歴史の芯(21)

歴史の芯1

1.原因の世界の、多次元的なアプローチは、無限である。この国の歴史も、生命としての原因がそこには無いというだけで、そのあり得なさに、自由に反応する。つまり、心の無さは、原因の世界では、青空に突如浮かぶ孤独な雨雲。それは、分かるという次元のその手前の手前の常識となる。

 そこに蛇が絡む現実(時代)があるとすれば、その異物感は、浜辺のはかま姿、しめ縄の納豆、神社に住み着いた縄文土器子。それらは、原因の世界で泡のように浮き上がり、顕になる。何も無くても全てが有り、どこに居てもどことも繋がる原因は、何かでしかない結果(という動きの無い原因)を、そのままにすることはない。

 その普通は、この今の世には無く、この世が、その普通の中に在る。人の生きる原因が滞れば(結果に留まれば)、それは永遠に無となり、原因がそのままであれば、それはいつしか、無の中の有となる。そして人は、その普通の中で、生命を生きる本来を普通とする。そこから見える風景は、自然界の意思そのもの。全ての原因が、自らの原因(心)を通り、そしてそこから生まれ行く次なる原因は、地球のそれと重なる。多次元的なその原因は、地球をも包み込む。歴史の芯は、地球の外側からのそれへと、その原因を変化させる。

 

2.巨大な無生命の意思のかたまりであるその星は、その意思活動を展開させる中、初めて、どうにもやりにくい天体と出会す。それまでは、どんな天体も、その意思のまま、覆うようにしてそのどれをも化石化へと事を成し得ていたが、太陽はそうではなく、その生命の力に緊張を強いられる。地球は、そこに在る水(海)と微生物の扱いが難しく、そこに太陽からの、生命源と繋がる原因が供給されていることで、時間ばかりが過ぎていく。

 太陽系の中では、地球だけが残ったわけだが、その星からの破壊と征服の意思はそれまでと変わらず、そうではない経験を知らないその力は、当然(この地球を)無生命化させ得るつもりで、その手段を講じつつ、事を進める。そして、蛇の脳の中に入り、奇形を経て、人間となる。

 地球のいくつかの場所を拠点に進められることになるその活動であるが、四方を海で囲まれたこの国でのそれには、力が入る。人間の体を手にした、その意思を持つ存在たちは、あの手この手で、水を支配しようとする。

 

3.彼らが時間をかけさせられることになる予想外の事実は、陸と海とでの、そこでの生物たちの住み分けである。人間になっても、それは陸の上でのみのことで、海では生きられない。そのため、陸に居て、海を病ませ、海の自浄力を無くさせる手段を取る。彼らは、神社の元となる嘘の神々を利用して、人々への支配を強め、その脳を操り、海への負の影響を強めていく。この国の昔からのイルカ漁とクジラの捕獲は、そのためである。人間は、元来、余程のことがなければ、海の哺乳類動物の生命を奪うことは出来ない。

 彼らは、海と陸との中間で、それぞれに生きる生命たちを支え、その二つを繋ぎ続ける沙(淘ぎの原因)の存在に怖れを抱き、そこに在るその揺るぎなさに、拒否反応を示す。それゆえ、その苦手意識を処理するために、その場所での暴挙(処刑)を繰り返し行う。この国の浜辺(海辺)がそれらしくないのは(不健康なのは)、彼らの仕業である。

 それでも、海は力強い。陸に生きる生命たちの母なる存在でいて、時を癒し続ける。地球の意思をそのまま体現し続ける海の生命たちは、何があってもただそのままで、自らの分を生き、地球を支え続ける。

 

4.地球を死滅させるその決め手となる道具に、彼らは、LEDを使う。その強力な負の原因の供給元は、彼らの母体である、その星。地球に存在してはならないその威力(LED)で、微生物は、仕事を失い、土や木は、無生命化する。雨は、LED水となり、動物たちは、生きる場所を無くす。

 LEDは、海の自浄力を弱める。そして、海の生命力は、次第に無くなっていく。地球を守り続けている彼(海)も、地球の異物であるLEDにはかなわない。その全ての原因である(異生体からなる)存在たちの意思は、そこに在る嘘の原因を正しいこととし、人が抗えない力でもって、それを進める。恐ろしい限りである。

 この地球を大切に守り続けることは、生命としての責任である。そのために、LEDを外すことは、人としてこの時代に生きる上での、義務である。生きる原因を、蛇の脳のそれにしてはならない。地球の傷みに、無感覚であってはならない。LEDがそのままであれば、繋がる未来を持たない結果が、終わりの時を引き寄せ、LEDが無くなれば、それが繋ぎ行く原因となって、地球は、生命力を取り戻す。

 立場や境遇を理由に、逃げている場合ではない。地球に対し、犯罪者になってはならない。その存在たちが嬉しい場所に居て、彼らの意のままであれば(LED化に持っていかれたままであれば)、この地球に住み続ける資格は無い。

 

5.太陽系の他の天体に、その存在たちの意思活動の痕跡が在るように、この地球での人間時間では、この国の神社に、それは在る。そして、土偶もそうであり、LEDと、それによる破壊・破滅の現場もそうである。

 脳を操られ続けるこの数千年の間に、人間は、原因への責任感覚を放棄し、それによって引き寄せられる、どうにもならなくなる状況を前にして、その結果に嘆くという、自らが、負の連鎖の材料であるような人生を歩み続ける。人間という存在自体の自浄力は、すでに力を無くし、人は、作り物の心と感性で、ロボットのように生きる。いつしか、どうにもならなさの許容は増え、動物たちが苦しんでも、自然環境が破壊されても、それを他人事に平気で個を生きられるまでになり、今、LED化を肯定するという、その恐ろしい結末を生み出す原因の中で、もうどうにもならないと、嘆く準備をする。それを、救いようのない愚か者と言う。

 地球での仕事を終えると、彼らの意思は、次なる仕事へと出向く。太陽は、一気に力を失くし、宇宙空間は、希望の光を失う。この宇宙のどこにも無い、太陽と地球との調和のある関係は、止まることのない無生命化への流れに為す術もなく、終わりの時へと向かう。遠い未来では、真っ黒な地球が、寂しく漂う。

 

6.歴史の芯のその原因を自らに重ね、ここに在る身体時間を活かして、生命としての人間を生きる人たち。彼らには、その上で経験することになる、ここでの新たな意識、生命の知識が在る。それは、その星が、なぜ存在するかということ。

 歴史の芯の内容を体験的知識に溶け込ませて過ごす中、生きる基本形は、次第に生命としてのそれとなり、理解の次元も、原因のままでいられる、多次元的なものになっている。だからこその意識と理解の時間は、その限り無さ自体が新たな意思を持ち(帯び)、全く別次のそれでいて、あらゆる現実世界のその原因を浄化し得る力として、その役を担おうとする。歴史の芯の世界の、その普通世界を基に、そこへと歩み出す。

 誰もがみんな経験したことは、事実として認識され、そこでの理解は、真実となる。ところが、そうではなく、これまでも、これからも、それが誰も経験し得ない性質のものである時、それは、経験の外側として、意識するに値しないものとなる。しかし、形ある世界が、形無き世界に支えられているように、経験も単独では存在し得ず、経験の外側の世界が在ることで、人は、様々なことを経験し、意識することになる。

 その星へのEWは、難しいことではない。ところが、無生命化されたいくつもの天体は、その星のコピーのようになり、同質の意思で、同様のことをそれぞれが行う。つまり、その星の場合も、そうであるその姿を生み出した別の星があり、その別の星も、また更に別の星が、背後に在るということ。そのオカシなシステムに真面目に付き合いつつ、そうではない時をここに創り出す。

 

7.地球自然界や太陽の意思のように、宇宙空間は、限り無く自然で、永遠の調和である。どの場所の、どの星も、それ自体が全てであるひとつの個性を持ち、生命力を躍動させて、宇宙空間の在り様を支え合う。彼らは皆、地球が好きである。太陽とそれとの優しい関係を嬉しく思い、その姿に常に癒され、力強くありのままでいる。みんな、地球を愛し、太陽を誇らしく思う。

 その宇宙空間は、そこでの経験の内なる形であり、その経験の外側という別次の世界が他に在ることで、宇宙は宇宙でいられる。つまり、宇宙には、宇宙の外側が在り、その全く相容れない両者の性質によって、永遠の住み分けが実現しているというわけである。当然、宇宙の外側には、(宇宙空間の)自然と調和は無い。進化させ得る生命活動も、支え合う関係性も無い。そして、その場所から、どういうわけか、何層もの時空の壁を突き抜けて入り込んだのが、その星の存在理由となる、宇宙空間には無いはずの無生命化の原因の意思である。

 このことを通して、物理的な概念に思考が触れれば、瞬時にして、その方向性の全てがムダになる。しかし、原因の世界は、限りを知らない。そこに在る、在ってはならないものの原因深くに入り込み、自由に時空を透過して、その働きかけの多次元化を普通とする。人としての、心ある原因を持たない存在の、その元となる世界へと、順にその理由(原因)を遡っていくと、そこには、宇宙の外側の、宇宙には無い原因が在る。

 

8.この地球は、今、地球ではなくなりつつある。この宇宙には存在しないはずの異物が、その原因の意思のまま暗躍しているため、宇宙全体が、その煽りを受けて、おかしなことになっている。だからと言って、闘うことは何も無い。まずは、LEDを外し、その動きを止める。そして、山は、山に、海は、海に戻す。神社やそれ系の仏閣は、形あるものの中でも、残してはならないものの代表である。

 人間が、宇宙の外側の意思を相手にすることは不可能だが、これまでの経験や知識(記憶)を白紙にするぐらい、経験の外側を招き入れれば、その経験の原因が、世の常識を遥かに超える仕事をし、その意識もなく、宇宙空間が安心する原因を高めることになる。当然そこでは、繋ぎ行くものとそうではないものが明確になり、その原因のところから、心(本来の普通)が活動的になる。地球は安心し、太陽は喜び、宇宙全体は、ありのままの変化と調和となる。

 海の生物たちが生きにくさを覚える時、地球は、末期症状である。これまでの海の姿を思えば、それは、誰でも分かること。その時を、LEDは作り出す。そして、(現代に象徴されるように)人の心が思考(頭)で扱われる時、人間社会は、退化の一途を辿る。心は、全ての原因であるゆえ、そのことは常識的事実である。LEDの原因が、その動きの無い思考を下支えし、神社の木々は、そこに在る負の原因に敏感に反応する。この時、自然界の動植物たちは、正直に、その影響力を体験する。その意思に、身が引き締まる。

 歴史の芯は、二度目は無い。無視されれば、後が無いのだから、それは当然のこと。その原因は、唯一未来が笑顔になる、自然界の望み。そこに、要らない思考は使えない。

 21章まで続くとは思わなかった、歴史の芯。もう無いと思う。たぶん。さて、これから。時代の好転反応は、まだまだこれから。まずは、蛍光灯の部屋(店)で、美味しいコーヒーを飲もう。by 無有 9/04 2017

 

 

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