歴史の芯(19)

歴史の芯1

 1.原因の世界には、ただ原因でい続けることで、(原因の)感度の質が高まり、広がり出すという、その変化を生み出す原因の分母のような存在があり、その成長により、多次元的に感応し得る世界の、それぞれの原因の深み(次元)では、生命の(根源的な)意思が、形を生み出す形無き原因の層を遡り(透過し)、自由に行き来しつつ、戯れるようにして、いくらでもそこに在る原因の質を感じ取って、それを思考のフィルターに通す(思考の域に押し上げる)という、何でもない生命としての普通がある。

 この歴史の芯の世界とムリなく融合するという経験を通して、自らのその原因(心)が力強く動き出した人は、少しずつ確実に、その普通を自分とする。そうではない人は、神社との関わりをゼロに、人間本来の在り様を実践するという、生き直しから始める。原因は変化であり、生命である。結果(滞り)であり、無生命である神道の世界との融合は、人の世界には存在しない。

 

2.生命としての人間の(生命を生き、人間をやる)生き方を取り戻し、この数千年の負の連鎖から離れる自分になると、全くこれまでとは違う感覚が甦り、どこか懐かしいようで、ずっと触れ得ることの出来なかった真の普通のそれを通して、人の姿(世)がよく分かるようになる。それはまるで、この今の地にどこか次元の異なる別の場所(空間)から訪れたような気分になり、すれ違う人や縁する人の、身体を借り物とする彼らのその本体(中身)の性質を、その意識もなく感得・把握してしまう。それは、ずっと忘れさせられていた普通。求めて手にするものではない、生命本来に初めから備わる、自然な感覚と反応。かつては、皆、そうであった。

 自然界の他の生命たちと同様、人間も、この地球に生きる一生命として、常に原因でい続ける存在である。そうではなかった時を経て、以前のようにそうになれば、当然結果の世界に生き続ける、非人間的で無生命の性質を持つ人との融合を離れ、人間らしさと、生命を生きる自然体の姿が力強くなる。蛇の脳の中に居た存在たちの意思が人間の姿を持ち得たからといって、普通に人間を生きる人たちは、蛇にはなれない。縄文期の終わり頃から現代まで、人は、本性の遺伝子を蛇とする不気味な存在たちによって、人間らしさを無くさせられて生きてきたと考えてよい。次々とそのしがらみは外れ、本来の普通が元気になる。

 

3.その流れがここで動き出したのも、蛇の脳の中に入り込んだ存在たちの、その原因となる別次の世界に、より細かく触れられる時を迎えたから。信じ難い話だが、姿無き負の意思そのものである彼らは、今回、地球仕様に、人間という形を持つ。存分に無生命化の意思を発揮しつつ、自分たちと同質のものにさせ得た他の天体とは大きく勝手の異なるこの地球を前にして、彼らは、その取るべき前段階として、蛇の脳を利用する。(「連繋の意思」)

 歴史の芯で、彼らが巧みに引き起こした歴史的負の出来事とその背景を、形無き原因のところから処理し、そしてここに至り、その物理的原点となるかつての蛇と奇形(土偶)が彼らの今とその本質(非生命的本性)を同じくすることに意識を向け得る機会を得、縄文時代の心柔らかな人たちの切なる原因は、この今と繋がる。そして、彼らの意思は、異物として浮き上がり、その元となる場所も、焦りと緊張を経験することになる。負荷をかけられ続けた太陽も、次第に、太陽らしさを表現し出す。

 子どもたちが次々と力を無くしていく姿を見ても、どうにも出来ずにいた太陽。本来の在り様から大きくズレたまま、この地球がこのまま無生命化することだけは、何があっても避けたい彼と、地球の意思。それは、夢物語でも、想像の世界でもない。この今に至る人間世界のあらゆる争いと病気の原因は、元を辿ると、その全てが、蛇の脳の中に入り込んだ彼らのその原因の意思に繋がる。このテーマを、未来への生命の責任とする。

 

4.彼らの無生命そのものの意思活動を絶え間なく支え、その燃料源で居続けるそれは、地球からおよそ100光年彼方で存在する。黒と青と緑の色が混在する腐った苔のようなもので覆われたその星は、球にはなり得ないその歪な形の内側から、破滅と停滞の強力な負の原因(エネルギー)を放出する。巨大な負の生命体であるその星の意思のまま、対象となる天体で、その全てを覆い尽くして死滅させる無生命化の仕事を行い続けてきたその原因(エネルギー)は、同じようには行かなかったこの地球では、人間の体を持ち得たことで、その後、それぞれが個性を帯び、経験の内容と取り込む生命の度合いに応じて、支配力や凶悪さ、狡さなどに違いを見せながら、母体(星)から送られる無生命化の燃料を元に、限り無く負の意思を具現化させる。

 ただしかし、この地球には、太陽の意思(真の普通)と融合する精神性と地球感覚の原因を普通とする人間が、縄文期からすでに何人も居て、その強靭な意思と柔軟さで、彼らは、自然界と密に繋がる感性(直感)を材料に、その存在たちの動きを、いつの時代も妨げる。ところが、地球自然界の生命たちの苦しみが極限状態へと向かわされてしまう中、それは難しくなる。

 

5.自分のことは考えず、地球を守ることばかりであった太陽は、地球以上に重たい負荷をかけられ続けてきたが、この時に、それが徐々に外れて行くことで、彼は、これまでの経験を最大級に活かし、子どもたちを癒し始める。常識では考えられない、この話。でも、地球も太陽も、生命体であり、それぞれに人間の理解の及ばない別次の意思を持っていると思えば、頷けると思う。地球は、太陽から生まれたのだから。

 そして、地球では、自然界の生命たちが安心する心柔らかな人たちが力を取り戻し、普通自然体で、この地球時間(空間)を、優しく、調和あるものにしていく。海も陸地も、水も空気も、太陽と遊び、病みを知らない健全さを普通とする。そのために、この今があり、無有日記を通る原因は、それを、心ある人たちに楽しみながら実践させる。この地球には、争いも病気も、似合わない。

 時代の好転反応は、続行中である。次の時代までに修正・浄化すべき負の原因への対処は、この時代に生きるみんなの、原因の仕事である。そして、止まっていた心は動き、動いていた心の無さは、止まる。真の普通は、大きな広がりを見せ、歪な普通は、しぼんでいく。そのことを、ずっと前から知っていたかのように、人は、淡々と、さりげなく、ふとした想いを形にする。

 

6.負の原因の深くへと、いくつもの次元層を突き抜けていくようにして、自動的に進行するEW。そして、それに連動するかのようにして形になる、歴史の芯の原稿。蛇の脳の手前の世界を少しだけでも言葉に出来たということは、その次元のEWが、すでに始まっていて、ある程度の感触をもって、この時を引き寄せられたということ。それゆえ、これからは、これまでとの違いが大きく更新され、無有日記の原因と融合する人にとってのそれは、新鮮で面白い、素敵な体験的知識の連続になると思う。

 蛇系の人たちは、見た目の普通の印象とは全く違った異常さを内に秘めている。つまり、頭で覚えた良いとされることを上手くこなしつつ、心の無さゆえのその本性(無意識)の危うさで、心ある普通の人や空間を、その気もなく病ませ続けるということ。これから、それが、ままならなくなる。母体は、これまでのように負の原因を注いでも、彼らの元には、同じようには届かない。

 そのことで、彼らの中でしつこく固められていた否定感情は、使いにくく、流れにくくなり、それを生み出した無有日記の影響もあり、自家中毒のような状態になる。怒りと悔しさが募っても、それは思考から切り離された無意識でのことであるゆえ、理由も分からず、いつものようには行かない自分に出会し、本性の動きを刺激していた感情や思考も鈍くなる。そして、心を持たない人の宿命なのだろうか、彼らは、物化する。もちろん、その手前では、嘘やごまかしが困難になるための、彼ら自身であるその非人間性の浮き上がりや放出(露顕)が為されるが、見方を換えれば、その全てが、奇跡的な生き直しの機会と言える。心優しき本来の普通は、彼らの変化を歓迎する。

 

7.その星の本質は、闇であり、無生命である。そして、その性質(正体)は、粘着と残忍、破壊と停滞である。この地上に生きる人間がその原因に少しでも触れると、それが地球には存在しないものであるゆえ、処理が出来ず、要らないものとして脳に残り、不安と怖れになる。そして、それを原因に争いや病気が生まれ、人は、無くてもいいはずの経験を重ねることになる。人間世界には、元々不安など無かったことが容易に分かり得ると思う。

 その意思の、蛇の脳への住み込みから始まった、不安発の価値観と教え。それを知れば、不安が力を無くす。そして、不安の存在を前提とした教え(宗教、仕事)には決して近づいてはならないことも理解する。現代の、この国に在る宗教組織(集団)の殆どが、かつての蛇の脳と土偶の原型(奇形)をルーツとする。そこに居る人たちは皆、嘘が好きであり、不安が心地良い。

 太陽の光の中に居ると、不安は居場所を失くす。浜辺で海を感じると、不安は入り込みにくくなる。そして、最もその星からの負の原因を取り込み続けていたある存在(天皇家)も、みんなの変化によって、そのままではいられなくなり、歴史の芯の中で、その力を無くす時を迎える。そこから、人としての生命の歴史が、本格的に動き出す。

 

8.天皇という存在は、かの蛇の脳の中に入り込んだ存在たちが、病み世づくり(破壊行為)の、その重要な砦のようにして作り上げた、歴史的異変級の嘘である。その嘘を神としたことで、彼らは、いつの時代も天皇の威力を難なく利用し、時に自らも天皇(関わり)となって、好き放題人を殺害し、迫害を愉しむ。その非人間的な負の要素は、神社から、今尚流れ続ける。

 人としての常識(普通)を知らないこの国の多くの人間は、平気で、天皇繋がりの非常識(異常)を受け入れて、生きる。それは、恐ろしく危険な不安発の洗脳が、永い年月を経た今も浄化されないでいる現れ。弥生期の頃から始まったその嘘は、邪馬台国の時代を経て強大な力を持ち、歴史ビル2階の時、そのことで世は、完全に健全さを無くす。地球の異物のようにしてその星の意思を最大限に通すその(嘘の世界の)不気味さは、自然界が最も悲しむ現実である。

 蛇化した人たちが支える神道の嘘が力無いものになると、かつて人生(命)を奪われた姿無き無数の罪無き生命たちが癒され、辛く切ない経験の記憶をそのままに今を生きている人たちのその原因も、本来になる。その時に欠かせないテーマが、神道の本質と天皇家の正体である。神社から透けて見える風景には、罪の無い人たちの拷問と殺戮(処刑)、人々の苦しい生活と癒えることのない痛みがある。そこでは、嘘の神々に天皇も加わり、人喰い蛇と蛇使いも登場する。その大元となる原因の、奇形の幼子(土偶)と、蛇の脳の中での経験。そして、彼らがそうである理由を生み出した、異様な天体の意思。そのどれも、この地球には要らないものばかりである。

 

9.天皇家の人々が、誰よりも人間らしく、人としての真を表現することで、この国の歴史ビルは、そこに在る非人間性の重石を外す。神社は、人間世界の病み(闇)の象徴であり、その中心に永いこと天皇は居続ける。堅固な負の連鎖は、天皇家の遺産であり、歴史上の幾多の惨劇も、そこから最も遠いところで権力を持ち続ける天皇の、その原因の意思と繋がる。つまり、人々の苦しみの大元は、天皇(天皇家)ということになる。人間であれば、それを否定するという選択肢を持たない。

 彼らが、これまでのように嘘を本当として生きようとすれば、その分、時代は悲しみを蓄積させる。永い歴史での、無くてもいい経験を強いられ続けた人たちのその苦しみの原因全てが、天皇繋がりの世界には在るので、そこに引き寄せられようとする次なる原因を思えば、人は、それを放って置くことは出来ない。今の時代の人たちが、天皇という言葉に何の違和感も持たないということだけは、有ってはならない。その言葉への肯定は、生命への裏切りに通じる。

 永いこと特別な存在として崇められてきた(崇めさせられてきた)天皇家は、見方を換えれば、そうではない扱いを許さないという、普通自然体の生命の原因からは程遠い、獣のような怖れと怯えを内に秘めた、小さな存在ということになる。それは、考えれば誰にも分かることで、彼らは、そのことを恐がり、人々に何も考えさせない手段を、嘘の教えと権力で様々に講じていたわけである。罪の無い人たちを大勢巻き込んだこれまでの悲劇や惨劇は、天皇関わりの存在たちの病的な原因と、彼らの不安発の野蛮な権力行使によるものと言える。

 

10.その存在は、どの時代にも生を持ち、平安・鎌倉(前期)は、朝廷側、その後は、何度も武将(執権、将軍etc.)として生き、かつての蛇の脳の中での経験を、人間時間に活かす。今回の、偶然を装ったその必然は、人々に、最も意識を向けられる(崇められる)場所に長く居て、世がこれまでの時代と同じく病んでいく姿の、その重量級の負の原因でいつつ、遠くから、それを眺め続ける。

 この19章で、彼(彼女)のことが言葉になるのは、彼ひとりのために全てが闇に包まれてしまう程の力を彼は持っているため、そのことに対応し得るこれまでを経る必要性を以て、ここに、それを記す時を迎える。彼(彼女)が今、その場所に居て、然るべきEWへと繋がる道がここにあることは、まさに望外の事実のような原因の進化の現れ(具現化)であり、時代の喜びである。これに続く次なる文章の誕生を通して、徐々に、その世界へと入っていく。by 無有 8/13 2017

 

 

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