歴史の芯(3)

歴史芯1

1.兄と妹だった2人は、現代では、母と息子として生きる。人間的な感覚を一切持ち合わせない存在たちの生きる世界では、悲惨で不幸な現実へと人々を追い込んでいく方向性は同じであっても、互いは、都合よく他を利用し、時にいがみ合い、けん制し合いながら、それなりの住み分けを守りつつも、それぞれの欲深さと支配欲、凶悪さに応じて、いつ転覆してもおかしくない主従関係を維持したり、個の満足のために同質の他を潰し切ったりすることも、平気で行う。

 人間であれば決してあり得ないその風景も、人間の命(脳)を思い通りに操り、支配するために身体を利用する本性を普通とするその存在たちにとっては、それは、ありのままの姿。それは、家族であっても、関わり深い間柄であっても、そこに仲間(?)が居れば、あたり前に為され、そこでの形無き力関係により、どちらかが動けなくなったり、病気になったり、また時間を奪ったり奪われたりして、傍らからは、その理由が分からない不自然な出来事が、日常的に繰り広げられる。

 普通の人は、何の疑問も持たずに(持てずに)、その世界の思惑に直接・間接的に付き合わされ、いつのまにか病み、生命力を消耗し、要らない頑張りと忍耐を強いられる。そのどこにも、心を持たない存在の無意識の働きがある。

 

2.母と息子の関係は、それを仕組んだ彼と、それを重々承知していた彼女との、内に秘めた凶悪さのぶつけ合い。呪詛・呪縛の行使を本願とする彼女は、兄が居たために充分に満足を手に出来なかった時代の経験を払拭するために、同じ術を持つ発展途上の存在たちを従え、満を持して、現代に生を持つ。歴史的にも初めて訪れる、力で人の命を奪えない世での、その残酷な無意識の意思の発揮。脳を操られ、何度も人生を支配された人たちも、彼女自身が良い人でいられるための道具として、近くに集められる。

 彼は、心が全く無くても(分からなくても)困らない価値世界を固め、そこで、好き放題人々の苦しみの風景を拡大させることを、本能のまま行う。思考を強めた理屈と理論で感覚的発想や直感の世界を退け、人の心が身動き出来なくなる形式主義を、神道をベースに蔓延させる。

 心の世界に触れる意思を持たない彼は、心ある振りをしながら人の心を重く病ませる彼女の世界(スタイル)に、強い違和感を覚え、人間の感情の世界に踏み入れることによる、予期せぬ滞り(危機)の訪れを危惧する。心を持たない自分たちの本性(存在の意思)は、心ある人との原因の融合を不可能とするゆえ、形無き世界に危うさを招かぬよう、真っ先に潰したい存在として、彼女をその対象とする。

 子を身籠った頃から、それを直感的に感じ取る彼女は、潰されかけながらも身を立て直しつつ、出産間もなく、彼を離れ、姿を消す。時を経て、やむ無く合流する流れが生じ始めた時、彼女は、彼が最も敬遠したがる、全体(中庸)という多次元的な価値基準の世界に、それまでの経験を活かして、形(思考)のみで接点を作る。その影響は、柔らかな感性を普通とする人たちへと及ぶことになる。

 

3.無有日記に触れ続け得る人の、理由の分からない心身の不調は皆、この2人の本性(正体)の意思とどこかで繋がっている。そしてまた、この無有日記を通して、その人たちの、本当は無くても良かったその原因は、確実に癒されていく。

 それまでの負の原因が一挙に一つの場所に集められ、それが固めに固められたことで、後に続くどの時代も、その時の負の影響力を受けずにはいられない時を経験することになる、その堅固な病みの土台となる、この国の歴史ビルの2階。そして、その場所で、(抽象世界の重石のようにして)中心となって自らの非人間の本性を形にしていた、歴史を異常化させていく存在たち。

 その時も、今も、人間の営みの原型は同一であり、時代環境が違っても、人々が大切にするものが姿を変えても、存在(生命)の意思の元となる原因は、そのままである。その質が獣のような、凶悪・凶暴な存在たちの生きる原因。かつての経験の記憶とその性質を思考(見た目)で見えなくさせたまま、彼らは、ごく普通の人として、ここに生きる。大和・飛鳥時代の経験を本性に溶かし、その残酷な(人間世界には無い)無意識の意思で、心ある人の在り様を破壊していく。

 2人の影響力は、これまでのどの時よりも強烈である。互いの思惑が日々ぶつかり合うだけでも、そのとばっちりは大きい。心あるひとりひとりのその事実への感応は、自らの生きる原因(経験の記憶の蓄積)の、歴史的修復の時と言える。その時のための、これまでの体験的知識は、これまでとは全く違った現実の、その原因の力となる。

 

4.放っては置けない存在として、人の心の中に簡単に居座る彼女は、その人の生活全般を監視するかのように、縁する心ある人の脳の中に居着き、自由にならない心身を慢性化させて苦しむ彼らの姿を、感知して、楽しむ。身を守るために、自分には無い、心を生きる人たちの空間に居ることを選んだ彼女。そのために、何人もの人が、当時と同じく、彼女の犠牲になる。

 人の不幸(悲しみ、痛み)を生きる源とするその本性の欲望は、自らも不幸の材料となる(同情心を誘う)経験を溜め込むことでその質に磨きをかけ、本能的に、世の不幸の原因の中心でいる自分を生きる。人は、その場所に引き込まれ、自由(自然)な動きを止められて、彼女の餌食となる。

 そんな存在が、この国の礎となる場所で、冷却鉄のような精神の兄と一緒に(その後の歴史の)重量級の負の原因となる仕事をし、今その彼と、互いにその意思(正体)のまま、本性のせめぎ合いを繰り広げるという、その恐ろしさ。シンプルな真実の、その原因となる様相が、形無き世界の奥深くで勝手に動き出す。

 

5.心に正直な想いをそのまま表現していた人は皆、この世の病みのルーツとなる場所での、嘘の神々を後ろ盾とする悪政や暴力(殺戮、拷問etc.)によって、その原因全てを失う。それでも、この現代、自然界で共に生きる生命たちのその健気な意思に抱かれ、純粋さを本質とするゆえに次々と脳に負荷をかけられてどうにもならなくなることが分かっていても、心ある存在たちは、自らの、それまでの原因と向かい合う(闘う)。

 世の隅々まで嘘(偽善)で汚染され、その上に存在する歪な人間観から誰も出られなくなっている今、その元となる場所で人間性(心ある健全な感性)ゼロのくさびをこの世(の原因)に打ち込んだ存在たちの、その土台を崩す。そこに、滞りの原因の権化のようにして存在し続ける、聖徳太子と妹。偉いとされる人物の所有物(家畜)のようにして命を落としていった無数の罪無き人たちの、その切なる想いを解放する。彼らの心の意思を、2人から自由にする。

(それぞれに、同質の強者級の援者が集う、2人の空間であるが、彼女の場合、その嘘が完全であるよう、加害者的存在の演技がそこでは発揮される。あり得ない程の人間味の無さが、その原因深くの嘘から、人間味ある風に為されていく)

 

6.言葉や行為を通しての身体活動に全く比重(価値)を置かず、その手前の形を持たない想いを手段に、ありのままに素の心で交流する時、人は、不安や怖れを知らない、隔たりの無い友愛と調和を普通とする。頭を働かせる意味も、頭から始まるものではなくなるので、その意識もなく人は生かし合い、心に思考を付き合わせ、支え合う。

 人間本来の原因が変化・成長し続けるその場所での、その自然な営みが完全に潰されてしまったとしたら…。その決してあり得ないことが、邪馬台国を経て、大和時代の人間世界に生じた時、人の生きる世は、言葉から始まり、行為にのみ価値を置く関わりを主に、素朴な想い(心)が全く活躍できない時を連ねることになる。

 人の心と心が通じ合うことも、優しさと思いやりを重ね合わせることも不可能となった時、人間が最も大切にすべく原因の、その抽象世界における創造の意思は、かの兄と妹の居る世界に完全に支配され、非人間的に(呪術的に)牛耳られてしまう。その内実は、その原因となる理由が全く分からないままその上に人は人生を重ねてきているゆえ、誰も理解できない。その気もなく嘘の世界(価値観)を永いこと支え、生きて来ているので、抱え持つ常識は、当然それへの拒否・抵抗の材料となる。

 それ程のことが、あの時以来為され続けているのだが、今、細胞の意思からなる多次元的な変化を通して、この時ならではの新たな経験の質が、常識となっていく。内実は、知識世界の次元を超えて、この今の体験の事実の中に、その原因の性質のまま姿(意思)を見せる。

 

7.妖術という言葉が可愛らしく思える程の力を普通とする彼女の能力を、思考レベルの理解に触れやすいよう表現すれば、彼女は、誰の脳の中にも居る。歴史ビルの地下階の頃から、あたり前にその力を行使していた彼女にとって、それは、常識的事実である。戦の度に生まれ、増えていった人間の、その原因となるところ(生命体の中枢)に深く関わり続けているので、誰も、彼女の力には抗えない。

 その能力の原因のところからこの世を観た時、これがとても重要なのだが、人は、彼女の無意識世界(本体)の中で、彼女の操り人形のようにして生きている。生きる原因が牛耳られているというのは、そういうこと。人は皆、人間である前の、その手前のところから、彼女の意思のまま、成長・進化とは無縁の世界を生きる。その異常を、誰も異常とは思わず(思えず)、歴史は繰り返される。

 身体は、仮の姿。(もちろん人は皆、本当の人間ではなくなっているが…)その本体は、想像することすら許さない、凶悪な意思だけを生きる、巨大な姿無き化け物。心ある自分に目醒めたことで、彼女の感情の対象(ジャマ)となれば、どこに居ても、逃げられない。異常なその能力で、生き血を吸い取られるようにして、人は、生命力を無くしていく。何もせず、ただ普通の人でいて、その本体となる恐ろしい意思が、勝手にそれをする。

 自然界と自然に融合する人が、どうにもならない状況に陥り、気力・体力を無くしたり、原因不明の痛みや不調を抱え続けたりする時、そこには、その人の全てを見張るように様子を伺う、彼女の目がある。彼女は、そのエリアの存在たちが何より欲しがる力(術)を、いとも簡単に発揮し、その全ての痕跡を完全に隠す。恐ろしいという言葉も、そのどこにも当てはまらない。

 

8.彼女が最も苦手とするのは、歴史ビル2階の時に兄(太子)だった、現在の息子であるが、自らの内実がこうしてさらけ出される現実は、これまでと同じようには行かない別次の原因が活動的であることを意味するゆえ、それへの憎悪は、彼女の中(無意識の意思)では、歴史的と言える。彼(息子)にとっても、それは恐れていたことで、2人とも、思いがけず、取り返しのつかない現実の真っ只中に居る。彼女の時を経て、彼の世界にも行く。

 聖徳太子と呼ばれる存在の原因の性質(本質)は、何びとも感知できない、鉛のような非生命のそれであり、現代に至り維持されてきたその印象は、同質の存在たちが巧く作り上げ、その後脳をオカシクさせられた(洗脳された)人々が否応なく支持する(させられる)ことになった、まがい物である。その人間ではない本質(正体)は、精神疾患の何ものでもない神道の基礎を固め、殺害と迫害の道具となる嘘の神々を生み出していく。

 生命としての原因の質を高め、人間らしさを普通に成長させていく中で、それは、普通に理解できる常識となり、この国の、この今に至る病みっ振りを、改めて把握することになる。そして、人は、生命を生き、人間をやる、生き直しの時を創り出していく。

 数千年振りに、人間を生きる。この時代に、その病みの原因を更新させず、地球自然界の生命たちのために、LEDの世界を外す。そのための人生は、人が、この時に経験し得る、かけがえのない一生命としての、尊い在り様である。ただその原因でいて、それを未来に繋ぐ。未来は、過去が癒されるこの時を、ずっと待っていた。by 無有 4/18 2017

 

 

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