人間(2)

 

1.人間を生きるというのは、地球に住む一生命としての人間の分(役割、責任)を生きること。そのための何かをするという次元を離れ、ただそうである自分をありのままに実践すること。それは、この先、どんな時代を過ごすことになっても、普通にすべきこととして、人間の基本に在り続ける。そのための全てが、そうであるべくその普通の中に溶ける。

 その普通が普通ではなくなってしまったこれまでの時を、その自覚もなく支えて来たことを知れば、「歴史の芯」と「仏陀の心」を自分と重ね、人間が大切にすべきことをあたり前に大切にしているその本来の時を創り続ける。そして、要らないものを外し、無くてもいい経験から自由でいて、心の芯となる部分を地球感覚のそれにする。

 心の意思を抑え込まれるようにして被った、永い間どうにも出来なかった、厚く、硬い病みの殻が、無有日記のこれまでを通して、ひび割れを生じさせる。そしてこの「人間」で、それを一気に砕き、核(芯)を元気にする。その時、人間は、この地球で他の生命たちと共に地球を生きる、本当の人間になる。思考の次元は、他を余裕で包み込み、脳の原因の働きは、地球自然界の意思を自然に形にする。それはまさに、地球分の一の人間時間。そのままそれは、地球の姿となる。

 

2.そこから自ずと見え出すのは、これまでの人間世界における歴史とそこでの出来事は全て、この地球に生きる人間のそれではなかったということ。それはある意味、作り物のボードゲームの中の、気ままな無責任人生。人間的な努力も向上心も皆、そこでの実の無い非人間的な原因を基に在ったことに気づかされる。

 地球において決して有ってはならない、人と人とが人生(命)を潰し合うという異常な経験。そして、その上で異様に繰り広げられる、地球を生かすことを放棄した、人間だけの、人間世界の在り様。この地球で生きる人間としての資質(基本)を備えていれば、人は、これまでのその不自然極まりない人間時間の怖ろしさと未熟さを知る。それは、ここに至る人間の歴史において、その何処にも一生命としての人間は居なかったということ。形ばかりの愚かな人間は、地球に居ることを無視し、地球感覚も一切無いまま、自然界(動植物たち)との融合を外して、異生命を生きる。

 自分が地球人であることを否定する人はいない。地球人であれば、地球を大切にすることの意味を、どんな人も知る。そして、そうであれば、人が人の命(人生)を奪うことなど絶対にあってはならないことを自覚する。争いも衝突も、理由の要らない平和と健康の原因で無くてもいいものとする意思を確かにする。ふと気づけば、地球という言葉が身近になる。人間は、自分たちが作り上げた世界ではなく、自分たちを生かす地球の一部になることで、地球人(生命)としての人間を生きる。

 

3.永いこと人間ではない人間世界が連ねられてきたその原因については、「歴史の芯」に書いてきているが、まずは、その内実を知る。そして、その上で変わり得たこと、新たに経験できたことを経て、それでも変わらない部分のその原因を自らの中に観る。「仏陀の心」にも触れ、その中身の性質を可能な限り把握し、それへの異物感を明らかにする。

 それだけでも、これまでとは違う自分に出会えるが、形ある現実のその質を、力強く、余裕で浄化するために、知り得たことを、体験的知識の域へと成長させる。その時、ムリの無い普通感覚での実践と、一切の気負いの無い真剣さが鍵となる。人間らしく人間を生きることによるそこでの厳しさは、そのどれもが、地球自然界の安心と喜びである。

 地球の安心は、そのままそこに生きる生命たちの本来の姿を支え、守り続ける。当然そこには人間も居て、他と同じように普通自然体で生きるその姿が、地球を支え、守ることになる。地球を生かすことで、生かされ、それを普通とすることで、普通に地球感覚を表現する生命たち。その意識もなくそうである生き方を、人間もあたり前に実践する。

 

4.その普通を普通とする暮らしの中で、人間誰もが地球のために直ぐにでも対処すべき事柄が、LED照明による災いの回避である。「歴史の芯」を中心に随所でそのことについては述べてきているが、LED化以降の、そのことによる自然環境の変貌振りは、生命たちにとってあり得ない恐怖となる。非人間的な生を普通とする人間の、その無感覚と無責任の負の原因がそのまま乗る、LED照明。地球にとってこれ以上の哀しみは無いその無生命化の威力は、形ばかりの(人間ではない)人間がその本性を暴走させてしまったことによる、地球規模の悲劇である。

 動物たちに食べてもらうことでその貴い役を果たす植物たちの意思は、LEDによりその力を無くし、地球の一部としての生を表現できなくなる。それでも植物を摂り込み、生命力を保持しようとする動物たちは、小動物を中心に次第に気力を奪われ、地球感覚を無くす。LEDの無生命化の負の原因により、地球に生きる生命たちにとって最も重要な微生物の世界での彼らの生も潰されていく。その様は、この地球が経験したくはなかった、それまでには無かった生命たちの姿である。

 それがこの時代の人間発の出来事であるわけだから、地球の一部のようにして生きる普通自然体の人間にとっては、この上ない苦しみである。その恐ろしく悲惨な、地球環境の変わり様。そのことを外して(無視して)、人間が人間でいることはあり得ない。LED照明の存在をそのままにし得ることは、この地球の生命の歴史において、有ってはならないことである。

 

5.人間が人間としての生を普通とする時、水や土の生命本来を破壊し、木々を腐らせるLED照明を使用することは考えられない。もし、そうであるとすれば、それは、その人の全てが嘘であることを意味する。脳や心臓が人間のそれであっても、その原因(本質)は非人間ということになる。

 LED汚染により、物が溶けて変色・劣化し、建造物や道路までが亀裂やへこみを生じさせて沈下するというその姿を放って置けること自体、人の世には有ってはならない。それでもLED照明が在り続けるとすれば、この地球は、人間を生命としては扱わない。LEDの負の影響力に無感覚でいる人は、この地球に住んでいることが間違いとなる。

 極端な話でも何でもないが、LED照明を使い続けるその姿は、人間ではないと考えて良い。地球を安心させ、地球を生かすことは、地球に生かされる生命たちの大切な仕事である。LED照明の使用は、それを拒む意思の現れであり、その存在たちを通して、地球が壊れるということである。地球は、地球を生かす生命たちの住む場所である。

 

6.人間は、思考が健全であると、その原因(手前)のところから物事を見ることを普通とし、不要に思考を働かせずに、事実からその質を学び、必要に応じてその事実を変える自分をあたり前に生きる。

 そうではない時、人間は、思考を忙しくさせて本心を偽り、事実から学ぼうとはしない(学べない)自分をごまかすための知識を溜め込む。それにより、事実の質は放って置かれ、そこに在る負の原因は増大して、無くてもいい経験が作り出されていく。

 事実から学ぶという、その人としての基本能力を持ち合わせていない人間が、内に潜めた非人間性を基とする思考を働かせて形にしたのが、LED照明である。事実から学べないというのは、良し悪しの基準が、次に繋がる原因ではなく、思考(知識)に留まる結果であるということ。それゆえ、LEDの負の事実を目にしても(見せられても)、その思考の域からは出ず、そのことを正当化するために、事実を無かったこととして、力ある結果(過去)に無意識に逃げ隠れる。地球自然界を守るという観点からだと、完全な犯罪となるLED化も、事実から学べない人間の、その非人間的な本質(本性)によって、ここまで存続してしまう。

 

7.この地球に居て、共に生命を生きるという、基本的な責任感覚を持たない人間がいる。彼らの特徴は、人間だけに通用させてしまう、反自然的な不自然な生き方を普通とするところにあるが、生命を生きる人間として知るべきことも、全く知らないで生きる。

 生命として‘知る’というのは、自分の中に、その原因となる要素が在るということ。それゆえ、知るまでもないことは、あたり前に縁遠く、隔たりや争いを生み出す原因は、知らない。知ることは、知ろうとする次元を余裕で包み込むようにして、内なる質として溶けている。

 その基本となる感性を無くし、それを良しとして生きる人間は、地球に生きる一生命である自分でいれば当然備えるべきものを持たず、無くてもいい否定的な感情(差別、支配、怯えetc.)だけで生きる。平和も健康も、その原因を内に持たないから、そこへと向かい、そのための知識を手にし、何も変わらなくても、それで満足する。

 地球自然界の安心の原因を備える人間は、そのための何かを必要とはせず、ただその原因をそのまま具現化するだけの生を基本とする。そこに、LED照明の原因が入り込むことは出来ない。そうではない反自然的な人間は、自然界の安心の原因が内に無いからこそ融合し得る、腐敗・停滞型の形を求め、それゆえ、自分たちと同質のLED照明の存在を肯定する。前者は、この地球に生きる、普通の人間である。後者は、なぜこの地球に居るのだろうと、自然界が煙たがる、どこまでも人間本来からかけ離れた、人間もどきである。(その背景となる原因の出来事は、「歴史の芯」の中に在る)

 

8.人間の思考レベルでは正しいことであっても、自然界に生きる生命たちの立場から観た時にそれがそうでなければ、それは、人間の思考の質が低次であることを意味する。人間的に良しとされることであっても、それが望むべく未来に繋がらない期間限定の要素を含むものである時、それは、修正・浄化されるべきこととして、その質を変える必要がある。それが、LED照明という、その原因から浄化すべき、低次の存在である。

 人間の欲から始まり、負の連鎖の塊と化すLED照明は、非人間的な負の原因を増大させつつ、自然界を破壊する。そこでの、思うことで良しとする正しさの次元は、LEDの負の原因(影響力)を巧く覆い隠し、その嘘で成り立つ歪な偽装社会で、支配・所有欲の拡大再生産を続ける。

 知らない(知らなかった)ことを理由には出来ない。知りたくない自分に力を与えてはならない。人間は、知る知らないの次元に居座ることを不可能とし、それ以前の、普通に知り得ることのその原因を変化・成長させることをあたり前とする。そうではないところに居た自分から、少しでも人間らしい自分となるために、直ぐにでもLED照明を外す。人間であれば、そのことに躊躇する時間は要らない。

 この地球に、一生命として生きているということ。自然界に生かされ、自然界を生かす、人間であるということ。そこから離れたままの人間時間が、この地球には在ってはならない。地球の一部となる生を生きる人間は、それを阻もうとするLED照明の原因をそのままには出来ない。人間であれば、すべきことをする。そして、生き直しをする。by 無有 4/05 2018

 

 

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