歴史の芯(32)

歴史の芯1

1.人の生きる世では、いつの時でもそうであるべきあたり前のことなのだが、そうではなかった異常なこれまでの歴史を経て、この国は、ここに、人の生きる権利が守られるという時代を、初めて迎えることになる。その様は、奇跡という名の普通体験であり、人は初めて、大きく原因が動くという経験を、言葉の要らない生命の知識(体験的知識)として記憶することになる。それは、人間社会における、かけがえのない原因。その原因の中で、生命世界は、自動制御のようにして、その自浄力を本来へと活躍させていく。

 平和な想いでいることが、そうではない人の違和感となっても、力で潰されることのない、この時。健康の原因を大切にすることが、病気をあたり前とする人の嫌悪の対象となっても、そのままでいられる、この今。その自然で、心温かな生命の望みは、理由の要らない喜びと繋がり、人の住む空間を、自然界の生命たちのそれと融合させる。そこに、安心がある。何の裏返しでもない平和と健康がある。

 その原因を高め、その具現化への道を創り続ける、「歴史の芯」。そのことで見えてくる、無くてもいい経験。そこから浮き上がる、そのままにしてはならない要らない現実。この現代を、未来への、望むべく原因の時とする。一足先に、その未来と繋がる。

 

2.あることを為し得るための行為は、それが分け隔てなく人を包み込み、争いや不健全さから縁遠いところへと人を導くものであれば、それは、数の力を必要としない。力ある原因は、いつも、他と自分を隔てるところから(比べることから)始まることはなく、過去を引きずり、結果にこだわる思考も、そこには近づけない。思いのままに心を形にするその繋がりが自然なものであれば、人の心が元気になれる空間が自然と生まれ、続く次なる空間も、その色で染まっていく。そこでは、個の欲と思考の満足を演出する、数や量の力が価値を持つことはない。

 固定された、動きの無いものや形(形式)に人を頼らせ、そこに在る狭い枠内の概念(教え、習わし)にその生き方を付き合わせようとする価値観の送り手は、力で数を操り、その数の力で、自分たちの居る世界を巧妙に守る。人の普通の質が、どこまでも変化・成長からかけ離れてしまうことになる、質よりも量(数、幅)の次元。数の力を利用する、その危うい存在たちの思惑により、思考のみの理解力しか持ち得ない人間たちが、幅を利かせる。

 心ある原因を持たない人たちが集団化する数の力の世界は、人として普通であるべき真実も、その醜い非人間性を身勝手に通用させる、見た目ばかりの形式と都合優先の自己洗脳で、覆い隠す。その姿は、この国の未熟な精神性の、その正直な反映。彼らが、生の基本である「仏陀の心」と自らを重ねることは、永遠に難しい。つまり、人間ではない。

 

3.身体を、世を病ませる使い捨ての道具としてしか考えない、蛇の脳そのままの存在たちは、当然のことながら、健康のための食事は不要とし、本来であれば心身が辛くなるはずの否定感情(怖れ、不安、嫉妬、隔たり)も、それを活力を高めていく材料としてしまう。

 自然界の生命たちの生きる源である太陽の光と熱は、彼らにとっては最も嫌な存在としてあり、人が優しくなれる爽やかな風も、清々しい空気も、実に疎ましい。現代に生きるその存在たちは、あれこれと工夫を凝らし、かつ巧妙に技(術)を磨き、環境(食、住、気候)を、自分たちに都合の良いものにする。人は、彼ら主導の策により、健全さの原因が全く見えなくなる程、脳の働きを鈍化させる。

 その代表が白米(白いうどん、白いパン、白い餅)であり、じめじめした風土である。現代では、それに電子レンジやIHが加わり、LED照明もそれに参画する。心を持たない蛇系の存在たちは、細胞を病ませるそれらの影響は受けず(生命力の無いものを好んで摂り込み)、心ある生き方を普通とする人たちが、辛さを覚える。その不穏な在り様は、彼らの思惑通りであり、そうであり続けるために、彼ら好みの生気のない物や形が世に氾濫する。

 健全さを嫌悪するその存在たちは、その本性の働きを安定させて、自然界の調和を崩し、天候を重くする。その非人間的な思考で、細胞が辛くなる食物や、青空や太陽を避ける神社(鳥居、社)を増やし、人の暮らしを、停滞感のあるものにする。彼らは、その中で活発に動き、立場や地位を利用して、好きなだけ世を病ませ、人を支配する。(蛇が喜ぶ腐敗型の)白いパンや白い餅、うどんなどをあたり前のようにして製造する企業の運営者は、人間ではない。IHLEDもそう。そんな単純で、とても重要なことが、修正・浄化できないで来ていることは、まさに、歴史的負の奇跡である。

(※蛇のような存在たち(皇族、貴族)が好んだ、生命を削る白米の白は、生気を失くし、息絶えていく彼らの獲物(人間)を象徴する色である)

 

4.理由の分からない辛さや悲しさを、その気もなく簡単に他に覚えさせる存在の、その理由となる原因の世界に入って行くことは、世の常識を普通とする中では、とても難しい。形無き性質の影響力により生じる、形有るところからでしか捉えることの出来ない現実は、通常の感覚的理解の次元を超えてそうであり続けるので、それへの真の理解は、どこまでも未知のものとなる。蛇の脳を経て人間になり得た、元々この地上には無かった存在たちは、停滞と無生命化の意思を普通に備えて、その理由無き危うさの原因の世界に居続ける。

 彼らが、その無意識の意思(本性による思惑)を存分に働かせ得るためのその下地として増やした同質の人間たち(コピー)は、与えられるものに満足し、引っ張ってもらえる立場に安住する。そこに、差別や不公正があったとしても、何ら構わない。正しいとされることに従う姿勢を正しさとし、そうではないものは全て無視する。その元となる存在たちは、そのことを利用し、自在に世を操り、人の心を無きものにしていく。

 彼らは、自分たちに都合の良い文書(歌集、書物)を大切に残し、後の世の人たちが、権威ある存在の導きでそれを学び、知識として活かすその姿を面白がる。その、人としての原因を持ち合わせない嘘の形は、同じように原因(心)を持たない多数によって確固たる存在感を得、疑問の余地のない真実と追従すべき世の正しさとして、時代の負の土台に潜むことになる。歴史ビル2階の頃に残されたいくつもの嘘(文書)は、この世の、未熟な精神性(気質)のその基本材質として、しつこく居続ける。

 その流れは、未だここに在り、人は、与えられたことを守り、そこで生み出されるものを大切にする。氾濫する情報(知識)と、数限り無く形になる書物。それでも世が乱れ、平和や健康の原因が普通に大切にされないのは、それらの始まりが、嘘であるからである。人にとって、知ることは、心が望む変化の原因(の時)であり、それが無視されると、そこでは、知ることが優先され、変化を拒む負(嘘)の力が、無くてもいい経験を人に強いるという、オカシナ状況を生み出す流れを作る。

 人間は、言葉を覚えれば、後は、自らの心をそのまま形にするだけ。知識や情報を取り込まずにはいられない人の素顔(本心)は、形ばかりの人間を生きる、嘘の原因の上塗りである。彼らみんなで支え合う正しさは、争い事を生み出し、世を不穏にする。

 

5.生命力に溢れて躍動感のある様に嫌悪感(息苦しさ)を覚える、蛇絡みの本性の遺伝子を秘める存在たちは、人の心が元気になれる、華やかで(清らかで)色鮮やかな風景を尽く遠ざける。そのための環境づくりに徹してきた彼らは、人々の暮らしの隅々にまで関与し、色褪せた枯れ草色(腐敗色)の域からは決して出ることのない衣服と住まいの空気感を受容させて、人の活力と精気が高まることを抑え込む。

 彼らの理想(普通)は、蛇の住みやすい不自然な環境。青空と海がその力を発揮できない、どんよりとした重苦しい空間。その仕組まれた不健全な生活環境は、心を持たない(同質の)存在たちを活躍させ、心ある人の感性を潰していく。

 現代、その影響は、色濃く残る。それは、非人間性を普通とするその悪辣な意思の力に、人々の暮らしが巧妙に支配されているということ。神社のその腐敗型の空気にも囲まれ、心のままに想いを表現する自然な生き方が阻まれている(出来なくなっている)ということ。そのことを感得すれば、心が動き出す。心が喜び、元気になる色と形を欲し、自らも、それを自然に生み出し、繋ぐことを普通とする。何気に選び、手にする色合いと色調は、その人の心の質と居る場所を(次元)を顕にする。

 歴史ビル2階の頃、人を支配する立場の異様な世界では、彼ら好みのその変質・偏狂の材料として、色が使われる。それは、歪な情愛の雰囲気を高め、女性たちの妖艶さをより際立たせるためのもの。そこで使われる赤は、自分たちが好む、(傷つけられた)人間の血と蛇の舌(血で染まった蛇の口)の色。白は、酷い仕打ちで殺された人の体。鳥居に使われる赤も、人の心ある動きを抑え込むためのものとして、象徴的に使われる。その不気味な不自然さは、人の、色への素朴な望みを破壊する。

(※人を物扱いする側(天皇)と人々との境に設けられる鳥居には、その形状(反り具合etc.)が持つ残忍な意の他、人の心を押さえ込む、恐ろしく非道な思惑(迫害と差別、虐待と封殺)も潜んでいる。嘘神(蛇)の人騙しの術である)

 

6.思い通りに世を病ませられる道具として人間を生きる存在たちの、その意識の元となる形無き本体は、残虐性を普通とするその意思で身体経験を操り、一体化させた無意識を基に、時代の負の連鎖の作り手としての人生を生きる。その中でも強者と見られる、奇形(土偶)の前後の意識経験を潜める存在は、身体の都合を切り離した、全く別次のところでの異常な能力表現を普通とし、そのひとつである、人が睡眠を取っている時のその無意識への働きかけは、簡単に人を病ませられる手段として、彼らは大いに愉しむ。

 その存在たちは、同質の人間が世に送り出す、重たい原因のままの(変化とは無縁の)文字や音、映像などを利用し、思考の次元を離れたところで、いつでも、どこでも、難なく人の脳(意識)を乗っ取り、睡眠時も、自由にそれを操り、遊ぶ。特に、見させたい夢の材料としてある、作り物の嘘の(偽善の)音楽や映画は、その間口として至極適し、彼らは、人の無意識に自らの非生命的な意思を重ねて、その人の動きにくさや浮上しにくい否定感情を容易に作り出す。

 人が記憶することになる、原因無視の、蛇系発の音楽や映像(映画、演劇)、小説などは、脳の中でしつこく居場所を確保しつつ、夢の材料となり、そこを通って、彼らの思惑通りの病みづくりが進行する。そのどうにもならなさを面白がる、蛇系の存在たち(の本体)は、心ある普通の人の本来を、好き放題、思い思いに潰すために、人の眠る時間帯に、この時とばかり暗躍する。

 普通自然体で生きる人にとって、睡眠の質とそこでの脳の休息体験は、とても貴重なものである。それゆえに、危うい存在たちは、それを抑え込み、壊そうとするのだが、その様を本来とするための原因をここで増幅させ、睡眠時であっても、心ある想いのその性質が主導権を握れる時へと、EWの質を成長させる。そのための原因は、活動的である。

 

7.凶悪な本性を持つ存在のその本体の意思が、睡眠時の人の体(脳)に執拗に負荷をかけようとする時、彼らは、決まって腕(肩)と脚(股関節)を責める。その理由は、笑える。(笑って済む話でもないのだが…)

 その存在たちは、未だ、蛇の脳から成長し得ないままでいる。この地球上での生を可能とする最初の経験が、蛇の脳(意識)との一体化によるものであるので、彼らは、その原初体験からなる永い生の間の狡く汚い感情を、今も尚、しつこく残している。蛇色を濃くするその存在たちは、人間が持つ手と足への恐ろしい程の嫉妬と、自分たちはそれ無しでも充分に生きられるが人間はそうには行かないだろう、という嘘のような歪な自意識から、その類のことにこだわり、人の手足(腕と脚)を痛める。脳の働きを鈍くさせ、精神を脆く、傷つきやすくさせ、そして身体の各所の傷み(不調)を演出する。それは、元蛇ならではの、単純で短絡(単細胞)そのものの知恵無し本体の悪さと言える。

 ただ、その悪さは、非人間極まりないため、その類の本体と同一となる人間の姿は、この「歴史の芯」で顕にし、そのままではいられない原因との融合を経験してもらう。彼らは、人間の腰や腎臓、生殖器にも嫉妬する。あり得ない程の陰湿な感情を、その不気味な能力表現の燃料とし、どこまでもその対象とする人間の心と身体の自由を抑え込む。実に哀れで、愚かな話である。

 普通感覚を備える人間は、時代を重ねるうちに、相当深くまで蛇系の負の原因を蓄積させている(させられている)。その多くは、睡眠時に為されたもの。そしてその大元は、蛇系の存在たちの、救いようのない怯えと嫉妬、極度の感性の無さと心への恐怖。病みの原因を多次元的に浄化し得る時を重ね、それまでとは異なる時代の風を、皆で吹かせる。病気も争い事も、人間の世界には元々は無かったもの。睡眠時は、ゆっくり、ぐっすり、安心と余裕で眠る。そして、元気に、快活に、朝を迎える。

 

8.人々の暮らし全般を支配し、思い通りに事を動かし、好きなだけ満足を得る、心を持たない蛇系のその主となる存在(皇族、貴族)たちは、異常を普通とするその体系を盤石なものにするために、民の食を完全に自分たちの所有物とする。人々は、作ったものを自ら自由に食すことを許されず、その殆ど全ては、支配層の人間たちに独占(搾取)される。生きる力を養えずに働き続ける農民は、皆、食べる喜びを知らずに、恐ろしく不健全な(家畜以下の)生を強いられる。地域別に治められるその非人間的な状況は、権力を笠に力を持つ役人の元、誰もそうでしか生きられない絶対的なものとして存続する。

 人々のそのことへの不満は当然募るばかりであるが、力でそれを押さえ込むだけでは、不慮の反抗や暴動が生まれることを考え、最優先すべき食の供給を安定・維持させるために、彼ら権力者は、農民たちへの懐柔策を講じる。それは、特別に日を決めて、たくさんの食物を食べられる時を設けたり、それまで無縁であった、踊りや歌に興じる場を経験させたりするというもの。日頃経験できないそれらに思考を働かせる人たちは、次第に、その世界での満足で自らの不満を押さえ込む(解消する)ことを覚え、そのことを楽しみに、日々の辛さを受容する。それは、祭事として、後の世に続いていく。

 その後、地方各地にその祭事の中心となる社(神社)が造営され、神事や儀式の類も、それに併せて行われるようになる。好きなだけ搾取し得る手法を安定させて、思い通りに民を支配する権力者(皇族・貴族と繋がる存在たち)は、生来の凶悪な残虐性を、その神事を通して形にし、人々の犠牲や奉仕の質を、思惑通り、非人間化させていく。特別な経験をさせてもらい、大人しくなった農民は、特別とされる人たちの意のままに、嘘の神事を支え、嘘を継ぐ役を担うことになる。

 

9.嘘を本当に決まり事を作り、非道な感情で民を治める、蛇の脳そのままの存在たちは、神の怒りを鎮めるためにと、人を埋め、人を焼く。それを神聖な儀式として執り行う彼らの嘘に付き合わされる人たちは、慰霊や感謝、祈願の名の元、全く意味を持たない(形ばかりの)行事や儀式を中心に、洗脳状態のままの人生を生きる。悪天候による不作や思いがけない不祥事など、事が起きれば、役人に嫌われている(疎ましがられている)人や、彼が大切にしている身内(子供)が犠牲になる。その時の嘘の作り話は、‘魂を清める(良いところへ届ける)’というもの。神の言葉を伝えるという祈祷師(神官)や巫女が、得意満面の動きをし、音楽(太鼓、弦楽器)も奏でられる。

 事(稲作)の始まりや終わりの時を区切りに行われる祭りは、作業を決して途切れさせないための手段として、権力者の腹黒さを背景に首尾よく存続する。それは、彼らの、人を操るためのもの。不安感を押さえ、先祖や神の祟りを信じ込ませて、そうでなければならない状況を堅固にする。人は、それに合わせないと居づらくなる(仲間外れになる)ことを恐れ、いつのまにか、それ(祭り)をあたり前として生きる。天皇家と繋がる役人たちも、都合良く民を治めるために(上下関係を徹底し、抵抗を封じるために)、祭りを利用し、神社の威力を活かす。

 無くてはならないものとして信じ込まされている人たちに支えられる、その神社の中には、何も無い。それ系(ご利益、依存型)の寺もそう。そして、そこを中心に行われる祭事(祭礼、神事)は全て、非人間性のそれまでの基礎を固める、その原因そのもの。言ったもの勝ちの嘘八百の神々の世界は、蛇同然の存在たちを活躍させ、病的で根強い気狂い級の人間を生み出していく。

 彼らが盲信する、嘘の(非道で残忍な感情をその基とする)しきたりや慣習、神事や儀礼に覆い尽くされる、この国の極度の病みっぷり。それは、その中枢に在る、出雲の地発の秘儀(密儀)・秘祭に支えられ、人は皆、恐ろしく醜い虚偽(行事、祭事)で囲まれた(動いている)世で、人生を生きる。それをそのままに放って置ける存在を、地球自然界は、同じ生命としての仲間(人間)とは思わない。by 無有 2/19 2018

 

 

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