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雑感10

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(夢を反芻する季節?)(詩人井上俊夫さんのサイトがおもしろくて)(海の底からの声のよう)(新興宗教事件と、目のひかり)(聖と性のゆくえ?)(からだが触覚する不思議さの感じが・・・)






1999年11月5日 金曜日

 よく、いましがた観ていた夢が、ふうっとほつれてきた糸の先端のところで、舌と口蓋がしきりに微動して、黙語りしているような、しずかな夢の情景とはうらはらの、いそがしそうな口内の筋肉運動を感じながら、しだいにはっきりとうつつへもどってくる、ということがある。夢の中で、自分がしきりにしゃべっている状態で、そのまま目覚めてしまうときなどは、水から顔をひきだしたような移行の連続性があって、そんなものかなと思ってしまうぐらいのものだが、自分では思いもつかないような、とっぴな情景のひろがりを黙ってみつめていたり、あるいは、複雑な構築物の中を行動したりしていて、しゃべる場面などどこにもないのに、ふうーっと目覚めてきて、その場面を織り成す糸のほつれを感じ、その感じの先端のところで、まるで静かな場面全体をいそがしい黙語りでずっとささえてきていたんだと実感するような、舌の微動と口蓋のほのかな火照りを感じるとき、言葉とか、無意識とかの、どうにも意識的操作では手に負えない、人間の<器官なき身体>の深みとメカニズムに、、たじろぐような驚きと、ひろがりの受動的な快感を覚えてしまう。「無意識は言語によって構造化されている」というラカン的言い方があるが、これを夢の体験的実感と重ねながら想像すると、なにか、分子言語とでもいいたいような、世界の微細なあらゆる場所を、ことごとくしゃべる言葉の海が裏打ちしているような、めくらむような、圧倒するような、コトバのうごめき、泡立ちを感じて、<世界という謎>へのワクワク感が、いやでもかきたてられてしまうわけであります。ま、夢については、誰もがそれぞれのある<感じ>をもっているんだと思うけど、そして、フロイドやユングやの夢の理論に関心しても、結局たちもどってくる夢の魅力の場所というのは、誰もが、このそれぞれの<ある感じ>のところにひっそりあることを知っているわけなんだけど、その理由というのは、つまりは、この僕にとって、あなたにとって、この世に唯一の<器官なき身体>を息づく、黙語りされた世界の積み重ねの、独自の構築世界を、誰もがもっている、ということなのじゃないだろうか。だから、生きるということは、その<ある感じ>を、僕なら僕がどれだけひろがりあるものにできるか、ということにかかっているんじゃないか、などと、これは勝手な妄想だったりして。でも、そう思う。

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1999年11月8日 月曜日

 ぶらっと、はじめて立ち寄った、詩人・ 井上俊夫さんのホームページ「浪花の詩人工房」がおもしろく、すっかり読みふけってしまっていた。大阪から初年兵として、歩兵第216連隊に属して、中国戦線に参加したご自身の大東亜戦争従軍体験への思いを、詩やエッセーで、切々と、饒舌に、まだ語り足りないとばかりに、次々と発表されているのだが、詩集「従軍慰安婦だったあなたへ」を編んだことで知られる詩人らしく、まっとうすぎてあきあきする、どこかうそっぽい戦争反対論とちがって、戦争の、いまだからだに残留する<麻薬>性、ぞくぞくするような<陶酔感>なども、全身で表現しながら、戦争というもの、その中核にある軍隊というものについて、体験に言葉を寄り添わせるようにして、考察をすすめられている。まっとうな反対、まっとうな抗議というのは、どうしても、生きる中核にあるものをみせなくしてしまう。戦争を肯定するにせよ、反対するにせよ、聴くに耐える言葉と、聴くに耐えない言葉というのが、やはり、あるのだ。「九州センチメンタルジャーニー―私の特攻論」「君が代行進曲にあわせて」「銃殺された昇り龍に捧げる歌」「軍服感覚と武器感覚―戦争・ 軍隊に青春ありや」「大阪護国神社にて」「従軍慰安婦だったあなたへ」全篇、等等。まだまだ全部読みきれたわけじゃないけど、そしてもちろん全面的におもしろかったわけでも、共感するわけでもないけど、戦争を知らないあなたへ、資料盛りだくさんの、お勧めの、サイトでございます、はい。

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1999年11月12日 金曜日

 どこか気遠い海の底からかろうじて聞こえてくるような声で、男がしゃべっている。「お、ひ、さ、し、ぶ、り、で、す。・・・」なつかしくも、なにかが決定的に変質してしまったような、底深い男の孤独の在り様を痛々しく伝えてくる、声のおぼろな重ったるい輪郭に、黙ってしばらく対していた。きっと、携帯電話からの通話なのだろう。「・・・・・お、で、ん、わ、・・・く、だ、さ、い、・・・よ、ろ、し、く・・・んわばんご・・・は、・・・・・・です」。Sだ。肝心の下の番号が、とぎれとぎれで、聞き取れない。市外地番号から推すと、やはりいまも、日本の真中あたりの都市に、生きているのか。酒におぼれつつ、つらい、つらい生き方が、目に見えるようだ。みごとなまでに、おもしろいように崩れていった、彼の家族のことを思うと、言葉がでない。カポーティの「冷血」のなかで、インディアンの血をひく犯人ペリーの家族の<悪い星のしたの運命>のことが、姉の不安な心理として描かれているが、4人の兄弟のひとりは銃による自死、ひとりは、窓から飛び降り自殺、そして、弟ぺりーは・・・。そのうち、自分も狂うか、不治の病にかかるか、とにかく、不吉な運命が待ち受けているんじゃないか、という、始終つきまとう姉の不安。Sの兄弟はみんな、犯罪どころか、成績トップで島の高校を卒業、国立大学に進んでいる。しかし、状況としては、このペリーの家族に限りなく近いのだ。なにがどうというわけじゃない。傍から観れば、気の持ちようとかなんとか、言って批判することもできる。しかし、この社会で、結果的にうまく生きていける人間は、あたりまえだが、うまく生きていける人間にすぎない。<悪い星のしたの運命>と、その場所を漠然と名づけてしまうしかない、生の場所というものが、きっとあるのだ。この社会が、もっと、もっと、根本的に、変わらないかぎり。S。僕の合わせ鏡みたいな男。<島>をもっとも必要とする男。懐かしいが、会いたくない。

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1999年11月15日 月曜日

 どう見たって、庭先の草むらにくねくねとして落ちている布製の紐にすぎないのだが、○○さんに言わせると、それが昨日蛇に化身して、動いたというのだ。手のひらに金粉がでたというので、ど、どこに、とよくよくのぞきこんでみると、汗のひかりなのか、あるいはなにかちいさなゴミのひかりなのか、まあないことはない、たしかに、ひかっているものが、手にふきだして〔笑)いる。ケッといって、手のひらを冗談まじりではたくと、本人も笑って見せるのだが、どうも下心は違うと言う匂いぷんぷんだった。このひとは、Tという新興宗教の教祖にいれこんでいて、家にいくと、よくビデオでの講演記録などをみせられた。いつだったか、ゆうがたぶらっと訪ねると、祭壇代わりの床の間に、金庫をご神体にして祭ってあったのには、腹をかかえて笑ってしまった。本人もいっしょになって笑っていたが、どうも下心は違うと言う匂いぷんぷんだった。島でいっしょに詩を書いていた仲間だったので、あまりつっこんで、そう言う部分へののめりこみを、詮索することはなかったが、外見はとてもひとのいい、親しみにあふれた笑い顔の、典型的なシマッチュ〔島人)の○○さんが、ふとした拍子にみせる暗―く、、閉じきった場所から発する目のひかりの、殺気立ったぬめり、とでもいうものを感じるとき、ちょっと、ぞっとするものがあった。テレビで報じられているいろいろな新興宗教にからまる信じられない事件を聴くとき、まず僕にやってくるのは、遠い日の、この○○さんの、手の届かないところでひかる、あの、目のひかり、である。純粋とか、真面目さとかでは、なにもとらえることができないほど、人間って、ほんとに、謎深い、複雑きわまる、欲望のいきものなんですよねえ。

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1999年11月20日 土曜日

 世界的に広くしられた羽衣神話の奄美版「アモレヲナグ」の考察から、女性の宗教的な聖性と性のつながり具合を、生きた風俗まで降りてくる時間的風景として、真近にみえるように語っている、父の論考「天降り女人」をUPしているのだが、世やティギティギ、時代は変わって、<日々これ新たなマツリ>のような、すべてが、逆転したような現在の高度資本主義の中にあって、なおその連続性の中で、女性の予感される像を想像してみるのも、ああそういうことになるのかな、とか、いろいろイメージできて、面白いと思った。興味のある方はどうぞ、お楽しみ下さい。中に出てくる今女(いまじょ)の幽霊話の残像をひいているような、どこそこの峠に、これこれで首吊り自殺した何某女の幽霊がでたとかいう話は、昭和30年代の僕たちの子供のころも、よくうわさになっていたのを覚えている。やっぱ、道をタールで固めてしまっては、地という、微細な空洞を触感するような場所から<涌き出てくる>感じの、こういう話は、どうしても、なくなっていくよね。あと、「嘉徳(かどこ)鍋加奈節の一考察」や「ヤンゴー」の語源についての考察など、関連した記事をUPしたいと思っていますので、あわせて、お読みくだされば、父もよろこんでくれるかなとか、思ったりします。それから、1つ、訂正。「民間伝承」という柳田国男の主宰した民俗雑誌と、「旅と伝説」という雑誌を、僕はいつも混同してしまうのですが、UP時に「柳田国男主宰」と書いたのは、「萩原正徳編集発行」の誤りでしたので、あしからず、ご容赦を。「民間伝承」はだいぶ手元にのこっているのですが、「旅と伝説」は、ずっと昔に、ひっこしの余波で白蟻にやられて捨てるはめになったたくさんの文献ともども、消えてしまったのか、僕はまだ1度も目にしていないのではありますヨ。

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1999年11月26日 金曜日

 島の高校を卒業して東京で浪人生活を始めたころ、山の手線に乗っていると、ドアがひらいて、いきなり同窓だったMが乗りこんできたり、見知らぬ街のまったく任意の喫茶店でコーヒーを飲んでいると、階段を客が上がってきて、よくみるとそれが同窓のNだったりして、はじめての広大な場所での、不思議な出会いの現象に、驚かされたものだった。同じころ、大塚の武蔵予備校にいっていたSからのはがきにも、駅前の交差点でむこうから歩いてくる同窓のEにばったりであって、2人ともはしゃぐように驚いて、さっそく近くの喫茶店で話の花を咲かせたことが書かれてあったりした。一方では、こういうことは、専門的なひとからみれば、いろいろな行動パターンを計算して、確率論的には別にめづらしくないということになるのだろうなあ、とか思いながらも、からだが触覚する不思議さの感じが、すこし大げさにいえば、この世で生きることの希望のようなものとなって、いつまでものこっていたものだった。そのころ見た、いまでも覚えている夢のひとつに、すなぼこりに煙ったどこか砂漠のようなところにポツンとある、映画のセットを思わせるようなまったく見知らぬ街で、ぶらりとはいっった静かな喫茶店に、逢いたくてたまらなかった同窓のOさんが、何か電送されたばかりの人体という感じで、すわっていて、そこではじめて島ではできなかった親密な会話をかわしていく、というようなのがあった。遠い昔のこと・・・・・。あれから30年近くの歳月は流れて、近年でも、たまあーに、そう言う出会いをすることがあるが、「そういうことも、ありか」と、別にめづらしくないという気持ちが勝ってきて、それがどうにも、さびしい気がする。年のせいもあるのだろうが、どうもそればかりではなく、容易に空間移動する人々の影像や、ありあまるほどの通信手段、情報手段の海のなかにあって、なにかわけのわからない既視感のようなものだけが、肥大していくようで、からだが触覚する不思議さの感じが、それによって、どうも障害されている塩梅なのだ。他人の体験するうそかほんとかわからない超常現象などは、花盛りであるにもかかわらず。

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