歴史の芯(18)

歴史の芯1

1.知識から始まる理解は、心(原因)の働きを退け、そこに感性の乏しい思考があれば、分かったつもりのその無知が、隔たりや衝突の時を生み出す原因となる。知ることが活かされるのは、それを知らないでいられる(いられた)時の原因がすでにその時(知る時)を引き寄せて、更なる原因にそれを活かす働きをしている時であり、その主導権は心である。

 常識とされることや、世間的に良いとされるものや形を頼りに、頭だけで生きる人たち。その度数の高い人との関わりの中で過ごしながらも、自由気ままに思考(要らない融合)を外し、原因を細かく、心を自由に生きた無有であるが、10代前半の頃から、親しい友人と親しんだ音楽を通して、全くその自覚もなくかなり濃密な負荷街道を歩いてしまう。しかし、そのおかげもあり、そうまでして無有の動きを止めたいのか…と、その学びの内容は多次元的で、人(の脳)が病む過程も、その原因のところから観察し得る経験に至る。その親しい友人の原因(本性の遺伝子)への対処をし始めてから、多くの人の固まったままの病み(の蓄積)に動きが生じ、その親しんだ音楽(ミュージシャン)を切り離してから、人間らしさを取り戻す人が増える。

 

2.数千年前、舞台は、現在の中部の、温泉の湧き出る山の中。友人は、幾度となく失敗(欠陥、奇異)を重ねながらも、早い段階に人間らしい体を手にする。しかし、その手前の、蛇の脳であった(蛇と繋がっていた)時に仲間と取り込んだ化学物質(水銀のようなもの)の影響もあり、体の動きは不自然で、前頭部は大きく肥大してしまう。人の意識を引っ張るその容姿は、本性である残虐性を高める材料となり、人々は、(彼の感情によって)次第に脳の働きを鈍くさせられ、彼の暴力と狡猾さに抑え込まれてしまう。

 彼は、歴史ビル2階の時、推古天皇の身内として生き、聖徳太子の妹との交流を密に、事を企て、その恐ろしい無意識の力で、何もせずに思い通りに彼女の仕事を操る。歴史上、唯一室町の時代に武将として名を残すが、それ以外は、闇の力として生きる。蛇の脳であった時のその負の原因の力は凄まじく、縁する人の脳は、次々と彼の中に取り込まれ、方向性を支配される。

 その経験は、次に続く同質の存在たちの模範となり、多くが彼に倣う。病み世の土台となる人生を生きた存在たちの、その活力源のような性質の彼は、同質の仲間みんなを支え、彼らに、その凶悪な本性そのままの仕事をさせる。その姿は、人間であって、形無き恐ろしい蛇の脳のお化けである。

 

3.その友人の数度の人間経験に守られ、やっとの思いで身体を手にした存在の一人が、その音楽家(ミュージシャン)であり、二人は、永い間、(動物的)利害関係を保つ。彼は、鑑真の側で生き、師による、仏心を切り離した思考型の戒律を形にし、この国における仏教の真とその原因を破壊する。その獰猛さと飽く無き欲望は、何度もその時代時代に悪影響を及ぼす人生を手にし、鎌倉時代は、親鸞の身内として、室町時代は、ある有力者の側の実力者として(江戸時代は、2代将軍、及びある時の老中として)、その負の原因の力を発揮する。

 数千年前に、こぞって人間の体を手にした存在たちは、蛇の脳に住み着いていたその原因をそのままに、その後、いつの時代も、支配する側の中心辺りで、好き放題、世を病ませる。そのために何度も歴史に名を残す人(残してしまった人)、天皇家に居座り続ける人など、彼らの生は、わりと分かりやすい。そして、現代、彼は、音楽界でヒーローになる。

 音が氾濫するこの時代、音楽の影響は実に危ういものがある。特にこの国では、蛇系の歌い手(歌)が活躍しやすい場となっていて、その多くが、非人間的な経験の性質(記憶)を内に秘め、神社とも相性が良い。(心柔らかな人の生命力を奪う声の持ち主(ミュージシャン)は、その原因が、人間とは融合し得ない蛇(系)の脳によるそれなので、人は、ふと、感覚的にその時(距離を置くべき必要性)を引き寄せる)

 その原因に反応する間もなく、脳に染み込む音楽。この現代において、どこまでも分かりにくい、音楽による病み。これまでには無かったこの今だからこその音楽との関わりを通して、少しずつ、確かなペースで、自らの本来を元気にしていく。

 

4.4千年程前、それまで蛇の脳の中に入り込んでいた存在たち(の意思)は、ほぼ同時期に、人間の脳の中への移行を試みるが、どうにも上手く行かない時を経験する。手足(腕と脚)は太く、不格好で、目は異常に大きく、まぶたは開かない。尖った牙のような歯が早くに生え、体の表面は次第にうろこ状になる。そして、地を這うようにして動き(立って歩かず)、自ら、食べたいものを食べる。その殆どは、数年で命を終える。それは、一時期、繰り返し行われ、一匹の蛇が何度も試みたため、たくさんの奇形の赤ん坊が生まれては死んでいく光景が続く。

 人は、悲しみと驚き、恐怖と苦しみを経験し、それまでには無かったその異常な状態をそのままにも出来ず、ある性質の原因の高まりから、本能的にそれを形にし、残す。それが土偶である。縄文期の人たちが残した土偶は、ある次元のエリアから蛇の脳の中に入り込んだ意思が、人間の脳の中に住み移ろうとした結果、形になった、奇形の幼子の姿である。それは、数を減らしながらも、数百年続き、ある時、より人間に見える形を彼らは手にすることになる。その様は、渡来する人たちとの関わりが殆ど無い、中部の山(高原、高地)を中心に繰り広げられ、そこでのひとつひとつの経験は、この国の負の歴史の内部に、次々と入り込んでいく。神道や密教の源泉は、それである。

 

5.土偶の元となる原因に絡み、それを潜めたまま人間を生きる存在たちは、人としての芯(原因)が無い。彼らは、歴史の中で存分にその本性を形にし、殺害や迫害を愉しむ。幾多の惨劇・惨状を作り出した力ある人物は、その殆どが、蛇同然の脳を持ち、その負の原因を後に繋ぐために、名を残す。それは、まるで凶悪さの競い合いのようにして、その時々で、彼らは最も悪影響を及ぼす存在でいようとする。この国の歴史ほど、人が居ない歴史は無い。

 土偶を見て、心地良さを覚える人はいない。人間であれば、そこに在る非人間の原因に反応し、思わず距離を置きたがる。そして、人間であれば、その原因をメッセージとして捉え、その全てを浄化したいと思う。縄文期が終わる頃にはすでに大きく崩されてしまっていた、人としてのありのままの姿。その原因となった存在たちが、歴史を牛耳り、今も尚、現代仕様にその性質を形にする、あり得ない姿。然るべき原因の無い知識は、無くてもいい。次なる世を、人間らしいそれにするために、生きた知識として、その原因となる材料(言葉)をここに記す。

 

6.土偶の元となる歪な姿を何度も生み出した存在たちのその数は、100に満たない。そして、その半数以上が、この現代、直接的に無有と関わり、必要とすべくEWは、そのまま変化に乗る。彼らは皆、恐ろしく力のある存在であり、その殆どが、何度も都合良く形(立場、地位)を作り、名を残す。現代での彼らとの関わりは、そのまま、負の歴史のその原因の浄化である。

 彼らは、数千年前から、人間の脳を次々と取り込み(自分の無意識下に収め)、まだそうではない人に出会せば、瞬時にそれに反応し、自動的に自分の脳の中にその人の全てを入れてしまう。永い年月の間でのその数は、驚異的であり、この数百年の間でも、初めて人間を経験した人の多くが、同じような性質の意思(の力)を持たされ、彼らを支える。LED照明の危うさに無感覚でいる人の殆どは、未だ、人間らしい自分を経験しないままである。

 その危うき(原初的)存在たちの半数以上が、無有の近くに集まったというわけではなく、彼らが、ある不穏で無生命的な理由でこの時代に生を持つ流れになることを知り、それをその原因(手前)のところから調整して、近くに(縁すべき関わり)に集めて、その場所に生を持つ。そして、MEをテーマに動くと更にそこへと集まる同質の存在たちのことを、結果、何もせずに、その本質を把握することになる。間接的に為されるEWも、普通に進行する。

 

7.蛇の中に長く居た経験は、人間の脳を手にした後、大いに活かされ、それまで普通に在った平和は、彼らのその野蛮で残酷な感情の力によって壊され、不安と怖れが世を包み込む。非人間的な力に従わざるを得ない時の中で、人は、次第に心を無くし、感情は表情を失くす。弥生時代とされる頃には、それはあたり前の風景となり、心を持たない偽りの人間が、多くの人を支配し、権力を手にする。そして、心を知らない蛇の脳の持ち主たちが主導する、非道で人間性ゼロの時代が連ねられることになる。

 常に時代を動かし、世を病ませようとする彼らは、自分たちと同質の人間を増やすことを心がけ、人間を初めて経験する人の脳を、早いうちから嗅ぎ分け、それを自ら(の脳)に取り込み続ける。脳を操られた人たちは、彼らの思い通りに、争いや衝突を常とする人生を生き(行動し)、彼らの望む、問題事の絶えない不穏な世を支える。

 歴史は、蛇の脳を経て人間の脳を手にした、人としての基本形を全く持ち合わせない形ばかりの人間によって、その主となる部分が支配され、大勢の人たちが、自分たちが彼らの負の原因と融合させられていることも分からずに、それに合わせ、嘘の教え(神道)を守り、蛇と仲良く生きる様を呈することになる。当然そこでは、蛇系の意思のまま、それまでのように、歴史は繰り返される(低次・低劣の争い事がいつの時代も繰り広げられる)。

 

8.土偶のその原因を、今の時代だからこそ通用する(通用させてしまう)知識レベルの理解で捉えていては、無責任な無知が数の力で存在感を得るという、異常な状態を延々と続けてしまう。そこでの奇形の元となる蛇の、その恐ろしい意思は、神道の本質であり、神社が潜める残虐性のその理由(ルーツ)である。それを生きた知識として新たな経験に重ねれば、知識世界の無知の根底が崩れ、責任ある知恵と心ある体験的知識を普通に、人間本来を生きる道を歩み出すことになる。

 その歩みの中、健全さを取り戻した違和感に触れるのは、今の時代の暴走劇と、LED化の脅威。そう、現政権(2017年春現在)の主要な存在たちは、心を何より嫌悪する、かつての蛇(奇形)の脳の持ち主である。彼らは、自分たちが生きにくくなる平和の原因を潰そうと、力を手にし、一気に世(地球環境)を病ませようと、脳をオカシクさせた(させられた)人たちを使い、LED化を進める。それは、本性丸出しの、見え見えの悪あがきである。

 知識の本質を知れば、自らの生き方が、次に続く人たちの知識になる責任を思う。理解が、心ある風景の原因でい続けるみんなのものである時、時代は、病むことはない。歴史の芯は、その材料となって生き続ける、みんなのための、みんなの心を育み、成長させるために、ここに居続ける。それは、時代の望み、地球自然界の安心、生命たちの喜びと躍動。

 縄文期が終わりへと向かう頃、えも知れぬ恐怖と苦しみの中で、土器と土偶を残した人たちの、その本能的な直感と責任と強い意思を、この今の力強い原因の実践で癒し、彼らに応える。彼らが居てくれたおかげで、人間は、人としての生を生きる機会を得る。by 無有 8/06 2017

 

 

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