太陽の音楽(4)

 

1.太陽の光の音は、地球自然界に生きる生命たちの、躍動する命の音。地球に生かされ、地球を生かす人間の、自然な地球感覚の音。そして、全ての生命たちの姿を守り続ける太陽の、永遠の変化と生命力の音

 そこに在るから、それは普通。その普通の中でどこまでも伝わり、流れるから、それは自然。そこに居れば、初めからどこにも無かった不安は消え、緊張も隔たりも経験の外側となる。人の不安や緊張が姿を消すことに不安になる存在を除いては…。

 太陽の光の音は、一切の理由を不要とする喜びの、その原因の世界で響く。どこにも向かわず、何も求めず、ただ平和と健康の原因でい続けるその姿に、そっと寄り添う。その音は、人間らしく人間を生きる人の、その普通の要素。そうではなかった(そうにはなれなかった)時の経験の記憶を癒し、そうであるようやさしく誘う。

 これまでの時が不自然・不調和なものであっても、ここでその音が心の芯に伝われば、それらは無いと同じ。これまでの時が自然で調和あるものであっても、この音との縁を避ける自分がいれば、つまりそういうことである。太陽の光の音は、それぞれの時の色を変えていく。

 

2.無自覚に心身を病み、不自然に感性を鈍化させた人がやたら海や山で音楽を聴こうとするように、音楽は、人の歪な普通に巧く入り込み、しつこくそれを維持させようとする。それは脳を忙しくさせて、自然を遠ざけ、感覚を思考型(人間優先)のそれにして、生命たちに緊張を強いる。人間が嬉しい音楽の殆どは、自然界の異物であり、時の違和感である。

 心は、歌(曲)に乗るその背景となる原因の性質に反応する。しかし頭はそれを拒み、個の経験にフィットする心地良いメロディ(リズム)や歌詞の世界に浸るという、思考の満足を選ぶ。心切ない経験をした人の多くが、そのことの原因を無視し、結果からの望みを強くさせて、形ある優しさに癒される。心を取り戻し、心強く生きようとする本来を嫌がる人ほど、心無い原因の心の歌に惹かれる。

 自然は、心のままの柔らかな感性を嬉しい。そんな人は、鳥たちのさえずりや鳴き声に安心を覚え、風にそよぐ草木の音に平和な想いを抱く。そこに在る、優しさの原因そのものの音。そんな風景に、音楽は遠い。自然の中の、自然な生命たちが作る音は、生命そのものの音楽である。

 

3.自然の中での生命たちの営みは、太陽の光の音で溢れている。生きることがその音であり、生を終える時も、生まれ出る時も、その音に抱かれる。どこに居ても、太陽からのその音を響かせて繋ぎ合い、どんな時も、その光の音の中に居る。太陽が支え、守り続けるこの地上での健康と調和の原因は、動植物たちの日常そのものである。

 自然界が嬉しい音楽があるとすれば、それは太陽の光の音と自ら(の感性)を重ねる人の作る曲であり、歌う(奏でる)歌である。そして、その実、それが唯一この時代に人間に許された音楽であり、それ以外は、音楽という形を持った不自然・不調和な原因の力と考える。自然界は、それを教え、共に生きる生命たちは、それを望む。

 「太陽の音楽」は、太陽の光の音が人間を通して形になった、地球自然界の希望であり、それと自然に融合し得る人たちの心を強く元気にする、変化し続ける生命の原因の光である。人は、いつのまにか、「太陽の音楽」との縁を通して、そのことを普通とする。

 

4.これまで縁したことの無い(原因を備える)音楽を聴くことでの変化は、単に形ばかりの(実の無い)変化と理解する。それよりも、今居るこの自然界が嬉しいことをし、動植物たちの生きる自由を守る。そこに生命たちの哀しみがあれば、その原因を浄化し、ずっとそのままであろうとする海や山がその意思を抑えられていれば、その理由を外す。そして自然に離れて行こうとする不自然な曲(歌)を遠くに、音感を人間本来のそれにする。

 太陽の音楽は、そんなところに届く。ふと気づけば、それとの出会いを引き寄せ、何気にそうである自分でいて、それを自然なこととする。自らの原因の変化・成長は、そのための大切なプロセス。時代への責任を普通に、生命たちが嬉しい未来の原因を実践する。あれこれ考えている時間も、好みの音楽に酔っている空間も要らない。「太陽の音楽」と「人間」で、変化の原因に力を与える。

 

5.そして今、太陽の音楽よりも先に、太陽の光の音が、この時をずっと待ち望んでいた人たちのその心の芯に届く。そして、生命本来という人間の普通が動き出す。

 「太陽の音楽」の原稿になろうとして何度もこの場所を通り抜けたその原因は、永い間脳を不自由にされて、自分らしく生きる力を無くしてしまっていた人の、その真の姿を見通せる程の時を生み出す。ずっとそれを見えなくさせていた闇と、ずっと動けなくさせていた重石を外し、本当はそうではないのに、そうなってしまっていた危うさと不確かさの理由を砕く。誰よりも縁遠かった太陽の光の音が、実は自分こそそれとの融合を欲し、それを可能とする原因が、心の中に在ったということ。その時が、ここに在る。

 自然界が安心する生命としての人間の音(音楽)が押し潰されて以来、現代まで、不本意そのものの(異常とも思える)生を繰り返し生きることになる(生きさせられる)、心ある普通の人たち。「太陽の音楽」は、彼らの心の芯をたぐり寄せる。そして、時代との約束通り、生命世界の希望になる。

 

6.繰り返し何度でも、太陽の光の音との融合を重ね、自らの中の真に、その想いを存分に具現化させる。何はともあれ、今はその時。この今の生命の機会(チャンス)を充分に活かし、心を輝かせる。

 感度を停滞させる嘘の音楽と、それに支えられた歪な普通世界のその意図は、心ある風景へと動き出す自然な変化を尽く遮ること。そのために被ったかつてのいくつもの辛く厳しい時を心は知るから、出来ることを、好きなように、好きなだけ行う。それを喜ぶ太陽は、元気さを増し、その光の音も、それまでの人間の知を超えた仕事を余裕で行う。太陽と共に、地球自然界に響き渡る生命の音(音楽)を奏で続ける。

 いつしか(という時間幅も無いのだが…)、太陽の光の音との融合を普通とする人は、縁あるどんな人の脳も、人間本来を基に難無く変化に乗せてしまう。そこに在る違和感の原因が自動的に処理されることで、次へと動き出す人、変化を拒み留まる人と反応は様々であるが、自然界にとって嬉しいその原因の連なりは、さらりと生み出されていく。

 

7.人間の脳の中には、生きることの質を変化・成長させようとする、一生命としての意思が備わっている。そうであろうとする動きを力で封じ込めることの出来たかつての時とは時代背景が大きく異なる現代、ここでは、音楽がそのために利用される。つまり、この時代、人は、その音楽の形無き影響力を処理する「太陽の音楽」を通して、初めて脳が変わり得る経験をするということ。音楽の負の原因を外すというのは、人間にとって、この上ない責任と希望の実践となる。

 もちろんその準備段階として「歴史の芯」と「仏陀の心」があり、力強い生き直しの機会として「人間」がある。そしてこの「太陽の音楽」の時、反応はどんなであれ、それを機に、人は自らの生命の本質(意思)を知り得、ここに居るからこその然るべき変化の時を経験する。そこに善悪や正否といった人間世界特有の未熟な価値概念は無い。あらゆる宗教観も人間観(世界観)も通用しない。人間が人間でいる時、その原因の変化・成長の姿はどんなであるか…。それだけである。そして、その違いの全てを無有日記は包み込む。

 

8.太陽は、この地球の生みの親であり、そこで生きる生命たちの姿を、彼は愛しさと無限の優しさで支え続ける。太陽の光は、人間も含めた全ての生命たちの生きる力。それは、生命力の源泉。自然界の一部として生きるそれぞれの分の基礎はそこに在り、脳の中枢は、その光の多次元的な要素を以て、健全に体の活動を運ぶ。太陽の光は、地球自然界の生の根源である。

 太陽の光の音は、全ての生き物の生命本来という形無き生の中心に流れ、音無き音として、生命活動のその意思の原因に響く。人間は、彼らと繋がる心の芯にその音を通し、遥か昔から育む原始脳とも言われる(生の基本である)部分のその原因にそれを響かせる。太陽の光の音は、太陽の意思と繋がる証であり、生命たち皆が経験する、全てであるひとつの共有である。

 そして太陽の音楽。それは、この現代では、その太陽の光の音との融合体験を呼び醒ます、太陽の望みを乗せた生命の音楽である。

 太陽の光とその音。そして太陽の音楽。人は、今の世でも、かつての時と同じように、何も無くても必要なもの全てが有り、何が有ってもそのどれもが全てであるひとつと繋がる、そのままで平和で健康の時を経験する。それは、ここに流れる、太陽の光の音の意思。「太陽の音楽」は、その音を増幅させ、その心ある風景の原因を力強いものにする。好きなだけ、人間を生きる。太陽も、好きなだけ太陽を生きている。by 無有 6/29 2018

 

 

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