父・金久正著「増補・奄美に生きる日本古代文化」(1978年・至言社刊)より、第4章「「はら」(腹)と「はるち」(腹内)」を6回に分けて全文収録です。(ルビ文字は( )の中に、ルビ強調は下線で示しました。また文脈上あきらかな校正ミスと思われるところは文意を整えて示しました。)
 次に、もう今日の世代の人々には使用されないが、明治時代までは、盛んに使用された族称語を列記してみよう。
 ヤクメ(年長の兄)―アセ(吾背)またはアエ(吾兄)(年長の姉)
 ヤンメ(ヤクメのなまり)―右同
 メ(ヤンメの上略)―右同
 ヤクメッグヮ(年少の兄)―アゴ(吾子)(年少の姉)
 ヤンメッグヮ―アゴッグヮ(アゴに同じ)
 ヲヂ(伯父)―バッケ((伯母)
 ヲヂ(伯父)―ケ(?kë)(バッケの上略)
 ヲヂ(伯父)―ケンマ(ケアンマのなまり)右に同
 ヲヂッグヮ(叔父)―ケッグヮ(叔母)
 男女に対する族称は、しばしば混同されるが、ここの「あせ」、「あえ」などはその一例である。親関係を表わす女性に対する族称には、「ハ」や「バ」がよく用いられる。徳之島のハンシャレ(祖母)、八重山のハネ(母)、喜界島のバ(母)などがその一例である。バッケの「バ」も母を意味する語であることは明らかである。すなわちヲバ(小母)のバである。
 次に、
 フッシュ(おぢいさん)―ハンニ(おばあさん)
 ヲヂ(をぢさん)―アセ(をばさん)
 ヲヂ(をぢさん)―ケ(バッケ)(をばさん)
 ヤクメ(兄さん)―アセ(姉さん)
 ヤンメ(兄貴)―アゴ(姉御)
 などの対をなしている族称は、漸次、意味が広くなると、同一部落内の一般年長者に対する敬称の接尾辞として、その名前につけて用いられる。
 自分に年齢の近い人には、男の場合は、ヤクメ、ヤンメ、女の場合は、アセ、アゴ、アゴッグヮが用いられる。
 自分の父母に年齢の近い人には、それぞれ、ヲヂ、ケ(バッケ)がつけられ、自分の祖父母に年齢の近い人々には、それぞれフッシュ、ハンニがつけられる。
 ヤクメおよびその転音のヤンメは、これが敬称の接尾辞となる時は、ヤクメの方が、ヤンメよりも敬意がこもっている。これは、「さま」(様)と「さん」(様)の場合と似ている。奥さんと呼ぶときよりも、奥さまと呼ぶときの方が、呼ぶ人の敬意がよけいに、こもっているように思われる。
 バッケと、その略音語のケの場合は、バッケは、「ヰンガバッケ」(男ばっちょ)などの表現にみられるように一面その意味が脱落し、一般に「ケ」の方が、よけいに用いられるようになっている。
 「アセ」と「アゴ」の場合は、アセは意味が上昇し、部落のいわば、上流の婦人に適用され、「アゴ」は、そう重きをなさないと思われる婦人に適用される。
 族称としてのヤクメ(ヤンメ)が、やがてアニョ(兄)にとって替わられ、「アセ」、「アゴ」がアネ(姉)にとって替わられるにつれて、一般人への敬称としての「アセ」は、「ヲヂ」の対語となり、また族称としては、これを実母に適用するようにもなっている。
 ヲヂ(をぢさん)―アセ(をばさん)
 また一般敬称としてのヤクメ(ヤンメ)はアニョ(兄)に代わられ、「アセ」「アゴ」の代わりには、アネ(姉)が広く用いられるようになった。
 この島では、元来、年長者を敬う風習が強かった。いわゆる長幼の序が定まっていて、昔は十五歳になると、ニセナリ祝(成年式)が行なわれ、このころから、そろそろ、よそ行き言葉ともいうべき敬語を使い始める習いであった。「今日(きゅう)ヤ、ヰー天気ダリョヲム」(今日はよい天気でございます)。「ヌブテウモリンショウレ」(上がっていらっしゃいませ)。「今日ヤ拝ミンショウラン」(今日は!)などの敬語を覚えるのである。
 通常、年令が一つ違っても、年長者には敬語が用いられ、敬称で呼び、その代わりに年長者は、年少者の名を呼び捨てにし、敬語を用いないのである。
 今日では、こんな風習もだんだん影薄くなっていくようである。
 部落の年長者が、無差別に年少者の名前を呼び捨てにするのは、親しみを表わす意味であろうし、したがって、それは、家族主義の残影ともみるべきものであるが、今日のごとく、もう農業一式ではなく、職業の分化した時代には、副わなくなってきた。
 よろしく弊習として、これを是正すべきである。
 なるほど、明治時代ごろまでの部落の構成を考えてみると、特別な階級を除いて、一般民は他部落との縁組みをすることはまれで、多くの部落内での結婚を行ない、したがって、部落内部のものは、多かれ少なかれ縁故関係があり、広い意味での「はるち」であった。
 かくて、年長者にはその年齢に応ずる族称が、そのまま敷延して用いられることが踏襲され、年少者には親しみをもって、その名前を呼び捨てる風が保持されてきたのであろう。この面においても、この島は古い氏族社会の文化の残影を今日までも止めているとみることができる。
 しかし、日本本土では、今日では、近親の者以外は、年少者の名前を呼び捨てることは稀である。先進の者が後進の者の苗字を呼び捨てることはあっても、名前を呼び捨てることは、今日では異様に響く。
 かって、朝鮮(今日の韓国)視察に出張を命ぜられた、長崎県のある警察官の帰任報告書に、「朝鮮では、人の名前を呼び捨てる風習あり」というのがあった。やはりこれは、この警察官には、ひどく奇異に感ぜられたものと思われる。
 西洋、たとえば、英語を話す国々の慣習では、親しい間柄、または、だんだん親しくなった間柄では、人の名前を呼び捨てる。しかし、この場合は名前そのものを呼び捨てるのではなく、その名前の下略的なものから発展した愛称というものを呼び捨てるのであり、そのためかえって、敬愛の情を増し、常に、この愛称によって、呼び掛けられ、その親しい響きによって、相互の気持ちが引き上げられていくように思われる。
 これに似た現象は、この島でもみられる。例えば、万太郎を万とか万太と呼び、広助を広と呼ぶ。これははじめ、その人の子供時代の愛称であって、親しみが含まれたものであったであろう。ところが、その人が大人となって、村の年長者になってもそれがそのまま通称となり、これに「ヲヂ」や「ヤクメ」の敬称がつけられるが、一方、その人の年長者からは、いつまでも万とか広とか呼ばれ、それが親しみを表わすのではなく、かえって、軽蔑の気持が含まれてくる。それで、もし、その人が漸次村で重きをなすようになると、その年長者も、その人に敬意を表わす意味で万とか広とかの片名を呼ぶのを止めて、万太郎とか広助とか、その完全な名を呼ぶようになり、教養のある人は、今日では、これに「さん」や「君」をもつけるようになっている。
 日本のように、横の道徳、すなわち公衆道徳ではなくて、縦の道徳、すなわち主従道徳の発達した国では、それに従っていろいろの敬語が生まれ、この島の実例から推しても、個人の名前を呼び捨てることは、親しみを表わすどころか、世の中がデモクラテイックになるにつれて、かえって軽蔑の気持が読まれるようになってくる。それに片名にしろ、これに「ちゃん」とか「さん」とか「君」とかつけて、はじめて英語国などにおける呼ぶ捨ての愛称とマッチしてくるように思われる。
 この島では、名前を呼び捨てるといっても、これは一般的な話で、村の重きをなす人々や特に旧家といわるべき家族の子弟には、たとえ年少者でも、その名を呼び捨てることはない。旧藩時代には、こうした旧家や村役人に対し、村の一般人を「内々の人」と呼んだ。内々の人は、旧家の人々や村役人に対しては、「シュウ」・「シュウマッガ」・「カナ」(女)などの敬称を用いた。明治以後「さん」(様)や「ちゃん」が取り入れられ、「シュウ」や「カナ」に代わっていった。年少者でも近親でない限り、その名に「さん」や「ちゃん」をつけて呼ぶ人々も現われてきたが、まだ一般には普及していない。
 英語のダーリングを想起させるような「坊」、「ネー」、「メンガ」(愛ずべき子)、「カナ」などの子供に対する愛称の呼びかけ語が消失しつつある今日では、せめて、人の子供に対して何々ちゃんと呼びたいものである。
 封建的家族制度の残影が、今日も漂っていることは、一般に、年齢の階層に応じて言葉使いを変え、しかも、敬語の助動詞を十五、六歳ごろから用いる習俗があり、このため、敬語というものが一般人にはなかなか板につかずそこにいくぶん不自然なものがあり、そのため粗末な言葉と丁寧な言葉とが、強い対照を示し、この中間をなす緩和された方言が発達しなかったことにも、その原因があるであろう。
 そのため、「さん」や「君」や「ちゃん」などのような、敬称愛称辞が、今日までも普及しなかったのであろう。
 昔は青年団体というものは、村の中堅であると同時に社会教育の機関でもあった。十五歳になって、青年の仲間入りをするころから年長者に対する言葉遣いなどもしつけられるようになった。
 ところが、時代の進展と共に、こうした伝統が破れて、青年や処女は、その子供の時分から家庭内で使い慣れた、ぞんざいな物のいい方が、そのまま継承され、そのため終戦後、特に、村の青年や処女のいい方が、そのまま継承され、そのため終戦後、特に、村の青年や処女の言葉使いが荒々しくなっている。特に若い女性の言葉使いが荒くなっている。

(つづく)

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