歴史の芯(26)

歴史の芯1

1.人間らしく生きることは、実に簡単で、そうではない生き方をすることの方が大変なのが、人間である。それを難しくさせてしまっていることの理由には、幼少時からの白米食がある。白米が身体細胞に負担をかけているのは言うまでもないが、白いうどんも、白いパンも餅も皆、人間らしさの基本となる部分を根こそぎ崩し、人の不健康と不健全さのその強力な負の土台でい続ける。

 人間は、全粒穀物を摂るように出来ていて、そうではない物で脳と身体が成長する経験は、自虐行為と言える。それがまかり通る、この国の食の風景。人は、人間らしさを経験できないまま、質の伴わない人間経験をムダに生きる。

 ただしかし、そのことに気づかされたとしても、殆どの人は、身も心も白米漬けである。その質を変えることは、至極難しい。それを難無く変化に乗せるためにも、全粒穀物食を普通に、未消化のままのそれまでの負の原因を浄化する。ここでも、左手が活かされる。

 人間は、この地球に住む一生命であるから、精白された米や小麦を食べることを良しとしない。考えなくても分かるその理由が、考えてもよく分からないとすれば、その人は、それだけ人間ではなくなっている(人間らしさを欠いている)ことを意味する。なぜ、そこまで退化してしまっている人が存在するか…。そのあり得なさの理由深くに入ってみれば、そこには、停滞と腐敗を活力源とする神道と蛇系の存在たちの、非生命的な原因の働きがある。全粒穀物食が執拗に退けられたことで、この国の人間は、生命としての責任感覚を尽く無くし、脳も身体細胞も、人間本来のそれではない状態を普通としてしまう。

 人としての成長を妨げる、差別心や優越心の原因も乗る、白米食。否定感情の他は何も無いその白米文化を通して、人間は、永いこと、生命を生きることを忘れる。

 

2.心ある原因の選択・実践を難しくさせる白米食(白小麦のパン食)は、元から心を持たない蛇系の存在たちに力を与え、心が無くても、形や物だけで事が済まされる歪な世を支える。問題事も、そうにはならない原因を無視し、それをどう処理するかという結果優先の思考を活躍させる。そして、多くのそうである人が、その意識もなく心柔らかな人を病ませ、人のためと言いながら、自分(自己満足)のために心配し、気をつかう、心無い言動が普通となっていく。

 その他者への心配(気づかい)の最たるもの(嘘)が、命への心配である。心無い異常な人は、心ある普通の人を心配し、彼らを戦場へと送る。立場的に(巧みに)命を守られようとする人は、そうではない人を心配し、その人たちの人生を終えさせる。心配する気があれば、心配する必要の無い現実のその原因を大切にすればいいのであるが、心の無い蛇系(神道絡み)の人間は、それが出来ない。残忍さと凶悪さを備える彼らは、心配や祈願という形式を人に尊ばせ、神社を作り、神の名のもとに大勢の命を奪う。その全てを善とする感情の力で、地位のある存在や神社に祀られる嘘の神を自分の命よりも大事と思わせ、その欺瞞の道具に、心配や気づかいを利用する。神社での祈願や参拝は、白米文化の完成品と言える。

 それは、歴史ビル2階の後半辺りから盛んになり出し、非人間的な本性を隠し持つ存在の、行為としての心配と嘘の力によって、いつ命を奪われてもおかしくない、辛く苦しい時代を、人は生きることになる。そして、当時、その不穏度数を好き放題強め、苦しみ喘ぐ人たちが世に蔓延するという、その重量級の病みの原因を限り無く拡大させたのが、斉明天皇であり、藤原不比等である。

(大和・飛鳥の頃、人間の体には合わないはずの生命力の無い食事を好む支配層のその姿に違和感を覚えた人たちは、次々とその心ある感性を潰され、健全なことからも離れさせられる(体が欲するものを摂れず、健康的に過ごすことが困難になる)という、酷く悲惨な妖術をかけられる。歴史の芯は、その術使いたちの今の姿を通して、現代に至るその不気味な原因にも対応する)

 

3.問題事の存在を前提に始まる心配という行為は、そのまま争いや衝突の原因となり、無くてもいい戦や争乱を当然在るべきこととして肯定して、そこでの無事を、身内や知人に願う。対する側の人間の命は全て絶たせて、自分たちが勝利するために、人は、その心配を祈願に変える。そして、八幡神社が誕生する。それ系の神社は、人殺しの社であり、戦に勝利する以上に、相手方の人間が痛みに苦しみ死んでいくその姿を喜ぶ、変質的な嘘神を祀る場所である。

 心配が、祈願の類に変わる時、人は、どこまでもその内なる非人間性を強め、精神は、野蛮になる。それをごまかし、体裁を整えて事を巧く進めるために、八幡神社(宮)は在る。その存在は、この国がいつまでも成長し得ない理由のひとつであり、夥しい数の人間がその嘘によって命を絶たれることになる、その醜い原因の力である。

 人としての生に、さりげなく真剣であれば、どんな人も、それを普通に知る。そして、そうではなかったこれまでの時のその病みの原因を浄化するために、全粒穀物食で脳を健全にする必要性を切に感じる。白米も白い餅も、そして白蛇も、神社のお気に入りである。白米にこだわれば、その人の脳は、八幡神社と同じ、殺意と個の強欲を内に秘める、蛇のそれということになる。

 

4.そこに至る原因の危うさと、後へのその悪影響を思えば、戦の神というものを存在させること自体、人間の堕落の何ものでもないことを人は知る。暴力と殺害を支援し、殺し上手の人間たちによる勝利を祝い、祀られる、動物以下の(動物にはわるいが…)八幡神。それが全国各地に在ることを考えると、この国は、どれ程人間本来からかけ離れた非道な歴史を連ねて来たかが分かる。

 なぜ、傷つけ、殺し合う世界に、神という名が利用されるのか…。その正当性を証明できる人が居るとすれば、それは、脳の腐った(殺意満々の)化け物である。命(人生)の奪い合いの背景でくすくす笑う八幡宮の類は、この世に在ってはならない、自然界の異物。武道で使われる弓矢も、剣も、その原型(ルーツ)は、人の世に在ってはならない、殺人の道具である。

 宇佐神社の負(破壊)の原因と容易に融合する、斉明天皇と藤原不比等の生を手にしたそれぞれの本体の意思は、鎌倉期に、その蛇頭級の呪術と権力で、仏陀の普通を通す存在たちを抑え込み、真の仏教を消滅させようとする。伊勢神宮と出雲大社に宇佐神社を足した三つを、EWでまとめて扱い出した辺りから、現代に生きるその二人の本性(本体)はうごめき始め、と同時に、彼らにずっと付きまとわれてきた(脳を支配されてきた)、時を変え得る力を備える存在たちも、それまでには無かった感触を覚え出す。

 そこから、浄化し得る対象(原因)として、この時とばかり浮き上がってくるもの。決して外してはならない、壬申の乱の原因関わりの、二人の妖術の力。彼らは(現代は両者とも男性)、連れ添う女性に隠れるようにして、誰にもそれを分からせずに、現代の道元と大友皇子の生きる自由を抑え続ける。しかし、無有日記が宇佐神社まで来た時、彼らの本体(とその背後)は慌てふためく。非人間の代表のような中大兄皇子を難無く生み出し、大海人皇子を育てた斉明天皇と、中臣鎌足の性悪さを大きく上回る藤原不比等。歴史的悪行の上位に入る二人のその信じ難い妖術の腕前は、無有が、要らぬ遊び相手として、かなりの時間を割いた程である。

 

5.歴史上の戦や争乱で名を残した人たちは皆、壬申の乱及びその原因となる風景の中に居て、その時の経験のその元となる本体の意思をそのままに、同質の存在たちとの次なる時の生を繰り返し生き、現代に至る。それ程重要な7世紀。自らの、人には見られたくない(知られたくない)本性を見た目(形式)と思考で隠し、ごまかす人たちは、全て、その嘘の原因の重要な重石となる土台を、壬申の乱関わり(の経験)の中に置く。

 身内の誰かが、地位や立場を利用してその時の時代環境に何らかの大きな影響を及ぼす出来事に関わると、その気が無くても、その存在と密接に繋がる人たちは、その名や立場(役)を形として後世に残す。そんなところから、EWの質の変化に合わせて、自動的にどこまでも深く入っていくと、誰も知ることのないある存在が、誰もが知らなければならない負の影響力を備えていることに触れ得、それがまさに壬申の乱の原因深くに関わる場所で、恐ろしく強力な呪術を行使していたことを知る経験に至る。それは、現代にまで影響を及ぼし続け、これから先も、そのことで、心ある柔らかな人たちが皆要らない経験を強いられて、辛く厳しい時を生きることになり得るという、そのどうにも処理し難い、非生命的な負の原因となるもの。壬申の乱関わりの、呪術系(蛇絡み)の存在たちのその経験の原因へのEWは、この世の全ての病みの理由が、段階的に確実に姿を無くしてしまう流れをつくり、争いも病気も無かった時代の原因を、ぐんぐん膨らませていく。

 

6.化け物級の素顔を持つ斉明天皇と額田王のその家族は、それぞれが備える蛇同然の陰湿さと凶悪さを共通項に密に繋がり、親しい存在たちによる大化の改新と壬申の乱での謀略と蛮行を、その濃密な呪術(呪詛)で支援する。その時の嘘の原因の具現化に尽力したのが、額田王のその妖術の支え役を担った、彼女の両親である。

 二人は、誦呪や呪歌を通して、人の動き(生きる力)を止め、その人の思考の質まで簡単に操る。その文字と言葉(歌)に、呪詛の念は普通に乗り(組み込まれ)、それに触れれば、どんな人も、思考は忙しく、感情は不穏になり、平静でいられなくなる。素朴で優しい人の心身は、辛い現実へと誘い込まれる。

 その時代に詠まれ、現代に残る和歌の類を頭に入れると、それだけで、彼らの呪文(妖術)繋がりの非生命的な原因に包まれ、普通の人は、脳をオカシクさせる。そこに在る、生命のリズムを狂わせて破壊する、残酷な意思。それは、地を這う蛇の生き方と、重く動きの無い蛇の脳の世界に引き込まれる、その通り道。和歌は、かつて妖術で右脳を病まされた人のその経験の記憶を利用し、現代でも尚、人々の思考を、原因無視のそれにする。

 念仏(浄土思想)も密教も、古典芸能(能、雅楽、神楽etc.)も、その根底には、人を呪う(呪い殺す)妖術の変形、呪歌・誦呪の原因が色濃く在り、それらを通して、心を持たない蛇系の存在たちは、何喰わぬ顔で、嘘を生き、人知れず世を支配する側で居続ける。壬申の乱のその原因に深く絡んでいる額田王の和歌(妖術)の類は、その時から千三百年以上も経つこの現代においても、人の脳(右脳)の働きに悪影響を与え続ける。

 

7.その彼女の何倍もの能力を備える両親は、当時は形ある経験の足跡は残さず、不特定多数の心ある柔らかな人の脳をオカシクさせられる彼ら独自の呪術に浸りながら、後の時代も、何も残さず、それを愉しみ、世を重く、どんよりと暗いものにする。そんな二人であるが、当然ながら、現代、時代の意思は、彼らを、この無有日記の世界に快く招待する。父は、関西、母は、関東。せっかくなので、年齢も同じぐらい。またまたせっかくなので、いくつもの形跡を残してもらうことにする。そして、ムリのないよう、皆で、その形(物)から、その原因へと入っていく。

 見方を換えれば、二人は、娘たち(という形)を残した。そして、彼女らを通して和歌(呪歌)を残し、壬申の乱という、この国最大の悲劇にも、その原因のところで仕事をした。だからこその彼らの今がここにあるわけだが、最も重要な痕跡は、この26章に、自分たちが登場したということになる。そして、娘たちの現在の姿も、知るべき人たちにはすでに伝わっているということ。それで充分。「歴史の芯」に触れ続けてきて、ここで出会すことになる二人の、凄過ぎる異常。この時を経て、心ある人の右脳は、より本来になり、これまでをこれまでのようには引きずらずに、みんなの原因は未来に届く。そんな時を、普通に、自然に楽しんでみる。

 額田王の父だった彼女も、母だった彼女も、伊勢神宮より恐ろしく、出雲大社より不気味で、宇佐神社より悪趣味である。彼女たちへのEWが進行することで現れるのは、思考が忙しくなくなり、感情も自然に主導権が握れ、呼吸も楽で、ゆったりとした時間を過ごす自分。彼女たちの異常(呪術)が力を無くせば、全粒穀物食も力を取り戻す。そしてもちろん、嘘の神々も、嘘の歴史も、姿を消す。そのためのそのEWは、この「歴史の芯」と「仏陀の心」に触れる人が増えることで、力強くなっていく。始まったら、その原因が変化に乗るだけ。終わりは無い。

(壬申の乱関わりの原因を土台に人知れず暗躍する名も無き能力者(妖術師)は何人もいて、その中でも、心ある人の脳に不安(恐怖心、幻想)を植え付けてその人の心身の動きを不自由にさせるのを得意とする本体の、その意思をそのまま生きる存在の今の姿を、この26章は、無有日記との関わりを通して顕にし、対処する。内なる世界での動き(原因)の無さは、「歴史の芯」のその原因の進化により、不気味な動きをし始める)

 

8.斉明天皇も中大兄皇子も、中臣鎌足も藤原不比等も、蛇の脳を持つ野蛮人が術使いになったと思ってよい。大海人皇子も額田王も、十市皇女も高市皇子も、そして持統天皇もそう。この国は、7世紀後半、友愛と調和の未来への架け橋が完全に外され(壊され)、その後、無くてもいい非人間の歴史を刻み出す。

 現代、この国は、歴史上初めて(外からの力により)武器を持たず、命(人生)の奪い合いも無く人が生きる時を経験する。ただしかし、それまでの負の原因の蓄積は未だ浄化されず、時代は、不穏な空気を潜めたままである。その原因が予期せぬ不本意な現実を引き寄せぬよう、それを浄化し得る新たな原因を乗せて、ここに、この「歴史の芯」の文章を記す。「仏陀の心」と併せて、ひとりでも出来る全体(未来)への責任を実践して欲しい。人として、生命を生きる人間として、この地球自然界が安心する原因を生きて欲しい。それは、この今を生きるみんなの仕事。その支え役として、この無有日記が在る。

 人は、思考を働かせて、思考世界を作り、そこでの思考型の価値観に力を与えたことで、悲しみや不安を作り出す。思考から始まらなければ、その思考世界との関わりも薄くなり、不安も怖れも、それらの原因は、次第に力を無くしていく。

 「歴史の芯」と「仏陀の心」に触れて、思考が自由になり、経験や記憶が存在感を持たなくなってきたら、感じるままに、そのままありのままに、さりげなく想いを表現してみる。そして、自然界の生命たちと同じように、淡々と中庸でいて、隔たりや嫉妬といった否定感情とは無縁のところでの安心を、自らのその原因で安定させていく。いつしか、ふと気づけば、時代は、癒し色に包まれる。争い事や不健康な風景は、どこにも見えず、不公正も不健全さも、その原因は生まれない。その気もなくそうであって、その時を未来に繋ぐ。この時を待ち望んでいた、いくつものいろいろな世界が、呼応し合い、大きなひとつになる。そして、広がり、流れ、光の風を運ぶ。「歴史の芯」は、地球と一緒に回り出す。by 無有 12/01 2017

 

 

歴史芯27 トップページへ