無有日記

 

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11.人に、命の犠牲を強いることは、人の世には決して有ってはならないのだが、それを非道にも行うという存在の恐ろしさに、人は、どうにも出来ない時を生きることになる。神の名のもとに殺害(殺戮、迫害)が正当化されること自体、人間の世界には存在しないのだが、それでもそれを実行しようとする存在のその獣のような非人間振りに、人は、あり得ない苦しみを経験する。そこに、その時々の権力者がいる。

人としての普通を理解できない、愚かで未熟な、人間とは呼べない不気味な存在(の権力)を中心にずっと永いこと時代が連ねられたことを考えると、そのあり得なさに、人間として恥ずかしくなる。彼らの多くは、自らを神格化させるという、軽薄さの極みを地で生き、災いと不道徳のお手本となる。もちろん、スポンサーは神社であり、それと関わりの深い仏閣も参加する。蛇の恋路に人間がたぶらかされる、世にも恐ろしい闇の歴史を、人は経験する。

戦(戦争)の度に血が騒ぐ蛇頭級の存在たちは、現場から遠いところで、人々に死闘を命じる。神(魂)や聖という言葉を巧みに利用し、殺し合うこと以外の選択肢は与えない。その間、自分たちは、酒を飲み、美味しいものを食べ、異性と遊ぶ。それが、将軍家であり、天皇家である。彼らが、地変級の災い人(蛇)であることは、言うまでもない。

原因が大切にされれば、人が人の命を奪う現実は、姿を消す。やむ無くそうである状況があったとしても、ひとりひとりの原因が成長すれば、それは存在し得なくなっていく。ただ、非人間性をあたり前とする彼ら自身が、それを実践するのは、至極難しい。だから、そのことを知る。彼らの本質(本性)を知り、彼ら主導の価値観から離れる。神道(神社)関わりの全てから自由になることは、未来への責任の、その基本の基本である。有ってはならない現実のその原因を外し、人としての役目を果たす。地球自然界も、待った無しである。

8/20

全国至るところに見られる、LED化した雨水とLEDライト(ランプ)による、亀裂や陥没、腐食や電柱の傾きetc.。その影響は、当然鉄道全般にも及び、この先、歪んだり、沈んだりの線路が増える。(すでに劣化は進行中)そして、引き起こされる、惨事。恐ろしい。

この待った無しの現実は、今直ぐにでもそうにはならない現実(非LED化)の原因を選択すべき時に居るということ。それでも無視する、各所の担当者たち。その姿は、人間とは思えない。この地球に住む権利は無い。

ベトベトヌメヌメの雨水に、この地球に生きる全ての生命たちが、恐怖を感じている。(廻り回って飲み水になる雨水。実に大変な状況の中に居る)海も山も、地球本来のそれではなくなっている。LED化は、地球の歴史上、最大級の罪である。

8/20

10.決まり事の多くは、そうであることを良しとする(当然とする)ための結果を通して生まれ、なぜその結果が生じるかの原因はそのままである。それが、見た目の良さで中身の醜さを隠す存在によって扱われる時、人は、その決まり事という結果から始まる正しさに煽られ、それが無くてもいられるはずの原因には無頓着になっていく。つまり、決まり事が無ければ、不健全さと不公平さがはびこるという、作られた正しさを前に、健全さと公平さを普通に持ち合わせる人は、姿を消していくのである。そして、更なる決まり事が作られる下地が姿を見せ、心ある原因を生きる人の本来は、心無い人の歪な(表面的な)良識に浸食されていく。

そうなる前の修復と調整は、人としての重要な責任なのだが、神社がそこかしこに存在するこの国では、それは難しい。神社が在るために、人の心が成長しないと考えても良い。神社(神道)が、人の暮らしの隅々にまで入り込んでいるというのは、非情で非道な本性を潜める有力者によって、この国が治められていると言える。その原因の中心に居るのが、ここに書いてきているその存在と、同質の蛇の脳の持ち主たちである。彼らは、自らの本性を隠すためにも決まり事を作り、自分たちが優位で居て、継続して利するためにも、決まり事を作る。その姿は、人の心を食べる、妖怪級の蛇。地球環境を守ろうと、その確かな原因を持たずに、地球環境を壊すLED化を決める。彼らは、狡賢さだけで生きる、ただの人にもなれない、蛇人形のお化けである。

人が結果にとらわれ、過去に縛られ、そして形式の中で心を無くすのは、人を殺害させ、人(女性)を虐げ、そして人を物扱いする権力者の、その蛇同然の腹の内には誰一人逆らえなかった時代を、繰り返し生きさせられたため。その終わりの始まりの時に、人はすでに居て、生命を生き、人間をやる本来の普通を次なる世に繋ぐために、ひとりひとりが、この歴史の芯を自らの原因に重ねる。そのさりげない実践は、人生にとって、かけがえのないものである。

8/19

現在建築中の競技施設及びその周辺が、LEDに汚染された水(雨水)とLEDライトによってすでにたくさんの亀裂や変色(腐食、沈下)を生じさせている事実を考えると、3年後のオリンピックでは、どれ程悲惨なことになるか…。誰もが容易に想像する。

この数週間でも、当然雨水のLED汚染濃度は増していて、各所に、新たな亀裂や汚れ(変色、変形)を見る。それに加え、真実が隠され続ける放射能汚染。LEDも、放射能も、この国発。大変なことである。

どこに行っても、街の汚れが酷い。3年後の汚さは、それは恐ろしい程になる。(半年後でも、かなりのものであるが…)ビニール傘が、乾いた後もベトベトしている状態は、経験したくはなかった現実。(→この国の地方自治の罪)この秋にはLED照明外しが始まらないと、この国は、真っ先に沈んでいく。

8/19

9.この国のこれまでの歴史は、地位のある人への違和感が処刑に繋がるという、恐ろしく未熟で、非道な価値観を基に、その政を成り立たせてきている。つまり、その中身は、蛇のお遊戯と痴話喧嘩である。素朴で柔らかな人たちは、蛇に巻き付かれ、蛇に精神を呑み込まれ、蛇化する。そして、心を無くし、非人間的に生きることを、人としての正しき道(人生)とする。

どの時代でも、世を支配する存在たちは、総じて品性が無く、人々の自由を抑え込む形式の裏では、彼らは、人とは思えない卑俗(下劣)な精神の時を過ごす。神道(神社)と、思考型の仏教を上手く利用し、嘘の神仏に守られ(守らさせ)、人々を搾取する。その恥ずべき感情を密度濃く備え、形無きその原因のところで彼らの不徳と蛮行を支えたのが、その存在である。

彼は、江戸期のある時、時代の負のアクセントのようにして権力者(将軍)となり、その不自然な在り様を通して、世の女性たちは、それまで以上に辛く悲しい時を生きることになる。その後、再度、同じ地位を手にするのだが、今(この時代に)、その江戸城跡に彼が居るというのは、かつての彼関わりの女性たちの苦悶と嘆きの原因が、更なる重たい蓋で抑え込まれていることを意味する。その当時の彼の母親の、今現在の変化を通して、彼の非人間的な性質はより顕になる。

どうしてそこまでのことを…と、普通一般の人たちは素朴に思う。人として有ってはならないことは、どんな人も、それを無視できない。しかし、元蛇たちは、それが生きる意思そのものである。そして、彼らは、そうであり続けるために、当然のようにして手にした力と立場で、都合の良い決まり(法)を作る。江戸期は、人々の苦しい生活が、その決まりによって最も安定した時である。

そして現代、その頃と同じ性質の(原因を備える)決まり事が、元蛇たちの今の姿を通して、作られていく。神道(神社)との繋がりを普通とする政治家は皆、奇形(土偶)と蛇の脳の原因を、その脳に通す、無生命化が嬉しい、非人間性そのものの存在である。

8/18

8.歴史ビル2階の辺りから、最上階の現代に至り、皇居には、数千メートル程の姿無き鳥居が在る(と思ってよい)。その材質は、その存在の意思。全国の、あらゆる人の心の風景を見張り、そこに健全さの原因があれば、力で(重石のような負の原因で)その動きを押さえ込む。心ある人が活躍できないよう、心を持たない人の思考(感情)に、負の燃料を注ぐ。彼にとっては、それは簡単なことで、その恩恵を得て、同質の存在たちは、政治や経済、宗教や教育(and 音楽、スポーツetc.)の世界で活躍し、人知れず、世を病ませていく。彼が、その意思のまま転生する(逃げる)前に、その原因を浄化する。

難無く無生命化(化石化)させられるはずだった太陽が、そうではなく、太陽に守られる地球の生命力が、全く経験の外側であったことで、その存在たちは、人間という形を通して、その意思を具現化させる道を選ぶ。その一環で、彼らは、地球の生命力のその源でもある、天然の放射性物質の自由な働きを操り、この地球には無い、新たな放射性物質を生み出す。

既存の科学の域(次元)では、その生命世界への破壊力を証明(実証)できないLEDの恐ろしさは、彼らの意思の、その材料としては、完成品と言える。神道(神社)との融合を普通とする人たちの脳が、その危うい原因には全く反応しないということも、彼らは、絶好の機会とする。その存在は、誰もその精神性(本性)を否定し得ない場所に居て、LED化で世が腐り、自然界が滅んでいく様を、かつて女性たちの人生(女性性)を弄んでいた時のように、ほくそ笑みつつ、眺める。

経験枠内の常識に照らせば、この全てが意味不明で、荒唐無稽な話となるが、地球の意思に添う原因の世界では、それは普通の理解である。心柔らかな人たちは、このことに、深くから安心を覚える。

(今世で彼に連れ添う女性の、その本性の危うさの度数は、桁外れである。見た目に比重を置く形式主義に少しでも染まっている人は、簡単に彼女の無意識の意思に支配され(騙され)、そこにある病み世づくりの原因を通す役を担わされる。現代の歴史的策謀でもある二人の関わりは、動きの無い破滅型の重石(原因)として、人々の思考を執拗に停滞させる)

8/17

20章から始まる3つの文章と並行して行うワークは、どこか集大成のような、総括のような、それを経てみんなで全く別の空間へと旅立つための準備のような、そんな面白い感じになる。この今だから、それを感じられ、ずっとその時を待つことなくただ歩いてきたから、この時の、これまでとの違いを感じられる。さて、またここから。風に乗った光のように、生命たちが躍動する。

8/17

7.その存在には、それまでの人間経験のその原因のところに、全く(同質の)他とは次元の異なる融合と無生命的な一致を重ねる相手が居て、いつの時代も、過度の快楽と暴力を普通とする意思表現を、その相手と愉しみ、意気を合わせる。二人は、物理的な関わりの内容に拘らず、いつも繋がり、どこに居ても、彼ら特有の異常な意思を重ね、方向性を同一に、異生体の凄み(極み)を生きる。互いが、それぞれを、頼りがいのある病みの相棒のようにして扱うその原因(背景)は、同質他の存在たちの意思のそれとは次元が大きく違う。それは、この地球時間の重石のようにして在り、全てが、彼らによって、本来の変化を止められてしまう。

どの時代に生を持っても、どんな人も手に出来ない地位(立場)に居る自分をいとも簡単に選び、自在に世を病ませて、好き放題人の命を弄び(女性を虐げ)、生きてきたその相棒は、今回、人間の体を手にして以来初めて、どうにも思うようには行かない時(人生)を経験する。二人で作り上げてきた堅固な病みのネットワークも、充分に機能せず、余裕は無い。(この20章の存在に)形無き原因のところで守られ、互いに活かし(利用し)合ってきたそれまでの経験も、次なる重たい世界を簡単には引き寄せられなくなり、本心の制御と秘めた感情の調整という、要らないはずの時間を、不本意な負荷を覚えながらも、何度も必要とする(させられる)。その個性である緻密さと狡賢さが、返って、その意識深くに、この時代の、これまでとは違う意思を引き入れてしまう。

それは、この無有日記の中心のところに居る人生を授けられた彼の、その本質(本体)の、当然の反応。誰も経験することのない恐ろしさの原因(作用)をその本分とするゆえ、無有日記の原因という透明な鏡に映し出される、その理由を持たない自らの恐ろしさ(の原因)を、否応無く見つめさせられるようにして(反動のようにして)、経験する。そして、機を伺い、この章で書いてきているかの存在の無意識の力に対処すべく、その原因を動かす。二人は、その信じ難い形無き意思の力で、あらゆるものを牛耳って来ているので、その終わりの始まりと、終わりの時へと進み行く道筋を、無有日記に招待された彼の人生で案内してもらい、形づくる。それは、今尚、進行中である。

8/16

6.転生は、否定感情とは無縁のものであるはずなのだが、心を持たない存在たちのそれは、生命本来の意思も望みも無縁であるため、心ある人が、その原因の変化(進化)のために自然に受容・選択する転生の世界とは違う。支配層のどこかに生を持てば、後は、生来の凶悪さと残忍さで、いくらでも人々に悪影響をもたらす立場や力を手にする彼らは、いつの時代も、世を病ませる方向性を同じに、非人間的に歴史を作り続ける。(それゆえ、多くが名を残すことになるのだが…)

そんな彼らではあっても、形を生み出す意思世界では、力の違いがあり、鎌倉期に後鳥羽上皇(天皇)の生を手にしたその存在は、形あるところでの影響度はその度に変わっても、その負の原因の世界では、常に中心に居る。その理由は、蛇の脳の中に入り込む前の彼の行動にあり、その存在は、次々といくつもの天体を死滅させる(化石化する)段において、他への指南役(お手本)のようにして、最もその負の力を発揮する。そんな意思が、人間の脳を手にしたわけだから、これまでの時を含めて、その存在の影響力が、人間の知が到底及ばないところに在ることが分かる。彼の意思は、この世(地球)の無生命化の、その重要な核となる立場でい続ける。

(縄文期以前には無かった太陽の黒点を、その存在たちの意思による傷跡と思ってみる。それは、彼(太陽)の自浄力が高まる中、次第に癒されて無くなり、この国の気候も、そのことで変わっていく)

8/15

LEDの影響」(1)〜(7)の映像を、たくさんの人たちに見てもらう。そのための工夫をし、そのための動きをし、あとは、放って置く。必ずや、非LED化へと動き出す。(この時期、は強力)

今は、誰もが、PCやスマホで映像を見ることが出来る。映像をきっかけにLED照明を外す人たちが、全国各地でその機会を待っている。そのためにここに在る、みんなの体験を通しての、みんなのためのLEDの映像。様々な反応からは自由でいて、ただ表現し、その全てを忘れる。

このPC(ネット)時代に生きていることを、最大限に活かし、二度は無いこの今の原因で、地球を安心させる。いくつもの映像は、それを必要とする人たちの目に触れる時へと動きたがっている。

8/15

5.人々の、平和で健康的な活動を嫌うその(蛇の脳の中での経験を持つ)存在たちは、社会全般に、リズムの無い音楽と踊り、そして武芸と娯楽を流行らせ、それに触れる人たちの脳の動きを鈍くさせていく。その元となる風景で主導権を握っていた彼は、真っ先に、女性たちから生命のリズムを奪う。何をするにしても、物静かに(蛇のように)動くことを教えられた女性たちは、快活に動くこと、自由に声を出すこと、気持ちを口にすることを封じられ、歴史ビル2階の頃から、この国は、リズム感の無い(メリハリの無い)生活習慣が良しとされる時を連ねることになる。そのどれも、蛇(の脳)に乗っ取られた人間社会の姿である。

彼が、現神道の中心に居ることで、これまでとは大きく時代環境が異なる今でも、人の内なるリズムは変化の無いまま、非生命的である。歌は、地を這うような音楽が特別なものとされ、踊りは、妖しく暗いものが権威を持つ。武芸全般では、リズム感を持たない(技術だけの)人が、相手のリズムを奪い、勝負を成り立たせる。娯楽も、生命の躍動とは無縁である。現代音楽も、生命のリズムを持たない(無くした)人が、頭で覚えたリズムを、頭で歌い、頭で踊る。蛇系が活躍するこの国の芸術は、地球のリズムから最もかけ離れていると言える。

神社には、生命のリズムを奪い取ろうとする原因が、所狭しとうごめいている。それに何の違和感も覚えず、そこと縁する人は、その意識もなく、人の生きるリズムを破壊する。生命のリズムが、いつまで経っても活動的に動き出さない(回転しない)原因には、それを望まない人たちが支える、皇居(天皇家)の存在があると思ってよい。神社の、暗く、じめっとした雰囲気は、神の名のもとに命を奪われた大勢の罪無き人たちと、その彼と関わらされた女性たちの、封じ込められたままの(動きを止められたままの)、その痛みと苦しみである。

8/14

4.神道の世界での、女性に対する不可解な決まり事は、その存在が、尽く女性を虐げ、弄んだことの原因が余りに強力であったために、人々の理解は滞ったまま居続けてしまい、その異常を普通と思うほどの思考停止のような状態の中で、揺るがない(権力による)形式の中にそれが入り込んでしまったためである。今の彼は、誰よりもそれを嬉しい。それは、人を支配しやすく、人の脳を操りやすい、その下地でい続ける。

室町の時を経て江戸になった時の、その中心の地に、今の皇居があることを考えれば、その場所には、人々の苦しみの原因のその核となるものが、400年程も存在し続けているということを知る。かつて蛇の脳を経験した存在たちは、その間、何度もその場所に居座る生を手にし、供給される負の原因も、その質(威力)を拡大させるために、集中的にそこで蓄積させる。それは、今尚行われていて、その存在も、もちろんそれに関わる。

その場所(皇居)は、いつしか、病みの原因の磁界(磁場)のような役を果たし、自然界の生命の営みの、その基本的な動きを鈍くさせてしまう程になる。彼らの、健全な動きを止める、動きの無い不健全さは、大勢の心柔らかな人たちの脳を不自然にし、彼らの心を力無いものにする。不自然極まりないその場所は、400年以上過ぎた後も、未だその質を危ういものとして成長させ続ける、不穏と停滞、及び心の無さ(未熟さ)の象徴となっている。

8/14

「歴史の芯」も、この時期を待っていたかのように、(20)が始まった。そして、残りは、あと2つ。やっとここまで、と、休み時間も近い(?)。容器に溜まった水も、あと少しで溢れるところである。その瞬間を、今か今かと待っている生命たち。ここまで来たら、一気に行く。

8/14

3.蹂躙と凌辱という言葉が、彼の並々ならぬ蛮行の様から誕生したものだと思えば、その非人間振りが想像できると思う。世情が不安定で暴力的な世では決まって、人が抗えない立場や地位に居て、力で、人(女性)を囲い込み、力で、好奇・好色の時を愉しむ。身体を傷つけ、血を流させることも常とし、苦しみ喘ぎ、許しを請う(逃げ惑い、命乞いする)彼女たちの姿を冷笑する。身ぐるみを剥がされ、耐え難い辱めを受け、そして女性としての全てを失い、絶望の淵に立たされる人たち。歴史ビル2階で、その恐ろしい獣のような感情のみで生きた経験は、その後、彼自身の、人生の最大の動機となり、平安・鎌倉の時、彼は、手にした権力で(天皇家で)、人間性と人間らしさを外した性を、常識として固めてしまう。男女の本来の関係性は潰され、女性たちの(人としての)性は、屈折と禁忌の類へと変貌する。位のある彼の、その変質的な性癖の影響によって、その後、女性たちは、どこまでも人間としての普通の生き方を出来なくさせられ、苦難と忍耐の時を過ごすことになる。

8/13

1.原因でい続ける生命は、連繋の意思をそのままに、ただ歩み続ける。何も無いはずのその道に何かが在れば、その全てを受容し、自らの質を高め、更なる変化に乗る。気づけば、その何かを後方に、それまでのように、そのまま歩み続ける。何があっても、それは原因の力強さへと繋がり、どこを通っても、それは原因の精妙さを生み出す。

なぜそうであるかの理由が、原因の成長とは無縁である時、そこに在り続けるものは、無くてもいいものである。そこに、そうで在り続けようとする意思があれば、それは、生命としての原因を持たない無生命化のそれであるゆえ、そのままには出来ない。無生命という生き方を可能とする、非生命的な、腐敗と破滅の意思活動。その根源と繋がる存在たちは、人間の理解が到底及ばない別次空間(層)で暗躍する。それは、水を汚す不純物のようにして、生命世界の普通に入り込み、変化・成長とは無縁の重たい原因で、生命活動を封じ込める。

ただそれも、歩み続ける中での、何かである。信じ難い無生命世界のその意思活動が、経験の外側に在ったとしても、そこからすれば、この原因の世界も、彼らには無い、信じ難い経験の外側である。全てを受容し、自らの質を高め、更なる変化に乗る。その何かがどんなであれ、その必要性は、原因でい続けるその質を、成長・進化させる。その変化は、止まることを知らない。

 

2.その存在の中に在る経験の記憶の、その性質に触れようとすると、向けた意識が遮断壁を生み出すスイッチになるかのように、瞬時にして、感覚は鈍くさせられる。いくつもの時代に居て、かなりの影響力を持ち得ていたからこそのこの現代におけるその姿があるということを通して、細かく観察し得る部分が多々あるはずなのだが、彼は、それを決して許さない。形無き負の原因の余りの強さと、その限り無い分かりにくさ。それは、それだけ、この今の世においては誰にも知られてはならない、人としてあるまじき野蛮で冷血(下劣)なことを、その醜い本性の力で、繰り返し行っていたことを意味する。だからこその、万全を期しての、今の場所(地位)。彼の、これまでの生は、いつのどの時も、人々にとって、惨たらしさと悍しさのそれであったと思ってよい。

それでも、この時を迎えたということ。その重要なきっかけとなる、かつての彼関わりの経験を未消化のまま抱え込まされ続けた人たちの、この今に至る原因の変化。無有日記を通しての、彼(彼女)たちの、その無意識世界の変化は、確実に、彼の生み出す遮断壁を薄くする。その度にその質を高める生命源からなる原因で、そこに在る無生命の意思を取り込み、その負の原因の意思を、力無いものにする。より活発に動き出しているそれは、訪れる風景(次元)の変化に併せて、次なる言葉を連れて来る。

8/13

10.その存在は、どの時代にも生を持ち、平安・鎌倉(前期)は、朝廷側、その後は、何度も武将(執権、将軍etc.)として生き、かつての蛇の脳の中での経験を、人間時間に活かす。今回の、偶然を装ったその必然は、人々に、最も意識を向けられる(崇められる)場所に長く居て、世がこれまでの時代と同じく病んでいく姿の、その重量級の負の原因でいつつ、遠くから、それを眺め続ける。

この19章で、彼(彼女)のことが言葉になるのは、彼ひとりのために全てが闇に包まれてしまう程の力を彼は持っているため、そのことに対応し得るこれまでを経る必要性を以て、ここに、それを記す時を迎える。彼(彼女)が今、その場所に居て、然るべきEWへと繋がる道がここにあることは、まさに望外の事実のような原因の進化の現れ(具現化)であり、時代の喜びである。これに続く次なる文章の誕生を通して、徐々に、その世界へと入っていく。

8/12

どこの街でも、いくつもの電柱が傾いている。これって、誰の人生でも、初めての経験。この後、どんな現実へとそれは繋がっていくか。道路の亀裂の増加もショックだけど、電柱は、頭が真っ白になる。対処(改修)されないまま、傾きが少しずつ増している電柱も多い。

それを生み出した、LED。水(雨水)がLEDの光を浴びると、その質は、本来の水ではなくなり、循環する中で、想像もつかない負の力を発揮する程になる。雨の日に外を歩くと、べとっとして、その濃度(無生命化の力)が増しているのを感じる。ということは、どうにもならなくなる時へと、加速し出したということ。そのどれもこれも、人間が初めて経験することばかり。

この秋には、大きく非LED化へと動き出さないと、3年後の東京は、ビルも道路も競技場も、ボロボロになる。(すでに新宿はポロポロオリンピック開催どころではなくなる。

8/12

9.天皇家の人々が、誰よりも人間らしく、人としての真を表現することで、この国の歴史ビルは、そこに在る非人間性の重石を外す。神社は、人間世界の病み(闇)の象徴であり、その中心に永いこと天皇は居続ける。堅固な負の連鎖は、天皇家の遺産であり、歴史上の幾多の惨劇も、そこから最も遠いところで権力を持ち続ける天皇の、その原因の意思と繋がる。つまり、人々の苦しみの大元は、天皇(天皇家)ということになる。人間であれば、それを否定するという選択肢を持たない。

彼らが、これまでのように嘘を本当として生きようとすれば、その分、時代は悲しみを蓄積させる。永い歴史での、無くてもいい経験を強いられ続けた人たちのその苦しみの原因全てが、天皇繋がりの世界には在るので、そこに引き寄せられようとする次なる原因を思えば、人は、それを放って置くことは出来ない。今の時代の人たちが、天皇という言葉に何の違和感も持たないということだけは、有ってはならない。その言葉への肯定は、生命への裏切りに通じる。

永いこと特別な存在として崇められてきた(崇めさせられてきた)天皇家は、見方を換えれば、そうではない扱いを許さないという、普通自然体の生命の原因からは程遠い、獣のような怖れと怯えを内に秘めた、小さな存在ということになる。それは、考えれば誰にも分かることで、彼らは、そのことを恐がり、人々に何も考えさせない手段を、嘘の教えと権力で様々に講じていたわけである。罪の無い人たちを大勢巻き込んだこれまでの悲劇や惨劇は、天皇関わりの存在たちの病的な原因と、彼らの不安発の野蛮な権力行使によるものと言える。

8/11

可能な限り、時間を活かす。その活かし方も、成長し、力を付ける。結果を求めず、ただ非LED化の原因でい続けることで、ここに居ることの意味を、時代が受け取る。何気ない表現のその原因の連なりが、未来地球の健康の土台となる。

改めて、これまでから自由になる。この今に、これまでの原因は全て溶けているから、ここから、初心に戻って、再スタートを切る。要は、これから。

8/11

8.天皇という存在は、かの蛇の脳の中に入り込んだ存在たちが、病み世づくり(破壊行為)の、その重要な砦のようにして作り上げた、歴史的異変級の嘘である。その嘘を神としたことで、彼らは、いつの時代も天皇の威力を難なく利用し、時に自らも天皇(関わり)となって、好き放題人を殺害し、迫害を愉しむ。その非人間的な負の要素は、神社から、今尚流れ続ける。

人としての常識(普通)を知らないこの国の多くの人間は、平気で、天皇繋がりの非常識(異常)を受け入れて、生きる。それは、恐ろしく危険な不安発の洗脳が、永い年月を経た今も浄化されないでいる現れ。弥生期の頃から始まったその嘘は、邪馬台国の時代を経て強大な力を持ち、歴史ビル2階の時、そのことで世は、完全に健全さを無くす。地球の異物のようにしてその星の意思を最大限に通すその(嘘の世界の)不気味さは、自然界が最も悲しむ現実である。

蛇化した人たちが支える神道の嘘が力無いものになると、かつて人生(命)を奪われた姿無き無数の罪無き生命たちが癒され、辛く切ない経験の記憶をそのままに今を生きている人たちのその原因も、本来になる。その時に欠かせないテーマが、神道の本質と天皇家の正体である。神社から透けて見える風景には、罪の無い人たちの拷問と殺戮(処刑)、人々の苦しい生活と癒えることのない痛みがある。そこでは、嘘の神々に天皇も加わり、人喰い蛇と蛇使いも登場する。その大元となる原因の、奇形の幼子(土偶)と、蛇の脳の中での経験。そして、彼らがそうである理由を生み出した、異様な天体の意思。そのどれも、この地球には要らないものばかりである。

8/10

無生命化の意思を備えるLED化を止めることは、その原因の重たさを思えば、簡単ではないことを誰もが知るところであるが、そこにある嘘を正すための本来の普通が回転すれば、時間とともに、確実に、非LED化へと時は動き出す。そのためにも、どんな表現も、結果に留めず、ただ原因でいる。

LED絡みのやりとりや交流を、安易に文章(言葉)として残せば、そこで、回転は止まる。それよりも、自らの感覚・感性をそのまま形に(次に繋がる原因に)、心ある表現そのものになる。LEDをテーマとした個人的な体験(交流)を文章にしたがる人の空間は、直ぐに滞る(変わらない原因になる)。

体験は、忘れてしまえるぐらいがいい。そして、ただ淡々と、LED照明が外れる時の原因に、自らが居る。心ある実践は、結果に留まる意思を持たない。

8/10

6.負の原因の深くへと、いくつもの次元層を突き抜けていくようにして、自動的に進行するEW。そして、それに連動するかのようにして形になる、歴史の芯の原稿。蛇の脳の手前の世界を少しだけでも言葉に出来たということは、その次元のEWが、すでに始まっていて、ある程度の感触をもって、この時を引き寄せられたということ。それゆえ、これからは、これまでとの違いが大きく更新され、無有日記の原因と融合する人にとってのそれは、新鮮で面白い、素敵な体験的知識の連続になると思う。

蛇系の人たちは、見た目の普通の印象とは全く違った異常さを内に秘めている。つまり、頭で覚えた良いとされることを上手くこなしつつ、心の無さゆえのその本性(無意識)の危うさで、心ある普通の人や空間を、その気もなく病ませ続けるということ。これから、それが、ままならなくなる。母体は、これまでのように負の原因を注いでも、彼らの元には、同じようには届かない。

そのことで、彼らの中でしつこく固められていた否定感情は、使いにくく、流れにくくなり、それを生み出した無有日記の影響もあり、自家中毒のような状態になる。怒りと悔しさが募っても、それは思考から切り離された無意識でのことであるゆえ、理由も分からず、いつものようには行かない自分に出会し、本性の動きを刺激していた感情や思考も鈍くなる。そして、心を持たない人の宿命なのだろうか、彼らは、物化する。もちろん、その手前では、嘘やごまかしが困難になるための、彼ら自身であるその非人間性の浮き上がりや放出(露顕)が為されるが、見方を換えれば、その全てが、奇跡的な生き直しの機会と言える。心優しき本来の普通は、彼らの変化を歓迎する。

 

7.その星の本質は、闇であり、無生命である。そして、その性質(正体)は、粘着と残忍、破壊と停滞である。この地上に生きる人間がその原因に少しでも触れると、それが地球には存在しないものであるゆえ、処理が出来ず、要らないものとして脳に残り、不安と怖れになる。そして、それを原因に争いや病気が生まれ、人は、無くてもいいはずの経験を重ねることになる。人間世界には、元々不安など無かったことが容易に分かり得ると思う。

その意思の、蛇の脳への住み込みから始まった、不安発の価値観と教え。それを知れば、不安が力を無くす。そして、不安の存在を前提とした教え(宗教、仕事)には決して近づいてはならないことも理解する。現代の、この国に在る宗教組織(集団)の殆どが、かつての蛇の脳と土偶の原型(奇形)をルーツとする。そこに居る人たちは皆、嘘が好きであり、不安が心地良い。

太陽の光の中に居ると、不安は居場所を失くす。浜辺で海を感じると、不安は入り込みにくくなる。そして、最もその星からの負の原因を取り込み続けていたある存在(天皇家)も、みんなの変化によって、そのままではいられなくなり、歴史の芯の中で、その力を無くす時を迎える。そこから、人としての生命の歴史が、本格的に動き出す。

8/09

放っては置けない現実がそこにあれば、ただそれを放って置かなければいいだけのこと。あれこれ考えていては、本当のところはどうでもいい自分が優勢になる。どうにかなるのを待っていては、放って置けない現実のその原因に、自分も居ることになる。変化は、シンプル。ただ、普通に動けばいい。

8/09

4.彼らの無生命そのものの意思活動を絶え間なく支え、その燃料源で居続けるそれは、地球からおよそ100光年彼方で存在する。黒と青と緑の色が混在する腐った苔のようなもので覆われたその星は、球にはなり得ないその歪な形の内側から、破滅と停滞の強力な負の原因(エネルギー)を放出する。巨大な負の生命体であるその星の意思のまま、対象となる天体で、その全てを覆い尽くして死滅させる無生命化の仕事を行い続けてきたその原因(エネルギー)は、同じようには行かなかったこの地球では、人間の体を持ち得たことで、その後、それぞれが個性を帯び、経験の内容と取り込む生命の度合いに応じて、支配力や凶悪さ、狡さなどに違いを見せながら、母体(星)から送られる無生命化の燃料を元に、限り無く負の意思を具現化させる。

ただしかし、この地球には、太陽の意思(真の普通)と融合する精神性と地球感覚の原因を普通とする人間が、縄文期からすでに何人も居て、その強靭な意思と柔軟さで、彼らは、自然界と密に繋がる感性(直感)を材料に、その存在たちの動きを、いつの時代も妨げる。ところが、地球自然界の生命たちの苦しみが極限状態へと向かわされてしまう中、それは難しくなる。

 

5.自分のことは考えず、地球を守ることばかりであった太陽は、地球以上に重たい負荷をかけられ続けてきたが、この時に、それが徐々に外れて行くことで、彼は、これまでの経験を最大級に活かし、子どもたちを癒し始める。常識では考えられない、この話。でも、地球も太陽も、生命体であり、それぞれに人間の理解の及ばない別次の意思を持っていると思えば、頷けると思う。地球は、太陽から生まれたのだから。

そして、地球では、自然界の生命たちが安心する心柔らかな人たちが力を取り戻し、普通自然体で、この地球時間(空間)を、優しく、調和あるものにしていく。海も陸地も、水も空気も、太陽と遊び、病みを知らない健全さを普通とする。そのために、この今があり、無有日記を通る原因は、それを、心ある人たちに楽しみながら実践させる。この地球には、争いも病気も、似合わない。

時代の好転反応は、続行中である。次の時代までに修正・浄化すべき負の原因への対処は、この時代に生きるみんなの、原因の仕事である。そして、止まっていた心は動き、動いていた心の無さは、止まる。真の普通は、大きな広がりを見せ、歪な普通は、しぼんでいく。そのことを、ずっと前から知っていたかのように、人は、淡々と、さりげなく、ふとした想いを形にする。

8/08

3.その流れがここで動き出したのも、蛇の脳の中に入り込んだ存在たちの、その原因となる別次の世界に、より細かく触れられる時を迎えたから。信じ難い話だが、姿無き負の意思そのものである彼らは、今回、地球仕様に、人間という形を持つ。存分に無生命化の意思を発揮しつつ、自分たちと同質のものにさせ得た他の天体とは大きく勝手の異なるこの地球を前にして、彼らは、その取るべき前段階として、蛇の脳を利用する。(「連繋の意思」)

歴史の芯で、彼らが巧みに引き起こした歴史的負の出来事とその背景を、形無き原因のところから処理し、そしてここに至り、その物理的原点となるかつての蛇と奇形(土偶)が彼らの今とその本質(非生命的本性)を同じくすることに意識を向け得る機会を得、縄文時代の心柔らかな人たちの切なる原因は、この今と繋がる。そして、彼らの意思は、異物として浮き上がり、その元となる場所も、焦りと緊張を経験することになる。負荷をかけられ続けた太陽も、次第に、太陽らしさを表現し出す。

子どもたちが次々と力を無くしていく姿を見ても、どうにも出来ずにいた太陽。本来の在り様から大きくズレたまま、この地球がこのまま無生命化することだけは、何があっても避けたい彼と、地球の意思。それは、夢物語でも、想像の世界でもない。この今に至る人間世界のあらゆる争いと病気の原因は、元を辿ると、その全てが、蛇の脳の中に入り込んだ彼らのその原因の意思に繋がる。このテーマを、未来への生命の責任とする。

8/07

1.原因の世界には、ただ原因でい続けることで、(原因の)感度の質が高まり、広がり出すという、その変化を生み出す原因の分母のような存在があり、その成長により、多次元的に感応し得る世界の、それぞれの原因の深み(次元)では、生命の(根源的な)意思が、形を生み出す形無き原因の層を遡り(透過し)、自由に行き来しつつ、戯れるようにして、いくらでもそこに在る原因の質を感じ取って、それを思考のフィルターに通す(思考の域に押し上げる)という、何でもない生命としての普通がある。

この歴史の芯の世界とムリなく融合するという経験を通して、自らのその原因(心)が力強く動き出した人は、少しずつ確実に、その普通を自分とする。そうではない人は、神社との関わりをゼロに、人間本来の在り様を実践するという、生き直しから始める。原因は変化であり、生命である。結果(滞り)であり、無生命である神道の世界との融合は、人の世界には存在しない。

 

2.生命としての人間の(生命を生き、人間をやる)生き方を取り戻し、この数千年の負の連鎖から離れる自分になると、全くこれまでとは違う感覚が甦り、どこか懐かしいようで、ずっと触れ得ることの出来なかった真の普通のそれを通して、人の姿(世)がよく分かるようになる。それはまるで、この今の地にどこか次元の異なる別の場所(空間)から訪れたような気分になり、すれ違う人や縁する人の、身体を借り物とする彼らのその本体(中身)の性質を、その意識もなく感得・把握してしまう。それは、ずっと忘れさせられていた普通。求めて手にするものではない、生命本来に初めから備わる、自然な感覚と反応。かつては、皆、そうであった。

自然界の他の生命たちと同様、人間も、この地球に生きる一生命として、常に原因でい続ける存在である。そうではなかった時を経て、以前のようにそうになれば、当然結果の世界に生き続ける、非人間的で無生命の性質を持つ人との融合を離れ、人間らしさと、生命を生きる自然体の姿が力強くなる。蛇の脳の中に居た存在たちの意思が人間の姿を持ち得たからといって、普通に人間を生きる人たちは、蛇にはなれない。縄文期の終わり頃から現代まで、人は、本性の遺伝子を蛇とする不気味な存在たちによって、人間らしさを無くさせられて生きてきたと考えてよい。次々とそのしがらみは外れ、本来の普通が元気になる。

8/07

原因の世界では、ごく普通のことなのだが、重く、動きの無い結果(という名の負の原因)の世界に僅かでも次へと流れ行く隙間が生じるぐらい事が動いたとしても、決してそれに安心することなく、これまで以上に、確かな原因の具現化(実践)を試みつつ、その流れ行く空間(通り道)を広げ、大きくする。結果を生きる(嘘の原因を生きる)存在たちの無意識の意思(本性)は、普通人間のそれではない。一度始まったら、それで良しとする時まで、回転を緩めてはならない。その時は、もちろん、未来が、確実に本来の姿を取り戻せるその原因を手にする時。この8月と9月、一生に一度級のかけがえのない原因の時を、皆で楽しむ。「歴史の芯」も、(19)、そして(20)へ。

8/06

歩道に敷き詰められたレンガが、欠けたり(変色したり)、変形したりする段階を経て、歩道全体が、歪み出し、陥没し始めているところが増えている。近くの電柱は、少しずつ傾き始め、その場所は、危険個所となる。

LEDに汚染された雨水は、元々その性質が破壊型のそれであるため、容赦なく、物を壊す。土中に染み込むLED水が、どんな状態へと事を進めるか。この秋の、責任ある立場の人のその責任は、重大である。国の嘘(愚策〜♪)に同調して、人々の所有財産や生活環境を壊し続けた(続ける)罪は大きい。

8/06

8.土偶のその原因を、今の時代だからこそ通用する(通用させてしまう)知識レベルの理解で捉えていては、無責任な無知が数の力で存在感を得るという、異常な状態を延々と続けてしまう。そこでの奇形の元となる蛇の、その恐ろしい意思は、神道の本質であり、神社が潜める残虐性のその理由(ルーツ)である。それを生きた知識として新たな経験に重ねれば、知識世界の無知の根底が崩れ、責任ある知恵と心ある体験的知識を普通に、人間本来を生きる道を歩み出すことになる。

その歩みの中、健全さを取り戻した違和感に触れるのは、今の時代の暴走劇と、LED化の脅威。そう、現政権(2017年春現在)の主要な存在たちは、心を何より嫌悪する、かつての蛇(奇形)の脳の持ち主である。彼らは、自分たちが生きにくくなる平和の原因を潰そうと、力を手にし、一気に世(地球環境)を病ませようと、脳をオカシクさせた(させられた)人たちを使い、LED化を進める。それは、本性丸出しの、見え見えの悪あがきである。

知識の本質を知れば、自らの生き方が、次に続く人たちの知識になる責任を思う。理解が、心ある風景の原因でい続けるみんなのものである時、時代は、病むことはない。歴史の芯は、その材料となって生き続ける、みんなのための、みんなの心を育み、成長させるために、ここに居続ける。それは、時代の望み、地球自然界の安心、生命たちの喜びと躍動。

縄文期が終わりへと向かう頃、えも知れぬ恐怖と苦しみの中で、土器と土偶を残した人たちの、その本能的な直感と責任と強い意思を、この今の力強い原因の実践で癒し、彼らに応える。彼らが居てくれたおかげで、人間は、人としての生を生きる機会を得る。

8/06

7.蛇の中に長く居た経験は、人間の脳を手にした後、大いに活かされ、それまで普通に在った平和は、彼らのその野蛮で残酷な感情の力によって壊され、不安と怖れが世を包み込む。非人間的な力に従わざるを得ない時の中で、人は、次第に心を無くし、感情は表情を失くす。弥生時代とされる頃には、それはあたり前の風景となり、心を持たない偽りの人間が、多くの人を支配し、権力を手にする。そして、心を知らない蛇の脳の持ち主たちが主導する、非道で人間性ゼロの時代が連ねられることになる。

常に時代を動かし、世を病ませようとする彼らは、自分たちと同質の人間を増やすことを心がけ、人間を初めて経験する人の脳を、早いうちから嗅ぎ分け、それを自ら(の脳)に取り込み続ける。脳を操られた人たちは、彼らの思い通りに、争いや衝突を常とする人生を生き(行動し)、彼らの望む、問題事の絶えない不穏な世を支える。

歴史は、蛇の脳を経て人間の脳を手にした、人としての基本形を全く持ち合わせない形ばかりの人間によって、その主となる部分が支配され、大勢の人たちが、自分たちが彼らの負の原因と融合させられていることも分からずに、それに合わせ、嘘の教え(神道)を守り、蛇と仲良く生きる様を呈することになる。当然そこでは、蛇系の意思のまま、それまでのように、歴史は繰り返される(低次・低劣の争い事がいつの時代も繰り広げられる)。

8/05

地球の未来のために、子供たちの将来のために、誰かが、その原因となる真の動きをしなければならない時にいる。その誰かが、君である。そのための人生をここに選択した君が、地球の未来を笑顔にする。子供たちのための環境を本来にする。

それ程の人生は、無い。なに人も、それを阻むことは出来ない。LED照明の無い時代環境の原因を、次に続く心ある人たちにプレゼントする。タイミングは、今である。

8/05

6.土偶の元となる歪な姿を何度も生み出した存在たちのその数は、100に満たない。そして、その半数以上が、この現代、直接的に無有と関わり、必要とすべくEWは、そのまま変化に乗る。彼らは皆、恐ろしく力のある存在であり、その殆どが、何度も都合良く形(立場、地位)を作り、名を残す。現代での彼らとの関わりは、そのまま、負の歴史のその原因の浄化である。

彼らは、数千年前から、人間の脳を次々と取り込み(自分の無意識下に収め)、まだそうではない人に出会せば、瞬時にそれに反応し、自動的に自分の脳の中にその人の全てを入れてしまう。永い年月の間でのその数は、驚異的であり、この数百年の間でも、初めて人間を経験した人の多くが、同じような性質の意思(の力)を持たされ、彼らを支える。LED照明の危うさに無感覚でいる人の殆どは、未だ、人間らしい自分を経験しないままである。

その危うき(原初的)存在たちの半数以上が、無有の近くに集まったというわけではなく、彼らが、ある不穏で無生命的な理由でこの時代に生を持つ流れになることを知り、それをその原因(手前)のところから調整して、近くに(縁すべき関わり)に集めて、その場所に生を持つ。そして、MEをテーマに動くと更にそこへと集まる同質の存在たちのことを、結果、何もせずに、その本質を把握することになる。間接的に為されるEWも、普通に進行する。

8/04

4.4千年程前、それまで蛇の脳の中に入り込んでいた存在たち(の意思)は、ほぼ同時期に、人間の脳の中への移行を試みるが、どうにも上手く行かない時を経験する。手足(腕と脚)は太く、不格好で、目は異常に大きく、まぶたは開かない。尖った牙のような歯が早くに生え、体の表面は次第にうろこ状になる。そして、地を這うようにして動き(立って歩かず)、自ら、食べたいものを食べる。その殆どは、数年で命を終える。それは、一時期、繰り返し行われ、一匹の蛇が何度も試みたため、たくさんの奇形の赤ん坊が生まれては死んでいく光景が続く。

人は、悲しみと驚き、恐怖と苦しみを経験し、それまでには無かったその異常な状態をそのままにも出来ず、ある性質の原因の高まりから、本能的にそれを形にし、残す。それが土偶である。縄文期の人たちが残した土偶は、ある次元のエリアから蛇の脳の中に入り込んだ意思が、人間の脳の中に住み移ろうとした結果、形になった、奇形の幼子の姿である。それは、数を減らしながらも、数百年続き、ある時、より人間に見える形を彼らは手にすることになる。その様は、渡来する人たちとの関わりが殆ど無い、中部の山(高原、高地)を中心に繰り広げられ、そこでのひとつひとつの経験は、この国の負の歴史の内部に、次々と入り込んでいく。神道や密教の源泉は、それである。

 

5.土偶の元となる原因に絡み、それを潜めたまま人間を生きる存在たちは、人としての芯(原因)が無い。彼らは、歴史の中で存分にその本性を形にし、殺害や迫害を愉しむ。幾多の惨劇・惨状を作り出した力ある人物は、その殆どが、蛇同然の脳を持ち、その負の原因を後に繋ぐために、名を残す。それは、まるで凶悪さの競い合いのようにして、その時々で、彼らは最も悪影響を及ぼす存在でいようとする。この国の歴史ほど、人が居ない歴史は無い。

土偶を見て、心地良さを覚える人はいない。人間であれば、そこに在る非人間の原因に反応し、思わず距離を置きたがる。そして、人間であれば、その原因をメッセージとして捉え、その全てを浄化したいと思う。縄文期が終わる頃にはすでに大きく崩されてしまっていた、人としてのありのままの姿。その原因となった存在たちが、歴史を牛耳り、今も尚、現代仕様にその性質を形にする、あり得ない姿。然るべき原因の無い知識は、無くてもいい。次なる世を、人間らしいそれにするために、生きた知識として、その原因となる材料(言葉)をここに記す。

8/03

歴史上の殆ど全ての合戦は、蛇度数の高い脳の持ち主たちが、自分たちの痴話喧嘩(どうでもいい話)に大勢の人たちを巻き込んで、命を絶たせるという、人としてはあり得ない、大量虐殺(殺戮)の一つの形と思ってよい。そこにどんな理由があっても、人が人の命を奪う世を肯定することは、人間には出来ない。信長も秀吉も、その脳は、人間のそれではない、蛇の〇〇〇級の脳である。

8/03

2.数千年前、舞台は、現在の中部の、温泉の湧き出る山の中。友人は、幾度となく失敗(欠陥、奇異)を重ねながらも、早い段階に人間らしい体を手にする。しかし、その手前の、蛇の脳であった(蛇と繋がっていた)時に仲間と取り込んだ化学物質(水銀のようなもの)の影響もあり、体の動きは不自然で、前頭部は大きく肥大してしまう。人の意識を引っ張るその容姿は、本性である残虐性を高める材料となり、人々は、(彼の感情によって)次第に脳の働きを鈍くさせられ、彼の暴力と狡猾さに抑え込まれてしまう。

彼は、歴史ビル2階の時、推古天皇の身内として生き、聖徳太子の妹との交流を密に、事を企て、その恐ろしい無意識の力で、何もせずに思い通りに彼女の仕事を操る。歴史上、唯一室町の時代に武将として名を残すが、それ以外は、闇の力として生きる。蛇の脳であった時のその負の原因の力は凄まじく、縁する人の脳は、次々と彼の中に取り込まれ、方向性を支配される。

その経験は、次に続く同質の存在たちの模範となり、多くが彼に倣う。病み世の土台となる人生を生きた存在たちの、その活力源のような性質の彼は、同質の仲間みんなを支え、彼らに、その凶悪な本性そのままの仕事をさせる。その姿は、人間であって、形無き恐ろしい蛇の脳のお化けである。

 

3.その友人の数度の人間経験に守られ、やっとの思いで身体を手にした存在の一人が、その音楽家(ミュージシャン)であり、二人は、永い間、(動物的)利害関係を保つ。彼は、鑑真の側で生き、師による、仏心を切り離した思考型の戒律を形にし、この国における仏教の真とその原因を破壊する。その獰猛さと飽く無き欲望は、何度もその時代時代に悪影響を及ぼす人生を手にし、鎌倉時代は、親鸞の身内として、室町時代は、ある有力者の側の実力者として(江戸時代は、2代将軍、及びある時の老中として)、その負の原因の力を発揮する。

数千年前に、こぞって人間の体を手にした存在たちは、蛇の脳に住み着いていたその原因をそのままに、その後、いつの時代も、支配する側の中心辺りで、好き放題、世を病ませる。そのために何度も歴史に名を残す人(残してしまった人)、天皇家に居座り続ける人など、彼らの生は、わりと分かりやすい。そして、現代、彼は、音楽界でヒーローになる。

音が氾濫するこの時代、音楽の影響は実に危ういものがある。特にこの国では、蛇系の歌い手(歌)が活躍しやすい場となっていて、その多くが、非人間的な経験の性質(記憶)を内に秘め、神社とも相性が良い。(心柔らかな人の生命力を奪う声の持ち主(ミュージシャン)は、その原因が、人間とは融合し得ない蛇(系)の脳によるそれなので、人は、ふと、感覚的にその時(距離を置くべき必要性)を引き寄せる)

その原因に反応する間もなく、脳に染み込む音楽。この現代において、どこまでも分かりにくい、音楽による病み。これまでには無かったこの今だからこその音楽との関わりを通して、少しずつ、確かなペースで、自らの本来を元気にしていく。

8/02

1.知識から始まる理解は、心(原因)の働きを退け、そこに感性の乏しい思考があれば、分かったつもりのその無知が、隔たりや衝突の時を生み出す原因となる。知ることが活かされるのは、それを知らないでいられる(いられた)時の原因がすでにその時(知る時)を引き寄せて、更なる原因にそれを活かす働きをしている時であり、その主導権は心である。

常識とされることや、世間的に良いとされるものや形を頼りに、頭だけで生きる人たち。その度数の高い人との関わりの中で過ごしながらも、自由気ままに思考(要らない融合)を外し、原因を細かく、心を自由に生きた無有であるが、10代前半の頃から、親しい友人と親しんだ音楽を通して、全くその自覚もなくかなり濃密な負荷街道を歩いてしまう。しかし、そのおかげもあり、そうまでして無有の動きを止めたいのか…と、その学びの内容は多次元的で、人(の脳)が病む過程も、その原因のところから観察し得る経験に至る。その親しい友人の原因(本性の遺伝子)への対処をし始めてから、多くの人の固まったままの病み(の蓄積)に動きが生じ、その親しんだ音楽(ミュージシャン)を切り離してから、人間らしさを取り戻す人が増える。

8/01

2017

8.この国の人々は、永いこと、山々を特別視し、ある山を神の宿る霊山(神体)として崇めたり、鳥居や社を各所に設けて祀ったりと、恐ろしく病的で、異常な感情を山に抱き、山に注ぐ。その姿は、紛れもなく、他を隔て、心ある発想を退ける、否定感情のそれ。経験の記憶には、嘘の神々の世界に守られて狡く生きた自分と、弱者を迫害し、他の多くの人の苦しみを良しとした、凶悪な非人間振りがある。山々は、彼らの歪な感情(重たい本性)とその不自然な行為に、窮屈さを覚える。

山は、遥か昔、海の中に在ったことを知っている。海と陸の間に在る砂(沙)が、自然界のバランスを支えていることも知っている。そして、海近くの場所の平和と調和が、山にとって、何より安心の材料になっていることも…。だから、山と海との自然な融合を妨げてはならない。そのためにも、砂浜や崖での負の原因の蓄積をそのままにしてはならない。鳥居一つで、悲しみは連鎖し、社一つで、悲劇は繰り返される。砂浜を、海が喜び、山が楽になる場所にする。自然界に、嘘と不自然さの象徴は要らない。

 

7/31

7.罪の無い人の殺害は、いつの時代も、残虐性を普通とする力ある存在(権力者)の意向によって為される。秘める非人間的な狡猾さが強力な存在ほど、現場から遠いところで思い通りにその全てを支配しようとし、それゆえに、その人は、苦しみ喘ぐ人たちの惨状に触れることはない。彼(彼女)が記憶するのは、宴や食、遊びの、楽しみの風景。神道の嘘の世界の中心辺りに居る(関わる)人ほど、それはあたり前となり、血を見ずに、たくさんの人の血を流させ、贅の尽くされた時を過ごしつつ、罪を課せられた人たちの飢えと苦しみ、痛みと孤独感を作り出す。そんな存在を核として人が集まり、成り立つ世界が、神道である。

この国の歴史は、質を同じくする存在たちの、その凶悪で残忍な本性がぶつかり合うという、言わば、気の合う仲間同士の痴話喧嘩(内輪もめ)である。歴史上の人物も、その殆どが皆蛇友であり、その本質は、神道の根っこと繋がる、嘘の人間ばかりである。人は、傷つけ合って血を流すということからは、一生を通して全く無縁でいる、地球に住む一生命としての、心を生きる存在である。人は、嘘の神々が存在しなければ、武器も武力も知らないままでいられる、平和そのものの存在である。

7/30

雨が降る度に、LEDによって汚染されたその破壊型(無生命化)の水分により、土も木も、アスファルトもコンクリートも、皆、変色や劣化が加速し、朽ち、腐敗し、崩れ、そして壊れる。まだ、身近に観察し得ることのない人も多くいるが、次第にそれは拡大し、あり得ない悲しい現実として、誰もが、LEDの恐さを認識することになる。

そして、3年後。都市全体が崩壊へと進む中、オリンピックを迎える。(会場では、選手以外に、亀裂も走る)歴史的な不祥事を引き起こしたこの国が、その負の原因を固めたまま、どこもかしこも沈下と亀裂いっぱいという、前代未聞の催しを行う。なんてことが無いよう、LED化は直ぐ止める(LED照明を外す)。今のままだと、オリンピックの年は、世界で最も醜い、街も森も沈み行く国となる(小池にはまってさあ大変になる)。

7/30

6.海は、眺めているだけでも、心が安らぎ、気持ちも元気になれる、この地球に生きる人間みんなを癒し、生かし続ける大きな存在である。しかし、この国は、そうではない。それは、まるで蛇の感情に添うようにして遠ざけられ、人は、山々を神聖なものとして特別視する。海の近くに残る数限り無い惨劇の原因は、未だ神社の負の力によってそのままにされ、浜辺も崖も、心無い人たちのための、形ばかりの満足の場となる。

歴史ビル2階の頃から、人々は、素朴に感じる決まり事への違和感が刑罰へと繋がり、他者への同情心が身の危険へと発展するという、歪な風潮(価値観)が蔓延する世を生きているうちに、鈍感さを積み重ね、心と感性を無いものとして生きることを馴染ませていく。神道の嘘は絶対であり、自らの心の正直さは取るに足らないものであるということも、自覚し、常識とする。

それは、心ある人たちにとって、無くてもいいはずの不安と怖れを慢性化させながら、作り物の人生を、その気もなく生きるということ。その上に時代(歴史)は成り立ち、自分たちの想いは、力無く埋もれてしまうということ。後の最澄も親鸞も、そんな嘘の世を上手く利用して、個性豊かに(我欲のままに)、狡く事を為し得たということを知れば、自らの芯は、安定感を見せる。心も感性も無い教えは、どこまで行っても、思考の域を出ることはない。

7/29

タイミングの中に居ると、その意識もなくみんなにとって大切なことをしてしまっている自分がいる。「LED感染」と「LEDの影響」が始まった、あの時のタイミング。そして、ここに至り、それぞれに(11)と(6)が完成しているという、次に繋がる大きなタイミング。いくつものタイミングの時を経て、今、「LED感染/影響」を自由に活かして、伝え、広げ、知ってもらうという、次なる時の重要な原因の時(タイミング)を迎える。

LEDに汚染された水(雨水)の破壊力は、恐ろしい。この8月は、この時ならではの、一度きりのタイミングを自分のものにし、ここに集約されたこれまでの全ての表現の機会(の原因)を、新たな力に変える。テーマは、いつの時も、地球のための原因。そのための最も重要でパワフルな時間(タイミング)は、限られている。

7/29

5.嘘を本当として生きることなど到底考えられない彼らは、歴史ビル2階の時も、3階の時も、その言動を力で抑えられ、厳しく罰せられる。どの時も、それは実に残酷で、惨たらしい。神とされる存在のもとで正しきこととなる処刑は、蛇のような(神道を後ろ盾とする)人間たちによって、その多くが、浜辺や海に面した崖で行われる。

浜辺では、拷問と処刑、そして見せしめが同時に行われ、この世のものとは思えない悍しい光景が繰り広げられる。純粋さと力強い精神を持つ人は、心に正直であるがために、不穏な対象として捕まり、その後も自らに備わる感性を大切にしていただけで、刑罰を受ける立場となる。縛られ、自由を奪われた罪無き彼らは、砂浜に埋められ(海に放られ)、恐怖と苦痛の中、命を終える。自分の番を待つ人。何も出来ずに呆然とそれを見る(見させられる)人。それを能面のごとく無表情で眺め、事を進める人。心の純粋さと素朴で健全な感性を忌み嫌う存在たちは、自分たちには無い心を持つ人たちの感情を尽く力無いものにすることで、神道(嘘の神々)の力をより堅固なものにし、人々と神社との関わりを密にしていく。

7/28

この今という時は、二度は無い。この今という時に、これまでのままであれば、この先は、全てが無くなる時へと向かう。これまでのこの国の原因(の蓄積)を観れば、それは余裕で分かり得有ること。

LED化を放って置けるというのは、未来を、自らの手で破壊するということ。人間であれば、それは出来ない。この夏、LED化がそのままであれば、数年後の夏は、確実に、地球のそれではなくなっていく。

動くべくタイミングをここで逃すと、二度とその時は訪れないことを覚悟する。今回の人生を(LED化に無感覚のまま)ムダに生きれば、人として、次の時代に生を持つ資格は無い。2017年は、地球の歴史において、最も重要な原因の時。この夏に、LED照明を外さないと(外す動きが始まらないと)、確実に、未来は消える。

7/28

4.心の望み(意思)を抑えつけられ、決められた留意すべきこと以外のことに思考は使わせてもらえず、身近な人よりも、力のある外の存在(身分・地位のある人)のことを大切にするよう義務づけられた人たち。彼らは、考えてもムダなことには意識を向けることもなくなり、身を守るために、定められたことには従順に合わせ、鈍感さを普通に、何があっても口を閉じ、沈黙の時を生き続ける。

そんな中でも、大陸から渡来する人が出始める頃よりもずっと前の時代からこの地(国)で生きていた人たちは、争いも差別も無かった時代の記憶を性質として心に染み込ませているので、いつの時も(いつの生でも)、彼らのその健全な感性は消滅することはない。それゆえ、彼らは、生来の在るべき本来(の普通)を守ろうとする意識を本能として備え、何があっても譲れない、人としての生き方を、どんな時でも表現する。人が虐げられ、命を弄ばれることは、人間世界には在ってはならない、動物にも劣る行為であるゆえ、権力による非人間的な支配の姿をそのままにしてはならないと、自らに正直でいて、その想いを次へと繋ぐ。時に、やむ無く、争い(差別、非道な責め)を無くすための衝突を選択しつつも、ぶつからずに気持ちを伝え、妥協しながらも、意思を通す。支配する側にとっては、それは、何より気障りなことである。

7/27

LEDの危うさを実体験しながら、そのまま何もせずに居られることはあり得ない。体験的に知れば知る程、人は、LEDの、その計り知れない脅威の程を覚える。その悪影響は、地球規模。LED化をそのままに出来る人は、地球を壊す、非生命的な本性を潜めていると思ってよい。それは、決して言い過ぎではない。現に、自然環境は(住環境も含めて)、LEDにより、かなりのスピードで悪化している。人は、真に(人を)生きていれば、そこかしこに、その危うい姿を見る。

7/25

3.支配する側の都合の良い理屈と感情的な判断によって罪を課せられる人たちは、身内や仲間のために良かれと思い行動しただけで、処罰され、辛さや厳しさに耐えきれず抵抗しただけで、責めを負う。争い事を避けたくても、その気持ちは許されず、協力し合って共に生きようとしても、隔たりの中で生きさせられる。この国に生きる心ある普通の人たちは、歴史ビルの基礎が出来始めた頃から、心の無さを力に非道なことも平気で行う存在たちによって、人間らしく生きる自由を奪われ、彼らの非人間性からなる満足の道具、罰則(掟)や労役に悩み、苦しめられる。

人々が従わざるを得ない非情な決まりを作り、実行する存在たちは、大勢の人を支配するための組織と職を設け、不平等・不公正を普通とする格差(差別)社会を安定・維持させる。明日をも知れぬ暮らしの中で、動物(家畜)のように働き続ける人。いつのまにか、病苦や生活苦があたり前となる人。決まりの厳しさから遠くに逃げる(追いやられる)人。海岸や砂浜近くは、迫害(差別)を被った人たちや、そこで処刑された人の仲間たちが身を寄せ合う場所となる。

7/24

2.海辺が不自然になることで、陸地は、自然界の自然な意思に逆らうようにして、本来の姿を失くしていく。海に守られ、海に育まれる、太陽の光を存分に浴びる大地とそこでの生命たち。浜辺や海に面した崖が、非道で冷酷な異常人たちが引き起こした惨劇により幾度も汚された(侵された)ことで、海は、陸を離れ、それとの融合を避けて、黙することになる。海の砂であり、陸の砂でもある、その中間に(中庸の次元に)位置する沙は、涙の砂となる。

川辺も、湖のほとりも、温泉の近くも、その多くは、無くてもいい経験を強いられる人たちの苦しみの場所となり、植物や土、岩(石)は、苦悶の中で流される血の悲しみ(の感情)を、自らの中に転写させてしまう。

その時の原因がそのままだから、海は、悲しみを誘い、砂浜は、優しさを忘れる。他を隔て、身勝手に事を生じさせようとする存在たちが嘘(の神々)に力を与えたことで、人は、山を尊び、海の心との重なりを失くす。そして、海は一層、この国の陸地を避け、砂浜や海辺の崖は、ずっしりと重く、どんよりとしたものになる。

7/23

電柱が傾く状況は、そこの地盤がかなり脆くなっていることを現す。近くの建物の土台も、危うくなっている。

LEDに汚染された雨水は、地中を異常な状態にし、地上にあるものを、次第に崩していく。建物の下部に隙間が出来たり、直ぐ側の道路に亀裂が生じたりする状況は、地盤が、雨が降る度に弱くなっていくことを意味する。その有ってはならない現実は皆、LED化の嘘の原因の現れ(結果)である。

7/23

1.この国の海辺は、その殆どが、かつて罪無き人たちが繰り返し処刑された場所である。その近くの松の木や岩は、そのための道具となり、砂浜や崖は、その舞台となる。それを行った存在たちは、命を終えた(終えさせられた)人たちの悔しさと抵抗の感情(魂の力)を恐れ、それを永遠に押さえ込むために、密教の要素を絡めたほこら(社)を設け、彼らの苦しみが癒えることのないよう、念の力を鳥居に込める。

太陽の光が降り注ぐ浜辺は、神道の理想(普通)とは真逆の場所。彼らの忌み嫌うそこで、迫害と殺戮、差別と拷問が、神の名のもとに行われる。流された血は、周りの(海辺の)生命たちを脅かし、苦しみは、その空間から出られなくなる。そこでの経験の記憶は、砂浜の質と色を重くさせ、海を見渡せる場所を、薄気味悪くする。この国の海辺は、心柔らかな人が楽しめない場所となる。

7/22

8.これまでのいくつもの点が、少しずつ結び付いて線になり、そして形になって、歩むべく道になる。その道は、動物たちの住む森や林を通り、魚たちが遊ぶ海へと続く。そして、クジラやイルカたちと海を渡り、空を飛ぶ鳥たちに運ばれ、地球を廻る。生命の歴史は、息を吹き返す。

少女(少年)は、数千年振りに、生まれ変わる。ずっと時代を見続けてきた彼女(彼)は、ここで荷物を降ろし、新しく着替えて、歩き出す。誰も、彼女の本当の力を知らない。彼女自身も、そのことを忘れている。この時を永いこと待ち続けてきた人たちは、彼女が歩き出すだけで、心が元気になる。身も軽く、視界も広く、どこに居ても安心の中に居る。

彼女(彼)のさりげなさは、変化そのもの。みんなの変化は、彼女の普通。自然界の生命たちは、この時を祝福し、過去も未来も、この今に溶ける。少女(少年)は、時の彼方を見る。空と海が、その姿に、嬉し涙する。

何のためでもなく、想いを繋ぎ、誰のためでもなく、心を生きる。そして、想いは全てとなり、心はみんなになる。全てであるひとつの想いは、心の風に乗り、どんなところにも届けられる。

みんなにとっての心は、心あるみんなの風景で、水や空気のように、時を癒す。時は、心優しきみんなの時代となり、温かな想いに包まれる。理想という名の普通。希望という名の本来。いつの時も、ありのままに心を生き、さりげなく想いを繋ぐ。

7/21

7.そして、彼女たちでさえも、意識の外へ置きたがる(恐れる)、闇そのものの存在(大蛇)。それは、無有が母親として選んだ女性の、その正体である。蛇も、蛇使いも、儀式全般を仕切る男性も、彼女を通して供給される負の燃料によって、そうである(凶悪そのものの)状況を作り出す。変化し続ける瞬間のその原因の隙間から、改めてその存在に意識を向ける。この今に、その実(正体)となる世界へのチューニングをキープしつつ、それをここに引き込み、EWを重ね、その経験の原因を、そのまま文章に乗せる。

その存在が、身体を持つ人間として歴史に名を残した(残してしまった)のは、奈良時代。仏教の本質を体現できない彼(彼女)は、密教色の強い念系の教えで、嘘の仏師を生き、仏教の(戒律の)伝達者として尊ばれる。その後のこの国の仏教に大きな影響を及ぼした彼であるが、その中身は、真の仏教からは程遠いまがい物である。だがしかし、それが、彼の本性の目的である。後に続く同質の最澄も空海も、それに(密教系のお遊びに)夢中になる。世は、蛇の巣窟のようになる。

無有を子に持ったことで、元気でい続けられる原因は、いくらでも彼女に注がれる。無有の生命力を奪い続ける分、その手の内の観察と学びは続く。そして、彼女の正体を取り込む。それが平気であれば(平気ではない原因は知らないが)、先へ行ける。母と子の関係は無くならないから、どこまでも行く。そして、このことを言葉に出来るこのタイミングを最大限に活かし、いつものように、それを次なる原因にする。一度その正体の尻尾に触れたら、掴んだまま、二度と離すことはしない。なぜなら、身体を持つ時にはすでに、その道へと歩み出していたから。その黒い粒子の変幻自在振りは、どの時代でも、心ある柔らかな人たちの生命力(血)を吸い取り続けているから。

7/20

6.人としての生きる基本形のその原因が少しでも形になろうとすれば、即座に罪を課せられ、潰されてしまっていたこれまで。蛇絡みの世界からのそれは、望むべく負(病み)の安定であり、そうではない世界では、何ひとつ人間らしいことを経験できない、不自由さの安定である。

永い時を経ての現代、遠い昔の、力を無くしたままの原因が自ら動き出せるぐらい、負の安定は、不安定になる。当然、彼女(蛇)たちは、それを許さない。私たちも、彼女たちを許さない。

後の世を完全に心無い原因のそれにした親鸞は、今回、無有の最も近い場所で、かつての仲間と生きる。彼女(彼)の形無き原因を包み込む別次の原因でその奥深くに入り込み、大蛇であった時のその本性の意思と動き全てを把握する。そして、その凶悪な感情を敢えて浴び続けることで、力の出し処を抑え込んでいく。

現代の悪質な宗教ごっこの雛形となった日蓮は、近しい縁の風景の中に居て、無有のEWを直に受けた人の中では、その回数はかなり多い。そのことで、人間時間での主導権がままならなくなり、身体を離れるタイミングも逃したままである。かつての友(蛇使い)と血縁であることも、原因の世界におけるその多次元的な必要性が引き寄せたもの。大蛇であった時の特殊経験の質は、簡単にマーク出来、二人とも、身体時間を選択する以前から、無有の原因の中である。

7/19

蛇にも当然脳はあるが、ただそこには、他の動物たちに見られるような、成長や発展は無い。だから、風も水も嫌いで、太陽も避けながら、停滞そのものを生きる。自然界の自然な営みは、忌み嫌う対象となる。

その蛇と同質の脳の持ち主が、この国では活躍する。人間性(原因の確かさ)無視の世では、蛇同然の脳が力を持ち、心を思考で扱える未熟な社会では、蛇と繋がる(神社絡みの)人間が元気になる。

歴史の芯も、そろそろ17番へ。ほんの少し、おわりが見えた。蛇たちも、色とりどりのリボンを付け出した。

7/19

5.この国の歴史ビル1階で、その後の(2階以降の)負の歴史の燃料庫のようにして居場所を確保する彼女(大蛇)たちは、時代が、柔らかで、温もりのある時を経験することを許さない。そのためなら、手段を選ばず、どんな役でも担う。

世が混乱状態に陥ると、真を生きる生命本来の普通(の原因)が、偶発的必然として、永い眠りから目覚め、勢いづくことがある。歴史ビル2階の上層でそれが起きたのは、鎌倉時代。時代の好転反応とも言えるその時は、厳しく、辛いながらも、それまでの重たいばかりの価値観が揺らぎ、暗く、どんよりとした人間社会に、太陽の光(中庸の原因)が注がれやすくなる。彼女たちが、それを放って置くことはない。

洞穴で多くの人間を取り込んだ女性(蛇)は、日蓮を生きる。その獰猛な本性は、人間時間でもその度合いを強め、暴力的な感情を力に、人々の意識を引っ張り、その欲深さゆえの結果追及と言動(言説)を、蛇のようにしつこく弄ぶ。結果人々は、心ある原因からより離れることになり、嘘の神々からなる神道(神社)は、日蓮によって支えられることになる。

生命としての原因を持たない(作り物の仏心の)嘘の仏教流布には、蛇仲間の親鸞も加わり、苦しむ人たちのその原因は無視したまま、結果(形)のみを彼らに生きさせ、神道を守る。結果を求める日蓮と、結果を生きる親鸞。二人とも、心(原因)も人間性も持たない、大蛇である。(現代では、互いに意識を向け合える関係性を保ち、前者の子同様、後者の子も、蛇系の世界では、恐ろしく凶悪な本性の力を持つ)

7/18

4.生きた人間をそのまま食べる(飲み込む)大蛇級の蛇は、その洞穴の中に何匹もいるが、その中でも、恐ろしく獰猛で、桁外れの残忍さと凶悪さを備える脳を持つ蛇が、後の聖徳太子の妹の育ての親となる女性であり、現在の、彼女の母親である。蛇が人間の身体を持つことなど、実に非常識であり得ないことだが、蛇の脳に入り、そこから人間になったかつての姿(経験)を思えば、彼らにとってのそれは、単にその時代の必要性の一環のように、た易いことである。経験の外側度数が著しいため、それは軽く通常の理解を超えるが、そこに在る原因の性質と本性は、そのままその時の大蛇である。

その後の時代を、重く、じめじめとした世にするための、その最も効果的で残酷な、蛇絡みの拷問と殺害。彼女(蛇)は、自分を通してそれが為されることを知り、それを喜び、自在に勤しむ。特に、自分たちにとって強い嫌悪の対象となる、純粋な心をそのままに生きる人間は、追い詰め、命を弄び、苦しみを笑い、血を愉しむ。

そのための、その後。逆噴射のように、この場所からその原因を遡りつつ、ひとつひとつを浄化する。そのための今が、ここに在る。原因の世界では、彼女の追い出しにかかる。

7/17

「歴史の芯」にあるように、人間は、いつのまにか、全く人間ではない路線を歩むことになり、その人間ではない人間の異常な生を普通とする時(歴史)の中で、次第に本当の人間は、その殆どが姿を消してしまう(消されてしまう)。

私たちが普通に見、知る、あの人、この人の人間像は、全く本質とは異なり、その人の形ある姿を利用して好き放題生きる、生死の概念(経験)も持たない、ある次元の意思が、その人の真(本質)である。思考(感情)や価値観の扱い方まで、その意思に操られ、それと同一化して人は生きているので、当然その姿(意思の質)を捉えることは出来ない。ただ、その人間経験のメカニズムのような世界にほんの少し触れるだけでも、人は、生命の真を知る時へと歩み出す。そこに行くためのこれまでを経て、言葉にするのが最も難しい、人間を操る意思のその人間仕様の姿の描写へと、少しずつステージを変えていく。

これまでの時代(歴史)に付き合わされていれば、そこに在る嘘のように、その人の脳は、全く人間本来のそれではない。姿を消してしまった本当の人間の、その原因を、この時代に引き寄せ(招き入れ)、力強く、共に時を変える。このあたりから、時代の意思は、より活動的になる。

7/16

3.富士山の麓の湖(温泉)近くの洞穴に住む蛇たちは、蛇使いの女性には従順で、彼女を通して食事にありつける流れになるまで、大人しい。外で人気がにわかにざわめき出した頃、その時が近いことを彼らは喜び、妙な音を立て始める。まだ幼さが残る蛇たちが、一斉にうごめき出す。

そこに連れて来られた人たちは、動く自由を奪われたまま、棒で叩かれ、岩で潰され、血を流し、命を終える。砕かれた体は、仕事人たちによって集められ、成長期の蛇たちの餌として与えられる。その悍しい行為は、あらかじめ計画されていて、決して折れない意思と譲らない信念を持つ人に対しては、身動き出来ない状態でしっかりとその光景を目に入れさせ、心を潰す。そして、次なる儀式の対象として、その人を責め、洞穴に運び、大蛇に食べ殺させる。

その全てが、神の意思として厳粛に行われ、神の使いとされる気狂う女性の指示に、誰もが従う。しかし、その全ては嘘であり、狡賢い、非人間的な策謀。それが人として許されないことであるという認識(理解)を遠ざけ、心の存在に怯える自分たちの心の無さを守り通すために、彼らは、神道(神社の形態)を具体化させていく。木に吊され(縛られ)、火あぶりにされ、性を踏みにじられ、獣に(自分たちにも)食べられて命を落としていく人たちの心の力を無きものにする(封印する)ために、鳥居や社の他、しめ縄(人間を食べた大蛇)や垂(吊された人)も生み出していく。

(惨たらしく死に行く時の血の色とその姿(特に女性の姿)を象徴する赤い(朱色の)鳥居は、嘘神を傘に狡く生きる存在たちの、その非人間性からなる怯えと心の無さの反映である。脳が蛇である彼らは(特に貴族と呼ばれる人たちの間では)、平安期ごろまで、普通に人間を食べ続ける)

7/16

ある商店街の通りを歩いていると、いくつもの、地面が沈んだ場所に出会す。そこは、LEDに汚染された雨水が溜まりやすく、そのLEDの性質により、流れにくくなっているのだと思う。そこに、更なる負の連鎖の原因となる、LED街灯。各地の地盤沈下は、この秋には、急速に拡大するのではと思う。いつ、世の人々は、動くのだろう? そうすべき時は、すでに過ぎているのに。

7/15

1.15章まで書き続けなければ出会うことの出来なかった、大蛇であった時の原因(本性)をそのままに人間時間を度々経験し、今に至る、その存在。それを思うと、彼女の力とその源を可能な限り削ぐことが、何より重要であるかが分かる。ここまでのいくつもの内容は、その時々に自動的に為されたEWに連動するようにして誕生したものだが、そのEWの多次元的要素がある性質の意思を持ち、その必要性を高めて、この時を引き寄せる。

それは、原因の分母が拡大したからこそ顕に出来た、極微で、重量のある世界。それは、限り無く分かりにくく、見つけにくい、あらゆる病みの原因を下支えする存在。何をしてもどうにもならなかった否定的な負の固まりが、何があっても歩み続けたみんなのこれまでに反応する。彼女の中に、自由自在に誰をも病ませ続けられる、恐ろしく残酷な原因が息づいている。

 

2.原因の世界には、その性質に見合って住み分け(区分け)が生まれる次元層のようなものが在り、本質的な純粋さと否定感情とは無縁の精神は、その奥深くの、完全とも見える純なところ(層)で、心ある人たちの感性を包み込むようにしてひとつにし(繋ぎ)、優しさと思いやりを普通に、健康と平和の力強い原因の仕事をし続ける。その純粋さが、どこまでもきめ細かく、透明感のあるものである時、その人は、心の風景の核のような役を担い、多くの人の本来の在り様を、その気もなく存在そのもので支える。彼(彼女)の、健康的で平和な想いは、みんなを健康にし、みんなの時を平和にする原因となる。

心ある人たちは、心を恐れる存在たちのその人間とは思えない行動にただ耐えるしかなかったが、それでも、希望を繋ぎ、心ある想いを大切に生き続ける。しかし、厳しい邪馬台国に続く、歴史ビル1階の時、その希望は、絶望に変わる。みんなの心ある表現の源泉でい続けてくれた、純粋さそのものでいる人が、次々と蛇の中に取り込まれてしまう。人は、直接・間接的にそのことによる恐ろしい影響(苦しみの連鎖)を知り、心は力を無くす。健全な感性を備えるからこそ感じ得る極度の悲しみは、闇に包まれる心の風景。それは、この国から、良心が消えた瞬間。

7/14

11.小野妹子の形無き負の力をテーマに進めた文章が、思いがけず蛇使いの世界へと展開することになったが、忘れてはならないのは、人喰い蛇集団の中心的存在として、その女性に親しく寄り添う、一匹の蛇である。彼女(蛇)は、多くの人を食べ、巨大化し、その脳は、驚く程の凶悪な感情を蓄積させて、人の動き(感情)を操れる程の恐ろしい力を備えてしまう。多くの苦しみと恐怖を取り込んだ体(胴体)は、その人たちの転生全般にまで絡み付く要素となり、荒み行く世を決して変えさせない原因となる。

彼女は、自らが、蛇神遣いのようになって、その後は、時代の流れ(質)に合わせるように、人間の体を持つ(蛇の脳を離れる)。そして、人間らしさを備える心優しき人たちを蛇神憑きのような状態にさせ、世の病み化を、その無意識の意思で支え続ける。その彼女は今、かの女性の母親として生きる。

現在の彼女の中には、かつての蛇の生を通して取り込んだ(食べた)たくさんの人が居る。その時の原因の性質は今もそのままであり、そのための影響は、人間の理解の次元には無い。純粋さを普通とする人たちのその心を、重く、不自由にさせることを容易とし、どこに居ても、何もせず、事をおかしく、不自然にさせる。神道(神社)の世界の気味の悪さも、彼女の尽力があってのことである。

この今だからこそのタイミングでより接近でき、それまでの原因を段階的に浄化し得るEWを行いつつ、形になった(把握し得た)、その(醜い行為の)中心でいる大蛇。その彼女が、人生を通して(どこも悪くないのに)ずっと体の不調と痛みばかりを覚えている理由は(仲間も皆、類似しているが…)、かつての、その惨たらしい原因を処理すべくここに集った、彼女に食べられた人たちの、その真剣な想いと実践にある。

人間になった蛇は、心ある柔らかな人たちの生命力を奪いつつ、いつまでも強気である。しかし、その本性(正体)は、どこまでも蛇。その全ての原因が浄化される流れに乗ってもらい(存分に生きてもらい)、その間にみんなを元気にする。生命としての人間を生きる人の世で、勝手(逃げ)は許されない。(共に人喰いを愉しんだ蛇仲間は、この現代に何人も居て、彼女以外の存在たちの多くは、(無有の近しい間柄を通して)すでに力を失くす)

7/13

10.理由も分からず、身体が重く、自由にならない(手足が固まり、動けなくなる)時、その原因には、当時の蛇絡みの経験の記憶が、何らかの形で影響を及ぼしているということがある。力強く純粋な精神性を備える人ほど、その残酷な仕打ちの対象とされた、富士山の麓でのかつての出来事。それは、今尚、心ある人の無くてもいい経験の、重量級の負の原因でい続ける。

その時の経験の性質をそのまま本性に溶け込ませて、この現代に生を持つ、その女性。胸(心臓、腹部)が苦しくなるのも、腰や脚が固まり、自由にならなくなるのも、彼女の無意識の意思による、蛇も恐れる彼女流の醜い表現である。人に、前向きな気持ちを持たせず、生きる意欲を無くさせることも、その野獣(化け物)のような脳と感情で、彼女は簡単に行う。

そのことが、こうして言葉になることで、その原因となるEWは、確実に、それまでとは違う世界へと、人をいざなう。切なる心の意思を繋ごうとする存在たちの辛く悲しい経験は、そのひとつひとつが、かつての原因に触れ得る程の力となり、未来の風景は、生命本来の、新たな原因のそれに姿を変える。そのために、歴史の芯が在る。

7/12

各地のダムに、亀裂が生じ始めている。先のことを思うと、なぜ、何もせず、人はそれを(LED化)を放って置けるのかと、地に落ちたこの国の人間社会の姿が見えてくる。

水道管もガス管も、消耗しやすくなり、次々と起きるであろう問題事は、LED化の原因そのものの人たちの、体の良い演技の材料となっていく。脆くなる山は、各地で崩れ出す。

7/12

9.権力体制を軸とする差別社会の骨組みを編み出したことだけでも、歴史上、恐ろしく危険な人物として、そこに小野妹子は居続けるが、歴史ビル2階よりも前の生で彼が行った、大蛇を使った殺害は、人間の歴史で、最も惨たらしい悪影響を及ぼすものとなる。そして、その役を愉しむ、蛇使いの女性。後に聖徳太子の妹となる彼女は、従者と共に、湖の近くで蛇たちと暮らす。

罪無き罪を課せられ、山奥(富士山)に連れて来られた人は、重苦しく淀みきったその場所の異様さに恐怖を覚え、と同時に受ける、脚や腕への打撃と水の責めによって、身動き出来なくなる程疲れ果て、気は力を無くす。

その後、洞穴のあるところまで移動させられ、そこで見るのは、暗闇の方でほこらを前に呪文(祝詞)を唱える、怪しい姿の一人の女性。人は、彼女の声を聴くだけで、身は縮み、恐れおののく。それは、人間の命を弄ぶ、怪物(化け物)のうなり声。

次の瞬間、人は完全に生きる力を削がれ、死を覚悟する。今まで見たことのない大きな蛇の姿が目に入り、これから身に起きるであろう恐ろしく悲惨な経験を、否応無しに思い描くことになる。……中略

やがて、跡形も無く、人は、蛇に飲み込まれ、蛇の細胞の一部となる。それが意味すること。実に恐ろしい。一部始終、その光景を見させられた心ある人たちは、その後の経験がどんなであれ、後の生でも苦しみ続ける。

7/11

8.次の時代に、一足早く想いを届けるために、この時代は、安倍氏と、主要な取り巻きたちの原因の性質を余裕で観察(把握)する。なぜ今、彼はそこに居て、なぜ今、LED化なのか…。その背景となる内実に触れても淡々と歩み行く自分を通して、この今に居る責任を確かなものにする。そして、彼の存在の意思の芯と、本性の遺伝子のその繋がり様の凄さを知る。それは、決して負の歴史を繰り返さないためのその力強い原因となるこの今の、人としての責任である。

 

歴史ビル2階の前の生での小野妹子は、かつての経験の記憶を活かして、周到な計略を企てる。それは、自分たちが利用する神のお告げや神のもとでの占術に従順でない(自らに正直な)人間を、獣(大蛇)に取り込ませて、そのあり得ない経験の苦しみと恐怖の原因を、後世に渡りずっと残させようとするもの。彼の周りには、(富士山の麓で)人食い蛇を飼い慣らす妖女も居て、彼女の元で、その行為も、神聖かつ厳格なものとして扱われ、人間らしさを普通とする多くの勇敢な男女が、命を無くす。そのことで、世は、一層の暗闇に包まれていくことになる。

7/11

7.LED照明を全く受け入れられない理由は、その人が、遠い日の、平和そのものであった時の純粋性を備える、心優しき日本人であるから。(※思考でそれを偽装して、本質を完全にごまかし得る存在もいるが…)争い事と不健全な時をあたり前に連ねたその後の歴史を考えれば、それは容易に分かること。嘘の神々を信じる嘘人が集う神社と同質の原因を潜める、LED照明。それへの違和感は、自分が、心ある感性を内に持ち合わせていることの証である。

元々この国に住んでいた人は皆、自然界が悲しむ現実の原因とは無縁である。彼らを追い詰め、殺害し、支配欲を強めた存在たちと繋がる人は、自然界の純粋な生命たちが辛くなるLED照明に無感覚でいられる。この国が必要とするのは、神道絡みの病みで心の自由を奪われ続けてきた人たちの、その素朴で柔らかな想いによる正直な表現である。LED照明への抵抗は、そのささやかな望みの形であり、地球自然界の未来が何より嬉しい、生命としての原因である。彼らの想いを無視し、抑え込むという行為は、縄文期が終わりに向かう頃にこの国で起きた、(凶悪な存在たちによる)迫害と殺戮と同質のものの(原因の)現代版と言える。

7/10

ここに来て、歴史の芯も少しだけ成長できた感があり、さて、あとはここから…、という時を迎える。その時のテーマは、人間の脳では到底自覚できない自らの本質(この今の身体時間を選んだ意思)が、奇跡的でも、偶発的でも、その質を大きく変えてしまう時を経験できるかどうかということ。そのためのこれまでが、この時を引き寄せたけど、次に繋がるこの時の原因がどれ程重要であるかは、これまでの時代(生命の歴史)が知っている。どうにもならない状態に、どうしても風穴を開けられない原因になってしまう、自らの無意識の意思の性質。それが変わる時へと、無有日記も、徐々にその質を変えていく。

7/10

6.鳥居と社の存在は、この国が、まるで催眠術にかかっているかのように、その時以来ずっと、生命本来の在り様からかけ離れてしまっていることを表す。歴史ビル2階の時の聖徳太子も、小野妹子も、それ以前の生では、神道のルーツとなる時を連ね、自分たちの残虐性を正当化しつつ、無責任にその本性を大義にすり替えるために、神という名(存在)を利用する。

神社は、心ある言動を罪とする価値観で、好き放題、暴力と迫害(拷問、殺害)を行っていた存在たちの、そのかつての原因(の性質)を、ここに通すもの。その始まりから現代までの間の真ん中辺りに在る、歴史ビル2階。そして、そこから1500年程の後の、現代。この今のLED化が非人間的な原因のそれであることは、それを主導する存在たちが皆、神道絡みの世界と密に関わることからもよく分かる。その旗振り役の政治家は、歴史ビル2階の、その男性である。

7/09

5.自国(大陸)の社会体制が大きく変わり出したことを機に、この地に辿り着いた来訪者は、元から居る住民を、支配し、搾取する対象として扱い、その後、各地を占領して、権力の基盤を固めていく。言葉や文化は、殷の時代からのものをその基とし、力を持つ人がそうではない人を思い通りにできる歪な主従形態も、常識となっていく。そして、この地に以前からあたり前に在った、みんなの安心と健康的な暮らしは、不安と怖れ、病みと抑圧のそれへと変わっていく。

その頃に時代が経験する、生命としての自然な在り様の消失。自然界の植物たちが初めて経験する、悲しみと痛みを含む水分(血液)の取り込み。この国は、縄文期ラストの頃に、現代に至る負の歴史のその下地となる悍しい時を、外からの非人間的な存在たちによって固められることになる。

7/08

傾き始めた電柱が、少しずつ増えている。これって、決して有ってはならない現実のひとつ。電柱をつたうLED化した雨水は、集中的に直下の土に染み込み、土台を脆くさせる。実に恐ろしい風景。LED照明がある限り、電柱の傾きは止まらない。

7/08

4.邪馬台国の時代に、神という言葉(概念)を利用して人民を支配する様式が、時の権力者によって築かれ、歴史ビル2階の時、小野妹子の実践力によって、完全支配を目指すべく基盤として、その体制は確立される。それが可能となった背景には、そこに至る時代に、自分たちの意のままにならない存在を根こそぎ排除(殺害)できたことがあるが、彼の中に在る、大陸(殷)の時代の経験の記憶は、それを容易とする原動力となっている。

彼が隋から学び、取り入れた内容は、この国の、支配する側とされる側との堅固な壁づくりの材料となるもの。税制度と刑法を定め、それを管理する人を増やし、人々の生活全般は厳しく支配される。役人は優遇され、力を付け、そこから安定し出した差別社会のその負の原因は、現代社会の根底で、今尚残り続ける。

人生(命)を奪い合う悍しい世の基礎づくりと、差別心を持たない人たちが生きてはいけなくなる世を支えるのが巧い、小野妹子。命の尊さが意に反して大切にされるというこの現代に、当然のようにして彼は居て、次なる時代の連なりに向けて、その素質を全開に、強力な負(病み)のくさびを打とうとする。

7/07

3.この地が侵され出してから数百年後、人々の間での隔たりや対立は日常化し、徐々に、「再生」や「この国の病みの始まり」の材料となる、不穏で重苦しい人間模様が繰り広げられていく。弥生期へと時代が移り変わろうとする頃には、純粋な心をありのままに表現する人は居なくなり、人々の精神性は、大陸から来た存在たちの影響の下、無くてもいいはずの不安や怖れを秘めたそれへと質を変えていく。

この国の日本人気質は、(別枠で記した)中部のある山を中心に閉鎖的に成長・拡大していった、そこでの獣的な(獰猛な蛇のような)残虐性と、外から持ち込まれた恐怖支配が、重なり合うようにして混合して育まれたものであり、その後に増加する人間(人口)の内実は、差別や争いが存在する世を当然とする人たちの、非人間性のそれである。生まれながらにして支配や征服を良しとする価値観を精神(脳)に馴染ませた人々は、本来であればあり得ない現実も普通とし、非情で非道な世を支えていく。

縄文時代の生を知る人たちの精神性(魂)は、細胞レベルでの混合がどんなであれ、その後もずっとそのままである。それゆえに辛く厳しい時も重ねているが、その純粋さは失われることはない。彼らは、この国の貴い存在。数千年の嘘を知る、日本人である。

7/07

現在建築中のビルや家屋は、悲しいことだが、すでに劣化が始まっている。鉄骨は、LED化した雨水で錆びやすくなり、基礎のコンクリートは、溶け出す。木材は、変色し、腐食する。これからは、LED化が終わり、LED照明が無くなるまで、新築は控えることが、心ある世界では常識になっていく。

負の循環を繰り返して腐敗型の影響力(意思)を強めるLED水は、次第に、その破壊力を増幅させていく。道路は、ひび割れ模様が生じ、建物は、変色・亀裂があたり前となる。この国の歴史上、最も愚かな現実を、人は経験することになる。

7/06

2.小野妹子の本性の遺伝子の、その原因となる人間時間は、殷王朝の時代である。心の無さ繋がりの組織(体制)を運営する権威ある有力者の立場でいた彼は、残酷な殺戮と迫害をあたり前に、領土拡大とその支配を愉しみ、人々の、自分たちへの絶対服従を常識とする。後の生で、この地(国)の住人として生き始めた時の、その本性の凶悪さはかなり強烈なもので、その要素の中でも、人の脳を不健全にさせる呪術は、至極恐ろしいものがある。

かつて、呪詛・呪縛系の凄腕の呪術師(巫女、気違い)を多数従えていた彼は、公正・公平な立場を維持しようとしたり、人間味のある観点で物事を観たりする人たち(組織、国、軍)を、彼女たちの術で、動けなくさせ、呪い、自滅させる(殺害する)。そして、全てを思い通りに動かすために、残虐性を強めた刑罰をいくつも設け、その正当性と実効性には、巫女たちも加わる。

縄文の時が終わりへと向かう時のその不自然な変化には、後に小野妹子となる人物の本性が深く絡んでいて、それまで普通に、自然体で生きていたこの国の人たちは皆、彼関わりの存在たちによって術をかけられ、その影響は後々まで続く。

7/05

1.数千年程前、縄文の人たちの在り様に少しずつそれまでには無かった変化が現れ出した時のその原因となった存在たちは、海を渡ってこの地に来訪し、元居た場所との行き来をしながら、各地に移動し、彼ら独自の集落を築きつつ、定住する。彼らが持ち込んだ、武器(武力)と獣、そして、意に添わぬ人を力で抑えて奴隷にする感情。あり得ない光景を見せられた人々は、何も出来ずに住み処を奪われ、仲間を切り離され、自治は壊される。暴力によって人が血を流すという、一度も経験の無かった辛い現実にどうにもならず、生きることの、人としての普通は、姿を消していく。特別なものは何も要らず、必要なものの全てが有った、みんなの時代。それは、国の在り方が不安定になった別の地からの人間によって、その全てが、崩されていく。(九州東部の地で、彼らの負の(獣のような)力は増幅する)

7/05

㉖どこの街の風景も、週単位で、それまでよりも汚れ、醜くなり出している。家も塀も、道路も線路も、腐ったように変色し、錆びたようにその姿を変える。各地で、地面は沈み、亀裂は、至るところに生じている。

LED化した雨水は、環境を、腐敗型のそれにする。それは、そこに在る、無生命化の原因の具現化。LED化は、世を腐らせる(汚くさせる)ことで住みやすさを覚える存在たちの、非人間的な企て(望み)である。

7/05

9.形あることのみの知識に思考を付き合わせる次元からあたり前に離れていると、全ての出来事の手前に在る原因に、次への望むべく必要性に応じて柔軟に対応するという、生命本来の思考が普通となり、その質が成長・進化する中で、人は、ある出来事に至る積み重ねられたそれまでの原因に段階的に触れる(遡る)原因の仕事も難なく為し得るようになる。そして、かつての原因の具現化されたその時々の事実を、全く次元の異なる(本質のままの)知識として思考の域に押し上げるという、‘原因の世界の知識’とでも形容される新たな経験を可能とする。

15章で、小野妹子のかつての原因が、その具現化された姿を通して、その昔はどんなであったかに触れてみる。それは、この国の今に生きる人々の、その気質と精神性のルーツとも言える。心ある人たちの純粋性は、ここに甦る。

7/04

㉔雨が止んだ後も、雨水が乾かないまま溜まっていたり、湿ったままであったりする場所が増えている。それが道路であれば、陥没の原因となり、建物の下部であれば、腐食を促進させる。

LED(雨水)は、異常を普通とする、破滅と破壊の強力な負の原因。止まることなく進行(拡大)するそれは、新築の建造物を即劣化させる程になる。

 

LEDの限り無い負の影響力は、これまでの理解が全く通用しない危うい原因がそこには在るため、経験や知識を基にそれを扱おうとすれば、どこまでもその性質(原因の意思)は分からないまま、全てが崩れていく時をただ眺めているだけとなる。専門家(科学者)と呼ばれる人たちも、事の原因に反応するという、人間本来の感性を普通に備えてなければ、思考の域から出られないまま(LEDの恐ろしさに触れられないまま)、無知を生きる。そして、その肩書(立場)が、いつのまにか破壊の道具となる。

LED化の破壊力は、実に明らかである。動植物の気持ちになれば、それは瞬時に分かり、人として責任ある原因を生きていれば、決してそれを肯定することはない。事実は、事実。LED化を良しとする人生を、人は選択できない。

7/04

8.この国の歴史ビル2階での、その後に繋がる形無き力関係が顕になったことで、その主となる存在たちのそれ以前の生の姿も、その原因から観ることが出来、結果、床に穴が開き、隙間を生じさせ、それまでの負の蓄積は同じままではなくなっている。どの時代に生を持っても、世の冷酷非道な人間たちの負の原因(思考、意識)を、形無き世界で支えていた存在。その、歴史ビル2階の時の姿、小野妹子に触れ得たことは、殊の外、大きな意味がある。進化し続けるEWがそのまま乗る、歴史の芯。それは、どこまでも原因の仕事をし続ける。

歴史ビルの重要な階と基礎の部分が動き出したことで、各階の空気感は、以前のように重く、どんよりしたままではなくなっていく。その重たさの中で、ずっと身動きも出来ずにいた姿無き生命たちも、心を取り戻し、自由意思を手にする。不要に作られ、非人間的に操られてきた、この国の異様な歴史。その名のビルの中でひたすら耐え続けてきた心ある人たちの原因は、外に出て、太陽と遊ぶ。重しが外され、新しい風が運ばれ、共に、安心を経験する。

生命の歴史の始まり(再スタート)の、その確かな原因となる、僕らの居る最上階。傷を負ったままの罪無き無数の生命たちを、ここに迎え入れる。未来が望むこの今の原因は、明らかに力強くなる。

7/03

7.身体的な遺伝子レベルの連繋の中に蛇系のものがあったとしても、それはある程度やむを得ないものとし、そのことを受容して、本性の遺伝子の質を変えていく。食を変え、神社から自由になることから始めてもいい。「心の遺伝子」も、それを応援する。

この国の歴史を、これ以上病んだままにさせて置くことは出来ない。LED照明の危うさに敏感な人たちの心に触れ、心を経験する。そして、心を育み、心ある生き方を実践する。この時代を共有する、この国に生きる人間であれば、それは、不可能ではない。そのために、こうして、この無有日記に触れている。

神社と関わる自分をどこまでも好きであるとすれば、その人は、人間ではなく、蛇である。自分には、全粒穀物を主とする食生活など考えられないとすれば、その人の蛇化は、かなり進行している。社会生活は、心ある人間が主人公である。蛇と同質の心の無い人間に、その資格は無い。人間が住む世に、神社は不純物であり、精白された穀物も、純粋な人間には、要らないものである。

人間本来から大きくかけ離れてしまった現実を厳しく観察し、その原因に触れ、自らの生き方を変える。LED照明の悪影響に無感覚になってしまっていることの重大さを知り、人としての責任感覚を普通にする。そして、みんなで、この国を、心優しい素朴な人たちの集まる場所にする。それが、日本である。縄文時代が終わるまではそうであった、人々の普通自然体の心を、これからの歴史の芯にする。それこそが、未来に向けての、この国の人間(日本人)の仕事である。

7/03

LED照明がここまで広がるという怪奇現象を作り出した怪しい存在たちの、隠された意思。そしてそれに、一生命として、自然界の意思と共にあたり前に反発する、ごく普通の心優しき存在たち。両者の‘せめぎ合いつむいで〜♪’は、只今ヒップアップ中。じゃなくてヒートアップ中。風向きは、じわじわと、未来が嬉しいMED化の流れになっている。(※MED化=真面目にいいものを出まわらせます)

7/02

㉒着地点を探しているうちに、時間ばかりが過ぎ、予想を超える厳しさを自ら作り出してしまうことがある。地球自然界のための非LED化への流れはすでに始まっているが、その人としてのあたり前の選択を前にしても、頼れる大義名分を求め、立場を守るための画策を講じているうちに、(自分たちが招いた)侵食・劣化、そして破壊は進行する。その時、逃げ場所は無い。それでも逃げ切ろうとする算段は、どこにも通用しない。

 

㉓雨水の流れる場所は、必ず変色し、そこに在るものはどんなものでも、劣化する。LEDの負の原因の意思を転写された水は、どこまでもその性質のまま、停滞と破壊を形にする。

地下に通り道を作った雨水(LED水)は、次々と土を異質化させ、地盤沈下の原因を生み出す。道路も宅地も、LEDによって、それまでのままではいられない。ビルもマンションも、その周辺から、沈下し始める。(建物側の土質は、LED水の影響を受けやすい)

7/02

6.現代に生きる心ある人たちの、理由の分からない辛さや不安のその重量級の原因の風景として、歴史ビル2階での不穏な様と、それ関わりの世界を言葉にしてきたが、今も尚、信じ難い負の影響力を及ぼし続けるその代表的な存在のかつての姿小野妹子に触れられたことで、心身に染み込んだままの、要らない経験の記憶と未消化の感情は、徐々に浄化されていくと思う。

そして、神社(神道)の世界に住み続ける人たちのその非人間性の原因は、弥生時代の頃に、他の場所からこの地(国)に入り込んだ、獰猛で残酷な感情の持ち主たちの本性を元にすることを理解する。いつのまにか、誰も異を唱えなくなってしまった、白米や白いパン、白いうどんや白い餅、白砂糖なども、蛇と同質の感情を備える、純粋さを知らない人たちの仕業であることも知る。それらを余裕で眺め、人間らしさを普通に表現していく。歴史は、数千年振りに、生命としてのそれへと軌道修正される。

7/01

5.歴史ビル2階での事実の、その背景となる原因の世界に入ると、そこには、聖徳太子が小物(操り人形)に思えてしまう程の恐ろしく凶悪な意思が、小野妹子という存在のその原因(具現化の基礎の次元)のところで、好き放題暗躍する姿がある。その姿がこの国に現れたのは、縄文時代が終わりに向かう頃。そして、その風景を辿ると、そこには、今の中国(大陸)が在る。

神道(神社)の礎となる場所に居座る聖徳太子が初めて人間を経験したのは、中国で、弥生時代に、この国に入る。小野妹子は、その先輩格で、中国の地ですでに潜在させていた悪影響力を強めつつ、同じ頃、日本に入る。そして、この地での蛇系の存在たちとの融合を重ね(蛇と同質の人間を増やし)、食文化から宗教・政治まで、かつての地での経験を基に、非生命的な色合いの強いものへと作り上げていく。彼らが名を残したことで、その原因深くの本当の姿を知る機会を得、改めてこの国が病んでいく過程の原因に触れてみると、そのどこにも、弥生時代の前には無かった、非生命的なものやかたちが在る。

永いこと争い(命の奪い合い)が絶えない歴史を刻んできた理由には、元々この国には居なかった性質の人間が力を持ったことがあり、歴史上の人物の多くが、純粋な人間(日本人)ではない危ない存在であることを知る。つまり、別の場所から入り込んだ、後の小野妹子となる存在とその集団により、この国の歴史の暴走が始まったということ。人物の本質を知り、その原因に触れ、大筋を把握して、次なる原因を確かなものにする。縄文時代後のこの国の歴史に、この国らしさは無い。そして、かの天体(の性質)も、そこで、あり得ない仕事をする。

7/01

2017

各地で、地面が部分的に沈下した場所に出会す。信号近くの道路、マンホールの辺り、マンションのすぐ側、駅近くのビル脇の歩道、その他いろいろ。雨水が溜まりやすい場所は、確実にその姿を変えていく。雨水の染み通る道が土中に出来れば、そこは、崩れ出す。LEDの照明を浴びた水は、各地で、最悪の建物被害(の原因)を生み出している。

新宿ピカデリーの裏(伊勢丹会館の前)の道を大通りに向かってゆっくり歩くと、部分沈下がたくさん有り、恐くなる。ビルとビルの間の道は、土中にLED水が溜まりやすく、陥没しやすい。地震が起きれば、ビルも沈んでしまう。

 

6/30

SLED照明の空間は、なぜか深い悲しみ。それに平気でいる人の空間は、理由の分からない切なさ。その原因が「歴史の芯」の中に在ることで、人は安心し、決してそのままで在ることはないこれからを思い、人は希望を手にする。LED照明が違和感でしかない人の感性は、この国が病み出す前の時代の、そのあたり前の平和と健全さの原因をここに連れて来る。

 

㉑街中の地面に降り注いだ雨水は、地下へと染み込み、土質の硬い場所で止まった後、そこで、LED特有の負の影響力を及ぼし始める。そこには、頑丈に築かれた建物の基礎の部分があり、その材質のコンクリートと鉄は、LED化した水の力で、劣化する。(コンクリートは溶け出し、鉄は錆びる)

ビルの周りのアスファルト(タイル)に亀裂が生じたり、地面と接する外壁の部分が腐食(劣化)していたりする時、基礎は、それまでの状態ではなくなっていると考えられる。LEDに汚染された水は、あり得ないスピードで土質を変え、建物の重要な部分を破壊する。

6/30

4.心が折れそうになる経験を強いられても、心の意思には、それでも自由でいてもらい、素朴さを潰され、形に引っ張られても、理想を生きる世界の窓は、決して閉めることはない。

太子の非情な権力行使と彼の妹の怪しい企てに苦慮しながらも、決して譲らない生命(魂)の意思に切なる想いを委ねるその女性は、思うように事を運べず、どうにもならなくても、中立・中庸の時の流れに身を任せつつ、希望を繋ぎ得る原因を守り続ける。小野妹子の隠れみののようにして利用されても、身を投げず、抗争に巻き込まれそうになっても、淡々と自らの分を自然界の営みのひとつにする。

その時のあらゆる性質の原因を自らの心の風景に収めた推古天皇は、今回、幾多の障害を乗り越えるようにして、無有日記と縁し、今、この歴史の芯の、その抽象的な材料のかけがえのない存在として、歴史的な役を担う。人間時間では、永く辛い時が続いたけど、生命の時間は、これまでの全てが、この時のために溶けてひとつになり、地球時間と重なり合う。数千年分の人間の歴史が、生命の歴史の中で癒され、浄化される。

6/28

3.その存在の名は、小野妹子。彼にまつわる知識は、多くの人が普通に知るところであるが、そうであるがために、決して崩れず、砕かれないままであった彼の本性(の遺伝子)とその恐ろしい負の能力の原因は、いつの時も、誰の、どんな場所にも流れ込み、それを普通に(無感覚に)生きる人々の様を通して、この国は、あり得ない非道の下地の上で、重苦しい歴史を繰り返すことになる。

縄文期における人間の自然な感性と精神性の全てが根こそぎ破壊されたのも、邪馬台国の時代に人々の心が完全に潰されたのも、そこには、その仕掛け人として暗躍した彼の力の影響があり、歴史ビル2階では、それまでの経験を活かし、効率良く、多次元的に病み世を支えるために、政治的支配システムの背後に、その意思表現の場を設ける。

その時代に彼が実践したこと全てが、この今の世の負の土台の重要な材質となっている。人間としての影響力ではない、その原因としての、限り無い闇の影響力。神社での価値概念が崩れ行く今の流れを何(誰)よりも怒っている存在が、かつて小野妹子であった、現代のその彼の姿である。

6/28

PLED照明が動きの無い重たい(危うい)原因を潜めていることを、この今に繋がるこれまでが教えてくれる。それを知る今に引き寄せられる次なる時が、LED照明は未来には存在しないことを教えてくれる。人間の生きる姿が、(生命としての)人間らしさのそれであれば、LED化の原因が、この地上に在り続けることはあり得ない。

 

Qトンネルの壁に生じるであろう(すでに生じているかも…)亀裂は、雨水の伝わりを思えば、止まることもなく、いくつもの場所で進行する。そこに、車(電車)のLEDライト(ランプ)と、トンネル内のLED照明が更なる負の作用を及ぼし、そこは、最も危険な車道になる。トンネル内は、他とは異なり、湿気が抜けにくく、水気も乾きにくい。LED化した水は、安全・安心を根こそぎ奪っていく。

 

RLED化がそのままだと、雨水は、(循環しながら)その破壊力を強めていき、人体(細胞)にも悪影響を及ぼすようになる。いつしか、人は、国内の水を今までのようには飲めなくなり、雨の日の外出も難しくなる。誰も、そうあって欲しくないが、LED化がそのままだと、それへの流れは止められない。

昨今でも、雨の降る日は、その様子を変える(異様さを伝える)。夜間だと、それはよく分かる。生命力が蝕まれる、LEDに壊された雨の街。雨が降る度に、世の無生命化(腐敗)は進む。

6/27

2.戦や紛争を通して偉業を成し得た(とされる)存在のその姿を、争いの無い世の原因のところから観察すれば、捉え方次第で、その人は、俗人となり、野蛮人となる可能性を持つ。ところが、その時代の宗教や文化、社会全般の規範となるものを作り出したり、そのために行動したりする場合、その人は、後世に渡り、人々に尊ばれる存在として、歴史に記録される。そこに盲点がある。

弥生時代とされる世に、その男性は、他の場所から、この国に現れる。素朴で、優しさ溢れるそれまでの風景は、彼を中心とする暴力的な集団によって尽く破壊され、人々は、理由の分からない辛さと怖れを受容させられることになる。柔らかな感性を持つ人たちは、次々と命(人生)を奪われ、どうにもならない時を重ねていく。

その後、彼は、その危うい本性をそのままに転生し、歴史ビル2階の時に、政治の脇役のようにして行動し、時の重要な存在として、名を残す。これまでも、今も、誰一人、その名を批判する人はいない。そんな場所を、彼は、天性の凶悪さで確保し、その後の時代を、後方からオカシクさせていく。

その手腕は、かの女性の能力をはるかに上回るものであると思えば、その恐さの程が分かると思う。その存在のことをここに書き記し得るこの機会を経て、時は、更なる癒し色のそれになると思う。「この国の病みの始まり」も、「再生」も「復活への道」も、この時に安堵する。

6/27

大阪梅田の三番街の食事フロアを歩いている時、LED化した雨水により、この場所の地面下にも異変が生じているのだろうか、通路の至るところに、ひび割れが出来ていた。驚いたのは、リバーカフェ(and とろ屋)奥のトイレ手前の壁の、何本もの、天井から床に続く亀裂。LED照明は、建物を、崩壊へと向かわせる。

梅田大丸1階のエントランスにある、大理石に覆われた大きな支柱に、小さな亀裂がいくつも出来ていた。(大丸は、すでにLEDの悪影響を知っていると思うのだが…)梅田大丸は、新しいビル。LEDによる劣化のスピードは、始まったら、早い。

6/25

1.歴史に名を残す多くの人の真の姿が、偉人や賢人の域からは遠い、非人間性の本質を備える危うい存在であるのは、その功績や偉業とされることが、非情で封建的な価値観を良しとする世をそのままに、それに乗る形で為されたからであるが、それよりも重要な理由は、彼らの本性が、その質を同じくする存在たちの作る負の連鎖の材料でいようとする、酷く恐ろしい意思を潜めていたからである。

心の無さを普通に、凶悪な感情を潜める存在たちは、いつの時代も、いがみ合いと覇権の取り合いをして争いを繰り広げているのだが、世を病ませる方向性と人々の苦しみを喜ぶその非人間振りは皆共通であり、そこに秘められた危うい意思からすれば、人物伝として誰が歴史に残るかなどは問題外で、自分が病み世存続に存分に加担できれば、それだけで本望なのである。

大きな衝突や争い事の場で勝利した人が、歴史に名を残す時、そこには、その存在よりもその出来事が持つ、その時代特有の負の連鎖の代表のような色合いと、名より質が重要な仕事をする、病み世存続への(積み重ねられた)負の原因の影響力が在る。歴史ビル2階での出来事の原因も、同様である。

6/24

10.文章は、生命であり、原因である。どんな性質の原因がそこには在り、どんな世界と繋がる原因としてそれは文章(言葉)になっているか…。考えるまでもなくそうであるそのことを通して、人は、何のためでもなく生きる喜びを普通とし、その意識もなく心を活躍させ、心を形にする。

向かわないことで引き寄せられる現実は、向かうことで経験する結果を遠くに、自らの、人としての本来を安定・成長させる原因になる。言葉が言葉では終わらない時を余裕で創り出すそれは、形になろうとする想いを外の世界へと案内し、文章として具現化される全ての時を包み込む。そして、初めからそうであり、ずっとそこに在った大切なことを思い出させてそれを普通にする(させる)原因でい続けるために、言葉(文章)ときれいにそれは重なり合い、記憶から消えるようにして、思考を離れる。生命が、文章になる。

文章が、生命の仕事をするようになると、単なる言葉であり、記憶し得る知識に過ぎない、形ばかりの世界とは縁遠くなり、まるで細胞が喜び、安心するような、言葉であって、言葉ではない表現が、自分を通して自然に生まれていく。それまでの経験も知識も、そこでは、要不要を自動的に、自由に姿を変え、交わす言葉も、文章も、そのどれもが、(頭の)記憶に残りにくく、(心の風景に)しっかりと性質として記憶される、次に繋がる原因のままのそれになる。それは、生命の交流のひとつの形。

それを普通に知り、あたり前にそうである時を過ごす人たちの心の性質が、次なる時代の確かな原因になる。何をしても、何を作り出しても、それそのものが嘘の具現化である、心無い原因の存在による価値観。それが許されてきたこれまでを切り離し、ずっと力無く、それでも繋いで来た心ある想いを、この時代の連繋の意思と重ねる。言葉の次元を超える生命の言葉は、この時代に息を吹き返した、人としての真の普通である。

6/23

9.抱え込まされ、蓄積させられた非生命的な原因を、それを仕向けた存在たちによって身体を終えた後も利用され続ける男性は、彼女たちが次の生へと移行する時、一緒に連れて行かれ、そこでまた、作られた常識世界の枠内で、心を活躍させることもなく、不自由に、生真面目に生きる。恐ろしく不安を抱える人ほど、重たい負の原因は染み込み(込まされ)やすく、そのことで無自覚に影響力を強めながら、人一倍体面(世間体)を大事に、世間一般の価値観を支え、それに満足する。そんな類の性分を強く持つ人ほど利用価値のある男性として扱われ、彼の近くには、いつも、心無き多数が集まる。

「この国の病みの始まり」の時に、儀式全般を支配した、蛇そのものの母と娘は、その時の身内の男性を現代でも引き寄せ、これ以上無いという程の病みの原因を彼の中に染み込ませつつ、何不自由無い生活の材料を手にした時、彼の身体を終わらせる。それを間近で観ていた少年は、その時の訪れ(男性の身体の終わり)を機に、動き出す。二度と同じことが起きないための道づくりに、それまでの子としての融合体験と、育み続けた原因の質を、最大限に活かす。

このタイミングでのその男性の登場は、彼女たちの素顔が崩れる瞬間である。負(闇)の原因の流れと、その作用による悪質なメカニズムが、誤作動を起こす。その時が、ここに在る。

6/22

Lその原因の危うさが分かりにくければ分かりにくい程、凶悪さを内に秘める存在は、それを重宝する。LEDの負の原因は、実に分かりにくい。だから、心身に要らない負荷をかけられても、命(生命力)を削られても、そのせいとは分からない。気づいた時には、人生は終わっている。

 

M地下に染み込んだ(LED化した)雨水は、土の性質を変え、これまでの普通を壊して、地中での土本来の仕事をさせなくさせる。そして、その負のサイクルは次第に密度を高め、あり得ない現実を生み出す力へと変貌する。

建物が沈み、傾くことも当然予想される、LEDの負の影響力。その時、人は、為す術も無く、途方に暮れる。責任を取ってくれる人は、どこにも居ない。

雨水がLED化することで生まれる、想像を大きく超える、いくつもの悲惨な現実。外灯も車も室内も皆、LEDを外す。それが唯一、それを避ける手立てである。

 

N人としての生きる意味を見出したければ、LED化の原因を知り、LED照明の無い空間を安定させることから始める。それは、人としての(生命の)基本形の一部であるゆえ、それを外して、人としての意味を望むという歪な思考は、人としてあり得ない。LED照明は、生きる意味を狂わせる原因の形。その上での生き方は、それ自体が無意味となる。

 

OLED照明とLED化した水によって変色した大木や塀(壁)などは、ある腐敗型の菌がそこで次々と増殖するかのように、それまでとは違う状態が保たれ、湿ったまま、元には戻らず、崩壊へのプロセスを経験する。木々は、生命力を無くして腐敗し、朽ちる(山は崩れる)。建物や道路の材質は、その殆どが腐食し、劣化する(街は沈む)。

コンクリート(セメント)の成分を簡単に破壊するLEDは、水の成分をLED化したことで、あらゆるものを無生命化させる力を備えてしまう。水分を含むものは全て、LEDにより、元のままではいられなくなる。街のどこにも、地方の山や丘のどこにも、LEDの負の影響を被った場所が在る。

6/22

8.現代においても尚、恐ろしく凶悪な負の影響力を及ぼし続ける2人の、その病みのルーツとなる歴史ビル2階の時の彼らの姿を、この国の負の連鎖の内実と照らしながら、多面的に描写してきたが、それを経て思いがけず(?)辿り着けた、原因の世界発の認識は、その2人の周りには、地下階の時代も含めて、常に、妙な存在たちの複雑怪奇な関係性が在るということ。それを知り得るというのは、この時代の病みの原因となる世界の、更なるその深みに縁してもありのままでいられるぐらい、無有日記と融合する人たちの原因が進化を遂げているということ。それは、とても嬉しい、生命世界の健全さの原因の、未来への連繋である。

聖徳太子には、連れ添った女性がいて、彼女の猛獣使いのようなその醜い感情と支配欲に、自ら(の性質)を合わせながら、彼は、心の無さそのものを生きる。そして現代、彼女は、その頃と同じ、彼の伴侶の立場でいて、同質のことを日々行う。

聖徳太子の妹には、育ての親がいて、その女性は、彼女の背後で手綱を締めるように、人知れず事を誘導し、腹黒さを地で行く嘘人を生きる。現代では、彼女の母親の立場で、当然のようにして、当時と同質のことを行い続ける。(彼女と母親は、歴史ビル1階の頃、仲良く、蛇の使い手と、人喰い蛇として生きる)

そして、彼女たちの形無き企ての、その負の原因の燃料庫(供給所)の立場で存在する、そのエリアの代表のような、(彼女たちの身内の)姿無き男性。彼の本質と、実際の意思活動に触れられたことは大きい。争いや衝突の原因を知らない人たちの心ある想いが少しも活躍できなかったこれまでの歴史の、その負の原因の塊が、内側から崩れ出す。

6/21

7.この今だからこそ知り得ることは、それまでは何も知らなかったとしても、その知らなさの質がしっかりとこの今に繋がる原因のそれであったことを意味し、別の見方をすれば、それは、すでに知っていることを知らないでいた(いられた)ということにもなる。その時が来るまで知らなくてもいいことを知っていることはないが、知らないままでいる時の過ごし方が、普通自然体のありのままの原因のそれでなければ、その時は訪れない。そして、そうであれば、その時は、何でもないいつもの時となる。

そんな時を淡々と生きていると、その原因となるところで、ふといつのまにかすべきことをし、行くべきところへ行く(行っている)自分がいる。2015年秋に「LED感染」が始まり、次の年の春に「LEDの影響(映像)」が始動したことも、その何気ない原因の現れである。そして、いつのまにか迎える、「歴史の芯(13)」。そのどれもが、‘その時’の連続であり、その時だからこその、それまでの原因の具現化である。

生命世界の芯のところで絶えず動き続ける、多次元的な原因の意思は、無限と繋がり、永遠と重なる。その通り道となる無有日記との融合を楽しみ、歩み行く生命たちの‘知る’は、進化し続け、回転しながら、時代の意思のそれとなる。

6/21

HLED照明の悪影響に鈍感になっているという、人間離れの傾向。それが進行すれば、身体から、人間の要素が少しずつ離れていく。LED照明の下で気化する、人間の大切な感性と心。LED照明と暮らせば、人間なのに人間ではないという、2種の人生を同時に生きられることになる。そしてその後、地球の異物という、3種目の人生を手にする。

 

I雨水に打たれる場所のベランダ(テラス)や通路は、それに含まれるLEDの性質により、確実に劣化する。ひびが入った場所から更に進むその劣化は、補修しても、何も変わらない。雨水の当たる場所は、それだけでLEDの影響を大きく受け、始まったら、LED照明が有る限り、辛い現実へとそれは展開する。

歩道や階段に敷き詰められたレンガ状のブロックの、そのつなぎ目の部分が、溶け出したり、破損したりして、無くなっている。その形状は、雨が降る度に少しずつ変わり、危険な状況へと、それは展開する。人の暮らしが、足元から崩れていく。LED照明は、人の生き方を、簡単に歪にする。

 

Jそんなはずはない、と思われても、そうであるのだから、それは無い。予想すらしなかった、と言われても、最初の時点で、その原因は嘘であったのだから、それは、当然の結果(という名のそれに呼応する原因)である。原因が無ければ、結果は無い。LED化による、広範囲における危うい状況は、そこに在ったその原因の正直な現れである。言い訳は、一切通用しない。

在ってはならない事実を差し出されても、それを無視できること自体、人間とは思えない。人間は、次なる原因として、関わる状況をさりげなく真剣に観察し得る術を持つ。LED化をそのままに出来ること自体、その人の人生は、非人間的となる。LED化の恐ろしさは、こんなものではない。ずっと前からそこに在る原因の性質が、それを顕にする。

 

K駅のホームの破損が著しい。LEDに侵された水(雨水)の他に、電車のLED照明の影響もあり、駅のホームは、大小様々に崩れ出している。錆びている個所も多い。

地下に在る駅のホームも、天井や壁が怪しい。雨水は、どこからか入り込むと、横斜めに流れ、ホームの天井(壁)のコンクリートに伝わり(辿り着き)、それを劣化させる。簡単には修理出来ない場所でも、LED水は、徐々に、確実に崩していく。

そして、電車のレールと、それを支える角柱(枕木)全体の劣化も進行する。駅のホームもレールも、その不安定さは、考えたくもない恐ろしい現実の、重量級の負の原因。LEDの光は、日夜、その異常な姿を拡大させていく。

6/20

6.この世には、LED化関わりや政治的悪徳等で時代を病ませようとする存在たちとは別に、時代を本来へと戻す(病ませない)原因の動きを阻止しようとする存在がいて、後者は、そのための当然の行為として、早いうちから、この無有日記との関わりを持つ。ところが、あり得ない負の力でそれを行っても、そのことを新たな原因に、(水や空気のように)淡々と次へと変化し続けてしまうその世界(無有日記の原因)に、逆に、自らの本性を刺激され、人間的にも(彼らなりに)不自由さを覚えさせられて、彼らは次々と姿を消す。挙げ句、自分たちの破滅・破壊型の本質の、その大元となる存在の意思の力に任せるしかなくなり、その別次元の仕事の支援役に回る。

そんなこと、あんなこともお構い無しに、無有日記は行く。負荷をかけられても、その経験を次なる経験に活かし、滞りを強いられても、さらりとそれを受容し、原因の質を高める。そして、何があっても歩み続け、あたり前に生命としての変化に乗り、時を癒す。ただそれだけ。それを妨げる不穏な力は、うごめく度に、影響力を無くす。

6/19

5.やむ無くそうであるしかない人生を送り、寿命を縮めて、身体を終える男性たちは、その後、その気もなく(否応無しに)、信じ難く恐ろしい役を担わされる。それは、身体としての命を持たないからこそ(自らの性質如何で)融合し得る、別次の停滞と破壊の原因の意思(の塊)を、幾重にも蓄積させたその形無き重たい感情と同一化させて、病み世の新たな負の原因の供給場所として、彼女たちに、自由に使われるというもの。身体を終えても、次なる(転生の)意思を持てずに、浮遊するようにして地上の次元に置かれる彼らは、かつて獣を支配していた存在たち、及びそれと同質の人たちによる、現代の病み世づくりに利用され続ける。

かの女性と母親の元で、気力・体力を削がれて身体を終えた男性は、まさにその典型であり、自ずとその力量は、桁外れの、かなりのものとなる。他にも、義理堅く、生真面目で、誰からも良い人と思われながらも、人生を全うせずに身体を終えていった男性たちの多くが、強弱様々にその役を担わされる。

(人間時間の中で感情を暴走させがちにその役を担う(担ってしまう)、身体を終える前も後も、強力な影響力を持つ男性もいる)

6/17

D外灯や車のランプ(ライト)がLEDになったと同時に始まった、自然界に生きる生命たちの悲しみ。電車やスーパーの照明がLEDになったことで始まった、心ある素朴な人たちの更なる生きにくさ。

LED化は、生命たちの自然な営みを抑え込む、不自然さの意思。省エネの文句にごまかされた人たちも、そのままであれば、その質は同じ。LED照明が室内に設置された時から始まった、危うい精神性の持ち主たちの能面芝居。

 

Eゆっくりと走る車のLEDランプとLEDに汚染された水の影響で、狭い道路沿いの家の壁や塀が、悲しい程に崩れ出している。穴が開き、ズレ(ひび割れ)が生じ、そして崩壊する、コンクリートの(ブロック)塀。その様は、誰も経験したくない、驚きと悲しみ。LED照明は、送り手の本心の性質を、そのまま形にする。

 

FLED照明で、なぜこんなに辛さを経験しなければならないのかと、明かりの本来とその本質を知る人は言う。LED照明で、なぜ彼らはそんなにつらくなるのかと、LED照明を太陽の光の代わりにできる人は言う。その違いは、生命と無生命、光と闇。

 

G高速道の高架橋(線)やそれを支える柱が、LED照明を浴びた水(雨水)によって、劣化している。それが意味するのは、崩落。専門家と呼ばれる人たちがきちんと仕事をしていれば、それは無かったこと。責任ある立場の人たちが責任ある仕事をしていれば、それは経験しなくてもいい事実。水が壊れれば、後は、悲劇の訪れ。LED化をそのままに出来る政治家を、自然界は、生命の歴史を壊す原恥人と呼ぶ。

6/17

4.男性たちの多くは、遠い昔に、獣(とそれを操る獣のような人間)に襲われ、精神を破壊された経験を持つ、人間本来の感性を尽く潰された人たち。その頃に植え付けられた独特の恐怖心は、彼女らに、いつの時代も簡単に嗅ぎ付かれ、引き寄せられて、その度に身近な関係性(家族)を築く(築かされる)材料となる。そして、その自覚もなく生きるペースを牛耳られて生命力を無くし、重く流れない(動きの無い)感情の原因をどこまでも蓄積させられたまま、身体を終える。

繰り返し病み世を更新してきたその存在たちは、それをその原因のところから処理(浄化)し続ける無有日記の世界を嫌う余り、その全てを潰し切ろうと接点を持ち、その後、不本意ながらも逃げるようにしてそこを離れる(離れざるを得ない)経験をしたことで、彼女らが隠し持つ手の内を、段階的に(次元ごとに)処理し得る道を残してしまう。

かつて獣そのものだった頃の聖徳太子と彼の妹を支配していた(猛獣の使い手だった)存在2人が、現代において彼の伴侶と、彼女の母親になっていたことを知り得ることも、この時だからこその必要性が案内した、彼女たちの、形無き危うい意思(原因)による事実である。

6/16

CLED化した水の影響で、土の質も危うくなる、その恐ろしい現実。それによってひびの入った道路の姿は、地盤崩壊の前段階。すでにその動きは進行していて、LED照明の凄まじい負の影響力は、止まることを知らない。それは、この今の社会において、最も重要な、放っては置けない現実。政治家も経済人も、人間にならなければならない。

6/16

3.凶悪な獣は、腹を空かせると、その性質をより強め、自分たちを恐れる動物や人間を力で抑えて、彼らの命を餌食とする。しかし、安定的にそれを行うのは難しい時もあり、いつのまにか獣たちは、その隙間(弱み)に、自分たちの本性が通用しない程の危険な存在(の思惑)を入り込ませてしまう。

やがて、暴力と悪知恵で、獣を思い通りに操る術を身に付けた(彼らが身を預けた)存在たちは、好き勝手に人を襲い、殺害し(獲物とし)、恐怖心を彼らに植え付け、存在感を強めていく。獣も恐れる存在の、凶悪そのもののその感情(本性)は、この地上にその姿を見せてからずっと、‘歴史は繰り返される’の重要な負の原因でい続ける。

その醜い本性の遺伝子を繋ぎ得る存在たちは、現代、多くが女性を生きる。そして、夫であったり、父親であったりする、世間の常識枠の中で生真面目に仕事に勤しむ男性を、上手く利用する。

6/15

B植物の生育が低下したり(途絶えたり)、小動物たちの姿が見えなくなったりする原因は、全てLEDである。(腐敗型の生物が増え出すのもそうである)

LED照明が世に登場する前には無かった現実が今そこかしこに在ることを考えれば、誰だって、その危うさを感じ取る。そして、専門家も、狭い経験枠内から外に出れば、LEDの恐ろしさが、人間の理解を大きく超えるものであることを導き出す。

動植物たちの異変は、確実に人間生活に影響を及ぼし、何もかもが収拾のつかなくなる状況へと案内される。人間の真価が問われる。

6/15

2.人としての心も精神も持たない獣同然のかの女性(及び彼女関わりの存在たち)は、気づけば、その本性の力を失くす。心ある人の意識(脳)を支配する彼女の無意識の意思は、この無有日記の世界の原因に余裕で観察され、この時を迎える。そして、遠い昔、人間ではなかった時の記憶を自らに招き入れ、その(野獣の)姿を潜めていた無意識の蓋を徐々に開ける。そのことで、彼女は、人としての原因からの生き直しを、初めて経験する。本性の遺伝子(正体)が人間ではないゆえ、それだけで、人は嬉しい。中庸の世界から観れば、その全てが、全ての原因の意思である。

そして今、そうであるから行ける、次なる場所がある。この13章を書く流れに乗っていなければ永遠に触れられなかったであろうそこは、この時代の、この時、この今ならではの、実に不可思議な、形無き世界から眺めた事実。単なる知識としてのそれへの扱いは、未消化の感情の記憶が無自覚のまま在ると予期せぬ危うさを招きかねないので、12章まで順に読み、そこに在る内容を自分と重ね、然るべき原因の選択・実践をする。それ無くして、この先への移動は控える。EWの原因は、軽く、思考(人間世界の)次元を超える。

6/14

@‘省エネ’という言葉を繰り返し口にするのは、人にそう思わせ、自らもそう思い込むことで、決して踏み込まれては欲しくない、そこにある欺瞞を隠すため。計り知れないその悪影響への反応を、思考の力(による洗脳)で、どこまでも鈍くさせる。

‘環境にやさしい’という言葉にこだわるのは、そのフレーズに誰もが心を動かされ、自分もそれに参加したい(協力したい)と思うその素朴な気持ちを悪用できるから。人の思考の満足は、そうではない実際の姿から距離が置かれたまま、大きくなる。

送り手主導の手法の世界に一度入り込んだら(捕まったら)、どこまでも無自覚になる、LEDの危うさへの無感覚。分からないうちに行ってしまう無責任さの責任は大きい。‘省エネ’も‘環境にやさしい’も、自然界の意思(心ある人間社会の望み)や生命世界から観れば、恐ろしく巨大な騙しである。

6/14

1.伝えられるものは同じでも、伝わるものは、その人の原因の性質如何でその姿を変え、形無きところからの変化への姿勢によっても、その時々で、その様相は変わる。その伝わるものが、限り無く中庸でいる(人の)生命本来の原因に触れる時、それらは、そのままでいることなく動き始め、共に生きる人としての基本形をテーマに、いつのまにか調整され(癒され)、浄化され出す。それは、その人にとっての大切な、望むべく変化。ペースや度合いはそれぞれでも、どんな人も、中庸全体の原因に包まれるようにして、それまでとは違う時へと案内される。

これまでもそうであったように、みんなのために触れ得る対象としてある存在関わりの世界が文章として形になる時、その人の原因の性質とその影響力は、すでに描写された域には無い。その彼(彼女)が、物理的にも近い縁の風景に居れば、それは確実に為され、次は変わる。それは、形になった時点で、それを為し得る経験に至る力強い原因の働きが、そこに在る全てを、次へと繋がる新たな原因に変えたから。否定感情とは無縁の原因の力は、シンプルで、面白く、そして頼もしい。

6/13

㉚極端な言い方をすれば、LED照明を好むというのは、かつて、非道な権力者の下で、その非人間性をそのままに、多くの罪無き人たちの命(人生)を奪っていた証と言える。それについては、「歴史の芯」でも触れているが、戦も迫害も無いこの時代、心を持たない残忍な存在たちは、その本性(正体)を無生命化のLED化に乗せて、内に潜めた差別と暴力(殺害)の欲求を満たす。

彼らは、責任ある原因を知らない。人のことを大切にする心(原因)も持たない。LED化は、歴史的な、自然界への破壊行為であり、生命たちへの暴力(虐待)である。それを進められること自体、凶悪な本性の持ち主と言える。

6/13

9.生命を生き、人間をやるという、この地球に住む人としての、何でもない普通。それを無視するという異常さが、自然界の自然な原因を滞らせ、この国に生きる誰もが惹かれる富士山の姿を、本来とは全く異なる原因のそれへと病ませてしまう。その姿を(その原因のところから)幾重にも重くさせ、自由な動きを封じ込めて不穏な世を支えさせてしまうという、歴史的にも実に恐ろしい出来事。この国の人間は、それを普通とし、心柔らかな人が心のままに生きることを阻止する、くもの巣のような、原因の変化・成長とは無縁の病み世を安定させていく。

そんな時代の色(空気)を喜んで濃くさせる、人間だけを生きる、蛇と同質の本性(脳)を備える存在。彼らは、生命ではなく、その本質は、物と言える。物は、それを使う存在によって、意のままに簡単に扱われ、争いや差別の道具となる。そんな姿の実の原因を余裕で把握し、そのこと自体がこれまでには無い生命の機会となる時を、さらりと受け止め、共に次へ行く。数千年分の負の原因(の蓄積)が、彼(富士山)から外れ行く時をみんなで支え、この国を、(物ではなく)人が、生命が生きる、自然で心豊かな場所にする。

6/12

8.人間の醜い感情と身勝手な思惑(欲望)に汚染され続ける彼(彼女)は、人間の愚かさの象徴である鳥居(社)の存在をただ眺めるしかなかったが、「歴史の芯」に至る(自然界の)原因の進化のプロセスにおいて、少しずつ、傷の癒える時を経験する。そして、永い時を経て、彼なりの切なる意思表現を、ここに重ねる。病み世の(人間くもの巣)中心辺りに居させられた経験の、その重量級の原因を自ら浄化し得る時を、みんなと共に創り出す。どれ程、辛かっただろうか…。その苦しみは、人間世界のその域をはるかに超える。

彼の名は、富士山。狭い枠内の価値感情や無責任な個の思考による形式等に利用され続けた彼は、非生命的な形ばかりの人間との要らない融合を、この自然界で最も経験する。この数百、数千年の間の、彼を祀る(祭る)対象として利用する組織や集団は、自然な原因の変化を妨げる重石のようにして、彼の頭にのしかかる。

邪馬台国の頃から凶悪な嘘の原因の具現化を強めていた神道絡みの世界は、彼にとって、災厄そのものである。存在そのものでさりげなく支え続けていた自然界の調和と生命たちの健全な営みは、重たさそのものの負の原因の通り道である鳥居によって、度重なる負荷をかけられ、その普通を失くさせられていく。山であるはずの彼は、非人間性の染み込む不自然な環境にしつこく囲われ、物(彼らの所有物)になってしまう。

6/11

ALED照明を止めない本当の理由、それは、真実が恐いから。これまでずっと世の嘘を支え、自らも嘘を生きてきたことへの責任を取りたくないから。

LED化は、その原因が、全て嘘。嘘の上で嘘を生きる人たちは、その数の力で、本当の世界を退ける。

でも、永い時を経て、その原因の蓄積を浄化し得る時を、彼らは迎える。代償は大きい。好転反応もかなりである。「歴史の芯」の流れに添って、嘘は、嘘として、時代の異物になっていく。

心ある自分を生きるのに、理由は要らない。LED照明を外すことに費やす時間は要らない。人間は、嘘の原因を生きられない。

6/11

7.弥生時代や邪馬台国を初めとする、この国の歴史上の知識(特に歴史ビル2階)全てから自由になり、今回の生における神道(神社)絡みの経験からも一切離れて、LED化の原因との融合(LED照明との接点)を外していくと、その時を待っていたかのように、思考の域に上って来ようとする原因の姿が意思表示する。それは、(くもの巣のように張り巡らされた)病み世の負の材料として生きる危うい人間たちの、その燃料源でいる存在。だがしかし、その存在は、元々はそうではなかった。

時代を連ねる中、彼(彼女)は、悪質で残酷な、重苦しさそのものの病みの原因を繰り返し積み重ねられたことで、争い事の絶えない不穏な世の土台を、否応無く支えさせられる。神道のくさびをいくつも打たれ、密教系の凶悪な念を深くまで入れ込まれ、その本来の仕事は、完全に潰される。そして、自然界からも、その原因の姿は切り離され、その全ては、悪用される。形あるその姿に尊さを覚える(心を惹かれる)人々は、そこにある形無き重たい原因の力で、何の自覚もなく、心身を病ませていく。

6/10

この先、非LED化が力強く進まないと、1年後あたりには、多くの家屋の屋根に穴が開き(基礎が脆くなり)、山々は崩れ、各地の道路はボロボロになって、全国総修理・修繕の時を延々と続けることになる。

LEDの影響(映像)」も、(4)(5)あたりから、崩壊や破壊のテーマを含み、(6)は、待った無しの、LED化による恐ろしい現実を形にする。たくさんの人たちに、是非、そのことを伝えてあげて欲しい。この今、この国は、ある意思のもと、地球規模の災いの発祥地になりつつある。

6/10

6.その恐さの主とも言える別次の(人間の意識の外側の)存在は、神道(神社)関わりの諸々を材料に人々の活動全般を支配し、人間の脳では触れ得ない次元の危うさを本質とするその形無き力で、彼らの精神と無意識を好きなように扱う。かの女性の人間時間を利用して(彼女たちに凶悪な能力を持たせ、同一化させて)、あらゆる人のどんなところにも影響を及ぼし続けるそれは、神社の負の原因との融合を密とする人の(脳の)、その重たい(動きの無い)原因を、まるでくもの巣の材料のようにして繋ぎ、柔らかな感性を持つ人の心をそれで囲み、彼らの生きる力を奪う。神道の通り道であるような強い残虐性を秘める人ほど、糸の角の場所を確保し、その度合いが桁外れな人は、中心近くに住む。

この世の形無き抽象世界は、その存在の思惑が具体化した、くもの巣のようになっていて、蛇も烏も、その意思に従い(恩恵を得て)、方向性を同じに、持ち場を活かす。

6/09

日の当たる場所では、気持ちの良い暑さを感じ、日かげに居ると、爽やかで涼しい風を感じて、空間が心地良い。4月の終わり頃から始まった、「西海岸の太陽を招こうキャンペーン」。それなりの効き具合を生じさせ、それは今尚進行中。

はるか昔、この国は、じめじめとは無縁だった。それが、病気(奇病)の白い蛇が神の化身として扱われ出した頃から、一気に湿度たっぷりの気候へと向かう。その後に続く、白への特別視。その白蛇の力によって、白い米や白いうどんまでが普通となってしまった、病み病みのこの国。全粒穀物を摂る人が増えるだけでも、気候は、確実に変わっていく。

6/08

5.恐さの中に居ることに全くの無自覚でいることで守り通せることが、その人にとって唯一のものであるとすれば、その恐さは、無いものとして扱われる。そこに在っても、無いものとして生きる、形ばかりの人生。そこでは、体裁を繕い、きれい事で事を済ませることが普通となり、優しい振り、人間味のある振りが日々磨かれる。

自らの奥深くに在る恐怖の塊をそのままに、内なる原因が少しも動くことのない人生を送る人は、常にそうである状態を維持するために、いつも右に倣え思考を主に、通り一遍の言動と広がりの無い(その原因が心あるものではない)生活感覚を優先させる。平和や健康、調和においても、内に潜めるその恐さの原因がより遠のくよう、本能的に表面的な思考でそれらを扱い、頭で始まり、頭で終われる、変化・成長とは無縁の(その本質が無視された)姿勢を良しとする。多数がそうであることを頼りに、経済も文化も教育も、その路線で行く。

6/07

3.見た目は光でも、その本質は、生命世界の健全な営みを妨げる闇である、LED照明。その非生命の影響力は、神社に蓄積する停滞と破壊の原因のそれと同質であり、人は、LEDによって様変わりする街路樹や山の木々と同じものが神社に在ることを知り、そのことを理解する。神社(神道)は、恐ろしいLED化を支え、LEDの負(非生命化)の力は、神社の、その存在としての原因を燃料とする。この国のLED絡みの異常さには、この国ならではの重たい背景が在ることを理解する。

強力な負の原因でい続けるLED化がそのままだと、動植物たちの世界は腐敗型のそれとなり、彼らは、再生不可能な状態に陥る。木々は、内部(芯)から生命力を無くし、空間(空気)は、不健康そのものになる。そして、神社の木は、全て朽ち果てていく。そのことが意味するのは、嘘の原因(の意思)の自家中毒。社や鳥居も、元のままではいられなくなる。

 

4.内なる醜い本性を見つめさせられる経験から常に遠く距離を置ける場所に居て、何があっても、そのための材料となる無感覚・無頓着に徹する、見た目はどこまでも良識ある普通人のような異常人。彼らは、神社には違和感を持たず、LED照明にも異を唱えない。そして、いつも怖がっている。つくり笑顔と能面級の平静さで、恐怖に蓋をする。

本能的に知る神道の恐さを頭で認識・理解してしまうことによる耐え難い恐怖経験を一切遮断するために、人は、神道(神社)を良いものとする価値観を生き、その自己洗脳のような状態を頑なに維持しつつ、身を守る。その恐さは、経験の記憶の中に性質として在る、その世界の、残忍で極悪な支配。ほんの僅かでもそこに触れれば全てが消失してしまう感覚の中、その苦しみを抑え込むだけの時が続く。それを知るから、どんなことがあっても、神道(神社)を大事にする。それ以外の選択肢を持つことは考えられない。

それは、そのまま、LED化の支持に繋がる。この国の政治・経済は、その殆ど全てが神道との絡みを基とするゆえ、そこでの非人間性の様は、人々に、正しさとして受け入れられる。

6/07

「歴史の芯」は、実に面白く、あるところまで書くと、新たに見えて来るもの、その時までは全く分からなかったことが、突如手に取るように分かり出すものが多々あり、思考が後からついて行くEWがメインだからこその展開が続く。そして、ふと気づけば、12章ももうすぐ終わり、少し前には存在しなかった13章へと入る。まだまだ、これから。どこまで続く?「歴史の芯」。

6/05

2.この国の重苦しく悲惨な歴史のその病みのフィールドとして負の原因を絶えず供給してきた神道は、思いがけず迎えることになった戦も紛争も無い現代において、その本質をさらけ出す。力(地位)のある人が、力の無い人の命(人生)を思い通りに出来たそれまでとは異なる、人の命が尊ばれる世。神道の価値観によって積み重ねられ、未消化のまま固められ続けた非人間性の原因は、形になれる場所を失くし、腐敗状態のようになる。

それは、次第に、臭い無き臭いとして密度濃く神社から漏れ出し、周りの空間を、重く、非生命化させていく。移動できない境内の木々は、次々と元気を失くし、数百年と耐え続けてきた大木は、芯から崩れ、朽ちる。彼らの感性は、純粋そのもの。それとは真逆の神社の負の力で、木々は、繋ぐ力を無くす。

自然界にとって、神社の木々の悲しみは、無くてもいい経験の典型。彼らも、それまでの(永い間抱え込まされた)負の原因を可能な限り浄化するために、この時の全てを受容する。ずっとそのままで耐え続けてきた経験を、もう耐えることの無い(耐えなくてもいい)新たな原因の経験に変え、未来に想いを託す。自然界は、次なる風景に、その想い(原因)を繋ぐ。

6/03

1.この国の歴史ビル全体を眺め、その歴史の芯が黒ずみ出した2階を中心にその原因の風景(性質)を形に出来たことは、この国の未来にとって、かけがえのないものになる。「LED感染(7)」を書き終えた時、この歴史の芯の原因は静かに動き始め、今こうして、12章を書くに至る。(未来が喜び、過去が安心する)次への原因でい続けることで、現在のそこかしこの原因が自動的に掘り下げられ、そこでの必要性に従い、過去という名のかつての原因が段階的に姿を見せる、原因の世界におけるシンプルな真実。(原因の動きを留める)結果に頭を働かせがちな人がそれを知ることはなく、原因の大切さを自らに重ねる人は、ふといつのまにか、それを体験的知識とする。

「どうしてこうなってしまったのだろう?」の手前には、「どうしてそうなるまで放って置けたのだろう?」が普通にあり、「それは経験しなくても良かったのに…」と、原因の質が高まるにつれ、思考は柔らかく、事の手前に対し責任あるものとなる。そして、それを機に、二度と同じような不自然な現実を創り出さない原因を、人は実践する。その単純で、簡単なことが、この国では、嫌悪の対象となっていた。

6/02

8.不安も怖れも幻想も何も知らない心は、理由の要らない安心と喜びと平和の原因を休み無く生み出していく。しかし、その姿は、永いこと心の無い嘘の世界に抑えられ、残念ながら、歴史ビルのどの階にも、元気のある心の素顔は見られない。そのために失われた、心ある風景、心ある人の命、そして心ある原因。数千年の眠りから醒めるようにして、人は、その重大さを知り、そうではない時の原因を選択し、実践する。二度と通ってはならない道を後方に置き、それまでから自由になり、責任ある想いを次に繋ぐ。

この時代が未来の確かな原因でいるための、その最も要らないものとして、神社(鳥居、社)があるということを知る人間でなければ、自らの本性は、蛇と同質ということになる。そのことへの抵抗・反発が病的に強力であるとすれば、蛇系全般を操る別次の存在との絡みが密であることを顕にする。

人は、自分に正直でいて、心がそのまま形になる生き方を普通とする。その普通を壊すことはあってはならない。それは、けんめいに守るものではなく、当然守られるべきものであるから、そうではない現実や価値観は、真っ先に自分から外す。でなきゃ、人間をやっている意味は無い。

6/01

LEDの被害映像も、()の内容が徐々に増えつつある中、この辺りで、(6)を設けようと思う。あれから1年。そこでのテーマも、映し出される世界も、確実に変化している。悪化し続けるその姿を放って置ける人の神経は、タヌキ腹の脳をしているのだろう。この今の、この国の政治は、地球環境にとって、極悪級の災厄である。

(6)は、「LED照明、及びLED水による被害。 ※LED水=LEDによって変異・異質化した水(雨水、地下水etc.)」とする。人として、残し続けなければならない、負の原因の、その具現化の実例。未来のために、さらりと遊び感覚で、真剣に、あたり前に、責任を生きる(果たす)。

6/01

2017

7.人は、その意識もなく心を大切に生きているから人であり、そう思うことで大切に出来る心は、誰も持ち得ない。だから、人は、自然に神社を離れ、鳥居を避ける。それらと融合することを、心は決して望まず、自然界も、時代も、それを嬉しい。それは、何でもない原因の世界の普通。人は、それを否定し得ない。

心の意思は、生命を生きる原因そのものであるゆえ、そこには、みんなにとっての大切なことを創り出すその全ての材料が在る。形になろうとする心ある想いは、そのどこにも否定感情が乗らないので、どこと繋がり、誰と融合しても、負の原因にはなり得ない。心のままの、心ある風景。鳥居の内側にも、社の中にもそれは無く、そのことを知る心は、これまでも、これからも、ただ心である。

心がそのままである世界では、大切にすることは何も無く、大切にされるべきことがそのままであるかを、さりげなく心が観る。人の在り様、自然界の営み、そして具現化される原因の姿。その全てに、心は責任を持ち、その自由を抑え込まれることがあっても、心は、確かな原因を未来に放つ。愛しい奴である。

 

5/28

6.体験的知識が、生命を生き、人間をやる際の原因としてさりげなく活かされるようになると、結果という概念自体が、心の無さの世界と同質であることを知る。そして、結果にとらわれ、結果を求める(求めさせられる)姿勢は、本来の人間のそれではなく、人は、ずっと長い間、嘘であり、夢である結果の世界に付き合わされてきたことも感じ取る。人としての生を、さりげなく真剣に生きようとすれば、自ずと経験や記憶から自由になり、柔らかで確かな原因でいることも、あたり前となる。結果を求めず、ただ原因でいて、どんな結果も、結果という名の次への原因として、迎え入れる。変化し続ける原因そのものでいれば、争いも衝突も、不健康も不公正も、その存在意義を無くしていく。

そこから見えてくる、有ってはならない、人の世の、不穏な事実。それは、結果にこだわり、結果を生きる人だけを大事に、結果(形式)のみを連ねてきた、神道(神社)の病み。そこに、この国の負の歴史の理由がある。人の、一生命として無くてもいいはずのその経験の殆ど全ては、心ある原因とは無縁の、神社関わりの闇の中から生まれたものである。

5/28

無生命という言葉は、実に恐ろしく、10年程前、神道の元となる蛇人たちの積年の思惑によって、LED化を道具に、それはより具現化され始める。その下地となる非人間的な価値観は、皆神社印の商品ばかり。その重量級の負の原因の風景は、「歴史の芯」で書いていく。

歴史の芯も、もうすぐ12章。(いつまで続くのやら…)次なる時代のために、今かたちになるべきことを、かたちにしていく。その原因が嘘のままの重たい歴史に、付き合わされることはない。そして、地球の異物であるLED化も、終わりの始まりの時に入る。蛇人草は、野生の馬のえさになる。

5/27

5.次なる原因でい続ける知識は、知識の域を軽く超え、言葉であって、言葉ではない別次の性質として、生命を生きる上での形無き燃料にその姿を変える。結果に留まる知識は、それ以上でも以下でもない単なる知識として残り、形ある言葉ばかりを大事に人間だけを生きる人のそのための道具(武器)となって、隠れた非人間性の下地となる。

心は原因であり、心の無さは結果である。心ある想いは、変化し続ける原因をそのままに、時を癒し、思考で扱われる心は、変化とは縁遠いところで、時の流れを滞らせる。原因と結果は、同じところに在り、その粒子も、存在の意思も、それぞれの次元は異なる。しかし、その結果も、本質は、結果にい続ける動きの無い原因であり、原因の要素を含まない結果は、どこにも存在しない。そして、全ては原因という真実と思考が重なり出す。そこでは、どんな結果も、新たな原因になり得、繋がる場所の多次元化へと、その質は変化する。いつしか、結果という世界が、思考を離れる。

5/26

山(丘)が崩れやすくなっているその原因を作り出したLEDは、そうである姿をどこまでも分かりにくくさせながら、確実に、地球自然界を破壊し続ける。たくさんの木々が朽ちてしまえば、土の中はアウトである。すでに微生物たちも、自分たちの仕事を失っている。海の中も、以前とはだいぶ違う。この先、無生命化された土の上に建つ家屋も、危なくなっていく。この国の、LED絡みの責任者たちは、地球に対する犯罪者集団と考えてよい。彼らがそうである理由は…。

5/26

4.心を持たない、心を知る人は、心の世界に詳しく、心ある世界にはうとい。心を大切にする行為で心の無さをごまかす彼らは、心ある自分を疑わず、心そのものを遠ざける。優しい行為は貴いが、苦しみや悲しみの原因までがそれで姿を変えることはない。なぜそうであるかの原因に触れる優しさが心であり、そうである結果への優しさは、心の無さを力とする。

そのシンプルな真実を普通とする心ある人は、嘘の原因を、人生の中で持つことはない。そうではない心の無い人は、嘘の原因以外の人生を生きられない。原因が健全であれば、当然具現化されるのは、ありのままの健全な風景。心を持たないという不健全な原因を生きる存在たちによって、問題事の絶えない時をこの国は常に作り出し、今それは、これ以上無い世の問題事として、LED化を生み出す。もちろん彼らは、それに(その負の原因に)無感覚である。心ある振りは、責任ある振りを得意とし、その心の無さは、健全な原因を何より苦手とする。

5/25

縄文時代の終わり頃、インドの地で釈迦牟尼(ブッダ)が行をしたのは、立場をはっきりとさせて、身を守るため。その手前(原因)には、時代の価値概念から離れることの必要性を、切に感じていた彼がいた。それだけで充分。当時の時代背景の中、彼は、彼なりの生を生きる。

思考型の発想をゼロにして、彼に触れると、彼にまつわる修行や悟りの世界が、全く違った意味合いで伝わり出す。人として、自他の生命を大事に生きること。彼は、普通の人。その時代は、それだけでも凄いことだった。

5/23

3.形ばかりの優しさで心を表す心無い人が、社会を作り、事を生み出せば、当然そこでは、不正や不平等がはびこり、何の因果でもない、嘘の心の存在を起因とする苦しみを経験する人が増える。その光景は、宗教に利用され、歴史ビル4階辺りでは、心ある自分を普通とする人であれば決して近づくことの出来ない、嘘の心そのままの最澄が、心を形にする。空海も然り。彼らの教えは、その原因に心を持たないゆえの、個の思考である。それらを、形ばかりの心と、結果としての個の満足を欲する多数の人たちが支える。

不穏な世は、かの聖徳太子(と言われる人物)を偉人としてしまえるぐらいだから、いつまでも続き、増え続ける神社(鳥居、社)によって、人々の生きる苦しみは安定する。そんな社会環境を巧く利用したのが、親鸞であり、日蓮も後に続く。彼らは、人の苦しみのその原因には触れず、心の無さの典型である、結果(形)のみの人生を都合良く生き、立場を利用して、人にもそうさせる。それは、将来への重苦しい原因として残る。(「1000年目の夜明け」etc.

心の無い人は、心ある振りに徹するために、その強力な隠れみのとして、海外からのキリスト教を利用する。弱者の存在を前提とするそれは、神道とも共通項を持ち、歴史ビルの最上階辺りで、裏表のある生き方を普通とする人たちに重宝される。神社と、この国での教会。心の風景では、完全犯罪である。

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2.心は、心のままである。思考で扱うことは出来ず、形あるもので、それを表現することもあり得ない。心がそのままであるから、人は、心ある表現を普通とし、普通だから、形あるものも、思考も、心のそれとなる。それは、原因(生きること)の変化・成長の基本である。

それを、心の無い人は、全く分からない。分かる分からないではない心の世界を、心の無い人が分かることはない。そして、不安を強める。心ある人を、自分たちと同じように不安にさせて安心すること以外の道を知らず(持たず)、嘘に力を与える。

その嘘の力は、人々に、心が形になるのではなく、形で心を表すことの大切さを普通とさせてしまう。心のままに生きる人には、それは難しく、心を持たない人は、簡単にそれを作り出す。そして、権威(立場)のある人の、形としての(思考で扱う)心の世界に人は引き込まれ、それで良しとし、心という文字を利用した教えや決まり事が存在感を持つ。心ある想いをそのままに生きる人は、それらの中に在る重たい不安に反応し、生きる原因のところから、要らない経験を生じさせてしまう。

5/21

1.不安の始まりは、不安を知らない普通の人間が自然に備える、心という、人として生きる上でその基本となる生命源と繋がる貴い性質に対して、その心を持たない別の存在たちが反応し(違和感を覚え)、自らの中に在る非人間的な感情を力に、それへの反発・抵抗を強めたことによる。その歴史的な背景については、現代の人がムリなく感じ取れるよう、「連繋の意思」や「復活への道」「心の遺伝子」その他で書いてきているが、揺るぎない生命世界の事実として、人の心には、元々不安など無かったことを、知識から外してはならない。人間は元来、不安を持つことの出来ない、生命としての存在である。

「この国の病みの始まり」で、蛇との融合を密にする異様な人間たちのことに触れたが、当然彼らには、心が無い。その頃よりもずっと前からそうであった(蛇絡みの生を普通としていた)彼らは、同質の人間を増やすために、現代の神道の基となる嘘の世界の影響力を強めていく。心を持たない彼らが、心を思考(感情)の産物として都合良く扱い出したのは言うまでもない。

5/21

歴史の芯替えキャンペーンの景品が少なくなってきたので、次の章は、ひと休みみたいな文章を書いていく。きつねそばとたぬきごはんの化かし合いセットは、600円。蛇の鏡もちと蛇の神だなのだまし合いセットは、27円。やっぱり、80円の、小麦胚芽入りのパンケーキがいい。

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8.生まれた時からあたり前としていたことが、実は嘘であるということを知るのは、厳しいものがある。しかし、その嘘で、人の心身は病み、その自覚もなく心ある純粋な人たちを悲しませていたことを知れば、それまでのままではいられない。生きることに、二者択一的思考は不要であり、頭を使って理解する正しさは、すでにその手前の経験から嘘である。思考は、人として生きる真の普通に、喜んで寄り添う。

繋がる原因をそのままに変化に乗るという、人間であれば、どんな人も抵抗できない生命世界のテーマがある。健康も平和も、自らがその原因でいて、淡々とそうである風景を共に創り続けるという、この地球に生きていれば(動植物たちと一緒に)誰もが担う、生命としての責任がある。それを思えば、この国の人間は、そこから大きくかけ離れた時をずっと生きていたことを知る。そして、これまでの負の歴史の土台となっていた神道(神社)の怖さも、改めて感得することになる。

時は、止まることを知らず、水も空気も、滞りを知らない。その中で生かされ、生きていく人間も同じである。歴史の芯は、人としての、これからへの力強い原因でい続ける。さりげなく真剣に、みんなで、心ある原因を生きる。ここに、どこまでも深く透き通り、優しく流れる、生まれ変わった歴史の芯がある。

5/17

7.人は、なぜ、嘘の原因を生きられるのだろう?なぜ、形だけの正しさで、そうではない性質の自分をそのままにできるのだろう?

何か(誰か)のために命をかける(かけさせられる)世界に、真実は無い。人としての意味は、命の限り、人を生かし、自らも生きること。正しさは、想いが形になる前の、自らへの正直な姿勢と責任であり、それに付き合おうとする言葉や行為を通して繋ぎ行く、自然と伝わるその原因である。優しさも、思いやりも、その原因がそのままのそれであり、言葉(形)から始まる心ある想いは、存在しない。

人が人であるための頑張りは、この世には存在せず、もしあるとすれば、それは、鳥居の内側で作られた、嘘の正しさである。真の自分探しも、祈りも、それらは、心ある原因がそこには無いことの現れであり、そうでなければそうにはならない要らない経験を、神社(神道)は、上手く作る。始まりが嘘であれば、何をしても、どこまで行っても、その原因は嘘であり、正しさや善においては、その本質は無視される。儀式や因習も、嘘の原因をそのままに、正しいとされる作られた嘘の正しさを生きる人が何より好む世界である。

5/17

只今進行中の歴史の芯は、縄文時代に再突入し、その頃の人たちの想いを、ひとつひとつ浄化し続ける。縄文土器子も、髪を切り、スカートをはいて、ムーと街を歩く。そして、カフェで、縄文時代がなぜ終わってしまったかを、熱く語る。

土偶が、母親たちの悲しみであることを話す彼女は、そこに在る蛇の(脳の中に居た存在たちの)意思を知る。目を開けず、人のようには歩かない不思議。肌が変異し、数年で命を無くしてしまう驚きと不安。土偶を通して、心無い人が備える非人間性の原点に触れる。

縄文土器子を駅まで送り、ふと見上げると、夜21時なのに、(月は隠れているのに)空が明るい。歴史ビルの地下を通る電車は、縄文3丁目行き。彼女は、家族の土産に、ダンディチョコを買っていった。

5/14

6.この国が変わると、世界が変わり、地球は安心する。この数千年の間に、どれ程の数の罪無き人間が人生を潰され、命を奪われてきたかを考えても、恐ろしく凶悪な意思の原因が、今尚、心無い人の無意識(本性)や空間の中で息づいていることを知る。そして、他のどの地域よりも、蛇が住みやすく、烏が存在感を持っている、この国の不健全さの在り様。その負の原因の影響力は、人知れず外へと広がり、世界を病ませる。本音と建て前を使い分けさせ、内なる差別心を力に変える。そこでの心の無さは、世が、非人間化していく、その形無き原因の力でもある。

その強力な負の影響力の土台となるのが、健全な感性を持つ人であれば誰でも知る、神社であり、神道である。だから、世界の真の平和のために、貧困や紛争の世界に人を関わらせないために、ひとりひとりが自らの中に在る嘘を外す。人間は元来、差別心を持てず、建て前や体裁に思考を働かせることも、良しとはしない。嘘の神々(神社)に関われば、それ自体が非人間性の証となり、そこに在る重たい原因は、人としての正しさを壊して、心ある風景の原因を力無いものにしてしまう。責任ある原因をそのままに、生命としての人間を生きる時、鳥居をくぐっている時間は無い。

5/12

5.そんな本来の風景の訪れを何より恐れる、心を持たない存在たちは、不穏な世でのみ生きられる自らの本性を上手く処理することが出来なくなり、次第に、転生へのサイクルが外れ、形を持てなくなっていく。(もちろん、そこからまた別次のEWが始まるのだが…)そして、彼らのその全ての負の燃料源でい続けた存在も、この地球時間との繋がりを維持することも難しくなり、かの2人関わりの世界からも、徐々に、その力を引き始める。

この今に至る、この国の歴史ビルが崩れることで、何もかもが、ずっと前からそうであったかのように、時代は、心優しい人たちの想いがそのまま具現化される、自然で柔らかな真の普通を歴史とする。地球仕様で仕組まれた闇化(無生命化)へのプロセスも、地球と太陽(との関わり)に近づき過ぎたことが予期せぬ災いとなり、その全てを無くす。その原因がここに在り、そうである時のためのEWが、段階的に、この歴史の芯に乗せてある。この時を、未来に活かす。

5/11

4.人々の生きる原因が本来となり、心ある普通の人たちがありのままに想いを表現するようになると、空気は、優しく爽やかになり、空間は、滑らかに流れて行く。鳥居は、その存在意義を無くし、次なる未来の風景から姿を消す。神社は、太陽の光を浴びて、争いと不健全さの原因を維持できなくなる。そして、人の暮らしと男女の様(関係性)は、自然界のそれと融合し、環境は、蛇や烏(の獰猛な意思)が自ら引いてしまう程の、平和と健康を普通とする。

鳥居や社が人の視界から姿を消すと、思考より心、形より想いが躍動するので、それまでには無かった面白い風景が現れ出す。太陽の光の地表への届き具合も変わり、風は、健康と安心を、自然界の生命たちの想いと一緒に運んでくれる。土も水も、それを喜び、人間も動物も、争いや衝突とは無縁の優しさの時を(愛情溢れる世界を)共に生きる。海は海らしく、山は山らしく。それらの光景は、豊かで、活き活きとした、平和そのものの姿となる。空も雲も、時の流れも、変わる。

この国が、これまでの歴史で経験し得なかったことを、神社(鳥居)が人の暮らしから無くなることで、普通に、望ましい現実として、人は経験することになる。神社は(神道)は、ありのままの健全さと、何の裏返しでもない平和そのものの世界を、嘘の神々と権力を道具にしつこく抑え込んでいた、生命世界の負の重石。「心の遺伝子」の世界が、人々の中で甦る。

5/11

水(雨水)も土(地下水)も、無生命化の原因であるLEDによって汚染されているので、家の屋根や壁、塀などの材質とその土台は、そこに車や自転車、街灯のLEDライトが当てられることで、確実に変質し、崩れ始めている。(壊れた塀や道路など、各地で見られる)

LED照明が使用される以前には無かった、実に恐ろしい風景。それを無くし、環境を本来の姿にすることなしに、責任ある自分を生きることはあり得ない。

5/07

3.重たさそのものの形ある結果を処理しても(取り除いても)、それまでの負の原因が残ったままでは、何にもならない。もちろん、それであっても、ある種の変化・変革の機会にはなるが、事を同じ場所(結果)へ引き戻そうとする負の力も健在である。まずは、自らの原因を変える。その気もなく形ばかりの重たさを支え、嘘の世界に生きていた自分を知り、そこから離れる。鳥居や社を思考に馴染ませていた分、負の連鎖との絡みは強力である。しめ縄や垂を普通に、蛇や烏を神の使いのように祀る風習に関わっていたとすれば、それらに潜む非道で残酷な原因の意思を、しつこく取り込んでいたことになる。知ることが、そのまま本来の人間を生きる生命としての原因となる時、それは、思考や感情を自由にさせ、経験の記憶を浄化し得る力にもなる。

そんなつもりもなく、心ある素朴な人たちの生きる自由を奪う側で居た時、そんなつもりもないから責任は無い(どうにもならない)という姿勢が少しでもそこに在れば、その人が内に秘める残虐性は、相当なものである。神社(神道)との関わりを普通としていたということ。そこに在る非人間的な原因の蓄積を浄化するためにも、その関わりの意識全てを外す原因の選択から、生き直しをする。原因が変われば、(神道を基とする)負の連鎖も、繋がる場所を無くす。

5/06

2.至るところに鳥居が在る風景を普通に人は永い時を過ごして来ているので、それらが無い状況での、それまでとは違う暮らしは、誰も知らない。人は皆、そうであることをあたり前に、湿った空気も滞った空間も、この国特有の風土として自然に受け入れている。風の流れも、人の動きも、生命本来からは明らかに不自然であるその中で、人は、その全てを自然なこととして、普通に生きている。

不要に否定的な世界と触れないという意味で、知らないことは、時に、望ましい力となるが、それが生命を生きる人間本来をテーマとする時、そこでの知るべきことを知らないというのは、実に恐ろしい。無くてもいい経験の中に居ることも、有ってはならない現実を作り出していることも、そうではない世界での普通を知らないと分かり得ることではないが、人としての、心(生命)の意思は、その全てを知る。ただそれが、思考の域に上げられないでいるだけ。それ程、要らない思考を忙しく人は生きているゆえ、知ることの質も内容も、経験枠内のものに収められてしまっている。ここに至るこれまでのこの国の風景は、無くても良かったものばかりである。

5/06

頭を使って書くことを知らないムーの文章は、文章になろうとする世界(次元)の原因の意思がムーの頭を使い、形になる。思考レベルの域を遥かに超えてしまっている原因がそこには在るので、原因が嘘の世界の話(文章)や発想、価値観は、考えるまでもなく瞬時に分かる(という意識も要らないが…)。そして、それを(その原因を)処理し、次なる現実創造の原因を変えていく。次の風景のために、未来の地球環境のために、スローペースだけど、確実に、その原因を変化・成長させていく。「歴史の芯」も、そのひとつ。まだまだ続く。いつ終わるかは、終わる時まで分からない。

5/05

1.嘘の神々を基礎とする嘘の教えにすがり、それを心の拠り所に人々が安心して生きるという、世にも珍しく、恐ろしい、この国の普通。考えるまでもなく、それは危ういことで、普通人間は、そうである自分の姿に耐えられなくなる。のはずであるが…。

つまり、この国の人間は、人間ではなくなってしまっているということ。永いこと、そうであることを普通に、偽りの時をみんなで生きて来ているということ。嘘にすがれば、心ある原因は姿を消し、結果のみを生きる、心無い思考があたり前となる。嘘の形(形式)を大事にすれば、感じる想いは力を無くし、見た目だけの表面的な交流を良しとする。

なぜそうであるかの理由は、これまで書いてきているが、それらも、そうではないところへ行こうとする動き無くして、活かされることはない。嘘の世界に居過ぎて、本当の自分がどんなかも分からなくなっている人々。嘘の教え(礼、形)に汚染されて、感じるままを大切にする本来の普通を生きられなくなっている人々。それもこれも、太陽の優しさを招き入れ、心を元気にすれば、夢(嘘)から醒め、そのどれもが砕かれ、風景は変わる。歴史の芯は、そこへと案内する。

5/05

ハトがカラス化する異常は、世も末の動物版と言える。動植物たちは、環境の変化に一早く反応する。それが彼らにとって恐ろしく悪質なものである時、どうにも出来ずに、異常とされる姿を見せる。

カラスは、人間の血を知っている。神社(蛇)もそう。今の状況をどう見るか。LED化は、人の心までが黒くなっていく状況を生み出す力を持つ。あってはならない現実への無感覚は、その人が、人ではないことを意味する。

5/03

7.蛇系の存在たちが、その自覚もなく人の心身(脳)を病ませてしまう理由は、自分たちには無い心を持つ人の純粋な感性によって、自らの本質である不安の塊を刺激されてしまうため。それゆえ、彼らは、そうにはならないよう、元々不安の無い人たちを不安にさせ、安心を得る。その下地づくりに使われる神社と嘘の神々は、彼らの姿であり、罰も祟りも、お祓いも祈祷も、彼らの本性の現れである。

心ある普通の人たちを不安の中で生きさせ、永いこと世を支配してきた彼らであるが、現代、自分たちの(隠し続けていた)本性が丸出しになるという、実に恐ろしく、信じ難い現実を経験する。それは、LED照明への無感覚。人間であれば普通に分かるその危うさに、何の違和感も覚えられない姿を通して、彼らは、自らの本性をさらけ出す。動植物たちの生きる力を潰し、人の世を非生命化させようとする意思をその原因に備えるLED照明。それは、それに無感覚でいられる彼ら自身の姿であり、手段である。LED照明は、歴史ビル2階での病みをルーツとする、非人間的な(凶悪で残酷な)本性の遺伝子を持つ人の姿を容易に顕にする。

 

8.嘘の神々繋がりの神社(神道)を離れ、食を本来に、そしてLED照明のある空間を外す。その気もなく感性を鈍くさせられてしまっていた人は、そのことで、徐々に本来を取り戻す。何気ない違和感は、健全さのそれとなり、生活スタイルも、心身の状態も、人間らしくなる。

蛇と同質の本性を潜める存在によって、人の脳は、簡単に蛇化する。そして、神社との関わりを通して、蛇系の価値観や感覚、食生活は普通となる。それが、心の意思とは異なる不本意なものである時、心身は、内側から病み続け、それに無自覚のまま、生命力は無くなる。ムリ・ムラを生じさせていても、それに気づけず、気力・体力を消耗させる。

蛇系の中に居ても、何事もなく何でも出来て、あたり前に元気でいられる人は、生まれ変わるかのごとく、完全なる生き直しをする。その危うい無意識の意思と本性は、人間本来から著しくかけ離れてしまっているゆえ、その意識もなく心ある人の心身を重くさせる自らのその負の影響力を、出来る限り無くす。精白されたお米やパン(うどん、餅、パスタ)を常食にしている場合ではない。

残忍で凶悪な性質を秘める蛇系の存在たちは、多くの人が神社関わりから自由になることで、その姿(正体)は際立つようになる。惨たらしい世界の象徴である、しめ縄や垂、鳥居などから人々が離れることで、その醜い原因をしつこく潜める彼らの言動(素行)はオカシクなる。そして、人の世は、次第に普通の人たちの住みやすいところとなり、不安の原因とは縁遠い、優しさそのものの風景が普通となる。

蛇系の在り様を余裕で知り、観察するということ。それは、人間が、人間らしい生命を生きる際の、その新たな原因の礎となる。いつまでもそのままであってはならないことは、今直ぐにでもそれを変えるべく原因を自らが選択することから、その動きが始まる。LED照明に平気でいられる自分に平気でいる場合ではない。人間は、頭を自由に使えない(洗脳されたままでいられる)操り人形でも、置き物でもないのだから。

5/03

いつのまにか、「LEDの影響」の映像も、「5」に入る。そこに在る類の風景は、これから各地で増えていくと思う。日蓮も親鸞もしっかりと守り通した病み化(LED化)の原因は、嘘神パワーの神社の下支えもあり、その広がりは強力である。そして、雨(水)はLED水となって、山は崩れ、海は滅んでいく。

この国の無責任度は、桁外れである。なぜ、LED照明を放って置けるのか?それへの無感覚振りは、自然界にとって、地殻変動級の大罪である。(結局、この国には、人間らしい人間が居ないということか…)

5/02

4.人間という動物が、人としての生を生きる上で欠かせないのが食物であるが、非人間的な感情を潜める蛇系の存在たちは、当然と言えば当然なのだろうが、体の中で健康・健全の原因の仕事をする食物を好まない(摂らなくても平気である)。その明らかに異常な状態も、彼らにとっては普通であり、細胞が辛くなるはずの電子レンジで調理したものまで、そこでは常食になってしまう。

新鮮な生野菜や果物を食べなくても平気でいられる彼らは、白砂糖を多量に含む食物を喜んで食べる。栄養素が抜き取られた穀物類(白米、白いパンやうどんetc.)の摂取も常とし、肉料理や(酸化した)油もの、アミノ酸系食物も、頻繁に美味しく食べる。酵素やミネラル等を必要としないその身体(の原因)は、まさに蛇である。腐敗型の食物(燃料)によって活動する彼らの脳は、働いた分、普通の人の健全さを壊す。その姿は、恐ろしき怪奇現象と言える。

 

5.欲する食環境や食の内容を通して、その人の蛇化の度合いが分かり出す。第4節の内容を参考に、蛇系とは異なる、細胞が喜ぶ食物の摂取を心がけてみる。どうにも出来ずにやむ無くそうであった場合(蛇系の負の原因が染み込んでしまった場合)、心身の様々な浮き上がりや反動の時を経て、少しずつ、人間本来の食習慣へと変わっていく。もちろん神社(神道)関わりから完全に自由になることは基本だが、食が人間らしく健全になることで、感性も健全へと向かい、自らの中の無くてもいい性質の原因が動き出す。そして、それまでには無かった違和感を通して、蛇そのものである存在との密な融合からも離れることになる。

体に良くないものを作り、それを多くの人に摂らせて人々の脳をオカシクさせようとする、蛇系の意思そのものの食品の製造元。その存在自体が病み世の象徴でもあるゆえ、知ることを次なる原因の力に、生命としての在るべき姿を表現する。食の健全化は、時間がかかるようでも、何よりも先に選択・実践することである。

 

6.固めた嘘の原因を形ある結果としての正しさにすり(塗り)替えるのが上手い、蛇系の存在たちは、易(占い)や祈祷(お札)が妙に好きである。ご利益心の裏には、差別心があり、依存心は、無責任が支える。彼らは、なぜそうであるか(他に頼るか)の原因には見向きもせず、満足させてくれる結果を求め、身勝手に振る舞い、さまよう。その重たい原因が具体化されようとする時、そこから離れている柔らかな原因は、押し潰されてしまう。

心を持たない蛇系の存在たちは、形式的な礼が好きである。心が無いから、その分それで心ある振りを磨き、心ある素朴な人の素直さを、本性のままに利用する。形(見た目)のみで通用させる低次の礼から自由になると、彼らの、その原因の醜さ(心の無さの酷さ)が伝わり出す。蛇と烏の絡む、嘘の神々の凶悪な世界。形式と脅し以外何も無い神社は、易(占い)やお守り(お札)、礼(儀式)を道具に、人の世を蛇(烏)の遊び場にする。

5/01

玄米もちと蕎麦がきを、羅臼昆布のだし汁の中に他のいろいろと一緒に入れて食べると、それだけで、ホワ〜ンとする。全粒粉のマカロニなどを入れるのもいい。

こうでなければ…から自由になると、食べることの楽しさが、ぐんぐん増す。そういや、子供の時から好きな食べ物って、みんなスプーンかフォークで食べるもの。箸の世界の中身に反応していたのだろうか…。玄米チャーハンと全粒粉パスタとパンケーキを食べ続けていたら、いつのまにか、心身は子供心のようになっている。

5/01

2017

1.どうにも出来なくなっている状態の原因を段階的に確実に浄化し、それによって、その原因となる存在たちが逆にどうにも出来なくなる状態を経験せざるを得なくなる時を創り出す。かの女性を仮の姿とする、闇の力そのもののその本体となる生命(生体)は、これまでの全ての時の負の経験の蓄積を崩されることになり、この地球の時を通して力を無くすという、あり得ないはずのことを経験する。

それが、可能となるのも、これまでの歴史的負の原因(の世界)とは離れたところでの、人がずっと経験し得なかった本来の普通という名の別次の原因が、この上なく躍動的であるから。その原因は、動きの無い結果の世界と融合することはなく、形から始まる流れない感情とも無縁である。自然界の自然な変化に支えられるそれは、世の不自然な現実のその不穏な原因を、どこまでも深く、確実に浄化し得る性質そのものであるゆえ、これまでのように、これからも、ただありのままに、そのままでいる。

 

2.生命としての成長・進化を拒み、生来の獰猛な本性と狡猾さで、停滞と破滅であるその本質を上手く操り、見えにくくさせている蛇系の存在は、生命たちの活動源である太陽の光を嫌う。しかしそれは、人間として余りに不自然な様であるゆえ、心を持たない彼らは、その姿が人の違和感にならないよう、太陽を頭で扱い、頭で処理する。

太陽の光を浴びないでいられる(浴びられない)空間や環境での過ごし方(仕事、レジャーetc.)は、蛇系の存在たちが何より好み、多くの人がそうであるよう、そのための材料づくりにも、彼らは長ける。蛇系の存在たちの住み処である神社が太陽の光を遮るようにして造られていることは周知の事実であるが、ビルの屋上に設置される鳥居(社)も、質は同じである。心ある人の健全な活動を封じ込めようとするその空間は、狡賢く利を生み出すために、みんなにとっての自然な変化を止める仕事をし続ける。太陽を避けて生きようとする(蛇のような)彼らにとって、鳥居は、その非人間性の拠り所となる。

 

3.心ある柔らかな人たちの、理由の分からない辛さや不調の原因には、危うい本性を隠し持つ蛇系の存在たちの、その無意識の意思が深くに関わっているのだが、彼らのその負の原因となる非人間的な燃料が神社から供給されていることを考えれば、その世界全般から離れ、自由でいることが重要なのは言うまでもない。そして、素朴で純粋な想いをより確かなものにするために、蛇系の人間とは距離を置く。神社(神道)への意識を通して、そのための機会は、さりげなく創られていく。

そんな風にして、嘘の原因そのものを生きる蛇系の存在たちの在り様を把握することは、人が人として生きる上で、とても大切なことである。どうにもならない時を強いられながらも、それに耐え、受容し、切なる想いを繋いで来たこれまで。無くてもいい経験の原因からあたり前に離れていられるよう、蛇系の(蛇と同質の本性を備える)人たちの性分とその在り様を知る。

 

 

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