歴史の芯(5)

歴史芯1

1.命を奪われたくなければ(殺されたくなければ)、言われた通りにしなさい、という不合理で理不尽な口上が、力ある存在たちによってあたり前に通用していた時代、人が人として普通に生きることは限り無く難しく、人生を全うするという自然体の姿も誰も望むことすら出来ない、とても厳しい時を人は過ごしていた。その中でも、若い女の人は余りに過酷な生活を強いられ、人々を支配する側に属する人以外の殆どの女性たちは、女性であるという理由だけで、言葉での描写が実に難しい、想像も出来ない惨たらしい現実を経験させられる。

 それを欲し、満足に浸る存在たちの中に、同じ女性が居たことは、人々の悲惨さが恐ろしく拡大するその強力な原因となる。女性たちの嘆かわしい経験の背後には、妖気を醸し出す程の悪しき同性の妙な振る舞いと、女であることを武器に(その怪しい力で)操られた男たちの、彼女の本能に付き合わされるようにして強めていく、残虐さと冷酷さがある。

 

2.男性は、元来、母親となって子を産み、育てる女性を、温かく見守り、自然な気持ちで大切にする。自分たちには無い、特殊な生殖本能を潜在させる彼女たちの経験に、尊さを感じ、感謝を抱く。女性たちは、安心に包まれ、理由の要らない喜びを、子に伝える。男女は、優しさを普通に、支え合い、愛し合う。

 男性の本分は、闘う(戦う)ことでも、争うことでもなく、生きることの(原因の)成長・進化への積極的参加である。親から伝わる、子供の頃からの柔らかな想いが、そのまま時を経ての子育てへと繋がり、それと同じことを次の子供たちも普通に経験するので、争い事(衝突、差別)の原因が生まれることはない。誰も、その意味も知らず、ありのままに、平和の時を過ごし、生かし合う。男女は、互いの生来の性質を尊重し合い、協力して、調和のある営みの様を分担する。

 

3.男性を生きる一生命として、男女が織りなす風景をさりげなく自然体で支えていた彼らが、女性に対して、それまでは一度も経験の無かった隔たりの感情を思いがけず抱き始めた時、すでにそこでは、不自然で不穏な関係性を男女間に生じさせて、彼らに苦しみの時を経験させようとする存在の意思が活動的になっていて、いつしか、要らないはずの経験の記憶(蓄積)が、人々の暮らしの、そのありのままの原因の力を、徐々に削いでいくことになる。

 蛇のような(蛇も慕う本性を持つ)その存在は、自らの凶悪な本能の欲するまま、恐さに怯え、痛みに苦しむ人の姿をいつまでも維持させるために、繰り返し、女性を生きる。彼女によって、男性たちは変わり、男性たちによって、女性たちの性(宿命)までが変わる。

 

4.不安定な様を見せ始めた人の世は、時代を連ねる中、歴史ビル2階の時に、その歪な男女の在り様を人々の常識の域に収めさせてしまう。男性たちは、知らずうちに仕組まれた、支配し支配される構造の中、何もせずに利する立場に居る存在たちの権力に従い、他を隔てて、外に求め、形(結果)にとらわれ、男性本来の姿を忘れる。女性たちに対しての彼らの態度は、非人間的という言葉で形容される程となり、脳の健全な働きを無くした彼らによって、彼女たちの普通は、人としてのそれではなくなっていく。

 女性たちは、ただひたすら耐える。男性の所有物のように扱われても、自分らしく生きる自由を完全に断たれても、そうであるしかない状況を受け止め、子を残し、生きていけるだけ生きる。子を身籠る度に呼び醒まされる、人間本来の感性(本能)までが潰されても、彼女たちは、男たちの生をもって(生き方に合わせ)、生を繋ぐ。

 

5.人としての、本来のあるべき姿と、そこで育まれるべき原因の大切さに気づいた女性たちの間で、理由も分からずに、子宮や卵巣、股関節や胸などの不調(痛み)が生じている姿のその原因の多くは、大和・飛鳥時代を中心とするかつてのいろいろな時代に、否応無く強いられ、被った、悍しく、惨たらしい心身の経験によるものである。その時の経験(の記憶)は、そこでのその性質を生命体(心の遺伝子)の意思に残し、時を経ても、癒されることもなくそのままであったが、限りなく中庸(全体)でいる世界に包まれるこの今、それらは(その原因は)、息を吹き返すようにして動き出し、段階的に浄化されている。

 それまでであれば決してあり得ない不本意な経験が、次なる現実の原因となって、次々と辛く苦しい経験を生み出していく時、その延長上に居れば、その土台となる最初の(頃の)経験の原因は、いつまでもそのままで、そうではない性質(次元)の原因に触れ得るまで、不本意な現実は蓄積していくだけである。現代は、永いこと微動だにしなかった負の連鎖が途絶え、その重苦しい経験の土台が、内側から崩れ、浄化される、生命にとっての重要な変化の時と言える。

 

6.人としての生きる自由が守られていれば、様々な厳しい状況でも、協力し合い、助け合って、共に過ごしていくことが出来るが、そうではなく、生きることが辛くなる程のことを身に経験させられると、そのどうにも出来なくなる状況の中、人は、自分(命)を大切にする気持ちも失くしてしまう。権力を持つ存在の意向で、都合良く簡単に罪が作られ、心ある感性を普通とするたくさんの人たちが、毎日のように傷つき、人生を絶たれていた世。そこで女性たちに与えられる罪無き罪による罰は、酷い。それは、人として有ってはならない非人間的なこと。人間本来の意思を備える普通の人ほど、その対象となり、心を潰される。

 生命への尊厳も、人としての配慮も無いそこでは、暴力と蹂躙が容赦なく為され、執拗で残忍に行われる酷い仕打ちによって、女性たちは、死の淵をさまよう。苦痛に悶え、寒さと孤独に震え、時に獰猛な蛇や烏との絡みを持たされて、その恐怖と痛みで、精神は壊される。彼女たちは、女性であるからこそ担える生命の役割(働き)までをも潰され、癒えない傷を背負い、悲痛な時を過ごす。

 

7.その恐ろしく未熟で野蛮なことが、歴史ビル2階の真ん中あたりで密度濃く行われていたことは、男尊女卑をしつこく潜在させるこの国の人間の、その精神性の薄さを生み出す元となっている。それは、神道という、差別と迫害を良しとするその危うい路線を固めた、そこでの女性の性に対する非道な意識付けからも、容易に頷けるもの。

 その世界に、病み世の重石のようにして存在し続ける、聖徳太子。奈良以降の、獣のような本性の権力者は、彼の冷血で非情な原因(遺伝子)を繋ぎ、素朴で、自らに正直でいる人たちをいたぶり、命を奪う。心優しい女性たちは、すがる人を殺され、純粋な男性たちは、大切な伴侶を守れずに苦しむ。

 悪質で、冷酷な、力ある男たちの側では、心を持たない形(身体)ばかりの女たちが、人々の惨状とは対極の世界を、その凶悪さを同調させつつ、愉しむ。彼らの元で、蛇も神となり、人の世は、神社という薄気味悪い空間の中に閉じ込められてしまう。

 

8.神道は、自然界の活き活きとした営みを嫌う。生命の躍動とそのリズムを遠ざけ、太陽を遮り、海からも離れる。そのために作り上げられた嘘の神々は、その非人間的な考え方に反発する人の意思(命)を潰すために使われ、神社は、その恐ろしく惨い出来事の舞台となる。

 

 嘘の神々を後ろ盾とする低次・低俗な政は、権勢欲の強い非道な人間を次々と生み出し、鳥居の内側に、彼らの思い通りになる世のその最も凶悪な材料としての、形式と体面だけが重視される、絶対的正義と神の意思を作り上げる。素朴で純粋な想いも、素直で正直な感覚もそこでは罪となり、その狡猾で残酷な蛇系の価値観と融合できずに異端扱いされる人たちは、手(腕)脚を折られ、縛られ、吊るされて、苦しみの中で命を絶たれる。

 感じたままを言葉にし、湧き上がる想いのままに行動する自然体の生き方から、驚く程かけ離れてしまっているこの国の人間は、その意識もなく本音を抑え(本性を隠し)、身を繕い、体裁を整えることに力を注ぐという、嘘の人生を平気で生きている。その嘘のルーツを遡ると、そこには鳥居と社があり、神主(神官)や巫女、太子や天皇と呼ばれる存在もいる。そして、虐げられ、命を奪われた、罪無き大勢の人たちがいる。

 現在でも尚、心ある想いを普通とする人たちは、神社の姿とその本質を通して、生きる力を無くしている。特に、自然界が喜ぶ原因を生きる女性たちは、そこに在る負の原因に反応し、理由の分からない怖れと不安に苛まされる。

 歴史の芯は、人としての真をここに繋いだ彼らと、共に未来の確かな原因でい続ける人たちのためにある。そこからでしか始まれないものがある。LED化の原因深くに居座るその場所を通らずして、未来のために為し得ることは何も無い。みんなで、本来の元気を普通にする(取り戻す)。過去が癒され、未来が喜ぶ原因で、次の時代に、安心を繋ぐ。by 無有 5/10 2017

 

 

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