歴史の芯(22)

歴史の芯1

1.大きな岩石の形状を利用して作られたその壇は、上部に台座が設けられ、戒め(洗脳、服従)の儀式や政の場として使われる。神聖で特別なものとして位置づけられるその場所は、それだけの理由ではない何か別の、異様で重苦しさを感じさせるものがあるため、人々はそこには近づかず、それを意識することからも離れている。その直感的な感触は、得体の知れないものへの恐さ。不自由さを強いられながらも、生きる力だけは失くさずに維持し続ける彼らの本能が、それとの接点を頑なに遠ざける。

 その祭壇は、林に囲まれた広場の隅に在り、蛇の脳と奇形を経て人間になった存在たちは、事あるごとに、一人の女性をそこに座らせ、周りを囲む。彼女は、高慢で、自意識の強い、後に聖徳太子の妹となる存在。同質の人間は、彼女の性分を利用し、彼女も悦に入る。人々は、好印象を醸し出す彼女の仕草を通して、その自覚もなく負荷を重ね、彼女のためであれば頑張れるという、不自然さを普通としていく。

 その異常さを馴染まさせられた、ずっと以前からその地に住む人たちは、指示されると、子供たちを家に残し、その広場に集まる。その数は、100人以上。彼らを支配する、蛇の脳の中に居た経験を持つ数十の存在は、その女性を中心に嘘を演じ、人の脳を操り、何もせずに利する側で、世の苦しみを強めていく。

 

2.初夏の頃のある日、祭壇の前に集められた村人たちの中から、一人の男性が、その妖しい姿の女性に呼び付けられる。彼は、平然とそれに応え、一切の不安も緊張もなく、いつもの遊び心をそのままに、壇を上っていく。

 その光景を、人々は、見ることが出来ない。人は皆、脳の働きを牛耳られ、身体は固まり、地に伏している。目は開かず、耳は聴こえにくく、何が起きているかも分からなくなっている。おぼろげながらも、僅かに(かすかに)感覚を維持させる人もいたが、状況の推移をくみ取るまでには至らない。そして、意味不明な時を過ごした後、人々は、事の終わりを告げられ、住み家に帰る。

 壇上(台座)に居る女性がその男性を呼び付けた直接的な理由は、神聖で、畏怖・畏敬(恐怖支配、服従)の象徴であるはずの祭壇で、それを茶化し、戯け、面白がる行為を彼がしたから。彼は、それ(祭壇の威力・威光)が全くの嘘であることを人々に気づかせるために、そこで遊び、支配者たちの怒りを買う。

彼らの呪術的な力の行使にも全く動じないその男性は、その女性に近寄り、虚偽の指摘と、人間であれば(人間を生きるのであれば)決して行ってはならないことを、強い口調で、厳しく話す。彼女は、憤怒の極みに達し、体を震わせ、同質の存在たちに、彼を連れて行くよう命じる。

 

3.本性を顕に、醜い否定感情をその男性に浴びせる、元蛇の脳であった存在たちは、それでも全く意に介さず、普段のままの彼のその姿に、次第に怒りと悔しさを募らせ、自ずと凶悪な本能がありのままになる。彼は、その機を逃さない。今までになく感情(本性)が高まった分、触れやすくなったその原因となる部分の、ひとりひとりの個性を、自らの中に次々と取り込み、コピーする。それは、向けられた凶悪な意思が、何も出来ずにはね返って、その元となるところへ戻る際に、一緒になってその場所へと連れ添い、その中身を全て覗いてしまうようなもの。それは、その時から2500年程の後の、現代、大いに活かされる。

 地面にうつ伏せのまま、両腕を押さえ付けられたその男性は、何の抵抗もせず、流れに任せ、そして頭を割られ、命を落とす。ところが、怖れも不安も何も無く、空気のように姿を消した男性のその本質のあり得なさと密に融合させられたため、彼らの意識は、混乱する。姿が無くても、そこに在り続ける、別次元の粒子の性質に震えおののき、それまでの重たいままの体制と本性の共有の全てが崩れやすくなる。彼の生命の意思は、身体を終えた後も、仕事をし続ける。

 その危うい存在たちに取り込まれ、彼らのための仕事をさせられながらも、その経験が貴重であることを本能的に知る人。どんなことがあっても、生命本来の価値基準を外さず、人間としての真(心)を繋ぐ意思を力強く高めていく人。そして、そんな人たちの支え役であり、協力者であり続ける人。それらを余裕で把握するその男性は、その後、ずっとその人たちの人生を見守り続ける。

 

4.人の生きる自由を力で抑えて、怖れを抱かせ、その経験の記憶を利用して、その人の脳の中に入り込み、全てを支配していた彼らであるが、その手法が全く通用しない人間の態度によって、逆に自分たちが怖れを抱くという、彼らにとっては考えたくもない嫌な現実を、その男性との関わりを通して経験することになる。本性をむき出しに、彼への憎悪を強めれば強める程、(その感情をはね返されて)自らの本質である恐怖心に包まれてしまうという、自家中毒のような状態に陥る経験は、信じ難く、耐え難いものである。

 それをどうにかするために、蛇頭級の男たちは、手段を講じ、彼の亡骸を焼き、転生の糸を断ち切る呪術をかけることにする。しかし、恐さから始まるその行為は、自らの本性の遺伝子のルーツをさらけ出すことにもなり、彼の中に、その正体の微細な原因は次々と取り込まれてしまう。もちろん、次元が異なるゆえ、転生を支配することは、永遠にあり得ない。彼は、姿無き状態でいても、淡々とすべきことをし続ける。

 言葉を交わすまでもなく(意識するまでもなく)、大切なことを感じ合い、互いに支え合い、愛し合う自然体の感性を尽く壊されていた人々は、その存在たちの意識が不安定になったこともあり、男性の死をきっかけに、本来が深くから呼び醒まされ、健全で力強い感性を取り戻す。そこに在る、不自然で不健康な環境にも、知恵を働かせて柔軟に対処するようになり、それによって、蛇系の存在たちの行為も、恐怖支配のそれから、徐々に外れていく。

 村人の生活全般を支配していた存在たちは、次第に内輪もめを起こすようになる。人を陥れて苦しませる方向性は同じであるがために、彼らは組織のようなものを運営していたが、元々、支え合うことも、協力し合うことも無縁であるため、一度そこにひび割れができると(それまでのようには行かなくなると)、それぞれの生来の凶悪さが活動的になり、同質の存在であっても、いがみ合い、潰し合いが生まれる。そして、彼らは、およそ3つに分裂し、その集団活動は、別個のものとなる。

 

5.異質な本性を備える、かつて蛇の脳の中に居たその非人間的な存在たちのことは、その男性は、手に取るようにしてその本質を把握する。形(身体)を持たない間、その全てを見張り、村人たちのその後を見守り、時代の推移とその質を見極めながら、様々に調整し、支援する。恐ろしく危険なその意思が地球に入り込み、人間としての生を手にしたことで、やむ無く時代(人々)が経験するであろうことを観察しつつ、原因からなる変革(自浄)の機を伺う。

 その存在の中には、歴史の芯に登場する人物の多くが居て、彼らは、その後、人々の心の拠り所となる宗教を巧みに生み出し、数百年の時を経て、「この国の病みの始まり」にあるような、神の名のもとで命の犠牲が正当化されるという、異様な世を作り出す。そして、それを確立させるために、祭主(神主)や巫女(神子)という存在を活躍させ、暴力や武器を使わずして、そうとは思わせない不自由さと不健全さを、人々の心に植え付けていく。

 ただそれも、どういうわけか思うようにはならない時を連ねる中で無自覚のうちに弱化させてしまったその非人間的な本性による、辛うじての意思表現の類(次元)である。その時(その存在たちが人間として活動する時)より前の時代を知る、かつての村人たちは、姿無きその男性の原因の力に支えられながら、何があっても本来の意思を貫き、自然界と共に、自然な反動(抵抗)を起こしつつ、生命としての原因を、人として繋ぎ続ける。形としての力量は微々たるものであっても、人間が為し得るその(生命世界の)自浄力の保持においては、それは、力強いものである。どんな時代でも、どれ程のことが起きても、何も無くても全てが有る時代を知る人間として、あたり前のことをする。争い事や差別を普通とするその異常さに流されることなく、ただ、心を生きる。そのことが、この今の風景の、確かな原因の礎になっている。

 

6.分裂した3つの集団の、それぞれの主となる存在たちは、そのまま3つの場所で、今生を生きる。それは、関東と九州と四国。その全て(転生)を操られた彼らは、当然そのことは認めず、それでいて、拒否反応を極端に強めて、怪しい動きを見せるため、自ら、自分たちが危うさの中に居ることを顕にしてしまう(認めてしまう)。その反応は、無有日記を書き始めた頃により具体化し、あの手この手でそこに近づき、蛇のような目で様子見をしたり、獣級の嫌悪をぶつけたりと、その慌て振りを個性的に形にする。彼らの本性は怯え、本能は凶暴さを見せ、そして思考は、焦る。

 2500年程前に行動を共にした元蛇の人間たちが、この現代に、家族や親戚(友人)としてキレイに集まることのその本当の理由を、彼らは知らない。世をオカシクさせて、苦しみを作り出す方向性は同じでも、自分の欲のために、平気で同質の存在でさえ潰し、病ませられる彼ら。その意思の最も重要な対象になってあげることで、彼らの演技は、一層磨きがかけられ、その崩すべく嘘を通して、彼らは皆、無有日記の材料となる。そして、歴史の芯の浄化は平易となり、丸裸状態となった彼らの本質に対処し得る人が増え、時代は再スタートを切る。彼ら独自の思考型の認識は、家族も兄弟も、その関係性は自分たちの意思。そう思い続けられるその姿を通して、事は、彼らの次元を遥かに超えたところで、望むべく動きが進行し、その原因は、より力強く、微細になる。

 男性が命を終える際の、彼への暴力とその殺害方法、そして亡骸を焼き、砕くという、その行為全般を指揮した、集団のリーダー格の男は、今回、関東(茨城)の地で、女性としての生を生き、彼女を、彼は母親として選ぶ。その時から、無有日記の原因の風景は、密度濃く流れ出す。

 

7.歴史ビル地下深くのその時から、彼らの姿を把握し、今世でその主となる存在たちを皆余裕で集められたのも、そこには(彼らの中には)、遠い昔、蛇の脳の中に居たという、非人間的な性質の原因(本性の遺伝子)が、常にそのままであったから。その頃、幼かった彼らの子や孫たちも、後に続く。そうである事実の原因は、思考の域には無い。

 奇形(土偶の原型)を経て、やっと人間の体を手にした、蛇そのものの本性を備える存在たちは、彼らにとっては全くの普通のことなのだが、当然の行為として、人間を食べる。そうではない生活感覚を知らない(覚えられない)彼らは、空腹になれば、人を襲い、あたり前にそれを(獣のような仕草で)自らの中に取り込む。脳と肝臓は、以前からの彼らの好物。姿は人間でも、狂気を普通に人を食べるため、その本性の凶暴さは、一層強いものになる。

 その場所に居た存在たちは、人一倍の欲深さと征服(支配)欲を生きる力としていたため、歴史に、幾度も名を残す。思考の質を本来にするために、その必要性から、宗教を絡めた描写を通しての偽僧や嘘人をすでに無有日記で登場させているが、その酷く未熟な精神性のルーツは、この時代である。

 そして、ここに来て、改めて意識を向ける(向け得る)存在として挙げるのが、その男性が命を無くす時、村人の中に平然と居て、何喰わぬ顔で、普通人を装っていた、「歴史の芯(20)」の主人公である。

 

8.彼は、本性(脳)が蛇でありながら、人には決してそうとは思わせない、名人級の偽善者であり、村人は、彼のことを信頼する。表向きは柔和な感じだが、ふとした瞬間に見せる、それまでとは違う表情は、それを見た人が凍り付く程の恐さを持ち、それでいて、その姿を無いものとする完全な嘘で、善人を偽装する。狡猾で、知能派で、笑みを絶やさない彼の、その隠された呪術の力により、人は、彼の意のまま、活動的になり、何も出来ずに動けなくなる。

 常に目立つことなく、普通に過ごす姿のその秘められた意思は、徹底した非人間化と、そのためのコピーづくり(蛇系の拡大)。それは、融合の主導権を握るために容易に暴力的な手段を取ってしまう同質他の存在たちの誰もが真似することの出来ない技。それをいとも簡単にし得る彼によって、人々の暮らしは、理由も分からず重苦しさを慢性化させ、時代は、変わりにくさの負の原因を重ねていく。

 その彼は、3つのいずれの場所にも属さず、この今に至る蛇系全般の生(意思)の流れとして、皇居に居る。事の全てを見越すようにして立ち回るその姿に、普通一般の原因の力は、一切通用しない。それでも、その全てを浄化すべく時を創り続ける。この時代に生きる一生命として、精一杯の心ある原因を次に繋ぐ。

 

9.この今の場所には、蛇の本性そのままの存在たちに脳を支配され続けた、彼らが出現する前の時代を知る、(この国のこれからにとって)とても貴い人たちが集まる。その中には、奇形(土偶)関わりの人生を送った人や、蛇(獣)に取り込まれた人もいて、彼らの経験のひとつひとつは、病み世(負の連鎖)の土台を粉々に砕き、崩し得る、その力強い材料になる。彼らひとりひとりの経験の記憶がその原因深くから浄化されることで、より確かな変化を、時は生じさせていく。

 凶悪な意思を難無く隠し通して村人を生きたその存在には、姉がいて、それが、台座の上で偉そうに振る舞う女性である。彼女による妖術のその威力の殆どは、彼女の知らないところで(勘違いのまま)、彼が仕向けたものであり、同質の存在たちによる支配も、それによって、きめ細かく、安定感を出せることになる。

 そして彼は、村人の女性を伴侶に家族を作るのだが、その彼女と子は、この今の時代には欠かせない重要な存在として扱われ、時代の意思は、その頃の経験を含めたこれまでの二人の原因全てを、ここでの更なる連繋の意思の礎とする。そこでの(かつて彼らが経験した)厳しさの受容は、想像の域を超える。二人は、その存在によって、徹底マークすべき対象として、完全にその脳を支配された、「心の遺伝子」の風景の中心的存在である。それがこうして顕になるということは、それが完全ではなかったということである。

 

10.縄文期が終わりに向かう頃、この国では、その後に続く非人間的な歴史のそのひな型のような異様な風景が、中部の高原辺りで繰り広げられる。そこに至る、それまでの負の原因として在る、蛇の脳の中に入り込んだ無生命化の意思と、人間の体を手にしようとして彼らが経験した、土偶の原型(奇形)。そして、実に恐ろしいその蛇の本性そのままの、不気味な行動。2500年程前のその時、この今に繋がる、無くてもいい経験の永い時を、人の歴史は連ね始めることになる。

 人としての基本形(心ある原因)を実践させようとして、反感を買い、命を奪われたその男性は、その殺害の指揮を執った存在を中心とする集団を、関東の地に集め、自らもそこで子として生き、彼らのひとつひとつの原因の働きを処理する。

 蛇頭級の凶悪な男性(今世は女性)と、芝居上手な女性を擁する九州の存在たちは、東京に移り、待ち構えるようにして、無有日記の原因潰しに皆で力を注ぐが、そのどれもが空回りし、自滅型の原因へと、それは変わっていく。襲った人間を取り込んで、それを人を支配するための呪術の糧としていた存在たちの集まる四国では、無有日記の原因に翻弄されて、嘘を生きづらくなり、その力を無くす。

 そして、彼らの時を経て、満を持して迎える、村人の一員として人知れず暗躍していた、その男性の正体。後に、自らの息のかかった血縁(身内)繋がりで、天皇家(皇室)という存在を生み出す彼は、人の暮らしを全く知らないまま、人を支配する(側でいられる)呪術を磨く。軽薄さの象徴となるそれは、この時代の意思に退けられ、異物となっていく。

 人間の歴史において、この今の時代ほど、地球自然界の意思が注目している時は無い。この国の次なる原因の、そこに及ぼす影響力は、これまでのどの時よりも大きい。「歴史の芯」の原因との融合は、容易にそれに応える。

(他にも、無有日記誕生後の時代の必要性から、当時の出来事(の原因)と密に関わる他の存在を、大阪や東京の地で生を経験させ、EWの材料とする)

 

11.そして今、2210節を終え、ここに「歴史の芯」のひとまとまりが完了するのを待っていたかのように、やっとその時を迎え得る、一度もその期待も、そこへ向かう姿勢も無かったからこそ触れ得る場所が、見え出す。それは、この人間世界での不安の中心核のようにして、姿無きその意思のまま多次元的に存在し続ける、否定的万能とでも言うべき、負の力。人間のどんな知識を以てしても、感触の域には到底近づけないそれは、「仏陀の心」のその歴史枠(次元)を超える原因の性質(意思)によって、否応無く揺れ動き、そこでの違和感に、かすかに感性が引っかかる。その姿は、まさにその時の訪れ。

 対処すべき性質として少しでも意識を向けると、その瞬間その姿は見えなくなり、永遠にそれが分からなくなってしまう次元のものであれば、一切そのことを忘れて(という考えも持たずに)、それ以外のところに在る原因のみに対処し、それで全て良しとする生き方を徹底しながら、そのあり得なさの中の真実という瞬間に出会し得る自分を、その自覚もなく生きる。その間に、その恐ろしい非生命的な力と対峙しても平気でいられるぐらい、自らの原因が成長・進化していることが必須であり、そして、それは、突然訪れる。

 訪れた時は、まさに融合の主導権の奪い合い。どちらの普通が、そのままその普通でいられるか。そこでの原因の成長・増幅は、進行形のままか。そんな瞬間の連続が、この今に至る。

 ふとした直感からでさえも意識を向けることが難しい(危うい)というのは、その力によって、人の意識の動きが簡単に牛耳られてしまう(しまっている)ということ。そのことに思考を自由に使うことも出来ないというのは、人の思考の性質やその内容までが、その存在の思い通りになってしまっているということ。そんな次元の意思(負の力)が、人間を経験する。その支配と破壊の威力は、どこまでも、その原因である実を見せずに、どんな風にでも、あらゆるものを、変化とは無縁の辛く厳しい結果に留める。「仏陀の心」が誕生するまでは。

 

12.その力は、身体を自由に利用して、意のままに凶悪な人間経験を促す、形無き生命体(本体)の意思。自然界の営み全てに、いとも簡単に悪影響を及ぼし続けるそれは、人間世界には元々無かった、本体という、思考の性質(原因)と繋がる次元を生み出し、そこから(その背後から)人間の脳とその活動全般を、容赦無い残忍さで支配する。その意思の力は、形ある人間時間においては、立場や地位・権力を活かすという次元には居ず、ただただ、どこに生を持っても、殺害と虐待の感情を全開に、その強大な本体の負の威力を行使する。

 その存在は、「この国の病みの始まり」の時に、子供たちの命を直接奪った(殺害を愉しんだ)女性。鎌倉期には、親鸞の子としての生を経験し、江戸期以前では、時の武将として、罪無き無数の人たちの命を弄ぶ。その本体の意思は、現代でも同じである。本人(身体)は、その本体の力で操る現実を、そのことに一切無自覚のまま、狡賢く巧妙に(完全なる嘘で)、獣級の無意識で生きる。

 彼女(彼)の形無き生命体(本体)の意思に対応し得たことで、EWは更なる時へと移行し、(やむ無く作られた)無意識という次元に、未消化の感情の記憶(のその性質)を蓄積させたことによる、重く、危うい、ひとりひとりの本体は、力を無くす(姿が無くなる)。本体と本人の違いも無く、そのまま自らの全てをありのままに生きていた時代の風をここに通し、生命としての、生き直しの原因を確かにする。その始まりが、この文章(の原因)であり、その流れは、どこまでも続き、繋がっていく。

 そして、理解する。無有日記の原因と融合する人たちは皆、かつてがどんなであっても、仲間であるということ。彼らを通して、「歴史の芯」は支えられ、彼らを通して、EWは、ここに辿り着けたということ。「歴史の芯」は、ここに居る全ての人の変化・成長を支え続ける。そこに、「仏陀の心」も加わる。

 

13.この国の負の歴史の中をかい潜るようにして皆でここに繋ぎ得た、生命本来の望みは、その道筋の元となる原因の風景が形になったことで、より活動的になり、そこに「仏陀の心」が重なることで、未来への連繋は、これまでよりずっと滑らかで、力強いものになる。それは、永い時の負の蓄積を、その土台から崩し、その全てを溶かし得る程の原因の力となって、変化し続ける瞬間の時を癒し続ける。それに見合うよう、この「歴史の芯」も、少しずつ確実に、その質を成長させていく。ラスト22章は、生命世界からの祝福のような、新たな世界への始まりの時。

 「歴史の芯」を通して、これまでの原因が浄化される時、そこでは、繋ぎ行くその流れが確かなものであるための、優先すべき性質のテーマと望むべく段階があり、その調整が思考の遥か手前であればある程、事は速やかに動き出し、時は姿を変える。負の連鎖の土台がしつこく固められる、その原因となる出来事が集中した、歴史ビル2階。その場所から始まったことで、他の階の負のかたまりの内実は把握しやすく、それらの原因の絡みも、順を追って動かしやすくなる。山を登り、海辺を歩き、風に乗って地球を眺めたことで目にした風景のひとつひとつは、土と水と空気の優しさとその生命力によって癒される。その時の連なりは、次に行くべき場所と新たに対応すべきテーマをそっと差し出し、そのひとつひとつが、変化に乗る。

 真の変化は、さりげない。戻ることのない変化は、そのことを気づかせずに、人を変化に乗せる。変化は、自然界の基本、自然体の普通。人は、音や色を運ぶ空間の意思と融合するように、変化に乗り、そして変化の中に居る。それは、生きる原因の、生命(心)の遺伝子。「歴史の芯」は、その変化の原因を、読み手の心に甦らせる。

 この章は、10節で終了していたところ、大きく時間差で追加すべきことが形になり、それが、後の3節分になる。そして、この「歴史の芯」の全てを終えた感で過ごす中、更なる時間差を経て、そこに、空白のままの個所(次元)が在ることに気づかされる。それは、非人間的な存在たちが、その原因となる本性(本体)を基に恐ろしく醜いこと(呪縛、洗脳)を為し得る現実に至る、その重要なきっかけとなる、彼ら独自の不可思議な経験。そこへと行くべきEWが始まり、そのひとつひとつの体験の(多次元的な)原因が、形になろうとする。それを、23章で記す。ある意味、それは、世の常識のどんでん返しの類になるかもしれない。by 無有 10/15 2017

 

 

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