無有

 

 幼少の頃から、形ある行為や現象の手前の、原因の世界で遊ぶ。直感的思考と感覚的理解(自分を通ろうとする意思に頭が付き合うスタイル)を普通とし、何かをするまでもなくすでにそうである本来が、あたり前に主導権を握る。全ては、原因。平和も健康も、友愛も調和も、その中で、具現化への意思を持つ。

 

 力強い連繋の意思を携えつつ、生命としての人間を普通自然体で生きた、仏陀(とされる存在)と道元。彼らの確かな想いと責任ある原因の選択は、かつての未来のこの時代に繋がり得、心ある存在たちの全性によって、大きくそれは外へと広がり、更なる未来へと届けられる。厳しい時代に、仏心(心の性質(原因)への責任と、中庸の本質の実践)をそのままに、望ましい未来の原因でい続けた彼らの、その多次元的な生命の意思によって、心ある人々は、真に生きることから外れずに、今を生きる。

 

 聖者でも聖人(正人)でもない、真を生きる普通人でいた道元は、その原因の連なりを、多くの生命と共に実践し、無有も、喜んでそれを担う。彼の学舎(駒澤大)での学びと連繋(の性質)の確認作業を経て、仏陀の手前(本質)を感得し、ここにムーセンテンスを綴る。生命源の真実からなる原因を、この時代ならではの必要性で形にし、沙(淘ぎ)と羅(連繋)の通り道となる。

 

 いつの時代も、心の性質と無意識の意思の影響に無責任でいる人の言動が、無くてもいい負の連鎖を固めてしまう。未消化の感情の記憶に様々な否定感情(嫉妬、差別、怖れetc.)が注がれ、その意識もなく空間や人を病ませる無意識が強くなる。その抽象世界の歪みを浄化すべく、心の性質をどこまでも高め、空間の意思にまでそれを発展させて時を癒し続けた存在たち。永い時を経て、時代の意思と融合できる程その性質は成長し、こうして、それを言葉にできる時を迎える。

 

 時間を、空間の成長プロセスの大切な要素と考えれば、そこに何も無くても、それまでの全てがそこに有ることが分かる。空間を、時間の通り道と考えれば、そこに誰が居ても、そこで何が生じていても、全てが、無の中の永遠の瞬間の有であることが分かる。無有は、全てであるひとつの普通。

 無有日記は、風になった心に乗って何処へでも届けられる、真の普通世界の原点の原因。縁する人の原因(多次元的な意思)は変わり、繋がり行く風景で、時は癒される。(by 無有 mail