再生(5)

 

1.人の住む世で有ってはならないこと。動物たちが生きる自然の中で有ってはならないこと。そして、地球の将来にとって有ってはならないこと。そのひとつひとつの形や現象は違っても、そこに潜む原因の性質は、皆同じ。そのどれも、地球規模の非生命的な意思が、その密度を変えつつ、有ってはならない形としてこの地上で現実化されているもの。環境により変調されたそれが、人の世であるか、自然界であるかの違いだけ。その全ては、それがどんなであれ、元の質(次元)は同じである。

 地球の望みではないはずのものが、この地球に今尚有り続ける時、それがなぜそうであるかの原因を見出し、その性質を浄化できれば、この時代の、人の住む社会も、動物たちの世界も、生命本来という地球感覚のひな型を活躍させる。それまでには無い新たな原因が動き出し、問題事が居場所を確保し得る動きの無い原因は、力を無くす。なぜなら、遥か昔の、地球の異物級の原因(となる出来事)というのが、その非生命的な意思によるものであり、この世のあらゆる負の現実が、その原因深くで、そのことに支えられているからである。

 人間世界にも、動物世界にも有ってはならないものの、その負の原因の土台として有り続ける、地球に有ってはならないもの。それが外されれば、地球は変わり、今在る、地球の将来にとって有ってはならないものも、姿を消すことになる。この時代にそれが動き出せば、地球に住む一生命としての自らの分が、意思表示し出す。それに応えることが、人間本来(人間の一生命としての当然の義務)であることを誰もが知る。

 

2.地球にとって有ってはならないものは、地球に、無くてもいい経験をさせ続ける。それがそのまま処理されないで来ているために、その負の原因はしつこく固められ、それを元とする人間の進化と社会(環境)の発展は、地球の安心が退けられた不自然なものになる。

 そして、地球のために、その地球に支えられる人間も含めた自然界のために、それを無くすことの大切さを、人は確認する。この時代が、次なる時代の確かな原因となるための選択をし、人としての生き直しをする。動物食(肉食)という、地球自然界の深い悲しみ。それをそのままに、人は、人間を生きることは出来ない。

 肉食を普通とする人の脳は、これまで書いてきているように、蛇のそれと思ってよい。当然そこに心は無く、健全な感性(違和感)も初めから持ち合わせない。それだから、そのことで体内の原因を気持ち良く滞らせ、蛇の本性そのままの欲深さで、変化とは無縁の重たい感情を愉しむ。

 身を繕い、嘘を本当として生きることを得意とするその姿は、形ばかりの満足で真を外し、人間性を弄ぶ。自然界の生き物は、彼らの本性のその非生命的な原因に侵され、地球に生きていることを忘れさせられる。肉食を当然とする姿勢は、そのまま有ってはならない地球の異物の一部となって、自然界の生命たちの本来を壊していく。

 

3.この時代が、次の時代へと続き、そのまま数千、数万(数十万)年先へと繋がって行くその原因であることを考えれば、この時の生き方が、地球を安心させるものでなければならないことが分かる。そのことに無感覚・無頓着であるとすれば、それは、蛇系の負の原因を色濃く潜めていることを意味し、その人が思考を働かせるだけで、不健全と不健康のその原因は高まることになる。人間は、責任ある原因を生きる生命。平和も健康も、未来への責任も、思考から始まる結果の次元に、それらは無い。

 遥か昔、蛇から人間の脳へとその支配の形(次元)を変えた存在は、それまでに成し得た肉食動物誕生のその強力な負の原因を最大活かして、この現代に、酷く惨たらしい現実を生み出そうとする。増え続ける蛇系の人間のその感性の無さも利用し、非人間的な数の力と、それに守られる未熟な権威を力に、自然界の生命たちが最も辛く悲しくなる状況を、万全な嘘(の原因)で作り上げていく。それが、地球の最大異物、LED照明である。

 そこに潜む原因は、地球の生命力(微生物)を潰そうとする、非生命的な意思のそれであり、それに支えられて好き放題我を生きる蛇系の人間たちが皆、LEDの恐ろしさに無感覚であることを武器に、それは(その危うい原因は)、一気に地球環境の自浄力を力無いものにしようとする。

 蛇の本性と同質の脳を持つ多数の人間たちは、LEDによって動植物が生命力を無くしても、水や土が異質化(無生命化)しても、何も感じない。道路や建物が壊れても、鉄道や航空機が危うくなっても、それらに、本心は無感覚である。その本性(の遺伝子)に腐敗と破壊の感情(本能)を備える彼らを通して、これ以上無い地球の悲しみが作り出されようとする。

 

4.地球自然界の動植物たちが哀しんでいる姿を通して、人は、LEDの恐ろしい負の影響力を知る。またそれを無視できる人間を通して、そのことを支える強力な原因の性質を感じ、その奥に、彼らの脳(身体)が満足する、腐敗型の食事(肉食)が在ることに気づかされる。そして、その肉食は、太古の昔の、そこでのあり得ない事実と繋がり得るということを、人は理解する。

 人間の時間枠では恐ろしく無限であるその地球時間での、かつてのある時の営み。LED照明という、地球の異物を通して、どこまでも意味不明だった肉食恐竜のその負の原因を、そこに在る意図を大きく包み込む程の新たな意味不明な原因で浄化する。繋がる原因がそこに在れば、段階を追ってどこまでも深く入って行ける、原因の意思世界。その時が、この時代の原因の中に在る。

 LED照明は、地球が、地上をリセットすべく必要性を覚えた太古の昔の、その原因と同次元の負の影響力を備える。数千の生命たちも、この時に、かつての経験の記憶を呼び起こし、それを次なる時の原因に重ねて、生命の意思(原因)を増幅させる。この時代に有ってはならない現実は、次々とその土台(原因)から崩れ出し、姿も見えなくなる。

 

5.無有日記を通して、この今にしか出来ないことをするというのは、この地球に住む一生命として、この地球のこれからを、共に生きる生命たちと一緒に支えることでもある。原因の質を高め得るそれは、ずっと永いこと処理し得なかったこれまでの負の連鎖(の原因)を力無くさせ、ずっとこの先への原因を、地球が嬉しいそれにする。向かわず、求めず、ただすべきことを淡々とする。生きる原因が、生命として変化・成長すれば、時代は、面白いくらいにその色を変えていく。

 蛇色を濃くさせた人間も、この無有日記で、その体験的知識の中に少しずつ人間らしさの原因を注いでいく。そのためにも、蛇系の生き方を返上し、無有日記の世界を実践する。地球は懐が大きい。地球の望みを具現化するこの無有日記の原因と融合すれば、人としての生き直しも、地球に生きる一生命としての在り方も、この時代が導いてくれる。いつまでも蛇でいることはない。

 無有日記が在るこの時代は、時代が無有日記であるということ。そこに在る、変化し続ける原因を拒むことは出来ず、自らも原因を生きずして、次の時代に行くことは出来ない。これまではそれが可能であったとしても、それは、ここに至る原因の必要性のひとつでしかない。正しさも確かさも、頭を働かせる結果の次元には無く、どんな原因が頭を通り、正しさ(確かさ)になるかが、人間本来の普通である。その何でもない真実が、無有日記である。

 ただ悲しいことに、蛇系の人間は、そのことが理解できない。思考にも感情にも心(原因)が無いため、経験の質をその手前から変化させることは永遠に難しい。でも、とにかく頭を使わなければ、それなりの人間時間を、この時代の新たな必要性に合わせることが出来る。それだけでも、初めての人間経験。頭を使わず、自らの性質を見つめざるを得ない時を過ごす。時代は、この先、蛇系の人間が住みにくくなる(原因の)時を連ねるから、無有日記を、今から自分と重ねる。

 

6.現代に至る、これまでの数万年間、この地で人間らしい人間を生きた人は少なく、多くは、病み続ける時代のその原因に適応させつつ、人間を始め、転生を繰り返す。新たに人間を経験する人も、人と人とが争い、命を奪い合うという重苦しい時代背景の中、その病み世を操る存在の思い通りに、非人間的な人生をその自覚もなく送る。その中で、自由を奪われながらも、心を通わせ生きた、数千の生命たちと、彼らと融合する仲間の存在は、全く新しい世を引き寄せるその原因の力として、貴重なものとなる。

 数千年も前から転生を重ねる、奇形(土偶)繋がりの蛇系の人間は、その濃度も濃く、狡賢さと凶悪さをその時々で磨き上げながら、支配する側で居たり、それを利用する立場で居たりする。初めて人間を経験する時が現代に近ければ、その分蛇色はそれ程濃くはなく、ただ与えられ、言われたことに従順に従い、それ以外の選択肢を考えずに、非人間性が力になる蛇系一色の世を熱心に支え続ける。この現代、大多数が心を持たない蛇系であり、人間が、普通に心ある人間として生きている姿は、ほんの僅かと言える。

 その事実は、LED照明を通しても明確に分かり出す。あらゆるものを無生命化させて、地球自然界を苦しませるその嘘の光(LED)に、蛇と次元を同じくする脳の持ち主たちは、何の違和感も持たない。その姿は、これまでがいかに酷く非人間的であったかを如実に表す。LED照明に平気でいられるその姿は、自らの本質(正体)が凶暴な蛇と同一であることを意味する。

 蛇系の人間は、本性(無意識の意思)が蛇のそれであるため、心ある風景(の原因)は、その本心の忌み嫌う対象となる。心が無いから、危うい本性を顕に出来ないこの現代では、何でも頭で考え、頭で覚えたことだけを頼りに、心ある原因を破壊し続ける。

 知識も情報も、肩書きも地位も、蛇系の人間は、まるで滞りと腐敗を生み出す好物の白砂糖のように執着し、それを武器に勝手を生き、争いや衝突の絶えない世を愉しむ。差別心も嫉妬心(優越心)も、蛇系の生きるための大切な道具。皆で、それを元とする物や形を生み出し、心ある風景をどこまでも遠ざける。それが、未来には持っては行けないこの国の病みの、その姿である。

 

7.心ある普通の人は、心がそのまま思考になるが、心を持たない蛇系の人間は、思考をいつも働かせてないと、心ある振りも出来ない。心ある人は、思考が忙しくなると不安になるが、心無い人は、思考を忙しくさせて安心を覚える。

 人間の脳を支配した時、それまで蛇の脳を操っていた姿無き存在は、人間の脳の中で思考の動き(使い方)を新たに覚え、人間が思考を動かすその時がその脳を操りやすくなる状態となる方向へと、それまでの蛇絡みの手法を人間仕様に発展させていく。

 元々人間の世界には無かった不安や怖れが存在感を持ってしまったのは、蛇の脳と同質の嘘の人間による残忍な行為によって頭(思考)を不要に働かせられてしまうその脳の状態に、その存在たちの本質である怯えの原因が入り込み、染み着いてしまったためである。不安の元となるその原因の姿を知れば、心ある普通の人は元気になり、そうではない人は不機嫌になる。

 この「再生」のEWは、思考が忙しくなる脳の状態を解放し、蛇系の無意識の意思による危うい(非生命的な)働きかけから自由になる時を創り出す。蛇色(非人間性)の濃い存在ほど、それまで簡単に出来ていた人の脳への悪辣な行為が上手く行かず、不安定感を覚えて焦り(怯え)出す。心ある人の動きをしつこく止めていた人ほど、動けなくなり、思考(感情)は暴走する。その嘘のような姿に、人は笑うしかなくなる。

 

8.要らない思考を働かせられなくなるのは、心ある自分を見失っていた(見失わされていた)普通の人だけでなく、心無い人も、同様にそれを経験する。その様は、まさに「再生」と「生き直し」。中庸の次元から見れば、その生き直しも、再生のひとつの形である。時代の好転反応も手伝い、多数の人たちのその新たな時は、次なる時代を安心させる。

 樹木から蛇へ。蛇から人間へ。そしてそこから現代の大多数へ。その時々の時代の必要性に応え、ひとつひとつの地球の望みを具現化させるべくその道を歩んで来た、数千の生命たち。彼らの想いは、そのままこの無有日記の力強い原因となり、ここと繋がる太陽の光をも本来へとその姿を変える。永過ぎる時代をいくつも連ねて辿り着いた、無有日記のある時代。みんなで、みんなが集うこの今を祝福し、またいつものように歩き続ける。海の仲間も一緒に居る。

 人がそれまでのように思考を使えなくなれば、その人の頭の中が読めなくなり、蛇系の人間は、その本性である狡猾さと凶悪さを味わえなくなって、その姿は不安定になる。文字も知識も支配の道具としていたその姿勢(無意識の意思)が空回りすることで、内に固めたままの腐敗の原因は揺れ動き、その芯に潜む怖れと怯えは表へと出始める。世が不安をあたり前としていたから、好き放題思考を武器に嘘を生きられた、彼らの(蛇の巣穴のような)これまでの時代。その終わりの始まりが、一切の思考が通用しないこの「再生」の原因から、力強く動き出す。

 「仏陀の心」も「人間」も、そして「太陽の音楽」も皆、「再生」の燃料。それら無しではこの今は無く、この今に、それらは最大限に活かされる。地球の歴史深くの未消化の原因が、人間の歴史に執拗に押さえ込まれて、身動き出来ずに居た、これまで。それが、人間の世界から浄化される時を経て、地球のこれからの歴史に、新たな人間の歴史が連れ添う。生命たちが具現化させたこの「再生」は、地球の望み。太陽も、安心の時を経験する。ここから、地球自然界の本来へと、人間時間における再生が、自らを表現する。by 無有 9/18 2018

 

 

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