太陽の音楽(5)

 

1.生命のリズムを押さえ込むような、重く流れない音楽の存在。この地上に在ってはならないそれは、その原因に、非人間性からなる悪辣な感情を潜める。哀しいかな、それは、この国の歴史的遺産として存在感を持ち続ける。

 心身が普通自然体のそれであれば、細胞は、音楽の性質に正直に反応する。そうではない時、それは、反応しないという反応を以て、異常な状態を普通とする。人の世ではそれはあり得ないことなのだが、永い年月での(不穏な音の)染み込み作業により、人のその状態は安定・維持される。そこに、生かし生かされる生命の姿は無い。

 音楽は、育み続ける感性がそれとの時空を演出し、様々な感覚を自然に動かしつつ、形無き変化の原因の融合とその高まりを経験するもの。それは、どんなもの(曲)でも、思考(左脳)で触れるものではなく、どんな状況であっても、作為的な静寂や躍動(高揚)が不自然に生み出されるものでもない。

 音楽の普通は、変化の原因が、力強くしなやかにそこで息づいていること。その普通が打ち消されたまま受け継がれる妙な音楽により、心ある人の感性は、人間(本来)のそれではなくなってしまっている。

 

2.「太陽の音楽」から流れる太陽の光の音を心に馴染ませた人の、それまでには無かった内なる(脳の)変化により、その音楽とは言えない危うい音楽の負の土台が揺れ動く。そして次々と亀裂を生じさせ、崩れ出し、ずっと永いことそうにはなれなかった人間らしさのその感性を取り戻す。それも、自然に、あるがままに…。

 いつの時も、心ある想いを押し潰され、生きる自由を奪われた普通の人たちのその背景には、細胞が辛くなる音(音楽)を巧妙に生み出す非道な存在たちのその脳がある。彼らの脳は、蛇絡みの本性を基本とする程の時を経ているため、活発に働かせているのは生きるための基本(核)となる部分だけで、人間が調和と友愛をテーマに成長・進化させてきているそれ以外の脳(大脳etc.)は、付け添えのようなものとして扱う。時代背景が異なれば平気で人の命(人生)を奪える性分もそのためで、人としての心ある知恵も、原因の世界への理解も、彼らには無い。短絡的で、単純で、個人を優先させるのも、脳全体の方向性が変化とは無縁であるからである。

 そこから生み出された音楽は、当然動きは無く、人の変化を止める。それに乗った原因は、生きにくさへの受容を促し、世を暗く、不穏なものにする。「太陽の音楽」はその中に入って行く。

 

3.これまでの理解が一切通用しない変化を通して、人は、永い歴史においてどれ程の負の影響を音楽によって被ってきたかを知る。そしてその変化が、停滞と不自由さの象徴であるようなその(異様な)音楽に馴れ親しんだ(馴れ親しまされた)人の脳に、何もせずに新たな動きを生じさせてしまうことも。

 それは、蛇の本性とキレイに同調する部分を脳(の中心)に備える人のその負の威力によって、どうにもならない病みの融合を繰り返し重ねてしまった(重ねさせられてしまった)、人として基本となる脳内の中心(核)の個所が、太陽の光の音によって浄化され、以前より元気になったから。その微妙で、自覚もしにくい脳の変化は、思いがけない心身の変化を次々と生じさせ、そしていくつものあり得ない周りの変化を普通のこととして創り出していく。誰もその波及を阻むことは出来ない。

 それもこれも、永いこと人間の知の世界には無かっただけの真の普通が、その本来をあたり前に表現しただけ。人間の脳のその中枢の部分の滞りからの解放は、重苦しくじめじめとした世界を良しとする人の脳の、同じその中枢を変えてしまう。それは、普通で、自然なこと。ただ異常な状態が、そのままではいられなくなっただけ。

 

4.「太陽の音楽」は、原因の嘘を面白いくらいに外していく。それだけ太陽の光の音との融合は、心強く、頼もしい力になる。理由も理屈も何も要らず、思考の働きも寄せ付けない、これまでの経験枠の次元を超えた、新たな普通体験。元居た場所に帰るようなそれは、ここに至る無くてもいいはずの経験の記憶(の原因)を深くから浄化する。

 質を伴いながら変化し続ける脳の仕事は、可能性を次第に更新し、自動制御のようにして時を癒していく。もちろんそれは、自然界に生きる一生命としてのその本来の在り様をテーマとする、内なる変化。気づけば、(人間観における)面白さの質が変わる。心の嘘を普通としていた人は、それを隠せなくなる。

 人の意識が、不思議と自分に集まるような状況が生じ、表情を辛くさせる人や焦った動きを見せる人が増える。眠気に抗えずに動きが止まったり、嫌悪の態度を取りつつ背を向けたりする人もいる。まるで挙動不審とも思える行動をする人や、すかさず距離を置こうとする人の姿に、思わず可笑しさを覚えてしまうこともある。

 それらは皆、右に倣い、力に従うことで身を守り、隠し続けられた嘘が、脳の中心に在る本性の基を刺激されたことで、思い通りにはならなくなったため。多くの場合、頭の働きが鈍り、どうにもならなさを経験する。

 

5.蛇絡みの価値概念の世界は、太陽の光を避けるようにして、非生命的な現実のその動きの無い原因を作り続ける。つまり、この国の大多数は、それ関わりの教えや風習を基とした生活空間を通して、信じ難い程の負の経験の蓄積を脳に染み込ませているということ。

 それを考えれば、本心が変化を嫌う人たちのその体裁や建て前の内側で、想像以上の洗い直し(自浄作用)が為されるであろうことが分かる。その連なりが、他のそれと呼応するようにして引き起こす、時代の好転反応。そのことを把握し、自らの原因を変えていく。

 この地上で生きる生命にとって、その原因が危うさ(狡さと欲深さ)でしかない、形式や権威と結び付く音楽は、心ある素朴な人の自然体で生きる力を奪う。無意識の意思(本性)がそうである人に守られるその世界では、太陽や月までが所有物のように扱われ、動きの無い異様な音で、生命世界の活力を抑え込む。その不気味さに何の違和感も覚えられない程脳をしつこく病まされた(上手く操られた)人たちの、その鈍った感性は、太陽の光の音の届く場所(次元)から動き出す。

 

6.嘘の音楽は、文字通り、そこに本当の自分が居ない音楽。歌う時だけ特別になる、普通を置き忘れた不自然な歌。そして、独特の心情を作り出して聴く人をその気にさせる(感動に引き込む)、偽りの歌。

 人の脳への影響を考えれば、嘘の音楽は、形(証拠)の無い犯罪と言える。その素質を持ち合わせる作詞・作曲家は、本性のままに嘘の歌を作り、人の世で、本当を力無いものにしていく。音楽を通して、変化しにくさが、そうとも分からずに安定していく。

 その嘘の音楽は、それとはけた違いの狡猾さと残忍さを秘める別の嘘の音楽に支えられている。つまり、世の音楽の殆どは、その重量級の嘘の音楽の原因を様々に絡めつつ生み出されているということ。そうであるから、人は、音楽に親しむ分、その気もなく、その隠された病み溜まりの世界に陥ることになる。

 その恐ろしい醜悪な本性を原因とする音楽が、昔から尊いものとして受け継がれる、芸能絡みの音楽である。そこでの極上の嘘は、優雅さや厳かさを弄び、他を隔てる権威と独善の下支えをする。動きを無くし(抑え)、リズムを打ち消し、そして収縮と停滞を生み出して広がり(変化)を避けるそこでの音楽は、格式や威儀を基にその嘘を本当とし、人知れず、未熟さの現れでもある優越心や差別心の燃料でい続ける。それは、太陽の音楽からは最も遠い、生命世界の異物と言える。

 

7.音楽の多くは、心ある普通の人の素朴な生き方をじゃまし、世の成長を阻もうとする人のためにある。その世界に関わる人は、そのために徒党を組み、したい放題人の心を弄ぶ。申し合わせたように同じ発想と行為を繰り返し、聴き手の人生を巻き込んで、彼らの変化を止める。世を憂い、はかなみ、それを変えて良くしようと、歌でポーズを取り、偽善を生きる。

 その全ては、形無き怖れと嫉妬から始まり、人の世に不安の輪を繋ぐ。それらは皆、何の発展性も無い模倣の世界。真似に色を付け、嘘(時流)を包装し、そして好きなように作り出した歌を、お金に換える。この現代ほど、劣悪で中身の無い音楽がはびこる時は無い。

 ただしかし、そうであるからこそ為し得る面白い体験がある。太陽の光の音が勢いよく流れ出せば、それは、世の音楽の病みの原因深くにまで響き出す。心ある人たちのその生きる原因の変化は、その道を照らし、新しい未来を引き寄せる。

 

8.太陽の音楽の世界が、大切な分身のようにして内なる世界で自由に仕事をするようになると、当然と言えば当然なのだが、「人間らしさって、このこと?」と思えるぐらい、今までどうにもそうにはなれなかったことにさらりと出会すようになる。そして、どんな人が、どんな性質の原因を曲(歌)に乗せて演奏し歌っているかという、音楽の本質への観察を普通とし、ただそこに居るだけで(関わりを持つだけで)災いとなるような特殊世界が音楽には存在することも、体験的に知る。

 心身がその意識もなく本来の動きになれば、音楽との関わりそのものが変わる。音楽によって何かが変わるのではなく、記憶の中の音楽が変わることで、周りの風景がそれに呼応するようにして変わり出す、真の普通。人は、音楽が無くてもいられる暮らしの中で、内なる変化とその影響という、とても大切な経験を創る。

 そして、そんな時に出会す、記憶(過去)に留まらず変化し続ける何でもない音楽を通して、いつのまにか音楽が音楽ではなくなり、そこに在る原因(次元)の性質との要・不要の融合体験を遊び心で行う自分が居る。連れ添う音楽、身を引く音楽、そして次なる時を待つ音楽。それは様々である。

 音楽は無くてもいいもの、と捉え、有ってもいい音楽となる存在の、その原因の変化に付き合ってみる。音楽によって真に変わることは何も無い、という理解を普通に、変化し続ける自分に真に連れ添える音楽を応援する。太陽の音楽は、変化とは無縁の音楽の世界とは無縁の、ごく普通の変化の音楽であるから。by 無有 7/15 2018

 

 

太陽の音楽(6) トップページへ