歴史の芯(31)

歴史の芯1

1.人間であれば、それはおかしいと誰もが普通に分かるようなことが、どうにも理解できない(感じ取れない)、心ある感性を持たない存在たち。蛇の脳を経て身体を手にした、非生命的な(無生体の)意思は、人間経験においても、人としての普通感覚を表現できず、脳は、蛇同然の、短絡・単純かつ直線的な働きのみである。そのために、いつの時代も、人生を潰され、命を奪われた、心ある普通の人たち。非道な力と人々の苦しみによって築かれた、この国の歴史ビルは、ここに、最上階の時を迎え、歴史上初めて、それまでの負の蓄積のその原因が形になるという、新たな時代を経験する。

 原因を生きるその普通の質が高まる(分母が増大する)ことで可能となる更なる普通は、経験から自由でいる思考の中に、かつての未消化の負の原因(の意思)を通し、それを自由に形にして、そのひとつひとつを段階的に浄化し得る機会を引き寄せられること。ここまで成長・進化させてきたその姿と、そこでの自然なEWは、気づけば、地球感覚の要素を帯び、未来へと寄り添う新たな本体がその主導権を握れる程になる。

 経験の外側に思考を置き、経験を創る。一度始まった、これまでの本体の浄化は、普通にはなり得なかったかつてのいくつもの切なる望みを、ここに案内する。太陽も月も、地球自然界も、それに一緒に参加したいと、顔を覗かせる。

 

2.結果という名の次への原因となるある状況(状態)がそこに在る時、それが形あるものでもそうでなくても、変化し続ける自らの原因は、そこへと繋がるそれまでの原因を自由に遡り、そこでのいろいろな性質の原因の影響力にムリなく対処し得る感覚的活動を普通とする。無有日記を通して、思考に力が入らず、頭を不要に働かせることのない自分があたり前となると、心は、常に多次元的な変化の原因の中に居て、その気もなくそれを為し得る材料を手にしている。それは、人としての、生命源からなる普通表現のひとつ。

 永いこと身体に染み付いて残り続ける色素斑(ほくろ)は、その形あるものの中ではとても重要な痕跡であり、遠い昔(縄文期以前の頃)には無かった、酷く非生命的な(遺伝子に影響を及ぼす程の)形無き事実が重ねられたことによる、形ある結果(という名の原因)と言える。左手のEWで、それに触れてみれば、その原因は動き、この今の次への原因は刺激される。そして、心身の目覚めのような感覚的変化を経て、生命を生き、人間をやるその基本形が活動的になる。それを普通とする人たちの、理由の要らない安心は、そのまま、無くてもいい経験の外れた本来の未来へと繋がり行く。

 

3.蛇の脳に住み着いていた時の経験をそのままに身体(脳)を動かすという、それまでには無かった全く異質の、形ばかりの人間は、地球(地上)の次元には無いもののその不自然な原因を取り込むことで、自然界のしなやかな自浄力の世界から離れ、異様で異常な人間世界の基礎を作り出していく。すでにある信じ難い(人間の知の次元には無い)プロセスを経て本来ではなくなった太陽をより病ませるために、彼らは、地球自然界の生命たちを好き放題苦しめる行動に出る。動物を次々と殺し、食べることを常とする行為は、以前は全く無かったこと。人間をも動物と同じようにして食べる、蛇の脳そのままの存在により、自然界は、次第に重く、じめじめとした空気に包まれ、活力を失くしていく。

 自然界が辛くなる獣同然の脳を持つその存在たちは、夜間の月の光を尽く嫌う。そこに在る太陽の意思と、それを喜ぶ生命たち。その健康的な融合を退け、潰すために、彼らは、太陽と月の光に安心を覚える生命たちの脳を不自由にさせる手段を講じる。それが、金である。

 自然界の自然な意思を抑え込む金の性質(本質)は、隔たりと不調和。その世界にむりやり人々を付き合わせ、動植物たちの世界に負荷をかけ、月の光の恵みを遠ざける。より大きな金の塊を地に埋め、祠(社)らしきものを設置し、そこを中心とした生活様式を人の世に固めていく。神道(神社)の残忍さとその非人間振りは、深くで、そこと繋がっている。太陽から月へ、月から地球へ。その無限の癒しの原因は、金によって阻まれる。

 

4.時代が連なる中、重量級の蛇頭とも形容できる存在たちの元でその数を増やしていった、非人間性を普通とするわりと濃密な蛇系の人間たちは、その元祖的存在たちに連れ添うようにして、彼らの人間化を支えたある物体を拠りどころに(母なる空間のようにして)、難なく悪事を働く際のその負の原因となる凶悪な無意識の意思(本性の遺伝子)を磨いていく。それは、今現在でも、中部の山の中に、眠るようにして存在する。

 岩のようには硬くなく、土のように脆くもない(粘土よりも硬い)、数メートル四方の枠に収まる程のその物体は、その半分以上が土に埋まり、残りは地表に出ている。永い時を経て、他との違和感もなくその形は自然と同化し、草も生え、うっそうとした木々に囲まれ、近くに道は無いため、誰もそこには行かない(行けない)。周りに清らかさは無いその場所は、じめじめとしていて、苔むしている。

 その自然界の異物は、茶色が混じったような、くすんだ青色をしている。それ自体は、仕事はせず(意思は持たず)、ただそれがあることで、本性に危うさを秘める形ばかりの人間は、その土台に安定感を覚えるようにして、やりたい放題、人を、世を病ませられる。近づくことも、見ることも不要であるそのことを知る人は、その存在たちの中にも殆ど居ない。

 彼らだけが、その意識もなく、どこか別次のところで触れ得る、地球の次元には無い、その不可思議な(その物体からの)周波数。この31章は、それへの対処を試みる。形無き世界に、太陽の光の意思を誘い、そこから、その物体の元となる次元に入り込み、非人間的存在たちに自動的に意識を向けられてきたそこでの経験の記憶を浄化する。そこから動き出す世界は、まさに、地球の鼓動である。

 

5.蛇の脳の中にやっとの思いで入り込み(蛇の脳を巧く支配し)、その後、何度も繰り返す次なる試みの中でどうにか人間の形(土偶の原型)を手にするに至った、原初的蛇系の存在の意識(意思)は、人間経験を重ねる中で、ある法則のような役割分担を生み出し、その力の作用(威力)により、何があっても事の変化を滞らせて、人の心の働きを封じ込め得る恐ろしい術を行使する。世を、自分たちの住み易い腐敗色のそれにするために、それは、最初の頃から現代に至るまで続けられる。

 その分担された役割というのは、蛇としての意識を経験している時に、出来るだけ多くの人間を傷つけて取り込み(食べ)、人の苦しみと恐怖を増大させた経験を持つ存在が、人間としての生(女性)を生きている(扱っている)時に、自らの子宮を、病みの原因の増幅器として、同質の存在たちに利用させるというもの。当然、現代にも、そうである存在は何人も居るが、その代表として無有が選んだのが、30章に登場した二人の女性である。彼女たちが居ることで、初期の頃(段階)から人間をし始めた存在たちは、いつの時代も、したい放題のことが出来、他よりも強力な残虐性を普通とする人生を生きる。

 荒唐無稽な話と思われるが、そこにある原因は事実である。人が人の命(人生)を奪うこと自体、人の世にはあってはならないこと。それがまかり通っていた時代の、その原因には、世の常識の域を大きく超えた、あり得ない性質(次元)の様が存在する。感性の質が多次元化することで普通に触れ得る経験の外側には、思考の働きが理解の限界を生み出してしまうゆえに忘れられてしまっている(理解の域に誘い込めない)大切な原因の事実が多々ある。

 

6.人間を物扱いするという嘘の原因をそのままに、狡賢く、非道な決まり事を世の正しいこととして積み重ねてきた、この国の負の歴史。その土台を崩すには、これまでの全てから自由になり、自らが、次なる時代の、その心ある確かな原因になること。考えていては、要らない過去が付いて来る。求めていては、重たい結果がジャマをする。身体は、いつだって、想い(心)に案内される。

 その存在たちの子宮と同質なものは、全国各地に(特に神道関わりに)潜んでいるが、彼女たちの、その実践の力と経験の蓄積は、かなりのものである。そして、ふと太陽の黒点に意識を向けてみる。その無くてもいい経験の跡は、地球の無生命化が始まった遠い昔の切ない記憶。戯れ言でも嘘話でも、何でもいい。この世の、動きの無い形式や結果の世界のその嘘の原因は、こんなところから、その力を無くしていく。

 そして、姿無き、不気味なある謎の物体。そのコピー(分身)が地球空間に入り込んだことで形となった(形を持ち得た)中部の山中のそれは、その元のエリアから、あるルートを通って、そうである現実を作る。その姿無き物体は、太陽の後方に(太陽にくっ付くようにして)居続ける。彼女たちの子宮は、そこと繋がる。(その物体は、余りに意外なところから、その場所へと、宇宙空間のいくつもの次元層を突き抜けて移動する)

 全く意味不明で、絵空事と思えるような内容である。それでOK。思考(の力)が一切通用しない文章の世界のその原因(次元)との融合は、何気ない発想までが支配されることの、その負のくさび(非生命的な存在の思惑)の力をもろともせずに、変化の時を生み出す機会を創る。

 

7.優しさでも思いやりでも、調和でも健康でも、人の心は、それが広がり流れ行くものか、伝わり繋がるものかを、さらりと感じ取る。それらは、人としての普通の姿であるから、その気もなく心を活躍させ、生命たちの住む世を、みんなで温かなものにする。誰もが、優しさの意味を知らずに、優しさそのものを生きる、普通世界。そこでは、そうではない原因が形になろうとする、格式張った表現や文語調(平安時代風)の言い回しは無縁である。

 そんな心ある風景が、自らの原因と重なり、広がる時、常に自由であるはずの思考に、不自由さの原因として入り込んだまま居場所を持ち続ける抽象的な負の概念が、違和感として動き出す。それは、巧妙に心ある原因の活力を削ごうとする、キリスト教と神道。その世界の、生命としての原因を持たない作り物の(思考の域のみで通用する)教えと慣習では、優しさと思いやりが、形ある言動を主に表され、調和と健康が、思考で扱われる。心も、心から始まるその原因の在り様は、無視される。

 この「歴史の芯」と「仏陀の心」との、その原因のところからの融合が自然に為される自分であれば、キリスト教と神道のEW(左手)を楽しんでみる。抽象世界に陣取るそれは、浄化されるべき性質の原因として、世の変化しにくさのその形無き重石となって存在する。その時を経て、要らないものを外しつつ成長し得た思考は、心とひとつになる。神道の、無くてもいい経験のその原因の影響力は、そのままだと、どこまでもしつこく、人間らしさの質を低下させる。

 

8.蛇絡みの経験の記憶を、その遺伝子の性質として内に潜める存在たちは、残忍さを普通とするその本体の意思をそのまま嘘の原因として生き、その都度、権力を笠に着るその時代仕様の歪な価値概念を頼りに、差別心と優越心だけで、変化とは縁遠い人間を繰り返し経験する。

 彼らが、世の常識人として、この社会で普通に、快活に生きていけるのは、何があっても動かしてはならない、自分たちに都合の良いその固定された価値観(形式重視、結果優先)が、そのことで守れるから。かつて、自らの心に正直な人(非情な世の決まり事に反発する人)を殺害する(封じ込める)行為であっても平然とそれを神事として行ってしまうという神道(神社)を、暮らしの拠りどころに生きていた、その低次・低劣な存在たち。その頃の原因も、浄化されずに続いたその後の原因も、この現代に残る。彼らは、あの手この手で、その原因を現代仕様の形にし、世を病ませて、心ある人の生きにくさを強めていく。

 有ってはならない現実のその負の原因は、それまでとは質の異なる原因が創り出されることで、確実に浄化されていく。そして、その新たな原因の成長を通して、それまでの原因は、次々とその繋がりを無くし、堅固であるはずの病みの土台までが崩れ出す流れを経験する。原因の確かさは、嘘の原因を退け、それによる負の固まりの存在意義を失くさせる。

 この現代、すべきことは、実にシンプルである。ただ、地球自然界が安心する原因を、楽しみながら生きる。蛇の感情(凶悪な原因)と融合している場合ではない。心ある原因の、その普通の生き方は、自然界の意思そのものである。by 無有 2/11 2018

 

 

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