歴史の芯(8)

歴史の芯1

1.この時代の、この今の社会環境全般における、人間本来から外れた不自然な風景。正しさが結果から始まり、喜びが形から生まれるその歪な原因の具現化される様は、そのどれもが、連繋の意思を持たない、流れない負のかたまり。人は、考えることの何かに思考を使えても、考えるまでもなく自由に動き続ける心の世界に、思考を付き合わせることを知らない。そのために、価値観は、ある経験枠内の中でのみのものとなり、その気もなく先入観や固定観念を強め、隔たりや優越といった人間味の無い感情を普通としてしまう。そして、それらのこととは無縁であるかのように、人は本音(本心)と建て前(体裁)を使い分け、自らに嘘をつき、嘘を生きることを覚える。

 

2.そんな世で、素朴さを失わずに心ある想いをさりげなく表現する自然体の姿を維持するためにはどうするか…となるが、それは簡単である。ただ、これまでの全てから自由になり、そのことで感じ得るひとつひとつを大切にする。経験や記憶から自由でいることや、思考を自由にさせることも、普通に、生きる基本とする。それだけでも、それまでとは質の異なる原因は活動的になり、素朴さも心ある想いも、何ともぶつからずに(何にもジャマされずに)、そのままとなる。人々の記憶の中に在る固定された知識(観念)や形式の世界を、そうであろうと意識するまでもなく遠くに置くことは、自らに正直でいる自分を淡々と生きる上での、大切な燃料となる。

 

3.そうであるための基本材料となるものをひとつここに挙げてみれば、この国の誰もがなぜそうであるかも分からずあたり前のようにして嫌悪するものを身近に感じてみるというのがある。

 神道絡みの価値観に汚染され、神社関わりの風習の中に埋もれてしまったこの世の社会的事実の背景には、その世界の都合を前面に、その気もなくそうであると思い込まされ、馴染ませてしまったいくつものことがあり、誰もそのことを疑うこともなく、正しさや善として、それらを常識の域に収めてしまってきている内実がある。

 そんな中で、人々の生活空間から嫌なものとして遠ざけられているもの、意識を向けることさえはばかられているものの、その存在意義を、さらりと受け入れてみる。頭の中に在るものが、他の誰の頭の中にも無いものである時、それだけで、人は経験から自由になれ、不必要な融合からも離れることになる。

 

4.その際、思考の域に上げて、自らのそれへの反応と、その後の様子を観察してみたいその材料として、蛇が苦手とする(どうにも対処し難い)生きものが在る。自分たちと同質の感情を秘める人間を、今日に至り巧妙に生み出してきている、蛇絡みの神道と神社関わりの存在たち。その影響で、人は、彼らが苦手とするものを忌み嫌う習慣を常とし、彼らにとって好都合となるものを、生活に溶け込ませていく。

 ふと感じるままに、この国の人々が異常な程に嫌い、遠ざけようとする生きものを思ってみると、それだけで、何かが動き出す。なぜなら、人が共通して抱く嫌悪感の背景には、そうであることで安心する蛇系の存在たちが居て、その影響下で、その気もなくあたり前としてしまっている本来はそうではなくてもいい風景が、そのことでその歪な普通から外れるわけである。病気も争い事も、それまでとは違う原因が、そこで動く。

 

5.蛇と同質の脳を持つ蛇そのものの存在たちは、自らの本性のままに、神社という形を作り、人々は、そこでの嘘の神々を後ろ盾とする彼らの凶悪な力によって、蛇を崇めるという、その非人間的な行為にも違和感を覚えられない程、思考は自由を失くす。そして、殆どの人が、その蛇の世界(の不穏な原因)に汚染され、蛇化する。

 心ある柔らかな人が不調を慢性化させたり、心身が思うようにならない状態を経験したりするその原因には、神社(の原因)との融合を密とする、残忍さを秘める存在たちがいて、彼らのその無意識の意思によって、すでに大小強弱様々に蛇の影響を染み込ませられてしまっている人たちの脳が、簡単に病まされ、要らない経験を強いられていると思ってよい。蛇や神社が嫌う、太陽や青空、海を身近に感じることは、心身が本来に戻る、大切な機会となる。

 

6.神社(鳥居)の存在や神道の教えを通して、殆ど全ての人が、蛇の世界(動きの無い、重く、不健全な原因)との繋がりを密に、その性質を自らに染み込ませてしまっていることを考えれば、蛇(神社)が嫌うことを招き入れるだけでも、人間社会で起きる病気や争いなどの問題事の原因から離れられることを理解する。そして、その実践を通して、どこに居ても、自然体で、ムリなくありのままでいられる自分の姿と出会うことになる。

 それは、病まなくてもいい経験(人生)の、本来の普通への通り道である。ずっと自分の中に在った病まされてしまう材料が、それまでのようには使われなくなり、本来が力を付けていく。誰もがみんな嫌う(避けようとする)生きものは、病みの原因である蛇と神社が何より嫌うものであるから、それへの抵抗と拒否を、解放してみる。

 

7.聖徳太子の妹であった存在は、蛇系の人間を上手く使い、世を病ませ続けることだけのために生きる。蛇使いのような彼女は、神社が在ることを病み化の土台に、どんな風にでも、その影響を受けた人の脳を操る。蛇(神道)の世界との関わりが自らの中に在るだけで、心ある人は皆、生きる自由を無くす。

 神道の原因深くで恐ろしく獰猛な力を発揮する彼女の本性は、蛇の脳と同質の、心を持たない存在たちを手下のように扱い、人の世を蛇化させ、好き放題負の連鎖を固めていく。しかし、歴史の芯は、その全ての終わりの始まりである。

 

8.彼女の本体となる、限り無く意味不明な、無生命とも言える闇そのものの存在と立ち向かうことは、その全てが人間の経験の世界には無いので、どこまでも難しい。と言ってる場合ではないので、まずは、彼女の無意識の意思表現によって具現化し得る全ての現象の、その礎となる部分を崩す。そのために、蛇が嫌うものと遊ぶ。そして、地球を元気にし、その本体が生きにくくなる時を促しつつ、自家中毒のような状態を経験させる。その時の基本要素は、理由の要らないハッピー感と、何の裏返しでもない平和と健康。それらは、日々力強く、大きくなっている。

 この世に、争いも病気も無くてもいい。これまでがそうであったとしても、これからもそうであることはない。ここに、G-Boyを招き入れ、彼らが認める作物を、心の風景に馴染ませる。傷を負った仲間(海、天体etc.)も元気にし、太陽を安心させる。ここから、これからが始まる。by 無有 6/30 2017

 

 

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