再生(4)

 

1.人間の姿を欲したというよりは、人間が持つ、その計り知れない原因の力を抑え込むには、それ以外の方法では難しいと理解したから。樹木本来の力を削いだことで同質他の樹木が皆生命力を滞らせた松の木の場合のように、地球に住む一生命としての基本を全く持たない人間が誕生すれば、同じような(非生命的な)人間ばかりが増え、数千の生命たちはどうにも出来なくなると考えたから。そして、蛇の脳を支配した経験が、すでにそこへと向かえる場所に居ると分かったから。

 人間へと移行でき、その脳の原因と繋がり得れば、姿形は人間のそれでも、本性(本質)は、残忍さと狡猾さを内に秘める蛇のそれになる。そうなれば、人間の世界は、何もしなくても病んで行くだけ。それに反応する自然界も自浄力を弱め、生き物たちは、辛く苦しい時を普通としていく。そして、地球が地球ではなくなる。

 

2.数千の生命たちが転生する時の、その手前の原因(生命世界)の部分に入り込んだとしても、その意図を覆されて、逆に危うさを覚えさせられてしまうことを怖れ、その存在は、彼らの元に集う新たな人間たちの脳をねらう。それでもその試みは簡単ではなく、何度も不具合が生まれる。それを愉しみ、人間の苦悩を喜ぶ、蛇の脳に住み着いていた存在。その時の悲惨さは、現代にその一部が残る土偶(奇形、母体の異変)の中にも在り、それらの形態が、かつての凄まじさを現す。

 母体の中で脳の基本となる部分が形づくられる時に、それとの密な融合を図り、(その身体を活かそうとする)生命の意思を不自由にさせて、操りやすい土台を作る。それまでに傷つけ、恐がらせた時の経験(の性質)の記憶も利用し、そこでの成長過程で育む感性を潰す(外す)。それを延々と続ける中、どこから見ても人間でありながら、中身はそうではない人間が生み出されていく。

 その企てが具現化する際、ある蛇が偶然自らに取り込んだ、他の動物が本能的に近づくことのないある物質(異物)の力も作用する。その蛇にかまれ、傷ついた人間のその細胞(遺伝子)レベルの異変は、異常さを普通とするその存在の意思をより強力にし、不自然さ(異質感)の隠された、自然に見える人間の誕生に加担する。数々の異様な姿の幼児(乳児)の時を経て、その存在は、蛇から人間への移行を実現させる。

 その果てに繰り広げられる、蛇の特性をそのまま備える形ばかりの人間による、暴力と衝突。この地で、酷く恐ろしい時代が連ねられることになる。

 

3.数万年前、集中して一気に行われた、人間への移行は、人の住む世界を難無く混乱へと陥らせ、それまでの普通を崩していく。生まれてくる幼児の殆どが人間の本質を持たないため、人間らしさも、人間本来も力無いものになる。そのどうにも処理し得ない重量級の負の原因は、そのままどこまでも残り、非人間性を当然のように潜めた人間たちによって、重苦しくよどんだ歴史が作られていく。

 その原因の浄化をテーマに、事の原因から(嘘が本当とされた)事実を眺めた、この国の姿「歴史の芯」。そこでの歴史の時間軸として設けた大和飛鳥は、蛇絡みの原因が大きく具現化した、非人間性の極みのような時代。その土台にこの「再生」の内容が在ることを知れば、人間本来を生きる力も付く。いつの、どの時の出来事も、その殆どは、無くてもいいものばかり。「歴史の芯」にこの「再生」の原因を流し込み、より人間らしい生き方を普通としていく。

 生まれてくる子に奇形(土偶の原型)が見られなくなった頃、人間の社会は、それ以前はどこにも無かった、支配や征服の感情表現が姿を見せるようになる。それを普通とする蛇系の人間は増え、心や感性といった、形無き原因の性質は力を無くす。

 それは、腐敗と停滞の形が積み重ねられるばかりで、環境の質を調整し得る原因の働きが為されてないということ。この国は、土偶の元となる、様々なたくさんの奇形の出現の時から、自浄力を見失う。自然界も、変化成長とは無縁の、低次の受容を強いられることになる。

 

4.蛇と同質の脳を持つ心無い人間が増え続ける中、数千の生命たちは、何をしてもどうにもならない負の循環の中に陥り、要らない頑張りが常となる厳しい時を生きることになる。そのことを修復すべく術を見出しても、数の力で抑え込まれてその機会は消え、同じ想いを呼応させつつ新たな時を引き寄せようとしても、蛇系(の人間)の想像を超える非道振りに押し潰される。普通に生きることも、難しくなっていく。

 普通感覚を持つ素朴な人間たちは、そうなるずっと昔に残した土器と土偶の無事を願い、そのことが持つ可能性に望みを抱く。自分たちが、いつか転生する未来で必ずやそれと再会し、その原因を浄化することを、それぞれが自らに約束する。そこでの太陽に守られた知恵は、光のように、時を突き抜ける。

 非人間性を当然とする嘘の人間たちは、形無き原因の世界を全て否定し、形ある物の中に、自分たちに都合の良い妙な形無き存在(結果)をこしらえ、それに力を持たせて、人々を支配する。身体を終えた人間の亡骸や生前の感情(権力)までそれに利用し、蛇系の残忍な本質(正体)となる怯えと怖れの感情を、人間の脳に染み込ませる。当然そこには、蛇(動物)の姿も有り、その原因(心)の無さは、後の、嘘の神々による権力支配のその土台の一部となっていく。

 

5.時を経て、紀元前数千年の頃には、蛇系の元祖的存在を中心に、それと同質の人が増え、数千の生命たちも、様々にそれとの関わりを持たされる。それでも本来を失わずに、心をそのままに生きようとするのだが、身近なところに全く人としての感性(心)を持たない人間が多く居ると、それも難しい。そのあり得なさも、そのことへの分からなさと姿形が同じであるということを盾に、それへの違和感が違和感とされて、流されていく。生命たちは、変わり行く風景に何の対処も出来ず、次第に蛇系の空気感に汚染されていく。

 自分が利するために、他を利用し、狡く立ち回って、好き勝手に生きる。蛇脳の本性のままに動物を食べ、体内を滞らせて(腐らせて)体調を保つ。陰湿で、風の流れない空間を好み、どんよりと重く、変化の無い生を普通とする。

 そんな蛇系の人間と同じには行かない普通の人間は、彼らの嫌悪の対象となり、力で押さえられ、自由を失くす。脳は、その気もなく不自由さを普通とし、いつのまにか蛇系の生き方を馴染ませてしまう人も出てくる。

 その時代の非人間的な感情の風景は、現代の不穏な人間社会のその形無き原因の基礎となっている。それを元とする、一見普通に見える人々の多くは、時代背景が異なれば(時代が許せば)、平気で残酷非道なことを行ってしまう凶悪な本性を内に潜めている。

 

6.争い事に巻き込まれて命を無くした人たちが、別な場所に後に転生しても、初めて人間を経験する人が、ある時多く生まれ出ても、それまでと同じ不穏な世が続くのは、転生する人も、新たに生まれる人も、その殆どが、蛇の本性を基とする生をその気もなく送っているから。皆、その記憶の大元に、蛇だった(蛇を支配した)凶悪な存在が失敗を重ねながら人間になるという、恐ろしく不気味な原因を備えているから。

 その負の連鎖の土台は、人の転生が繰り返される度に堅固になり、新しく人間を経験する人が増える度に、厚みを増していく。何も知らずに生まれてくる幼子は、それ以外のことを知らずに蛇系の世界と同調し、母体の中で育んだ(更新した)蛇脳を活躍させる。いつの時代も、自然界を大切にする健全さは忌み嫌われ、人と人とが生かし合う平和な想いは、有ってはならない異物となる。

 心ある想いを普通とする生命たちは、そんな中でも、健全な感性を無くすことはなく、何があっても、心(の芯)はそのままである。そのために経験することになる、本来無くてもいいはずの辛い現実。彼らは、ただひたすらそのことを受け止め、そうであってはならない現実のその原因を、さりげなく大切にし続ける。地球時間における、地球の未来のための事(経験)の必要性を知るから、人間時間を余裕で眺めつつ、厳しい時を真剣に生きる。そこからは、蛇系の全てが、病みの(原因の)核を浄化する際のその材料(手の内)として見えているから。

 

7.その原因の性質が、自然界との融合をあたり前とするために、いつ、どこに生まれても、他との違和感としてその存在を把握されてしまう、数千の生命たち。彼らには、くっ付くようにしてそれぞれを徹底的にマークする姿無き存在(の意思)が居て、それらは、どの時代も、その近くで身体を持ちながら、対象とする人間経験を観察しつつ、その人の自由を奪う。

 それに対し、生命たちは為す術を持たず、いつの時も、理由の分からない動きにくさを覚えさせられ、それでも、そうである自分に抵抗することなく、その時々で可能とすることを淡々と行う。好きなことを好きなようには決してさせない、それぞれに付いた姿無き存在は、与える負荷の度合いを自由に変えつつ、その(生命の)全ての動きを操る。

 それぞれのその存在は、初めからずっと同一。時代時代で姿は違えても、その意思を持つ同一の存在(本体)は、形無きところで、同質の負の力を及ぼし続け、その人の本来を尽く潰す。それは、対象とする人間のその生命の意思を覆うようにして、形ある人生を不本意なものにし、その経験を次々と利用しつつ、どこまでも付きまとい、彼ら生命たちの自由意思と創造の機会を奪う。

 その始まりは、その非生命的な存在が蛇の脳を支配した頃で、よりそれが具体化したのは、奇形を経て、人間の姿をその存在が手にした時からである。数千の生命たちは、遥か昔のその時代から、生きる原因を支配され、人間時間における本来の姿を持てずに、心の芯だけで生き存える。

 

8.詰まるところ、シンプルな真実としてそこに在るのは、蛇系の元祖的存在の姿を持つ人間の、その無意識の意思によって生きる自由を抑え込まれた数千の生命たちが、この地上での人間時間を尽く支配されてしまっているために、その結果として、この現代の様が在るということ。その存在たちは、現代も、これまでと同じように、ずっと付きまとってきた人間をそれぞれが徹底マークし、その人間の近くに居て(多くが身内)、世が人間本来をテーマに変わって行くことを阻止し続けているということ。

 そのことへの理解は、ここに至る数百万(数十万)年もの間の負の連鎖が、この数千年という僅かの時を経て、根こそぎ処理され得る可能性となるもの。すでに、そのことによる(多次元的な)実践は進行していて、それだからこそ、ここに「再生」が在る。

 大多数の生の基礎には、数千の生命たちに張り付くようにして彼らの自由を奪い続ける姿無き存在たちの、その蛇そのものの経験の記憶が在る。変化を嫌うことも、結果(過去)にこだわることも、そのため。動きの無い形を大事に、無責任に停滞の中に居続けるのも、そのため。

 本性が蛇のそれだから、原因を生きるという人間らしさを遠ざけ、蛇絡みの神道(神社)と松を重んじる。土器と土偶の真実を隠すその本能の質も、凶悪さを色濃く潜める蛇系の現れ。そうであることの、その原因の世界からの観察と理解は、人間を、普通の(まともな)人間の域へと押し上げていく。

 現代、蛇系の人間は、自らの本性に逆らえずに、動物食を普通とし、健全な生命力の原因となる全粒穀物食を避ける。食べ物の調理法までが腐敗型のそれであるその姿は、数の力で腐敗と停滞を支え続ける、狡猾さそのものの非人間的な食の形。今ある形から、その原因を遡れば、それは、数万年前の、獰猛な蛇と同次元の人間が誕生する場所へと辿り着く。つまり、今も、その頃と中身は同じであるということ。

 そして、この地での数百万年間は、この数十年の生命表現を通して、地球規模の(負の原因の)浄化を可能とする新たな原因にその姿を変える。数千の生命たちも、約束通り、この辺りで、地球感覚の自由を取り戻す。by 無有 9/13 2018

 

 

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