歴史の芯(30)

歴史の芯1

1.長い苦難の時を経て、やっと辿り着いた場所は、流れの速い川にかかる、(その地域で)唯一向こう岸へと渡れる橋の手前。行き先は、その橋の向こうに在る、これまでとは大きく異なる、争いも不調も無い心ある普通世界。どんなに厳しい時を重ねても、どうにもならなかった時の経験の記憶が、遂にここで終わり、浄化され始めようとするその時、人々の安堵は、突如驚愕に変わる。その橋が無い。

 そのことに酷く落胆し、うなだれる人々は、それをそのままにはしない一人の男性に強く励まされ、勇気づけられる。彼は、皆が決して希望を失くさないよう、熱心に支援し(力強い言葉を発し)、更なる歩みを彼らに促し、ずっと先の(何十キロも離れた)別の架け橋のところまで頑張って進み行く意思を持たせて、それを導く。(記憶を完全に支配されてしまう程脳を操られた彼自身が、そうであるよう(橋の崩壊に)関わりを持たされているのだが…)

 恐ろしく不自然なそのことの原因(背景)を感覚的に感じ取っていた、その中のある一人の女性は、彼の隠された本性(凶悪で狡猾な本体)により、誰一人向こう岸には行けないであろうことを察知し、それ(その理解)を伏せ、完全に彼主導の動きに合わせながら、思考を働かせずに、人々の生命をどうにか守り切る術を実践する。その後、その男性の、勇敢で献身的とも思える行動により、人々は、ただひたすら歩み続ける。それでも、限界を覚え、姿を消していく人、苦しみに喘ぎ、生きる力を手放す人が続く。

 彼女は、「歴史の芯」に、想いを託す。そこで、その男性を賢人(7世紀)として扱わせ、多くの人の健全な感性をマヒさせて、彼らに、自らを守らせる。本質(本体)の違いからなる無意識の攻撃で、不要に潰されぬよう、感情の質を、彼の思考の満足と合致させる。そして、可能な限り、人々の生を守り、向こう岸の、自分たちの住むべく本来の地へと、彼らを連れていく。彼の真(生命本来の力)を知るから、先のことは全てこの30章に委ね、彼らと共に歩く。

 

2.醜い本性を力に、支配・所有欲を強める(蛇絡みの生の原因を備える)存在たちは、歴史ビル地下階から地上階へと続くその場所(時代)では、人々の自由意思を抑えて、富を独占することを主に、その権力を行使する。その後(2階へと向かう頃から)、差別し得る地位を保ち、何もせずに思うままに生きることがた易くなると、彼らは、次第に人々の生活全般に厳しく関与し、その生き方(人生)全てをも支配する行動に出る。その様は、恐ろしく残酷で、惨たらしく、猟奇や変質という言葉が可愛く思える程である。その非人間的な愉しみと快楽を繋ぐために、彼らは、世襲を重んじ、そのことに抵抗する人間は全て、力で排除する。その時の姿も、想像を絶する恐怖であり、極限の悲しみである。

 その存在たちは、天皇家(皇族、朝廷)という、絶対的な世界を築き、動物にも劣る(動物にはわるいが…)非道な残虐行為を繰り広げて行く。その中心辺りには、いつもその男性が居て(居させられ)、近くに、台座にいた女性も居る。そして、東京西と水郷の地に住む、かの二人の女性も居て、彼女ら繋がりの多くの蛇系の存在たちが、その周りに居る。

 29章と「仏陀の心」10章を経て、新しく生まれ変わった本体は、その頃(時代)の原因を染み込ませたこれまでの本体を、深くから癒す。本体と本人の違いもなく生きるこの今の原因が、そう簡単には浄化し得ないかつての人間時間での未消化の経験の記憶(原因)をここに案内し、太陽の光と熱で、全方向からそれを直に照らす。遠い日々の、その時、その場所でのいくつものことが、ここで、安堵の顔に変わる。

 

3.蛇の脳と奇形(土偶)を経て、どうにか人間の姿を手にした、生命本来から尽くかけ離れたその存在たちは、自然界の自浄力と人間の自然治癒力を憎悪し、太陽(自然な光、熱、炎)を嫌い、空や海を避ける。そのため、彼らは、自然な感覚と心柔らかな感性を備える人間を忌み嫌い、自分たちと質を同じくする人間を増やしつつ、それら(の存在)を巧みに利用して、確固たる権威・権力の影響力を増大させていく。それを阻もうとする動きが少しでもあれば、どんな理由でも作り上げて、その人間たちを容赦なく傷つけ、退ける(殺す)。その時の惨劇に、位のある存在たちは、もちろん手を汚さない。

 支配下の人間がどんなに苛酷な生活を強いられていても、何とも思わない天皇家繋がりの存在たちは、日々着たいものを着、食べたいものを食べ、人々に、その裕福な生活を全力で支えさせる。そのことで気に入らないことがあれば、それに関わる人間を辱め、傷つけ、泥沼のこけを踏みにじるようにして、人の生を扱う。彼らの前では、人権はゼロというより、マイナスである。

 周りの目(良識ある観察)が在る現代とは全くその質の異なる時代背景を持つ、かつての時代(特に歴史ビル1〜3階)、権力を持つ存在たち(天皇家、皇族、貴族)は、自らの性根(本性)を一切隠すこともなく、欲望をギラギラとさせ、人々をぼろ布のように使い、いたぶり、好きなように苦しめて、死に至らしめる。彼らに仕えて利する立場の人たちも、それに従い、行動し、自らの本質である非理・非道を地で行く。

 異常な天候で(その理由は蛇系の本性にあるのだが…)農作物が充分に取れない時でも、天皇家を中心とする権力者たちは、農民から欲しいだけ食べ物(米)を奪い、足らなければ、罰を与え、女、子供を捧げさせたりする。彼らは、作物の代わりとなった彼女たちを、おもちゃのように弄び、飽きれば、ゴミのように捨てる。

 

4.この国の負の歴史の土台となる、歴史ビル3階の頃までの時代、そこで、貴族や皇族と言われていた存在たちは皆、下劣・下品の代表と考えて良い。人としての品性は全く無く、性分は、蛇同然のけだものである。好きなだけ他に人殺しを命じ、それを(その過程を)愉しむ。その惨たらしさには言葉が無いが、敢えて、大きく(ここに在る)負の原因を浄化するために、その事実を形にする。限り無く中庸でいる原因でそのことを包みながら、そこに在る恐ろしく重たい原因を修正し(癒し)つつ、そのプロセスを、耐え難き感触であろうその言葉に乗せる。

 異国からの残虐さと、この国の狡猾さが相俟って作り上げられた非人間性は、人間に有るまじき行為の蓄積の時を経て、難無く富を得る力となり、その凶悪な感情で、支配・征服力を磨いていく。皇族(天皇家)という地位を安定させたその存在たちは、正も否もなく人々を抑え込み、反発・反抗する人間を次々と捕らえ、有らぬ罪を着せて、痛めつける。苦痛を与え、裸の体を縄で縛り、辱め、連れ回して、さらし者にする。(細かい描写は控える)反発心を抱いてなくても、彼らが気に入らなかったりすれば、その人は拷問を受け、女性は凌辱されて、物のように扱われる。権力者たちは、その様を愉しみ、当人と周りに居させられた人たちの、その恐がり(辛がり)と嘆き叫ぶ姿に、ほくそ笑む。

 心ある人が、心を持たない権力者(皇族)の命により、容赦なく棒で叩かれるのは、日常茶飯事。指を潰され(爪をはがされ)、耳や鼻、体を(少しずつ)切られ、血を流して、苦しみに耐え切れずに、命を落とす。人に恐怖心を抱かせ、命乞いさせるのが好きな彼らは、水や石、尖った木などを使って、執拗に苦しみを与え、腕や脚も、遊ぶようにして折る(切る)。顔だけ出させて(海辺などで)、土に埋め、命が絶えるのを見ながら、酒を飲み、宴もする。そのどれもが、貴族・皇族ら権力者たちの、その恐ろしい原因の形(普通)である。

 

5.他者への残酷な仕打ちを愉しみとする権力者たちは、自分たちに従う同質の人間を利用し、あらゆる人々を、好きに出来る所有物(奴隷)として支配する。人々が義務づけられた租税は、彼らの財と欲望を満たすための、その狡猾な手段であり、人は、動けなくなるまで働かされ、体を衰弱させ、捨てられていく。

 民への使役とその管理を担当する役人たちの多くは、難癖を付けて、支配域の農家族や職人家族を追い詰め、娘(嫁)を奪い、自分たちのものにする。そこから、上層への貢ぎ物(女性)が選び出され、彼女らは、皇族らの趣向の道具になる。逆らえば、罪となり、酷く責められ、殺される。人々は、どうにも出来ない苦しみと悲嘆の日々を過ごす。

 暴力と蹂躙によって、不具者となったり、精神をオカシクさせられたりしたあげく、見世物としての人生を生かされる人(女性)もいる。非道で不合理な求めに背いたために、家族から切り離され、体がボロボロになるまで苦しい仕事をさせられて(痛めつけられて)、ほうむられる(棄てられる)人もいる。それらの行為も、天皇家と繋がる野蛮な存在たちの、その威光(とやら)に守られる。

 人々は、いつしか、罰を受けることを怖れ、見て見ぬふりや、全ては他人事といった感覚をあたり前としていく。‘長い物には巻かれろ’も‘黙して語らず’も、その源は、蛇色を濃くする皇族の怯えからである。

 

6.支配層の権力と密に繋がる存在たちは、どこに居ても、皇族の権威を笠に、好き放題悪事を働き、人間とは思えない惨いことも、当然の行為として平気で行う。そんな彼らであるが、意外なことに、そのことへの疑問や違和感を持たれると、その内面は脆くなる。思考の力は弱化し、感情の制御も困難になり、その本性に隠していた怯えと怖れが動き出す。

 だからこそ、彼らは、徹底的に心ある感性と健全な暮らしのその原因を潰す。そうであることで維持できる自分たちの歪な普通を守るために、自らの中の不安と怖れを燃料に憎悪を高め、他者を不安にし、怖れさせる。それは、心が無いゆえの、至極低次な(卑劣な)我欲だけの生き方であり、蛇の脳が覚える、不安の無い世界への不安である。

 天皇家を中心とする蛇系の存在たちは、要らぬ経験を持つことのないよう、圧政(抑圧)と迫害を強め、人々に、多大な犠牲を強い、殺害を繰り返す。そして、自分たちの姿を神格化し、人に素朴な違和感さえ持たせない、堅固な負の基盤を固めていく。神社(社、鳥居)は、そのための材料として、全国に造られる。

 人間も含めたこの自然界では到底あり得ない、その恐ろしい虚構の蓋が、ここで開けられる。人の心が悲しむ経験は要らない。命の犠牲が強いられる時代は、永遠に無くていい。この国発の、真の普通の、その本来の在り様。未来地球が望む人間世界のその原因を、さりげなく、力強く重ねていく。嘘の原因は、どこまで行っても嘘のままであり、どんなに形(結果)でそれを繕っても、どこまでもそれは、生命世界の異物である。

 

7.歴史ビル2階の頃に、日頃から、蹂躙と殺害(拷問と凌辱)を愉しみ、人を物のように扱い(弄び)、酷く虐げていた、当時の皇族と言われる恐ろしい存在たち。限り無く凶悪で、強力な破壊力を持つ(人の脳をいとも簡単に操ってしまう)本体の意思を力にそこで人間を生きた彼らは、この現代でも、その時と(本体を)同じままに人間を選び、生を生きる。

 彼らはすでに何度か、この無有日記に登場しているが、その本体(無意識の意思)は、全く動じないところに居る。それ程、形無き原因の世界では、ひどく厄介な存在である。その意思は、欲望のためならどこまでも嘘を生き(通し)、しおらしさと横柄さを上手く使い分けて、楽をし、得をする立場を生きる。それをジャマする人の脳を思い通りに操り、支配することを普通とし、それゆえ、どんな人も、その存在たちの本当の姿(本体の質)を変え得ることは不可能となる。自らを決して変化に乗せないそれは、心ある人たちの理由の分からない苦しみの原因そのものである。

 ただしかし、今回は、この時代環境を大いに活かし、無有は、彼ら(の本体)と、事細かに直接関わる。彼らひとりひとりのその秘められた思惑(嘘の原因の意思)通りに然るべき状況を設け、その意思に満足を覚えさせ、この時までそれを繋いで、段階的に対処し得るEWの時をさりげなく生み出す。

 30章のこの時、彼らの本体は丸裸である。原因が真である普通は、原因が嘘である異常な世界の全てを包み込み、それに余裕で付き合いつつ、その原因の危うい影響力を削いでいく。彼らも、その本体も、それを知り得ず、事は進む。それが、この無有日記のEWである。

 

8.その存在たち(本体)は、人の脳を操ることは出来ても、自分たちには、脳は無い。一体化させた人間は、使い捨て仕様の借り物であり、その脳は、人々を苦しめるための道具である。その形ある彼ら(本人)自身も、当然、人間本来の知恵は持たず(持たされず)、心ある生き方も、人間らしさも、その原因とは一切無縁である。

 そのことは、世を病ませ、人を困らせる強力な武器であるのだが、見方を換えれば、それは弱点である。人と人が潰し合う(殺し合う)ことのない、この現代という、最も彼らが嫌がる世。その本体の力(意思)をどんどん顕にし、それへの抵抗力を付ければ、時代は、決して繰り返すことのない真の変化に乗る。平和も健康も、その対極の次元を持たずに、あたり前になる。

 この時のために、この時代に選ばれた男女の二人は、自分たち(本体)が居るその世界の(非生命的原因の)全てを、その意識もなく少しずつ差し出す役を担う(担ってもらう)。無有日記は、共に歩む人たちの成長に合わせて、それらに対処し、その都度、その質を変え、進化する。そして、今がある。(かつて争いも病気も無かった時代に、その中心辺りで人々を支え、生命本来を守り続けていた彼ら(二人)は、そうではなくなる時代が連なる中、他の誰よりも強力に脳を支配され、生きる自由を奪われる。最も浄化されるべきその経験の原因を、無有日記は決してムダにはしない)

 

9.「無有日記」の在るこの時代、生命としての確かな原因を未来に繋ぐために、人として、すべきことをし、行くべきところへ行く。それが難しかったこれまでを後方に、遊び心一杯に、時を癒す。本来の普通は、心の余裕と想いの柔らかさから。「歴史の芯」は、みんなのその具現化を応援し続ける。太陽も、その姿を喜び、月と共に、この地球(時代)を優しく見守る。

 僕らには、橋を渡らなくても、向こう岸へと辿り着ける術(知恵)がある。それは、今居るここで、その世界の原因となること。その原因を、楽しみながら高めること。その在り様は、次に続く人たちのための、大切な架け橋になる。無有は、それを実践するみんなの普通が成長・進化するための、その橋渡しの仕事をし続ける。by 無有 2/07 2018

 

 

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