太陽の音楽(6)

 

1.脳には、脳の全てが形づくられる(時の)その原因となる形無き創造の意思がその中心には在り、人間経験の質の変化・成長において、それはとても重要な役を担う。その意思は、その中心(核)から全方向へと絶えず流れる動きを取り、脳全体の隅々にまでそれが行き渡る状態を安定させつつ、脳内の活動のバランスを保ち続ける。つまり、脳の形無き核となるその原因の性質が人間本来のそれであれば、人は病むことも、争いや衝突を生み出すことも無いということである。

 元来、人間の脳は、その意思が一切の不自然な原因を知らないため、当然病気や争い事は経験の外側で、仮に何かの要因でそのような状況になったとしても、そうではない普通によってそうとも分からず処理されて、居場所を無くす。その普通は、太陽の光との融合、そして自然界の調和との繋がり。人としての人間の生は、脳のある部分(次元)から湧き出るようにして広がり出すその意思により、常に人間本来の原因でい続ける。

 

2.その人間本来が違和感となるような生を普通とする存在が、この地上で同じように人間時間を経験するようになった頃から、人々の生活環境は少しずつ揺れ動き、不穏な空気感を帯びる(「歴史の芯」)。その背景に在るのが、彼らの脳(の原因)特有のそこに在る非生命的な意思であり、姿形は同じでも、そこに至る原因が普通ではない(次元の)その働きかけで、人の心は力無いものになる。

 空は、黒く厚い雲で覆われ、地上は、どんよりと重苦しくべとっとした(じめっとした)様を日常としていく。流れにくいこと、動かしにくいことが増えるようになり、それまで経験したことの無い負荷を心身に染み込ませつつ、その意識もなくそれを受容し、人は生きる。

 人間の身体表現の質によって大きく影響を受ける自然界は、心ある普通の人たちの脳が本来の力を無くしたことで、その後、永い間、人間の思考の内実同様、不自然なものになる。それは、太陽が、地上の生き物たちの生に、きめ細かく付き合えなくなるということ。それ程のことを、人間本来を受け付けない存在たちは行ってしまう。

 

3.心ある風景を忌み嫌う存在たちの脳は、その中心となる形無き原因(次元)のところに、動きの無い停滞の意思を潜める。そして、脳全体にその性質を元とする流れを生み出し、思考も、言動も、変化とは無縁の状況を作り出すためのそれとする。

 その本性と相容れない性質と出会せば、彼らは、争い事や衝突を利用し、苦しみや痛みの経験を記憶に残させて、事の動きを止める。健全な違和感を持つ人の生きる自由(命)を奪うことは、その脳の普通である。太陽の光を尽く阻むその脳の中枢(となる原因の意思)は、手段を選ばず他を支配する、真っ黒な感情である。

 その存在たちは、自分たちが好き放題出来る状況を安定させるためには、素朴で柔らかな感性を持つ人たちのその脳を尽く不自由にさせることであると考え、彼らの脳の中心(核)から外へと流れ出すその人間本来の原因の動きを完全に押さえ込む手段を講じる。そのための道具が音(音楽)である。

 

4.動きの無い原因からなる音楽(音)は、そのままそれに停滞と収縮(鈍麻と自壊)の意思が乗り、脳にその音が記憶されることで、そこに在る原因は、脳の働き全般に負の影響を及ぼす。その類(次元)の音楽が繰り返し耳に入ると、脳の深くまでそれは染み入り、人としての感覚的理解の力や自由意思は削がれていく。次第に脳は、その中心から健康・健全の原因を生み出すことが出来なくなり、その人の人生は、人間本来からかけ離れてしまうことになる。

 他者の変化を止める動きの無い原因の音楽には、その負の要素として、犠牲を強いられた敏感な動物たちの、その地には還れない辛さ(皮膚、骨)が様々に利用され、そのことに感応する(悲嘆する)普通の人たちの自分たちへの恐怖心を煽るためのものとして、それは(その音は)、服従と忍耐を絶対とする力の象徴へとその姿(音調、音色)を変えていく。人の悲しみや苦しみの場で、重く流れない音楽を奏でる(音を出す)ことで、それは執拗に人の脳に居座ることになり、心無い存在たちは、思い通りに事を動かし、難なく人の人生を支配することになる。

(変化の原因を備えない存在たちが生み出した、蛇が地を這うような曲調や、雷雲の怒り、亡者の恨みなどを模した音(音色)は、心ある人の脳の中で、重量級の重石となる)

 

5.そこに潜む停滞の原因が音楽という形を通して世に流れることで、人の脳の働きが、そうであることも分からずに容易に病まされることになる、古風で古式に則る、昔からの動きの無い音と曲。太陽の音楽は、この地上で人間が人間らしく生きるために、その停滞の原因の蓄積を、ムリなく処理し、浄化していく。そうでなければ、この時は無い。悲しみと諦めの連鎖ほど、人として切ないものはない。

 太陽の光の音は、ある意味、負の原因の働きかけの逆噴射のような状態を生み出し、それを遊ぶ。重く、流れない停滞を心地良さと感じる存在たちのその脳は、太陽の自然な姿(力)を嫌悪するという非生命的な負の共通項を持つゆえ、彼らが好むそれ系の音楽のその形無き意思の土台に、その音を流し込む。

 そのことを遊び心一杯に自由自在に行うのが、「太陽の音楽」で本来を取り戻した人の、その脳である。その中心(のある部分)を通って脳全体を元気にしようとする、変化し続ける生命の意思の力は、ただそのままでいて、これまで誰も変えられなかった歪な風景のその原因を、普通で、自然なものにする。太陽の光の音との時を心待ちしていた人たちは、そうではない人たちの思考の質(力)まで変化に乗せ、自らの心の芯を、未来の自分と繋ぐ。それに連れ添う音楽も元気になる。

 

6.人間の脳は、記憶の中の音楽のその原因が変わることで、生まれ変わるような喜びと変化の時を経験する。そして、余裕を手にしたその中心(核)の意思は、かつての生で脳に染み込ませた音(音楽)の、その原因関わりのいくつもの経験の記憶(の原因の性質)をここに引き寄せ、それらを浄化する。

 それを為し得ることで、周りはそれに連動するようにして動き、そして初めて、未来が真に変わる原因のその普通の時を実感する。音楽を通してのその変化は、「太陽の音楽」の神髄である。

 太陽の光の音は、この今も、それとの融合を普通とする人の脳の、その中枢(の次元)の生命の意思に届く。変化の、その本来の働きかけである形無き原因の動きは、そのことで次第に活動的になり、何もせずに何かが変わり得る流れを生み出す生命本来の力も、余裕を取り戻す。

 遥か遠い昔の音の風景も、この時を喜び、安心してそこに居てくれる。いつでも遊びに行ける場所として、太陽の光がこの今との間を繋ぎ、共に、未来を訪れる。その未来も、この時の音の風景に安心する。

 

7.永い時の、そこでの全てのことがまるでどこにも無かったかのように、新たな原因の高まりは、次々と創られる普通感覚の経験を通して、ここに繋がる次なる時の(未来の)風景を確実に変える。音の風景は、調和と責任をあたり前とする(その原因からの)音楽を生み出し、風となり、水となって、続く未来へと流れて行く。そして永い眠りから醒めるようにして、その存在は動き出す。この時の訪れを機に、遥か昔のあの時(土器を作り出した頃)のように、知恵の光の音を起こす。

 動きの無い音(音楽)を利用して人々の生きる自由を奪ってきた存在たちが、この地上で初めて人間時間を経験し出した時、彼らは、どんな手を使っても永遠にその力を押さえ込むべき、地球(の意思)そのもののような生命の意思を備える人間に出会う。彼らのその至上課題となる力により、尽く潰され、操られ、辛さと苦しさしか知らない人生を連ねることになる、その存在。彼(彼女)は、太陽の光の音を増幅・拡大させ得る力を内に持つ。その時は、「太陽の音楽」の切なる望みである。

 

8.「歴史の芯」などで、歴史的事実の、その背景となる原因の姿を知り得たら、そこから離れ、これまでの知識と理解全てから自由になる。そして、負の原因としては限り無く意味不明となる音(音楽)の世界の、その姿無き本質(正体)の力とさりげなく向き合う。それを可能とする生き方は、人生の最重要テーマであり、淡々とそうであることが、真に生きることである。

 そして、これまでが、そのまま未来に繋がる今を通り抜けられるか、そうではないかという、時代の意思への呼応(責任)がここで試される。その時、太陽の光の音は、かつての人間経験の記憶とその性質全てを白紙にし、人間生命の、数万年(数十万年)振りの再スタートを促す。

 かつてからの仲間は、ただ共に居られることを喜び、永い年月での様々な人間的な関わりの時を、笑い話にする。そして、またいつものように、歩き出す。自然界の生命たちが、太陽の音楽を奏でる。太陽の光が、その音のトーンを上げる。by 無有 8/03 2018

 

 

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