無有日記

 

8/26

2.数千の生命たちが新たに人間を生き始めたこの島(列島)は、地球がそのために用意してくれたかのように、遥か昔の地球自然界そのままの原因を備える程の生命力を溢れさせる。地球の息吹そのもののようなそれは、多くの火山帯を含み、海に抱かれる。その成り立ちを、海の仲間たちは喜び、自由に訪れ、陸の上で生きる生命たちを応援する。自然が自然に変化していくそこでの姿は、地球の意思をも通す。地球自然界の希望がそこには在る。

海の仲間のくじらは、そこで(陸上で)生じるそれまでには無い異変の類は、それがほんの僅かでも瞬時に感知し、その質を修正し得る原因を、人間の感覚に重ね合わせるようにして供給し、彼らを後方で支援する。人間たちも、自らの生命の意思表現にそのことを活かし、海の仲間の普通に支えられながら、自分たちの普通の質を成長させる。くじらにとってのそれは、何でもないあたり前の分(役)。感覚的交流を可能とする存在には、元気一杯に協力し、それを喜ぶ。

この国がくじらに冷たいのは、かつて彼らが純粋な人間たちの生を支えていたそのことに強い嫌悪を抱いた存在たち(の意思)が、人々の意識深くで未だ影響力を持ち得ているから。くじらは、古くから天敵(不吉な海獣)とされ、命を奪われ続ける。この現代、普通に人間であれば、その意識もなく海(地球)を守る彼らを捕獲するなど、決してあり得ない。

8/26

空全体が厚い雲で覆われていても、そこに太陽の光が在れば、それを阻もうとする世界の力に自然界は負けてはいないということ。酷くじめじめとした時であっても、太陽の元気は、そんな風にして、永いこと地に染み込み、岩に隠れていたそれらの原因を浮き上がらせているということ。

病みの土台は、何億年も昔からだから、その浄化には、どれだけかかってもいい。但し、時間のかけ方は違えてはならない。LED照明がそのままだと、地球は、およそ8億年前の火星のような経験をする(←太陽時間の原因の次元から)。だからこうして、地球が喜び、太陽が安心する原因の分母を増大させている。時間はいくらかかってもいいけど、コースは、少しもズレの無い地球自然界の本来である。

8/25

縄文土器類の姿を見ると分かるのは、数万年前の気候は、湿度も無く爽やかな日々が普通で、雨も優しく、いつも自然のままの穏やかな風景が在ったということ。

そんな時の太陽は、粘土(と乾燥した植物)で出来た土器を、数日で頑丈なものにする。蛇系がそれを(その気候を)嫌がる弥生時代以降と違って、そこでは、土も水も光も、人間たちの想いに応える。

蛇が住みにくい風土のその原因を皆が生き、自然界を停滞させる(生命本来が押さえ込まれる)神社や鳥居(and LED照明)の負の土台(原因)が崩れれば、この国の風は、あっという間に西海岸(and ハワイ)のそれになる。待ってられないけど…。

8/25

1.地球の健気な姿を応援する太陽と、そのことを観ていた、生命源からなる意思。太陽は、地球の不自然さを彼に伝え、彼は、地球に、形を持ち得る生命体を送り、それに応える。地球では、海の仲間がそれを見守り、生命たちの歩みを支える。

地上で始まった、彼ら生命たちの人間時間。その姿を自分のことのように感じていた海の仲間(くじら)は、それまでの地球の哀しみをよく知っていたので、いつも彼らに意識を向け、励まし、そうであることの全ての必要性の中に在る厳しさを、内なる世界から和らげる。彼らが身体を終える度に、太陽の光を存分に浴びれる安息の時をつくり出し、再び身体となるその時に、ぎりぎりまで一緒に付き添う。海の仲間は皆、生きる原因を大きなひとつに、地球のために生き始めた生命たちのために出来ることをする。

数限り無く時代を重ねつつ、人間の形を通して為し得る全てのことを生命たちがやり終えた時、くじらは、彼らの生命の核(全体の意思)を自分たちの次元に招き、地球時間を安心して漂える場所を差し出す。それまでの経験の記憶(の原因)をそのままに人間を離れた生命たちは、海の中で、地球そのものを生きる仲間に身(形無きひとつの意思)を預け、時の流れへの対応を任せる。500万年程前の人間再開の時、そのために最適なこの場所を選んでくれたのは、くじら。海の仲間は、今も、あの頃のままである。

8/25

事実として記録されてなければ、そこに在っても(在ったとされても)無かったこととして扱われる、思考の世界。記録が不可能な時代のことについては、権威ある推測や力による価値認識に委ねられる、知識の世界。それらの形から始まり、形で終わる、結果型の理解は、変化の本質を遠ざけ、原因の力を退ける。そのために繰り返される、不安と衝突。それらの負の現実から自由になろうとはしない生は、かつて地球自然界が経験した、無くてもいいはずのその(不安、衝突の)原因には、決して触れない。太陽に生かされ、地球に生きていながら、地球や太陽のかつての不自然な経験の記憶(原因)には、近づこうとはしない。その限界を設けた人間の感性自体が、一生命としての嘘の姿である。

8/24

7.時代環境と地球の意思の浸透具合に合わせて、人間の前段階のような姿を持つ身体を自らとして、永くを生きた生命たち。脳が為し得ることの次元がかなり未熟であっても、全くそれは問題ではなく、いつの時も彼らは生命の意思に主導権を握らせ、研ぎ澄まされた感覚を重ね合わせながら、必要とすべきことを淡々とこなす。どこに、どんな風に居ても、互いの想いは呼応し合い、どんな時でも、不安は知らない。あらゆることが原始(未開)のそれであっても、それが全てであり、そうではないことはどこにも無いから、ただ地球と共に、生命を生きる。

数千の生命たちが地上での経験を一旦離れた数千万年前、その時地球には、姿形は同じでも、肉食動物(恐竜)とその質を同じくさせたような野蛮な存在たちが居て、その後の数百、数千万年という厳しい時を生き存えた彼らの姿が、後の、猿人や原人(旧人)と言われる人間へと繋がる。

そこには、非生命的な時代環境を基とする歪な生のルーツが在るために、やむを得ないことでもあるのだが、人類は、非地球感覚を磨き、地球自然界における生の在り様を無視して、不自然に成長・進化を遂げてきたということが分かる。植物食を普通とはしないその生は、植物によって成り立つ動物たちの世界を停滞させる。

肉食恐竜が出現する理由(原因)にこの地球が侵されてなければ存在することも無かった、進化という概念。地球(植物)に生かされ、地球(土)に還る生の基本形がそのままであれば、地上で生きる動物たちは(人間も含め)皆、変化し続ける平和と安心しか知らない。

 

8.始まりが健全であれば、広がる風景も健全で、その原因が平和であれば、人は、そうではない世界を知らないで生きる。そこでは、あらゆるものが今とは異なり、思考は力を持てない。争いや不公正はどこにも無く、他を隔てる感情も、不安感も、経験の外側。変化・成長する場所は、事の手前の(現実を生み出す)形無き原因だから、頭を忙しくさせる問題事も生まれない。

人間が、この地球に生きる一生命としての分を生きる時、それらのことは皆常識的事実となる。誰もが皆普通にそうであり、その普通を共とすることが、そのまま人生の喜びとなる。その普通しか知らない、この現代に生きる、数千の生命たち。彼らは、どの時代に生を持っても、地球の望みに想い(原因)を重ねて、生命を生きる。地球に、人間として生きていれば、それは当然のこと。それ以外の生き方は出来ない。

彼らのこの地での経験の普通は、そうではない他地域の異常さを支えるその形無き存在たちの意思の反発を招く。しかし、それは分かっていたこと。砂地が変異を生じさせられようとしても、太陽の協力でどうにかそれを退け、それでもやむ無く進行してしまうその微妙な変化を体感の域に収めつつ、いつものように普通を生きる。その経験の記憶は、地球の財産となる貴い原因として、今もここに在る。

8/23

ギラギラした光が、それまでのしつこい負荷が外れて、キラキラした光になっている。この夏にしか出来ない仕事をし続ける太陽。その姿は、確実にこれまでの時から自由になる流れに乗り、同じ繰り返しのそれではない光の世界を生み出そうとしている。

太陽の元気は、停滞を好む存在を不安定にさせ、空の青さは、不安を材料とする世界を遠ざける。そんなだから、いろいろある。そのいろいろも全て、次なる時の確かな原因の中に溶け、次第に時代の色は変わる。太陽が元気になると、夜の空も違ってくる。

8/23

5.その原因を処理し、地球を地球本来へと変えるべく意思を形にする生命たちは、恐竜時代とされる太古の昔、そこに居て、なぜ肉食恐竜(動物)が出現したかのその原因となる事実を、永い時を連ねる中で把握する。その難しさに限界を感じながらも、自然界の切なる望みに支えられて時を活かし、直感を重ねて、その意思を貫く。

その始まりは、土質の変異、そして植物の変質。動物に食べてもらうことで自らの分を生きる植物と、植物を食べて(植物の栄養となる)土に還る動物との調和ある関係性は、土が本来の仕事が出来なくなることで、崩れ出す。毒性を持たされた木の実は、徐々にそれを食べる動物たちの脳をおかしくさせ、水も少しずつ不健全さを帯びて、生命のサイクルを乱す。そして、数万、数十(数百)万年と時が経つ中で、土に還らない肉食動物(恐竜)が出現し、地球自然界の生命たちの在り方は、大きくその質を低下させる。

その原因のところに、この地球には無いはずの不自然・不調和そのものの別次の意思が存在することを、時間をかけてどうにか見出した生命たち。しかし、それへの具体的な対処はどこにも無く、それが可能となる時の訪れを待つことにし、その時代時代での異変とその背景となる事実をしっかりと記憶に収めて、人間時間の次元を終わりにする。地球は、その時を待っていたかのように、より密度濃く変動を生じさせ、活動的になる。そして、次なる時の始まりの準備を、太陽と共に行う。

 

6.数千万年という地球時間を経て、再び人間時間を始めた生命たち。そのための場所としてこの地を選んだことの重要さを、太陽は知り、地球もそうであることを願う。太陽が安心する、その地形と気候。地球が希望を託すことの出来る、以前からそこに居る素朴な生き物たち。それらの要素を基に、彼らは、生命としての普通の質を力強く安定させ、何も無くても全てが有る、調和と健康そのものの営みを続ける。ずっと連れ添っていた海の仲間が、そこへと案内する。

彼らの仕事は、地球が全く病んでいなかった太古の時代の頃からのありのままの変化・成長を、生き物たちと共に具現化すること。そして、それがそうではなくさせられてしまうであろう時を迎え、その全てを受け止め、地球の他の地域が何千万年(何億年)も前から病み続けてしまっているその原因を、処理・浄化すること。そして更に、その時を経て、争いや不調和を知らない地球本来の自然界へと、その原因を強めていくこと。どんなに時間がかかろうとも(時代が連ねられても)、それが始まったことを、地球は嬉しい。

動物らしくない動物(肉食動物)が出現する下地を一切持たないこの地で、人々は、それしか知らない平和と健康の原因を、そうである意識もなくあたり前に高め、拡大させていく。そして、何万年も、何十万年もその生を続ける中、次第にそれは、そうではない周りの地域から違和感として感得されるようになり、争いや不安定を当然とする世界(次元)の中心が動き出す。

8/22

4.地球は、自分の中で生きる生命たちが苦しむことは望まない。その事実がどこかに在るとすれば、それを放って置くことはせず、そのための原因を常に生み出し、太陽もそれに協力する。生命たちは、その地球の望みに生かされ、力強く柔軟に生きることで、その想いに応える。ムリなく自然に生きられる場所を選びつつ、生きる姿勢を健全に、命を繋ぐ。自然界の変化に自らも参加し、不安も怖れも知らないありのままの受容と、生き続ける自由と責任を、無意識のところから育み、成長させる。

その全てを支える地球の意思を感じれば、凶暴さを備える動物は、元々どこにも居なかったことを知る。肉食動物もそう。それらの存在は、地球の悲しみであり、無くてもいい経験である。そうであることのその元の原因が、地球の処理能力(自浄力)の次元を超える程のものであるための、その世界。自然界に生きる生命たちは、その無くてもいいはずの負の連鎖に抗えないまま、生命本来が外された生を繋ぎ、生きることになる。結果凶暴さを備えて生きる動物たちも、そうではない自分の姿を失くし、それしかない生を生きる。

ひとつの生命体として、太陽の元で生きる地球。そこで生きる暴力的な動物の存在は、生かし生かされる生命本来から大きくかけ離れ、太陽との自然な関係性まで不安定にする。その果てに、やむ無くその修復(リセット)の時を創り出す、地球と太陽。それでも、それまでの負の原因は消滅せず、地球の悲しみは続く。

8/22

歴史的な事実の中には、ほんの少しも真実は無く、それは、その事実を生み出した存在たちの、その精神性と人としての在り方のその基となる(人間観、人生観の)原因の中に在る。

そこに嘘の原因が在れば、形ある事実(歴史)は、全て無くても良かったもの。嘘の神々絡みの事実は、その典型で、人の精神はどこまでも非人間性のそれであったことを現す。

その中身の無い停滞感は、嘘の原因しか生きられない存在たちによって、今尚支え続けられている。数千年分の歴史の真は、「仏陀の心」で充分である。

8/21

3.その多くは、目が異常に大きく、開くのもまれで、口には生まれながらに牙のようなものがある。手足は極端に太く、短いため、歩くことも出来ず、地を這うだけ。体には(薄黒い)うろこのようなものがあり、指や頭の形も人間のそれではなく、その殆どが数年以内に命を無くす。それらは、多種多様な奇形の姿を持つ、幼子たち。人間の脳を牛耳るために、その原因の次元に入り込もうとする、その姿無き意思の試みは、蛇の時のようには上手く行かず、何度もおかしな状態(身体)を経験する。

生まれてくる幼子の姿がどんなであれ、それらは皆、人間たちにとっての大切な命。彼らは、いつ終わるかも分からないその異変に深い悲しみを覚えながら、決して有ってはならないはずのその姿を形(土偶)として残し、未来に、その原因への浄化を託す。この地球での人間の歴史において、この時ほどの苦しみの原因は無い。それでも、生き続けるために、彼らは生きる。

蛇の脳を操りつつ凶悪な感情を次々と形にしていった存在の意思は、人間たちが奇形を前に苦しむその姿を笑い、思い通りにならない自分たちの様を悔しがる。そんな中、突然変異級の負の奇跡が形になる。時を経て、次第に蛇化する(蛇と同調させられる)人間の体内で、人間の形をした、本質が全く人間ではない体が育まれ、普通の幼子として誕生する。人間と人間とが獣のように争い(殺し)合うという、人の世ではあり得ないはずの悲劇は、この時の、蛇同然の感情しか持ち合わせない人間の出現による。

(当時の母体の辛さは、酷く厳しいものがあり、痛みを伴いながら目や口が変形したり、体の各所が委縮したり、肥大したりと、異常を極める。その姿も、(その原因を含ませた)土偶として、彼らは残す)

8/21

そこに行けない間は、変われるものは、そこに至る、変化し続ける原因だけだけど、そこに行けたら、それまでそうであった原因の変化が、いくつもの結果(という次なる原因)をさらりと引き寄せ、あり得ない現実が普通に動き出す。そんな時に居る。

行けなかったから、変わらずにずっとそのままであったことが、簡単にそうではなくなる時を以て、そこに行けたことを知らされる。永遠にそのままであったであろうことが、いつのまにかそうではなくなる時(次元)を、みんなで遊ぶ。変化の方からの動きが、これまでになく力強く流れ出している。

8/20

自然界の、そこに在る不安の枷が外れた、17日からの数日間。それだけでも凄いこと。でも経験すれば、それも普通。

光の射した「再生」の原因は、一気に、いくつもの時空を超える。自然界が、そのまま自然なままだった時の記憶を力に、この時の変化を押し上げる。それは、生命(人間)たちに託された、ゴーサイン。

8/20

2.生育本来の原因を潰され、処理し切れない傷を負わされても、それでも地上で生きる一生命としての生を生き続けることしか出来なかった、松の木。自然界との自然な融合から切り離されたまま、悲しみの中で生を繋ぐ樹木は、健康でいる普通という次元を遠くに、腐敗型の性質へとその姿を変えていく。

それを喜び、樹木にすり寄るある種の蛇は、そこでの生を愉しみ、負の融合を密に重ねて、その場所の停滞感を増幅させる。それまで経験し得なかった、植物への支配という満足感は、蛇の攻撃的な本性を一層強め、獰猛さを磨く材料となる。そこに、樹木の苦しみの元を生み出した意思は、異常過ぎる異常な働きかけをする。その気もなく、蛇は、その中身を変えていく。

蛇の脳に住み着くようにその原因の動きを支配した意思は、動物であるからこそ可能とする経験を活かし、その具現化された蛇特有の性向から取り込んだ(編み出した)残虐性を、そこに(脳の原因に)染み込ませていく。手足が無いことや体内の働きが独特であることも手伝い、地を這うだけで、その空間の動きが滞りを生む程の影響力を、蛇と一体となって作り出していく。

8/20

意味不明でも、信じ難いことでも、それで何かが変わり、思いがけずそれまでの負荷が外れるような感覚を覚えられたら、それは意味のあること。信じるに値するとかしないとかの思考も不要となり、思考では触れられない別次の理由が、そこで仕事をする。

事が本来をテーマに変化に乗るのなら、そのきっかけは、どんなでもいい。むしろそこでは、分かろうとする姿勢や、分かった気になる経験が、その変化をジャマすることになる。変化は、自然なことだから、その機会は、そのための理由を不要とする、変化そのものが力を手にするような原因の(何でもない)自由な形でいい。

8/19

今あるコンテンツの中では最も古い「LED感染」。3年程前はそれが最新で、それまで在った文章のまとめ役のような仕事を担いつつ、LED化の嘘の原因を形にする。

そして今、多くのそれが仕事を終え、スリムになる。任せられるところは他に任せ、担うべきところはより力強く余裕で担い、新たな変化に、共に乗る。「LED感染」が無かったら、誰もそうとは気づけずにそのままだった、LED照明の危うい世界。その体験的知識と実践が普通の域となった今、それは、これからの新たな時へと、その姿を変える。「LED感染」に乗った原因も成長する。

8/19

1.形を生み出す形無き原因のところから、人としての責任を感じつつ、共に調和ある現実をつくり出すという、人間が人間でいるために普通に大切にされるべき、生きる基本の姿。その普通を基に、人間社会の中に在る様々な価値概念や思考(感情)に支えられた物や形を観察し、そこに在るそれぞれの性質を、分かりやすく無有日記は表現する。普通で、大切なことばかりが、そこには在る。

その無有日記が遠ざけられてしまっているという事実は、(人間らしさを遠くに)形ばかりの人間を生きる人たちの、その原因の無さという力によって社会が動かされていることを意味し、そうであることのその元となる動きの無い結果が無数に積み重ねられて来ていることを伝える。

その揺るぎない負の土台の中には、姿無き存在の意思からなる歪な(蛇の絡む)人間経験の記憶があり、現代の大勢は、その原因と強弱様々に融合する。それは、脳が純粋な人間のそれではないということ。人としての健全な原因が自然に育まれていないということ。無有日記への否定的な姿勢は、そのまま蛇色(非人間性)の濃さを顕にする。

8/18

8.永い年月を経て、この国の人口はかなりの数になる。そこには、作為的で非道な思惑も加わり、その数の力によって、心ある普通の人たちは、いつの時も生きにくさを経験する。

そうであってはならないと分かっていても、どうにもならなかった時を経て、時代は、大きくその質を変え得る時を迎える。その証が、無有日記の存在であり、そこで顕になる歴史の嘘(真の姿)と、地球自然界の負の原因の実際を通して、人は、そうであることを実感する。素朴で柔らかな人たちは、様々な反応を経て、数十、数百万年分深くから浄化され、本来を取り戻す。

数千の生命たちは、この時を以て、地球規模の仕事は一旦完了し、次なる動きは、時代に任せる。そして、軽やかに、滑らかに、地球らしい地球の原因の中で、生命としての人間を存分に楽しむ。共に生きる新しい仲間たちも、次々とそこに集い、時代の好転反応を余裕で眺めながら、新たな時を、地球と一緒に生きる。太陽も、地球の再スタートのこの時に、これまでにない光の力で、地球自然界の生命たちを応援する。みんなで、「再生」の時を分かち合う。

8/18

およそ5億年前の地球の姿を想うとどこかが楽になるのは、その頃より前の地球時間が、その後のそれとは全く次元が違っているから。それまでは、地球が嬉しい普通の生命だけ。その後は、生の下地が狂わされたことによる(本来が外れた)不自然な生き物ばかり。普通感覚を普通に持ち合わせる人たちのその生命の意思のルーツとなる、およそ5億年前よりも前の地球(生命体)。それを大事にする。その意味が少しずつ分かり出す。(ん?)

8/17

7.蛇の脳を経て、人間の脳の持ち主となった、非生命的な意思は、腐敗と停滞を基本とする本性のままに人間を生き、数を増やすことで力を強めるという、それまでの人の世には無かった、質の伴わない(変化・成長とは無縁の)人間世界を作り上げていく。当然そこには、物事の原因に反応する感性や心というものは無く、それゆえ、狡さと残忍さをあたり前とする非人間的な感情と行為が繰り広げられることになる。

人間の歴史が支配と迫害(差別)を当然のこととして生み出されて来たのも、その原因には、土器や土偶関わりの出来事があり、本性が野蛮そのものの心を持たない人間が、その蛇絡みの生を元に、他を(心を持つ人を)隔てつつ増えたからである。

そのことを伝えるために、数万年も前から、生命たちは、土器作りを実践し、後の世で発見されても、それが壊されないよう実(蛇)を隠し、心ある人の感覚的理解と反応に、その原因のところから働きかける。その真剣さと、生命としてのさりげない覚悟が、ここに繋がる。

負の歴史のその始まりの原因が具体化した、蛇が異様に力を付けたかつての時代。そう簡単ではないその本質(正体)への対処を、生命たちは、この現代と協力して行う。この今、彼らはここに居て、ひとつひとつの形ある負の現実から、形無き不要なその原因を確実に浄化していく。

8/17

原因の世界に普通に居るというのは、この世のあらゆる価値観のその原因(本質)を余裕で観察し得るところにあたり前に居るということ。そうであり続けられるというのは、それしか知らない次元での生命本来の姿(意思)をその気も無く表現し得るところに居るということ。「再生」は、その一つ。「仏陀の心」は、実に易しい原因の世界の観察。

何かの世界を、何も無いところから形(文章)にすれば、自ずと、何もせずにその何かの原因を変え得る力が動き出す。その変化の流れに乗る。

8/16

6.時代環境を不自然に変えられつつ永い時が過ぎ、人の住む世も、重く流れないものへとその質を慢性化させていく中、凶悪な意思を秘める蛇の動きは、より活動的になる。彼らは、人間たちが持つ力を完全に押さえ込むには、蛇のままではどうにもならないことを感じ取り、人間の脳と繋がり、自らが主導する人間となることを企てる。その時、転生を連ねながらも、生命本来を馴染ませ、共に生きる人間として数千の生命たちとは別に(別路線で)彼らの仲間となった人たちが、その隙を突かれ、そのために利用される。人は皆、それに巻き込まれ、密に関わりを持たされて、辛く苦しい時を生きる。蛇から人間への移り身を成し遂げようとする姿は、実に凄まじい。

数千の生命たちは、蛇の動きが異常な様を見せ出した辺りから、脳の不自由さを覚えながらも、未来へとその痕跡を残し、改めてその原因への対処がそこで為されるであろう期待を込めて、他の仲間たちと、蛇へと繋がる土器(縄文土器)を作り続ける。人間の姿への移行を試みる蛇の、その完璧なものには成り得ない不完全な姿(奇形の幼児、母体の異常)も土偶として残し、そこに在る、異常な世界と繋がる負の要素を、未来に届ける。地球本来をテーマにそれが活用され得る原因もそれに乗せ、仲間と共に再びその世界に触れることを、彼らは約束する。

8/15

5.居る場所から動くことのない樹木(松etc.)から、動物(蛇)へと、その非生命的な意思が移行した時、地上は、どんより重苦しい空気で覆われ、自然界は落ち着かず、人間も、妙な負荷を覚えるようになる。動物たちは、それまで出会したことのない酷く獰猛な感情を持つ蛇の出現に緊張し、要らぬ不安定感の中、生きる自由の質を低下させていく。生き物たちの環境は、次第に蛇の影響下のものとなる。

人間たちが備えるその健全・健康の原因を破壊するために、蛇の脳と一体化した姿無き存在の意思は、狂暴な性質を強めながら、人の住む世界に近寄り、彼らを傷つけ(襲い)、その細胞の質を取り込み、人間の健康的な普通を崩していく。しかしながら、その意思表現の具体化は、人間たちにとっては、より深くその原因へと入って行ける機会となるもの。それと繋がる元の次元の本質とその意図は、直接的な蛇のその動きにより、彼らの体感するところとなる。

砂地から樹木へ、樹木から蛇へのその意思の移行は、その全てが余りに不可思議な異次世界でのことであるゆえ、それは、後の世での、「動植物や人間の姿とはそういうもの…」という、作られた常識(嘘)の土台となる。それは、限り無く真の外れた生を、自然界の生命たち全てが経験しているということ。もちろん現代も、その上に在る。

8/14

4.数億年前に存在した恐竜。彼らは、他の星ではないこの地球での生を経験した生命たち。私たちは今、彼らが生きた同じこの地球で、彼らと同じように地上(地面)で生きている。生命のルーツは、当然恐竜時代の生き物たちに辿り着き、更にその先へとそれは続いていく。彼らの異変は、この現代に、その負の原因を残す。

数千の生命たちは、時代環境に応じた生の形に適応させつつ、人間という姿のその原始の形を生き、数千万年前に、地上での経験を離れる。そして、海の仲間に生命の意思を預け、そのまま地球時間の流れに漂いながら、永い時を軽く突き抜けて、この地で生を始める。

遥か昔も、遠い昔も、生きる基本は同じ。数十万年前も、数万年前も、地球自然界が太陽(地球)の意思からズレてしまっているそのことをあらゆるところ(次元)から眺め、その原因へと入って行く。そこに在る、動植物たちの成長・進化の歪みと、彼らの本能の不自然さ。その原因を浄化し、全てを本来へと戻すために、どんな負の原因をも上回る健全な原因で、歩みを止めずに、変化の質を成長させる。それは、現代でも同じ。そして、この現代だからこそより原因の質を高め得ることの重要さを、彼らは知る。

8/13

一生命としての人間の成長というのは、そのまま原因の成長を意味し、それは、永遠に続く。人としての在り様は、その一部で、それゆえ、どんな性質の期間限定の価値観も単なる必要性のそれとしてあり、そこでのさりげなく真剣な受容が、確かな連繋の原因へとその姿を変える。

その中に居ると、人は、唯一変化し続ける原因(の質)の成長だけが、生きる上で大切にすべきもので、他は無いと知る。有っても、無く、無いけど、有るということ。一生命として、それは当然の理解となる。

それを、普通自然体の実践の域で遊ぶ。その意識もなくただあたり前にそうであることで、普通の質を力強い原因の変化に乗せる。その時が、もう始まっている。

8/12

3.砂地が変わり出した時、植物たちが先にそれに反応し、少しずつ動物たちの動きは不自然になる。この時はまだ、体験をそのまま記憶するだけに留まり、なぜそうであるかの原因は、どこまでも意味不明のまま。ただしかし、それが始まったことを、彼らは知る。

決して本来を失わずに居ることで、次なる時への準備をする。違和感を細胞に記憶させつつ抵抗力を付け、自らの原因を力強くする。こんな風にしてかつて不穏な空気が蔓延したそのことの理解と感触を確かな体験的知識とし、その原因に入り込める機会を探る。それは、至極難しい実践となる。

時を経て、樹木の実に少しずつ変異が生じ出した時、その影響を受けやすい種の動物から、無いはずの緊張と不安を抱え込み、連鎖的にその負の原因は広がり出す。そこから逃れ得た動物は、本能にこの時の経験を染み込ませて、身を守る。そうではない動物は、徐々に本来を崩されていく。

人間を生きる生命たちは、この時、遥か昔のかつての経験の記憶の中に、同様の姿が在ることを知る。危険な物質と化したある大木の実を食べたことから、動物が凶暴さを備え、次第に肉食動物(恐竜)へと変わって行ったその姿を、数千万年(数億年)後のこの地で、実際に観察し得るに至る。経験の記憶のその原因を積み重ねるという、永い年月でのその感覚的理解は、彼らの知恵となり、その原因の力を成長させる。

8/12

・くじらがこの地(島々)を好きなのは、数百万年も前から、この地特有のある次元の仕事の意味を知るから。彼らは、それとの融合を重ね、大海を自由に移動しつつ、地球からの生命力を(地球感覚を生きる)全ての生き物たちに注ぐ。

それがなぜ力無いものになってしまったかの原因は、そのままこの現代のLED化の原因と繋がる。それに対応し得る今回限りのチャンスを、ムダには出来ない。くじらの切なさは、地球の一番の悲しみ。

・腐敗物の溜まった場所を好むなんて姿勢は、人前では有ってはならないから、間接的にしつこく腐っていく場所を増やして、それを喜び、満足する。それが、蛇系の存在たちの支える、LED照明の世界。それは、その醜い原因(嘘)に蓋がされたまま上手く進行するはずだったが、そうは行かない(行かせない)地球自然界の意思が、力強く動く。それまで存在しなかった蛇がある場所で誕生した時の、遥か昔のその原因まで入っていく。

8/11

2.身体の次元を一旦離れる前の、それまでの時代に、なぜ肉食動物(恐竜)が誕生したかの理由となる事実を把握した彼ら生命は、その元の原因となる世界にきめ細かく入り込み、それを浄化するためには、再度同質の負(の原因の積み重ね)の経験を持つことが必要であると考える。地球が大きく揺れ動く間を経て、共に人間を再開した時、彼らは、何も無いこの地で、地球自然界の本来をそのままに、調和と健康の原因を限り無く高める。全てが優しさに包まれ、肉食動物も存在しないその柔らかな環境を淡々と繋ぎ、それを放って置くことはしない意思が動き出すその時を待つ。

太陽を知る数千の生命たちは、地球の望みに応えるべく人間の形を選び、地球自然界が経験しなくてもいいはずの哀しみと痛みの原因に対応する。数百、数千万年という地球時間に付き合い、人間経験を繰り返し活かして、確実にその原因を見出し、そしてそれを処理し得る手段を編み出す。太陽と共に、地球と一体となって、そのための生命としての人間時間を生きる。

8/11

・くじら幕という言葉の存在を思うと、くじらが、どれだけ苦しい時を強いられてきたかを感じさせられる。それでも、くじらは、この島々が好きで、遥か昔から、この地を訪れる。一切の争いも不安も知らないその大きな姿に、内なる恐怖心を刺激される、蛇絡みの人間たち。くじらを天敵(災いをもたらす海獣)とする彼らは、その皮膚と脂肪の色を、不吉な事(凶事)の象徴として固定させて、海(地球)を守り続けるその健全な原因(力)を封じ込める。

過去に居続ける知識ではなく、その原因(真の姿)に触れれば、くじらに冷たいこの国の、隠されたその恐ろしさが分かり出す。白と黒が交互に組み合わされた世界に馴染まされた人間の感性は、くじらの自由を奪い続ける。

 

・動物食(肉食)を常とするというのは、腐敗型の原因を力に生きていることを意味し、それゆえ、感情も歪で、自然界の生命たちのことはどうでもいい。彼らは、植物たちが腐らされるLED照明には何の違和感も覚えず、嘘を本当として生きることにも、全く平気である。この国でお肉大好きというその姿は、時代が、地球の望みに応えてやっと表へと浮き上がらせた、地球の異物級の恐ろしい意思である。

8/10

・数億年の時を経て、恐竜時代の生命たちも、この今のEW(の進化)に安心を覚えてくれているかな…と何気に思う。太陽から見た地球時間では、数万(数十万)年があっという間。その中での人間時間という、実に面白く、不思議一杯の創造の世界。だから可能となる、地球にも、太陽にも出来ないことをする。原因の世界(次元)では、繋がり得ないものは無いから、そこから、地球という生命体が不得手とするところに入っていく。

記憶の方から自由に意思表示する、生命としての記憶(生命そのものを生きていた経験)が動き出すと、これまでの思考は全てガラクタになり、気づけば、思考の中身(原因)が、時を超えるぐらいの生命力を持ち得る。そんな時を、さらりと普通感覚で遊ぶ。お腹を下してた恐竜が、元気になって笑い出した。

 

その実、この地球上には、地球が安心を覚える普通自然体の生命体と、そうではない異生体が存在し、その形無き本質が、変化を普通とするか、停滞(腐敗)のままかの違いによって、その生きる原因の力も、生命力と非生命力に分かれる。

つまり、簡単に言えば、生命力の無い食べ物や体の中で腐敗するものを好む存在は、皆後者ということで、その姿は、この現代において、ある理由により、かなり強烈に顕になり出している。全粒穀物食や新鮮な果物を避ける原因(意思)を潜める人間は、自然界の摂理からすれば、転生までが作為的と思ってよい。

8/10

1.人間になり切れてない人間(動物)が僅かに居るだけのこの地で、人間経験をし始めた、生命源からなる意思は、遥か遠い昔に地上に生を持った時と同じ、数千の数で、営みを行う。この地を選んだ理由は、それ以前の数千万年という間に歪な進化を遂げた人間のその脳の影響を、その地形により受けずに済むこと。そして、地球の自浄作用の果てに形づくられたその場所(島)が、地球生命の呼吸口のようにして在り、それを直に感じられること。それにより、変化・成長の基本形は生命本来のそれとなり、身体活動の次元を超えて、どこまでも地球感覚を普通とする生を安定させ得ることになる。

その機会を生み出したのは、ずっとそのままのくじら。彼の普通によって守られ続けた生命の力は、永い時を経て、人間再開の始まりを迎え、その全てを彼は支える。人間を選ばずして為し得ないこと、人間だからこそ可能とすることの意味の大きさをみんなで確認し、新たな時を創り出す。それは、数百万年も昔のこと。

8/09

雨水のLED汚染濃度が増していることに、これまでの物への染み込みが腐敗型の仕事をしていることも重なって、各地で、これまでより強力に、変色(腐敗)、ひび割れ、破損(陥没)が生み出されている。

とは言っても、蛇と同質の本性を備える嘘の人間は、基本的に、腐敗と堕落が好き。汚れて、醜くなっていく風景に、内心彼らは安心を覚えている。見て見ぬ振りじゃなく、それを見て嬉しい蛇系の人間が、LED照明で、自然界の健全な普通を壊し続ける。

8/08

7.利き手の都合が生まれたのは、より強く、激しく他を攻撃するために、片方だけの筋力を鍛えたことによるもので、否定感情とは無縁の世では、それは無かった。右手が主になったのは、言葉では表し難い次元であるために伝わりにくいが、そこにはある種の感覚が鈍化するに至る、形無き存在の危うい意思が絡んでいる。

それ在りきで繰り返し時を連ねて来ているので、右手主導の利き手を不要にする時を経験することは考えられないが、それでも、その固められた事実に潜む負の原因を力無いものにすることは出来る。左手のEWはそれを可能とし、自由に両手を使っていた、争いも支配も(苦しみも痛みも)無い時代の原因をここに運び入れる。そして、そこからだと違和感でしかない病気の元を崩し、問題事の手前に在る形無き不穏な感情の影響力も無くさせる。

「太陽の音楽」との融合を通して、人や場所のその姿無き原因の性質に敏感になり出した自分がいれば、右手を使わず、左手ひらだけで「太陽の音楽(7〜9)」と「太陽の光の音」を感じてみる。手のひらを立てるのも、体のどこかに手を置くのもOK。右手に特に仕事をさせず、左手だけのEWを変化に乗せる。そして、左足(指)や左手、左向きなどに意識を向け、その時の感覚を楽しんでみる。そのことで始まる新たな時の原因の風は、どこまでも優しい。

 

8.そして、自然界の(LED照明による)悲しみを自分のことのように感じ、それを本来へと戻すべく意思表現を普通とする自分がいれば、太陽の光が今よりもずっと元気だった、数十万(数百万)年前の頃の風景と、そこでの自分を、左手ひらで感じてみる。太陽も地球も、それを嬉しい。

経験から自由でいるというのは、どちらでもあってどちらでもない原因の中に常に自分が居るということ。それは、思考型の(二者択一的な)価値判断を一切寄せ付けず、結果(過去)に居続ける感情にも付き合わない。EW初のスタイルを通して見る、この今ならではの変化の姿は、まさにそれを普通とする自分。その経験は、何も無くても必要なもの全てが有るかつての風景のその原因を、そのままここに通す。触れるもの、行く場所、居る空間のどれもが、自然界が喜ぶ原因のそれになる。

音(音楽)関わりの真の普通を通して本来を取り戻した脳は、ぐんぐんとその普通の質を高め、通常あり得ないであろうことを、楽しみながら表現する。何気に生み出される空間は、平和そのもののそれとなり、そうではない空間を余裕で包み込み浄化しつつ、広がり、伝わり、繋がって行く。そこには、あたり前に健康で健全でいる原因も在る。太陽の光の音との融合が生きる基本となる時を経て、あらゆるものが、生命本来の変化に乗る経験を普通としていく。

太陽の音楽は、太陽が嬉しい音楽。太陽の嬉しさは、地球自然界の安心と平和。そして、そこで生きる生命たちの、自然な姿。

生命たちは、同じ仲間である人間に、切なる想いを託す。これ以上自分たちの本来を抑え込んで欲しくないと…。それは、人間にしか出来ないこと。人間が何よりすべきこと。

「太陽の音楽」に在る、全ての文章とその原因を自分のものにし、真の普通を生きる。そうにはなれない理由に付き合う時間は、どこにも無い。永い時を経てやっと引き寄せられた、一度切りの、生命源からなる原因の時。太陽の光の音と共に、その原因を未来に繋ぐ。

8/08

同じことの繰り返しのようでも、その質が変化に乗っているから、健康も平和も安定する。次々と形を変えても、その質はそれまでのままだから、不安定感は変わらない。

形だけ新たに変えることでそれを変化とする存在たちのその原因の嘘は、狡賢い非人間性の具現と言える。その極みが、多数のその危うい本性を顕にする程の嘘の力が形となった(結集した)、LED照明。形(照明)を極端なまでに変えながらも、その質は、ずっと以前からのお粗末な不安定の原因。ほんの少しもその中身が変化していない嘘の人間によるLED化で、自然界も、人の住環境も、すでに恐ろしい程の異質化(腐敗)を経験している。直ぐにでも完全非LED化へと動き出さないと、この先、この国の地球規模の災いの原因は、恐竜時代のそれを超える。

8/07

4.歴史が刻まれるより前の、病気も争いも無かった時代に生きていた経験を持つ人たちは、動植物たちと同じように、非生命的な原因を潜める人間のその歪な姿に反応する。自然界と共に自然に生きた彼らは、動物と同じように人間という種を健全に育み、想いを融合させて、生かし合う。遠く離れていても、自分のことのようにその人を感じ、どんな時でも、全てであるひとつの人間の時を守り続ける。

その普通が崩れ出した時の経験と、それ以降の重苦しい風景は、誰もが記憶する。人生を連ねても、いつの時も押さえ込まれて尽く壊されてしまう、彼らの切なる望み。非人間性を普通とする人間の数にどうにもならなさを覚えながらも、変わることのないその本質をそのままに生きることを実践する。動植物たちと共に響かせる太陽の光の音は、永遠であるから。

「歴史の芯」の時を経て辿り着いた「太陽の音楽」は、それとの融合を重ねることで、遥か昔の、自然そのものの自然界のその原因をここに運ぶ。そのためのEWを進化させながら、その時の記憶を持つ生命たち全てを元気にし、ここに至る切なる経験のその原因を浄化する。動物も植物も人間も、太陽の光に抱かれる。

 

5.太陽の光の時代、生命たちは、どちらでもあり、どちらでもない中庸の次元に包まれた自然界の中で、共に自らの分を淡々と生きる。人間もその自然界の一部。一生命としての人間時間を、他の生命たちと共に、心温かに、健康そのものを生きる。

病気や問題事の存在を前提としたこの時代に、かつての太陽の光の風(原因)を誘い込むことは、常識では考えられない。でも、それらの困ったことが何一つ無かったその時代の人間の脳と今のそれとの間に、違いは無い。「太陽の音楽」が案内する、その頃の経験の(記憶の)原因との融合。ムリなくそうである人の脳の変化により、病気や問題事の背景(理由)と少しも触れることのない新たな原因が創られる。その時が、ここに在り、そのためのこれまでが、これからと繋がる。人間のあるべき在り様が、その基本から生まれ変わる。

その機会の中では、どんな厳しさも、喜びでしかない。自然界が安堵し、地球が喜ぶ、人間本来の生の姿。ずっとこの時を待ち望んでいた生命たちは、自分たちと時を重ね合う人間の、その歩みを、殊の外嬉しい。これまでと全く次元が違うようでも、これまでのどの時も心ある人の中に在った、その変化の原因。動き出し、流れ始めたら、その原因は、どこまでも普通に具現化される。

 

6.ここに至る無くてもいい経験の中で脳に染み込ませてしまったもの全てから自由になることで、かつての太陽の光の(音の)時代のその原因と繋がることは出来るが、その状態を普通とするのは、この現代に生きる人間にとって、限り無く難しい。それでもそうあるべきところへ行くことは不可欠で、心ある人は皆、その大元となる原因を内に潜める。無有日記との縁は、そのためでもある。

これまでの経験による思考や無意識の影響力がどんなであれ、少しでもそこへと変化に乗り、確実にそうである自分を重ねていくために、ある手法に事の流れを重ねてみる。それは余りに意外で、物足りないものかもしれないが、自らの本質となる部分を見つめることと、生命としての責任感覚を高める必要性がそこでは大切な要素となるので、そのことの難しさや厳しさを通して、自ずと原因の質は変わっていく。そして、同時進行で、それは自然界が喜び、安心する動きをする。「人間」と「仏陀の心」も、ごく普通の理解としてその材料となる。

その手法(行為、動作)については、これまでにも、左手で食事をしたり、左手で物を扱ったり、動かしたりと、それ関わりのものを様々に実践してきている。そう、それは、左手を活躍させることである。その左手を更なるEWに活かし、その普通を成長させる。

8/06

言葉の無い世界に入り込んだとしたら、どんな感じの時を生きることになるのだろうか?これって、実に面白い原因が具現化する試み。思考を使ってないと心ある振りも出来ない心無い人は、動きが止まる。心ある普通の人は、その心に地球感覚の生命力を通し、どこまでも自由になる。

元々、人間の世界には無かった、頭だけで作られる言葉。その言葉が力となって悪さをする、低次のままのおかしな人間世界。思考(言葉)を外せば、言葉にならない想いそのものの言葉だけになる。言葉で想いを伝えるのではなく、想いがそのまま言葉になる。そうなれば、本音と建て前を使い分けることも、体裁を整える(繕う)ことも出来なくなり、自然界との融合を普通とする、普通の平穏があたり前になる。(それを嫌う嘘の人間は力を無くす)その原因の動きは、ずっと前から始まっている。

8/06

1.動物たちは皆、それぞれに同種の仲間たちと同質の生の営みを共有し、互いに自分たち特有の個性を同調させながら、感情(心)を響かせ、望みを重ね合わせつつ、自然界の中での自らの分をありのままに生きる。植物も、その生態は違えても基本は同じ。どこに居ても、同種間との繋がりを元に、ただ生きることを理由にそのままを生き、それぞれが、一生命としての個性ある分を実践する。

同種の繋がりは、動物も植物も、何の理由も無くあたり前に大切にされ、他のそれとの自然な融合と、互いの在り様への尊重がその基本となる。そこに微生物の次元が生の潤滑に加わり、水や空気が、その全てを生かす。それらに守られている立場の動植物たちは、そのことを本能的に知るゆえ、自然界の中では皆、全てであるひとつの真の在り様を支え合う。

 

2.自然界のその自然な姿を守ることを生きる基本に備える人間は、動植物たちの、その生命としての姿勢を自らの生に重ね、共に生かし合うことを普通とする。病みを知らず、争い事とも無縁でいるその人間の暮らしに、不自然・不調和な様は生まれない。悲しみや切なさといった感情も誰も経験することはなく、そうである経験の中で、人はその普通を繋ぎ続ける。そこに在る、あたり前に健康でいる、ただそれだけの原因。平和も愛情も、それそのものでいる風景の中では、風や水の流れと変わらない。

それがそうではなくなった時の、そのあり得ない経験は(「歴史の芯」)、その理由がどんなであれ、その原因も含めて、それは自然界の全ての生命たちに響き、伝わり出す。一度も経験の無かったそのことがもたらす影響を、人間は(動植物たちも)知る術を持たない。それまで存在しなかった悲しみは、遠く離れた生命たちにまで、無くてもいい緊張を与え、普通であるはずの彼らの営みに、異常な負荷を覚えさせる。人は、必然的に、その事実(異変)を記憶する。動植物たちと共に、遥か昔のその時から今日までずっと、経験しなくてもいい悲しみの繋がりを持ち続ける。

 

3.ある犬が何メーターも離れたところを歩く見知らぬ人に異常な程に吠える時、彼は、その人の中に、非生命的な本質を見る。遠い昔、動物たちに要らぬ苦しみを与えて悲惨な現実を作り出した人間の、その人生を支配していた姿無き意思(本体)が現代に選んだその人の姿。犬は、それに反応することを許される心ある人との安心の空間で、その切なる記憶を形にする。反応の形は様々でも、動植物たちのその次元の基本は同じである。(※ある人間に同胞感覚を覚えて、感情を刺激され、生きる自由を強く願う時に盛んに吠えることもある)

ある人が何気に接すると、特に何もしてないのに草木が元気に育ち、またある人が珈琲を入れてくれると、それだけで心身が元気を覚えることがある。片方では全くそうではないこともあり、草木は枯れやすく、美味しく感じるけど気分までが落ちてしまう珈琲もある。

水は、その人の本質に正直に反応し(転写され)、その影響を受ける植物も、そこに在る原因の性質をそのまま反映させる。かつて自然界が苦しみを覚え出した時のその背景と融合する、危うい本性を備える人の生の原因は、動植物たちの生命力をその意識も無く奪う力となる。

8/05

8.思考を忙しくさせる分、人としてあるまじき原因の嘘(本性の危うさ)は隠しやすくなる。知識や情報の世界に身を置くことで、心の無さも上手くごまかし得る。

その形あるところに価値を置いた多数は、皆がそうであることで見えなくさせられる不穏な思惑に浸り、原因が動かないままのその中身の無い知識(情報)世界だけである種の経済が成り立つという、恐ろしく低次の世界(病み世)を作り上げる。

「太陽の音楽」は、その嘘の原因を、自然界の変化そのものの生命の原因で包み込み、太陽の光で、余裕と遊び心一杯にその世界をくすぐり、中身を表に出す。人間の生命としての変化・成長を止める原因の嘘は、元々この地上のどこにも無かったもの。太陽の光の音が元気に響き渡ると、支配欲や権勢欲(差別心、優越心etc.)の燃料となる形無き嘘の(原因の)次元が、おかしなくらいに揺れ動き、焦り、崩れ出す。

その生命世界の普通の中で、生きる自由をずっと抑え込まれていた人の心身は、これまでにない自浄力を活発化させ、染み込んでしまっていた要らない負の原因を尽く取り外す時を、細胞たちの意思と共に楽しむ。胸や背中ががちがちになり(こわばり)、痛みを伴う圧迫感を覚えることがあるが、それは変化への喜び。まるで腐敗型の虫が体の中でうようようごめくような気分の悪さを感じることもあるが、それも嬉しい。そんな状態を経て、生きる原因は確実に変わり出す。

ふと見渡せば、時代の好転反応のその形無き原因の風景の変わり様に気づかされる。腐敗・停滞型の原因に違和感を覚えることのない非生命的な本質を備える人は、内に潜める醜い感情(我欲、暴虐、ふしだらetc.)を、それまでのようには隠し続けられなくなる。人の苦しみを他人事に、身を飾り、好き勝手に欲のままに生きられる生を本心が望む人は、その大元となる自らの中の恐怖と怯えの感情と向き合わされる。妙な高揚(興奮)と有り得ない意気の沈みにも見舞われる。

「太陽の音楽」のEWは、どこまでもさりげない。ただ人の世が、自然界の望みと融合する本来の時へと戻るだけだから、始まりも終わりも無く、その全てが、普通の中で、普通に為される。そして、これまでの全てが、これからへの原因になる。かつてのように、太陽の光の中で共に生きる。

8/05

7.音感が、頭だけで作られた音楽を必要としなくなる程、自然界が嬉しいそれになると、その時を待っていたかのように、生命の意思は、次なる浄化作用を促す。それは、脳の中のある次元層に感知されないまま居場所を確保していた、姿無き不穏な意思のかたまり(酷く病まされた自然界の痛みに付き合うようにして形無きかたまりと化した不健全な経験の性質)への違和感とそれへの処理。心の動きと脳の健全な働きを不自由にさせていた(封じ込めていた)それは、音の本来が力強くなることで、そうであるべき時を迎えざるを得なくなる。

「太陽の音楽」のEWによって動き出す、その変化の時。形無き原因の世界の変革(進化)とも言えるそれは、まさに生命の望み。歴史が刻まれ出す時よりもずっと昔、人の心は、脳に入り込んだある性質の姿無き意思により、力を無くす。その部分と繋がる体の別の部分の、その別次世界との通り道も、それまでと同じ仕事をし得なくなる。

その修復・浄化への道は、とても厳しい。それでも、それが始まり出したことの意味は大きく、そのことで経験することは、これまでの理解を大きく超える。遥か昔の心ある人たちが、その意識もなく、やむ無く経験させられた、世の病みの原点とも言える、彼らの生命の意思への封殺と破壊。永い時を経て、ここに、それへの対処の時を迎え、その非生命的な負のかたまりは、次第に崩れ出す。

数万年(〜数十万年)という、気の遠くなるような年月における、そこでの心身(脳)の不自由さの原因のかたまりが初めて動き出すわけだから、その過程では、気だるさや不調感(体の重たさ、眠気)など、かなりのものとなる。けど、そのひとつひとつの変化が、少しずつ時代の色を変える力になる。何の問題事も無かった、まだ人口も少ない時代に生きていた人たちの切なる想いが、繋がり得たその原因(太陽の光の音)と共に時を突き抜けて、ここに具現化する。この時の脳の変化は、奇跡という名の普通を広げ、共にそれと融合し得る新たな生命たちを増やす。

8/04

思考が忙しくなると、不安になるのは、その思考のルートを通って入り込む不安の原因があるから。不安になると、思考が忙しくなるのは、その不安のルートを通って入り込む思考の原因があるから。だったら、思考が一切通用しなくなる、数十万(数百万)年前の風景やそこでの自分を感じてみる。そこまでは、思考も不安も入っては行けない。いつのまにか、病ませようとする思考と不安が姿を変えている。

8/04

4.太陽の光に抱かれ、人間も自然界も共に太陽の音楽(光の音)を奏でていた遥か昔の、この地上での普通世界。それがそうではなくなる負の原因に押さえ込まれながらも、ここにその太陽の光の時代の音が繋がり得るという普通は、人間の思考からなる奇跡の次元を大きく超える。思考の時代とも言える、その間に生み出された、地球自然界にとって無くてもいい原因の形は、太陽の光で、居場所を無くしていく。

脳が病むことを知らない自然な暮らしでは、人の何気ない感覚(動き)が不自然な原因をさらりと浄化し、ありのままでいる人々は、不調や痛みの理由を少しも寄せ付けない。脳の働きが感覚的な調和を基本とするので、そこでのふとした発想は、必要なものや空間を自由に創り出し、その自由を皆で楽しむ。そうであるための(そうであろうとする)思考は何も要らず、ただそうである風景に、人は生かされ、自らもその風景になる。

その風景からは、この時代のあらゆることが違和感であるゆえ、そこでの普通が、光の音としてここに伝わり、心ある人の脳を本来にすれば、普通の質は次々と更新され、元々そうであった時の普通へと、世は変わり出す。不安や隔たり、病気や争い事が力を無くし、自然界の生命たちも、安心して人の世と融合する。それは、人の思考では、凄まじい進化。でも、人の心の芯からだと、ただ懐かしい時の光の音の風景である。

 

5.有る世界から無い世界を観ることは、それなりの感触を伴う理解を生み出すが、無い世界から有る世界を観ることは、有ることがあたり前の世界に居ては、永遠に難しい。それでも、有るべきことと、無くてもいいことへの感覚的把握が普通本来のそれとなれば、少しずつそうである自分に触れ得、その燃料となる形無き抽象(原因)の変化にも反応するようになる。有る無しの世界は、有る世界発の、無い世界を退けた有り続けるのみの世界。どちらでもあり、どちらでもない感覚的な成長は、そのどこにも無い。

無い世界からの、生命としての思考に触れる時、それだけで人は健康になり、問題事からも縁遠い自分でいられることを知る。病気は無いもの。争いも衝突も、その原因はどこにも無いもの。それをそのままに生きた遥か昔の、太陽の光の時の記憶が甦る。無くてもいい経験の蓄積は、それを元とする思考で固められても、その思考を不要とする原因によって、その力を失くす。その原因の成長は、そのままで、太陽の光を誘い込む。

無い世界発の発想は、そのどれもが人間本来の姿であり、生命としての普通の形である。試しに、病気は無いものとしての生を送ってみれば、自ずと健康の原因が高まることを体感し、不自然・不調和を生み出す価値観からも離れることになる。争い事(問題事)などどこにも無いものとして思考を自由にさせれば、経験を引っ張らずに次なる経験の原因に責任を覚えるようになり、二者択一的世界からも自由になって、安心と平穏が普通になる。

それが、人間の普通である。病気や問題事が有る現実での普通は、それらとは無縁の生命たちと共に生きるこの世界で、居場所を持ち続けることは出来ない。

 

6.その無い世界からなる真の普通は、永いこと本来の意思活動を押さえ込まれていた人の脳が自由を取り戻すことによって、有る世界では限り無く信じ難いこととなるような現実を創り出していく。

記憶の中の音の風景から要らない性質の原因が居場所を無くすだけでも、それへの流れは、力強く、元気に動き出す。そして、理由の要らない安心と繋がる心が力を発揮し、不安や怖れの原因を処理していく。

太陽の光の音がかつてのように心身の活動に一緒に参加するようになると、自然界の自然な望みが自由に人間の世界に入り込むようになり、不自然さや不健全さを備える現実が、繋がる場所を無くす。そして、生命世界には異物となる(人間優先の)思考型の価値観は、姿を消す。

心ある人の脳は、それを普通に楽しむ。何もせず、何も求めず、ただ何気ない違和感が、事の本質をその原因から変える。過去をそのままに次へ行こうとする、結果絡みの濁った空間は、いつのまにか粉々になる。不安定感を増殖させる、重く流れない時間の重なりは、ふと気づけば、変化の中に溶ける。

無い世界(次元)に支えられる生きた感性は、有る世界の、形無きその原因の中に有るものを、無いところから厳しく観察し、それを生命の基本形となる中庸の原因と重ねて、その質を本来にする。それは、元来、人間の脳が持つ、真の普通。その導き手となる存在は、その自覚もなく、そうである時を淡々と歩み始める。

8/03

数千年前のことは、思考も難なく触れ得る域にあるので、そこから手にするものを通して、人は、自分なりの変化の材料にそれを役立てることが出来る。ところが、言葉にするのも限り無く難しい数十万年も前のこととなると、仮にそれが形になったとしても、それで何が変わるか…、思考はそれに触れられない。でも、数十万(数百万)年前のことであっても、同じ地球の、この今の原因深くで、様々な要・不要の重要な仕事をしていることは確かで、それへの感覚的理解とその原因の浄化の機会がそこにあれば、それは想像すら出来ない大きな原因の変化をもたらすことを、生命たちは知っている。なぜなら、その頃も彼らはそこに居て、この今、そこと繋がることの必要性を感じ取っているから。そこへと遊びに行く。

8/03

1.心ある人生のその原動力となる、子供心。7章で、その基礎となる在り様を本来に、力強くその原因を動かし得た経験は、連なる時代のその背後に身を置きつつその時を待ち続けていた、遥か昔の音の風景の望みを、この今に通しやすくする。

それだけ、子供時代の太陽の光に支えられた遊びは貴く、それを以て引き寄せられる未来は、不安を知らない。これまでのどの時代にも為され得なかった、子供心のその真の原因の重ね合い。それは、凝り固められた歴史的負の連鎖のその土台を砕く力になるもの。何もせずにそうである現実を生み出し得る新たな普通は、太陽の光の音との融合を基に、自らのその質を成長させる。

人間の経験の外側であった「太陽の音楽」は、思考の質が生命としてのそれとなる人のその(創り出される)経験の一部となり、この8章を共に支える。永い時を経てここに形になる「太陽の音楽」は、太陽の光の音の時代を知る存在たちの、その切なる想いである。

 

2.不自然という世界を知らず、気負いや緊張といった感覚とも無縁でいる生き方が暮らしの普通であった人々は、ただ生きることをし続け、身体を離れる(終える)時も、その姿勢は変わらない。始まりも終わりもなくその普通を繋ぐことを基本とするそこでは、誰も不安や不穏という次元を知らず、歪な世の蓄積からなる死の概念も存在しない。人は、共に支え合う調和ある風景で、健康という生を自然に生き、その全てを安心に、自然に生を生きる。

人が身体を終え、姿を消す時、失う辛さも、残される悲しみも、誰も知らない。その変わり行く自然な営みの姿を前に、そうであって欲しくない自分は、誰も経験しない。ただ共に生きることが生きることの理由であるような環境の中で、人は、生命を生き、人間という生を、その意識もなく全うする。それは、時を迎えて群れから離れ行く海の哺乳類たちの姿のように、さりげなく心を重ね、見つめ合い、尊重し、生かし合う。

太陽の光の音は、そこから届く。その時代と同じ場所(地上)で生を送る人の世に、その頃の経験の記憶(の原因)を持つ存在たちの心の芯を通り、流れ出す。当時、その真ん中に居た、形無き原因の世界の核となる存在も、その意思を確かにする。

 

3.かつて、ある非生命的な意思によって、細胞深くの生命源と繋がる意思活動までが不自由にさせられてしまう程の負荷を覚えた時、彼(彼女)は、そのどうにも対処し得ない形無き原因への浄化は未来に任せ、その時のために、その材料になるであろうことを形に、皆に、繰り返し土器を作らせる。

土偶の元となる出来事(奇形、母体の異常と痛み、蛇の脳を経ての異生命(体)の意思の具現)が続く中では、それを仕掛けた姿無き存在によって何度も脳を壊されてしまうが、それでも太陽の光の音を内に秘めつつ、真を外さずに行動し、生命を生き続ける。歴史が刻まれ出してからは、生きる力を尽く削がれ、非人間性をしつこくすり込まれてしまう程、彼(彼女)はその全てを徹底して支配されてしまうのだが、太陽の光は、光の音を自分のものとする存在たちを繋ぎ、それぞれにひとつひとつの大切な役を担わせて、‘その時’まで持ちこたえ得る道を差し出す。

現代は、その確かな原因が具現化した時代であり、太陽の音楽という道を通り、太陽の光の音の時代のそこでの普通(の原因)を共に再生させる時である。太陽の光の音は、7章以降、本格的な実践の時を経験する。

8/02

8.「歴史の芯」などで、歴史的事実の、その背景となる原因の姿を知り得たら、そこから離れ、これまでの知識と理解全てから自由になる。そして、負の原因としては限り無く意味不明となる音(音楽)の世界の、その姿無き本質(正体)の力とさりげなく向き合う。それを可能とする生き方は、人生の最重要テーマであり、淡々とそうであることが、真に生きることである。

そして、これまでが、そのまま未来に繋がる今を通り抜けられるか、そうではないかという、時代の意思への呼応(責任)がここで試される。その時、太陽の光の音は、かつての人間経験の記憶とその性質全てを白紙にし、人間生命の、数万年(数十万年)振りの再スタートを促す。

かつてからの仲間は、ただ共に居られることを喜び、永い年月での様々な人間的な関わりの時を、笑い話にする。そして、またいつものように、歩き出す。自然界の生命たちが、太陽の音楽を奏でる。太陽の光が、その音のトーンを上げる。

8/01

2018

7.永い時の、そこでの全てのことがまるでどこにも無かったかのように、新たな原因の高まりは、次々と創られる普通感覚の経験を通して、ここに繋がる次なる時の(未来の)風景を確実に変える。音の風景は、調和と責任をあたり前とする(その原因からの)音楽を生み出し、風となり、水となって、続く未来へと流れて行く。そして永い眠りから醒めるようにして、その存在は動き出す。この時の訪れを機に、遥か昔のあの時(土器を作り出した頃)のように、知恵の光の音を起こす。

動きの無い音(音楽)を利用して人々の生きる自由を奪ってきた存在たちが、この地上で初めて人間時間を経験し出した時、彼らは、どんな手を使っても永遠にその力を押さえ込むべき、地球(の意思)そのもののような生命の意思を備える人間に出会う。彼らのその至上課題となる力により、尽く潰され、操られ、辛さと苦しさしか知らない人生を連ねることになる、その存在。彼(彼女)は、太陽の光の音を増幅・拡大させ得る力を内に持つ。その時は、「太陽の音楽」の切なる望みである。

 

7/30

・生命という次元のどこにも居ず、全ての生命を生かす。余裕過ぎる余裕で全てを創り出していても、その全てを知らないでいる。太陽の心は、みんなとの歩み。出来ることは無限だけど、自分が何かをしようとする次元は知らない。みんなで創り、みんなで一緒に生み出していく。その全てを支えていても、それもただ自らの分を生きているだけ。

地上の次元に合わせてくれる太陽の時空と、自分の時空がタイミング良く重なり合う時、共にそこに居て、互いがここに居ることを感じ合い、頼ることもなく認め合って、ただそのままを分かち合う。それは、向かうこともなく出会え、引き寄せようとすることもなく訪れる、形無き信頼の時。ありのままを生きる生命(人間)にとって、太陽は一番の友。その姿は、お茶目で可愛く、温かく逞しい。何があっても、どんな時でも、ずっと太陽で居てくれる。彼は、「太陽の音楽」とも遊ぶ。

7/29

・なぜ肉食動物(恐竜)が出現したかのその原因を浄化するために、数千の形(体)となった、太陽を知る、生命源からなる意思。その原因となる事実を多次元的に感得した後、彼らは、海の生命(仲間)と共に居て、500万年程前に、再びこの地で人間を生きる。そして、限り無く調和と健康の質を高め、それを尽く嫌悪する、破壊と停滞そのものの形無き存在の意思が、かつてのような(異次・異生体級の)働きかけをするその時を待つ。進化の次元を不要とする生命たちは、太古の昔の経験の記憶(原因)を元に、太陽の望みに応え、地球を地球のものにする。その数は、今も同じ。そして、真の進化の始まりの時に、彼らは付き添う。

7/28

2018

・素朴な違和感を大事にしただけで、罪人として扱われ、人を守るために動いたことで、人生を奪われる。この国の印は、彼らの勇気とその純粋な想いを封印するために行われたその時の、その残酷な刑(烙印etc.)と繋がる。印肉の朱色が鳥居に使われていることからも、嘘の神々絡みのその印の世界によって、どれ程の悲劇が繰り広げられ(返され)ていたかが分かる。

・同じ純粋な意思を繋ぎ持つ人間のその全てを繰り返し支配し続ける、大昔からの非生命的異生体たち。その上で刻まれた歴史は、この地上には無いはずの、心を持たない人間ばかりを増やし、人の世は、その原因からの修復の機会を逃す。その堅固な負の原因がそのままではいられなくなるこの時、時代の色を大きく変えてしまう程の好転反応が、未来を安心させる。

 

 

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