歴史の芯(27)

歴史の芯1

1.日常的に、何気に見た目(形式)や結果に意識を向けさせられてしまう人たちによって支えられる、思考世界。自己を偽り、本心ではない嘘を自分とすることで成り立つそれは、実体の無い病みの原因の溜まり場。危うい本性を隠し持つ人ほど、それは心地良く、その世界無しには生きていけない人を通して、負の連鎖は、その密度を濃くさせて固まり続ける。

 思考の使い方次第で簡単に善人になれるその世界では、その気が無くても、そうである姿を見せれば良しとされ、形ある言葉や行為が活躍する。心ある人たちには難しいそれも、世に通用する価値観として妙な力を得てしまえば、彼らも、それに合わさざるを得なくなる。思考の力は、心の無さの力。その不自然・不調和の原因は、いくつもの要らない経験を作り出し、人々にそれにつき合わさせて、人知れず、時代を非生命のそれにしていく。

 心発であるから意味のある思考も、本性の遺伝子に心ある原因を持たない存在たちが、他を隔てる感情を形にしたことで、思考のみで事が済む、心無い世界が存在感を持ち得てしまうことになる。その彼らが、それを維持するために大事にする、形式(儀式)と礼、そして結果(過去)重視の生き方。嘘は、思考世界を生み出し、そこでの思考は、その嘘の原因をそのままに、否定感情の潜む物や形を次々と作り出していく。

 

2.そのままであってはならない思考世界のその基礎は、歴史ビル2階の時に形作られる。その材質は、忍耐と服従、諦めと保身。呪術絡みの残忍な感情を力に支配力を強める存在たちによって、人は、常に思考を働かさせられ、生きていくために、心の意思を忘れる。

 思考を自由にさせるという、唯一思考の質を変化・成長させ得る本来の思考状態は、思考世界の負の根幹となる部分を確実に揺り動かしてしまうため、それを頑なに守ろうとする嘘人たちにとっては、実に手厳しいものとなる。それを普通とする、無有日記の原因の力。蛇系の存在たちが無有日記の存在を怖れるのも、ムリも無い。

 無有日記への怖れは、その人に、それまでには無かった思考体験を経験させる。それまでであれば簡単に破壊し得る対象となるそれが、どうにもそうにはならない現実は、必ずどうにかなるという自信と慢心が思わず引き寄せた、経験の外側の出来事。そこでの思考は、その原因となる性質を顕にし、その経験は、そのつもりもなく思考世界を不安定にするという、到底あり得ない現実を、自らが生み出してしまう。

 その蛇絡みの原因のところで密に繋がる、無有日記の世界から離れたところで世を病ませることに専念する、同質の存在たち。彼らも、その煽りを受け、次第に、理由の分からない不安定な感覚(焦り、緊張)を経験するようになる。

 

3.負の連鎖を砕いて未来に繋がる原因を本来へと変えようとするその動きを尽く邪魔しようとする存在と、社会全体を非生命化の流れに乗せて世を病ませようとする存在は、役割は違っても、その本体(生命の意思)は同質で、皆、かつて身内であったり、敵対したりする経験を持ち、人の苦しむ世を生み出す方向性を同じに、都合良く繋がり、利用し合い、共存する。

 これまでの記述では、その多くが、何らかの形で無有日記の世界との接点を持つ存在の、そのかつての関わりの風景を主としてきたが、彼らと質を同じくしながらも、現代は全く別の場所に居る強者たちの姿に触れてみることにする。それが意味すること。それは、繋がる未来が、この今の原因に呼応し、動き始めたということ。次なる時代から眺めるようにして、その存在たちを形(文章)にし、それを、未来への責任ある原因とする。偶然を装ってここに引き寄せられたこの時の必然は、そのまま、自然体で生きる生命たちの安心の原因となる。

 

4.26章の後半に登場した、呪歌の元祖的存在であるかの男女の娘であり、斉明天皇の家族とも密に関わった額田王であるが、彼女には、姉がいて、互いにその妖術の能力を認め合う。両者とも、周りに可愛がられ、誦呪に励み、呪詛・呪縛の力を磨いていく。二人は、現代、政治の舞台で、好き放題負の原因を撒き散らし、その凶悪な無意識の意思で、人知れず妖術を行使する。

 その力(能力)には誰も抗えず、気づけば、その自覚もなく人は思考を不自由にさせられ、健全な感覚も忘れて、彼女らに従う(ひれ伏す)立場となる。企業や財閥に潜む同質の存在たちは、殊の外、その状況を喜び、皆で共同し、無くてもいいものを次々と作り出し、世を病ませ、自然界を破壊する。誰もそうとは分からず、違和感の域にも触れることのない、そこでの呪術の源泉は、壬申の乱の頃の経験の記憶。姉は、現在、安倍氏として、妹は、小池氏として、仲良く呪術畑を耕し続ける。

 彼らの言葉を聞き、顔を見るだけで、普通の人の右脳は、不健全さを馴染ませてしまう。本来の在り様からは大きくかけ離れ、非生命的なものに思考がフィットするようになる。より大きく時代の流れを捻じ曲げようとする、彼らの共同作業(妖術の競い合い)。この歴史の芯を通して、人間本来の力を付ける。地球を悲しませてはならない。

 

5.術使いたちは、この時代、そうであることを知られないために、執拗に人の脳に負荷をかけ、事あるごとに、そのための病みの下地を更新し続ける。それでも自分たちの心の無さとその異様な本性に反応する人が居れば、すかさずそれを感知し、磨き上げた呪術で、その人の脳の自由を奪う。「心の遺伝子」の世界を普通とする人ほど、繰り返し生きる力を潰され、何をしても細かく監視されて、どうにもならない時を経験する。

 人の脳(右脳)に働きかける妖術は、見た目では分かり得ない無意識の意思(の性質)をその源とするので、それが為されていることも気づけずに、人はいつのまにか心身を重くさせ、気力・体力を失くしていく。その不自然さは、思考を忙しくさせ、それまでには無かった不安や緊張を生み出し、身体の不調や痛みを作り出す。妖術をかけられると、その人は、放って置いても成長・発展とは縁遠い状態となり、その人らしい人生を送れなくなっていく。

 呪詛や呪歌による力試しが、支配層の世界で活発に行われていた、7世紀。中臣鎌足と大海人皇子は、その頃の経験の性質を残したまま、否応無くこの無有日記と縁することになり、それぞれの女性であった、鏡王女と額田王は、無有日記の外側で、更なる負の経験を重ねようとする。その姿は、かつてのそれと質を同じくする、その呪術絡みの原因のうねりのよう。違いは、武器が無いこと。他者を呪い殺す呪詛・呪文を、大っぴらに出来ないこと。だから選んだ、政治家という地位。呪歌・誦呪の原因をそのまま受け答え(答弁)の言葉に乗せ、心ある人の生命力を吸い取り、心無い人を活躍させる。壬申の乱の内実を知り、自らの原因の質を成長させると、生命本来の感覚的理解として、そのことがよく分かり出す。

 

6.彼ら二人が、仲良く、同時期に政治の舞台に居て2017年秋現在)、どちらも大きな影響力を及ぼし得る立場に居るということのその意味を、本人たちは知らない。本体がそう望んだにせよ、時代は、それを活かす。壬申の乱の原因の風景で、他の存在たちと共謀して、どれ程の残虐な意思を具現化させていたか。無有日記との接点を持つ二人の親の現在を通して、彼らの右脳の中にも入っていく。放っては置けない現実のその原因を浄化するために、この場所から、更なるEWは動き出す。

 呪歌・誦呪の醜い感情と繋がる、古典芸能(文学)、そしてそれに併せて呪詛の類をもその土台に置く、神道及びそれを背景に持つ武道・武芸。そこに在る、恐ろしく獰猛で下劣な原因は、斉明天皇から親近のその姉妹へと受け継がれ、現代に至るが、その元締めのような存在として、妖術(呪詛)の世界に君臨していたのが、その二人の母親である。彼女が、今現在、関東の地に生を持っていることを考えると、安倍氏も小池氏も、かつての母親に見守られながら今に居るということが分かる。

 22章の時、その集団の中に居ながらも、それへの描写を控えざるを得なかった、その破壊力と呪詛系の威力。恐いもの見たさのお化け屋敷感覚で、彼女の本体と遊んでみる。

 

7.心ある原因の選択という普通世界が全く意味不明である、その異常な原因を普通とする二人の政治家は、かつて自分たちの影響を被った人たちが、時代を経ても尚その(妖術、呪詛)の影響下にあり、そのままその姿を元に子孫(人口)を増やし、今現在に至るという、その人々の不自然な様を、我が物のような趣味感覚で弄ぶ。その一番の遊び道具が、LEDである。

 間接的な呪詛・呪縛を可能とするその非生命的な(嘘の)光は、この地球環境に大きな負荷をかけ、人の生き方を非人間化させる。水も空気も、音も色も生命力を無くし、時代は、繋ぎ得るものを見失う。時代が変わっても、形無き本体の世界は、かつてのままである。より狡賢く、より高度な嘘を覚えた蛇系の存在たちは、LEDの嘘の原因の力にぶら下がり、世を病ませて、心ある人々を苦しめる。その中心で旗を振るのが、安倍氏であり、小池氏である。

 歴史ビル2階で、彼らの親であった二人は、頼りがいのあるその支え役として、呪詛の行使を普通に、LEDの破壊の意思を利用する。ただ今回は、無有日記に縁した立場上、彼(彼女)らは、非LED化の動きを形にする。そのことで、何をしてもどうにもならない時が延々と続くことになり、そこに在る滞りの原因と、彼らの呪術系の無意識の意思により、時代は、尽くその自浄力を無くす。ということにはならないために、この無有日記があるのだが…。

 

8.ほんの少しでも、然るべき原因を持たない知識や記憶が思考に入れば、その経験が要らない原因となって、どこまでも分かり得ることはないであろうその次元のことが、9月の後半辺りから、次々と意思表示し始め、無有日記の世界に入り込もうとする。それは、23章からの文章となり、EWとなって、今、この27章の内容となる。

 ある意味、この世は、全てが呪詛の対象として在り、その原因と自らを重ねても何ら問題の無い人たちは、その中でも、自由気ままに生き、そうではない人たちは、理由の分からない辛さの中で、生きにくさ(動きにくさ)を経験していると言える。それは、非人間的な妖術で支えられ、運営されていた、奈良期以前の価値観が、その原因をそのままに(増幅させつつ)、現代でも息づいているということ。悲しいかな、それは、人間らしさが力を持てない時代の姿。

 壬申の乱以降、呪術系の多くの強者たちは、時の権力者の背後で、人知れず術を磨き、競い合うところに居たが、現代、その呪術(呪詛)を余裕で為し得る能力を潜める政治家二人が政界の真ん中に居るというその姿は、歴史的にも珍しい。それだけ、彼らの本体(正体)の意思は、本気なのだろう。かつての両親との繋がりを密としているぐらいだから。

 心優しき素朴な人たちの想いが形になることを怖れ、それを尽く潰し切ろうとする、不自然極まり無い、妖術の次元。遊び心一杯にその世界深くに入って行き、呪詛・呪縛を外して、心あるみんなの本来を取り戻す。27章は、そんな時の始まり。実に楽しく、面白い変化が動き出す時。みんなで、妖怪村で、遊び呆けてみよう!by 無有 12/05 2017

 

 

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