太陽の音楽(3)

 

1.人が音を作り出す際、それが自然界の違和感となることは考えられなかった、遥か昔。人間は、そのことを自然と感じ得、動植物たちもそれを知る。山に居ても、水辺に居ても、共に生きる生命たちは、人間の作り出す音の伝わりに喜びを感じ、その空間を楽しみ、心を躍らせる。人は、自然界の一部である生を普通とし、ありのままに生命を生きる。自然界も、人間からの音を通してそのことを認め、その在り様を支え、協力する。

 音を作り出す道具(楽器)として植物(木)を活用していたその時よりもずっと前、人は、音色を生み出す石や貝殻を手にし(見つけ)、様々に音を重ね、連ねて、その独特の感覚経験を楽しむ。何も無くても必要なもの全てがある暮らしの中、自然の中に在る物を通しての自然な音は、人の感性をより生命本来のそれにし、調和と安心の時を安定させる。そのこと以外を知らず、そうであることを何より嬉しい、人間と自然界。後の世で笛の音がそれに加わっても、その全ては、そのままで時を癒す。

 

2.その音を生み出す物(石、貝殻、木etc.)を、人々はとても大切にする。ところが、そこからの音は、人としての本来の普通をどこまでも力強くするゆえ、それを良しとしないある(非人間性を普通とする)存在たちは、怯えと怖れから、その全てを破壊し、無きものにする。そして、それまでには無かった人間の感情からなる不自然な音を、人の脳に浸透させ、そのことによる心の不自由さを固めていく。

 人の世がそうであり、その歪な音の形がそこで続けられていても、自然界に生きる人間の中には元々それは無かったゆえ、そのままであることはない。かつて自然界との融合を普通に、自然な音を楽しんでいた人たちのその経験の記憶の中には、石や貝殻を通して育んだ地球感覚(の音感)が在る。それが消えることはない。

 その時が来るまでそのままでいるしかなかった永い時を経て、遥か昔の音の風景のその源泉となるものが、ここに届けられる(繋がり得る時を迎える)。それは、太陽の光の音。心が育む、心ある原因の風景にとって、これ程の喜びは無い。

 

3.太陽の光の音というのは、生命の意思のその本質となるものに自然と響き渡る、生命源からなる音である。そうである人にはどこまでも普通であって、そうではない人には限り無く意味不明なそれは、それと触れ続け得た何人もの繋ぎ手によって生き存え、音楽という概念も無かった時代の音の真実をここに運ぶ。

 太陽に守られる地球自然界と、そこで生きる生命たちの、その喜びの音。その自然界の一部となる生を生きる人間の記憶(心の遺伝子)の中で、共に人間本来を支え続けた、責任の音。「太陽の音楽」で安心してその時を迎えたこの今は、生命としての人間の、その(音の)意思表現を本来にする。その誘い水の役を担ったかの音楽の存在に、自然界は感謝する。

 不思議でも何でもない太陽の光の音との出会いは、生命の意思をそのまま表現しようとする人の、希望の時。そうである事実も、さらりと普通だから意味がある。そして、そのことに理由は要らない。太陽の光の音は、元々の、自身の音であるから。

 

4.この地上の世界には在ってはならない非人間性からなる感情によって尽く押し潰されてしまった、心ある人たちの音の風景。そして、そこから始まった嘘の音楽。その時に流れる場所を無くした太陽の光の音の、その切ない現実を考えれば、ここに甦ったその音を通して、人間社会の原因は深くから再スタートを切るであろうことも理解できる。太陽の光の音とムリなく自然に融合する人と、そうではない人。前者は、ずっと自然界が応援していた人。後者は、自然界に嫌われ続けている人である。

 時代には意思があり、どの時も、自然界の望みを人間時間に通そうとする。人間の身勝手な思惑も、思考による期待・解釈もそこには通用せず、動きの無いまま過去に居続ける価値観も、それは受け付けない。

 時代が、怯えと恐怖心からなる力の行使で不要にも刻まれる時、そこでの音楽は、人の脳を不自由にさせるためのものとして、力で運ばれ、伝わっていく。それは、人間らしさを遠ざけ、動物たちの生きる自由を奪うもの。その負の原因からなる音感(感性)は、この現代にまで存続し、変化とは無縁の音楽のその下支えの役を担う。

 

5.太陽の光の音は、人の心の芯を通り(「歴史の芯35」)、心と繋がる脳の、普段何かのための仕事をすることのないある部分を刺激するようにして、音とも言えない音となって伝わり出す。それは、自然界の意思との融合体験の時とも言え、いつ、どこに居ても、自動的に始まり、そして終わるともなくふと気にも留めなくなり、気づけばいつのまにかまたそうなっていることを意識し得る自分が居る。その意味も理由も何も分からなくてもいられる心の余裕にいつも支えられ、守られている。

 それは、音という言葉で形容され得る世界には存在しない、細胞の喜びの声であり、時空が安心を覚える時の波長のようである。余りに普通で、何の違和感もなくそうであるから、その人にしか感じ得ず(その人にもそうとはよく分からず)、そうである人同士で、分かり合うという次元を遥か超えたところでの融合を共にする。それは、生命世界の自然治癒に参加する、その原因の音のようでもある。

 普通に経験することから、そうであることも分からずに始まるそれは、普通の質が思考型のそれである人のその不自然な世界には近寄ることはない。音であって、音ではない音。それは、地球のリズムを支える太陽の光の、その多次元的な本質(中身)と言える。人間は、一生命としての人間本来を持ち合わせていれば、その音との融合を普通とする。太陽の光の音は、自らが生み出す空間(時空)への、その自浄力の原因とも言える。

 

6.その太陽の光の音が、この「太陽の音楽」から流れ出す。その質は永遠の普通のそれだが、これまでの(人間が経験しなくてもいい)負の蓄積と、非生命的な音(音楽)の染み込みがかなりであるゆえ、当然その働きかけの次元は、以前の時とは大きく違う。その反動も…。

 それへの抵抗の原因は結集し、拒否反応は、思考に力を注ぐ。本性(本体)は本気で暴れ、力ある嘘に隠れ、真を潰す。永いこと太陽の光の音の流れる場所を遮ってきた経験は、これ以上無い厳しい時を迎える。その時を、自然界も、太陽も待っていた。

 そして、結集した抵抗の原因は次第に瓦解し、拒否反応の思考の力は、向かう場所を見失う。本体は、この時代ならではの必要性の前で焦り出し、怯えを顕にし、居場所を無くす。いつしか、真に癒され、嘘の素顔を忘れる。

 太陽の光の音は、その仕事を喜んで行う。そのための時をこれまで経てきているから、さらりと遊び感覚で、この無有日記の動きに合わせつつ時を本来へと変えていく。どんなところにも届き、どこまでも、どんな風にでも流れ行くそれは、始まったら、(「心の遺伝子」の頃のような)生命本来のその原因の風景へと全てをいざなう。その時が、今ここに在る。

 

7.呼び醒まされるようにして動き出す、太陽からの音の世界。生命を生きる人間経験のその必要とすべく全てのものがそこには在り、人の心の芯も、そこに居て、それと重なる。どんな言葉を以てしても表すことは出来ず、どれ程の経験を積んだとしてもその域には無い、太陽の意思そのものの音。それが普通である人の何気ない経験の中から、生命世界の再生のような時間が流れ出す。

 そのための条件は全て揃い、ここに繋がり得たその原因も、強さを増す。あらゆることが覆されるがごとく、物事の(原因の)その真を知る生命の意思は、躍動し、事を変える。心身は、生まれ変わるような時を馴染ませていく。

 その普通を生きる生命(人間)たちは、かつて、不穏な力でその自由を押さえられ、執拗に潰されて(脳を操られて)、何度も「歴史の芯」の現実に関わりを持たされる。その「歴史の芯」は、彼らがこの「太陽の音楽」へと辿り着けるよう、そのための力を付ける段として在る。それは、太陽にずっと守られていたことを意味し、どんなことがあっても今ここに居ることでしか為し得ないこの時のために、その全ての支え役をそれ(歴史の芯)は担う。そこでの厳しい人間時間を受容し得たことで、内なる生命の意思は、太陽の光の音を心に聴かせる。この時のために、これまでがある。

 

8.この「太陽の音楽」を通して経験することが、終わりの無い(見えない)厳しさと辛さである人。そうであるような経験を経て、安心と健康を普通としていく人。それはそのまま、その人の生の本質であり、自然界の中での自分の居場所(次元)である。それは、思考では決して処理し得ない原因の姿。その体験的知識(理解)を以て、改めて人生を見つめ、(原因の)嘘が許されない生き直しと、嘘など考えられない再スタートを切る。音(音楽)の原因の浄化による変化の可能性は無限であるから。

 動きの無い(動きを止める)音の力によって、非情にも人間本来の音(音楽)が消され、そのまま非人間的な歴史を連ねて来ているこの国の姿。そこに在る、凝り固められた異様な音の記憶(の原因)は、自然界の生命たちも応援する太陽の光の音の送り手(受け手)によって、確実に砕かれ、新たな変化に乗せられていく。そして初めて引き寄せられる、争いや病気の原因を知らない、普通の人間社会。「太陽の音楽」は、太陽の光の音の通り道となって、ずっと先の未来にまでそれを響かせる。ふと気づけば、見えるもの、感じるものが、自らの姿である太陽の心の、水と空気になる。by 無有 6/12 2018

 

 

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