歴史の芯(15)

歴史の芯1

1.数千年程前、縄文の人たちの在り様に少しずつそれまでには無かった変化が現れ出した時のその原因となった存在たちは、海を渡ってこの地に来訪し、元居た場所との行き来をしながら、各地に移動し、彼ら独自の集落を築きつつ、定住する。彼らが持ち込んだ、武器(武力)と獣、そして、意に添わぬ人を力で抑えて奴隷にする感情。あり得ない光景を見せられた人々は、何も出来ずに住み処を奪われ、仲間を切り離され、自治は壊される。暴力によって人が血を流すという、一度も経験の無かった辛い現実にどうにもならず、生きることの、人としての普通は、姿を消していく。特別なものは何も要らず、必要なものの全てが有った、みんなの時代。それは、国の在り方が不安定になった別の地からの人間によって、その全てが、崩されていく。(九州東部の地で、彼らの負の(獣のような)力は増幅する)

 

2.小野妹子の本性の遺伝子の、その原因となる人間時間は、殷王朝の時代である。心の無さ繋がりの組織(体制)を運営する権威ある有力者の立場でいた彼は、残酷な殺戮と迫害をあたり前に、領土拡大とその支配を愉しみ、人々の、自分たちへの絶対服従を常識とする。後の生で、この地(国)の住人として生き始めた時の、その本性の凶悪さはかなり強烈なもので、その要素の中でも、人の脳を不健全にさせる呪術は、至極恐ろしいものがある。

 かつて、呪詛・呪縛系の凄腕の呪術師(巫女、気違い)を多数従えていた彼は、公正・公平な立場を維持しようとしたり、人間味のある観点で物事を観たりする人たち(組織、国、軍)を、彼女たちの術で、動けなくさせ、呪い、自滅させる(殺害する)。そして、全てを思い通りに動かすために、残虐性を強めた刑罰をいくつも設け、その正当性と実効性には、巫女たちも加わる。

 縄文の時が終わりへと向かう時のその不自然な変化には、後に小野妹子となる人物の本性が深く絡んでいて、それまで普通に、自然体で生きていたこの国の人たちは皆、彼関わりの存在たちによって術をかけられ、その影響は後々まで続く。

 

3.この地が侵され出してから数百年後、人々の間での隔たりや対立は日常化し、徐々に、「再生」や「この国の病みの始まり」の材料となる、不穏で重苦しい人間模様が繰り広げられていく。弥生期へと時代が移り変わろうとする頃には、純粋な心をありのままに表現する人は居なくなり、人々の精神性は、大陸から来た存在たちの影響の下、無くてもいいはずの不安や怖れを秘めたそれへと質を変えていく。

 この国の日本人気質は、(別枠で記した)中部のある山を中心に閉鎖的に成長・拡大していった、そこでの獣的な(獰猛な蛇のような)残虐性と、外から持ち込まれた恐怖支配が、重なり合うようにして混合して育まれたものであり、その後に増加する人間(人口)の内実は、差別や争いが存在する世を当然とする人たちの、非人間性のそれである。生まれながらにして支配や征服を良しとする価値観を精神(脳)に馴染ませた人々は、本来であればあり得ない現実も普通とし、非情で非道な世を支えていく。

 縄文時代の生を知る人たちの精神性(魂)は、細胞レベルでの混合がどんなであれ、その後もずっとそのままである。それゆえに辛く厳しい時も重ねているが、その純粋さは失われることはない。彼らは、この国の貴い存在。数千年の嘘を知る、日本人である。

 

4.邪馬台国の時代に、神という言葉(概念)を利用して人民を支配する様式が、時の権力者によって築かれ、歴史ビル2階の時、小野妹子の実践力によって、完全支配を目指すべく基盤として、その体制は確立される。それが可能となった背景には、そこに至る時代に、自分たちの意のままにならない存在を根こそぎ排除(殺害)できたことがあるが、彼の中に在る、大陸(殷)の時代の経験の記憶は、それを容易とする原動力となっている。

 彼が隋から学び、取り入れた内容は、この国の、支配する側とされる側との堅固な壁づくりの材料となるもの。税制度と刑法を定め、それを管理する人を増やし、人々の生活全般は厳しく支配される。役人は優遇され、力を付け、そこから安定し出した差別社会のその負の原因は、現代社会の根底で、今尚残り続ける。

 人生(命)を奪い合う悍しい世の基礎づくりと、差別心を持たない人たちが生きてはいけなくなる世を支えるのが巧い、小野妹子。命の尊さが意に反して大切にされるというこの現代に、当然のようにして彼は居て、次なる時代の連なりに向けて、その素質を全開に、強力な負(病み)のくさびを打とうとする。

 

5.自国(大陸)の社会体制が大きく変わり出したことを機に、この地に辿り着いた来訪者は、元から居る住民を、支配し、搾取する対象として扱い、その後、各地を占領して、権力の基盤を固めていく。言葉や文化は、殷の時代からのものをその基とし、力を持つ人がそうではない人を思い通りにできる歪な主従形態も、常識となっていく。そして、この地に以前からあたり前に在った、みんなの安心と健康的な暮らしは、不安と怖れ、病みと抑圧のそれへと変わっていく。

 その頃に時代が経験する、生命としての自然な在り様の消失。自然界の植物たちが初めて経験する、悲しみと痛みを含む水分(血液)の取り込み。この国は、縄文期ラストの頃に、現代に至る負の歴史のその下地となる悍しい時を、外からの非人間的な存在たちによって固められることになる。

 

6.鳥居と社の存在は、この国が、まるで催眠術にかかっているかのように、その時以来ずっと、生命本来の在り様からかけ離れてしまっていることを表す。歴史ビル2階の時の聖徳太子も、小野妹子も、それ以前の生では、神道のルーツとなる時を連ね、自分たちの残虐性を正当化しつつ、無責任にその本性を大義にすり替えるために、神という名(存在)を利用する。

 神社は、心ある言動を罪とする価値観で、好き放題、暴力と迫害(拷問、殺害)を行っていた存在たちの、そのかつての原因(の性質)を、ここに通すもの。その始まりから現代までの間の真ん中辺りに在る、歴史ビル2階。そして、そこから1500年程の後の、現代。この今のLED化が非人間的な原因のそれであることは、それを主導する存在たちが皆、神道絡みの世界と密に関わることからもよく分かる。その旗振り役の政治家は、歴史ビル2階の、その男性である。

 

7.LED照明を全く受け入れられない理由は、その人が、遠い日の、平和そのものであった時の純粋性を備える、心優しき日本人であるから。(※思考でそれを偽装して、本質を完全にごまかし得る存在もいるが…)争い事と不健全な時をあたり前に連ねたその後の歴史を考えれば、それは容易に分かること。嘘の神々を信じる嘘人が集う神社と同質の原因を潜める、LED照明。それへの違和感は、自分が、心ある感性を内に持ち合わせていることの証である。

 元々この国に住んでいた人は皆、自然界が悲しむ現実の原因とは無縁である。彼らを追い詰め、殺害し、支配欲を強めた存在たちと繋がる人は、自然界の純粋な生命たちが辛くなるLED照明に無感覚でいられる。この国が必要とするのは、神道絡みの病みで心の自由を奪われ続けてきた人たちの、その素朴で柔らかな想いによる正直な表現である。LED照明への抵抗は、そのささやかな望みの形であり、地球自然界の未来が何より嬉しい、生命としての原因である。彼らの想いを無視し、抑え込むという行為は、縄文期が終わりに向かう頃にこの国で起きた、(凶悪な存在たちによる)迫害と殺戮と同質のものの(原因の)現代版と言える。

 

8.次の時代に、一足早く想いを届けるために、この時代は、安倍氏と、主要な取り巻きたちの原因の性質を余裕で観察(把握)する。なぜ今、彼はそこに居て、なぜ今、LED化なのか…。その背景となる内実に触れても淡々と歩み行く自分を通して、この今に居る責任を確かなものにする。そして、彼の存在の意思の芯と、本性の遺伝子のその繋がり様の凄さを知る。それは、決して負の歴史を繰り返さないためのその力強い原因となるこの今の、人としての責任である。

 

 歴史ビル2階の前の生での小野妹子は、かつての経験の記憶を活かして、周到な計略を企てる。それは、自分たちが利用する神のお告げや神のもとでの占術に従順でない(自らに正直な)人間を、獣(大蛇)に取り込ませて、そのあり得ない経験の苦しみと恐怖の原因を、後世に渡りずっと残させようとするもの。彼の周りには、(富士山の麓で)人食い蛇を飼い慣らす妖女も居て、彼女の元で、その行為も、神聖かつ厳格なものとして扱われ、人間らしさを普通とする多くの勇敢な男女が、命を無くす。そのことで、世は、一層の暗闇に包まれていくことになる。

 

9.権力体制を軸とする差別社会の骨組みを編み出したことだけでも、歴史上、恐ろしく危険な人物として、そこに小野妹子は居続けるが、歴史ビル2階よりも前の生で彼が行った、大蛇を使った殺害は、人間の歴史で、最も惨たらしい悪影響を及ぼすものとなる。そして、その役を愉しむ、蛇使いの女性。後に聖徳太子の妹となる彼女は、従者と共に、湖の近くで蛇たちと暮らす。

 罪無き罪を課せられ、山奥(富士山)に連れて来られた人は、重苦しく淀みきったその場所の異様さに恐怖を覚え、と同時に受ける、脚や腕への打撃と水の責めによって、身動き出来なくなる程疲れ果て、気は力を無くす。

 その後、洞穴のあるところまで移動させられ、そこで見るのは、暗闇の方でほこらを前に呪文(祝詞)を唱える、怪しい姿の一人の女性。人は、彼女の声を聴くだけで、身は縮み、恐れおののく。それは、人間の命を弄ぶ、怪物(化け物)のうなり声。

 次の瞬間、人は完全に生きる力を削がれ、死を覚悟する。今まで見たことのない大きな蛇の姿が目に入り、これから身に起きるであろう恐ろしく悲惨な経験を、否応無しに思い描くことになる。……中略

 やがて、跡形も無く、人は、蛇に飲み込まれ、蛇の細胞の一部となる。それが意味すること。実に恐ろしい。一部始終、その光景を見させられた心ある人たちは、その後の経験がどんなであれ、後の生でも苦しみ続ける。

 

10.理由も分からず、身体が重く、自由にならない(手足が固まり、動けなくなる)時、その原因には、当時の蛇絡みの経験の記憶が、何らかの形で影響を及ぼしているということがある。力強く純粋な精神性を備える人ほど、その残酷な仕打ちの対象とされた、富士山の麓でのかつての出来事。それは、今尚、心ある人の無くてもいい経験の、重量級の負の原因でい続ける。

 その時の経験の性質をそのまま本性に溶け込ませて、この現代に生を持つ、その女性。胸(心臓、腹部)が苦しくなるのも、腰や脚が固まり、自由にならなくなるのも、彼女の無意識の意思による、蛇も恐れる彼女流の醜い表現である。人に、前向きな気持ちを持たせず、生きる意欲を無くさせることも、その野獣(化け物)のような脳と感情で、彼女は簡単に行う。

 そのことが、こうして言葉になることで、その原因となるEWは、確実に、それまでとは違う世界へと、人をいざなう。切なる心の意思を繋ごうとする存在たちの辛く悲しい経験は、そのひとつひとつが、かつての原因に触れ得る程の力となり、未来の風景は、生命本来の、新たな原因のそれに姿を変える。そのために、歴史の芯が在る。

 

11.小野妹子の形無き負の力をテーマに進めた文章が、思いがけず蛇使いの世界へと展開することになったが、忘れてはならないのは、人喰い蛇集団の中心的存在として、その女性に親しく寄り添う、一匹の蛇である。彼女(蛇)は、多くの人を食べ、巨大化し、その脳は、驚く程の凶悪な感情を蓄積させて、人の動き(感情)を操れる程の恐ろしい力を備えてしまう。多くの苦しみと恐怖を取り込んだ体(胴体)は、その人たちの転生全般にまで絡み付く要素となり、荒み行く世を決して変えさせない原因となる。

 彼女は、自らが、蛇神遣いのようになって、その後は、時代の流れ(質)に合わせるように、人間の体を持つ(蛇の脳を離れる)。そして、人間らしさを備える心優しき人たちを蛇神憑きのような状態にさせ、世の病み化を、その無意識の意思で支え続ける。その彼女は今、かの女性の母親として生きる。

 現在の彼女の中には、かつての蛇の生を通して取り込んだ(食べた)たくさんの人が居る。その時の原因の性質は今もそのままであり、そのための影響は、人間の理解の次元には無い。純粋さを普通とする人たちのその心を、重く、不自由にさせることを容易とし、どこに居ても、何もせず、事をおかしく、不自然にさせる。神道(神社)の世界の気味の悪さも、彼女の尽力があってのことである。

 この今だからこそのタイミングでより接近でき、それまでの原因を段階的に浄化し得るEWを行いつつ、形になった(把握し得た)、その(醜い行為の)中心でいる大蛇。その彼女が、人生を通して(どこも悪くないのに)ずっと体の不調と痛みばかりを覚えている理由は(仲間も皆、類似しているが…)、かつての、その惨たらしい原因を処理すべくここに集った、彼女に食べられた人たちの、その真剣な想いと実践にある。

 人間になった蛇は、心ある柔らかな人たちの生命力を奪いつつ、いつまでも強気である。しかし、その本性(正体)は、どこまでも蛇。その全ての原因が浄化される流れに乗ってもらい(存分に生きてもらい)、その間にみんなを元気にする。生命としての人間を生きる人の世で、勝手(逃げ)は許されない。(共に人喰いを愉しんだ蛇仲間は、この現代に何人も居て、彼女以外の存在たちの多くは、(無有の近しい間柄を通して)すでに力を失くす)by 無有 7/14 2017

 

 

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