歴史の芯(14)

歴史の芯1

1.歴史に名を残す多くの人の真の姿が、偉人や賢人の域からは遠い、非人間性の本質を備える危うい存在であるのは、その功績や偉業とされることが、非情で封建的な価値観を良しとする世をそのままに、それに乗る形で為されたからであるが、それよりも重要な理由は、彼らの本性が、その質を同じくする存在たちの作る負の連鎖の材料でいようとする、酷く恐ろしい意思を潜めていたからである。

 心の無さを普通に、凶悪な感情を潜める存在たちは、いつの時代も、いがみ合いと覇権の取り合いをして争いを繰り広げているのだが、世を病ませる方向性と人々の苦しみを喜ぶその非人間振りは皆共通であり、そこに秘められた危うい意思からすれば、人物伝として誰が歴史に残るかなどは問題外で、自分が病み世存続に存分に加担できれば、それだけで本望なのである。

 大きな衝突や争い事の場で勝利した人が、歴史に名を残す時、そこには、その存在よりもその出来事が持つ、その時代特有の負の連鎖の代表のような色合いと、名より質が重要な仕事をする、病み世存続への(積み重ねられた)負の原因の影響力が在る。歴史ビル2階での出来事の原因も、同様である。

 

2.戦や紛争を通して偉業を成し得た(とされる)存在のその姿を、争いの無い世の原因のところから観察すれば、捉え方次第で、その人は、俗人となり、野蛮人となる可能性を持つ。ところが、その時代の宗教や文化、社会全般の規範となるものを作り出したり、そのために行動したりする場合、その人は、後世に渡り、人々に尊ばれる存在として、歴史に記録される。そこに盲点がある。

 弥生時代とされる世に、その男性は、他の場所から、この国に現れる。素朴で、優しさ溢れるそれまでの風景は、彼を中心とする暴力的な集団によって尽く破壊され、人々は、理由の分からない辛さと怖れを受容させられることになる。柔らかな感性を持つ人たちは、次々と命(人生)を奪われ、どうにもならない時を重ねていく。

 その後、彼は、その危うい本性をそのままに転生し、歴史ビル2階の時に、政治の脇役のようにして行動し、時の重要な存在として、名を残す。これまでも、今も、誰一人、その名を批判する人はいない。そんな場所を、彼は、天性の凶悪さで確保し、その後の時代を、後方からオカシクさせていく。

 その手腕は、かの女性の能力をはるかに上回るものであると思えば、その恐さの程が分かると思う。その存在のことをここに書き記し得るこの機会を経て、時は、更なる癒し色のそれになると思う。「この国の病みの始まり」も、「再生」も「復活への道」も、この時に安堵する。

 

3.その存在の名は、小野妹子。彼にまつわる知識は、多くの人が普通に知るところであるが、そうであるがために、決して崩れず、砕かれないままであった彼の本性(の遺伝子)とその恐ろしい負の能力の原因は、いつの時も、誰の、どんな場所にも流れ込み、それを普通に(無感覚に)生きる人々の様を通して、この国は、あり得ない非道の下地の上で、重苦しい歴史を繰り返すことになる。

 縄文期における人間の自然な感性と精神性の全てが根こそぎ破壊されたのも、邪馬台国の時代に人々の心が完全に潰されたのも、そこには、その仕掛け人として暗躍した彼の力の影響があり、歴史ビル2階では、それまでの経験を活かし、効率良く、多次元的に病み世を支えるために、政治的支配システムの背後に、その意思表現の場を設ける。

 その時代に彼が実践したこと全てが、この今の世の負の土台の重要な材質となっている。人間としての影響力ではない、その原因としての、限り無い闇の影響力。神社での価値概念が崩れ行く今の流れを何(誰)よりも怒っている存在が、かつて小野妹子であった、現代のその彼の姿である。

 

4.心が折れそうになる経験を強いられても、心の意思には、それでも自由でいてもらい、素朴さを潰され、形に引っ張られても、理想を生きる世界の窓は、決して閉めることはない。

 太子の非情な権力行使と彼の妹の怪しい企てに苦慮しながらも、決して譲らない生命(魂)の意思に切なる想いを委ねるその女性は、思うように事を運べず、どうにもならなくても、中立・中庸の時の流れに身を任せつつ、希望を繋ぎ得る原因を守り続ける。小野妹子の隠れみののようにして利用されても、身を投げず、抗争に巻き込まれそうになっても、淡々と自らの分を自然界の営みのひとつにする。

 その時のあらゆる性質の原因を自らの心の風景に収めた推古天皇は、今回、幾多の障害を乗り越えるようにして、無有日記と縁し、今、この歴史の芯の、その抽象的な材料のかけがえのない存在として、歴史的な役を担う。人間時間では、永く辛い時が続いたけど、生命の時間は、これまでの全てが、この時のために溶けてひとつになり、地球時間と重なり合う。数千年分の人間の歴史が、生命の歴史の中で癒され、浄化される。

 

5.歴史ビル2階での事実の、その背景となる原因の世界に入ると、そこには、聖徳太子が小物(操り人形)に思えてしまう程の恐ろしく凶悪な意思が、小野妹子という存在のその原因(具現化の基礎の次元)のところで、好き放題暗躍する姿がある。その姿がこの国に現れたのは、縄文時代が終わりに向かう頃。そして、その風景を辿ると、そこには、今の中国(大陸)が在る。

 神道(神社)の礎となる場所に居座る聖徳太子が初めて人間を経験したのは、中国で、弥生時代に、この国に入る。小野妹子は、その先輩格で、中国の地ですでに潜在させていた悪影響力を強めつつ、同じ頃、日本に入る。そして、この地での蛇系の存在たちとの融合を重ね(蛇と同質の人間を増やし)、食文化から宗教・政治まで、かつての地での経験を基に、非生命的な色合いの強いものへと作り上げていく。彼らが名を残したことで、その原因深くの本当の姿を知る機会を得、改めてこの国が病んでいく過程の原因に触れてみると、そのどこにも、弥生時代の前には無かった、非生命的なものやかたちが在る。

 永いこと争い(命の奪い合い)が絶えない歴史を刻んできた理由には、元々この国には居なかった性質の人間が力を持ったことがあり、歴史上の人物の多くが、純粋な人間(日本人)ではない危ない存在であることを知る。つまり、別の場所から入り込んだ、後の小野妹子となる存在とその集団により、この国の歴史の暴走が始まったということ。人物の本質を知り、その原因に触れ、大筋を把握して、次なる原因を確かなものにする。縄文時代後のこの国の歴史に、この国らしさは無い。そして、かの天体(の性質)も、そこで、あり得ない仕事をする。

 

6.現代に生きる心ある人たちの、理由の分からない辛さや不安のその重量級の原因の風景として、歴史ビル2階での不穏な様と、それ関わりの世界を言葉にしてきたが、今も尚、信じ難い負の影響力を及ぼし続けるその代表的な存在のかつての姿小野妹子に触れられたことで、心身に染み込んだままの、要らない経験の記憶と未消化の感情は、徐々に浄化されていくと思う。

 そして、神社(神道)の世界に住み続ける人たちのその非人間性の原因は、弥生時代の頃に、他の場所からこの地(国)に入り込んだ、獰猛で残酷な感情の持ち主たちの本性を元にすることを理解する。いつのまにか、誰も異を唱えなくなってしまった、白米や白いパン、白いうどんや白い餅、白砂糖なども、蛇と同質の感情を備える、純粋さを知らない人たちの仕業であることも知る。それらを余裕で眺め、人間らしさを普通に表現していく。歴史は、数千年振りに、生命としてのそれへと軌道修正される。

 

7.身体的な遺伝子レベルの連繋の中に蛇系のものがあったとしても、それはある程度やむを得ないものとし、そのことを受容して、本性の遺伝子の質を変えていく。食を変え、神社から自由になることから始めてもいい。「心の遺伝子」も、それを応援する。

 この国の歴史を、これ以上病んだままにさせて置くことは出来ない。LED照明の危うさに敏感な人たちの心に触れ、心を経験する。そして、心を育み、心ある生き方を実践する。この時代を共有する、この国に生きる人間であれば、それは、不可能ではない。そのために、こうして、この無有日記に触れている。

 神社と関わる自分をどこまでも好きであるとすれば、その人は、人間ではなく、蛇である。自分には、全粒穀物を主とする食生活など考えられないとすれば、その人の蛇化は、かなり進行している。社会生活は、心ある人間が主人公である。蛇と同質の心の無い人間に、その資格は無い。人間が住む世に、神社は不純物であり、精白された穀物も、純粋な人間には、要らないものである。

 人間本来から大きくかけ離れてしまった現実を厳しく観察し、その原因に触れ、自らの生き方を変える。LED照明の悪影響に無感覚になってしまっていることの重大さを知り、人としての責任感覚を普通にする。そして、みんなで、この国を、心優しい素朴な人たちの集まる場所にする。それが、日本である。縄文時代が終わるまではそうであった、人々の普通自然体の心を、これからの歴史の芯にする。それこそが、未来に向けての、この国の人間(日本人)の仕事である。

 

8.この国の歴史ビル2階での、その後に繋がる形無き力関係が顕になったことで、その主となる存在たちのそれ以前の生の姿も、その原因から観ることが出来、結果、床に穴が開き、隙間を生じさせ、それまでの負の蓄積は同じままではなくなっている。どの時代に生を持っても、世の冷酷非道な人間たちの負の原因(思考、意識)を、形無き世界で支えていた存在。その、歴史ビル2階の時の姿、小野妹子に触れ得たことは、殊の外、大きな意味がある。進化し続けるEWがそのまま乗る、歴史の芯。それは、どこまでも原因の仕事をし続ける。

 歴史ビルの重要な階と基礎の部分が動き出したことで、各階の空気感は、以前のように重く、どんよりしたままではなくなっていく。その重たさの中で、ずっと身動きも出来ずにいた姿無き生命たちも、心を取り戻し、自由意思を手にする。不要に作られ、非人間的に操られてきた、この国の異様な歴史。その名のビルの中でひたすら耐え続けてきた心ある人たちの原因は、外に出て、太陽と遊ぶ。重しが外され、新しい風が運ばれ、共に、安心を経験する。

 生命の歴史の始まり(再スタート)の、その確かな原因となる、僕らの居る最上階。傷を負ったままの罪無き無数の生命たちを、ここに迎え入れる。未来が望むこの今の原因は、明らかに力強くなる。

 

9.形あることのみの知識に思考を付き合わせる次元からあたり前に離れていると、全ての出来事の手前に在る原因に、次への望むべく必要性に応じて柔軟に対応するという、生命本来の思考が普通となり、その質が成長・進化する中で、人は、ある出来事に至る積み重ねられたそれまでの原因に段階的に触れる(遡る)原因の仕事も難なく為し得るようになる。そして、かつての原因の具現化されたその時々の事実を、全く次元の異なる(本質のままの)知識として思考の域に押し上げるという、‘原因の世界の知識’とでも形容される新たな経験を可能とする。

 15章で、小野妹子のかつての原因が、その具現化された姿を通して、その昔はどんなであったかに触れてみる。それは、この国の今に生きる人々の、その気質と精神性のルーツとも言える。心ある人たちの純粋性は、ここに甦る。by 無有 7/05 2017

 

 

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