再生(2)

 

1.形を生み出す形無き原因のところから、人としての責任を感じつつ、共に調和ある現実をつくり出すという、人間が人間でいるために普通に大切にされるべき、生きる基本の姿。その普通を基に、人間社会の中に在る様々な価値概念や思考(感情)に支えられた物や形を観察し、そこに在るそれぞれの性質を、分かりやすく無有日記は表現する。普通で、大切なことばかりが、そこには在る。

 その無有日記が遠ざけられてしまっているという事実は、(人間らしさを遠くに)形ばかりの人間を生きる人たちの、その原因の無さという力によって社会が動かされていることを意味し、そうであることのその元となる動きの無い結果が無数に積み重ねられて来ていることを伝える。

 その揺るぎない負の土台の中には、姿無き存在の意思からなる歪な(蛇の絡む)人間経験の記憶があり、現代の大勢は、その原因と強弱様々に融合する。それは、脳が純粋な人間のそれではないということ。人としての健全な原因が自然に育まれていないということ。無有日記への否定的な姿勢は、そのまま蛇色(非人間性)の濃さを顕にする。

 

2.生育本来の原因を潰され、処理し切れない傷を負わされても、それでも地上で生きる一生命としての生を生き続けることしか出来なかった、松の木。自然界との自然な融合から切り離されたまま、悲しみの中で生を繋ぐ樹木は、健康でいる普通という次元を遠くに、腐敗型の性質へとその姿を変えていく。

 それを喜び、樹木にすり寄るある種の蛇は、そこでの生を愉しみ、負の融合を密に重ねて、その場所の停滞感を増幅させる。それまで経験し得なかった、植物への支配という満足感は、蛇の攻撃的な本性を一層強め、獰猛さを磨く材料となる。そこに、樹木の苦しみの元を生み出した意思は、異常過ぎる異常な働きかけをする。その気もなく、蛇は、その中身を変えていく。

 蛇の脳に住み着くようにその原因の動きを支配した意思は、動物であるからこそ可能とする経験を活かし、その具現化された蛇特有の性向から取り込んだ(編み出した)残虐性を、そこに(脳の原因に)染み込ませていく。手足が無いことや体内の働きが独特であることも手伝い、地を這うだけで、その空間の動きが滞りを生む程の影響力を、蛇と一体となって作り出していく。

 

3.その多くは、目が異常に大きく、開くのもまれで、口には生まれながらに牙のようなものがある。手足は極端に太く、短いため、歩くことも出来ず、地を這うだけ。体には(薄黒い)うろこのようなものがあり、指や頭の形も人間のそれではなく、その殆どが数年以内に命を無くす。それらは、多種多様な奇形の姿を持つ、幼子たち。人間の脳を牛耳るために、その原因の次元に入り込もうとする、その姿無き意思の試みは、蛇の時のようには上手く行かず、何度もおかしな状態(身体)を経験する。

 生まれてくる幼子の姿がどんなであれ、それらは皆、人間たちにとっての大切な命。彼らは、いつ終わるかも分からないその異変に深い悲しみを覚えながら、決して有ってはならないはずのその姿を形(土偶)として残し、未来に、その原因への浄化を託す。この地球での人間の歴史において、この時ほどの苦しみの原因は無い。それでも、生き続けるために、彼らは生きる。

 蛇の脳を操りつつ凶悪な感情を次々と形にしていった存在の意思は、人間たちが奇形を前に苦しむその姿を笑い、思い通りにならない自分たちの様を悔しがる。そんな中、突然変異級の負の奇跡が形になる。時を経て、次第に蛇化する(蛇と同調させられる)人間の体内で、人間の形をした、本質が全く人間ではない体が育まれ、普通の幼子として誕生する。人間と人間とが獣のように争い(殺し)合うという、人の世ではあり得ないはずの悲劇は、この時の、蛇同然の感情しか持ち合わせない人間の出現による。

(当時の母体の辛さは、酷く厳しいものがあり、痛みを伴いながら目や口が変形したり、体の各所が委縮したり、肥大したりと、異常を極める。その姿も、(その原因を含ませた)土偶として、彼らは残す)

 

4.地球は、自分の中で生きる生命たちが苦しむことは望まない。その事実がどこかに在るとすれば、それを放って置くことはせず、そのための原因を常に生み出し、太陽もそれに協力する。生命たちは、その地球の望みに生かされ、力強く柔軟に生きることで、その想いに応える。ムリなく自然に生きられる場所を選びつつ、生きる姿勢を健全に、命を繋ぐ。自然界の変化に自らも参加し、不安も怖れも知らないありのままの受容と、生き続ける自由と責任を、無意識のところから育み、成長させる。

 その全てを支える地球の意思を感じれば、凶暴さを備える動物は、元々どこにも居なかったことを知る。肉食動物もそう。それらの存在は、地球の悲しみであり、無くてもいい経験である。そうであることのその元の原因が、地球の処理能力(自浄力)の次元を超える程のものであるための、その世界。自然界に生きる生命たちは、その無くてもいいはずの負の連鎖に抗えないまま、生命本来が外された生を繋ぎ、生きることになる。結果凶暴さを備えて生きる動物たちも、そうではない自分の姿を失くし、それしかない生を生きる。

 ひとつの生命体として、太陽の元で生きる地球。そこで生きる暴力的な動物の存在は、生かし生かされる生命本来から大きくかけ離れ、太陽との自然な関係性まで不安定にする。その果てに、やむ無くその修復(リセット)の時を創り出す、地球と太陽。それでも、それまでの負の原因は消滅せず、地球の悲しみは続く。

 

5.その原因を処理し、地球を地球本来へと変えるべく意思を形にする生命たちは、恐竜時代とされる太古の昔、そこに居て、なぜ肉食恐竜(動物)が出現したかのその原因となる事実を、永い時を連ねる中で把握する。その難しさに限界を感じながらも、自然界の切なる望みに支えられて時を活かし、直感を重ねて、その意思を貫く。

 その始まりは、土質の変異、そして植物の変質。動物に食べてもらうことで自らの分を生きる植物と、植物を食べて(植物の栄養となる)土に還る動物との調和ある関係性は、土が本来の仕事が出来なくなることで、崩れ出す。毒性を持たされた木の実は、徐々にそれを食べる動物たちの脳をおかしくさせ、水も少しずつ不健全さを帯びて、生命のサイクルを乱す。そして、数万、数十(数百)万年と時が経つ中で、土に還らない肉食動物(恐竜)が出現し、地球自然界の生命たちの在り方は、大きくその質を低下させる。

 その原因のところに、この地球には無いはずの不自然・不調和そのものの別次の意思が存在することを、時間をかけてどうにか見出した生命たち。しかし、それへの具体的な対処はどこにも無く、それが可能となる時の訪れを待つことにし、その時代時代での異変とその背景となる事実をしっかりと記憶に収めて、人間時間の次元を終わりにする。地球は、その時を待っていたかのように、より密度濃く変動を生じさせ、活動的になる。そして、次なる時の始まりの準備を、太陽と共に行う。

 

 

6.数千万年という地球時間を経て、再び人間時間を始めた生命たち。そのための場所としてこの地を選んだことの重要さを、太陽は知り、地球もそうであることを願う。太陽が安心する、その地形と気候。地球が希望を託すことの出来る、以前からそこに居る素朴な生き物たち。それらの要素を基に、彼らは、生命としての普通の質を力強く安定させ、何も無くても全てが有る、調和と健康そのものの営みを続ける。ずっと連れ添っていた海の仲間が、そこへと案内する。

 彼らの仕事は、地球が全く病んでいなかった太古の時代の頃からのありのままの変化・成長を、生き物たちと共に具現化すること。そして、それがそうではなくさせられてしまうであろう時を迎え、その全てを受け止め、地球の他の地域が何千万年(何億年)も前から病み続けてしまっているその原因を、処理・浄化すること。そして更に、その時を経て、争いや不調和を知らない地球本来の自然界へと、その原因を強めていくこと。どんなに時間がかかろうとも(時代が連ねられても)、それが始まったことを、地球は嬉しい。

 動物らしくない動物(肉食動物)が出現する下地を一切持たないこの地で、人々は、それしか知らない平和と健康の原因を、そうである意識もなくあたり前に高め、拡大させていく。そして、何万年も、何十万年もその生を続ける中、次第にそれは、そうではない周りの地域から違和感として感得されるようになり、争いや不安定を当然とする世界(次元)の中心が動き出す。

 

7.時代環境と地球の意思の浸透具合に合わせて、人間の前段階のような姿を持つ身体を自らとして、永くを生きた生命たち。脳が為し得ることの次元がかなり未熟であっても、全くそれは問題ではなく、いつの時も彼らは生命の意思に主導権を握らせ、研ぎ澄まされた感覚を重ね合わせながら、必要とすべきことを淡々とこなす。どこに、どんな風に居ても、互いの想いは呼応し合い、どんな時でも、不安は知らない。あらゆることが原始(未開)のそれであっても、それが全てであり、そうではないことはどこにも無いから、ただ地球と共に、生命を生きる。

 数千の生命たちが地上での経験を一旦離れた数千万年前、その時地球には、姿形は同じでも、肉食動物(恐竜)とその質を同じくさせたような野蛮な存在たちが居て、その後の数百、数千万年という厳しい時を生き存えた彼らの姿が、後の、猿人や原人(旧人)と言われる人間へと繋がる。

 そこには、非生命的な時代環境を基とする歪な生のルーツが在るために、やむを得ないことでもあるのだが、人類は、非地球感覚を磨き、地球自然界における生の在り様を無視して、不自然に成長・進化を遂げてきたということが分かる。植物食を普通とはしないその生は、植物によって成り立つ動物たちの世界を停滞させる。

 肉食恐竜が出現する理由(原因)にこの地球が侵されてなければ存在することも無かった、進化という概念。地球(植物)に生かされ、地球(土)に還る生の基本形がそのままであれば、地上で生きる動物たちは(人間も含め)皆、変化し続ける平和と安心しか知らない。

 

8.始まりが健全であれば、広がる風景も健全で、その原因が平和であれば、人は、そうではない世界を知らないで生きる。そこでは、あらゆるものが今とは異なり、思考は力を持てない。争いや不公正はどこにも無く、他を隔てる感情も、不安感も、経験の外側。変化・成長する場所は、事の手前の(現実を生み出す)形無き原因だから、頭を忙しくさせる問題事も生まれない。

 人間が、この地球に生きる一生命としての分を生きる時、それらのことは皆常識的事実となる。誰もが皆普通にそうであり、その普通を共とすることが、そのまま人生の喜びとなる。その普通しか知らない、この現代に生きる、数千の生命たち。彼らは、どの時代に生を持っても、地球の望みに想い(原因)を重ねて、生命を生きる。地球に、人間として生きていれば、それは当然のこと。それ以外の生き方は出来ない。

 彼らのこの地での経験の普通は、そうではない他地域の異常さを支えるその形無き存在たちの意思の反発を招く。しかし、それは分かっていたこと。砂地が変異を生じさせられようとしても、太陽の協力でどうにかそれを退け、それでもやむ無く進行してしまうその微妙な変化を体感の域に収めつつ、いつものように普通を生きる。その経験の記憶は、地球の財産となる貴い原因として、今もここに在る。by 無有 8/24 2018

 

 

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