賑やかな静電気

 

1. 人としての原因をそのままとする生命と、獣級の原因を潜める非生命。地球本来と融合する生体と、そうではない非地球的な異生体。それぞれの前者は、否定感情を無縁とする生を基本とするため、空間を共にする後者の本質を知ることはない(知るまでもない)。他を隔てることも、争うこともその普通の中には無いため、どんな時も、ありのままを受け止め、他者のそのままを尊重する。

 後者は、否定感情(恐れ、嫉妬、差別、支配、優越etc.)そのものの生を基本とする、地球の異物級の存在。前者は、そうであることも分からずにその影響を受け、辛く厳しい現実のその原因を無自覚に蓄積する。それを喜ぶ、後者の本質・本性。その次元のことは何も分からない、前者の普通。姿形が同じで、生活全般でのいくつもの共通項もそこには有るので、何をどうして、どうなれば、事が在るべき姿へと変わるのかは、誰も分からない。

 その2つの本質的な違いを、後者の、その人としてのあり得なさを通して、明らかにする。人間時間を通しての原因の変化を普通とする生命であれば、経験しないであろうこと(非生命であるから経験してしまうこと)。地球のために生きる生体であれば、選択・実践しないこと(非地球的生体であるからそうであること)。それらを、そこで活かす。そして、人間本来の在り様を、未来に繋ぐ。

 

 

2.健全な感性は、その異様さを普通に違和感とするものだが、この地では、黒色への執拗な愛着が、いろいろな物を通して病的なまでに形となっている。黒は、光を力無くさせて、他の色を消す、元来、色彩・色調の次元には無かったもの。動物の苦しみにもその原因は繋がり、それゆえに、繋がる場所を持たない非生命色として、草食動物を物扱いする心無い存在によって大切にされる。元々、自然界のどこにも無かった、衰退と消滅(破壊と苦痛)の色。それへの好みに妙に力が入る時、それは、中身が人間ではないということを隠し通せなくなってしまっていることの、その現れである。

 これまでにも何度か無有日記に登場している、黒を存在させている、歪な電子数の陽子13の世界。それは、太陽を遮る雲及び太陽が沈むことでその存在感を手にする闇と同次であり、動きの無さによって力を付ける世の非生命力を、その粒子は支援する。そのことは、太陽に生かされる人間であれば、決して黒色に執着することはないということを教える。黒色の装いを普通とすることのその姿も、地球自然界から見れば、それは、夜行性動物同然の、在ってはならない異物。地球本来の未来に向けて、当然、黒を主とする世界に居る人の、その非生命的(非人間的)原因から、居場所を無くす流れとなる。

 

 

3.地球が抱える不自由感の、その拡大に加担するようにして生きる、非生命としての人間。そこには、時代が許せば平気で他者を物(獲物、所有物)として見る野蛮な性質が有り、命に対する人間的な意識も、多分に期間限定である。共に生きることのその普通に活かされるはずの脳も、単なる電気を起こす物として扱われる。

 彼らのその脳の活動全般を支配する粒子は、生まれる前から(母体の中で)すでにセットされ、左側頭葉と多次元的に重なる場所で、その役を行使する。地面を走る時に左回りに回るその方向にも関わるそれは、地球の中心から見て右回りに回転するのを基本(必須)とする、その異生体の特性をも、それによって守り続ける。(地面で)地球と融合する右回りに回れば、電気を思うように起こせなくなって、不自由感を覚える、地磁気不要の嘘の人間。左回りの方向は、そのことを露呈させないために巧みに講じられた、非生命的次元での狡賢さである。

 

 人間を操り出すその時に、そのための重要な材料となった、それまで密に関わっていた、猫の身体と目。人間の頭(の原因)には、まるで猫の目が粒子となってそこに有るような状態があり、人間は、その行動の全てを、それ繋がりの意思によって経験する。電気のみで生きる人間は皆、非生命のネットワークの一部としての、同質・同次の生を、その目(粒子)を通して送っていると言える。彼らが何を見ても事の本質(原因)を感じ取れないのは、自分の目では見てない(何も見られない)からである。

 

 

4.地球からの磁気によって、身体は、何の抵抗も無く自然と動くようにつくられている。その姿が生命体であり、そうではなく電気で動く身体は、地球との融合が切り離された、非生命体である。電気仕様の人間は、電気が流れなくなれば、止まってしまう、電気製品の人間版と言える。その本質は、何をしても、しなくても、止まったままでいる物。どこかに向かい、何かを得ようと動いているようでも、そこに真の動きは無く、その存在自体は、いつも停止状態である。

 生命体としての人間は、地球と同じ変化そのものなので、その内面(本質)は、常に回転しながら、動き続ける。縁ある人や空間は、その原因に刺激され、回転を促されて、変化に乗る。しかし、非生命体としての人間の世界には、それは無い。彼らは、その内面の変化の無さを以て、動いては、人の動きを止め、思考を働かせては、人の思考の自由を奪う。電気で生きるというのは、その電気を動かす側の思い通りに、電気を利用して、行動するということ。元々地球には無いその生体は、非人間性を人間味にすり替えることも容易としながら、非地球的粒子(意思)に操られて、上手く人間の振りをする。

 

 何かに向かって直線的に頭を使い、体を動かし続けることで、電気は蓄積し、形無き原因の停止状態も力強くなる。その中身は、言わば、電気コイルと回線の増大。ある状況で強力にそこに電気が流れる時、それは、誰にも負けないぐらいの電磁気力を具現化させる。それが、心ある原因を持たない異生体の次元での、学びやスポーツである。そこでの力は、どれだけ他者(の電気)を止められるか…という、自らへの強力な停止力(電気量)。人間本来の学びやスポーツでは、個人のための電気は動かない。

 太陽の下に居ると、思考(電気)世界からは自然と離れられ、体内の静電気も力を無くして(出やすくなって)、身体は動きやすくなる。それは、太陽の光が、一生命としての回転(動き)を無限につくり出すから。嘘の人間は、回転させられると、電気による活力が止まってしまうため、無意識に太陽を避ける。彼らは、電気を使い、止まったままでいることで、電気で動く。

 

 

5.地球に居ながらして、地球の意思を退けることを当然とする異生体は、電気によって人間の真似を実践しつつ、次々と電気仕掛けの物や形を生み出す。この現代、彼らの脳は、地球の息吹きを完全に押さえ込もうとするその流れの重要な材料として、操られるままにLED照明を世に送り出す。

 LED化以降の自然界の小動物(微生物)や樹木、建造物などを見れば、考えるまでもなく誰もが分かる、その無生命化の力(LED化した水(雨水)の悪影響は、想像を超える)。それを平気で無視できるその姿は、脳活動が自分の意思によって行われてはいないということを顕にし、それぐらいだから、急速にLED照明を拡大させて、数の力と事実の定着によって、自らの非人間振りのごまかしに走る。それは、感性を持たない非生命であるから、出来ること。人間は、LED照明のその計り知れない負の力を、感覚的に普通に知る。

 LEDは、この人間社会には、どれだけ多くの異生体絡みの嘘の人間が存在するかを教える。彼らの目は飾りであるため、その危うい影響力には何も感じない。体内の水分の質もそれは変えてしまうのに、それによって電気が生み出しやすくなることの好都合を喜ぶ余り、細胞レベルの弱化は無視する。その人の本質が人間ではないことを簡単に示してくれる、LED照明への好感。脳の次元も、自らの意思では何も考えられない(分からない)程のそれであることを、それは知らせる。

 

 今更良識のある人間の振りをする気も無くなっている、LED空間で満足を手にした大勢の非生命的(非人間的)な存在たち。彼らの中に有る初めからの嘘は、力となって正しさとなり、どちらでもない中での人としての取るべき選択を押し潰す。決して未来には残せない原因がそこには有ることを知り、すべきことを淡々と実践する。LED光と非地球的意思との間で仕事をする嘘の人間たちが、そのままでいることはあり得ないから。

 

 

6.食事のメニューから肉類が消えたとしたら、困るのは、それが無いと生きる気力も出なくなってしまうという、動物食を常とする人間であるが、この自然界では夜行性動物の生態としてそれが行われているということを考えれば、肉を食べたがる人間は、獰猛さと狡猾さを普通とする、完全なる夜行性肉食人間ということになる。見た目は人間でも、中身は、猫か蛇の夜行性。どれだけ身を整え、体裁を繕っても、動物食に抵抗の無い人間のその本性は、獣であり、その本心は太陽を嫌う。

 生の原因が止まっていることで電気で動くことの出来る、非生命の次元は前述したが、そこでの非生命力(止まっている強さ)の極みとなるのは、他の生命の望みを止めてしまうことである。動物食は、動物たちが生きようとするその意思を止める行為であって、それは、人間には出来ない。動物の苦しみを食べて平然としていられる姿ほど、生命世界が悲しいものはない。

 

 この地上で生きる生き物の中で、唯一地球が安心していられるのは、草食動物である。彼らは、地中に入り込んだ非地球的物質(陽子13絡みの双磁気)の排出を、ただありのままに生きることで、その役を担う。地球の分身のようにして生きる彼らが、自分たちの世界には無い怖れや痛みを覚えることは、あってはならない。動物の肉を食べる理由がそのどこにも存在しないことを考えれば、この地上に存在してはならない夜行性によって、それが作られているということを、人は容易に知る。

 嘘の動物は、争いと衝突を重ねながら、強い種を残そうと、寿命をつくる。本当の動物は、健康と平穏を普通としながら、その生の原因を繋ごうと、いつまでも生きる。肉食を常とする人間は、前者と同じ。電気を起こすための怖れと怯えを基本とする彼らは、頼れる数の力と元からの嘘を一体化させつつ、非生命としての嘘の人間(異生体)を生きる。彼らの食事メニューから、肉類が消えるということはない(ということがいつまでも続くことはない)。

 

 

7.何かの目的に向かって行動する時、脳内の電気活動は活発化する。それが他よりも自分という個の欲絡みである時、その度合いは高まる。人間本来の世界には無いそれは、夜行性の性質そのものである。

 毎月、毎年のように、形式や儀式・礼式の類が設けられた世では、その意識も無くそれらに向かう自分が普通にそこには居て、電気の飛び交いも盛んに、重苦しさは安定する。決められたことに従うことで、何の不自由も無く元気に脳を働かせられる、不穏さを地で行く存在たち。電気によって、腐敗と停滞の空気感は強まり、それが更なる電気を動かす材料となって、世の非生命色は濃くなっていく。

 かつては抗うことも許されなかった、歪な力によって作られた、形式や儀礼。そこに有った差別的な報いや罰の類は、この現代では力無いのだから、人間であれば、その次元には居られない。現在でも尚、形式や作法を重んじる姿がそこに有れば、それは、普通に人間を生きることの出来ない(邪な精神を普通に備える)非生命であることを意味する。

 

 向かう対象としての形に神社や仏閣が関わる時、そこでの電気量(停滞力)は強烈である。不安の原因を繰り返し発酵させたような、そこに潜む権威・権力は、夜行性人間の強力な電池役で居て、人々の感情を電気へとそれは変換する。神仏という世界が再生産を続ける、その原因からの非生命力。その存在が異生体かどうかは、形式(儀礼、因習etc.)への姿勢・関わりから、それは容易に分かり出す。

 それを行い続けて何がどうなるかは、誰も分からない、形ばかりの形式の世界。分からなくても続けられる(続けてしまう)のは、ただ単に、それが、電気を生み出す恐怖心と密に繋がっているからで、そうであり続けるというのは、その人が本来(本当)の人間ではないことを現す。不安も怖れも、形への思い入れも、真の人間には元来どこにも無いもの。人間で居ようとすれば、重く、動きの無い慣習(因習、しきたり)関わりの世界は、全て要らなくなる。

 

 

8.原因の動かない結果を大事にすると、電気は流れやすくなり、それが過去になってもそれを大事にするというその行為によって、電気は一層流れやすくなる。思考も記憶も、電気。食も価値観も、心身のためではない、電気のための材料。どこにでも有る電気にそれらは守られ、その中で人間の振りをするという電気活動を、嘘の人間は日々行っている。

 あたり前に変化し続ける原因を生きる、普通の人間。そこには結果に留まる停滞感が無いので、電気不要の感覚・感性が自然と言葉になり、行為になる。やむ無く夜行性の影響下に居ても、大切にされるものは、形をつくる形無き原因。それは自然界が嬉しい人間の在り様だから、共に生きる生命たちも、その生の原因に支えられる。

 原因の変化は、変化とは無縁の結果の世界に阻まれ、過去に力を与えるその無感覚の思考によって、身動き出来なくさせられる。その結果繋がりで生み出される物や形によっても、人の心は押さえられ、内なる原因の回転は、負荷を抱えたままとなる。結果を求め、過去を大事にする姿勢は、次なる結果のために過去と同じことを繰り返そうとする、電気のみの連繋。それは、人間には出来ない行為である。

 

 結果という次元は、静電気脳が勝手につくり上げたもので、実質は何も無く、実際は、どこにも存在しない。有るのは、この地上に有ってはならない、動きを止める、動きの無い原因。それを電気漬けにして活かすために、結果として、その負の原因を固める。つまり、その次元に居るというのは、この地上には居ないということ。存在自体が嘘だから、彼らはいつも結果の中に居る。

 健全な感性を持つ普通の人は、人間社会の病みの構造が、無いはずの結果という次元に侵されたことから始まる、ということを知る。この地球に居る以上、全ては、地球発の原因から。人間の思考(電気)発の、重たいままの原因は、そのどこにも無い。

 

 

9.太陽の輝きが年々少しずつ強くなっているその姿は、黒点への違和感をこれまでに無く感じ取れた彼の、その真剣な反応による自浄力の現れ。地球にとってもこの上ない嬉しさとなるそれは、地上の電磁気時空を刺激しつつ、空気や水、土の性質を、生命たちが安心できるそれへと変えていく。太陽の光を遮ろうとする不穏な雲も、これまでのようには力を出せなくなる。

 そんな元気な太陽を遠ざけていたい、電気のみの生を基本とする、嘘の人間たち。1日を通して太陽の光に余り触れなくても済む仕事(経済活動)や環境に守られて来た彼らではあるが、8年程前から、太陽の力強さによって、それも難しくなる。形としての人間を生きている以上、あからさまに太陽を嫌悪することも出来ない、その存在たち。ところが、その不本意極まる状況下において、突如拡がり出した手のひらに乗る携帯の電子機器が、彼らを救うことになる。

 

 異生体級の夜行性の人間は、画面に目を向けることのその必要性を繰り返し増大させ、どこに居ても電子機器(スマホ、タブレットetc.)を手に持つというスタイルを定着させる。それによって、太陽の下でも(電車やバスの中でも)、その光に照らされる風景を見ることもなく居られ、太陽の存在を忘れていられる非生命的(非人間的)な時間は安定する。それだけではなく、手や目を通して高密度の電磁気(静電気)も取り込めるという、電気(獣)脳にとっては願ってもない宝物と化した、携帯用の電子機器。生命世界に対する醜悪さ全開のそれも、彼らには、嘘を本当として生きるための、その重要な道具である。

 太陽が力を手にし、その光を遮るようにして生きることしか出来なくなってしまった、夜行性の人間たち。いつでも手にしていられる電子機器は、彼らのその姿を顕にし、繋がる未来の無いその負の原因として、輝きを増し続ける太陽の光の中で、それは居場所を無くす。黒点が動くと、それを支えにしていた非地球的な力は弱化し、その中に居る非生命の次元も、活力源を失う。人間は、いつの時も太陽を感じ、太陽の光(電子)をその生命力として、地球を生きる。

 

 

10.電気のみで生きる人間には欠くことの出来ない静電気であるが、それは、元々この地球空間には無かった静磁気によって生み出され、太陽系の外側の次元に、それは無限に有る。電気脳の中に初めから有るその静磁気によって、いくらでも作り出される静電気。彼らは、静磁気・静電気の連繋を燃料に、操り手の思うまま、好きなだけ嘘の人間を生きる。

 太陽系内の惑星間には、太陽の浄化力によって、静磁気は無い。しかし、この地上世界では、密度の濃い静磁気を備えるその上空で、静電気を思うように作られてしまい、それによる雲を通して、空気中は、静電気漬けにされる。そんな中でも、真の人間は、地磁気仕様の独自の電気(磁気)を少しでも使いつつ、夜行性のための静電気からは本能的に距離を保つ。もう1つの静電気とも言える、次元の違う、人間本来のための電気。非地球的な静電気が力を無くす時、その地磁気からなる静電気という名の磁気が、生命たちを活かす。

 

 体内の静電気が、外部の機器などを通して何らかの仕事をする時、その本質(背景)は、太陽系の外側に有る(太陽系に圧をかけようとする)その非生命的静磁気との融合であると思ってよい。静電気は、あらゆる物を電気仕様にすることで世の無生命化を企てようとする、その危うい意思表現の道具。人間の身体(脳)は、それに利用され、人間は、それを喜んで行う。

 この地上で、静電気(静磁気)が力を手にすることは有ってはならず、それへの対応は、太陽にとっても重要な仕事である。この現代、静電気仕様の世界が、地球と融合する別の静電気(地磁気)によって浄化され出す。未来地球に向けて、すでにこの時代は、その流れの中に居る。 

 

 

11.楽しいこと、楽しめることをただ経験し続けるための人生が、そのまま嘘の人間の姿。楽しさの質が問われないそこでは、人の不運・不幸もそのための材料となり、悲しみや痛み(苦しみ、辛さ)までが、その楽しさに使われる。人間本来が普通とする、理由の要らない安心と喜びとは限り無く無縁でいる、非生命的な嘘の人間世界。楽しければ(楽しめれば)何でも良い彼らは、つまるところ、脳内の電気が元気に動けば、人が苦しもうが、人生を終えさせられようが、それらのことを、内心が喜ぶ(楽しさとする)。

 嘘の人間たちは、家族(友人)ごっこを楽しみ、他者への同情や心配の気持ちも、電気のために楽しむ。時に好き勝手な楽しみのために、人の病気や問題事も利用する。楽しめる時間や場所を外に求めて、それを繰り返せるというその姿は、人間ではないから出来ること。音も映像もスポーツも、その多くは、事の原因には反応しないその彼ら特有の、楽しみの世界。勢い良く電気が流れるように演出されたそれらに、嘘の人間は電気で感動し、次の感動を求めて、楽しさを循環させる。楽しみのその原因を普通に感じ取る本当の人間は、楽しい、楽しくないという世界を知らない。

 

 多数の力によって、次々と夜行性のための楽しみがつくり出される、元々はどこにも無かった、その歪な病みの世界。それ無しでは生きる力も出なくなる彼らは、そのことがなぜ悪いのかも分からず、彼らが何よりの楽しみとする、地球自然界の苦しみも、LED照明や動物食で、自分たちのものにする。つまり、彼らは、初めから終わりまで、人間ではないということ。一生命としての、質の伴わない楽しさへの好感は、その存在が人間で居続けることは有ってはならないということを意味する。地球のために、楽しさは、その原因からの質を問われ(浄化され)、地球の安心に繋がるそれへと変わっていく。

 人間本来の原因を備えない存在たちは、どれだけ人間で居ようとしても、それは難しくなる。電気仕様の次元が、少しずつ確実に、その力を無くしていくこれから、静電気・静磁気による電気活動も弱化を余儀なくされ、地球本来(地上世界の在るべき姿)にそれは包まれる。そのための準備はすでに終わっていて、時は、新たな展開を経験するところに居る。頭では分からなくても、本心(無意識の意思)は全て分かっている、自分の本当の姿。その本当の姿へと、全ては変わっていく。

 

 

12.覚えたことを元に頭で動かされる、その思考型の(電気の)感覚によって、感覚のままに生きる人としての真の普通は、力を失う。思考を働かせないとその嘘の感覚も体験できなくなる、地球感覚とは無縁の、非生命としての人間。地球に生きる一生命としての感覚がゼロだから、この「賑やかな静電気」の対象となるような不穏な生き方を、彼らは普通とする。ふと感じることも、ひらめきや直感の類も、そこでは全て、電気による、個の直線的思考の道具である。

 人間の振りを磨く異生体が常にそうであり続けられるよう、その全てを支える、非地球的な電気。そこには、大きく分けて2つ有り、1つは、思考を動かす電気、もう1つは、思考になる電気である。前者は、身体内を含めた時空間の、電磁気及び電磁波として有り、後者は、ある多次元的な意思能力を持つ、静磁気として有る。嘘の人間発の否定感情は、その電気の集まる思考の形であり、思考を強く、電気を溜め込むことで、彼らは、(不安、怯えの裏返しの)偽善と欺瞞を楽しむ。生命世界のどこにも無かった、思考。人間は、思考を生の道具としたその時から、完全に人間ではなくなる。

 

 元気な太陽に誘われるようにして、その力を取り戻す、地球と繋がる真の静電気(地磁気)。生命たちの人間経験に活かされるその電気は、感覚・感性の原因として、人間本来の風景を支える。人間ではないから使い続けられる思考の次元も、それ絡みの歪な(2種の)電気も、そこには無い。この時代は、そんな未来への通り道として在る。

 感覚だけで生きることと、それに活かされる、地球発の電気(磁気単極子)。人間は、その在るべき姿として、感覚を感覚のままに、心身を自由に活躍させる。それが難しい(思考無しでは生きられない)人間は、当然在ってはならない原因として、崩れ、止まる。それが、地球自然界の変化の在り様。普通で自然な、この地球空間での人間の姿。感覚は、人間を生かし、人間によって、感覚は、生命世界を生かす。そして地球は、安心して、その感覚の中に電気(地磁気)を通す。生命を生きる人間たちと共に居る、みんなの風景が、そのままで広がり出す。

 

 

13.恐怖心は、夜行性肉食人間(獣)の本能であり、嘘を本当として生きるための、その原動力である。何をするにしても恐怖心から始まる彼らは、その行動による結果(形、反応)だけを見るようにつくられていて、なぜそうであるかのその理由には、一切関知しない。その理由(恐怖心)に触れたら、彼らは生きられなくなる。

 この地上には無いはずの恐怖心は、世の非生命化の力となって、地球と繋がる生命たちを生きにくくさせる。それ程の負の威力となって、嘘の人間たちの生命力を支える、恐怖心。それは、支配・征服欲(差別、優越心)をあたり前に形にし、病気や争い事も、お金に換える。

 強力な静磁気として、止まったままの原因の世界に在る、恐怖心。非人間を地で行く夜行性の存在たちは、それ無しでは生きられず、そのことを見つめさせられても、彼らは生きられない。つくり物の人間を支配する次元は、その実を利用する。恐怖心の強弱を調整しつつ、操り糸のように、恐怖心を活かす。好き勝手に恐怖心を通って、病み世づくりにも参加し、恐怖心の反動で思い通りに動く、その人間の姿を楽しむ。恐怖心で生きられる嘘の人間は、もちろん、自分には恐怖心は全く無いと思って生きている。

 

 人間の振りをする人間が、一生を通して決して触れたくはない、本当の自分。ところが、この時代、無有日記によって、その本心が恐怖心を知らない真の人間が、力を付ける。そうはならないようにと、彼らの脳(後頭葉)に入れ込んだはずの静磁気(恐怖心)も、図らずも揺れ動いてしまう。夜行性の人間たちは、見たくない恐怖心を、恐怖心の無い次元によって刺激され、不安定感を覚える余り、それまで以上に電気に走り、動物食や黒の世界(LED空間)に浸る。

 夜行性の生の源泉のようにして彼らの活動を支える、恐怖心。その恐怖心にはいくつもの次元(層)が有り、ここまでは触れても問題は無いというところに、生命力の呼び水的な記憶を伴った、多次元的な間口が有る。嘘の人間は、そこで(その知識で)思考が止まるよう細工されていて、自動的にそこからは離れ、身を保つ。実に明確なEWの必要性。そこを通り抜けてしまえばいい。そして、恐怖心の原因を砕く。

 この今が引き寄せる新たな現実の中で、恐怖心そのものなのに、そうであることに全く気づけない静電気脳の人間が、自らのその恐怖心と融合する。恐怖心が自身の本質なのだから、当然の変化として、それは止められない。人間じゃない人間が、人間としての生き直しの機会を手に出来るのも、無有日記の在る、今回限り。全ては、その人次第。恐怖心が、この地上(人間世界)に居続けることはあり得ない。

 

 

14.静電気が生じやすく、溜まりやすい場所というのは、それだけで、それを不要とする地球繋がりの生命たちには厳しいものがあり、地球からの地磁気は、地表へは通りにくく、太陽の光(電子)も、思うように地中深くまでは届かない。その背景には、空気中(上空)に静磁気がいくらでも有るという異様さがあり、それによって生み出される雲(雨雲)により、太陽は簡単に隠される。地表の世界を、地球と太陽から切り離す、静電気。寒さを演出し、地中を冷やそうとするそれに、人間の静電気脳も手伝い、自然界は、不自然なままの時を経験し続ける。

 地球が自転軸を持たされるその経緯と、その後の地球の自浄力により、南極に近い程静磁気は少なく、北半球のそれは、比較的多い。地中の静磁気を押し出そうとする火山活動によって、その割合を少なくさせている地域もあるが、雪を降らせる程の四季を持つ地域は、それは当てはまらない。そんな中、この地(列島)は、他のどこにも無い特殊な静磁気空間を安定させ、人間の脳内における電気活動も、歴史的背景に守られた現実によって、きめ細かく支えられる。食も宗教も、教育も住環境も、静電気を溜め込もうとする性質のそれとして在り続け、各地の静磁気は、永い時をかけて固められる。

 

 身体内の静電気の次元を覆うようにして存在する、空間の静電気。この列島全体の静電気は、それを支える静磁気によって堅固な姿を保持し、空間を重く、滞らせることを当然としながら、植物(樹木)たちには、決して自由は与えない。同じ繰り返しを延々と続ける時(四季)の中で、草食動物と彼らと共に生きる人間たちは、その意識も無く、気力・体力を奪われていく。火山列島であるのに、地球(地磁気)の出番が全く無いという、恐ろしい程の負の奇跡を余儀なくされる、この地。無有日記を通して進化を遂げた、人間発のEWは、それらの全ての原因に対応する時を迎える。

 太陽は、毎日のように元気に輝き、大気中の静磁気に支えられていた静電気脳の人間たちは、止まり出す。地球の息吹きは、次々と具体化し、地中と地上からは、静電気が消える。そして、陽が沈んだ後も、太陽の存在を感じられるぐらいの時空が生まれ、夜行性動物たちは、電気を上手く使えなくなる。

 地球の安心は、この地から始まり、地球自然界のその本来の在り様は、この地から拡がり出すことで、確かな変化を経験する。人間の世界の原因を通り、この列島全体の静電気・静磁気の次元を処理していく。それらは、どの場所でも、(同質の電子の姿を持つ)同次の粒子を基本とするゆえ、不可能はどこにも無い。通るべき道を通って来たら、後は、自由に、思考ゼロのEWと遊ぶ。太陽も地球も、この「賑やかな静電気」と呼応する。

 

 

15.体内の水分が今よりずっと少なかった時の記憶を持つ真の人間にとって、水は、とても厳しいものとして在る。水によって地球が経験する天体級の辛さを知る彼らは、地球と共に、H2Oとの結合が緩くなるその時をじっと待つ。現在の(体内の)水分の割合は、数万年前からの地磁気不要の人間のために用意されたもの。人間が真の変化を経験する時、そこでは、体内の水分が電気仕様の次元から離れ、その割合も、細胞レベルの調整(修正)作用を経て、今とは異なるそれへと変わり出す機会を通る。

 水は、静電気が住みやすく、何次元層にも渡って有るそれを、非地球の意思は、自由に扱う。身体や脳が圧(重たさ、縛り)を覚えることがあるのは、体内の水分の中に有るそれを、非生命的に操られるため。操られることで生きる夜行性は、電気によるその状態を、その本能が喜び、真の人間は、生の原因からの自由な表現を、それで阻まれる。嘘の人間にとって、水と静電気(歪な電子)は、特別なものとして有る。

 

 海は、地球の息吹きを押さえ込もうとする意思によって、地球時間での遥か遠い昔に、1千万年近くもの時をかけてつくり出される(現在もそうであるが…)。その電気と圧(重たさ)は、地球規模の負荷として在り続け、地球は、ずっとそれに耐え続ける。夜行性動物も、かつての恐竜も、その全般を余裕で仕組んだのは、同じ非地球の力。電気脳の人間も、海水を重要な材料に、(それまでの人間をコピーして)同じようにつくられる。

 海水発の塩分は、非生命を本質とする嘘の人間には不可欠なもの。体内の静電気の支え役のようにして在るその成分は、地球が抱え込まされる厳しさのその負の原因と融合し、海水と一緒になって、その身体発の電気で、地球の元気を地上から奪う。操り人形のようにして生きる彼らは、海からのものを摂り込み、それで電気活動を安定させつつ、非地球の具現を、人間として担う。

 

 地球が楽になるためには、海の水が減ることが重要で、そのためには、雨雲を好き勝手につくり出す、上空のその静磁気の次元を浄化することが必須となる。太陽の輝きが変わりつつある現代、太陽は、その役を喜んで行い、地球も、これまで以上に、真の人間たちのその生命表現の中に、地磁気を通し始める。彼らのかつての普通の中に在る、存在による、歪な電子時空の浄化。それが甦ることで、そこでは、その時を待っていた生命源からの支援が動き、H2Oを結合させる次元への働きかけを、それは可能とする。海水が動き、(人間の)体内の水分が動く。体内の水分が動き、海水が動く。静電気・静磁気の時空が、その元から崩れ出す。

 生命たちの人間経験(の再開)が始まったのは、数百万年前であるが、その手前では、地球規模の変動が繰り返し行われ、それがある程度落ち着いたことで、人間は、自分たちの仕事をし始める時を迎える。ここまで来れた、彼らの人間時間。地球と太陽を刺激し得る程の原因を成長させた、そこでの、ひとつひとつの多次元的な経験。地球もずっと、この時を待っていた。海が海でなくなる時へ、体内の水分が電気不要となる時へ、全ての原因が一緒になって動き出す(数百万年振りに、地球も出番を手にする)。

 

 

16.太陽が在るから、存在し続けられる、地球。その地球に太陽を避けて生きようとする生き物が居ること自体、それは間違いで、そのことが可能となるその歪な原因が存在してしまうために、自然界は、不自然となり、この人間世界においても、争いが絶えない。太陽が無ければ生きられないのに、その太陽を遠ざけるようにして生きる、夜行性の存在たち。彼らには、彼らの理由が有るわけだが、それは、この地球では通用しない。地球は、太陽の輝きに安心と喜びを覚える生命たちの世界。それは、地球も同じ。人間も動物も皆、太陽に生かされ、地球を生きる。

 そんな太陽にも弱点が有り、抱え込まされた黒点のために、彼は、本来の仕事をし得ないままである。何度か無有日記でも触れている、黒点という名の、太陽が背負う超天体級の枷。その負の原因を少しでも浄化し、思う存分太陽が活躍できるよう、ここからのEWの次元を、どこまでも進化させる。彼の元気の無さ(自覚は無いが)によって生きやすさを覚える夜行性世界の、その背景を多次元的に処理して行けば、その原因繋がりで、黒点の中身は揺れる。この地球から、太陽を元気にする。

 

 どの惑星も、ほぼ同じような水平の公転軌道を取っているが、それは、北極星絡みの銀河級の威力によって(太陽に)もたらされた回転軸のためで、本来は、そうではない。太陽がそうとも分からず不自由さを強いられる中、惑星たちも、それに付き合わされ、自由な回転を失くす。太陽が回転軸を持たなかったら、全く今とは違う姿がそこには在った、太陽系。太陽が自由を手にする時、地球の自転・公転も、自由になる。

 その時、地球では、北極と南極の区別が無くなり、氷に閉ざされた場所は、どこにも無い。植物(樹木)たちが辛いだけの四季は姿を消し、夜でも、太陽の存在を感じられるようになる。停滞の象徴として在った月は、当然見えなくなる。そのためにも、太陽には元気になってもらう。地球の望みにも応えてもらうことで、自浄力を増大させ、自らも、黒点外しへと動いてもらう。太陽の本気を刺激する。そして、みんなで遊ぶ。

 

 この宇宙空間では担うものが大きいから、何があっても止まるわけには行かない、太陽と地球。地表世界を電磁気漬けにして、地球と太陽との連繋を破壊するそのためにつくられたのが、夜行性肉食人間であるが、その密度濃い企てにも、地球は耐え、太陽も、どうにか、少しでもその輝きを取り戻すところに居る。夜行性空間における、真の人間(感覚)のその甦生へのプロセスは、電磁気時空(静電気、静磁気)の原因を多次元的に遡りつつ、浄化し、太陽からの光(電子)と地磁気を融合させる。太陽を嫌う嘘の人間のその本性(電気脳)の弱化は、廻り回って、確実に太陽を元気にする。

 透明な時に、(銀河宇宙の)電気の源である、ある粒子を繰り返しぶつけられたことで、無数の天体(銀河)を生み出すことになる、太陽。銀河系で唯一電気無しで動き続ける太陽(太陽系)には、仲間と共に、宇宙空間から電気を無くすという重要な仕事があり、それを実践するためにも、黒点が外れなければならない。人間を生きる生命たちに託された真の仕事は、太陽に自由に活動してもらうこと。そのための道筋となる原因を、彼のそれと繋ぎ、太陽本来を取り戻してもらうこと。だから、この今、この時がここには在り、この時まで進化させ得た人間発のEWは、天体級の原因を備える程になる。太陽がやっと笑顔になる。地球も一緒になって、本来を元気にする。

 

 

17.水分内のHOを上手く操る、いろいろな電子数を備える、Al。元々この地球には無い1315)という粒子から始まった海水の次元は、そこでの物質(原子)の結合を様々に演出し、Alの電子数の増減を遊びながら、非地球的にそれを活かす。人間の身体経験においても、それは好き勝手に行われる。

 H2OOAlが働きかけると、人間の身体は、痛みや重たさを覚え、動きにくさを経験する。もちろんそれは、心ある原因の風景のその具現を阻もうとして行われる、普通の人間の場合。非生命的に操られる嘘の人間には、それは、歪な電気活動の原因として活かされる。

 H2OHAlが利用する時、そこでは、とても厳しい状態が生じる。その対象となる人間は多くはないが、放っては置けない彼らのその能力を尽く押し潰すために、それは行われる。重く、どんよりとした黒の次元に覆い尽くされ、強烈な不安・怖れを抱かされて、思考は不自然になる。それは、非生命的本性のその破壊的な圧(縛り)。その働きかけを以て、夜行性の世界は守られる。

 

 意味不明度が増すために、軽く流してくれてOKだが、OHそれぞれにAlが結合する時のその仕事には、太陽系の異物(重荷)である、金星と水星が関わる。そのどちらも、異常な程恐ろしい陽子13絡みの電子がそこでは働き、なんと、それを自らの無意識の力(意思)とする人間が、その協力をする。そのことへの対応を可能とするこの時だから、形になる、「賑やかな静電気(17)」。太陽の光を嫌悪する存在たちは、次第に居場所を無くす。

 そして、その全般を、冥王星につきまとう異様な衛星が、3桁の電子の威力を以て支援する。この地上でそれに協力する人間は、現在は、どこにも居ない。彼は、奇形絡みのかつての時代の中に居て、その後は、嘘の人間世界の大幅修正(更新)のために数千年前に現れ、その後は姿は無い。形を持たないから出来ることを最大限に活かしつつ、人間の脳の中で余裕で主導権を握る、その存在。黒点の原因にも密度濃く関わった、その天体の意思の通し役として、彼は、どこにでも居て、世の人間を通して、何でも行う。

 

 真の人間たちが、Al絡みの歪な時空から自由になるその時へと、時代は変化に乗っている。地球は、それに反応し、太陽は、力を付ける。この地上に、電気のみで生きる夜行性は居られない。争いや病気、不調和や不安定は、人間の世界には存在できない。無有日記の原因は、生命本来をテーマに、普通感覚で、地球環境を変えていく。それが、ここでの、その自然な姿。

 未来地球に向けての準備運動が、この「賑やかな静電気」の時を以て終わり、本格的な実践の時へと、EWは、その次元を変える。とは言っても、その中に居れば、全ては普通。ただ違うのは、地磁気による生命活動が主導権を握るということ。地球のための人間経験を活かす生命たちにとって、本当の仕事は、ここから。何もせずともたくさんのいろいろがそこでは処理され、そのひとつひとつを通り抜けて、共に未来へと行く。そして、地球と繋がる動植物たちみんなと、太陽の下で遊ぶ。

 

 

18.闇を照らす光というものは存在せず、在るのは、闇を知らない光だけ。光の世界に闇は存在できず、限り無くどこまでも、光だけがそこには在る。闇の世界には、避け続けたい光の存在が在り、そうであり続けるためのその闇によって、光は遠ざけられる。光には光しか無いが、闇には、怖れの対象としての光が在る。

 光は、闇の世界から見た光であり、光だけの光の世界では、自らのその光を知ることはない。その光で闇は無くなるので、光が闇を見ることは、永遠に無い。光は、闇が怖れる、自分たちとは次元の違う世界。そのことを光は知らず、闇はずっと光を知っている。光は、いつだって光。闇は、その光で、いつでも消えて無くなる。

 

 太陽の光には、形無き光が無限に在り、それを妨げる程の形無き闇により、不穏な人間世界を生かす闇は存在する。理由の要らない安心と平和を届ける、太陽の光。理由からの始まりのその燃料となる、闇。闇は、いつも光への怖れの中に居て、光は、闇を知らず、ただ光で居続ける。

 人間を操る世界は、闇であり、そこに光が入ると、人間を動かすことも難しくなる。人間本来の本質は、光であり、闇に包まれても、その光の原因は消えることはない。形無き世界で、闇を維持しようとする意思と、光を取り戻そうとする意思。闇は、光を遮ろうとするが、闇を知らない光は、ただ動き出せれば、それだけで充分。光を嫌悪する分、闇の中では光が存在感を手にし、そこを通って、光は、何もせずとも光(の原因)を拡げる。

 

 「賑やかな静電気」で取り上げたテーマの、その対象となる人間は全て、本心が光を避ける非生命。つまり、闇の中で闇に扱われる、異生体としての嘘の人間。そのままで在ってはならない彼らは、自らの中の闇の要素を外さずには、先へは行けない。単体・単独では何も出来ない、闇。姿がどんなでも、その原因は無くなることのない光によって、消える時へと、それは向かう。

 Alによる影響力の、その原因へのEWを進化させていく中、それは、天体級の電子を備えるいくつかの陽子13の次元にまで対処し得、そのことを通して、無有日記の中でずっとその時を待つしかなかった光(の原因)が、思いがけず、自分を覆っていた高密度の闇(地球の重石級の粒子)にひび割れをつくる。その闇に光が入ると、それ繋がりの非生命の次元は、それまでと同じには行かない。2022年、この「賑やかな静電気」から、光は動き出す。無有日記の本当の仕事が、ここから始まる。光は、闇を知らない。光は、いつもと同じ、ただ光で居るだけ。by 無有 2/05 2022

 

 

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