歴史の芯(10)

歴史の芯1

1.嘘の神々を基礎とする嘘の教えにすがり、それを心の拠り所に人々が安心して生きるという、世にも珍しく、恐ろしい、この国の普通。考えるまでもなく、それは危ういことで、普通人間は、そうである自分の姿に耐えられなくなる。のはずであるが…。

 つまり、この国の人間は、人間ではなくなってしまっているということ。永いこと、そうであることを普通に、偽りの時をみんなで生きて来ているということ。嘘にすがれば、心ある原因は姿を消し、結果のみを生きる、心無い思考があたり前となる。嘘の形(形式)を大事にすれば、感じる想いは力を無くし、見た目だけの表面的な交流を良しとする。

 なぜそうであるかの理由は、これまで書いてきているが、それらも、そうではないところへ行こうとする動き無くして、活かされることはない。嘘の世界に居過ぎて、本当の自分がどんなかも分からなくなっている人々。嘘の教え(礼、形)に汚染されて、感じるままを大切にする本来の普通を生きられなくなっている人々。それもこれも、太陽の優しさを招き入れ、心を元気にすれば、夢(嘘)から醒め、そのどれもが砕かれ、風景は変わる。歴史の芯は、そこへと案内する。

 

2.至るところに鳥居が在る風景を普通に人は永い時を過ごして来ているので、それらが無い状況での、それまでとは違う暮らしは、誰も知らない。人は皆、そうであることをあたり前に、湿った空気も滞った空間も、この国特有の風土として自然に受け入れている。風の流れも、人の動きも、生命本来からは明らかに不自然であるその中で、人は、その全てを自然なこととして、普通に生きている。

 不要に否定的な世界と触れないという意味で、知らないことは、時に、望ましい力となるが、それが生命を生きる人間本来をテーマとする時、そこでの知るべきことを知らないというのは、実に恐ろしい。無くてもいい経験の中に居ることも、有ってはならない現実を作り出していることも、そうではない世界での普通を知らないと分かり得ることではないが、人としての、心(生命)の意思は、その全てを知る。ただそれが、思考の域に上げられないでいるだけ。それ程、要らない思考を忙しく人は生きているゆえ、知ることの質も内容も、経験枠内のものに収められてしまっている。ここに至るこれまでのこの国の風景は、無くても良かったものばかりである。

 

3.重たさそのものの形ある結果を処理しても(取り除いても)、それまでの負の原因が残ったままでは、何にもならない。もちろん、それであっても、ある種の変化・変革の機会にはなるが、事を同じ場所(結果)へ引き戻そうとする負の力も健在である。まずは、自らの原因を変える。その気もなく形ばかりの重たさを支え、嘘の世界に生きていた自分を知り、そこから離れる。鳥居や社を思考に馴染ませていた分、負の連鎖との絡みは強力である。しめ縄や垂を普通に、蛇や烏を神の使いのように祀る風習に関わっていたとすれば、それらに潜む非道で残酷な原因の意思を、しつこく取り込んでいたことになる。知ることが、そのまま本来の人間を生きる生命としての原因となる時、それは、思考や感情を自由にさせ、経験の記憶を浄化し得る力にもなる。

 そんなつもりもなく、心ある素朴な人たちの生きる自由を奪う側で居た時、そんなつもりもないから責任は無い(どうにもならない)という姿勢が少しでもそこに在れば、その人が内に秘める残虐性は、相当なものである。神社(神道)との関わりを普通としていたということ。そこに在る非人間的な原因の蓄積を浄化するためにも、その関わりの意識全てを外す原因の選択から、生き直しをする。原因が変われば、(神道を基とする)負の連鎖も、繋がる場所を無くす。

 

4.人々の生きる原因が本来となり、心ある普通の人たちがありのままに想いを表現するようになると、空気は、優しく爽やかになり、空間は、滑らかに流れて行く。鳥居は、その存在意義を無くし、次なる未来の風景から姿を消す。神社は、太陽の光を浴びて、争いと不健全さの原因を維持できなくなる。そして、人の暮らしと男女の様(関係性)は、自然界のそれと融合し、環境は、蛇や烏(の獰猛な意思)が自ら引いてしまう程の、平和と健康を普通とする。

 鳥居や社が人の視界から姿を消すと、思考より心、形より想いが躍動するので、それまでには無かった面白い風景が現れ出す。太陽の光の地表への届き具合も変わり、風は、健康と安心を、自然界の生命たちの想いと一緒に運んでくれる。土も水も、それを喜び、人間も動物も、争いや衝突とは無縁の優しさの時を(愛情溢れる世界を)共に生きる。海は海らしく、山は山らしく。それらの光景は、豊かで、活き活きとした、平和そのものの姿となる。空も雲も、時の流れも、変わる。

 この国が、これまでの歴史で経験し得なかったことを、神社(鳥居)が人の暮らしから無くなることで、普通に、望ましい現実として、人は経験することになる。神社(神道)は、ありのままの健全さと、何の裏返しでもない平和そのものの世界を、嘘の神々と権力を道具にしつこく抑え込んでいた、生命世界の負の重石。「心の遺伝子」の世界が、人々の中で甦る。

 

5.そんな本来の風景の訪れを何より恐れる、心を持たない存在たちは、不穏な世でのみ生きられる自らの本性を上手く処理することが出来なくなり、次第に、転生へのサイクルが外れ、形を持てなくなっていく。(もちろん、そこからまた別次のEWが始まるのだが…)そして、彼らのその全ての負の燃料源でい続けた存在も、この地球時間との繋がりを維持することも難しくなり、かの2人関わりの世界からも、徐々に、その力を引き始める。

 この今に至る、この国の歴史ビルが崩れることで、何もかもが、ずっと前からそうであったかのように、時代は、心優しい人たちの想いがそのまま具現化される、自然で柔らかな真の普通を歴史とする。地球仕様で仕組まれた闇化(無生命化)へのプロセスも、地球と太陽(との関わり)に近づき過ぎたことが予期せぬ災いとなり、その全てを無くす。その原因がここに在り、そうである時のためのEWが、段階的に、この歴史の芯に乗せてある。この時を、未来に活かす。

 

6.この国が変わると、世界が変わり、地球は安心する。この数千年の間に、どれ程の数の罪無き人間が人生を潰され、命を奪われてきたかを考えても、恐ろしく凶悪な意思の原因が、今尚、心無い人の無意識(本性)や空間の中で息づいていることを知る。そして、他のどの地域よりも、蛇が住みやすく、烏が存在感を持っている、この国の不健全さの在り様。その負の原因の影響力は、人知れず外へと広がり、世界を病ませる。本音と建て前を使い分けさせ、内なる差別心を力に変える。そこでの心の無さは、世が、非人間化していく、その形無き原因の力でもある。

 その強力な負の影響力の土台となるのが、健全な感性を持つ人であれば誰でも知る、神社であり、神道である。だから、世界の真の平和のために、貧困や紛争の世界に人を関わらせないために、ひとりひとりが自らの中に在る嘘を外す。人間は元来、差別心を持てず、建て前や体裁に思考を働かせることも、良しとはしない。嘘の神々(神社)に関われば、それ自体が非人間性の証となり、そこに在る重たい原因は、人としての正しさを壊して、心ある風景の原因を力無いものにしてしまう。責任ある原因をそのままに、生命としての人間を生きる時、鳥居をくぐっている時間は無い。

 

7.人は、なぜ、嘘の原因を生きられるのだろう?なぜ、形だけの正しさで、そうではない性質の自分をそのままにできるのだろう?

 何か(誰か)のために命をかける(かけさせられる)世界に、真実は無い。人としての意味は、命の限り、人を生かし、自らも生きること。正しさは、想いが形になる前の、自らへの正直な姿勢と責任であり、それに付き合おうとする言葉や行為を通して繋ぎ行く、自然と伝わるその原因である。優しさも、思いやりも、その原因がそのままのそれであり、言葉(形)から始まる心ある想いは、存在しない。

 人が人であるための頑張りは、この世には存在せず、もしあるとすれば、それは、鳥居の内側で作られた、嘘の正しさである。真の自分探しも、祈りも、それらは、心ある原因がそこには無いことの現れであり、そうでなければそうにはならない要らない経験を、神社(神道)は、上手く作る。始まりが嘘であれば、何をしても、どこまで行っても、その原因は嘘であり、正しさや善においては、その本質は無視される。儀式や因習も、嘘の原因をそのままに、正しいとされる作られた嘘の正しさを生きる人が何より好む世界である。

 

8.生まれた時からあたり前としていたことが、実は嘘であるということを知るのは、厳しいものがある。しかし、その嘘で、人の心身は病み、その自覚もなく心ある純粋な人たちを悲しませていたことを知れば、それまでのままではいられない。生きることに、二者択一的思考は不要であり、頭を使って理解する正しさは、すでにその手前の経験から嘘である。思考は、人として生きる真の普通に、喜んで寄り添う。

 繋がる原因をそのままに変化に乗るという、人間であれば、どんな人も抵抗できない生命世界のテーマがある。健康も平和も、自らがその原因でいて、淡々とそうである風景を共に創り続けるという、この地球に生きていれば(動植物たちと一緒に)誰もが担う、生命としての責任がある。それを思えば、この国の人間は、そこから大きくかけ離れた時をずっと生きていたことを知る。そして、これまでの負の歴史の土台となっていた神道(神社)の怖さも、改めて感得することになる。

 時は、止まることを知らず、水も空気も、滞りを知らない。その中で生かされ、生きていく人間も同じである。歴史の芯は、人としての、これからへの力強い原因でい続ける。さりげなく真剣に、みんなで、心ある原因を生きる。ここに、どこまでも深く透き通り、優しく流れる、生まれ変わった歴史の芯がある。by 無有 5/20 2017

 

 

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