思考の素顔(1)

 

1.人間世界における、本来そこには無くてもよい様々な問題事。それをどうにかしようとする意識は、当然の姿勢であるが、そのためだけの時間がそこで費やされれば、それは、問題事が問題事として在り続けられる、その原因にもなってしまう。

 どんな事にも、そうであるその原因は在り、そこに形としての結果が在っても、それは、それまでの原因の積み重ねられた、次への原因の姿である。自然な感覚としてそのことが大切にされれば、問題事は、それ自体が、存在意義を失くそうとする流れをつくり出す。

 

2.難しいことは何ひとつ無い、原因という世界。話すことにも、動くことにも、そうであろうとするその手前の状態がそこには在り、その原因が、言葉となり、行為となる。そのままその原因が形(言動)に反映されれば、それはその人のもので、そうでなければ、その人のものではない形がそこには在る。

 言葉や行為として表される世界は、その形による理解からは共通のものとなるが、そこに在る、その形無き原因の性質からだと、そうではなくなる。同じ言葉や行為でも、繋がる場所を違える、その手前の状態。それへの感覚的理解は、物事のその原因の大切さをあたり前に、形になる自らのそれを、そのまま、ありのままとする。

 

3.そうであると、ある問題がそこに在る時に、それを処理しようとするよりも、その原因に触れることから始まる対処が普通となり、病気や争い事も、その後への影響力を失くす。負の土台が崩れるようにして、それらの中のその固められた原因は浄化され、その質を変えていく。

 原因からの変化は、事の手前への責任であるゆえ、問題事という世界とも縁遠くなる。その原因の性質が正直に形になるだけの、人としての思考と経験。偽善や欺瞞という世界は、そこには存在し得ない。

 

4.形ある表現のその元となる、自らの存在そのものの原因。それがそのまま言葉になるから、人は、それを通して、そこに在る想いに触れ、それが行為になるから、その人となりを、そこから感じ取る。そして、事の手前から分かり合える関係性を普通に、自由に言葉を交わし、行動を共にする。

 その在り様は、一生命としての生を生きる人間にとっての、その自然な姿。言葉の無かった時代に育まれたその原因は、健康と安心の基礎となってここに在り、心ある風景をそれは支える。何も無くても通じ合えるから、互いにとっての行為があり、その共有とそこでの融合を確かにするために、言葉が、そこに参加する。

 

5.この地球環境での、そこでの人間が抱える、様々な問題事。その理由は、言葉や行為のその手前の原因が、それらと切り離されてしまったことによる。原因の性質がそのまま次なる原因として言葉(行為)になれば、問題事は居場所を持ち得ない。原因の変化・成長が脇に置かれたために、そこでは、言葉だけで済ます、形ばかりの理解が事を動かし、時空は、人間本来のそれではなくなって行く。

 原因が外された言動は、事の手前への責任感覚を失くし、形式や結果のみでの繋がりを良しとする歪な風景を生み出す。それは、その形式に人を従わせ、その結果に人を付き合わせるという、形あるものだけが価値となる社会の材料となり、そのための不穏や不確かまでが、そこでは利用される。問題事は、そこに居着き、原因の無い結果を、それは力に変える。

 

6.問題事が当然のことのようにして扱われてしまう程、大きく本来からかけ離れた、この人間社会。そうであるその理由についてはすでに書いたが、その理由が力を手にしてしまっている更なるその理由となると、それは、人間の常識を遥かに超えた現実と向き合わざるを得なくなる。

 それでも、それが可能となれば、変化の次元はこれまでの比では無い。そこへと行き、その原因となる実に触れる。それによって、「再生」の風景も癒される。「太陽と地球と無有日記」と「Virus 2020」が、この時の訪れを見守る。

 

7.現代の地球空間で、日々生を営む人間。その世界に在る問題事は、それがどんなでも、それは、人間経験のその元となる次元が非生命的に歪められてしまったことによる。そして、その理由となる世界へとその原因を遡って行くと、そこには、各地で人口が増え出すその手前の段階からすでにその性質が固められていて、そうであるから、ずっと永い間、争いと衝突の歴史が繰り返されてきたということを知る。

 500年程前から人間が住み出したある場所のそこでの問題事は、1000年も前から多くの人が住んでいた別な場所の当時からのそれと、質は変わらない。1500年前も、2000年前も、そこでは、移動した人間がそこで数を増やすだけでなく、問題事も一緒に移動し、広がって行く。

 問題事の原因は、昔も今も変わらずに人間の中に在って、それぞれの場所でのそれは、その見た目や印象は違っても、本質は同じである。人は、生の原因の成長の無いままに、延々と問題事と一緒の、形ばかりの生を繋ぎ続けている。

 

8.そして、なぜそうであるかのその原因へと、更に入って行く。それは、必然的に、人間の増加はこの地球のどこから始まったか、という次元に焦点を置くことになる。その始まりの時から、問題事の原因はそこに在って、人間社会の中で、それは絶えず息づいている。

 その始まりは、改めて「太陽と地球と無有日記」でも触れた、この地である。数万年前、それまでの人間は、完全に潰し切られ、そこから、夜行性の人間版のような存在が、新たな人間の世を作り始める。その頃の人間社会というのは、この地だけで、他のどこにもそれは無い。後に大陸へと移動したことから、いろいろな場所で、人間は増えることになる。

 

9.そのことは、この地に変わらずに在り続ける、ある価値観のその揺るぎない負の力の中に、世の全ての問題事のその原因が染み込んでいることを伝える。多次元的に影響を及ぼし続けるそれは、この今の、生命世界におけるその必要性の高まりによって、そのままでは居られない時を経験することになる。

 その裏返しの対象を意識することのない、理由の要らない健康と平和。それを基に、これまでの歴史を観る時、世界は、この地の再生版のようにして、病みを重ね、争いを繰り返す。病気も隔たりも無い本来の普通への感触も、この地ほど、そこからはかけ離れている。何もかもが不自然で不健全でありながら、そうとは分からせない力が、人の心身を縛り、動かなさのその重石でい続ける。

 

10.太陽の光を遮るようにして、生の基本形を非生命的に育み、成長させ得た、その本質を夜行性動物のそれと融合させる人間。その始まりの時から1000年程の後、彼らの一部は、大陸へと渡り、数を増やしつつ、西へ南へと、水の流れる場所を中心に広がりを見せる。

 今からおよそ24000年前には、現在のイギリスの地に、人間は住み始める。海に囲まれた地形ならではのそこでの独特の歴史は、この地と同次の意識と環境を生み出し、人は、支配と従属の関係を密にする。夜行性色も、そこでは色濃くなる。

 アメリカ大陸に人間が渡ったのは、およそ19000年前。それは、原初の時から1万年程過ぎてからのことである。永い時をかけての移動とそこでの(集団による)人間生活、そしてそこに在る自然環境。それぞれの場所に生きる人間は、様々な個性ある生の要素を元に、現代に繋がる歴史を刻む。

(発掘されたものから、数十万年前の生活が想像できるのも、それが、この地での数百万年前からの人間をその原型とするから。)

 

11.形ある人生という観点では、世界のどの地域に住んでいても、その性質は、人間一般のそれとして変わりはない。ところが、その人生を生み出す生の原因となると、地域ごとにそれは異なり、地形や環境によっても、その質は変わる。人生の土台のようにして在る、その個性ある原因。その違いを生み出す重要な要素として在るのが、夜行性色である。

 言うまでもなく、その始まりとなるこの地は、それがどこよりも強く、濃い。初期に移動したところや、同質の地形である地域もそうで、時の経過とともに外へと広がりを見せる中で、次第にそれは薄くなっていく。

 取り巻く環境や人間社会の性質まで簡単に自分たち仕様のそれにしてしまう、夜行性のその意思の力。それは、形無きところで、形ある世界に影響を及ぼし続け、人の世の、その生の原因を、そうとは分からせずに支配する。

 

12.人間時間を、1つの生の連なりとして捉え、この数万年の時を、1人の人間の人生に例える。

 それまでの時が完全に切り離された後に生まれた、彼の幼少期は、この地での数千年間。後に大陸へと移動し、各地へと足を運びつつ、彼の生は成長を続ける。そして、この現代、それは、ここに至る3千年間程を含めての、壮年期真っ只中の時となる。

 外へと動き出したことから始まったその後の展開を思うと、その全ては、この地での経験がその基となっていることを知る。幼少期に培った、この数万年という人生の、その基本形。そのことは、この地でのその原因の修正・浄化無しには、何も変わらない(変えられない)ことを伝える。世の問題事が問題事として在り続けられる理由も、ここに在る。

 

13.人間が集団活動を始めたことの、その年数が他のどこよりも長い、その始まりのこの地。夜行性をその本質とするゆえ、そこでは、争いと衝突が普通に在り、それによる力関係を基に、事は動く。その始まりから、暴力と攻撃が生の手段に組み込まれ、支配と抑圧のその原型のようなものが、そこで形づくられる。

 大陸へと移動しても、当然その本質は同じで、この地の複製版のようにして、その非人間性は、広がりを具体化させる。力も要らずに支配を強固に出来る、その狡猾な思考(上下関係)も巧みに活かされ、本来無くてもいい経験が普通となる歪な世が、次から次へと展開される。

 その下地となる負の原因が潜む、この地の歴史。そこでは、いつの時も、初めての人間経験を元にその非生命的生(の原因)を繰り返す、原初からの存在たちが居る。それが、全ての時代をひとつとした時の、その幼少期に染み込んだ、生み(作り)出される問題事のその原因であり、今も尚そうであり続ける、ここに至る世界の病みの原点である。

 

14.思考を操るというよりは、自分たちの所有物として、好き勝手に思考を扱う、最初に(夜行性人間の)姿を手にした存在の、その形無き本性の力。それは、言われるままに生きるのを基本とする人間を増やし、その脳を自在に動かす(弄ぶ)。

 人々は、その存在に従うこと以外の生を知らず(選択肢を持たず)、そうであるそのことを何より重要とする思考のみを働かせて、人生を生きる。彼らにとっては、それは生きがいとなり、その操り手は、何もせずに世を思い通りにする。

 それは、3万年程も続き、今尚、その原因の力は健在である。そこに在る、酷く獰猛で、凶悪な本性。その存在主導で作られる、これまでの争い事や厳しい現実(命の奪い合い、刑、迫害etc.)も、彼らの一部として身体を動かす人間たちにとっては、真実で神聖なもの。人は、永いこと、そうとも分からずに、蛇や猫(コウモリ、ムカデ)のような生を生きる。by 無有 5/15 2020

 

 

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