いに生じ、次が変わる。『心の風』を読んでもらうだけでも、親としての新たな原因の役を担ってくれる。

・『この国のこれからのために』に強く抵抗する親であれば、一人の人間として、その意識の低さに温かな情を向ける。そして、適度な距離感を保ち、健康の原因をさりげなく注いでいく。どんな人にとっても、この今は、真の普通を生きる大切な機会。親であっても例外ではない。但し、自らの力強い原因の変化にムリなく連動させることも重要。切なさや寂しさの感情は要らない。淡々と、未来が喜び、過去が癒される原因を生きる。

・親の元気な姿は嬉しいものだけど、その元気の源がどんなかで、子は元気を失くすことがある。愚痴や不平を言いたい放題の親であれば、『原点』を繰り返し読んでもらう。動物性食品を好む親であれば、『食の風景』を読み、実践してもらう。そして、ご利益、依存心の強い親であれば、『心の風景』をめくってもらい、その場所をしっかりと読んでもらう。親は、自分の中のこだわりや片寄りを子に指摘されることを嫌う。でも、そんな親のために、子が大変な思いをすることはない。親子共に、健康・健全の今を連ねていく。

・子どもだった時の社会環境や時代背景を考慮して、親の生き方を尊重する姿勢は大切だが、親の考え方に付き合わされると、子は辛い。親のために生きることを強いられると、子はもっと辛い。そこに、人間同士の関係性は無い。親が子を愛するのは、子が出会う人、友人、恋人、そして自分の子に愛情を注いで欲しいから。愛は流れるから愛。考え方も生き方も、自然に伝わり、学べるから、意味がある。

11/13

どういうわけか、10月ラストあたりから、睡眠時間が少なくても全く関係なく、軽怪に、じゃなく軽快に動いている。毎日、5時間ぐらいで充分チャージされているようで、目覚めもいい。早くに家を出て、いつもと変わらず歩き、電車に乗り、ある人に会い、ある場所を訪れ、お茶をして、メモを取る。という感じで、内も外も回転がスムーズでいい。もちろん、その時々の形無き原因のワークは終わりがない。(ん? 電車の中ではけっこう寝てたっけ!)だからというわけではないけど、11日、ムーが過ごしている時間と空間が元気な気がする。土曜日(ワーク)までに終えておくべきことも、今年のうちに通るべきところも、余裕で感じとれる。

そういや、2日前の1111111111秒。110個並んだ。(2011年の時は12個だった)

11/12

・この国に仏教が伝わり、繋がることを切に望んだ、仏陀の生命の意思。力から離れ、偏りを正し、形を求めず、真を繋いだ存在たちの、その真剣な想いによって、この今の希望の約束の時がある。その原因をここで新たに進化させ、次に繋ぐ。

・なぜ最澄は、変化の無い形を求め、空海は、形で変化を表現しようとしたのか? 日蓮はなぜ、伝わるものに無感覚であったのか? 彼らの重たい原因をすり抜けて生き存えた仏教は、時を超えて伝わり行く原因をもって、嘘や偽りを顕にし、不正や不穏を浄化しながら、本道を守り続ける。かつての人々の力強い受容と連繋の意思を、これからへの原因に重ねる。

・他者を慈しみ、他者への愛しさを普通とする仏教は、その中庸でいる姿勢の中に、生かし合い、支え合う精神を溶け込ませているゆえ、争いや衝突とは無縁のありのままの平和の原因を創り続ける智恵を、さらりと実践する。世界のどこにも無い、この国の生命源からなる精神性とその自然体の在り様。どこまでもさりげなくその質を高め、日本に生きる地球人として、あたり前に平和で愛溢れる世界の原因になる。

11/10

相手を大切に思えば、自ずと謙虚になる。自分への想いを感じれば、素直になる。謙虚さや素直さを欠いた印象など、人は誰にも与えることはできない。もしそうであれば、心の中できゅう屈な想いでいる人のまなざしを感じてみる。大切であるはずの人の想いに触れ、そのままでいる。これまでを、自分だけのものにはできないから。謙虚さ(素直さ)の燃料を人からもらうこともできないから。

11/09

Afternoon TeaTEAROOMは、四捨五入して60歳のおじさんには、ひとりではちょっと入りにくい。のはずなのだが、本厚木のMYLORDTEAROOMは、ムーの知るところでは、めずらしく入りやすい店。なので、こうして今、紅茶を飲みながら、ゆったり気分で今日の日記を書いている。

大切な人が困っている時、その人のことを心配し、気持ちを分かってあげることは、とても思いやりのある姿勢だけど、その人を本当に大切に思うのなら、これから先、同じように困ることのないよう、その人のために自分に出来ること、すべきこと(and 本来の心の在り様)をさりげなく真剣に実践する。優しさは、成長し続けるさりげなさ。周りの困った状況は、その原因への責任感覚を互いに高められる、大切な機会。人間らしさを、感情や平面的な思考(価値観)で捉えることはできない。

11/08

結局のところ、存在させている多次元的原因の、その記憶の性質が、「心の風」によって、生命本来へと変われるかどうか、ということ。それは、あらゆる病みの原因を段階的に、確実に浄化し得る、恐ろしくも貴い、この時ならではの無限分の1の原因の仕事。今進行中のその仕事によって、「ふと気づけば…」の現実が嬉し涙になる。ムーの思考はメチャメチャだけど、ここにいる原因(意思)は揺るがない。ここまで来たから出来ることの質は、一気に進化する。もちろんさりげなく、ごく普通に。

11/07

あ、信号待ちだ。ここは何の街だ? あ、町田…。平日のランチタイム。駅近なのに、猿カフェはゆっくりできる。隣の洋服屋さんのBGMがちょっと気になるけど、この日記を書けるぐらいの時を過ごせた。デパート内だけど、何気に開放感を感じさせる雰囲気がいい。

ムーは、選ぶ作業を殆ど(というよりゼロに近い)しないので、何となく歩いていて、何となく入った店がわりとヒットする。いろいろなことを知ってから判断するのではなく。自分が引き寄せた(自分に引き寄せられた)現実を通して、いろいろなことを判断する。その経験が、手前の想いの世界の質をどこまでも成長させているので、出会うべき人や場所に遭うタイミングは逃さない。それは、人生の経験の域を余裕で包み込む、さりげない生命体験のよう。頭を殆ど使うことがないので、人や場所や空間の元となるところ(変化し続ける多次元空間(原因)の働き)にムーの頭がある。そんな感覚。

なんか不思議で面白く、なんか嬉しくて安心できるステキな現実を、どんどん引き寄せていこう。

11/06

・喜びや幸せの材料が、個を超えて外へと広がろうとする時、『食の風景』も自然なものとして馴染むようになる。そして、台所から電子レンジが消える。もちろん、IHも使えなくなる。理由の要らない喜びと、病気の裏返しではない健康を繋ぐことに、細胞たちも参加する。

・自然体で生きる人間が敏感に反応する、電子レンジやIHの危うさ。それらに平気でいられることの理由は、すでにその人は、感覚も体質も、自然なものではなくなっているということ。見た目の健康の陰で、自然界が喜ぶ本来の健康が壊されていく。

・責任ある立場にいる人が、健康と平和の原因を生きることに無頓着だと、彼は、その意識もなく、正しいこととして、正しくないことを指導してしまう。そこに、組織の利益や有力者の思惑が絡んでいれば、大変な状況になっても、そのことが修正されることはない。世は、要らないことを経験させる人とさせられる人、要らないものを持たせる人と持たされる人との間で繰り広げられる茶番劇のよう。原因が変化・成長しないままでは、健康も平和も、形ばかりのものになる。

11/05

犬のように、というより、殆ど歩く虫状態になっているムー。海老の匂いに誘われて歩いていると、ビナウォークという場所(海老名)に出会し、そこのスターバックスでボケボケタイム。その雰囲気はなかなかで、都会のスターバックスとはどこか違う。店によって内装もいろいろだな、と楽しい気分になる。ふむふむ、カフェアメリカーノも、場所が違うとフィット感も違う。おばあちゃんたちが、ふつ〜にコーヒーを飲んでいる。

11/04

その意識もなく柔らかい人の動きを止めてしまう人には、その意識もなくそれを防ごうとする人の原因が不可欠となる。そして、時を経て、なぜそうであったかがよく分からないながらもその原因が力を失くし、いつのまにか、共に真の普通をエンジョイする。だから、「なぜ?」「どうして?」のセリフは要らない。それまでがそうであっても、それは、これからはそうではないという経験の踏み台でしかないから。

11/03

薄いジャケットをはおっても、すぐに暑くなってしまい、ほとんど半そで1枚で過ごしている。このところ、早起きして、知らない街を歩いたり、来たことのないエリアでカフェに入ったり、ショッピングしたりと、普通人ムーがあちこちをうろうろしている。

今日は、いつのまにか川崎駅にたどり着き、アトレのスターバックスでこの文章を書いている。新宿よりず〜っと楽にショッピングができ、入ったいくつかのカフェもふつ〜な感じ。そういや、少し前に偶然訪れた、武蔵小杉と溝ノ口でもけっこう面白い体験ができた。本八幡の街では、地下鉄駅の深さにびっくりした。

行き先を決めずに電車に乗り、いつのまにか下車したり、乗り換えたり。あっという間にその街を出たり、ずっとそこにいたり。まるで動物のように好きに動いているムーがいる。 ん?「心の風」の原稿のUP、どこに行った?

11/02

2014

そんなわけで11月。11月は、大阪BSが開催されることもあり、前後して、強力な洗い直し的好転反応が生じることがある。中には、受容し難い厳しい現実。でも、その経験によって、ふと気づけば、そうとは知らず影響を与えてしまっていた人が楽になる。時間差で、自分の無意識もクリアになる。

何をしても変わろうとしない負の影響力がそこにある時、何もしない時間を増やすことでしか経験できない強制受容的な自己観察が、唯一その変化の機会になる。それは、これまでみんなが、その人なりに経験してきた大切なプロセス。今、振動幅はいつになく大きいけど、芯のところは熱く、軽やかな想いが、自由に身体を動かそうとしていると思う。

改めて思う。ムーは、どこまでもムーでいる。縁することを選択したひとりひとりの生命の意思を、限りなく守り続ける。

 

 10/25

・どういうわけかできてしまう子は、できる子に育てられた子の不自然な心に違和感を覚える。健全な感性でいろいろなことを感じてしまう子は、頭で分かることしか理解しようとしない子の不健全さに寂しさを覚える。子供たちは皆、健康で平和な想いを普通とするはずなのに、そうではない子の不健康な思考が、平和を遠くに追いやってしまう。できる子に育てられた子ではなく、ただそのままでできてしまう子、感じるままでいることが困難な子ではなく、ただありのままに感性を活躍させられる子が、普通に質を向上させ、みんなの平和の原因を強くする。大人たちは、それを守り、支え続ける。

・日本人が本来持ち得る中庸の精神をもって観察すれば誰もが容易に理解する、この国のキリスト教の不自然さ。人間の変化・成長の重要なプロセスにおいて、それ系の世界における学びは頂けない。幼少期からそうであれば、自由な発想と健全な感覚の土台が無くなるゆえ、他に及ぼす影響はとても大きい。それは、普通であることが、少しずつ普通ではなくなるその理由となって、心優しい敏感な人の生きにくさの原因を作り出していく。

・形式主義も、思考レベルの善悪も、困窮者の存在を前提とした愛情も、心ある人間には要らないもの。日曜日は、自由に遊び、元気に過ごすのが、健全な子供の普通の姿。平和も自由も、愛情も協力も、頭ではなく、心が体験的に育んでいく。

・思考を自由にさせ、生命としての経験を創る責任を覚えれば、十字架の奥に潜む真の意味が分かり出す。経験から自由になり、望ましい未来の原因でいるか? それとも、経験にしがみつき、未来を突き放した結果にいるか?

…と、ここまで、225個程のUPが終了。自分のことのように読む、ただそれだけで、確実に、着々と、本来の軽さと安定が普通になっていく。経験するまでもない経験での不必要な融合に時間を費やしていては、何度人間をやっても、成長は経験できない。センテンスが厳しいのは、そうと感じる場所にいる人にとっての、その内容だけ。原因は、責任(生命)と変化(進化)そのもの。ここから、新たな次へ。次回は、11月に入ってからです。では、大阪で。

10/24

・意識を向けさせる側の技が実に巧みで、意識を向けざるを得ない状況が普通になってしまっているのであれば、まずはそこから離れ、そして自由になる。心が悲しむ心無い世界が生じるのは、ふと意識してしまうことの性質が本来ではないから。それを当然と思っている人が、その類の性質のことをあたり前に意識するから。病的な意識状態でいる人ほど、隔たりや優越心を強くさせる情報を好み、子供たちの本来の風景を壊し続ける。

・うわさ話で盛り上がる、うわさ好きの病み人たち。その精神の危うさと心の醜さは、敏感な子が人違い(印象の落差)を起こしてしまうほど。うわさ話をする暇があれば、その対象となる人や物に何らかの働きかけをする。うわさ話をすることで心が楽になるとすれば、もはやそれは、人間技ではない。うわさ好きな分、狡猾さは板に付き、腹黒さの度数は上がる。それは、心も感情も、精神も思考も、未熟で低劣な現れである。

・どんな自分がそれを話題にし、どこに繋がる自分がその機会を作ろうとしているか。心の性質がそのまま思考を動かし、言葉になる、その時々のいろいろなこと。心を留まらせて思考から始まる話は、どんな時でも避けなければならない。原因が動く会話が普通になれば、争いや問題事の原因も姿を消していく。

10/23

・フェアではない姿に、否定感情を持たない子は辛さを覚え、同じようにはできない自分を守るために、そっと身を引き、じっと耐える。そんな子たちの心の寂しさに無感覚な子は、よそ見をせず、ただひたすら自分のためだけの時間を過ごす。知らなくてもいいことを知り、学ばなくてもいいことを学び、より多く、高くと、人に差をつけ、否定感情に磨きをかける。放課後の風景に、怖いほどの差別心とアンフェアな姿が見える。

・学校と教室と友だちを大切にする、賢い子、純粋な子、優しい子、責任感のある子。それらを無視して、心ある人生の土台を無くす、ずる賢い子、裏表のある子、キレイ事を好む子、成績で差をつけたがる子。前者に未来は安心し、後者に過去は涙を流す。

・みんなにとっての普通がないがしろにされる場所では、子供らしさを失くした子供が、妙な力で空間を病ませていく。その力の源は、心寒い大人と繋がる嘘の愛情。心の裏取引のような世界で、他を隔てる個の喜びを拡大させ、格差と偏見の担い手になる。遊びや学びの風景から、その性質は垣間見える。

10/22

・過ごし方によって、短く感じたり長く感じたりする時間の流れ。そこに時計が無ければ、より一層その違いは明確になる。そう、時間には、そこに在る時間とそこに在ろうとする時間の二つが一つに融合してそこに存在する。変化する永遠の生命が主体である時、時間が無くなるという感覚も普通になる。

・地球の自転と公転から生まれた時間。そのスピードとサイクルが違えば、また違った性質の時間が登場する。その理由からも自由であれば、一人の人間として生きながらも、地球人としての感性をそのままに、自由創造時間を生きることもできる。

・必要とさせられているものから離れるだけでも、時間の流れが変わり、必要性を思考で作らなければ、時間の密度までが変わる。そして、心の基本形があたり前に全体であれば、思考も直感的になり、身体を案内する想いも快活になる。いつしか、意識は自由に時空を透過するようになり、その意識もなくそうである現実を通して、その原因は、時間軸を細分化するように力強く回転する。時間と遊び、共に新たな時間を創り出す。

・時間に追われ、時間に付き合わされる不本意な時間。でもそれも、その時、その場所で自分に見合う、自分の時間。原因の主導権を握れずに、結果に振り回される。時間は、洋服のようなもの。何気ないセンスとフィット感が、その人らしさにさりげなく連れ添う。

10/21

・過ぎた日々は、記憶の中にだけ存在する、存在しないもの。未来は、それを思い描く頭が実現させようとする、どこにも無いもの。過去も未来も、昨日も明日も、存在できるのは頭の中だけ。思考を自由にさせつつ、経験を創る今を生きる。

・未消化の感情の記憶が深くから癒され、笑顔になる時、具現化されようとする想いの分母が大きくなる。それは、伝わるもの、流れるものに対する責任感覚が普通で、力強いということ。確実に、それに呼応する次が変わる。

・今日から、明日という名の次なる今日へ。ここに繋いだ、昨日という名のそれまでの今日と共に。

10/20

・健全な感性を失うと、何かに耐え、何かに抵抗し続ける自分があたり前になる。いつも抵抗したくなる気持ちを抑え込むため、そのことを原因に、抵抗したくなる状況を自ら作り出す。耐えることを知らずに、淡々と待つことはできる。抵抗するまでもなく、その先へと行くこともできる。

・確かな原因となる経験を創り出していると、人の言葉や行為、人が作る(手にする)物や形の原因の性質を感じ取り、それがどこと繋がり、どこへ向かおうとしているかを容易に観察することになる。実はそれは、真の普通を生きる人の普通の感覚であり、自然体の姿である。彼(彼女)を通して、本来の人生を、人は経験する。

・価値観が個人の経験枠内に居座る人は、「なぜ?」「どうして?」の言葉で頭が忙しく、思い通りに行かない自分に、しばしば苛立つ。そんな時の場面や出来事の多くは、狭い価値観同士のぶつかり合い。衝突の道具にもなり得る価値観は、単なる変化を拒む価値感情の類に過ぎない。

・知識欲を力に優越心に耽る人は、知識だけを話す軽率な会話を好み、知識だけの交流で済む人間関係を維持する。決して次へ行こうとしない身体と、広がろうとしない心。健康も平和も知識の域に留まるゆえ、動き続けるその原因にはなり得ない。知識欲は、その原因が個を超えていない限り、人を生かし、空間を癒す力になることはない。

10/18

・変わらない人は、変わろうとする嘘の姿勢に人を付き合わせるのが上手い。変われないでいる自分の姿に、人の情を絡ませるのも上手い。人の心の動きを簡単に止めてしまうその原因の重たさは、心の風景の罪人とも言える。そんな状態でも、人を変えようとするから、笑える。

・たくさんの本に囲まれて過ごす人は、自らの価値観が変わってしまう本との出会いを病的に避ける。本を読んで変わったことに重きを置く人は、本を読まなくても感得できる世界を否定する。そして無知になる。本を読む前に動き出す原因を感じ、それを観察する。

・たくさん笑った記憶はあっても、何がどんな風におかしかったのかその内容を思い出せない笑いを通して、忘れていた心の喜びを思い出す。子供心も笑顔になる。

10/17

・彼らの自由で自然な暮らしを奪っておきながら、どんな神経であれば、彼らを通して喜びや幸せを手にしようとできるのか? 走らされ、踊らされる動物たちの、素朴で切なる望みを想う。

・病人を診る医師の本当の仕事は、そのことを通して、大勢の人たちに、病気とは縁遠い生活を送ってもらうこと。事件や問題事を扱う専門家の本当の仕事は、そのことを通して、大勢の人たちに、問題事とは無縁の平穏な暮らしを送ってもらうこと。病気や事件と関わる専門家の人たちは、自分たちが活躍する社会を決して引き寄せない原因を生きるという、貴い使命感を持つ。

・健康の原因を大切に病気を減らそうとする人の気持ちを潰す、病気の原因となる食品・食材を人々の体の中に入れさせようとする人たち。思考をしつこく刺激されて味覚が鈍れば、細胞が辛くなる食物も好物になり、「体に良い」の言葉にも強く反応して、病気の原因が作られていく。動物性食品と精白された穀物類。認識を新たに、路線を健全なものにする。

10/16

・どれ程負の原因を固めていても、その姿に誰一人違和感を覚えなければ、その人は、どこまでも良い人でいられる。期間及び地域限定の価値観の中で巧く振る舞われれば、健全な感性も思考に負けてしまう。身動きが取れないでいる生命たちの、切ない想いと感性に応えるために、経験や記憶から自由でいるその質を成長させる。

・人のためになることは、人のために生きようとする人の特別な思考ではなく、普通に人のために生きている人の想いから始まる、何でもない動きによって自然に為されていく。『原点』や『心の風景』から離れたところで人のために生きようとする人の行為は、どこまで行っても偽善である。

・鈍さを武器に、身近な人を犠牲にし、「分からない」を理由に、その原因から逃れ続ける。そんな時でも、人を思い、人の話を聞く姿勢は崩さず、自らの原因は全く動かさないまま、思考のみの理解で普通を演じ続ける。そのけんめいな姿に、彼女の原因の性質は簡単に見えなくなってしまう。心ある在り様に対する鈍さは、心ある人を何人も辛くさせる威力を持つ。

・どうにも変わらず、動こうとしない不健全な事実は、その事実を知らされてない人の健全な違和感によって確実に変わり、動くことがある。無くてもいい事実ほど、そこに有る事実として、人々の思考に染み込まされてしまうことは多い。

・差別する側にいることを無意識に欲する否定感情によって、差別される側の人はいつまでも要らない経験をさせられる。差別の発端は、精神の極端な未熟さから。このことこそ、二度と通ることのない反省を行ってみる。狡猾さも陰険さも、人間には無いものだから。

10/14

・読書好きが高じると、本と一緒に仲良く本棚に並ぶことができ、どこに行っても気分は自宅で、周りへの無頓着・無関心振りを活躍させられる。どこにいても読書をしたがる性格は、無意識に他を隔てる感情を普通とするから。自分だけの空間を、自分勝手に使いたいから。その流れない原因に、多くの人の自然体が壊されていく。

・本の世界に浸っていると、それ自体に脳が満足するようになり、同じ満足を得ようとしない人が愚かに見え、彼らを侮るようになる。集中して思考を費やした経験と知識量が勘違いの材料となり、自分を、人とは違う特別な人間と思ってしまう人もいる。そして、差別心と優越心のかたまりになる。本を読んで変わるのは、全くその気の無い自分に蓋をしながら、何かを変えたいという気持ちを、俄に、または偏執的に持てること。どんな自分がそこにいるか? 読書の手前の原因の性質の大切さは、何があっても外せない。

・趣味感覚で本に熱中した分、本で知り得たことや教えられたことを人に言いたくなる。本に書かれていたことを自分の意見のように話したり、読んだ本の内容をやたら人に伝えたがったりする人もいる。そんな彼らが書いた文章を読んでみれば、実につまらなく、責任のかけらも無いことが分かる。本を読み過ぎて、人格までが借り物になっている。

・出会うべき本に出会い、読むべき本を読む。ふとした想いに案内され、何気に手にした本に自分を見る。そして、作者の原因を次へと繋ぎ、読みたい本の質を成長させていく。それを無視すれば、千冊の本を読んでも、本人の中身は何も変わらない。むしろそれによって、取り返しのつかない負の蓄積を経験する。本は、原因でい続ける想いの具現化、その連繋。時間の浪費と質を同じくする本との関わりから自由になる。

・本を読む必要性において主導権を握る人は、本の無い時間を大切にする。そこでは、見聞の性質も、知ることからではなく、自分が創り出す空間の意思が知るべきタイミングを引き寄せるようにして変化していく。言葉は、素朴な感覚そのものだから、何気ない違和感も、原因が力強い。ふとした想いも、そのまま形になる。未消化の感情がそのままではいられない、思考を自由にさせる中での自由な表現。知識や経験にこだわる人には、永遠に難しい。

10/13

・自分を追い詰めるようにして過ごした日々の中で生まれた作品が、それを評価する人の差別心と屈折した意識によって称えられ、宝物になる。悩み苦しみ、傷つき耐えた作者の感情は、癒されないままその場所に残る。不自然に残されてしまう物や形によって、人々の健全な感性は力を失くしていく。

・関わる人の心を不安定にさせ、脳の働きまで鈍らせてしまうその姿は、安定感そのもの。世の不安定や不平等を生きる燃料にしてしまえる程のその行為は、平等そのもの。どこまでも常識人に見えるその非常識な心の性質に、ミミズが笑う。

10/12

・新鮮で健康的な食物は、社会全体のみんなの健康を思い、その原因を淡々と生きている人に食べられるのを望んでいる。自分と身内のことだけを考える人に食べられれば、切なさが彼らの中に残る。

・生命を生きる心ある存在にとって、生命食は欠かせない。酵素の無い物や栄養が削り取られた物を食べ続けられる人たちの世界では、思考食が欠かせない。生命食と思考食。その違いは、細胞たちの喜びと悲しみ、空間の調和と破壊。『食の風景』で、本来の食の普通を元気にする。(※「食の風景」は、12月頃にUPします)

10/10

・何も見えないから、何も言えず、何も言えないから、何も見られまいとする世界が力を持つ。でも、見ようとしなければ、見せまいとする姿勢も要らなくなり、いつしか、見えてくるものを通して、その原因への働きかけを知る。結果に焦点が置かれなければ、必要とするものは、必要な時にさらりと見えてくる。

・自分が原因で心ある人が苦しんでいるのを知ることになっても、それをさらりと無視して、素知らぬ顔で先へと行く人は、彼らが自分に意識を向けることがあっても、その磨かれた鈍性によって、軽くそれを払いのけ、無かった事にしてしまう。しかし、彼らが本来を取り戻し、元気になる機会を手にすると、その存在の心は簡単に揺れ動き、見ずに済んでいた本当の自分の姿を自覚せずにはいられなくなる。長い年月をかけて堅固なものにしたはずの、結果・形式至上の偽善の循環が崩れていく。

・生命世界では冷酷非情な存在が、人間世界では喜怒哀楽の情を激しくさせるという例は多い。その喜びは、生命の自由を奪われ、何もできなくなっている人の苦しみ。その怒りは、それでも真剣に生きようとする彼らの確かな歩み。原因の世界での暗躍は、形ある世界の偏見と差別の燃料になる。

10/09

・普通自然体の自分の姿を忘れた歌手や俳優は、その人間味の無い感性を武器に、戯言や絵空事を、支持する人たちと共に演じ、好きなだけ遊ぶ。ただ楽しく、面白く、感動できればいいその世界では、誰も責任を取ることのない、精神的・心理的な問題事が、人間味の無い感性や楽しさの中身に反応する人たちの間で進行する。そして、その歌手や俳優は、その様子を題材に新たに演じ、人々はまた感動する。人間味の無さは、低次の感動畑を広げていく。

・誰にも好かれ、誰からも良く思われている人の多くは、そうである理由を知る意識を持たずに、通り一遍の話や理解で、心の浅さを補う。そんな姿を嗅ぎ付けて近寄る人の中には、驚く程の否定感情を持つ人もいるが、彼は、一切それには無頓着で、形式・表面だけの交流に喜びを覚える。そして、何人もの人の否定感情の通り道となって、自分に好意を寄せる人の心を病ませていく。

・仕事のために、異性との交流や恋愛(結婚)の縁から遠いところに居ざるを得ない人が、多くの人に好印象を与えているとすれば、それは実に危うい。健康・健全でいる心身の普通から離れたまま、人の意識を引っ張ってはならない。それを良しとする自分がいるとすれば、それは、意識の低さと生命への無責任さが相当であるということ。無自覚に他者に与える影響は限りが無い。

・男性と女性が共にいる自然な空間から発信されるものは、本来の変化と容易に重なるものであるゆえ、心優しい豊かな風景を創り出していく。男性だけ、または女性だけの不自然な空間から発信されるものは、それだけで流れが滞り、変化しにくい重たい風景を作り出す。たくさんの人の耳に届き、脳に入り込む音を扱う空間(会社)が、本来を無視した歪なものである時、その負の作用は計り知れない。夢中になった分、自らが病みの温床の一部になってしまう、歌手やグループの性質に敏感になる。誰よりも屈折した変質者級の存在が、彼らを通して世を寒々とさせていることを感じ取る。

10/07

・個の思惑を太陽や海に向けて執念深く念じれば、自然界とは融合できないその重く荒々しい性質によって、生命力は消耗し、心身はボロボロになる。生命の息吹を抑え込んでしまう、不自然体の念の世界。素朴さや純粋さとは無縁の、暗くて陰湿で、風通しの悪い場所を好む理由が分かる。太陽と海の優しさに抱かれ、彼らが喜ぶ生命を生きる。

・ある病んだ世界では、念を飛ばすとか投げるとかの茶番がある。実に奇怪で品の無い、側に寄って欲しくない存在。精神を著しく病んだ人しか居られない、念や密の負の世界。病気であることを悪用するから、健康な人が不調になる。このあたりで、心の素顔を映す鏡を見てもらおう。

10/06

・「こんな人とは思わなかった」と思われて楽になる人もいる。どんな人に、どんな風に好かれるかは、時に、居る場所と行こうとする場所を見つめる機会にもなる。

・何を優先するかは、人それぞれだが、何ではない世界の必要性をそのまま表現する意義は何よりも貴い。つまり原因。成長し続ける原因が伴わない選択は、何を優先しても、何にもならない。

・状況に応じ、必要となる距離を置く。しかし、巧く距離を置かれ、不本意な状況を引き起こされることもある。その距離をもって、関係性の変化の可能性を、一足先に未来の風景に預ける。そして、望ましい未来の原因を生き、変化に乗る。時空の密度の割合の主導権を握る。

10/05

・情絡みの病みを浄化するために、徹底して嫌われ役を担う。情の厚みが病的に強力であれば、内に固めたその性質と同じ、冷たい風景を経験してもらう。自己本位の情の背景にある、重たいままの感情の記憶。心が寒くなければ熱くなれない、その感情の性質。直情型と直感型の違いは大きい。

・根っこから変化を嫌う人は、物事に対する固定観念を強くさせ、「こうであって欲しい」気持ちを他者に向けて、自分勝手に振る舞おうとする。どんな出会いも、学びも、自分にとっての理解・解釈を第一とし、どこか偉そうで、自信家のような風体をかもし出す。みんなにとって大切なことも、自分にとってそれが大切かどうかが重要であるため、みんなのために自分が変わるという発想や責任は無い。愛情のある振りと狡さの練磨は見事である。

・計算高く感情を操り、思考の力で簡単に相手を打ち負かしてしまうような人が経験すべき経験は、そんな自分のスタイルが全く通用しなくなる原因が動く、不可解な時間。それは、ほんの少しでも、感情と思考をごちゃ混ぜにしてしまう程の衝撃的なものになる。『心の風景』を吹く『心の風』がその力になる。

10/04

・人に不公平感を抱かせる道を選んでいることに無自覚の子供は、当然そのことによって、知らずうちに他を隔て、他を傷つけ、その意識もなく不公平な風景を作り出す。彼らの将来は、知るべきことを知らないでいられる、無責任で無知な安心。同じ性質の経験を持つ親や大人に守られ、社会の不公平に関わる仕事をする。

・みんなのためになる仕事をするために、みんなを退け、自分のためだけの時間を過ごすという、実に愚かな生き方。みんなに繋がるみんなの喜びを普通に生きる人が、みんなのための仕事をあたり前にする。成績や記録重視の生活の先に、みんなのための時間は無い。

・誰もが経験する子供時代。その時に、感情を放出せずに嫉妬と執着を心に溜め込むから、友との間でも、優越と隔たりを普通にしてしまう。そうである人は、そんな経験を負の連鎖の材料にしないよう、人を指導する立場にはならない。外へと広がり、次へと流れる心を持たない人が教育の世界に関わるほど、悲しいことはない。

・心寒い重たい感情で多くの人の本来を抑え込んでしまう人は、誰にもそうとは分からせないよう、バランス良く結果を残し、目上の人からも好評価を得る。素行が良く、笑みも絶やさず、人の期待にもしっかりと応える。ところが、『心の風』によって、力を失くした人たちが次々と本来を取り戻す様子に、彼女の本心は茫然となる。無意識の意思とも向かい合わされ、病みのアイデンティティは崩れ出す。負の力を自在に操ろうとする人にとっての学校生活は、そのための体裁づくりの格好の場所になる。

・体験的知識を元に本来をさりげなく体現している人の何気ない発想は、そのまま望むべく変化のエッセンスになる。教育に、頭ばかりが忙しい評論は要らない。その本質の安定をテーマに、自らがそれを実践し、みんなでその在り様を支えるだけでいい。

10/03

2014

・決められた道を歩むことでしか生きられない人生は悲しい。自分で決め、自分らしく生きるためにいくつもの道があることで、人生は、その人の道になる。大人は、子供たちのために、彼らが自由に選べる道であり続ける。

・学校生活も放課後も、心ある社会生活の基本を学び、共にそれを育み、実践する場所。みんなに繋がる希望を膨らませ、その原因をみんなで生きていく。教える側も学ぶ側も、否定感情は要らない。

・楽しい時や嬉しい時にはいつも側に誰かがいて、一緒に話し、一緒に戯れ、いつまでも遊び呆ける。そんな時間を過ごしながら、興味ある世界が広がり、やってみたいことや行ってみたい場所が自分を案内する。ふと気づけば、喜びが個人のものではなくなっている。

・心の中に在るものは、自分にしか分からない。その性質も繋がる風景も、どこかで感覚的には分かっている。全体への影響を思う時に何か感じるものがあれば、それを厳しく観察し、調整する。不遜な態度も謙虚の無さも、始まりは心の中で、それを放って置くから、人の心を重くさせる。責任は、形を持たない原因の世界での全体発の実践である。

 

9/26

・守られることに慣れている人は、無意識に人の意識を引っ張る力を持つ。縁する人は、どこかで不自然さを覚えながらも、それで良いと思う情に流され、彼女(彼)のペースに合わさせられてしまう。弱々しさと自意識を混合させて思い通りに振る舞おうとする人の手際は、なかなか手強い。

・記憶の中の重たい存在に主導権を握られる時、自分自身も、誰かの記憶の中で重たい存在になっていることがある。それを知るだけでも、現実が流れやすくなる原因になる。

・ストレスに負けない人とストレスを溜めない人との違いは大きい。負けない人は、そうではない人にストレスを与え、溜めない人は、そうではない人のストレスを癒す。

・作家の心の風景を感じ、言葉の背景を知れば、人は、どうしても読む気にはなれない書物や覚えたくない文字がそこに在ることを知る。難しい漢字の習得も、歴史の暗記も、その必要性が個人であれば、柔らかな感性を持つ人は、その動きの無い原因に辛さを覚える。事の本質に触れる意思を持たない鈍感な人に喜ばれる、平面上の直線的な世界。作り物の常識の陰で、事実を怖れている。

…という感じで書き続けている、『心の風』の原稿になるであろうセンテンスたち。あと140個程です。次回は、10月に入ってからです。では、大阪で。

9/25

・貧しい人や困った人を助けたがる人の多くは、差別心をその燃料にする。貧しさや困り事の原因を無くす生き方には、興味すら示さない。その基盤は、幼少期からの心の脱線。それはまるで、この国の教会の風景のよう。何より大切な原因の性質に責任が無い。

・思考レベルでの優位と格差の中での善意を大好物とする人は、聖なる時と神を形にし、自己陶酔に浸る。博愛精神の本性を隠し、犠牲心を否定感情から切り離す。その嘘を守るために、心寒い人を増やす教導システム。負の遺産を次々と遺し続ける。

・比較の先で待つのは、その質の見極めと必要性の修正。そして、確かな原因の選択。それをせずに、結果のまま、形式と差異を良しとするから、中庸でいる太陽の心が蝕まれていく。そのミッションの中身が空っぽであることが分かる。

・時空間への感謝を普通とするから、互いはあたり前に助け合い、支え合う。縁ある人や出来事への受容を普通とするから、みんなであたり前に癒し合い、生かし合う。誰かが何かのために犠牲になることも、奉仕を意識して事が為されることも、そこには無い。

・人間が本来を生きていると、それが普通の動物は嬉しい。動物が嬉しいと、人間は、生命としての喜びと安心を覚える。人間の都合で動物を扱うことを良しとする考えは、生命の本来には無い。動物を大事にできなきゃ、次へと伝わるものは何も無い。

・素朴な感覚、正直な想い。ふとした発想、ありのままの自分。それらを抑えて文書に頼れば、心寂しく、自分を見失う。そこでの正しさは、想いを失くした正しい行い。善は、心を忘れた良い行い。言葉で心を形にすることを覚えた思考は、いつしか、偽善にも鈍感になる。

9/24

・この世のものとは思えない出来事や存在するはずのない存在に出会したとしても、その内容が、人々の経験上の共通理解のものでなければ、それは次第に忘れられ、話題にのぼることもなくなっていく。そんな時、冷や汗をかきつつ逃げ延びて、こんなのじゃいけないと気を引き締める異様な物体がいる。それらは、技を磨き、能力を高め、現環境では、ある性質の人間の心深くに余裕で居場所を確保できるほどの負の発展を手にしている。それは、悲しい程に巧く、苦しい程に酷い姿である。

・人間の知力では解明できない奇怪な存在を、日本古来から、妖怪や化け物と呼ぶ。しかしそれも、ある人の、ある状態の感覚によって感じ得た、ひとつの存在であるということ。その枠に入らない別次の性質の意志は、人間を丸ごと利用する。純粋な人の生きる原因を、そのずっと手前のところでいとも簡単に潰してしまう仕業は、その姿が普通の人間であるゆえ、どこまで行っても分かり得ない。見た目は普通の人間社会。力強く原因を生きることなしに、その真の成長は永遠に無い。

9/23

・経験したこと以上に、その性質と原因の風景が、脳の使われかたと働きに影響する。脳が望むのは、次なる選択の瞬間に繋がろうとする、その手前の、原因でい続ける経験の性質である。

・怖れや不安を抱かされたことで脳が不調を覚えた時、そうさせた存在の脳がそのままだと、同質の感情の溜め込み作業が続いてしまう。『この国のこれからのために』と『心の風』との融合を活かして、無意識世界での負の影響下から離れ、それまでのままではいられない状態をその存在の脳に経験してもらう。細胞たちの喜びも、その土台を変える。

・脳は、常に、形を持たない想いを守り続ける。想いは、脳の中で、心を招いて存分に遊ぶ。心は、そんな健気な脳を、優しさと思いやりでいっぱいにする。

・心が苦しくなる世界に抵抗しつつも、そこに居続けようとすると、脳の働きは次第に鈍くなり、身体も、動きにくさと闘うようにして動かざるを得ない状態になる。それでもどうにか動き、脳がそれを可能な限りカバーするため、通常では有り得ない辛い状況を突如経験することもある。脳に慣れさせてはならない心無い現実の原因に、自らの原因を重ねることのないよう、想いを健全に、心を元気にする。

・心の全ての動きは、脳の協力によって形になる。脳が力を失くしていては、湧き上がる想いも、ふと感じることも、その先には行けない。脳が辛くなる時間は、心ある想いを普通に育めない人の脳との交流。最も辛くなる時間は、無意識の意思に獰猛な(動物のような)性質を持つ人の脳との融合。全体発の価値観を普通とすることで、脳も健全な直感を通しやすく、生きやすくなる。

・思考、判断、選択、言動、経験。そのどれもに重要な役を担う脳ではあるが、多次元的に見れば、それらの仕事は皆平面的で、本質的なものではない。人としての表現における脳の一番の仕事は、思考や言動全ての原因のところで為されるその質の調整と維持である。それは、「何かをする前に、どんな自分がそれをしようとしているか」という、行為の手前の原因の性質を大切にし続ける脳の、健全な喜びである。大きく見方を換えれば、形や結果にこだわってその仕事を脳に自由にさせない人は、最大級の病み人(加害者)ということになる。

9/21

・『食の風景』(←「心の風」完成後に調整してUPします)と方向性を同じくできない食材・飲食、及び給食関係の人間は、未来には持って行けない自己本位の感情を組織に守られ、権威に支えられながら、しつこくそれを発酵させていく。通るべき道を前にして、人間として、やらなきゃならないことがある。

・思考の域には上って来ない、動物主導の、彼らとの原因の世界での融合とコミュニケーション。誰も否定できない、動物特有の感覚的な能力とその可能性。それらは、時に、人間の無意識の意思世界にまで影響を及ぼし、それを巧みに操り、活用する力を持つ。ところが、そのこと(影響を受けること)を自らが選び、その経験を悪用して、無意識の危うさをより鋭く、拡大させる存在がいる。取り込む性質も、より凶暴なものへと発展させ、意識するだけで、相手の脳の働きを鈍らせてしまうその奇妙な力は、猛々しい動物たちも震え上がるほど。人間世界では、最も分かりにくく、最も凶悪な無意識の意思と言える。

・全てに通用し、どんな重たい原因でさえも、存在そのもので動かしてしまう、地球人としての普通感覚の在り様。そこでは、人間を通して具現化されようとする最大級の原因が自然界から絶え間なく供給され、生きる基本形を地球の意思と重ねる動物たちの望みも、それに加わり、力強く協力する。それによって、普通の質は進化し続け、地球感覚の必要性を伴って、事は、その原因深くから変化を経験する。子供らしい子供時代を過ごすことの大切さを知るように、動物たちにも、動物らしい生活を、健康的に送ってもらう。それは、生命を生きる人間として、あまりに普通のこと。

9/20

・争いは避けたいけど、争うことが全く不要であることを教えるために、敢えて争いを経験することがある。でも、そこにあるのは、次元の異なる受容と責任。争う以前に、すでに未来が変わるべく流れを創り出している。

・利益のために、負の妥協はしてはならない。大切にするものは、みんなの健康と平和な暮らし。生命を尊ぶ心と未来の子供たちへの責任。組織の中にいることを言い訳にしてはならない。

・組織を必要としない集まりは、オープンな心を普通とし、そこでの自由と安心が、喜びの原動力になる。ガードも要らず、滞りも無く、流れる変化と成長だけがある。生命に対する責任は、意識するまでもなくあたり前のこと。みんなのためのそれぞれの日常が、みんなを支え、共に生かし合い、歩んでいく。

・その存在の性質に深い安心と勇気を覚え、それまでがどんなであれ、全てを託す気になれる人間がいる。自分たちの苦しみを見過ごせる人間に進化は無いことを知るゆえ、地球に住む仲間として、その時を応援する。自然界の営みを、生命世界の喜びにする。

・誰の、何のためにそれは形になり、どこに向かい、どんな未来を引き寄せようとして、それは動いているか? 守られることに慣れ、未来を守ることを忘れてはないか? これまでも、これからも、いつも、未来が喜ぶ原因でいる。

9/19

・始まりは、いつもさりげない。想いと生きる原因が全体だから、為すべきことは、いつ終わることもなく終わり、何気に次が始まる。責任と希望の約束が強くなる。

・時の光となって、闇と遊ぶ。闇を消すのではなく、互いに生かし合う。

・遠くに置いてきた幾つもの日々。涙も笑いも、悲しみも元気も、みんな一つに溶けて透明になっている。太陽に照らされ、心の風が吹けば、幾つもの大好きな自分が笑顔で現れる。

・見えない何かを探すより、見えないままでいいものを感じ合う。

・思考が及ばない世界の出来事は、単にその原因の通り道が思考の域には無かっただけのこと。真の普通は、そんな思考世界をも余裕で包み込んでいる。

9/17

・動物たちの命と生きる自由を平気で奪える人の影響で、そうではない生命本来でいる人たちが、辛く厳しい経験をさせられている。動物たちの恐怖と戦き、抵抗と涙。その鼓動を心が覚え、細胞が反応する彼らは、動物たちの悲痛な経験と同質の感情をそのまま抱え込み、元気を失くす。仲間を愛しく思う気持ちが、いつのまにかそれ(感覚的受容)を普通にする。生命を大切に思う本来の普通が、そうではない歪な普通に押し潰されていく姿を放って置いてはならない。健全な感性を持つ人の生きにくさの原因になってはならない。

・動物たちが、自分たちを物のように扱う心の無い人間以上に怖がるのは、自分たちの本能が簡単に壊され、彼ら特有の鋭い感覚までが力を失くしてしまう程の負の影響力を持つ人間の存在。それは、縁ある人に対しても、都合良く生きるために、人知れず行われる。動物たちと同じように反応することは難しいが、人間は、彼らと本能の性質を同じくするゆえ、全てであるひとつの価値観を以ってすれば、その存在は分かり出す。確かな原因とその成長をテーマに空間を共にするだけで、彼(彼女)は、それまでと同じようにはいかなくなり、その影響を被った人も、新たな変化の原因を手にする。

・動物たちが近寄りたがらない、ある性質の人間。動物にしか分からない、その理由。そして、それを知る当人。お肉を好んで食べない理由も、他の人とは大きく違う。何もせず、縁する素朴な人の生きにくさを演出する。

9/16

・送り手の心の風景から、安心と喜びの風が吹いて来るだろうか? 作り手の創造の世界に感じるのは、そのままで人の心を包み込む優しさか? 心の風景を吹く風が想いを具現化しようとする時、それが音楽としてあれば、人の耳に自由に入り込む分、その影響は想像の域を遥かに超えて大きい。どんな自分が、どんな想いで曲を作り、歌を歌うか? そこに嫉妬や隔たりの感情が未消化のままあれば、聴き手の現実は、理由も分からず不自然なものになっていく。音を扱う人の、その手前の性質への責任は大きい。

・メロディとして脳に記憶されるだけでなく、作り手や歌い手の原因の性質まで容易にそれに乗り、脳に染み込んでいく音楽。擬い物の感性で思考を扱う人が曲を作り、心を抑えて感情を操る人が歌を歌い、利益優先のプロたちが悪知恵を働かせてそれを商品化、多売する様があるとすれば…。感性の乏しい人の趣味の対象であったり、音楽の世界にあまり興味の無い人の娯楽の道具であったりする中での流行歌は、まさに腐敗菌のようなもの。そこで生まれるヒット曲の連発ほど、恐ろしく悪影響を及ぼすものはない。

・スポーツの世界では、無意識の意思を巧みに働かせて、他者の活力を低下させ、その源を自分に引き入れて、自らの能力表現に利用するという、実に妙なことをできる人がいる。感情の性質とその原因の風景を観察すれば容易に分かることだが、結果が求められる世界での理解では、それは難しい。ただ、スポーツを楽しむことにおいて、放っては置けないとても不公平な原因の性質であるゆえ、その必要性から、それを感じてみる。形(結果)にこだわり、変化(原因)を拒む、日本人気質の流れない負の部分は、全体競技では一番に要らないもの。

9/14

・元気を失くした子供にその理由を聞いても、聞き手の子供心が切ないままだと、彼は何も言えない。でも、子供心が元気で健康的な人が側にいれば、子供は一緒に遊び、たわいもない会話をしながら、いつのまにか元気になる。ふとした時に理由を言うこともあれば、言わないままでOKになってしまうこともある。そして、次へ行く。元気な子供心の大人に見守られながら。

・子供は、親たちが聴く音楽を聴いて子供時代を過ごしたのだから、子供が成長すれば、親は、彼らが好む音楽に耳を傾ける。何でもないこと。普通の優しさ。

・差別心と特別意識を燃料に頑張れる人のために行われる、病み続ける場所での不健康な教育。それに違和感を抱く平和な心でいる人は、二者択一的な考えの元、無くてもいい厳しさを強いられる。心冷たく鈍感な人ほど適応する、比較・競争第一の重たい世界。生命への尊厳までが、形式になる。

9/13

・相手が欲しいものを与え続けて、変わる部分と、変わらない部分。相手にとって必要なものを与え続けて、変わるであろう部分と、確実に変わる部分。

・重く流れない経験が、姿を変えることもなく記憶の中に在ると、その後の経験が皆不自然なものとしてそれに積み重なり、そのことが、慢性的な不調や変わりにくさの原因になっていく。ただそれよりも強力な負の原因として在るのは、記憶に残らず、そうである場合。その全てを段階的に確実に癒すのは、記憶に残りにくい時間と、経験が通用しない経験。『心の風』が、その手伝いをする。

・経験から自由でいられない人は、記憶の中にいくつものガラクタを持ち、過去に生き、結果を大事にする人。そんな人が、人や空間の原因の風景を癒すことはできない。スピリチュアルな世界の殆ど全てが癒しとは無縁であることが分かる。

・大切なことは、頑張らずに、さらりと普通に行う。そうすれば、頑張れない人も、喜んでそれに参加する。頑張る行為の多くは個人的なものだから、誰かのために頑張れば、その人は不調になる。身内への愛情を頑張って表現すれば、大変な状況を引き寄せてしまう。人を元気にしたければ、みんなの元気の原因を自らが生きる。空間を平和にしたければ、否定感情を手放し、無意識の意思を平和そのものにする。それらは、頑張ってする次元には無い。

9/12

・言葉に責任を取るのではなく、責任ある自分が、自由に想いを言葉にし、そのまま責任を実践する。言葉に無責任でいいということではない。ただ優先すべくは、言葉よりも、責任であるということ。無責任な原因を生きている人に限って、言葉に比重を置きたがる事実は、何とも不気味なものである。

・言われた言葉や書かれた言葉が妙に記憶に残る時、それは、そのことが記憶に残りやすい状態の自分がそれを記憶したかっただけということがある。必要性が個を超えて成長する時、記憶に残りにくい言葉と時間がそれを応援する。何気ない原因の性質が力強く柔らかな時、記憶の方から今を訪れ、仕事をする。感情が乗り、特別なものとして記憶される言葉には、変化しにくさと無責任を助長する力がある。

・自分がその原因に何の関わりも持たない現実など存在しないことを知れば、それに抵抗・反発した分、同じ性質の原因からなる不穏な現実を何度も経験し続けるということが分かる。目の前の現実を淡々と受け入れ、原因の質を変えていく。そして、再度通らなくてもいい道を、後方に置いていく。

・歩もうとする道を選ばず、歩むべき道を歩む。行きたい場所を探さず、行くべき場所へ行く。道は、目の前の人であり、出来事である。そのひとつひとつをあるがままに受容しつつ真剣に歩み、訪れる風景を迎え入れ、その場所へ行く。道は変化する今の連なりのことでもあり、その中の人や出来事を通して、人は歩み、行くという経験を創り出す。

・社会の至るところで見られる、人のご利益心を満たそうとするものやかたちの売買。その最たるものは、宗教がらみの施設や神社で行われる、あまりに身勝手で個人的なもの。子供たちの心の風景に、重苦しい不燃物を残さないためにも、流れない感情から自由になる。地域活動や経済、思想や教育など、ご利益心が本来の普通を壊している風景は多い。

9/11

・書物を読み、勤めを行い、理想を思う。人を変えず、変えられず、何をしても、何で終わる。それは、幸福の騙し絵、不幸の再生産。それらしく、そしてまた。

・化粧映えする心の素顔を持つ人は、自分の顔を持たない。表情は豊かでも、いつも動きの無い印象を抱かせる。顔は、経験を創る原因の性質によって普通に変わり、その印象も自由でいるもの。経験を創らず、過去に生きて、大事な顔を無くしてはならない。

・心に正直でいる自分から縁遠いところにいると、顔は次第に無くなっていく。言葉や行為の手前の想いは、不安のそれとなり、心は寒々とした否定感情の住み家になる。正直になろうとして、そうではない自分をごまかし、演技者になる、顔の無い顔の人たち。ご利益・依存系の集団にいる人の姿は、その典型である。

・人に見られてはならない恐ろしい顔を隠し持つ人は、表情を作り、他者に与える印象を操る。作り笑いや心配顔で嘘を本当にし、声まで変えて、本性を見えなくする。演技力が持て囃される世界や、宗教、政治及び音楽、文筆等の世界に人知れず住み続ける彼らは、誰よりも『心の風』を嫌う。子供心は、その類の性質に敏感に反応する。

9/10

・人間とは思えない存在の代表、宗教心の無い組織や団体にいられる人。化け物としか思えない存在の代表、平和や幸福と称した気味の悪い館を建ててしまう人。魂を持たない存在の代表、そんな人たちを指導する人。

・この時代に身体を選び、せっかく人間をやっているのに、その意味も簡単に失せてしまう情けない経験は、念系の性質に鈍感になることと、新興宗教や精神世界と言われる世界に身を置くこと。普通の質がその原因のところから成長することなしに、人間の進化は無い、という生きる基本が無視されることで成り立つそれらは、妖怪村の隠し芸大会のよう。あの手この手で、災いの種を大きくする。

・怖れと不安をしつこく内に固めた人ほど、信心深くなれ、そうでない人は、同じようにはいかない。争いや苦しみは、信心が足りないからではなく、信心するから。だって、信心深くなれる人の不穏な無意識の意思が、その原因になっているから。心無い宗教って、そんなもの。

・冷血で攻撃的な感情を隠し持つ人は、心優しい柔らかな人の生きにくさを簡単に作り出す。困った人がいないと運営が難しくなる宗教集団にとって、彼らの存在は何よりあり難い。

9/09

2014

さて、ここからです。リアルタイムでこの時のムーセンテンスに触れられること、ちょっと大げさですが、人生(生命)の財産にしてください。新たな10年の始まりの今日、動くべくして動き出すとてつもない性質の原因が、ここに合流します。相も変わらずアホでマヌケで、底抜けにオカシなムーが、まずは、「心の風」の原稿になるであろうショートフレーズを書いていきます。(←ボツも多いかも)