歴史の芯(35)

歴史の芯1

1.人の歴史が、その原因のところから本来へと動き出す時、そこにはいつも、仏陀と道元が居る。地球感覚を普通に、余裕で人間時間を活かす二人のその姿無き意思は、どんなにそれを抑え込まれても、その時代時代で、すべきことをし、その原因を繋ぐ。「仏陀の心」で、その本質に触れられたことで、二人の、この現代での意思表現は、これまでのどの時よりも活動的である。ここで、それは、「歴史の芯」と合流する。彼らの、歴史上のその創造的原因は、太陽の意思とも重なり合う。

 道元にとって、問題は何も無い。ただ、問題とされる事を通して世の変化を留めようとする、その不穏な思惑に対応するだけ。形ある問題事の影響力には何ら困らなくても(関わらなくても)いいこの時代環境、そこに在る形無き負の原因をどこまでも浄化し、その都度、その経験の性質を未来に放つ。それは、かつての厳しい環境での時より、殊の外た易く、楽しい。無有日記に援護されつつ、好きなだけ、心の風になる。

 仏陀は、彼の姿を見守り、その意思の材料となる原因の質を、限り無く多次元的に、よりきめ細かく、力強くする。この時代、仏陀の中に、一切の迷いは無い。行くべき場所も、取るべき行為も、その手前が全て余裕であるゆえ、自由に戯れる原因に楽しく付き合いつつ、形あるその変化の凄みに笑顔になる。それは、逃すことが考えられない時の訪れの、その連なりの上にゆったりとした気分で乗っているようなもの。そこから道元を支え、彼と共に、この時代を生きる。

 

2.世に求められる人間の在り方全てが嘘であることを感じ取っていた、道元の生を経験したその意思(本体)は、どの時も、時代に背を向け、望むべく次の時代の原因を生きることで、これまでを大きく切り離そうとする。今回も基本は同じ。どんなにそれを妨げられても、それ以外のことに一切意識を向けられない彼(彼女)は、形ある世界の制約(価値観)から自由でいて、その世界に抑え込まれて動けなくなっている、心ある原因の意思を元気にする。潰されても、虐げられても、妥協の無かったかつての経験は、この時代に最大限に活かされる。

 道元の意思表現の原因は、常に地球と繋がり、あらゆる次元の生命たちとの融合を普通とする。ひとつひとつの言動によって為され得ようとする、現実の原因の揺れや亀裂は、そのまま自然界の安心となり、彼自身も、自然界から人間世界を観るという観点を基本に、その(合わされた)ひとつの時を癒す。その意識もなくあたり前に地球を大切にし、動植物たちの居る次元にも、人としての責任を担う。

 道元の時と本体を同じくする存在の現代での活躍は、限界が無い。その源が、地球が望む生命の意思であるゆえ、どこまでもそれは自然で、さりげない。この時代も、そこで生きる心ある人たちは、その形無き原因のところで、多次元的に支えられている。

 そして、その形無き次元深くで、互いに意思を通わせる人たちが、無有日記と共に歩く。意識を向け合うわけでもなく、それぞれは全てを知り、彼(彼女)とは違った別の大切な役を普通に担い、時代の原因を確実に変えていく。遠い昔も、少し昔も、この今に繋がる原因を真剣に生きてきた、彼ら。彼らみんなで、「仏陀の心」を引き寄せる。

 

3.仏陀は、道元を生き、道元は、仏陀を生きる。そんなあり得ない融合が自然に行われているこの現代、二人の身体時間は、ここに在り、生命の意思の次元は、ここを包み込む。思考を必要とする関係性は何も無いから、いつも、原因のままの働きかけを繋ぎ、要らぬ滞りと対峙し、そっとそこを通り抜ける。それを楽しむ二人。身体時間も、本体の次元も、居る場所は完璧である。

 二人の普通は、一貫している。それは、自然界と共に生きる人間を育むこと。地球を大切にする生き方を、彼らに普通にさせること。そのための原因を限り無く拡大させ、それをどこまでも細かくし、どんなところにも届かせる。そして、それを自由に使ってもらう。

 いつのまにか忘れさせられてしまった、その生きる基本。数千年もの間、ずっと耐え続ける、自然界の切なさ。本来普通であるべきその時への道を少しずつ生み出し、ひとつひとつを繋ぎ、この時を迎える。二人の融合は、自然界の希望の具現化。無有日記と共に歩む存在たちの手で、彼らの普通は、人々の原因の中に溶けていく。

 人の感性に不健全さを馴染ませる悪質な経験が、人間の世界で積み重ねられたために、どうにもならない不自然な営みを普通としてしまう自然界。その自然界の悲しみに無感覚のままでいるという非人間性と、人間の都合優先の価値観を基礎に歪な成長・発展を連ねてきた、人の思考の働き。二人は、人の基本を綴る無有日記に添い、自然界の生命たちと同じように、地球の一部としての生を生きる人間時間の、その心ある原因を成長させていく。

 

4.人の暮らしが、形無き不穏な存在たちの意思の力で、その自覚もなく負荷をかけられ、動きにくさを慢性化させていった、はるか昔。縄文期とされる時代が始まる前の頃、そこに、多くの太陽の心を普通とする人間が居て、その中に、後に道元の生を生きた現代の女性も居る。この時代の望みに応えようとする人たちも、一緒に居る。

 地球全体が、それまでには無かった無生命の重たい空気(粒子)に覆われ、自然界が、じわじわと不自然な感触を持ち始めた頃、この国では、すでに蛇絡みの生を(非生命的に)形にする存在もいて、人は、理由もなく抱えさせられる心身の不自由さを覚えながら、それでも淡々と、自然体で、ありのままの人間時間を生きる。ただそれが消えないまま続くことの危うさを、人はどこかで感じていて、それへのどうにもならなさに、辛い時を重ねていく。

 そのずっと前から、その地球の異変を感じ取っていた、宇宙本来とでも言うべきある次元の存在の意思は、太陽の望みに応えるべく地球自然界の中に入り、そこで生きる心ある普通の人たちの生を、見守り、支える。その時のその手段は、人が普通に備える心の次元深くのその芯のところで、その人の直感や感覚的発想・判断を通して、生命本来の人間経験を支援するというもの。心を持たない非人間的な(蛇系の)存在たちとの不要な融合を退け、事をムリなく変化に乗せるために、その存在の意思は、心ある人たちのその心の動きを活かす。

 ところが、蛇の脳を余裕で支配する程の凶悪な本性を持つ、元々地球には無かった性質の存在(人間)たちは、自分たちには無い自然な感性や感覚を普通とする心の存在を嗅ぎ分け、その人の人生を押さえ付けて、潰す。苦痛を経験させ、感情を弄び、そこで自ずと未消化となるそれらの性質(記憶)を、それまでの人の世には無かった本体(魂)という次元に集め、それを支配する。人の心の芯のところで彼らの本来を支えていた、地球の安心を担うその意思は、そのことで、それを為し得る道を絶たれる。(未来への貴重なメッセージとなる、その時代の事の本質を込めた土器類は、この頃から作られ始まる)

 

5.人の心ある生き方が力で抑え込まれたことで、それへの支援の術を絶たれた(宇宙本来の)生命の意思は、それでも隙を狙って心の奥底から人の感覚を僅かでも刺激し、地球感覚から外れずに生きることを見守り続ける。

 その時、その中の何人もの人が、人の人生(命)が力で支配されない世が訪れた時に呼び醒まされるよう、ある言葉を記憶させられる。それは、その存在の意思と自由に通じていた時の、その道となるもの。自由な発想と自由な生き方が可能となる世で、そうではない時代には不可能だった人間本来のその原因を存分に生きることによって、偶然を装ってふと引き寄せられる、その時。それは、どの時もその生き方を普通としていた、かつて道元の生を経験した存在の内側で、この35章の原因の時に動き出す(形になる)。その時を以て、世が全く病んでなかった遥か昔の、そこでの原因が活動的になる。

 その言葉が、生命源からなるその意思によって人の心に染み込まされた時、後に仏陀の生を経験することになる姿無き彼の意思(意識体)も、同時期にその次元との融合を普通とし、未来への道づくりの役を、心ある人たちと共に担う。いくつもの嘘の時代の嘘の力に押し潰されながらも、芯のところで、そうではない時の原因を確かに(温め)生命としての生を繋いできた、心ある人たち。その無くてもいい経験の終わりの時となるこの今に、一万数千年前の心の風が勢いよく吹き抜ける。仏陀も道元も、仲間たちも皆、地球自然界と共に、大きな安堵の時を、ここに迎える。

(極限の苦しみの際に、無意識にその言葉を発する(発してしまう)人の姿があり、その時のその言葉に強烈な違和感(怖れ、不安)と不思議さを覚えた存在は、完全にそれを押さえ込むために、都合の良い意味をそれに乗せて(重ねて)、その言葉を力無いものにする)

 

6.「仏陀の心」が終わる時、「歴史の芯」は29章。その時一緒に終わったかに見えた「歴史の芯」は、「仏陀の心」と重なるようにして進行していた時期が、余りに大きな質の変化を伴う経験となり、その後始まった30章からは、それまでとは次元の異なるエリアへと、人の心を案内する。そこに在る内容ではなく、その内容が意味する(通そうとする)、かつての原因の姿。そして、そこで砕かれ、浄化され、次なる時へと変化に乗る、新たな原因の姿。「歴史の芯」は、この35章で、ずっとその姿を見せることのなかった心の芯を、元気に甦らせる。「歴史の芯」のその芯が、心の芯になる。

 心には、心ある原因を生み出す芯が在る。その次元は、他の心とも繋がり、生命たちのその普通本来の姿を、無限に包み込む。心は、その人のものであるが、その芯は、全てのもの(太陽の心)である。心ある人は、そのことを普通に、いつの、どの時も、心ある原因を形にする。

 学ぶことは何も無く、ただ心をそのまま形に表現するだけで、自然界が嬉しい、心ある人たちの普通。その心を潰され、その芯の働きを阻止されてきたこれまでであるが、この現代でも、心を学ぶ対象とする(大多数の)人間のその心の無さの力に、不自由を強いられる。そんな中でも、心のままにその芯の繋がりを強め、この今の機会を活かす。それを、この無有日記は可能とする。

 心ある人とだけでなく、自然界やそこで素朴に生きる生命たちとも自然に繋がる、心の芯。それは、永い時を経て、生まれ変わるようにして、心ある人の中で再び息づき始める。さりげなく自然に、そして力強くしなやかに、心ある原因の仕事をし始める。

 

7.人間であれば、どんな人も普通に備える心であるが、蛇絡みの本性の遺伝子を持つ人間には、その心が無い。それゆえ、争いも不健全さも無い世のその原因でいようとする人の心は、憎悪の対象であり、人間とは思えない凶悪な力で、彼らはそれを封じ、潰し切る。そんな彼らが、同質の人間を増やしつつ生み出した、これまでの歴史の中の現実。そこに在る、尽く非理で不自然な様を観れば、その(歴史の)全てが、この地上には無くてもいい嘘であることが分かる。

 その嘘が連鎖的に具体化したこの数千年間は、狡賢い蛇系の悪徳の場と化し、その間のどの出来事を取っても、そこには、人間性のかけらも無い。それが引きずられているために(その負の原因が未消化なために)、重苦しくべとっとした風潮が未だ拭えないままの、蛇の巣穴のようなこの国の雰囲気と、人間の感情。それを浄化し得るその時のために、この国の歴史のその基礎の部分が造られた時よりもずっと前の、そこに何も無かった頃の風景のその原因が、この時代に運ばれる。どんな時でも決して心ある生き方を見失わなかった人の中に在る、かつてのその風景の原因は、この時代に生きる生命たちの、その心の芯の息吹により、ここで活動的になる。

 嘘は、脆い。嘘の原因は、初めから有ってはならないのに(無くてもいいものなのに)、何を勘違いしているのか形になろうとするから、結局は、何の力にもならない。それでも、ひと時、好き放題出来るからと、性懲りもなく嘘を生き、嘘を守ろうとする。それは、脚も無いのに歩こうとする、蛇の悪あがき。土台(原因)から崩れ、繋がる次を無くす。

 

8.自然界と共に生き、地球を大切に、人間本来を生きる。動物たちの生(望み)を侵さず、植物たちの本分(喜び)を忘れず、人としての生を生きる。そのために、心に正直でいる自分を活躍させ、心のままに、想いを形にする。経験を引っ張る思考を働かせず、言葉になろうとする心に思考を使わせ、経験を創る。そして、そのことと相容れないこれまでの歴史(過去)に居続けるもの全てから自由になる。

 そのことは、心ある人にとっては普通のこと。ずっと抑え込まれていた時の記憶がしつこく付きまとうことはあっても、力を取り戻した心の芯に流れを任せ、心のままに生きる。それがどうにも難しい人は、心が無い人。仮(借り)の心で、心ある自分であればどんな姿勢でいるか、自然界が安心するためには何をすべきか、を気負いなく実践する。そして、ずっと本体(本当の自分の姿)が支えてきた嘘の歴史に背を向け、その結果であるこの時代環境に合わせずに、本体を怒らせる。それに仮の心で抵抗し、その経験を通して、その心を自分の心にする。もちろん、無有日記が、全面的にそれをサポートする。

 自然界に生きる他の生命たちと同じように、地球感覚を自然体で生きることは、心ある人にとってはとても簡単なことだが、心を持たない(蛇系の)人間には、それはどうにも出来ず、忌み避けることになる。それでも、人としての在るべき姿を実践する。心ある振りではない心ある自分を生きてみれば、それまで一度も経験が無いために信じ難い、全く別の経験をし得る自分に出会す。

 その時、これまでへの言い訳は一切不要。都合の良い解釈も、自分ペースの反省も、有ってはならない。感度の鈍さも、感性(心)の無さも、それらを理由にしてはならない。奇跡的なことも、ふといつのまにかそうなってしまえば、それは普通のこと。向かわず、求めず、これまでの普通にこだわらず、そこへと歩み出す。普通が次々と重なれば、心があっても無くても、心ある風景だけが連なっていく。

 

9.心ある人に備わる、心。そして、心ある自然な風景全てのその原因を創造し続ける、心の芯。心を持たない人間がそれを普通とすることはあり得ないが、それでも心ある生き方を徹することで、それなりのそのことを可能とする時を創り出す。この地球に入り込んだ異意識体というところでは、それは、奇跡という次元を遥かに超える。

 そこへと進み行くための確かな歩みを支え続ける無有日記は、その時、2つの重要なテーマを形にする。1つは、心ある人のその心の芯(太陽の心)を力強くさせる。もう1つは、心無い人と、その原因となる次元の、闇(暗黒)の芯とでも言うべき(本体の元の)エリアとの接点を処理・浄化する。そこには、この時代に甦ったかの言葉(音)が繋ぐ、太陽も嬉しいある次元の意思の力が協力する。

 かつての争いも病気も無かった時代の、太陽の心を普通としていた素朴な人たち。どんなに抑え込まれても、永遠に消えることのないその普通を、どうにかここに繋ぎ、この時を引き寄せた、その心ある人たち。ほんの少数であっても、太陽はそのことを喜び、地球自然界は、安心してその本来をみなぎらせる。その原因(心)の風景の真ん中には、ここに「仏陀の心」を誕生させた、現代のみんなが居る。

 

10.今の時代環境がそれを可能とする、人として大切なことをあたり前に大切にするという、人間本来の普通の生き方。仏陀と道元が、新たな生としてこの時を選んだ現代、そのことから逃げることは有ってはならない。臆病風を吹かせて逃げ隠れすれば、それは、形(見た目)ばかりで中身の無い、嘘の人間ということになる。真に生きることを避ける程のみじめさは無い。

 いつのまにか身を繕い、体裁と建て前を前面に、無自覚に嘘を生きる自分の姿を感じれば、それをそのままに時を過ごすことはあり得ない。時代の望みが形になった無有日記との間に意識のズレがあるとすれば、その原因を浄化しないまま(放ったまま)人生を送ることは出来ない。そのシンプルな真実への抵抗は、その気もなく蓄積させた、それまでの非人間性の現れ。ここでもまたそこから逃げれば、もはや、その人は人間ではない。自然界を大切に地球感覚の人間を生きるという、この地球に住む一生命としてのその基本的な姿勢(責任)を外したら、地球で生きる資格まで無くすことになる。

 「歴史の芯」との縁を、次なる時への原因とし、「仏陀の心」を、生きる基本とする。そこに在る普通を、自らの普通とし、本来の生を楽しみ、そのことを連繋の原因とする。心ある風景のその原因は、この現代に姿を見せたかの言葉(音)が担う仕事(普通)を通して、ぐんぐんと高まり、その質を進化させる。そして、その影響力(時代の好転反応)は、徐々に地球規模になる。その時のために、人として大切なことを、ただあたり前に大切にする。それが、ずっと先の未来まで一生命としての人間を生きるための、その基本燃料となる。

 

11.ずっと本来の生き方を抑え込まれてきた心ある人たちが、その素朴な普通の力を取り戻すことに、自然界は嬉しい。不調の原因を繰り返し染み込まされ、病んでいることも自覚できない程、それを慢性化させて生きてきたこれまで。病気も争いも無かった時代のその頃の原因が、ここに届き(繋がり)、それらの不調の蓄積は溶けていく。甦った言葉は、この人間世界では決してあり得ないはずのことを、自然界と共に、楽しみながら普通にする。

 心の無さをあたり前に嘘の原因を生きる人間は、その言葉が引き起こす影響力に、為す術を持たない。それゆえに、人の世を病ませながら、巧みにその言葉の力を潰し切り、封じてきた、その存在たちのこれまで。その結果にしか生きられない彼らにとって、そうではない時の訪れは、想定外の更なる外側。人間本来と繋がることのない蛇系の脳は、いくつものすきま風をつくり、そこに流れ込む心の風によって、本性を形に出来ないという、一度も経験の無かった不自由な時を生きることになる。

 今、ここに居て(形無き理由は何であれ)、この時まで継続して無有日記に触れるという、本体が最も嫌悪する本人(身体)のその人間経験は、これまでのどこにも無かった、生き直しの力強い機会となる。心無い世界を生み出す本体の意思との融合を不安定にするその行為は、それ自体が、この地上での次元では奇跡的なこと。

 その言葉の原因となる次元は、この時を支える宇宙本来の、その源である中庸。その次元と融合し得る道元と仏陀の真の普通に見守られ(抱かれ)、厳しいながらも、この上ない喜びの時を経験する。人としての生き直しから、生命としての生まれ変わりの時を創造する。

 その言葉(音)は、この「歴史の芯」の中で形(文字)になる次元のものではないが、心ある風景のその元となる原因を高め、心ある人たちの本来を力強くさせるために、それ関わりのEWは、ここで、自由に時を溶かす程の変化に乗る。その中に居れば、全てが普通。普通だから、かつてのように、病気も争いも無い風景のその原因の中で、みんなで遊び、みんなで生きる。

 心は、自然界の本質であり、地球と太陽の素顔である。人間は、自然界に生き、地球と太陽の一部を生きる生命たちの、その中心的な存在。地球に居れば、人間は、どんな人も心を生き、それが難しければ、それを(その理由となる原因を)外すという心を生きる。そして、心になる。その芯のところで全てと繋がる人の心は、自然界の意思となり、地球と太陽の、その望みとなる。これからの変化の時を、共に楽しむ。by 無有 4/16 2018

 

 ※「歴史の芯」に登場する人物の多くが、人間本来の原因を潜める、心ある普通の人たちである。そうであるから、酷く不穏な形無き異生体の意思に脳を支配され(牛耳られ)、その存在たちに都合よく非人間的な人生を何度も送らされる。

 彼らの生命の意思は、自然界が喜び、地球が安心する、生命本来の普通の望み。彼らの経験は、「歴史の芯」の材料となり、その切なる想いは、そこに在る負の原因を浄化し得る機会を生み出す。次なる時代への責任として、彼らは、かけがえのない仕事を担う。

 歴史を弄ぶ程恐ろしく凶悪で、残酷な意思を普通とする存在のことは、簡単には言葉にはならない。「歴史の芯」に登場し、その役を終えて本来の力を取り戻す心ある人たちの、その姿を見届け、その次元に行く。人としての人生(歴史)を破壊し続ける存在は、歴史のどこにも居ない(残っていない)。

 

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