連繋の意思

 

1)水や空気のように、心の素朴さをありのままに連ねる人は思う。なぜ心を思考で扱い、わざわざ心をきゅう屈にさせる人がいるのだろう?と。優しさの意味を知らない、優しさそのものの人たちは、互いに素朴な疑問を共有する。なぜ彼らは、人に優しくしようとして、湧き出ようとする優しさを抑え込んでしまうのだろう?と。

 人は、心であり、優しさは、その自然な姿である。形を持たない心に支えられ、形をつくる優しさに添われ、人は、形ある人でいられる。それは、全てと繋がる心の意思が、優しさを繋ぎ役に全てであるひとつ(全体で中庸そのもの)の時へと人を案内し、そこでの道を皆で一緒に歩む共同作業のようなもの。心無くして人は生きられず、優しさが外れた人生も存在しない。心も優しさも、思考を遠くに、それへの言葉も寄せ付けず、そのままで変化(進化)の材料となる原因の連なりを人に託す。人は、それに応え、生命を生き、人間をやる。

 

2)そのことへの理解は、理由の要らない喜びの中で息づく、生命の智恵。知識の域には収まらない、流れる普通。普通だから、大切なことを求めることを知らず、大切なことが自分から離れることもない。変化し続ける原因と心が同じ場所に居るから、滞りを生み出す経験を経験することもない。

 創り出される空間は、そこに居る人たちの存在の質と同一となるので、いつでも透明感があり、どこも柔らかな想いで満たされている。時間の流れは、その密度が想いと重なるので、意識されることもなく人の感性に連れ添う。その全ての大いなる原因と自由創造の経験の中で、人は、通じ合い、重ね合う個性ある原因を互いに高め、形を創る(形になる前の)形無き交流を楽しむ。現代の特異能力(テレパシー、精神感応)も、そこでは誰も意識すらしない普通の営みである。

 

3)その風景は、「心の遺伝子」が伝える、本来という言葉も要らなかった時代の、心豊かな優しき人々のありのままの姿。誰のためでもなく自然体で生きる暮らしは、そのままでみんなを生かし、その何気ない普通は、みんなに見守られ、時を繋ぐ。共に生きる動植物たちも、それを喜び、安心に包まれる。安心は、誰のものでもない自然の今をみんなで生きること。

 風に乗り、水に流され運ばれる、自然界の愛情。そこでの基本形は、それまでの風景の原因との融合。かつての今と未来の今がひとつになる時の中で、同じ場所で、変わらぬ優しさを愛しき人々への想いに乗せる。それぞれの本質は、時を透過し、呼応する、純粋な心そのものであるゆえ、人は、自由に時と戯れ、空間を癒す。空間は時を重ね、この今に、これからに繋がるこれまでを通す。

 大地は、海も陸地も、否定感情を知らない柔らかな生命たちの生きる場所。自然体で、不自然な原因とは無縁の存在たちが住む自然界。この星は、素朴で心ある人間が融合の主導権を握る、完全なる調和と友愛の時空間。それは、地球の意思であり、それを普通とする生命たちの基本的な責任である。

 

4)今から1万6千年程前、それまで続いていた平和な風景が崩れていく。600年程かけて進行したその時の変遷は、信じ難い現実というより、理由も分からず経験させられた未知の世界。人も動物も、物理的に力を無くすのではない、自由にならない自らの意思と闘わされ、生命力を消耗させていく。なぜそうなのかを知ることも出来ず、ただそうなってしまう事実だけを学ばされ、どうにもならない辛い変化に引き込まれていく。

 新たに生を選び、重たい経験から自由になろうとしても、異様な抑圧に意識を奪われ、精神は自由を無くす。頭を極力働かせないことで、感性をより活動的に身体を先へと運ぼうとしても、気力を縛られているようでそれは続かず、切なさを蓄積させる。

 分からないとはいえ、その理由を探し、あり得ない風景を見せられても、そうではない場所を求め、その原因を高める。それ自体が全く無かった経験であるゆえ、焦りと覚悟が交叉する。感じ合い、触れ合う友との交流も困難になる程、それまでの普通は壊され、あたり前に繋いでいたみんなの生活の原因も、届く場所を無くす。

 それでもやらなければならないことは、真の普通の連繋。生命の歴史の道を途絶えさせない責任。人々は、少しでも動ける人が動き、伝えられる人が伝え、多くの場所で、未来へと、この時の全ての原因(想い、望み、真実)を乗せた物を作る。遠い日のいつか見つけてもらうために、その時まで残り得るものを丁寧に残す。その原因に触れてくれれば、必ずや自分たちの経験が浄化され、時代が本来を取り戻すことを望み、その姿に全てを託す。それが(縄文)土器である。

 

5)その後人々は、いつしか素朴さやさりげなさから離れ、それまでに使ったことのない脳のある部分を頻繁に働かせ、何かに向かい、何かを求めることで日常の事を為し得る姿勢を常とするようになる。それにより、一度も経験したことのない性質の感情が人との間で交わされ、どこにいてもそれらが心身の動きの原動力になるような、不思議で落ち着かない生活を営む。それはまるで異空間に住み続けたような、緊張と戸惑い。人々は、脳を忙しくさせ、人としての、心の自然な動きを止めてしまうことになる。

 現代人が抱える不安や怖れの感情が、人間社会に初めて生じたのは、この時である。心ある想いを抑えられ、理由も分からず引き込まれたオカシな現実で、要らない思考と感情を経験させられる中、人は、その不自然さを精神に馴染ませてしまう程本来を無くし、そこにどこからか入り込んだ、生命の成長・進化の原因を破壊する感情(不安、怖れ)を、その自覚もなく息づかせ、成長させてしまう。不安は、元々どこにも無かったもの。なのに、形無き巨大な力に抑え込まれるようにして、人は、異様な経験を繰り返し強いられ、どうにも出来ずに、その類の感情を育み、流してしまう。

 

6)その存在たちがなぜその意思を持っているかの理由は、言葉では表しにくいが、何であれ彼らは、地球を自分たちの新しい住処にし、その全てを支配して、ありとあらゆるものを破壊しようと、2万年程前にそれを試みる。その姿は、地球のどこにも無い性質のもので、例えれば、収縮と停滞そのものである腐敗型の意思が、形無き意識体として、異空・異次元の周波数を発しながら、形而上の粒子を保持しているようなもの。ただそこには、退廃・破滅への進行を経験し続けようとする活発な力があるため、それと質を異する物質は、皆その世界に関わると、彼らの流れに乗せられてしまう。

 その存在たちは、それまでにいくつもの天体を完全に支配し、そこでの生命体(のエネルギー)全てを破壊してきた経緯を持つ。彼らは、変化(生命)のサイクルとその力を潰し切った天体を負の燃料源に移動し続け、今までに触れたことのない次元の、未知の生命力を備える地球の存在を知り、そこに近づく。地球にとっては至極迷惑な話であるが、彼らの本質と本能にとっては、単なるその機会である。

 

7)その意識体は、分散と凝縮を自在に重ね、その重く動きの無い粒子の作用を変調させながら、地球を覆うようにして、その征服欲の実践を行使する。母船の役を果たす、そう遠くはないかつて居た天体(支配済み)が、そのエネルギーの供給地。その場所を中継して、同質の存在たちが数限り無く地球に集まり、本能のままに暴れ、動き回る。

 ところが、他の天体の時とは全く質の異なるその強力な反発の力に、彼らは図らずも苦戦する。地球大自然の自浄力はどこまでも力強く、そこに入り込もうとする異物への抵抗も凄まじい。地球本来の調和を維持すべく、その全ては痛みに耐え、自らを守り、変動と放出を繰り返して、止めてはならない変化の原因を高める。

 当然、子の異変に親は気づく。宇宙の奇跡であり、希望である地球を生み出した太陽は、地球の生命たちの自動修復の燃料となるエネルギーを注ぎ続け、彼らを見守り、応援する。太陽の意思(魂)と繋がる存在たちも、より高次な原因の世界で活躍する。

 

8)時を追い、どうにも思うようには行かない状況を重ねる中、その存在たちは、少しずつ軸足をずらし、退散ではなく、それへの新たな対策を練る流れを計る。軽く数十年単位の攻防を繰り返すところから離れ、中継して来た天体(その生命力を全て潰し切った星)に戻り、その支配・征服欲の本質を強めつつ、機を窺う。身を引くことを知らない彼らにとって、地球の抵抗は許し難い経験であるゆえ、その意識からは、怒りと憾みが増幅し、次第に、陰湿さと狡猾さを備える獰猛な動物のような感情を操るようになる。

 そして始まる、恐ろしく奇抜で、何を以てしても抗えない、その存在たちの試みる次なる企て。地球自然界の生命たちが、身を守るための術を全く持ち得ない(その隙を一切与えられない)彼らの手法は、ある部分で自分たちと同調しやすく、融合も容易とする、地上に住む蛇の脳の中に入り込むというもの。

 他の動物(人間も含む)には為し得なかったそのことが可能となったのは、蛇の本能と、繁殖する際の環境的な要素が、彼らの本質世界の一側面と適合するものであったから。その存在たちは、意識の質(次元)を大きく変え、その働きかけの焦点をより凶暴な種の蛇との融合に合わせ、それまでとは全く異なる手段を講じ、事を先へと進めていく。太陽を避け、月の出ていない夜に活動的になる蛇の習性は、その生態も含め、彼らの意思活動の重要な道具となる。

 

9)時を経て、その自浄力が活発化したことによる(地球の)変動が収まりかけて行く頃、新たな試みを次々と具現化させていくその存在(意識体)たちは、出会す動物をその本能の力で威嚇し、捕えて食べる。それを難なくこなしてしまうのは、蛇の脳に入り込んだ彼ら特有の破壊と停滞(腐敗)の強力な意思により、意識を向けられた動物の脳(の働き)が萎縮し、壊されてしまうため。蛇であって、蛇以上の恐ろしい力を持つそれらは、移動するだけで、その場所の空気を重くさせ、水や土を活力の無いものにしてしまう。奪われた自然界の生命力は、彼らの中に取り込まれ、その体を太らせ、人間よりも長生きする力の元となる。

 その存在たちは、人間と出会す時、そこに在る、自分たちには無い高度な仕組みの脳に強い嫉妬を覚え、本能を刺激されて凶暴化する重たい感情を攻撃的な力に変える。そのことで、普通ではあり得ない状態が人間の中で起きる。それは、脳の中枢となる場所の働きが鈍り、それを元に保たれていた他組織(器官)同士の調和が乱れてしまうというもの。何でもないことに力を要し、大切なことにも意識を向けざるを得なくなり、普通感覚であるはずの暮らしに、ムリ・ムラが生じるようになる。

 次第にそれは、動きにくさを慢性化させ、人間がそれまで経験したことの無い頑張りや集中といった、不自然な様を作り出していく。それはまさに、(蛇が持たない)人間独自の脳組織の機能が不健全となり、彼らの意識とその生命活動の周波数に人間が合わさせられてしまうことを意味する。

 

10)手段を大幅に変え、地球に入り込んだその存在たちは、思うままに破壊と支配の経験を積み、地球の良心である人間の、その心ある在り様を力の無いものにしていく。動物たちは活力を失くし、その反動による暴力を覚え、植物たちは腐りやすく、陰湿さを作り出す。それらは皆、彼ら蛇の望む普通。自然界は、どうにも出来ない事実の連なりをただ受容する。

 人間は、以前とはどこかが異なる感覚を覚えながらも、その理由に触れられる機会を持てず、少しずつ負荷をかけられるようにして窮屈感を抱かされる生活の中、淡々と時を刻む。蛇と一体化したその存在たちは、地球に住む動物としての生を獲得したことで、人間の脳を操り、その動きを支配して地球を病ませるという、今までに経験の無い新たな喜びと快感の時を楽しむ。

 その過程において、人間世界は、何をするにしてもそのための意識づけが必要となる程、異様な現実が各地で生じ、直面する辛さや問題事に取り組む不本意な姿勢をやむ無く経験する。人の脳は完全に蝕まれ、人間らしさはその力を失くしていく。余りに自然に事が進められていくために、それへの術を何も持たないまま、人は、経験しなくてもいい経験の中を漂うことになる。

 

11)地球が異物として拒絶したその意識体が、全く不可解な方法で地球に入り込んでから後、人間は、次第に転生のバランスを崩す。特に、何らかの形で蛇(の威力)の恐怖を実体験した人のそれは度合いが強く、生まれながらに不安や怖れの感情を抱き、心ある想いを持ちにくくなる程となる。そこには、その意識体の凶悪な意思が絡んでおり、脳の健全な働きを酷く鈍らされた人は、生命本来(人間らしさ)という次の生への基本要素を安定させられないまま、記憶の中に不自然さを重ねていく。

 その中でも、蛇に食べられたり、傷つけられたことをきっかけに身体を終えたりした人の場合は、脳の中枢を完全に支配され、その転生の中にまで入り込まれ(自由な意識の多次元的作用まで操られ)、次の生では、蛇化という言葉が当てはまるような、荒々しさと横暴さを備えた人生を送ってしまう。その影響は延々と及ぼされ、数百年の時を経て、人の暮らしも自然環境も、重苦しく不穏で、不健康なものになる。

 自動制御のようにして病み続ける様を(その実行役として)支える存在たちは、よりその構造を確固たるものにするために、意識体の質を高めるべく凝集を行い、密度を濃くして、少数で完璧を計る。その燃料の供給元もそれを喜び、征服の意思活動を徹底させる。蛇の生息する地球各地でそれは実践され、その核となる存在たちは、それぞれにその力を拡大させる。

 

12)自然界の健全な営みを破壊し、徐々に人間の脳をも完全支配する企てを実践する彼らであったが、自分たちの負の影響力が一切及ばない人間が存在することを知り、逆に恐ろしさを覚える。認めたくはないその事実に怒りを覚えながらも、へたすると自分たちの存在全てが無に帰されてしまうのではないかと不安になり、そこには近づかないことにする。

 ところが、その人間を通して、問題事が大きくならずに処理され、争い事が広がらずに済んでいることを知るに至り、どんなことをしてもその存在の力を潰す必要を覚え、恐る恐る策を練る。

 彼は、蛇が異常な姿を見せていることをすでに知り、その頃から人々の生活が乱れ出したのも、感覚的に理解する。転生の主導権を握り、生を持つ然るべき場所で不穏な方へと向かう流れを止め、その原因を可能な限り浄化する。そのことに多大な厳しさを覚えても、何よりそれを優先させ、実行するのだが、思うようには行かず、目には見えない重たい力に押し潰されそうになる中、彼は、直感的に心の意思を未来に放ち(伸ばし)、そうではない現実を引き寄せるべく道を探る。

 そして、辛く苦しい時代がこの先ずっと続く(続けられてしまう)ことを感知し、共に生きる人たちに、土器作りを促す。その時の訪れを、切なる想いで未来に託す。

 

13)それでも紛争は起きず、人々が互いの人生を奪い合うことも無く、形ある風景としては平和が続く。それだけでも良しとする部分で、それではいけないと思う部分を補い、人々は、生かし合い、支え合う普通を維持していく。

 頭の働きが自由にならなくても、ひとりひとりの心の意思は本来と繋がっているから、心が活躍出来なくても、心無い現実に何の違和感も覚えない自分を知らない。それが滑らかなものでなくても、互いに協力し合う関係性を本心とするから、要らない頑張りを強いられても、健気に、懸命に、みんなでみんなの時を守り続ける。

 それが時代を重ねるごとに予期せぬ不本意なものになって行くことをどこかで感じながらも、自分たちの原因を連ね、調和を繋ぐ。そして、どの時にも土器を作り続け、そこに、未来の自分への希求の約束を乗せる。

 

14)我が物顔に時代を暗躍し、その凶暴さに支配欲を絡める蛇らは、数百年の荒々しい時を何度も積み重ねる中、人間らしさを鈍化させて、自分たちと同じような感情を持ち得る人間を増やす。独自に進化させた脳組織を持ちながらも、その使用を忘れさせられた人間が、自分たちと融合しやすく、空間を重くさせる無意識を働かせていることにも、喜びに浸る。

 いつしか、蛇に愛着を抱き、蛇のすぐ近くで生活したがる異常な人間まで生み出し、自然界の生命たちを自在に病ませられる土台を固めていく。この地(国)でその核となる存在(意識体)は、よりその質量を高め、密度を濃くし、その影響力を巨大化させていく。

 

15)今から5000年程前、その存在たちは、自分たちの力(脳への破壊力)が全く及ばないかの人間への決定的な打撃を具体化させるべく道づくりを進める。それは、かつて蛇の脳に入り込んだ時と同じようにして、蛇との融合を密にする(蛇化した)人間の脳に入り込み、武力と数の力で彼の命を繰り返し奪うというもの。それにより、蛇のような人間として効率良く世を病ませられ、支配欲も満たすことになる。蛇の時とは質の異なる快楽を実行することもでき、彼らにとっては、より本能を活躍させられる場が生まれる。

 永い時をかけて、蛇に入り込んだ存在たちがその下地を作ったことで、人間の脳に入り込む手段(構想)が現実味を帯びる。理由の分からない辛さに耐えながらも、かろうじて争い事から縁遠い時代を連ねて来た人間であったが、その脳は彼らの本性に同調させられてしまう状態になっていたため、予期せぬ重大な出来事として、その可能性は高まる。

 それを強く願うのは、彼らの燃料源となる次元層(天体×2)に居る、凶悪な意識体。思いがけず強い抵抗に遭った以前の記憶を持つその存在たちは、その質を変えつつある地球自然界の様を喜び、その時を待つ。

 

16)3000年程前、ついにそれが現実のものとなる。この国のそれは、「再生」の中に書いているが、この時、世界各地で次々と恐ろしい現実が引き起こされる。この国では、それまでの時代が終わり、次第に、「生命の歴史」の前半部のような風景へと向かっていく。歴史的には、縄文時代の終わり頃とされるその時であるが、内容としては、人間本来の脳が完全に力を無くした時である。その後に続く、心を持たない存在たちによる負の歴史。弥生時代も、大和や飛鳥時代も、残されたものではなく、残り得なかったものと想いを重ねる。

 時をほぼ同じくして、蛇の中に居た意識体たちも、人間の脳に入り込む(人間になる)。心の無い彼らは、残虐非道な人生を普通とし、すでに脳をオカシクさせた(させられた)人を巧く操り、新たに生まれる心ある人たちの全てを支配する。転生には相変わらず関与し、病みを増幅させる。(平安期頃まで、ある残酷な必要性から、蛇のままでいたり、交互に変わったりする存在もいる)

 唯一その影響を受けなかったかの存在に対しても、彼が何処にいてもすかさずその姿(本質)を見つけ、力で抑え、命を奪う。(「この国の病みの始まり」「再生」「復活への道」を参照)実に酷いことである。これが今いるこの場所の、かつての風景である。そして今尚、その本性の遺伝子をそのままに、この時代仕様で暗躍する彼らの姿がある。それは、無有日記を通して分かり出す。

 

17)現代において、人が縄文土器に触れられることは偶然ではない。そこから伝わる遠い昔のその原因に感応できることも、不思議ではない。そう、それは、あの時の自分が作った土器との再会。あの時の想いが深くから癒される、この上ない喜び。みんなで作った未来へのメッセージが、1万5千年もの時を超えてここに繋がる。無有日記は、自由に時空を旅する、その案内人。生命の歴史の見通しもずっと良くなっている。

 3000年程前から現在に至る、生命にとっての大切なことは、2015年の無有日記の中で書いている。ここでは、それらがなぜそうであったかの、その原因となる重要な部分を、これからへの必要性を元に、形になろうとするところだけ言葉にする。

 大切なことは、それを知ることではなく、それを知り得る自分でいることを知ることで動き出す、そのこと(大切なこと)による変化である。そこには肯定も否定も無く、ただそれを体験するという事実だけがある。当然、真実は知識(思考)世界に居続けることはなく、知識になり得ない事実への理解を通して、それは普通へと姿を変える。

 そして、ここにその真実があり、変化がある。この文章との出会いを引き寄せた原因が生命としてのそれであることで経験する、これまでにはない力強い変化。そのこと自体が真実であり、何よりも大切とすべき、新たな事実である。それにより、永い時を経て、やっと脳も本来になる。

 

18)数百年前に生を持った人は、無意識の中にその時の経験の性質を記憶していて、2千年程前に何度か生を持ったことのある場合も同様に、その時々の自分の姿を抽象的に記憶する。

 その記憶の殆どは、普通ではいられなかった時の違和感と、要らない感情。心と密に繋がる脳は、人生に何らかの支障を来すことがあってもそれを携え、その性質全てを無意識から解放できる時を創ろうとする。それをその意識もなく妨げる、心を持たない脳は、その負の原因を無意識に閉じ込め、そこに在る危うい感情で人の動きを止める。

 「心の遺伝子」の風景を知る人たちは、地球感覚の責任を普通とするゆえ、その実践を通して彼らならではの原因を連ね、そこに、真の普通(真実)の本質を乗せる。それが簡単ではなかった永い時の記憶をここで解放し、復活への道を歩み出す。

 連繋の意思は、永遠である。生命の歴史もそう。そして、永遠は、いつの時も自然で柔らかく、滑らかなものである。

 人は、柔らかいから人であり、ありのままの原因を自分とするから、人間でいられる。未来のために、かつての未来のこの今にこれまでを溶かし、「心の遺伝子」の風景をここに重ねる。201512月。連繋の意思が、この場所を通り抜ける。by 無有 12/05 2015

 

 

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