太陽の音楽(9)

 

1.動物たちは皆、それぞれに同種の仲間たちと同質の生の営みを共有し、互いに自分たち特有の個性を同調させながら、感情(心)を響かせ、望みを重ね合わせつつ、自然界の中での自らの分をありのままに生きる。植物も、その生態は違えても基本は同じ。どこに居ても、同種間との繋がりを元に、ただ生きることを理由にそのままを生き、それぞれが、一生命としての個性ある分を実践する。

 同種の繋がりは、動物も植物も、何の理由も無くあたり前に大切にされ、他のそれとの自然な融合と、互いの在り様への尊重がその基本となる。そこに微生物の次元が生の潤滑に加わり、水や空気が、その全てを生かす。それらに守られている立場の動植物たちは、そのことを本能的に知るゆえ、自然界の中では皆、全てであるひとつの真の在り様を支え合う。

 

2.自然界のその自然な姿を守ることを生きる基本に備える人間は、動植物たちの、その生命としての姿勢を自らの生に重ね、共に生かし合うことを普通とする。病みを知らず、争い事とも無縁でいるその人間の暮らしに、不自然・不調和な様は生まれない。悲しみや切なさといった感情も誰も経験することはなく、そうである経験の中で、人はその普通を繋ぎ続ける。そこに在る、あたり前に健康でいる、ただそれだけの原因。平和も愛情も、それそのものでいる風景の中では、風や水の流れと変わらない。

 それがそうではなくなった時の、そのあり得ない経験は(「歴史の芯」)、その理由がどんなであれ、その原因も含めて、それは自然界の全ての生命たちに響き、伝わり出す。一度も経験の無かったそのことがもたらす影響を、人間は(動植物たちも)知る術を持たない。それまで存在しなかった悲しみは、遠く離れた生命たちにまで、無くてもいい緊張を与え、普通であるはずの彼らの営みに、異常な負荷を覚えさせる。人は、必然的に、その事実(異変)を記憶する。動植物たちと共に、遥か昔のその時から今日までずっと、経験しなくてもいい悲しみの繋がりを持ち続ける。

 

 

3.ある犬が何メーターも離れたところを歩く見知らぬ人に異常な程に吠える時、彼は、その人の中に、非生命的な本質を見る。遠い昔、動物たちに要らぬ苦しみを与えて悲惨な現実を作り出した人間の、その人生を支配していた姿無き意思(本体)が現代に選んだその人の姿。犬は、それに反応することを許される心ある人との安心の空間で、その切なる記憶を形にする。反応の形は様々でも、動植物たちのその次元の基本は同じである。(※ある人間に同胞感覚を覚えて、感情を刺激され、生きる自由を強く願う時に盛んに吠えることもある)

 ある人が何気に接すると、特に何もしてないのに草木が元気に育ち、またある人が珈琲を入れてくれると、それだけで心身が元気を覚えることがある。片方では全くそうではないこともあり、草木は枯れやすく、美味しく感じるけど気分までが落ちてしまう珈琲もある。

 水は、その人の本質に正直に反応し(転写され)、その影響を受ける植物も、そこに在る原因の性質をそのまま反映させる。かつて自然界が苦しみを覚え出した時のその背景と融合する、危うい本性を備える人の生の原因は、動植物たちの生命力をその意識も無く奪う力となる。

 

4.歴史が刻まれるより前の、病気も争いも無かった時代に生きていた経験を持つ人たちは、動植物たちと同じように、非生命的な原因を潜める人間のその歪な姿に反応する。自然界と共に自然に生きた彼らは、動物と同じように人間という種を健全に育み、想いを融合させて、生かし合う。遠く離れていても、自分のことのようにその人を感じ、どんな時でも、全てであるひとつの人間の時を守り続ける。

 その普通が崩れ出した時の経験と、それ以降の重苦しい風景は、誰もが記憶する。人生を連ねても、いつの時も押さえ込まれて尽く壊されてしまう、彼らの切なる望み。非人間性を普通とする人間の数にどうにもならなさを覚えながらも、変わることのないその本質をそのままに生きることを実践する。動植物たちと共に響かせる太陽の光の音は、永遠であるから。

 「歴史の芯」の時を経て辿り着いた「太陽の音楽」は、それとの融合を重ねることで、遥か昔の、自然そのものの自然界のその原因をここに運ぶ。そのためのEWを進化させながら、その時の記憶を持つ生命たち全てを元気にし、ここに至る切なる経験のその原因を浄化する。動物も植物も人間も、太陽の光に抱かれる。

 

 

5.太陽の光の時代、生命たちは、どちらでもあり、どちらでもない中庸の次元に包まれた自然界の中で、共に自らの分を淡々と生きる。人間もその自然界の一部。一生命としての人間時間を、他の生命たちと共に、心温かに、健康そのものを生きる。

 病気や問題事の存在を前提としたこの時代に、かつての太陽の光の風(原因)を誘い込むことは、常識では考えられない。でも、それらの困ったことが何一つ無かったその時代の人間の脳と今のそれとの間に、違いは無い。「太陽の音楽」が案内する、その頃の経験の(記憶の)原因との融合。ムリなくそうである人の脳の変化により、病気や問題事の背景(理由)と少しも触れることのない新たな原因が創られる。その時が、ここに在り、そのためのこれまでが、これからと繋がる。人間のあるべき在り様が、その基本から生まれ変わる。

 その機会の中では、どんな厳しさも、喜びでしかない。自然界が安堵し、地球が喜ぶ、人間本来の生の姿。ずっとこの時を待ち望んでいた生命たちは、自分たちと時を重ね合う人間の、その歩みを、殊の外嬉しい。これまでと全く次元が違うようでも、これまでのどの時も心ある人の中に在った、その変化の原因。動き出し、流れ始めたら、その原因は、どこまでも普通に具現化される。

 

 

6.ここに至る無くてもいい経験の中で脳に染み込ませてしまったもの全てから自由になることで、かつての太陽の光の(音の)時代のその原因と繋がることは出来るが、その状態を普通とするのは、この現代に生きる人間にとって、限り無く難しい。それでもそうあるべきところへ行くことは不可欠で、心ある人は皆、その大元となる原因を内に潜める。無有日記との縁は、そのためでもある。

 これまでの経験による思考や無意識の影響力がどんなであれ、少しでもそこへと変化に乗り、確実にそうである自分を重ねていくために、ある手法に事の流れを重ねてみる。それは余りに意外で、物足りないものかもしれないが、自らの本質となる部分を見つめることと、生命としての責任感覚を高める必要性がそこでは大切な要素となるので、そのことの難しさや厳しさを通して、自ずと原因の質は変わっていく。そして、同時進行で、それは自然界が喜び、安心する動きをする。「人間」と「仏陀の心」も、ごく普通の理解としてその材料となる。

 その手法(行為、動作)については、これまでにも、左手で食事をしたり、左手で物を扱ったり、動かしたりと、それ関わりのものを様々に実践してきている。そう、それは、左手を活躍させることである。その左手を更なるEWに活かし、その普通を成長させる。

 

7.利き手の都合が生まれたのは、より強く、激しく他を攻撃するために、片方だけの筋力を鍛えたことによるもので、否定感情とは無縁の世では、それは無かった。右手が主になったのは、言葉では表し難い次元であるために伝わりにくいが、そこにはある種の感覚が鈍化するに至る、形無き存在の危うい意思が絡んでいる。

 それ在りきで繰り返し時を連ねて来ているので、右手主導の利き手を不要にする時を経験することは考えられないが、それでも、その固められた事実に潜む負の原因を力無いものにすることは出来る。左手のEWはそれを可能とし、自由に両手を使っていた、争いも支配も(苦しみも痛みも)無い時代の原因をここに運び入れる。そして、そこからだと違和感でしかない病気の元を崩し、問題事の手前に在る形無き不穏な感情の影響力も無くさせる。

 「太陽の音楽」との融合を通して、人や場所のその姿無き原因の性質に敏感になり出した自分がいれば、右手を使わず、左手ひらだけで「太陽の音楽(7〜9)」と「太陽の光の音」を感じてみる。手のひらを立てるのも、体のどこかに手を置くのもOK。右手に特に仕事をさせず、左手だけのEWを変化に乗せる。そして、左足(指)や左手、左向きなどに意識を向け、その時の感覚を楽しんでみる。そのことで始まる新たな時の原因の風は、どこまでも優しい。

 

8.そして、自然界の(LED照明による)悲しみを自分のことのように感じ、それを本来へと戻すべく意思表現を普通とする自分がいれば、太陽の光が今よりもずっと元気だった、数十万(数百万)年前の頃の風景と、そこでの自分を、左手ひらで感じてみる。太陽も地球も、それを嬉しい。

 経験から自由でいるというのは、どちらでもあってどちらでもない原因の中に常に自分が居るということ。それは、思考型の(二者択一的な)価値判断を一切寄せ付けず、結果(過去)に居続ける感情にも付き合わない。EW初のスタイルを通して見る、この今ならではの変化の姿は、まさにそれを普通とする自分。その経験は、何も無くても必要なもの全てが有るかつての風景のその原因を、そのままここに通す。触れるもの、行く場所、居る空間のどれもが、自然界が喜ぶ原因のそれになる。

 音(音楽)関わりの真の普通を通して本来を取り戻した脳は、ぐんぐんとその普通の質を高め、通常あり得ないであろうことを、楽しみながら表現する。何気に生み出される空間は、平和そのもののそれとなり、そうではない空間を余裕で包み込み浄化しつつ、広がり、伝わり、繋がって行く。そこには、あたり前に健康で健全でいる原因も在る。太陽の光の音との融合が生きる基本となる時を経て、あらゆるものが、生命本来の変化に乗る経験を普通としていく。

 太陽の音楽は、太陽が嬉しい音楽。太陽の嬉しさは、地球自然界の安心と平和。そして、そこで生きる生命たちの、自然な姿。

 生命たちは、同じ仲間である人間に、切なる想いを託す。これ以上自分たちの本来を抑え込んで欲しくないと…。それは、人間にしか出来ないこと。人間が何よりすべきこと。

 「太陽の音楽」に在る、全ての文章とその原因を自分のものにし、真の普通を生きる。そうにはなれない理由に付き合う時間は、どこにも無い。永い時を経てやっと引き寄せられた、一度切りの、生命源からなる原因の時。太陽の光の音と共に、その原因を未来に繋ぐ。by 無有 8/08 2018

 

 

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