「いも」と  「うも」
(下)
 
 次は水芋についてであるが、水芋と里芋は、一見まったく形態を同じうし、ただ、水地に生ずるか、干地に生ずるかの相違が認められるだけである。しかし、よく調べてみると、里芋と水芋との間には、細かな相違があり、また同じ里芋同じ水芋でも、その内部には、いろいろの種別がある。この島では、里芋は、その根(芋)を食用とし、水芋は概して、その茎を食用としている。
 水芋にも、いろいろ種類があって、その根(芋)を食用にするものと、その茎を食用にするもの、また、その根(芋)も茎も食用にできるものとがあるらしい。
 いま、この図表の水芋の呼称中、括弧に入れてあるのは、主として、その根(芋)を使用とする水芋名である。
 この図表で明らかなように、主として根(芋)を食用に供する水芋名には、「ウム」(うも)という語がついている。「ターマン」、「ターウム」、「ターム」はすべて、「田真うも」または「田うも」のなまりである。
 おもしろいのは、奄美本島南部の呼称である「オムウム」である。ここでは「ターウム」(田うも)という呼称もあるが、それは、もう水芋ではなくして、乾田にできる里芋の一種を意味するようになっている。したがって、水田に生じ、根(芋)を食用にする水芋を呼ぶのに、「オムウム」などの名称ができたのであろう。
 方言では、陸地の人工的ではなく、自然的に水をたたえて淀んでいる場所を、「オム」(om)といっている。あるいは、これは、「あはうみ」(淡海)のなまりで、アワウミ>オーミ>オムとなまったのであろう。これからして「オムウム」は、「水田うも」と同じい意味を表わすわけである。
 水芋でも、その茎を食用とするもの、または、その茎を主眼としてこれを呼ぶときは、これを「ムヂ」と一般にいっているようである。
 ところで、右の図表でわかるとおり、沖縄島の一方言では、これを「ムギ」というらしいので、あるいは、これが原音かも知れない。「ムギ」は、「うもぎ」の頭略転訛したもので、「ぎ」は、根(芋)に対して茎を表わす語であると解することができるからである。「ムギ」が、やがて口蓋化(パラタリゼイション)して、「ムヂ」になるのは容易な道理である。
 この沖縄島の一方言も、今日では「ムヂ」に傾きつつあるようで、私がようやく「ムギ」を嗅ぎつけ、「ハッ」と大きく膝を打ったしだいである。
 また水芋の種類には、奄美本島北部で称している「クワリ」というものがある。これは「くわい」のなまりであろう。喜界島では、これを「ファイ」といっている。
 奄美本島南部では、「ムヂ」の一種として、「トームヂ」(唐うもぎ)というのがあるが、奄美本島北部笠利辺で「トモヂン」というのは、この「トームヂ」の再転音語であろう。笠利で「トモヂン」というのは、水芋の種類でも水地にでなく、乾地に生じ、その茎だけを食用とするものらしい。
 甘藷の伝来後、「うも」という名称が、もっぱらこれに適用されるようになり、そのブランクを埋めるために、「ムヂ」をもってきて里芋を意味させるようになったのが、与論島の例に見られる点である。次におもしろいのは、里芋を意味する徳之島の「チンヌン」および沖縄島の「チンヌク」である。
 これも徳之島の例はなまりすぎているが、この沖縄島の「チンヌク」から、ほぼ、その原音が想像できはすまいか。「ン」はやっぱり「うも」の転音であろうから、「チンヌク」は「ターム」(田うも)に対して、「ちうものこ」(地うもの子)と解されはすまいか。
 里芋や水芋には、方言流にいうならば、「親うも」「子うも」なるものがあって、里芋の方は「子うも」をたくさん生ずるが、水芋の方はそれがない。何といっても、おいしくて珍重がられるのは、この「子うも」である。したがって根(芋)に関する限り、水芋よりは里芋の方がすぐれている。ここから「チンヌク」という名称が生まれたわけであろう。
 次に山芋についてであるが、南島には、独自の円い赤色の山芋が生ずる。奄美本島南部では、これを「コーシャ」、北部では「コーシャマン」といっている。これからみて「コーシャ」は「コーシャウム」(こうしゃうも)の下略であろう。与論島の「アカヤマン」は「赤山うも」のなまりで、「ン」は「ウム」の転、「ヤマン」は「やまうも」のなまりである。徳之島の「ヤマンヂ」は「ヤマムヂ」の再転で、「ムヂ」(うもぎ)が「ウム」(うも)とまったく同義に用いられているのである。
 喜界島などのように、本来山芋のない島では、その名称もなく、今日では、「ヤマイモ」という語が用いられているが、これは日本本土から移入された山芋のことで、したがってその名称も標準化されている。この図表の沖永良部島の例も、これに類するものではあるまいか。
 今日、沖縄島の首里、那覇では、甘藷(かんしょ)のことを「いも」といっているそうであるが、これなども、近代になってからの変化であろうと思われる。


 次に奄美本島南部方言中から「うも」のつく慣用句を拾って、その意味を考えてみよう。
 (ィ) 「ウムヌ葉」(うもの葉) 里芋の葉のこと。これに対してさつま芋の葉は「カラン葉」(からの葉)という。「から」という語については、古事記に「なつきの日の稲からに」とあり、茎を意味したらしい。方言では、今日もっぱら、さつま芋の茎を意味し、その茎を主眼としてみたとき、「さつま芋」そのものをも示すようになっている。それは「ムヂ」が茎を主眼とするとき、水芋全体を示すのに似ている。北大島では、芋がら、芋づるを、「トンカヅラ」といっている。
 (ㇿ) 「ウムヌ汁」(うもの汁) 里芋ではなく、さつま芋を煮たあとの黄色い汁。
 (ㇵ) 「ウムゾーケ」(うもソーケ) 里芋を煮、または蒸してから、食卓に出すために入れるざる。ソーケは九州方言でも用いられる。
 (ニ) 「ウンヌコ」(うもの皮) 煮たさつま芋の皮。里芋の皮のときは、丁寧に「ウムヌコ」と発音する。
 南大島では、「うも」という語は必ず里芋を意味し、さつま芋は必ず「ハヌス」と呼んでいるのに、これらの慣用語の中では、「うも」がさつま芋の意味に変わっているのは、どうしたことか。しかも、南大島の人々は、この事実に気づくものもなく、指摘されてなるほどと驚くくらいのものである。
 英語のピッグ(pig 豚)が、殺したらポーク(pork 豚肉)になり、オックス(ox)やカウ(cow)が殺したらビーフ(beef 牛肉)に変わるように、煮たうも(煮た里芋)は、やがて時代のマジック(魔術)によって、甘藷(かんしょ)の代物にすげ替えられていったのである。
 ここには、大きな歴史的事実が秘められているのではあるまいか。つまり、この島の食生活の変遷を、これは物語っているのではあるまいか。
 甘藷(かんしょ)の伝来前には、里芋を皮のまま蒸して「ソーケ」に入れ、食卓に供し、主食の補充をする習慣があったのが、甘藷の伝来後は、この芋が栽培にも容易であり、また多量にも生産でき、主食の補充どころか、一般農家では、これがずばり主食ともなるにつれ、今までの里芋の実物は、これにとって代えられ、その名称だけは、そのまま踏襲されていったのではあるまいか。
 一般農家では、今日でも時々、甘藷(かんしょ)に里芋を交ぜて蒸したものを食卓に供することがあるが、これから推しても、甘藷伝来前は、これが里芋ずばりであったことが察せられる。

 以上を総合して推断されることは、甘藷すなわちさつま芋の伝来前には、この南の島々で、単純に「うも」というときは、通常里芋のことを意味し、水芋のことは「田うも」と称し、水芋でも、その茎を食生活の対象として考えるときは、「うもぎ」と称したであろうということである。
 しかもそれは、この島々の主食の線に、連なるものであったろう。ここで里芋の原生地の問題が起こってくるが、それはしばらくおくとして、こうした、この島の主食の線に連なったと思われる食物には、それぞれ、これに信仰的なものがまつわっているようである。
 米作農耕が始まる前の時代においては、椎の実が、この島の主食的なものであったろうということは、第五章八月踊りの由来の項で想像したのであるが、なるほど、この島の昔の「あしあげ宮」は必ず椎の木で作られ、また椎の生の枝葉を、この島では、特に柴(しば)と称して、これを「ひもろぎ」とし、榊につぐ神木と考えてきた。
 米については、もうここで多言を要しないが、シュク(しとぎのなまり)は、よく、これを額(ひたい)などにつけると病魔を祓うと信ぜられた。この島では、また家を新築したり、屋根を葺き替えたりするときに、子供たちが「ミヤゲウバン」(土産御飯)と称して、その家の門前で石を三つ鼎(かなえ)形に並べ、御飯を炊き、まだ煮えきらないうちに、その汁を椀に汲み取り、これを適当な大人が持って行って、その家の四方にかけ、また、「キンネ、マンネ(万年?)アヂャ、マラキリ、フー」と、となえながら、これを屋根にもかける風習があった。この文句は、なまって、その意味はまったくわからなくなっているが、この調子からいって決してよい意味ではない。これは、こうした呪咀的文句をどなって、すべての邪悪を追い払い、この米の精にて、その家を清める意味合いを持っていたものと思われる。
 甘藷(かんしょ)の伝来当時は、もう時代が進んで、こうしたいわば「原始民間信仰生成時代」ともいうべき域(いき)を脱していたと思われるが、それにしても、「ウムヌ汁」(さつま芋を煮た汁)は、農作物にかけると、よく邪悪を祓うものと信じ、これを行なう部落が最近まであった。
 これを新しい言葉でいい換えれば、さつま芋の汁は、害虫を駆除するというのである。昔の人ならば、害虫は邪神の使であると信じたのである。
 しかし、これも実は里芋の汁に対する信仰であったのが、主食の線が里芋から甘藷(かんしょ)に置き換えられるにつれ、無意識の中に、この信仰も里芋の汁から甘藷の汁へと変わっていったものと思われる。
 米の精に対する信仰と同じく、これはまた遠く南方の民族の信仰ともつながるものと思われるが、とにかく、里芋や水芋の茎は、死者を蘇えらす呪力があると信ぜられたらしい。この島では、葬式の際またはお盆祭に、里芋または水芋の茎を小刻みにして、これを里芋の葉の裏側に乗せ、これを墓前に供する風習がある。これを「ウムヌコ」(うもの粉)または「ムヂヌコ」(うもぎの粉)と呼んでいる。
 なお、この島には、野生の植物で、里芋に類し、食用とはならないものに、「バシ」または「バジ」というものがあるが、一時代前までは、人が死んだときは、門口に竿を横たえ、その両端に「バシ」の茎葉を十字に置く風習があった。
 これは死霊と生霊との交渉を避けしめる呪術であったと思われる。(第10章参照)


(了)

論考もくじへ   

更新日/2019年7月5日
                                  ホームへ                    
父・金久正著「増補・奄美に生きる日本古代文化」(1978年・至言社刊)より、第17章「いも」と「うも」を2回に分けて全文収録です。(ルビ文字は( )の中に、ルビ強調は下線で示しました。また文脈上あきらかな校正ミスと思れるところは文意を整えて示しました。)
論考もくじへ