歴史の芯(20)

歴史の芯1

1.原因でい続ける生命は、連繋の意思をそのままに、ただ歩み続ける。何も無いはずのその道に何かが在れば、その全てを受容し、自らの質を高め、更なる変化に乗る。気づけば、その何かを後方に、それまでのように、そのまま歩み続ける。何があっても、それは原因の力強さへと繋がり、どこを通っても、それは原因の精妙さを生み出す。

 なぜそうであるかの理由が、原因の成長とは無縁である時、そこに在り続けるものは、無くてもいいものである。そこに、そうで在り続けようとする意思があれば、それは、生命としての原因を持たない無生命化のそれであるゆえ、そのままには出来ない。無生命という生き方を可能とする、非生命的な、腐敗と破滅の意思活動。その根源と繋がる存在たちは、人間の理解が到底及ばない別次空間(層)で暗躍する。それは、水を汚す不純物のようにして、生命世界の普通に入り込み、変化・成長とは無縁の重たい原因で、生命活動を封じ込める。

 ただそれも、歩み続ける中での、何かである。信じ難い無生命世界のその意思活動が、経験の外側に在ったとしても、そこからすれば、この原因の世界も、彼らには無い、信じ難い経験の外側である。全てを受容し、自らの質を高め、更なる変化に乗る。その何かがどんなであれ、その必要性は、原因でい続けるその質を、成長・進化させる。その変化は、止まることを知らない。

 

2.その存在の中に在る経験の記憶の、その性質に触れようとすると、向けた意識が遮断壁を生み出すスイッチになるかのように、瞬時にして、感覚は鈍くさせられる。いくつもの時代に居て、かなりの影響力を持ち得ていたからこそのこの現代におけるその姿があるということを通して、細かく観察し得る部分が多々あるはずなのだが、彼は、それを決して許さない。形無き負の原因の余りの強さと、その限り無い分かりにくさ。それは、それだけ、この今の世においては誰にも知られてはならない、人としてあるまじき野蛮で冷血(下劣)なことを、その醜い本性の力で、繰り返し行っていたことを意味する。だからこその、万全を期しての、今の場所(地位)。彼の、これまでの生は、いつのどの時も、人々にとって、惨たらしさと悍しさのそれであったと思ってよい。

 それでも、この時を迎えたということ。その重要なきっかけとなる、かつての彼関わりの経験を未消化のまま抱え込まされ続けた人たちの、この今に至る原因の変化。無有日記を通しての、彼(彼女)たちの、その無意識世界の変化は、確実に、彼の生み出す遮断壁を薄くする。その度にその質を高める生命源からなる原因で、そこに在る無生命の意思を取り込み、その負の原因の意思を、力無いものにする。より活発に動き出しているそれは、訪れる風景(次元)の変化に併せて、次なる言葉を連れて来る。

 

3.蹂躙と凌辱という言葉が、彼の並々ならぬ蛮行の様から誕生したものだと思えば、その非人間振りが想像できると思う。世情が不安定で暴力的な世では決まって、人が抗えない立場や地位に居て、力で、人(女性)を囲い込み、力で、好奇・好色の時を愉しむ。身体を傷つけ、血を流させることも常とし、苦しみ喘ぎ、許しを請う(逃げ惑い、命乞いする)彼女たちの姿を冷笑する。身ぐるみを剥がされ、耐え難い辱めを受け、そして女性としての全てを失い、絶望の淵に立たされる人たち。歴史ビル2階で、その恐ろしい獣のような感情のみで生きた経験は、その後、彼自身の、人生の最大の動機となり、平安・鎌倉の時、彼は、手にした権力で(天皇家で)、人間性と人間らしさを外した性を、常識として固めてしまう。男女の本来の関係性は潰され、女性たちの(人としての)性は、屈折と禁忌の類へと変貌する。位のある彼の、その変質的な性癖の影響によって、その後、女性たちは、どこまでも人間としての普通の生き方を出来なくさせられ、苦難と忍耐の時を過ごすことになる。

 

4.神道の世界での、女性に対する不可解な決まり事は、その存在が、尽く女性を虐げ、弄んだことの原因が余りに強力であったために、人々の理解は滞ったまま居続けてしまい、その異常を普通と思うほどの思考停止のような状態の中で、揺るがない(権力による)形式の中にそれが入り込んでしまったためである。今の彼は、誰よりもそれを嬉しい。それは、人を支配しやすく、人の脳を操りやすい、その下地でい続ける。

 室町の時を経て江戸になった時の、その中心の地に、今の皇居があることを考えれば、その場所には、人々の苦しみの原因のその核となるものが、400年程も存在し続けているということを知る。かつて蛇の脳を経験した存在たちは、その間、何度もその場所に居座る生を手にし、供給される負の原因も、その質(威力)を拡大させるために、集中的にそこで蓄積させる。それは、今尚行われていて、その存在も、もちろんそれに関わる。

 その場所(皇居)は、いつしか、病みの原因の磁界(磁場)のような役を果たし、自然界の生命の営みの、その基本的な動きを鈍くさせてしまう程になる。彼らの、健全な動きを止める、動きの無い不健全さは、大勢の心柔らかな人たちの脳を不自然にし、彼らの心を力無いものにする。不自然極まりないその場所は、400年以上過ぎた後も、未だその質を危ういものとして成長させ続ける、不穏と停滞、及び心の無さ(未熟さ)の象徴となっている。

 

5.人々の、平和で健康的な活動を嫌うその(蛇の脳の中での経験を持つ)存在たちは、社会全般に、リズムの無い音楽と踊り、そして武芸と娯楽を流行らせ、それに触れる人たちの脳の動きを鈍くさせていく。その元となる風景で主導権を握っていた彼は、真っ先に、女性たちから生命のリズムを奪う。何をするにしても、物静かに(蛇のように)動くことを教えられた女性たちは、快活に動くこと、自由に声を出すこと、気持ちを口にすることを封じられ、歴史ビル2階の頃から、この国は、リズム感の無い(メリハリの無い)生活習慣が良しとされる時を連ねることになる。そのどれも、蛇(の脳)に乗っ取られた人間社会の姿である。

 彼が、現神道の中心に居ることで、これまでとは大きく時代環境が異なる今でも、人の内なるリズムは変化の無いまま、非生命的である。歌は、地を這うような音楽が特別なものとされ、踊りは、妖しく暗いものが権威を持つ。武芸全般では、リズム感を持たない(技術だけの)人が、相手のリズムを奪い、勝負を成り立たせる。娯楽も、生命の躍動とは無縁である。現代音楽も、生命のリズムを持たない(無くした)人が、頭で覚えたリズムを、頭で歌い、頭で踊る。蛇系が活躍するこの国の芸術は、地球のリズムから最もかけ離れていると言える。

 神社には、生命のリズムを奪い取ろうとする原因が、所狭しとうごめいている。それに何の違和感も覚えず、そこと縁する人は、その意識もなく、人の生きるリズムを破壊する。生命のリズムが、いつまで経っても活動的に動き出さない(回転しない)原因には、それを望まない人たちが支える、皇居(天皇家)の存在があると思ってよい。神社の、暗く、じめっとした雰囲気は、神の名のもとに命を奪われた大勢の罪無き人たちと、その彼と関わらされた女性たちの、封じ込められたままの(動きを止められたままの)、その痛みと苦しみである。

 

6.転生は、否定感情とは無縁のものであるはずなのだが、心を持たない存在たちのそれは、生命本来の意思も望みも無縁であるため、心ある人が、その原因の変化(進化)のために自然に受容・選択する転生の世界とは違う。支配層のどこかに生を持てば、後は、生来の凶悪さと残忍さで、いくらでも人々に悪影響をもたらす立場や力を手にする彼らは、いつの時代も、世を病ませる方向性を同じに、非人間的に歴史を作り続ける。(それゆえ、多くが名を残すことになるのだが…)

 そんな彼らではあっても、形を生み出す意思世界では、力の違いがあり、鎌倉期に後鳥羽上皇(天皇)の生を手にしたその存在は、形あるところでの影響度はその度に変わっても、その負の原因の世界では、常に中心に居る。その理由は、蛇の脳の中に入り込む前の彼の行動にあり、その存在は、次々といくつもの天体を死滅させる(化石化する)段において、他への指南役(お手本)のようにして、最もその負の力を発揮する。そんな意思が、人間の脳を手にしたわけだから、これまでの時を含めて、その存在の影響力が、人間の知が到底及ばないところに在ることが分かる。彼の意思は、この世(地球)の無生命化の、その重要な核となる立場でい続ける。

(縄文期以前には無かった太陽の黒点を、その存在たちの意思による傷跡と思ってみる。それは、彼(太陽)の自浄力が高まる中、次第に癒されて無くなり、この国の気候も、そのことで変わっていく)

 

7.その存在には、それまでの人間経験のその原因のところに、全く(同質の)他とは次元の異なる融合と無生命的な一致を重ねる相手が居て、いつの時代も、過度の快楽と暴力を普通とする意思表現を、その相手と愉しみ、意気を合わせる。二人は、物理的な関わりの内容に拘らず、いつも繋がり、どこに居ても、彼ら特有の異常な意思を重ね、方向性を同一に、異生体の凄み(極み)を生きる。互いが、それぞれを、頼りがいのある病みの相棒のようにして扱うその原因(背景)は、同質他の存在たちの意思のそれとは次元が大きく違う。それは、この地球時間の重石のようにして在り、全てが、彼らによって、本来の変化を止められてしまう。

 どの時代に生を持っても、どんな人も手に出来ない地位(立場)に居る自分をいとも簡単に選び、自在に世を病ませて、好き放題人の命を弄び(女性を虐げ)、生きてきたその相棒は、今回、人間の体を手にして以来初めて、どうにも思うようには行かない時(人生)を経験する。二人で作り上げてきた堅固な病みのネットワークも、充分に機能せず、余裕は無い。(この20章の存在に)形無き原因のところで守られ、互いに活かし(利用し)合ってきたそれまでの経験も、次なる重たい世界を簡単には引き寄せられなくなり、本心の制御と秘めた感情の調整という、要らないはずの時間を、不本意な負荷を覚えながらも、何度も必要とする(させられる)。その個性である緻密さと狡賢さが、返って、その意識深くに、この時代の、これまでとは違う意思を引き入れてしまう。

 それは、この無有日記の中心に否応無く吸い寄せられ、外へと離れることも出来ずに、体面を繕いつつ、身を守ろうとする彼女(彼)の、その本質(本体)の、当然の反応。誰も経験することのない恐ろしさの原因(作用)をその本分とするゆえ、無有日記の原因という透明な鏡に映し出される、その理由を持たない自らの恐ろしさ(の原因)を、否応無く見つめさせられるようにして(反動のようにして)、経験する。そして、機を伺い、この章で書いてきているかの存在の無意識の力に対処すべく、その原因を動かす。二人は、その信じ難い形無き意思の力で、あらゆるものを牛耳って来ているので、その終わりの始まりと、終わりの時へと進み行く道筋を、無有日記に招待された彼女の人生で案内してもらい、形づくる。それは、今尚、進行中である。

 

8.歴史ビル2階の辺りから、最上階の現代に至り、皇居には、数千メートル程の姿無き鳥居が在る(と思ってよい)。その材質は、その存在の意思。全国の、あらゆる人の心の風景を見張り、そこに健全さの原因があれば、力で(重石のような負の原因で)その動きを押さえ込む。心ある人が活躍できないよう、心を持たない人の思考(感情)に、負の燃料を注ぐ。彼にとっては、それは簡単なことで、その恩恵を得て、同質の存在たちは、政治や経済、宗教や教育(and 音楽、スポーツetc.)の世界で活躍し、人知れず、世を病ませていく。彼が、その意思のまま転生する(逃げる)前に、その原因を浄化する。

 難無く無生命化(化石化)させられるはずだった太陽が、そうではなく、太陽に守られる地球の生命力が、全く経験の外側であったことで、その存在たちは、人間という形を通して、その意思を具現化させる道を選ぶ。その一環で、彼らは、地球の生命力のその源でもある、天然の放射性物質の自由な働きを操り、この地球には無い、新たな放射性物質を生み出す。

 既存の科学の域(次元)では、その生命世界への破壊力を証明(実証)できないLEDの恐ろしさは、彼らの意思の、その材料としては、完成品と言える。神道(神社)との融合を普通とする人たちの脳が、その危うい原因には全く反応しないということも、彼らは、絶好の機会とする。その存在は、誰もその精神性(本性)を否定し得ない場所に居て、LED化で世が腐り、自然界が滅んでいく様を、かつて女性たちの人生(女性性)を弄んでいた時のように、ほくそ笑みつつ、眺める。

 経験枠内の常識に照らせば、この全てが意味不明で、荒唐無稽な話となるが、地球の意思に添う原因の世界では、それは普通の理解である。心柔らかな人たちは、このことに、深くから安心を覚える。

(今世で彼に連れ添う女性の、その本性の危うさの度数は、桁外れである。見た目に比重を置く形式主義に少しでも染まっている人は、簡単に彼女の無意識の意思に支配され(騙され)、そこにある病み世づくりの原因を通す役を担わされる。現代の歴史的策謀でもある二人の関わりは、動きの無い破滅型の重石(原因)として、人々の思考を執拗に停滞させる)

 

9.この国のこれまでの歴史は、地位のある人への違和感が処刑に繋がるという、恐ろしく未熟で、非道な価値観を基に、その政を成り立たせてきている。つまり、その中身は、蛇のお遊戯と痴話喧嘩である。素朴で柔らかな人たちは、蛇に巻き付かれ、蛇に精神を呑み込まれ、蛇化する。そして、心を無くし、非人間的に生きることを、人としての正しき道(人生)とする。

 どの時代でも、世を支配する存在たちは、総じて品性が無く、人々の自由を抑え込む形式の裏では、彼らは、人とは思えない卑俗(下劣)な精神の時を過ごす。神道(神社)と、思考型の仏教を上手く利用し、嘘の神仏に守られ(守らさせ)、人々を搾取する。その恥ずべき感情を密度濃く備え、形無きその原因のところで彼らの不徳と蛮行を支えたのが、その存在である。

 彼は、江戸期のある時、時代の負のアクセントのようにして権力者(将軍)となり、その不自然な在り様を通して、世の女性たちは、それまで以上に辛く悲しい時を生きることになる。その後、再度、同じ地位を手にするのだが、今(この時代に)、その江戸城跡に彼が居るというのは、かつての彼関わりの女性たちの苦悶と嘆きの原因が、更なる重たい蓋で抑え込まれていることを意味する。その当時の彼の母親の、今現在の変化を通して、彼の非人間的な性質はより顕になる。

 どうしてそこまでのことを…と、普通一般の人たちは素朴に思う。人として有ってはならないことは、どんな人も、それを無視できない。しかし、元蛇たちは、それが生きる意思そのものである。そして、彼らは、そうであり続けるために、当然のようにして手にした力と立場で、都合の良い決まり(法)を作る。江戸期は、人々の苦しい生活が、その決まりによって最も安定した時である。

 そして現代、その頃と同じ性質の(原因を備える)決まり事が、元蛇たちの今の姿を通して、作られていく。神道(神社)との繋がりを普通とする政治家は皆、奇形(土偶)と蛇の脳の原因を、その脳に通す、無生命化が嬉しい、非人間性そのものの存在である。

 

10.決まり事の多くは、そうであることを良しとする(当然とする)ための結果を通して生まれ、なぜその結果が生じるかの原因はそのままである。それが、見た目の良さで中身の醜さを隠す存在によって扱われる時、人は、その決まり事という結果から始まる正しさに煽られ、それが無くてもいられるはずの原因には無頓着になっていく。つまり、決まり事が無ければ、不健全さと不公平さがはびこるという、作られた正しさを前に、健全さと公平さを普通に持ち合わせる人は、姿を消していくのである。そして、更なる決まり事が作られる下地が姿を見せ、心ある原因を生きる人の本来は、心無い人の歪な(表面的な)良識に浸食されていく。

 そうなる前の修復と調整は、人としての重要な責任なのだが、神社がそこかしこに存在するこの国では、それは難しい。神社が在るために、人の心が成長しないと考えても良い。神社(神道)が、人の暮らしの隅々にまで入り込んでいるというのは、非情で非道な本性を潜める有力者によって、この国が治められていると言える。その原因の中心に居るのが、ここに書いてきているその存在と、同質の蛇の脳の持ち主たちである。彼らは、自らの本性を隠すためにも決まり事を作り、自分たちが優位で居て、継続して利するためにも、決まり事を作る。その姿は、人の心を食べる、妖怪級の蛇。地球環境を守ろうと、その確かな原因を持たずに、地球環境を壊すLED化を決める。彼らは、狡賢さだけで生きる、ただの人にもなれない、蛇人形のお化けである。

 人が結果にとらわれ、過去に縛られ、そして形式の中で心を無くすのは、人を殺害させ、人(女性)を虐げ、そして人を物扱いする権力者の、その蛇同然の腹の内には誰一人逆らえなかった時代を、繰り返し生きさせられたため。その終わりの始まりの時に、人はすでに居て、生命を生き、人間をやる本来の普通を次なる世に繋ぐために、ひとりひとりが、この歴史の芯を自らの原因に重ねる。そのさりげない実践は、人生にとって、かけがえのないものである。

 

11.人に、命の犠牲を強いることは、人の世には決して有ってはならないのだが、それを非道にも行うという存在の恐ろしさに、人は、どうにも出来ない時を生きることになる。神の名のもとに殺害(殺戮、迫害)が正当化されること自体、人間の世界には存在しないのだが、それでもそれを実行しようとする存在のその獣のような非人間振りに、人は、あり得ない苦しみを経験する。そこに、その時々の権力者がいる。

 人としての普通を理解できない、愚かで未熟な、人間とは呼べない不気味な存在(の権力)を中心にずっと永いこと時代が連ねられたことを考えると、そのあり得なさに、人間として恥ずかしくなる。彼らの多くは、自らを神格化させるという、軽薄さの極みを地で生き、災いと不道徳のお手本となる。もちろん、スポンサーは神社であり、それと関わりの深い仏閣も参加する。蛇の恋路に人間がたぶらかされる、世にも恐ろしい闇の歴史を、人は経験する。

 戦(戦争)の度に血が騒ぐ蛇頭級の存在たちは、現場から遠いところで、人々に死闘を命じる。神(魂)や聖という言葉を巧みに利用し、殺し合うこと以外の選択肢は与えない。その間、自分たちは、酒を飲み、美味しいものを食べ、異性と遊ぶ。それが、将軍家であり、天皇家である。彼らが、地変級の災い人(蛇)であることは、言うまでもない。

 原因が大切にされれば、人が人の命を奪う現実は、姿を消す。やむ無くそうである状況があったとしても、ひとりひとりの原因が成長すれば、それは存在し得なくなっていく。ただ、非人間性をあたり前とする彼ら自身が、それを実践するのは、至極難しい。だから、そのことを知る。彼らの本質(本性)を知り、彼ら主導の価値観から離れる。神道(神社)関わりの全てから自由になることは、未来への責任の、その基本の基本である。有ってはならない現実のその原因を外し、人としての役目を果たす。地球自然界も、待った無しである。by 無有 8/21 2017

 

 

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