歴史の芯(13)

歴史の芯1

1.伝えられるものは同じでも、伝わるものは、その人の原因の性質如何でその姿を変え、形無きところからの変化への姿勢によっても、その時々で、その様相は変わる。その伝わるものが、限り無く中庸でいる(人の)生命本来の原因に触れる時、それらは、そのままでいることなく動き始め、共に生きる人としての基本形をテーマに、いつのまにか調整され(癒され)、浄化され出す。それは、その人にとっての大切な、望むべく変化。ペースや度合いはそれぞれでも、どんな人も、中庸全体の原因に包まれるようにして、それまでとは違う時へと案内される。

 これまでもそうであったように、みんなのために触れ得る対象としてある存在関わりの世界が文章として形になる時、その人の原因の性質とその影響力は、すでに描写された域には無い。その彼(彼女)が、物理的にも近い縁の風景に居れば、それは確実に為され、次は変わる。それは、形になった時点で、それを為し得る経験に至る力強い原因の働きが、そこに在る全てを、次へと繋がる新たな原因に変えたから。否定感情とは無縁の原因の力は、シンプルで、面白く、そして頼もしい。

 

2.人としての心も精神も持たない獣同然のかの女性(及び彼女関わりの存在たち)は、気づけば、その本性の力を失くす。心ある人の意識(脳)を支配する彼女の無意識の意思は、この無有日記の世界の原因に余裕で観察され、この時を迎える。そして、遠い昔、人間ではなかった時の記憶を自らに招き入れ、その(野獣の)姿を潜めていた無意識の蓋を徐々に開ける。そのことで、彼女は、人としての原因からの生き直しを、初めて経験する。本性の遺伝子(正体)が人間ではないゆえ、それだけで、人は嬉しい。中庸の世界から観れば、その全てが、全ての原因の意思である。

 そして今、そうであるから行ける、次なる場所がある。この13章を書く流れに乗っていなければ永遠に触れられなかったであろうそこは、この時代の、この時、この今ならではの、実に不可思議な、形無き世界から眺めた事実。単なる知識としてのそれへの扱いは、未消化の感情の記憶が無自覚のまま在ると予期せぬ危うさを招きかねないので、12章まで順に読み、そこに在る内容を自分と重ね、然るべき原因の選択・実践をする。それ無くして、この先への移動は控える。EWの原因は、軽く、思考(人間世界の)次元を超える。

 

3.凶悪な獣は、腹を空かせると、その性質をより強め、自分たちを恐れる動物や人間を力で抑えて、彼らの命を餌食とする。しかし、安定的にそれを行うのは難しい時もあり、いつのまにか獣たちは、その隙間(弱み)に、自分たちの本性が通用しない程の危険な存在(の思惑)を入り込ませてしまう。

 やがて、暴力と悪知恵で、獣を思い通りに操る術を身に付けた(彼らが身を預けた)存在たちは、好き勝手に人を襲い、殺害し(獲物とし)、恐怖心を彼らに植え付け、存在感を強めていく。獣も恐れる存在の、凶悪そのもののその感情(本性)は、この地上にその姿を見せてからずっと、‘歴史は繰り返される’の重要な負の原因でい続ける。

 その醜い本性の遺伝子を繋ぎ得る存在たちは、現代、多くが女性を生きる。そして、夫であったり、父親であったりする、世間の常識枠の中で生真面目に仕事に勤しむ男性を、上手く利用する。

 

4.男性たちの多くは、遠い昔に、獣(とそれを操る獣のような人間)に襲われ、精神を破壊された経験を持つ、人間本来の感性を尽く潰された人たち。その頃に植え付けられた独特の恐怖心は、彼女らに、いつの時代も簡単に嗅ぎ付かれ、引き寄せられて、その度に身近な関係性(家族)を築く(築かされる)材料となる。そして、その自覚もなく生きるペースを牛耳られて生命力を無くし、重く流れない(動きの無い)感情の原因をどこまでも蓄積させられたまま、身体を終える。

 繰り返し病み世を更新してきたその存在たちは、それをその原因のところから処理(浄化)し続ける無有日記の世界を嫌う余り、その全てを潰し切ろうと接点を持ち、その後、不本意ながらも逃げるようにしてそこを離れる(離れざるを得ない)経験をしたことで、彼女らが隠し持つ手の内を、段階的に(次元ごとに)処理し得る道を残してしまう。

 かつて獣そのものだった頃の聖徳太子と彼の妹を支配していた(猛獣の使い手だった)存在2人が、現代において彼の伴侶と、彼女の母親になっていたことを知り得ることも、この時だからこその必要性が案内した、彼女たちの、形無き危うい意思(原因)による事実である。

 

5.やむ無くそうであるしかない人生を送り、寿命を縮めて、身体を終える男性たちは、その後、その気もなく(否応無しに)、信じ難く恐ろしい役を担わされる。それは、身体としての命を持たないからこそ(自らの性質如何で)融合し得る、別次の停滞と破壊の原因の意思(の塊)を、幾重にも蓄積させたその形無き重たい感情と同一化させて、病み世の新たな負の原因の供給場所として、彼女たちに、自由に使われるというもの。身体を終えても、次なる(転生の)意思を持てずに、浮遊するようにして地上の次元に置かれる彼らは、かつて獣を支配していた存在たち、及びそれと同質の人たちによる、現代の病み世づくりに利用され続ける。

 かの女性と母親の元で、気力・体力を削がれて身体を終えた男性は、まさにその典型であり、自ずとその力量は、桁外れの、かなりのものとなる。他にも、義理堅く、生真面目で、誰からも良い人と思われながらも、人生を全うせずに身体を終えていった男性たちの多くが、強弱様々にその役を担わされる。

(人間時間の中で感情を暴走させがちにその役を担う(担ってしまう)、身体を終える前も後も、強力な影響力を持つ男性もいる)

 

6.この世には、LED化関わりや政治的悪徳等で時代を病ませようとする存在たちとは別に、時代を本来へと戻す(病ませない)原因の動きを阻止しようとする存在がいて、後者は、そのための当然の行為として、早いうちから、この無有日記との関わりを持つ。ところが、あり得ない負の力でそれを行っても、そのことを新たな原因に、(水や空気のように)淡々と次へと変化し続けてしまうその世界(無有日記の原因)に、逆に、自らの本性を刺激され、人間的にも(彼らなりに)不自由さを覚えさせられて、彼らは次々と姿を消す。挙げ句、自分たちの破滅・破壊型の本質の、その大元となる存在の意思の力に任せるしかなくなり、その別次元の仕事の支援役に回る。

 そんなこと、あんなこともお構い無しに、無有日記は行く。負荷をかけられても、その経験を次なる経験に活かし、滞りを強いられても、さらりとそれを受容し、原因の質を高める。そして、何があっても歩み続け、あたり前に生命としての変化に乗り、時を癒す。ただそれだけ。それを妨げる不穏な力は、うごめく度に、影響力を無くす。

 

7.この今だからこそ知り得ることは、それまでは何も知らなかったとしても、その知らなさの質がしっかりとこの今に繋がる原因のそれであったことを意味し、別の見方をすれば、それは、すでに知っていることを知らないでいた(いられた)ということにもなる。その時が来るまで知らなくてもいいことを知っていることはないが、知らないままでいる時の過ごし方が、普通自然体のありのままの原因のそれでなければ、その時は訪れない。そして、そうであれば、その時は、何でもないいつもの時となる。

 そんな時を淡々と生きていると、その原因となるところで、ふといつのまにかすべきことをし、行くべきところへ行く(行っている)自分がいる。2015年秋に「LED感染」が始まり、次の年の春に「LEDの影響(映像)」が始動したことも、その何気ない原因の現れである。そして、いつのまにか迎える、「歴史の芯(13)」。そのどれもが、‘その時’の連続であり、その時だからこその、それまでの原因の具現化である。

 生命世界の芯のところで絶えず動き続ける、多次元的な原因の意思は、無限と繋がり、永遠と重なる。その通り道となる無有日記との融合を楽しみ、歩み行く生命たちの‘知る’は、進化し続け、回転しながら、時代の意思のそれとなる。

 

8.現代においても尚、恐ろしく凶悪な負の影響力を及ぼし続ける2人の、その病みのルーツとなる歴史ビル2階の時の彼らの姿を、この国の負の連鎖の内実と照らしながら、多面的に描写してきたが、それを経て思いがけず(?)辿り着けた、原因の世界発の認識は、その2人の周りには、地下階の時代も含めて、常に、妙な存在たちの複雑怪奇な関係性が在るということ。それを知り得るというのは、この時代の病みの原因となる世界の、更なるその深みに縁してもありのままでいられるぐらい、無有日記と融合する人たちの原因が進化を遂げているということ。それは、とても嬉しい、生命世界の健全さの原因の、未来への連繋である。

 聖徳太子には、連れ添った女性がいて、彼女の猛獣使いのようなその醜い感情と支配欲に、自ら(の性質)を合わせながら、彼は、心の無さそのものを生きる。そして現代、彼女は、その頃と同じ、彼の伴侶の立場でいて、同質のことを日々行う。

 聖徳太子の妹には、育ての親がいて、その女性は、彼女の背後で手綱を締めるように、人知れず事を誘導し、腹黒さを地で行く嘘人を生きる。現代では、彼女の母親の立場で、当然のようにして、当時と同質のことを行い続ける。(彼女と母親は、歴史ビル1階の頃、仲良く、蛇の使い手と、人喰い蛇として生きる)

 そして、彼女たちの形無き企ての、その負の原因の燃料庫(供給所)の立場で存在する、そのエリアの代表のような、(彼女たちの身内の)姿無き男性。彼の本質と、実際の意思活動に触れられたことは大きい。争いや衝突の原因を知らない人たちの心ある想いが少しも活躍できなかったこれまでの歴史の、その負の原因の塊が、内側から崩れ出す。

 

9.抱え込まされ、蓄積させられた非生命的な原因を、それを仕向けた存在たちによって身体を終えた後も利用され続ける男性は、彼女たちが次の生へと移行する時、一緒に連れて行かれ、そこでまた、作られた常識世界の枠内で、心を活躍させることもなく、不自由に、生真面目に生きる。恐ろしく不安を抱える人ほど、重たい負の原因は染み込み(込まされ)やすく、そのことで無自覚に影響力を強めながら、人一倍体面(世間体)を大事に、世間一般の価値観を支え、それに満足する。そんな類の性分を強く持つ人ほど利用価値のある男性として扱われ、彼の近くには、いつも、心無き多数が集まる。

 「この国の病みの始まり」の時に、儀式全般を支配した、蛇そのものの母と娘は、その時の身内の男性を現代でも引き寄せ、これ以上無いという程の病みの原因を彼の中に染み込ませつつ、何不自由無い生活の材料を手にした時、彼の身体を終わらせる。それを間近で観ていた少年は、その時の訪れ(男性の身体の終わり)を機に、動き出す。二度と同じことが起きないための道づくりに、それまでの子としての融合体験と、育み続けた原因の質を、最大限に活かす。

 このタイミングでのその男性の登場は、彼女たちの素顔が崩れる瞬間である。負(闇)の原因の流れと、その作用による悪質なメカニズムが、誤作動を起こす。その時が、ここに在る。

 

10.文章は、生命であり、原因である。どんな性質の原因がそこには在り、どんな世界と繋がる原因としてそれは文章(言葉)になっているか…。考えるまでもなくそうであるそのことを通して、人は、何のためでもなく生きる喜びを普通とし、その意識もなく心を活躍させ、心を形にする。

 向かわないことで引き寄せられる現実は、向かうことで経験する結果を遠くに、自らの、人としての本来を安定・成長させる原因になる。言葉が言葉では終わらない時を余裕で創り出すそれは、形になろうとする想いを外の世界へと案内し、文章として具現化される全ての時を包み込む。そして、初めからそうであり、ずっとそこに在った大切なことを思い出させてそれを普通にする(させる)原因でい続けるために、言葉(文章)ときれいにそれは重なり合い、記憶から消えるようにして、思考を離れる。生命が、文章になる。

 文章が、生命の仕事をするようになると、単なる言葉であり、記憶し得る知識に過ぎない、形ばかりの世界とは縁遠くなり、まるで細胞が喜び、安心するような、言葉であって、言葉ではない表現が、自分を通して自然に生まれていく。それまでの経験も知識も、そこでは、要不要を自動的に、自由に姿を変え、交わす言葉も、文章も、そのどれもが、(頭の)記憶に残りにくく、(心の風景に)しっかりと性質として記憶される、次に繋がる原因のままのそれになる。それは、生命の交流のひとつの形。

 それを普通に知り、あたり前にそうである時を過ごす人たちの心の性質が、次なる時代の確かな原因になる。何をしても、何を作り出しても、それそのものが嘘の具現化である、心無い原因の存在による価値観。それが許されてきたこれまでを切り離し、ずっと力無く、それでも繋いで来た心ある想いを、この時代の連繋の意思と重ねる。言葉の次元を超える生命の言葉は、この時代に息を吹き返した、人としての真の普通である。by 無有 6/24 2017

 

 

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