太陽の音楽(8)

 

1.心ある人生のその原動力となる、子供心。7章で、その基礎となる在り様を本来に、力強くその原因を動かし得た経験は、連なる時代のその背後に身を置きつつその時を待ち続けていた、遥か昔の音の風景の望みを、この今に通しやすくする。

 それだけ、子供時代の太陽の光に支えられた遊びは貴く、それを以て引き寄せられる未来は、不安を知らない。これまでのどの時代にも為され得なかった、子供心のその真の原因の重ね合い。それは、凝り固められた歴史的負の連鎖のその土台を砕く力になるもの。何もせずにそうである現実を生み出し得る新たな普通は、太陽の光の音との融合を基に、自らのその質を成長させる。

 人間の経験の外側であった「太陽の音楽」は、思考の質が生命としてのそれとなる人のその(創り出される)経験の一部となり、この8章を共に支える。永い時を経てここに形になる「太陽の音楽」は、太陽の光の音の時代を知る存在たちの、その切なる想いである。

 

2.不自然という世界を知らず、気負いや緊張といった感覚とも無縁でいる生き方が暮らしの普通であった人々は、ただ生きることをし続け、身体を離れる(終える)時も、その姿勢は変わらない。始まりも終わりもなくその普通を繋ぐことを基本とするそこでは、誰も不安や不穏という次元を知らず、歪な世の蓄積からなる死の概念も存在しない。人は、共に支え合う調和ある風景で、健康という生を自然に生き、その全てを安心に、自然に生を生きる。

 人が身体を終え、姿を消す時、失う辛さも、残される悲しみも、誰も知らない。その変わり行く自然な営みの姿を前に、そうであって欲しくない自分は、誰も経験しない。ただ共に生きることが生きることの理由であるような環境の中で、人は、生命を生き、人間という生を、その意識もなく全うする。それは、時を迎えて群れから離れ行く海の哺乳類たちの姿のように、さりげなく心を重ね、見つめ合い、尊重し、生かし合う。

 太陽の光の音は、そこから届く。その時代と同じ場所(地上)で生を送る人の世に、その頃の経験の記憶(の原因)を持つ存在たちの心の芯を通り、流れ出す。当時、その真ん中に居た、形無き原因の世界の核となる存在も、その意思を確かにする。

 

3.かつて、ある非生命的な意思によって、細胞深くの生命源と繋がる意思活動までが不自由にさせられてしまう程の負荷を覚えた時、彼(彼女)は、そのどうにも対処し得ない形無き原因への浄化は未来に任せ、その時のために、その材料になるであろうことを形に、皆に、繰り返し土器を作らせる。

 土偶の元となる出来事(奇形、母体の異常と痛み、蛇の脳を経ての異生命(体)の意思の具現)が続く中では、それを仕掛けた姿無き存在によって何度も脳を壊されてしまうが、それでも太陽の光の音を内に秘めつつ、真を外さずに行動し、生命を生き続ける。歴史が刻まれ出してからは、生きる力を尽く削がれ、非人間性をしつこくすり込まれてしまう程、彼(彼女)はその全てを徹底して支配されてしまうのだが、太陽の光は、光の音を自分のものとする存在たちを繋ぎ、それぞれにひとつひとつの大切な役を担わせて、‘その時’まで持ちこたえ得る道を差し出す。

 現代は、その確かな原因が具現化した時代であり、太陽の音楽という道を通り、太陽の光の音の時代のそこでの普通(の原因)を共に再生させる時である。太陽の光の音は、7章以降、本格的な実践の時を経験する。

 

4.太陽の光に抱かれ、人間も自然界も共に太陽の音楽(光の音)を奏でていた遥か昔の、この地上での普通世界。それがそうではなくなる負の原因に押さえ込まれながらも、ここにその太陽の光の時代の音が繋がり得るという普通は、人間の思考からなる奇跡の次元を大きく超える。思考の時代とも言える、その間に生み出された、地球自然界にとって無くてもいい原因の形は、太陽の光で、居場所を無くしていく。

 脳が病むことを知らない自然な暮らしでは、人の何気ない感覚(動き)が不自然な原因をさらりと浄化し、ありのままでいる人々は、不調や痛みの理由を少しも寄せ付けない。脳の働きが感覚的な調和を基本とするので、そこでのふとした発想は、必要なものや空間を自由に創り出し、その自由を皆で楽しむ。そうであるための(そうであろうとする)思考は何も要らず、ただそうである風景に、人は生かされ、自らもその風景になる。

 その風景からは、この時代のあらゆることが違和感であるゆえ、そこでの普通が、光の音としてここに伝わり、心ある人の脳を本来にすれば、普通の質は次々と更新され、元々そうであった時の普通へと、世は変わり出す。不安や隔たり、病気や争い事が力を無くし、自然界の生命たちも、安心して人の世と融合する。それは、人の思考では、凄まじい進化。でも、人の心の芯からだと、ただ懐かしい時の光の音の風景である。

 

5.有る世界から無い世界を観ることは、それなりの感触を伴う理解を生み出すが、無い世界から有る世界を観ることは、有ることがあたり前の世界に居ては、永遠に難しい。それでも、有るべきことと、無くてもいいことへの感覚的把握が普通本来のそれとなれば、少しずつそうである自分に触れ得、その燃料となる形無き抽象(原因)の変化にも反応するようになる。有る無しの世界は、有る世界発の、無い世界を退けた有り続けるのみの世界。どちらでもあり、どちらでもない感覚的な成長は、そのどこにも無い。

 無い世界からの、生命としての思考に触れる時、それだけで人は健康になり、問題事からも縁遠い自分でいられることを知る。病気は無いもの。争いも衝突も、その原因はどこにも無いもの。それをそのままに生きた遥か昔の、太陽の光の時の記憶が甦る。無くてもいい経験の蓄積は、それを元とする思考で固められても、その思考を不要とする原因によって、その力を失くす。その原因の成長は、そのままで、太陽の光を誘い込む。

 無い世界発の発想は、そのどれもが人間本来の姿であり、生命としての普通の形である。試しに、病気は無いものとしての生を送ってみれば、自ずと健康の原因が高まることを体感し、不自然・不調和を生み出す価値観からも離れることになる。争い事(問題事)などどこにも無いものとして思考を自由にさせれば、経験を引っ張らずに次なる経験の原因に責任を覚えるようになり、二者択一的世界からも自由になって、安心と平穏が普通になる。

 それが、人間の普通である。病気や問題事が有る現実での普通は、それらとは無縁の生命たちと共に生きるこの世界で、居場所を持ち続けることは出来ない。

 

6.その無い世界からなる真の普通は、永いこと本来の意思活動を押さえ込まれていた人の脳が自由を取り戻すことによって、有る世界では限り無く信じ難いこととなるような現実を創り出していく。

 記憶の中の音の風景から要らない性質の原因が居場所を無くすだけでも、それへの流れは、力強く、元気に動き出す。そして、理由の要らない安心と繋がる心が力を発揮し、不安や怖れの原因を処理していく。

 太陽の光の音がかつてのように心身の活動に一緒に参加するようになると、自然界の自然な望みが自由に人間の世界に入り込むようになり、不自然さや不健全さを備える現実が、繋がる場所を無くす。そして、生命世界には異物となる(人間優先の)思考型の価値観は、姿を消す。

 心ある人の脳は、それを普通に楽しむ。何もせず、何も求めず、ただ何気ない違和感が、事の本質をその原因から変える。過去をそのままに次へ行こうとする、結果絡みの濁った空間は、いつのまにか粉々になる。不安定感を増殖させる、重く流れない時間の重なりは、ふと気づけば、変化の中に溶ける。

 無い世界(次元)に支えられる生きた感性は、有る世界の、形無きその原因の中に有るものを、無いところから厳しく観察し、それを生命の基本形となる中庸の原因と重ねて、その質を本来にする。それは、元来、人間の脳が持つ、真の普通。その導き手となる存在は、その自覚もなく、そうである時を淡々と歩み始める。

 

7.音感が、頭だけで作られた音楽を必要としなくなる程、自然界が嬉しいそれになると、その時を待っていたかのように、生命の意思は、次なる浄化作用を促す。それは、脳の中のある次元層に感知されないまま居場所を確保していた、姿無き不穏な意思のかたまり(酷く病まされた自然界の痛みに付き合うようにして形無きかたまりと化した不健全な経験の性質)への違和感とそれへの処理。心の動きと脳の健全な働きを不自由にさせていた(封じ込めていた)それは、音の本来が力強くなることで、そうであるべき時を迎えざるを得なくなる。

 「太陽の音楽」のEWによって動き出す、その変化の時。形無き原因の世界の変革(進化)とも言えるそれは、まさに生命の望み。歴史が刻まれ出す時よりもずっと昔、人の心は、脳に入り込んだある性質の姿無き意思により、力を無くす。その部分と繋がる体の別の部分の、その別次世界との通り道も、それまでと同じ仕事をし得なくなる。

 その修復・浄化への道は、とても厳しい。それでも、それが始まり出したことの意味は大きく、そのことで経験することは、これまでの理解を大きく超える。遥か昔の心ある人たちが、その意識もなく、やむ無く経験させられた、世の病みの原点とも言える、彼らの生命の意思への封殺と破壊。永い時を経て、ここに、それへの対処の時を迎え、その非生命的な負のかたまりは、次第に崩れ出す。

 数万年(〜数十万年)という、気の遠くなるような年月における、そこでの心身(脳)の不自由さの原因のかたまりが初めて動き出すわけだから、その過程では、気だるさや不調感(体の重たさ、眠気)など、かなりのものとなる。けど、そのひとつひとつの変化が、少しずつ時代の色を変える力になる。何の問題事も無かった、まだ人口も少ない時代に生きていた人たちの切なる想いが、繋がり得たその原因(太陽の光の音)と共に時を突き抜けて、ここに具現化する。この時の脳の変化は、奇跡という名の普通を広げ、共にそれと融合し得る新たな生命たちを増やす。

 

8.思考を忙しくさせる分、人としてあるまじき原因の嘘(本性の危うさ)は隠しやすくなる。知識や情報の世界に身を置くことで、心の無さも上手くごまかし得る。

 その形あるところに価値を置いた多数は、皆がそうであることで見えなくさせられる不穏な思惑に浸り、原因が動かないままのその中身の無い知識(情報)世界だけである種の経済が成り立つという、恐ろしく低次の世界(病み世)を作り上げる。

 「太陽の音楽」は、その嘘の原因を、自然界の変化そのものの生命の原因で包み込み、太陽の光で、余裕と遊び心一杯にその世界をくすぐり、中身を表に出す。人間の生命としての変化・成長を止める原因の嘘は、元々この地上のどこにも無かったもの。太陽の光の音が元気に響き渡ると、支配欲や権勢欲(差別心、優越心etc.)の燃料となる形無き嘘の(原因の)次元が、おかしなくらいに揺れ動き、焦り、崩れ出す。

 その生命世界の普通の中で、生きる自由をずっと抑え込まれていた人の心身は、これまでにない自浄力を活発化させ、染み込んでしまっていた要らない負の原因を尽く取り外す時を、細胞たちの意思と共に楽しむ。胸や背中ががちがちになり(こわばり)、痛みを伴う圧迫感を覚えることがあるが、それは変化への喜び。まるで腐敗型の虫が体の中でうようようごめくような気分の悪さを感じることもあるが、それも嬉しい。そんな状態を経て、生きる原因は確実に変わり出す。

 ふと見渡せば、時代の好転反応のその形無き原因の風景の変わり様に気づかされる。腐敗・停滞型の原因に違和感を覚えることのない非生命的な本質を備える人は、内に潜める醜い感情(我欲、暴虐、ふしだらetc.)を、それまでのようには隠し続けられなくなる。人の苦しみを他人事に、身を飾り、好き勝手に欲のままに生きられる生を本心が望む人は、その大元となる自らの中の恐怖と怯えの感情と向き合わされる。妙な高揚(興奮)と有り得ない意気の沈みにも見舞われる。

 「太陽の音楽」のEWは、どこまでもさりげない。ただ人の世が、自然界の望みと融合する本来の時へと戻るだけだから、始まりも終わりも無く、その全てが、普通の中で、普通に為される。そして、これまでの全てが、これからへの原因になる。かつてのように、太陽の光の中で共に生きる。by 無有 8/05 2018

 

 

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