思考の素顔(2)

 

15.この地から広がり、増えて行った、世界の人口。それは、非地球的な夜行性の伝わりを意味し、人間本来からかけ離れたその性質が、それぞれの環境によって形を変えたものと言える。時の流れと、人の動きを見れば、世の問題事の大元が、この地に在ることは容易に理解できる。

 この数万年間における人間世界(人類)の、その幼少期に焦点を当てる。但し、思考ではそれは触れ得ないものであるゆえ、これまでの感覚的理解と、理由の要らない体験的知識を基に、多次元的原因のみの動き(働き)でその次元を浄化していく。ふと気づけば…の変化でOKとする。

 その数千年の間に、病みの基盤となる(人々の)直線的思考を確固たるものにした、その存在たち。彼らが大切にしてきたものを処理することで、人間社会は、初めて、人としてのそれとして動き出すことになる。問題事の無い時代の、その確かな原因となる時を創り出す。

 

16.人間は、思考を、自分のものとして自由に使ってはいない。それは、覚えたことや教えられて知ることからでしか始まらない(現代の)頭の働きを思えば、自ずと分かると思う。初めから、教えられることは決まっていて、新たに知り、覚えることも皆、それまでのものと同質・同次である。つまり、そうであるその事実を通して、問題事の原因は絶えず力を持ち得ているということ。そこに人としての正しさが在れば、問題事が生じる理由も無くなる。

 そのことを感得すれば、教育の本質が把握でき、社会や経済、宗教の中身もよく見えてくる。それらは皆、そうであることで守られ、維持される歴史的負の連鎖の、その現代版である。その存在たちは、その中に、見えないように姿を隠し、その全てが自分たち中心となるような世の、その問題事の原因でい続ける。

 

17.思考が、すでに作られ、操られているものであるゆえ、思考で捉え得る世界に、世の問題事のその元となる原因は無い。心ある人は、感じるままに思考を活かそうとすると、その元を力無くさせられて(潰されて)思考型となり、心無い人は、思考を支配されることで、操り手の意向をそのままに生きる。それぐらい、思考は、その存在たちによって、病みの道具化する。直線的で、二者択一的な思考も、それだけでそれは、夜行性(動物)の原因を通す。

 そのことへの感覚的理解を、力に変える。それ程までに思考を支配されてきているわけだから、改めて、ここに至る経験と知識の中で、ずっと思考の対象にならないでいた存在や現実(事柄)に意識を向ける。そして、そこで勝手に動く思考を観察すれば、それだけで、それは大切な経験となる。

 何も分からずとも、それで刺激される場所は在り、何の感触が無くても、脳はそれまでとは違う。これまでのような思考は使わず、これまで思考の外側だった世界に、新たな思考を使う。それは、人間世界の幼少期に触れる。

 

18.その存在の形無き意思へのEWは、その質を変えつつ進化し、彼らの卵からふ化したかのような同質の人間たちが、その不安定感(焦り、怯え)を強める程の変化を、それは創り出す。

 形ある世界に、いとも簡単に負の影響を及ぼし続ける、夜行性の原点となる、その原因。そうである以上、それも、周期表を遥かに超えた、ある次元の物質である。そのEWは無有日記に任せ、全く新しいところに思考を使いつつ、その存在の影響下に在るこれまでの思考を、力無くさせる。共に回り出せば、未来が嬉しい面白い現実が引き寄せられる。

 問題事の原因には、ふといつのまにかその深くに触れていて、その意識もなく、自らの思考は変わる。そのための大切な時間は、「そういうものだから(どうにもならないものだから)…」のその原因の中に、ムリなく入って行く自分。教えられたことも、伝え聞いたことも、全てその次元と繋がっていて、社会全体が、それに歪に(邪に)下支えされる。

 疑問に持つことも、不自然(不思議)に思うことも出来ずにいた、というのは、それだけの負の力が、ずっと永いこと人々の思考を支配して来ているということを伝える。余裕で、遊び感覚でそこに触れる時、それ自体が、生命としてのEWとなる。その原因は、どこまでも深く作用し、その影響力は、これまでの(世界での)あらゆる問題事のその大元となる原因を動かす。

 

19.問題事の本質を、経験から自由でいる中で新たに感じ取れたら、望むべく生命としての変化の、その原因を形にする。人類の病みのその土台となる、この地での、かつての時間。そこが確実に揺れ動かざるを得なくなる時を、自らの生と重ねる。

 数万年前も、この今も、人の生きる場所は同じで、この列島内で、人は生を繋ぎ、時を連ねる。そこには、形無き病みの原因も一緒に連ねられ、人の思考や価値観に乗って、それは、人間社会の在り様を支える。

 その原因が処理されやすくなるには、より滑らかにそれへのEWの質を成長させる必要があり、ここでの体験的知識が人間本来のそれとしてムリなく変化に乗ることが、そのためには大切となる。原因のところでは、当時と繋がったままの、ここに在る風習や形式。それらとの関わりの質を見つめ、世の問題事のその中身を処理していく。

 

20.腐敗型の動物との関わりは、変化の無い重たい思考の燃料となって、その自覚も無く、苦しみや悲しみの現実を作り出す。この地の歴史に密に関わるそれは、人々の意識を停滞型のそれにし、世界中の人々も、その影響を受ける。

 蛇やカラス、猫やキツネなどが関わる全ての風習(宗教、価値観)から自由になる。すでにあたり前にそうであるか、直ぐにでもそうになれるか、どうにも難しさがあるか…。それは、そのまま、問題事の(自らの)原因の、その度数である。

 考えずに力に従うことを喜びとする人は、力に頼り、力に守られ、非人間性を地で行く。そんな人間の増加を可能としたのは、もちろん、この地の、原初からの存在たち。神話の類は、それを支え、差別とあきらめを、人々の生に染み込ませる。

 考えずに従うことを喜びとする人間に支えられ、守られる存在を、思考から外す。それは、世界中に在る不公正と不平等の礎であるゆえ、それをそのままに行こうとすれば、その人は、数万年分の病みの担い手ということになる。

 

21.そして、この地に在り続ける、固定された色の概念を無くす。数万年前までは、色から始まる動きは心身のどこにも無く、人は皆、光の反射を感じるだけで、争いも病気も無く自然体で生きていた。

 色への反応は、太陽の光を避ける夜行性人間のために作られた、(細胞レベルでの)嘘の道具。理由の要らない安心と平和を普通とする時、人の色への感覚は変わり、反射する(色の)光から、心と感性は動き出す。「生命本来」を基礎とし、改めて自由に色と遊び、光の次元を本来とする。

 人間は、色ではなく、光で動く。昼行性動物も、それは同じ。しかし、太陽の光を不要とする夜行性は、生命本来のそれを違和感として捉え、太陽と共に生きる人間を支配しようと、色を利用した(重んじる)動きに出る。心ある原因が普通にならないことのその理由となって、それは在る。

 色への意味づけや、色による位置づけ。昔から在るこの地でのそれらは、世界へとその負の原因を繋ぎ、人々の自由な心と生き方を抑え込む。光に反射する、その粒子からの色(原因)の性質に、敏感になる。

 

22.問題事の原因をただ知るだけでは、自らもその問題事の原因でいることを意味する。思考を働かせて考えていては、思考を操る世界に付き合うだけとなる。

 外すべきものを外し、通るべきところを通る。何の力も要らず、ふと何気にそうである原因を力にする。向かう場所は無い。求めるものも、どこにも無い。ただ普通に、未来地球が嬉しい自分でいる。

 世界の人口のその出発点となる、この地。人々の健康と平和は、この場所のこれまで(の原因)が浄化されるべく、その未来への原因が担い、それによる現実の変化が、確実に時を癒す。中でも、支配と抑圧のためのその形無き武器として常に歴史に関わってきた(人を分ける)制度は、人の生の原因への染み込みも深く、世界へと、それは影響し続ける。

 そのことは、この地が、世界中の苦しみの出発点であるということを意味するゆえ、形ある歴史全てから自由になり、そこに在る、形無き原因が繋がる場所を無くさせる。

 

23.今在る人間世界の、その大元となるこの場所で、原初の時からの非生命色をそのままに、世の人々の本質を支配する存在たち。人は皆、その実を維持・安定させるために生き(生かされ)、それ以外の生き方は、限り無く思考には触れない。何をしても、しなくても、その全ての原因は、その存在のものであり、彼らの思い通りの時空で、夜行性の本能のままに、欲を貪り、個の満足を愉しむ。そのための非人間的な(醜い)争いと隔たりを生の力に、嘘の人間のコピーを、コピーらしく生きる。

 原因の変化の無さは、そのコピー濃度ゆえの、重く、動き(回転)の無い、非人間性。見た目や体裁に力を入れるのも、支配される中で自由に表現できる、他を支配する道具。当然それは、この世界では、この地がどこよりも深く、その原因は薄まらずにい続ける。そのための狡猾さと凶悪さを巧く形に、夜行性らしく、人間の振りを磨く。

 

24.世の問題事がそのままではいられなくなる原因は、力強く回転し、多次元的にそれは仕事をする。それは、自らもその原因の一部として一緒に回転する人を中心に、この現象世界にもきめ細かく波及し、確かな広がりを見せる。この時を待っていた生命たちが、その回転の中に入る。

 人の世に、力関係からなる中心は要らず、そうであるから回り出すみんなの回転が、全てをひとつに、中心となる。そこに在るのは、生の原因の変化と成長。その変化が動かなくなることで生まれるのが問題事だから、当然そこには、問題事は無い。力によって存在感を手にした中心というのは、それ自体が、有ってはならない問題事と言える。

 そんな経験を持ち得ない、人間。初めから力によって生み出された彼らは、力ある中心が在ることで存在し得、それを自分たちの力で支えるから、人間で居られる。人間本来という、一生命としての人の世に照らす時、ここに至る(数万年間の)歴史は、全て、無くても良かったものであるということが分かる。

 

25.この地に生きる人々の、これまでの歴史に支えられた、その価値概念からなる力の中心。それは、思考のみで生きる人間の支え台であり、それによって、嘘の人生は形となる。人は皆、その中心の意のままに、どんな風にでも動かされ、都合よく利用される。生きる意味や働く意義においても、疑問の余地の無い(形ばかりの)本当で、嘘を真実とする。

 人間を自分たちのために増やした中心は、その意識を操りつつ、数の力による争いや衝突へと、人を向かわせる。そうであるよう仕向けられた人間は、それが唯一の生きる道であると信じて疑わずに、作りものの時をけんめいに過ごす。

 人は、何かに向かわされていながら、そうとは分からずに熱心にそれに向かい、あることを求めさせられていても、自分の意思でそうだと思いつつ、それを求める。その全てが、中心(の存在たち)の意図である。

 

26.その嘘が全く通用しない無有日記の在る時、世の問題事の大元となるこの地でのその中心は、次第に誤作動状態になる(すでにそうだが…)。問題事が問題事で在り続けられるその原因も、それまでと同じ力を持ち得ずに、向かえる場所を無くす。本来の普通は、その質を進化させつつ、嘘を浄化する。

 この地球における、この数万年間という、生命本来が大きく切り離された人間時間。その背景に、夜行性動物の存在と、1/13の電子を取り込まされた経験(400万年程前)が在ることを考えれば、この今は、未始・未終の中に居る人間経験ということになる。何も始まってはいず、何も終わってはいない、一生命としての、その在るべき人間の姿。

 それがただ始まり、そうではなかったそれ(それまで)が、ただ終わるというだけ。「太陽と地球と無有日記」に背を押されるようにして飛び出した「思考の素顔」は、いつしか、先になって、彼らを引っ張り始める。by 無有 5/30 2020

 

 

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